「…兄、さん」
「どうしたんだ、桜?」
「…私が、兄さんと仲良くしているのは、おかしいのでしょうか」
「なんだよ、藪から棒に」
「クラスの子が言っていたんです。兄妹でそんな風に仲良くしてるのは、おかしい、って」
「なんで?」
「え?なんで…って、法律、とか…一般常識、とか…色々、あるじゃないですか」
「全く…馬鹿だなぁ桜は」
「あう」
「桜は、僕の事が嫌いなのか?」
「そ、そんなことありません!」
「だろ?ならそれが全てさ。何も気にすることなんてない」
「でも、それじゃ兄さんに迷惑が…」
「だから馬鹿だっていうんだよ、お前は」
「あう」
「妹の面倒を見るのが兄である僕の義務なんだよ。お前が僕の心配をするのは十年早い」
「兄さん…」
「いいか桜。お前は、僕に面倒を掛けたっていいんだ。ダメだったらダメだってきちんと叱り飛ばしてやる、だからお前はお前のしたいように、自由にしてればいいんだよ」
「………はいっ、兄さん!」
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夢、のようなものを、見ている。
きちんとした肉体を持たない私達サーヴァントは、本来夢を見ない。
しかしこうして、眠るのに近いレベルで自らの活動を抑制していた時に、まどろむ意識の中で見える光景がある。
これは、パスで繋がったマスターの記憶。
私のマスター。
どこか、私を討伐したペルセウスを思い出す自信家な少年。
しかしその実色々と考えをめぐらす策士でもある。
何やら聖杯戦争にまつわるアレコレを、通常以上のレベルで知っているらしい。
それを私に伝え聞かせるようなことはしてはくれないが。
…正直、彼のような少年は好きにはなれない。
『見ての通り僕は何不自由なく順風満帆な生を謳歌してきたからね。野蛮な命の取り合いに真剣になるような理由なんてないのさ』
聖杯にかける願いを問うた私に対して、あの少年はそんな返答を返してきた。
そんな彼と、私のような怪物が、気が合う筈も無い。
触媒を用いた召喚ではなかったようだが―――触媒があったとして、敢えて
彼の記憶を見ても大したものが見れるとも思えないが…私と彼をつなぐ『縁』のようなものを見れるかもしれない。
その程度の気持ちで、私は彼の記憶の中に没入して―――
―――え?
視界を埋め尽くすほどに蠢く、蟲の姿を見た。
『あああああああああああああああああああああああああああ!!!』
悲鳴を上げているのは、恐らくは幼少期であろう、あのマスターをそのまま幼くしたような少年。
その少年は、全身から蟲に集られ、血肉を食い破られ…そこから侵入した虫が、彼の体内で蠢くさまが見て取れた。
『ふむ…もう終わりかの。まだまだ、今宵の修練の予定はあるのじゃが…』
修練?
拷問の間違いだろう。
いくら何でも、こんなものが魔術の修練である筈がない。
確かに、魔術師にとって人道なぞという物はほんの僅かな神秘を伴わない無用の長物である。
他者を犠牲にすることに頓着する魔術師など私の時代にだってそうはいなかったし、現代でもそう変わりはしないだろう。
いざとなれば自らの肉体を改造するような魔術だってあるかもしない…だが、これは。
―――あまりに…行き過ぎている。
恐らくは10にも満たないであろう、少年に課すものではない。
いや、成人した魔術師であろうと、こんな魔術などはよほどのことがない限り願い下げだろう。
こんなものを味わっておいて…何不自由なく順風満帆な生活?
