少し、リアルの方で立て込んでいまして、課題とか課題とか課題とかで、
まあ、とりあえず、お楽しみいただけたら嬉しいです。
「単刀直入に言おう。新宮寺蓮君、貴方には破軍学園を抜けて『国立・暁学園』に参加して力を貸して欲しい。君の力が必要なんだ」
蓮の瞳をまっすぐ見て真剣な声音で言った言葉に蓮は目を見開いた。
「は…?」
辛うじて喉から絞り出せたのはその一文字だけだった。
それほどに彼は今の言葉に動揺していた。
すぐには言葉が出なかった蓮の代わりに氷室が月影が尋ねた。
「……総理、特尉に破軍を抜けろというのはどういうことでしょうか?それに『国立・暁学園』とは一体……?」
「知らなくて当然だ。暁学園はまだ立ち上げていないからね。そしてなぜ私がその学園を立ち上げようとしているのか、簡単に言うと日本を救うためだ」
氷室の問いにそう答えると月影は続ける。
「二人は分かっていると思うが、現在我々が享受している平和は薄氷の上に成り立っていて、いつそれが崩れるのか分からない状況だ。
日本も所属している《国際騎士連盟》。
アメリカや中国、ロシア、サウジアラビアといった大国が結んだ《
この世界の闇に巣食う超巨大犯罪結社《
この三つの勢力が互いの抑止力となって、三つ巴の形で平和を保っていた。だが、そう遠くないうちに《解放軍》が瓦解することが決定している」
「なぜ、そう思うのですか?」
「……《暴君》の寿命だよ」
「「ッ……!」」
蓮の疑問に、簡潔に返した月影の言葉に二人は表情を強張らせた。
現在、三勢力にはそれぞれ一人非常に強力な《魔人》がいる。
《連盟》の本部長を務めKOK世界ランキング1位の《白髭公》アーサー・ブライト。
《同盟》の米国が誇る《
そして《解放軍》の第二次世界大戦以前より闇の世界に君臨し続けるならず者の王、盟主《暴君》。
この桁違いの力を持つ《魔人》三人がそれぞれに居てこそ、今の平和が成り立っていた。だが、第二次世界大戦以前から史実に名を連ねてきた《暴君》はかなりの高齢だ。
いつ天寿を全うしてもおかしくない。
そして、《暴君》が死ねばその後の世界では何が起こるか、軍人であり、様々な事件を解決してきた独立魔戦大隊所属の少佐である氷室と、特尉であり《魔人》でもある蓮はすぐに気づいた。
のちに起こりうる、最悪の可能性を。
「……なるほど、総理は《暴君》が死ねば残った二つの勢力による《解放軍》残党の囲い込み競争が始まり、その結果、《連盟》と《同盟》の戦争、つまり、第三次世界大戦が生じると言いたいのですか」
結論に至った氷室に月影は大きく頷く。
「その通りだ。そしてすでにこの囲い込み競争は始まっている。《同盟》の国々も、連盟加盟国の一部も、独自のルートで《解放軍》との接触を行い引き込んでいる。だが、このままでは……」
「《連盟》は《同盟》にたいし大きく後れを取ってしまう、ですか」
蓮の言葉に月影は無言で頷く。
《連盟》と《同盟》による残党の囲い込み競争は自然と《同盟》が有利になるだろう。
なぜなら、《連盟》はその母体である魔導騎士連盟本部が明確に《解放軍》に対し敵対姿勢をとっているからであり、個人単位での小さなつながりはあれど、組織としてのつながりでは《同盟》の方が深く強いからだ。
そうなれば《解放軍》が所有している大多数の戦力は《同盟》に流れるだろう。無論《解放軍》の《魔人》達もだ。
