優等騎士の英雄譚   作:桐谷 アキト

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皆さんお久しぶりです‼︎
今回はアリオスとの激闘後の話です。タイトルからもわかる通りシリアス強めな話です。

そして、次回でヴァーミリオン皇国編は終わらせます!漸く原作へと戻れますよ。(⌒-⌒; )




40話 禁忌の代償

 

 

 

 

青き月光が黒き破光を打ち破ると、一筋の閃光となって大地を突き進んだ。

そして、瞬く間に大地を駆け抜けて北海まで到達すると、北海の中程まで突き進んだ後急に向きを変えて天空へと方向を変えたのだ。

天へと方向を変えた青き月光は、まさしく光の塔となり地球から宇宙へと伸びる。それは、ヨーロッパ周辺国の人達からも視認できるほどに巨大で眩いものだった。

その光の塔が、10秒、30秒と登り続けやがて1分ほど経った頃に次第に細くなり遂に消失。

 

夜闇を照らし、宇宙へと放たれたその光の柱が消失し、多くの人間が何が起きたんだと何度目かわからぬ驚愕と動揺に包まれる中、その光の柱が放たれた場所ーヴァーミリオン皇国北海に面している平原だった場所。それは、もはや見る影もなかった。かつては美しかった緑と青の平原は、焦げた茶色の地面が剥き出しとなり、あちこちに亀裂が生まれ、土煙が立ち上りクレーターができているという惨状へと変わり果てていた。

 

『…………』

 

戦争の跡。そう言っても差し支えないほどの破壊が齎された大地。その一際巨大なクレーターの中心に佇む龍人へと堕ちた蓮は大太刀を振り下ろした体勢から立ち上がると、大太刀を粒子へと変えて仕舞い、ズシン、ズシンと重い足音を響かせながら前へと歩いていく。

彼の視線の先には、黒い影が、全身から白煙を上げ血を流しながら大の字で倒れ伏すアリオスがいた。蓮は、彼のそばまで歩き見下ろすと口を開く。

 

『我ノ、勝チダナ』

『ああ、見事、だ』

 

口の端から血をこぼし、途切れ途切れの声でアリオスも蓮の勝利を讃えた。

 

『貴様ハ我ガ最高ノ好敵手ダッタ。貴様ト戦エタコト、貴様ト高メ合エタコトヲ我ハ誇リニ思ウ』

『は、はは、嬉しい、な。かつて、ヤマトも…同じことを、言って、くれた……』

『デアロウナ。コレホドマデニ純粋ニ強サダケヲ求メタ者ヲ我ハ知ラヌ。戦イヲ楽シメタノモ、貴様ガ初メテダ。ダカラ、我ハ感謝シテイル。貴様ト戦エタコト、闘争ノ愉悦ヲ貴様ガ教エテクレタコトヲ』

『そう、か……』

 

蓮の嘘偽りない真っ直ぐな言葉にアリオスは小さく笑みを浮かべると、彼に視線を向けながら静かに問うた。

 

『………レンは、後悔しているのか?《覚醒超過》を使ったことを』

『ナゼソウ思ウ?』

 

思わぬ疑問に蓮は首を傾げる。

 

『しがらみを無視してと言っただろう。レンは、自分とは違い多くの物を抱えているはずだ。いくら自分との戦いに全てを賭けてくれたとはいえ、きっと《覚醒超過》を望まぬ者をいただろう』

 

自分との決着をつける為に全てを擲って《覚醒超過》を使用し戦ってくれた。そのことは確かに嬉しい。だが、犯罪者である自分と違い蓮には大和達と同様に大切な人達がいるはずだ。

彼が《覚醒超過》を使わないことを望まない者ばかりのはず。彼女達は今のこの現状を悲しむことだろう。

だが、例えそうだとしても蓮は、

 

『ソウダロウナ。ダガ、我ハコノ結果ニ不満ハナイ』

 