そんなことを宣える彼の精神が既に崩壊している可能性に思考を巡らせて―――
「では、仕方がない。おぬしがもう駄目だというのなら…桜を連れてくるか」
「ッ…ハッ!」
立ち上がった少年の姿に、それが間違いであると気づかされる。
「冗談言うなよ、お爺様…僕は、まだ全然…問題、ないって…」
「…呵々。そのようだの」
明らかな虚勢。
こんな拷問を受けて、なお立ち上がることができるものなど、人類史に名を刻んだ英雄の中でもそうはいないだろう。
多くの英雄たちを屠ってきた私だからこそ、そう断言できる。
けれど少年は、確かに立ち上がっている。
その理由は―――
そこで、場面が切り替わる。
先ほどまでの不気味で暗い蟲蔵とは打って変わって、朝日の差し込む温かな団らんの風景。
その中に居るのは、少年自身と…
『兄さん、どうですか?』
『あぁ、良い出来じゃないか、桜。よくやった』
『よかったぁ…ふふふ、今回のは自信作だったんです!』
食事を用意したらしい少女と、それを美味しそうに頬張る少年。
その光景を前にして、私は、私が彼の元に召喚された理由に思い至る。
―――あなたも、家族を守りたいのですね、シンジ。
◆
意識が覚醒する。
傍らにはまだ眠っているシンジの姿。
だが、私が目覚めたという事は、彼もまたもうすぐ目を覚ますことだろう。
つい先ほどの事だ。
突然倒れてしまったシンジをこの自宅まで運び、シンジの部屋へ寝かせた後。
私の現界のために消費する魔力が負担となっていることを察した私は、少しでも回復が早まればと思い、霊体化した上でその活動を極限まで抑えていた。
その結果として、彼の過去を覗いてしまったのは良かったのか悪かったのか…。
「っ…ぁ?」
「目が覚めましたか、シンジ?」
「…ライダー」
まだ気怠そうにしているシンジの体を支え起こす。
「シンジ」
「ん?なんだよ、ライダー」
「勝ちましょう、必ず」
一瞬、きょとんとしたシンジだったが、直ぐに小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、「当然だろ」と返してきた。
私は必ず、アナタを勝利させる。
私と同じ後悔を抱かせたくは、ありませんから。
◆
「シンジ、体は問題ありませんか?」
「…あぁ、もう大丈夫だ」
「先程の魔術の反動ですか?…なんだか随分と、その…嫌な感じのする魔術でしたが」
「…まぁ、そんなところだ」
ライダーからの質問に適当に答えながら、朦朧とする意識を整理する。
元々あったプランは、完全に根本から瓦解した。
要であるキャスターが既に脱落してしまっている以上、あらかじめ考えていた道筋は完全に途絶えたと考えるべきだろう。
元々のプランでは、第五次聖杯戦争への参加者、ランサー陣営を除いた全員を味方にする予定だったのだ。
今回の聖杯戦争での、各陣営での目的だが…
セイバー:聖杯を獲得し、祖国を救済する。
マスター:この戦争を、誰も犠牲にせずに終わらせる。
アーチャー:過去の自分自身を消し去る。
マスター:聖杯戦争に勝利する。
ランサー:強者と戦う。
マスター:聖杯を誕生させる。
キャスター:聖杯を使用して受肉する。
マスター:キャスターの願いを叶える。
アサシン:強者と戦う。
マスター:マスター=キャスターのため割愛。
バーサーカー:思考能力が存在しないため割愛。
マスター:『衛宮』に対する執着。
改めて整理してみれば一目瞭然。
本気で聖杯を望んでいるのはセイバー、キャスター、それにランサーのマスターくらいなのである。しかもセイバーについては、『原作』の事を思えば説得で覆すことも可能。
ランサーのマスターについては、目的と言うか人格そのものが歪んでいるので注意する必要があるのだが…ともかく、こと『聖杯の取り合い』という観点から見れば、始まった時点で既にほぼ決着がついているのである。
そして、キャスターであれば聖杯を何の問題もなく消費しきることが可能であるため、聖杯の使用はキャスターに任せてしまえば問題ない。
バーサーカーのマスターやアーチャー辺りの願いは流石に叶えさせてやるわけにはいかないが…ランサーのマスターを除いた『参加者全員で同盟を組む』ことについては、それ程難しいことではない、と考えていた。
細かな問題を調節して、反抗してくるところは先に賛同を得られた陣営からの協力を得て力ずくで納得させて、話し合いで決着させることも可能であり、全陣営の足並みを揃えればランサーのマスター打倒を始めとして大抵のことは何とかなるだろう…だがそれは、楽観に過ぎたようだった。
こんな序盤から『彼の王』が動いてくるのははっきり言って完全に予想外だった。
一応、脱落したのは直接的な戦闘能力の低いキャスターとアサシンである。主戦力となるであろうサーヴァントは軒並み残っており、その残ったサーヴァントをまとめ上げれば…。
「…いや、これ以上楽観視はできない」
『彼の王』がそう軽々と動くことはないだろう。
そんな思考から生まれたのが現状だ。いつ王が動くのかの予想ができない以上、なるたけ不確定要素の少ない手段を取るべきだろう。
セイバー陣営はともかくとして、味方になってくれるかどうかが怪しいアーチャー陣営、まず味方になってくれないであろうバーサーカー陣営辺りを頼りにするのは危うい。
ならば。
「やっぱりそう上手くはいかないか…」
「シンジ?」
「プラン変更だ。…ライダー、ちょっと付き合ってくれ」
「?…はい、かしこまりました」
僕は、ライダーを伴って蟲蔵へと足を進める。
この戦争を、僕一人で終結させるために。