この世界を大国による分割管理下に置くことを目的とする《同盟》と、小国同士が協力しあい今の世界の形を保とうとする《連盟》。
この二つは同じ星の中に決して共存することのできない組織だ。《解放軍》という第三勢力が失われれば必ず大戦は起き、血で血を洗う戦争の時代が始まる。
「このまま《連盟》に与したままでは日本の未来は絶望的だ。だから《同盟》に鞍替えする。そうすることで貴方という《魔人》は《同盟》の戦力に数えられ、日本も絶望の未来を回避できる」
あまりにも常軌を逸した提案だ。だが、彼の口調は真剣そのもの。彼は本気で連盟脱退を考えている。
「その第一歩として、貴方には《暁学園》に参加し、連盟脱退のために力を貸して欲しい」
「………」
日本三人目の《魔人》が沈黙したのを見て、口だけで教師から総理に上り詰めた男はじっと彼を見る。
隣に立つ氷室も彼が口を開くのをじっと見守る。
蓮は顔を俯かせているせいで表情は読めない。だが、その様子から真剣に考え込んでいることはわかる。
必死に悩んでいるのだろう。この提案を断るか断らないかで日本の未来は大きく変わるのかもしれないのだから。
だが、氷室は《解放軍》に両親を奪われた彼がこの計画に参加するとは考えられなかった。
三年前に
犯罪者と手を組んでテロ紛いのことをするのは、歴代最強の《七星剣王》、破軍学園最強の学生騎士『新宮寺蓮』としての立場だけならば直ぐにでも断っていただろう。
だが、彼は同時に日本三人目の《魔人》、戦略級魔導騎士『桜宮亜蓮』としての立場や責任もある。
破軍を裏切り、暁学園に参加するのか。
月影の誘いを拒絶し、破軍に居続けるか。
自分はどちらを選ぶべきなのか。どちらが正しいのか。
どちらの決断が最良の結果を生み出すか分からなかった。
しばらく無言で佇んでいた蓮はゆっくりと口を開くと、
「………一晩、考えさせてください……」
そう静かに言った。
これに対し、月影は答えを急かすということはせず、一つ頷き、
「勿論だ。君にも考える時間は必要だからね。明日、決断を聞かせてくれればいい。ただ、この話は誰にも明かさないで欲しい。それだけは守ってくれないかな?」
「……分かりました。……明朝また伺います」
「ああ、急にこんな話をしてすまなかったね」
「特尉ご苦労だった。今日はもう帰っていい」
「……ハイ」
二人の労いの言葉に蓮は敬礼すると、背を向け歩き扉の前で一礼すると書斎を後にした。
△▼△▼△▼
蓮が書斎から去ってから、氷室は改めて月影へと目を向けた。
「総理はどうなるとお考えですか?」
「どう、とは?」
訊ねた氷室に、月影はすっとぼけた答えを返した。
氷室は気を悪くした様子もなく、はっきりと言った。
「蓮のことです。総理は本気で彼が暁学園に参加するとお思いですか?」
「さあ、それは彼次第さ」
月影の返答に氷室は僅かに目を見開いた。
「彼には参加するしないに関わらずこの先の未来に絶望が待っているかもしれないということを知って欲しかっただけだ。それを知った上でどうするかは彼が決めることだよ。とはいえ……」
月影は言葉を切って氷室の目を見据える。
「つまるところ私は彼に母親を、友人を裏切れと言っているんだからね。正直にいえば彼がこの計画に参加するとは考えにくい」
氷室の沈黙は、月影の推測が彼にとってわかり切っていることの証だった。