この結果を後悔していなかった。

静かな口調でそう答えた蓮は、アリオスを見下ろしながら小さく笑みを浮かべる。

 

『事実、母サンヤ寧音サンハコノ選択ヲヨクハ思ワナイダロウ。カナタハ泣カセテシマウダロウナ。人間体ニ戻ッテハイナイガソレデモ何トナク分カル。我ハモウマトモナ人間ノ姿ニハ戻レナイコトヲ』

 

《覚醒超過》を解除しなくても分かる。自分はもうまともな人間の姿に戻れないことを。

そうなれば、人の世界で生きていくことは難しいかもしれない。いずれ、追いやられることになるだろう。だが、それでも構わない。

それらのリスクなど全て承知の上なのだから。

 

『ダトシテモ、我ハソレヲ全テ承知ノ上デ《覚醒超過》ヲ望ンダ。今更、後悔ナドスルワケガナイ。ソレニダ、我ガコノ力ヲ望ンダノハ、彼女達ヲ守ル為デモアル。『人間』デハ守レナイカラ、我ハ『怪物』ニナルコトヲ選ンダ』

 

元を辿れば、蓮が《覚醒超過》を望んだ理由はアリオスに勝つ以外にも黒乃達を守る為でもあった。怪物にならなければ、守れないと分かっているからこそ怪物になることを選んだのだ。

 

『彼女達ヲ守レルノナラ、我ハ怪物デイイ』

 

全ては彼女達が平穏に生きれる為に。

自身の存在がどうなろうと構わず、ただ大切な人達が平和に生きれればソレでいいのだ。

その自身の全てを賭して大切な者達を守り抜こうとする在り方に、アリオスは大和(英雄)の姿を見た。

 

『…………!』

 

瞠目したアリオスは、静かに笑う。

 

『やはり、だな。……レン、お前は、英雄だ。そのあり方はとても気高く、とても誇らしい。大和と同じ英雄だ』

『ソレハ違ウ』

 

蓮はアリオスの言葉をきっぱりと否定する。失笑を浮かべた蓮は、自身を嘲るように嗤った。

 

『我ハ本物ノ『英雄』デハナイ。復讐ヲ望ミ『英雄』ニ成リ損ネタ醜イ『怪物』ダ。我ハ両親ノヨウニハ決シテナレナイ』

『…………』

 

そう自身のあり方を断言した蓮をアリオスが、少し悲しさの混ざる眼差しを向ける。そして、しばしの沈黙の後、アリオスは話題を変えた。

最後に彼に伝えるべきことがあったからだ。

 

『レン………最期に、伝えるべきことがある』

『ナンダ?』

『ヤマトとサフィアを、殺した存在、についてだ』

『ッッ⁉︎』

 

蓮は大きく目を見開く。

大和とサフィアを殺した存在ーすなわち、今回の事件の首謀者であろう《魔女》の情報を聞けると思っていなかったからだ。

 

『……魔女ニツイテ、何カ知ッテイルノカ……?』

 

思いがけない幸運に蓮の声は若干震える。

仇の正体を知れるという歓喜と、ようやく手が届いたという憤怒の感情がないまぜになっていた。

 

『………ああ、知っている。恐らく、レンが知りたいことを全て』

『………話シテクレ。アノ魔女ノ事ヲ、ドンナ奴ナノカヲ』

『……そのつもりだ。彼女の名は、ローゼン・ヴァイオレット。……《極夜の魔女(リリス)》の二つ名を持つ、自分が知る中で恐らくは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。戦うなら気をつけろ。奴は、《暴君》や《白髭公》、《超人》よりも強い』

『ナッ』

 

