「…失敗、しちゃった」
「何してんだ?」
「あ、兄さん…」
「…それは?」
「た、卵焼き…です」
「真っ黒だな」
「ぁう…」
「ふぅーん…あむ」
「に、兄さん!?そんな、黒焦げなのを…」
「…うぇ、苦いな」
「っ…ご、ごめんなさい」
「僕が食べるものなんだから、もっときちんと作りなよ、桜。…あむ」
「あ…全部、食べて…」
「なんだよ、僕のために作ったんじゃないのか?」
「そ、そうです…けど…失敗、しちゃったから…」
「桜が僕のために作ったんだから、僕が全部食べるのが当たり前だろ?」
「兄さん…きっと!きっと、次は上手く作りますからっ!」
「あぁ、期待してるぜ、桜」
「は、はいっ!」
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俺と慎二が初めて会ったのは、中学の時だ。
切嗣が死んでしまったばかりで、そのショックで多少荒れていた頃。
その日の俺は、ひたすらに陸上の走り高跳びに挑戦していた。
発端はよく思い出せない。思い出せないという事は、そう大した理由ではなかったんだろう。
その頃の俺はとても不安定で、とにかく何かに熱中していたかったように思う。
だから、何をしたかったのかと言えば、それは何でも良くて。
ただ、何も考えずにがむしゃらになっていただけで、その日はたまたま走り高跳びだった…それだけの話なのだと思う。
学校が終わってから、自分以外の生徒も残っておらずそろそろ日も沈もうかという時まで、俺は飽きもせずにずっと走り高跳びの練習をしていた。
何度も。
何度も。
何度も。
―――ただの一度も、成功しないまま。
そんなことをして、一体何になるのか。
今思い起こせば恥ずかしくなってしまうような、そんな覚えていたくもないような思い出。
けれど、その日の事は、きっと俺は一生忘れられないだろう。
そろそろ終わりにしようか。
馬鹿にも程がある当時の俺ですら流石にそんな事を考え始めて、少し休んだ後に使っていた道具をしまおうと腰を落ち着けた時。
俺の隣を走って追い越した少年が、軽々とそのハードルを飛び越えた。
その少年は、飛び終えた体勢から立ち上がって、座り込んでいる俺の方へ向き直ると。
にやり、と勝ち誇った笑みを浮かべて、そのまま去っていった。
初め、俺は呆気にとられた。
その後、沸々と湧き上がってきたのは、怒りにも似た感情で。
こうなったら、意地でも飛び越えてやる。
そう思って臨んだ再チャレンジ。
その一発目で、俺はずっと飛び越えられなかったそのハードルを飛び越えた。
考えてみれば当たり前の事だった。
何も考えず、がむしゃらに、全く同じことを繰り返していれば、そりゃ全く同じ結果しか得られないだろう。
俺は、何も考えずにただ挑戦しているだけだった。
何が悪かったのか。どうすれば飛べるのか。そんなことは一切考えずただ、『飛んで失敗する』という工程を繰り返していただけ。
それで進歩なんて、得られる筈も無かったのだ。
ただほんの少し、『正しい手本』を一度見せつけられただけ。
たったそれだけで、飛び越せられる程度の差異でしかなかったのに。
念願叶ったというのに、俺の中には達成感なんて欠片もなかった。
あったのは、底の見えないほどの敗北感だけだった。
◆
翌日、俺はそいつの元を訪れた。
訪れて何をしようというのでもない。
文句を言える筋合いではないし、かと言って素直に礼を言えるほど俺は人間出来ていない。
ただそれでも、このまま終わらせるのは、『違う』と感じたのだ。
だから一先ず会ってみよう、そう思った。
そいつの事は、労せず見つかった。
なんせそいつは、とびっきりの有名人だったからだ。
成績優秀、スポーツ万能、眉目秀麗の完璧超人。
努力する者には際限なく手を貸し。
怠け者にはとことん容赦がない。
底抜けに優しいが、病的なまでに厳格である。
学校一のカリスマ、間桐慎二。
朝一番にそいつのクラスを訪れた俺は、クラスメイト…あとから思い返せば、他クラスの人間も混ざっていたように思う…に囲まれて、その全員を叱咤し、導き、窘め、激励している間桐慎二の姿を見た。
そこで俺は間桐慎二の噂に嘘偽り、誇張がないことを思い知って。
強くなった敗北感を前に打ちひしがれたまま、それでも間桐慎二から目を逸らさずにいた。
そこで、じっと見つめていた俺に気付いた間桐慎二が、立ち上がってこちらへと歩み寄ってきた。
「よ、昨日は飛べたのか?」
開口一番、何の遠慮もなくそんなことを聞いてくるあたり、こいつは良い性格をしている、なんてことを思いながら。
「…おかげさまでな」
そう、精一杯の意地で返して。
俺の返事を聞いた間桐慎二は、一瞬だけ驚くような顔を見せた後、デフォルトの傲慢な笑みを浮かべて、「へぇ」と一言呟いた。