そう。この計画が国を救うための計画なのだとしても、それを持ちかけられた蓮からすれば、破軍を裏切れと言われてるようなものだ。
結果的に国を救えて家族や友人を守れたとしても、彼らを裏切ることには変わらない。
それが彼の心にどれだけの苦悩を与えるのか分からないほど月影も愚かではない。
彼の三人の親に教鞭を振るい、彼らの性格をよく知って且つまだ幼かった蓮のことを知っているなら、両親を亡くした当時の蓮を知るのなら尚更。
だが、
「それでも彼は日本に三人しかいない《魔人》の一人で、現時点で我が国の戦力の中軸になり得ている貴重な戦力だ。仮に彼が断ったとしても支障のないプランニングはしているが、確実性を取るならやはり彼に参加してもらったほうがいい」
月影は胸の前で握り拳を作るとグッと強く握り締める。
「私はどんな手段を使ってでもやらないといけないんだ。この国を救うために、もうあのような悲劇を二度と引き起こさないために、彼の《魔人》としての力が必要なんだ」
月影の瞳に覚悟の炎が燃えていることに氷室は気づいた。
いくら批判しようとも、月影は誰にも邪魔はさせないと言わんばかりにその悉くを無視するだろう。
だから氷室は彼の計画を止めるような言葉は言わない。だが、一つ言っておきたいことがあった。
「総理。自分は総理が何を思って今回の計画を始めようとしているのかは分かりかねます。ですが、世迷いごとではないのは確かなのでしょう。その上で、一つ進言をお許しいただきたい」
「……言ってみたまえ」
「総理の仰る通り、蓮はこの国において欠かせない戦力です。こう申しましては身内贔屓かもしれませんが、彼はあの若さで既に《夜叉姫》や《闘神》を凌ぐこの国最強の《魔人》でしょう。
確かに暁学園に彼が参加すれば勝利は確実となり、総理がしる絶望の未来は回避できるのかもしれません。しかし、彼は家族を裏切るということは絶対にしない。なぜなら、家族や仲間を、自分が大切だと思う人達を守る事こそが彼が《魔人》たる所以なのですから。それに……」
一度言葉を切り、今度は氷室が月影を見据えた。
「彼は今自分の罪と向き合っています。総理が悲劇を繰り返したくないように、彼にも悲劇を繰り返したくないという想いがある。
そのことを知っておいていただきたい」
△▼△▼△▼
「………」
官邸からバイクで学園へと戻った蓮(もちろん軍服姿ではなく制服姿だ)は駐車場から寮へと続く道をゆっくりと歩いていた。
その顔は優れていない。官邸を出た時から変わらず暗いままだ。
「はぁ……」
今までの道中ずっと月影との話のことばかりを考えていた。
あの場では話されなかったが、蓮は薄々感づいていた。
もし、月影の言う通り第三次世界大戦が始まれば、日本は、東京は戦火に呑まれるということを。
そして、戦火に呑まれれば因果から外れた《魔人》達は分からずとも、因果に守られている者達は死ぬかもしれない。
破軍学園の友人達も、蓮の家族も。
それは何としてでも避けないといけない。もう大切な人をこれ以上失いたくない。
《魔人》である蓮はこの計画に参加するべきなのだろう。
《七星剣王》でもあるし、これ以上ない人材だ。
暁学園が勢いづくのは目に見えている。
だが、前提問題として暁学園に参加して連盟から脱退すればその悲劇は確実に避けられるという確証はあるのか?