嘘でも誇張でもなく本心から蓮の仇ー《極夜の魔女》ローゼン・ヴァイオレットをそう評したことに蓮は僅かに驚愕する。

アリオスの様子から見てもそれが事実であることは確かで、あの大和とサフィアを二人同時に相手取り勝ったのだ。世界最強クラスの実力はあることはわかっていた。

だが、ソレがまさか今世界を三分している組織の長達よりも強いとは思わなかった。

間違いなく、世界で一番強く危険な存在だ。戦うならば死を覚悟しなければいけないほどの相手だ。

 

しかし、だからこそ。

 

『………ッッッ』

 

蓮は、嗤った。

目を大きく開き、牙を剥き出しにして、彼は獰猛に、凶悪に、凄絶に嗤った。

顔が龍のソレであるからこそ、それはなお悍ましいものに写り、見るものの多くが慄き後退りしてしまうほどの狂気がそこには宿っていた。

 

今の彼の心には恐怖などはない。あるのは、ただただ歓喜のみだ。

12年の時が経ってようやく仇の存在を、名を知れた。その歓喜はこれまで以上に大きいものであった。その歓喜を示すかのように蓮は、顔を押さえて指の隙間から殺気にギラつく瞳を覗かせながら、肩を震わせる。

 

『《極夜の魔女》……ローゼン・ヴァイオレット。ソウカ、ソレガ奴ノ名カ。アァ、ソウカ……ククッ、ハハッ、ハハハッ』

 

魔女の名を反芻した後、堪えきれず漏れ出たのは笑い声。

当然だ。今まで痕跡を一つも見つけられなかったのに、今日になってから立て続けに情報を得ることができたのだ。嬉しくないわけがなかったのだ。蓮は笑いを止めると、殺気に瞳をぎらつかせながらアリオスに更なる情報を要求する。

 

『……アリオス、他ニ知ッテルコトハ?貴様ガ知ル情報全テヲ話セ。我ハ、ドウシテモ奴ヲ殺シタイ。ソノ為ニハモット情報ガ必要ダ』

『……………無論ダ』

 

アリオスは蓮の要求に素直に頷くと、自分が知りうる限りの情報を提供していく。

 

『………レン自身もあの擬似的な魔人達ー奴曰く《魔霊獣(シェディムス)》と戦って気付いたはずだ。奴は、伐刀者を取り込み作り替えることができる。それは奴の能力によるものだ』

『……ソレハ分カッテル。ダガ、他者ヲ取リ込ミ擬似的ナ魔人ヘト作リ変エ、シカモ能力モ付与サセル能力ナド我ハ知ラナイ。ナンナノダ?奴ノ能力ハ』

『『蝕み』ソレが奴の力の本質だ』

 

アリオスはまず能力の正体だけを話すと、次にその詳細も話し始める。

 

『奴はあらゆるものを全て蝕み取り込み己の糧に変える。そこに区別などなく、自然も、人も、そして伐刀者の異能すらも取り込むことができる。

奴は、命を蝕めば蝕むほど強くなり、取り込んだ伐刀者の数だけ有する異能の数が増える』

『ナルホド、ソウイウコトカ……』

 

あまりにも凶悪な能力に蓮は納得する。

異能を取りこんで複製することで、《擬似魔人》の彼らに与えていたのだろう。霊眼で見た魔力の色合いからしても恐らくはそのはずだ。

 

『気をつけろ、レン。奴の保有する異能の数は100や200では収まらない。千はあるだろう。

《千の魔法を操る者》《巨悪を齎す悪魔》《叛逆者》《混沌の魔神》。これまで数多くの二つ名で呼ばれているが、その全てが誇張ではない。そう呼ばれるに値する悪虐を齎してきたからこその名なのだ』

『……ソレハ、トンデモナイナ』

『奴が現れた地は何も残らない。凡ゆるものが蝕まれて喰われ、障気に侵された大地が広がるのみ。絶対の死を齎し永遠の闇夜を齎す魔女。故に、『極夜の魔女(リリス)』と呼ばれている。ソレが奴の代表的な二つ名だ』