以来、何故かあいつは俺の世話をよく焼くようになった。
放課後になると、いつの間にか一緒の帰路に着いていて。
勝手に家に上がり込んだと思ったら、自由気ままに寛いで。
何をしたいんだこいつは、なんて最初は思ったものの。
人間というのは適応する生物のようで、そんな日常に俺はすっかり慣れてしまった。
俺の行動の、何があいつの琴線に触れたのかは分からない。
ともかく、その時から俺は、慎二とは唯一無二の親友である。
…なんて、胸を張って言えればいいんだが。
慎二の奴は、一体俺の事をどう思っているのか。
それについては、今に至るまで相変わらず謎のままである。
◆
俺が間桐桜と出会ったのは、慎二とつるむようになってから、少ししての事である。
「僕の妹の桜だ。…ほら、ちゃんと挨拶しろよ、桜」
「は、はい!…ま、間桐桜です!…兄さんの妹ですっ!」
当時の俺が、まともに交流を持っていた異性なんて言うのは藤ねぇくらいのもので。
そしてそんな藤ねぇと比べるべくもない、俺を前に緊張している少女の姿に俺は戸惑うばかりで。
慎二の奴は面白そうにニヤニヤしながらこっちを見るだけで。
ともかく、俺が彼女に対して抱いた第一印象は、『大人しそうな少女』という物だった。
なんで俺に紹介なんてしたのか慎二に問うと、
「コイツはちょっと僕に甘え過ぎだからな。ちょっとは他人と交流するってことを覚えさせないと。っつーわけだからよろしく頼むぜ、衛宮」
…何故、俺なのか。
思春期真っ盛りで男女の差なんてものに過敏になるお年頃である当時の自分にはあまりに酷なタスクであると抗議の声を上げたかったところであったが…というか実際に上げたのだが。
お前の都合なんて知ったこっちゃないと、それから、慎二がウチに来るときは必ず桜が付いてくるようになった。
それから、また俺の日常が塗り替えられた。
勉強やら宿題やらに四苦八苦する俺と。
それを小馬鹿にしながらもなんだかんだ助けの手を止めることはしない慎二。
そこに大人しいながらもしっかり者の少女である桜が加わって。
更に本来一番大人であるべき藤ねぇが誰よりも子供っぽく我儘一杯に振舞う。
いつしかそんな光景が、我が衛宮家の日常となった。
◆
そして我が衛宮家の日常は、新たな変遷を辿る。
それは俺達が高1となり、中学・高校で桜と別れて過ごす一年間に起きた事件である。
弓道部からの勧誘を受けた俺と慎二は、その体験入部にて、『百発百中』という極めて類稀な功績を残した。
勧誘は激しさを増し、更に顧問が藤ねぇであるという事も相まって絶対に断れない…正確には、断ったら何をされるかわからない…雰囲気を醸し出す中。
俺は首を縦に振り。
慎二は首を横に振った。
「ハァ?なんでできるのが分かってるのに態々やらなくちゃいけないんだよ」
というのは、断ったときの慎二の言である。
それでも諦めきれない藤ねぇの勧誘は続いたが…
「いいの?もう二度と衛宮の家に高級食材持ってってやらないよ?」
藤ねぇは二度と勧誘の言葉を口にすることはなかった。
ウチで遊んで、そのまま夕ご飯に…なんてことが俺たちの間ではちょくちょくあり、そして時折、慎二が家の金で高級食材を持ってきて、それを桜が調理する、という機会がよくある。
勿論、そんなときに遠慮なく桜の手で極めて美味しく調理された高級料理を平らげる藤ねぇは、間桐家に完全に胃袋を掴まれていた。
かくいう俺もなんだかんだあの大食い虎のエサやり(こんな物言いを本人に直接したら折檻間違いなしだが)には一役買っているのだが、余裕があるわけでもない衛宮家の財布事情では、あんな風に遠慮なく高級食材をドン!と提供することはできないのである。
閑話休題。
そんなわけで俺は弓道部へと所属し、慎二はそれからまたいくつかの部活動を見回ったらしいが結局帰宅部。
事件が起こったのは、その後の大会の時だった。
俺がバイト先でヘマをして、その時の怪我が原因で選手として活躍することが絶望的になったのである。
「エースが出られない」と弓道部は慌てて右往左往。
もうどうしようもない…と誰もが諦めかけたその時。
代役として出張ってきたのが、慎二である。
慎二は見事俺の代役を務めて、我らが弓道部は栄光を手にした。
…と、それだけならばただでさえ世話になりっぱなしの俺が、更に慎二に頭が上がらなくなるだけで済んだのだが。
怪我で日常生活を送るのに支障を来す俺を慮って、慎二の奴が頼んでも居ないのに使用人の一人を俺の元へ派遣したのだ。
名を舞弥というその人は、俺に母親が居たらこれぐらいの年齢だろうか、と思うような女性で、元々慎二…つまり間桐家の下で働く使用人だったらしい。