それも分からない。一体、どちらを選べばその絶望の未来を回避できるのか、そんなこと分かるわけがない。
あるいは、どちらを選んでも———
何も分からなかった。まるで暗闇の中を手探りで歩いているような、そんな感覚が蓮の胸中を埋め尽くしていた。
「………くそ」
答えが全く見出せない自分の不甲斐なさに、彼にしては珍しく毒づいた。
そして、自分の部屋がある第二学生寮の前に辿り着いた時だった。
「あ、蓮さん」
「……ああ、陽香と凪か」
声が聞こえた方向ー寮の玄関の奥に視線を向ければ、そこには私服姿の陽香と凪がいた。
二人は蓮の姿に気づくとこちらに駆け寄ってきた。
「もしかして、今までずっと用事だったんですか?」
「……ああ。二人は散歩か?」
「は、はい。それもあるんですけど……」
そこまで言って、陽香はなぜか口ごもり始めた。
一体どうしたのかと思い尋ねようとするが、それよりも先に凪がズバッと言った。
「蓮さんを待ってた。食堂もしまっちゃったのに全然帰ってこないから陽香が心配してたよ」
「ちょ、凪⁉︎」
聞かれたくないことを暴露された陽香は露骨に顔を赤らめ悲痛な叫びを上げた。
だが、凪はどこ吹く風で陽香の抗議を若干楽しみながら流していた。そんな二人のやりとりに穏やかな笑みを浮かべる。
「そうか。心配かけてすまなかったな」
「い、いえ、気にしないでください。私が好きで待ってただけですから」
「それでもだ。……ところで、凪。今、食堂が閉まってると言ったか?」
「うん。もう八時半」
蓮は腕時計を見る。
時計の針は八時半を指していた。
「……参ったな。夕飯のことを考えていなかった」
蓮はため息をつく。
破軍学園の食堂は八時に閉まるのだ。
月影の話でずっと思いつめていたせいで、それ以外のことは全く考えれなかったようだ。
全く情けない、と蓮は心のうちで呟く。
「あ、あの、蓮さんはまだ夕食を取られてないんですよね?」
「ああ」
やれやれと言った風に蓮はもう一度ため息をつき肩をすくめる。
「そ、それなら、私が作ってもいいですか?」
もじもじと上目遣いで蓮を見上げる陽香が提案してきた。
「…いいのか?」
「はい。勿論蓮さんが良ければですけど…」
陽香がダメですか?と視線で尋ねてくる。
その視線にどんな意図が隠れているのかは蓮には分かりかねるが、作る気分ではなかった今の蓮には有難い話だった。
「そうだな。じゃあ頼もうか」
「はい!」
すると陽香はパァっと擬音がつくくらい顔を輝かせ、とても嬉しそうに声を上げた。
その隣で凪は、なぜか「よくやった」と言いたげに何度も頷いていた。
蓮は二人の少女に交互に顔を向け、僅かに疑問を浮かべながらも、
「とりあえず行くか」
そう言い、陽香の横を通り、自室へと向かった。
後ろでは、喜びのあまり小さくガッツポーズをした陽香と、そんな陽香に凪がサムズアップをしていたが、それに蓮が気づくことはなかった。
△▼△▼△▼
「どうぞ」
「お、お邪魔します」
第二学生寮の四階の角部屋425号室が蓮の自室だ。そして、その隣がレオと秋彦、さらにその隣がマリカと那月、陽香と凪の部屋と見事に一輝を除く七人のメンバーが固められている。
全員が学年トップ10に入る程だ。出席番号も性別も関係なしの力の近いもの同士を同じ部屋にするという黒乃の方針で彼らは近くの部屋にされたのだろう。
もっとも、これには黒乃の私情も含まれているのだが、それを彼らが知ることはない。
蓮の部屋に通された陽香は部屋を見渡す。
部屋は綺麗に整頓されており、黒で統一された家具は大人な感じを漂わせている。男子の部屋を見たことがない陽香でも、蓮の部屋は同年代の男子達のそれとはかけ離れているということがなんとなく分かった。
「台所にあるものは好きに使ってくれて構わない。俺は今からシャワーを浴びにいくから、出来上がったら呼んでくれ」
「は、はい!」
上着を椅子の背にかけた蓮は荷物をソファーの手前に置くと、ネクタイを解きながら、陽香にそう言い、着替えを片手にそのまま浴室に向かった。
浴室に向かった蓮を見送った陽香はすぐに料理に取り掛かるために、台所に入り冷蔵庫を開いて何を作るか考える——筈だったのだが、なぜかいまだに部屋を見渡していた。
「これが……蓮さんの部屋」
黒を基調とした家具、ベッドは紺色だったが、それ以外は全て黒だ。机も、椅子も、本棚も。
高校生ならもう少し明るい色を入れてもいいのかもしれないが、彼にはこの色合いの方がしっくりくると陽香は思った。
破軍学園一のイケメンであり、日本最強の学生騎士。《紺碧の海王》《七星剣王》の二つ以外にも複数の二つ名で呼ばれている文武両道の優等生の部屋はとても同い年とは思えないものだった。
「っていけないっ、早く作らないとっ!」
蓮の部屋を見渡していた陽香は呆けてる場合じゃないと慌てて台所へと駆け込み冷蔵庫を開く。
「えーと、食材は……」
陽香は料理の腕には少し自信がある。
凪と幼馴染の陽香は凪の家によく遊びに行って、その際に二人一緒に使用人に料理を教えてもらっていたからだ。
ちなみに凪の父は大企業の社長であり、凪の実家は使用人も複数いるお金持ちの家だ。
「これなら……あれかな」
陽香は冷蔵庫の食材を一通り見て、何が作れるかをいくつか思い浮かべる。
「うん、決めた」
どうやら何を作るか決まったようだ。
「よし!頑張ろっ!」
自室から持ってきたエプロンを身につけた陽香はそうやって意気込みながら調理に取り掛かった。
△▼△▼△▼
サァァと肉体を打つシャワーの音が浴室に響く。
腰まである長い水色の髪を纏めてアップにすることはなくそのまま下ろしているせいで、濡れた髪が身体に張り付くが、別に蓮は気にしていない。
「………いつ見ても醜いな」
彼は鏡に映った自分の肉体を見て自嘲気味に薄く笑った。
浴室で露わになった彼の肉体は鍛え上げられており、まさに鋼の肉体だった。
筋肉の太さ自体は驚くほどではない。成人の体ほどのボリュームはない。だが、少年らしさを残しながらも、腹筋も胸筋も、全身の筋肉がみっしりと重く硬く引き締まり、ルネサンス彫刻のような筋が刻まれている。
そこまでなら見事な肉体だと言われて終わり。
だが、彼の肉体には彫刻と違って余計なもの———大量の傷痕が皮膚に印されていた。
一番多いのが切り傷。
同じくらい多くの刺し傷。
所々に細かな火傷と銃弾の痕。
そして一際大きく目立つのが左肩から右脇腹に伸びる巨大な切り傷。
単に血の滲むような鍛錬を積んだ、というだけでは、こういう風にはならない。
実際に斬られ、刺され、焼かれ、血を流しながら拷問のような、あるいは拷問そのものの鍛錬を積んで、初めて、こいう身体になる。
そして、IPS
今の彼ならば再生漕なぞ使わなくても、治癒で簡単に治せる。なのに何故彼は傷を残しているのか、それはひとえに忘れないためだ。
七年前、一人の凶悪犯罪者によって引き起こされた悪夢。
死傷者数百人を出し、一つの町を半分破壊し尽くした災害のような事件。
『黒川事件』と呼ばれたそれは、これまでの伐刀者による事件の中でもとりわけ凄惨なものとして記録に残っている。
この胸の一際目立つ斜め傷はその時に出来たものだ。傷があまりにも大きすぎたため再生漕でも、当時の蓮の『治癒』でも治せなかったものだ。
だが、蓮は完全には治せなかったことを知った時、罪の証として残すことにした。
自分が《魔人》になり、人間から化け物になったことを、大量殺戮を行なった事実を忘れないために。
そして他の傷痕は全て独立魔戦大隊の軍務や『特例招集』でできた傷だ。
その一つ一つが自分が人殺しをした証であり、誰よりも強くあろうと努力した証でもあるのだ。
これらの傷痕は家族や寧音、大隊のメンバーにしか見せていない。プールなどでレオや一輝、秋彦には見られたが、なるべく言わないように口止めしているし、基本的にラッシュガードを着用し隠し仲のいい女子達には見せていない。