「こいつはほっといたら際限なく自分の体を痛めつけるからな。下手に怪我が長引いて僕に余計な手間を掛けさせないように、きちっと見張っておけよ、舞弥?」
「かしこまりました」
と、俺の意志を完全に無視して話が進められて。
それでも実際、誰も見ていなければ怪我に影響のない範囲でトレーニング自体は続けようかなーなんて考えていて、慎二の懸念はまさに的中しており。
結局、俺は慎二に恩に恩を重ねて雁字搦めになる事を甘んじて受け入れるのだった。
それから、何故か怪我が治ってからも舞弥さんはちょくちょくウチの様子を見に来るようになった。
何故かと彼女に問えば、「慎二様からのご命令です」と返ってくる。
どうしてかと慎二に問えば、「何、気に入らないの?」と不機嫌そうに威圧してくる。
正直、慎二にはどうやったら返しきれるのかわからないほどの負債を抱えてしまって、何とも居心地が悪いのだが。
助かっているかどうかで言えば大助かりである現状、今もなお、使用人の彼女に助けてもらう生活が続いている。
かくして、衛宮家の日常に、また新たなメンバーが加わったのである。
◆
「この結界は…」
聖杯戦争を止めるため、新都を探索していた俺とセイバー。
発見したのはとある結界を発動させるための魔術の痕跡。
その内容は、発動した瞬間その範囲内にある生命を喰らいつくす、凶悪な結界。
放置する事は出来ないと俺はセイバーと共に夜の新都へと繰り出し、街中を探索する。
その結界を設置した敵を探して―――
「慎、二…?」
「なんだ、衛宮じゃないか」
親友にして恩人である相手の存在を見つけた。
「何してるんだ、慎二…?」
「ん?何って…お前もサーヴァントを連れてるならわかってんだろ?」
聖杯戦争、だよ。
そう、何でもない事であるかのように答える慎二。
それ自体は、遠坂から話に聞いていた。
間桐家は、この冬木の地に古くからある魔術師の家系であり、この聖杯戦争にも参加すると。
そして実際、遠坂の言う通り、聖杯戦争が始まった日から、慎二は学校にも出てこなくなって。
もしかしたら同盟を組むこともできるかもしれない…と思いつつも、そんな事になればまたアイツに頼りきりになってしまうだろうことを想像して二の足を踏んで。
例え態々俺と同盟など組まずとも、慎二ならばきっとこの戦争を誰の犠牲もなく終わらせるために奔走してくれているだろうと信じて―――なのに。
「けど、お前…それは!」
慎二の足元にある魔法陣。
それは紛れもなく、あの悪質な魔術の魔法陣だった。
「あん?なんか文句でもあんのかよ、衛宮」
「お前、それが何なのかわかってんのか!慎二!」
「僕を馬鹿にしてんのか?そんなわけないだろう」
「じゃぁお前、どうしてそんな…」
「ハッ!お前も随分甘っちょろいなぁ、衛宮。これは戦争なんだぜ?有象無象の十や百の犠牲くらい、出るのが当たり前だろうが」
「なっ…!」
慎二のその言葉に愕然とする。
今までの日常を共に過ごした慎二の姿と、今の慎二の姿が合致しない。
何かの間違いであると、そう考えて―――
「全く…その程度の覚悟もなく『こっち』に足を踏み入れたのかよ。『魔術師としての僕』は、元々こういう人間だよ。…ただお前には、見せてなかっただけの話さ」
「…本当に、お前は、人を殺すつもりなのか」
「あぁ」
事も無げに、つまらなさそうな顔でそう即答する慎二。
「ならお前は…俺の敵だ!セイバー!」
「えぇ、シロウ」
セイバーと共に、目の前の慎二…いや、敵である魔術師を睨みつける。
「いいぜ、それなら相手してやるよ、衛宮。…ライダー、お前の相棒を出せ」
「はい、シンジ」
戦闘開始直後。
ライダーは、慎二の指示を受けて、即座に自らの首に己の武器である釘剣を突き立てた。
「なっ!?突然何を…」
驚愕するセイバーを他所に、ライダーの眼前に禍々しい魔法陣が現れる。
さらにその魔法陣から眩い光が溢れ出し―――
「ぐっ…!?」
「危ない、シロウ!」
セイバーに突き飛ばされて横転する。
今さっきまで自分が居た位置を、轟音が走り抜ける。
振り返れば、そこは真っ黒なアスファルトが砕け散っており、散々たる有様を俺に見せつける。
「なっ…!?」
その光景を生み出した存在。
まばゆい光の源泉に目を向ければ。
そこには、この世のものとは思えないほど美しい、純白の天馬の姿があった。
「馬鹿な、幻獣だと!?」
この世には存在しないはずの、翼持つ天馬―――ペガサス。
そこに内包する膨大な神秘は、魔術師としては見習いも良いところである俺にさえ感じ取れるほどだ。
「僕を止めたいなら追って来いよ、衛宮!」
そのまま、慎二とライダーをのせたペガサスは、すぐ傍にある高層ビルの屋上へと飛び立っていく。
「ッ…追うぞ、セイバー!」
「シロウ!?あなたまで行く必要は…くっ!」
セイバーを連れて、俺は慎二の後を追った。