蓮の身体に刻印された傷痕は十代の、いやもっと人生経験の豊富な女性であっても、直視し難いものであるはずだ。数が多い上、一つは異常に大きいのだから、その傷痕の原因を勝手に想像して怖気を覚えるのが普通だからだ。
「さて、そろそろ出るか」
そう言ってシャワーを止め、浴室から脱衣所に出る。
置いておいたタオルで体の水滴をぬぐい、服を着る。
ズボンを履き、最後にシャツを着ようと手に取った時、予期せぬことが起きた。
「蓮さん、ご飯できました」
タイミング悪く陽香が蓮を呼びに来てしまったのだ。
陽香はまだ風呂に入っていると思っているから脱衣所に入って来たのだろう。だが、蓮はすでに脱衣所にいる。
ドアの開く音と共に、空気が変わり、陽香が息を飲んだのが分かった。
しまった、と蓮はすぐに思ったが、すでに手遅れだった。
「蓮さん、それって……」
陽香の声には隠しきれない緊張が滲んでいた。
「……すまない、嫌なものを見せてしまったな」
蓮は陽香から目を逸らしシャツを着ると鏡を見て髪を束ねながら、
「陽香、夕飯ができたから呼びに来たんだろ?なら、向こうで待っていてくれ、すぐに向かう」
「……え、あ、はい。わ、分かりました」
呆然としていた陽香は蓮の声にハッとなり、扉を閉めリビングへといった。
再び一人となった蓮は髪をポニーテールにすると一つため息をつくと苦い声でつぶやく。
「……はぁ、今日はついてないな」
まさにタイミングが悪かったとしか言いようがない。
しかし、どうこういってもこの夥しい数多の傷痕を見られた事実は消えない。もし、あとで聞かれたりしたら適当に誤魔化すとしよう。
そう決め、蓮は最後に洗面台に置いておいた一つのネックレスを手に取る。
赤と青の二色のクリスタルで彩られた六枚の花弁を持つ八重桜の形のネックレスだった。
ネックレスを首にかけ脱衣所を出る。すると、いい匂いがリビングから漂ってきた。
その匂いに惹かれるままリビングに入ると、二人がけのテーブルの椅子には陽香が座っていて、その向かい蓮が座るところには肉じゃがやご飯、味噌汁が並べられていた。
「ど、どうぞ」
「ああ、頂くよ」
椅子に座った蓮は箸を取り肉じゃがを一口食べる。
その様子を陽香はドキドキとしながらじっと見つめる。
「ど、どうですか?」
「うん、美味しいよ」
素直な感想をそのまま伝えると陽香は暗かった顔が一転し瞬く間に明るくなる。よほど、自分の料理が美味しいといってもらえたことが嬉しかったようだ。
しかし今度は申し訳なさそうな表情を浮かべると、気まずそうな声で蓮に頭を下げ謝罪した。
「あ、あの、蓮さん。先程は変な態度を取ってすみませんでした」
「いや、気にしてない。陽香も気にしないでくれ、と言っても無理か。見ていて気持ちの良いものじゃないよな」
「い、いえ、わ、私は気にしません」
最初に一度噛み、それから早口でまくし立てるが、途中でもう一度噛んでしまい最後に恥ずかしさから赤面し顔を俯かせていた。
彼女の様子を見る限り、無理してそう言っている様子でもない。どうやら誤魔化す必要はなかったようだ。
「……そうか。そう言ってくれるとありがたい」
だから、蓮はこの話はこれで終わりにし、別の話題へと切り替えた。
「陽香、話は変わるんだが俺は明日から数日学園を空けることになる。だから、その間の授業のノートを帰ったら見せてもらってもいいか?」
「それは良いですけど何か用事でもあるんですか?」
「『特例招集』がかかってね。明日から地方に行かないといけないんだ」
「……ッ」
陽香は息を呑んだ。
蓮が『特例招集』を経験していることはこの学園では周知の事実だ。それのせいで一年生の時から度々授業を休んでいることも同様。
『特例招集』では犯罪者との生死をかけた戦闘をする。学園での命の保証があるような生温いものじゃない、本当の殺し合いだ。
「大丈夫、なんですか?」
「ああ」
素っ気なく答え蓮は再び肉じゃがを口に運び食事を再開させる。だが、陽香の心配そうな眼差しに逆に不安にさせてしまったと軽く後悔してしまった。
だから、少しでも安心させるために蓮は箸を止めて穏やかな笑みを浮かべた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「蓮さんが強いのは知っています。でも、心配なものは心配ですし、不安なんです」
蓮が強いのは知っている。それこそ、プロの騎士相手でも彼は苦にしないだろう。彼とまともに渡り合えるのはA級リーグの選手だけだと言われても納得できる。
それでも彼も人間であることに変わりはないのだ。いくら化け物じみた強さでも死ぬときは死んでしまう脆く弱い存在なのだ。少なくとも陽香はそう思っている。
陽香の言葉に珍しく驚いた蓮はかすかに目を見開くと観念したように息を吐く。
「……そうか。心配してくれてありがとうな。ちゃんと気をつけるよ」
「はい!」
そして蓮は再び箸を進め食事を再開した。
陽香の料理を舌鼓をうちながら美味しそうに食べる蓮を陽香が笑顔でずっと見ていたのは彼女だけの秘密だ。
△▼△▼△▼
「………ふぅ」
陽香が部屋に戻った後、部屋の電気を全て落とし真っ暗にした蓮は床に座りベッドに凭れながら夜空に浮かぶ青白い満月と窓から見える桜を肴に一人晩酌をしていた。
今はちょうど春。桜が咲く季節であり、夜風に舞い上がる花びらは酒の肴にはもってこいのものだった。
「………ああ、いい味だな」
蓮は杯に注いだ日本酒を一口飲みその香りと味を堪能してそう漏らした。
彼の目の前には徳利と酒瓶が置いてあり、瓶に巻かれているラベルには『大吟醸 大和紅桜』と書かれている。
それは奇しくも実父と同じ名前が含まれており、彼が最も気に入っていた日本酒だ。
蓮が成人したらこの酒を酌み交わしたい、と大和が言っていたのを蓮は成人した日に黒乃から聞かされた。
その時にこの酒を初めて飲んだ。華やかな香りでスッキリとした味わいは成人したばかりの自分でも飲みやすかった。
もしかしたら、彼も初めて飲んだ時にこの味を気に入ったから蓮にも飲ませてやりたいと考えていたのかもしれない。
「………俺は決めたよ」
満月を見上げながらふと呟くと、不吉な含み笑いを浮かべ口の端を僅かに釣り上げる。
「俺はもう人間には戻れない。『人』の道から外れ『魔』に堕ちた一匹のバケモノだ。
だが、それでも、俺にも守りたいものがある。今のこの生活を、今の家族を、壊させるわけにはいかない。
貴方達を失ったあの日に、俺は大切な人達を守るためにこの獣の力を躊躇なく振るうと決めたんだ」
蓮は傍に己の魂を、ふた振りの藍色の日本刀《蒼月》を顕現させ、その鞘を撫でる。
夜の海のような藍色は月明かりに照らされ暗い光沢を放っていた。
一見鮮やかにも見えるそれは、鬼気を孕んでるようにも見えた。
「貴方達の無念は俺が晴らす。それは俺自身の感情のためだ。そうしなければ、俺の気が済まないから」
言い終わると同時に、彼の紺碧の瞳が青白い光を帯びた。
その瞳の中では、激怒というのも生温い、蒼白に燃える復讐の業火が荒れ狂っていた。
二人は復讐を望んでいないのかもしれない。だが、たとえそうだとしても、彼は復讐をやめる気は無い。そのために今まで生きてきたのだから。
大切な者を最後まで守り抜き、両親の仇を取る。
その執念が、怨念が、決意が、覚悟が、ある種の呪いとなっているのだ。
そして、その呪いこそが彼の揺るぎない
「……全て、俺が終わらせる」
怨嗟に満ちた冷酷な声音は誰にも聞かれることはなく、夜の闇に溶けて消えていった。
誤字報告や感想、お待ちしておりまーす。
それと、前回の後書きでやった次回予告風のものはちょくちょく思いつけば入れていくつもりです。
それと熱中症には本当にお気をつけてください。