『………ナルホドナ。ワカッタ。情報提供ヲ感謝スル』

 

蓮はアリオスの言葉を大袈裟とは思わない。

幼い頃に見た魔女。黒紫の瘴気領域の中に佇む闇の中で嗤う彼女の悍ましさを、禍々しさを見たからこそ、アリオスの例えが誇張ではなく見たままを表現したと共感できた。

その後、アリオスは更に衝撃的なことを口にした。

 

『それに、奴は()()()()()()()()本物の怪物だ。常軌を逸した強さを有している』

『数百年ダト?ソレハ本当ナノカ?』

 

蓮は耳を疑い思わず問い返した。

ただでさえ、千の異能を有している時点で驚きだと言うのに、次に数百年生きているなど驚愕の連続だった。

だが、それは事実なのだ。

 

『事実だ。あの第二次世界大戦以前から裏社会で名は知られており、《解放軍》の記録では少なくとも200年前から存在していることは確かだ。

ソレに奴は《覚醒超過》によって完全に人間とは異なる存在になっている。人間の寿命はもはや意味を成さないのだろう。あるいは、喰らった者の寿命を奪っているのかもしれないな』

『……ダガ、ソレデハオカシイ。我ガコレマデ見テキタ伐刀者ノ記録ヲ見テモ奴ノ存在ハ一ツモナカッタンダゾ』

 

蓮はこれまで多くの記録を読んで彼女の痕跡を探していた。だが、期待する情報は何一つなく、日々苛立ちが募るばかりだった。

だが、アリオスの言うことが本当ならば何かしらの記録には残っていいはずの危険な存在だ。なのになかった。それはどう言うことなのか。答えは簡単。

 

『恐らくは秘匿したのだろう』

 

秘匿されていたからだ。

 

『前に聞いたことがある。奴は有史始まって以来の最凶最悪の怪物。危険すぎるからこそ、連盟や同盟はごく一部の者にしか情報を公開していないとな』

『………我々魔人ノ存在ト同ジトイウコトカ。イヤ、ソレ以上ノ危険性ヲ秘メテルカラカ。………アア、ソウカ、母サン達メ、我ニハ知ラレナイヨウニシテイタナ?』

 

世界有数の《魔人》である自分はその情報を知らなかったが、恐らくはこれまで黒乃や寧音、南郷らが情報を隠していたからだろう。だから、自分はこれまで知ることができなかった。

その事実を理解し蓮は思わず僅かばかりの怒りが滲む声で嗤ってしまう。

 

『奴は12年前ヤマト達に深傷を負わされてから、ずっと潜んでいたが何らかの目的をもって最近動き始めている。自分を脱獄させたのもその理由の一つだ。そして、その目的の一つに、レン。お前が入っている。奴はお前の能力を欲している』

『…………アア、ソレハモウ知ッテイル』

 

蓮に襲撃を仕掛けた《擬似魔人》の一人、人狼の記憶を読んだからこそ蓮は魔女が自分を狙っていることに驚きはしなかった。

何故とも聞く気はない。

神の力『龍神』。自然を司り全ての厄災を操ることができる、世界を崩壊させることが可能な危険すぎる暴力の一つ。

それが数多くの異能を蝕み取り込んできた彼女にとって興味を引くことなど明らかだったから。

 

『…………レン、奴はレンの異能を奪って世界に混沌を齎そうとしている。理由は定かではないが、過去奴が起こした事件はそのどれもが凄惨なものばかりだ。だから、きっと次も碌でもないことは確かだろう』

『………ソウカ』

 

人狼の記憶の中で魔女が言っていた『狂乱の宴(オルギア)』。

ギリシャ神話の中でカルト宗教の悍ましい儀式の名でもあるソレを使ったと言うことは、本当に碌でもないことをするのだろう。

全てを話し切ったアリオスは限界が近いのだろう。呼吸が次第に細くなり、瞳から光が薄れつつあった。

そして、アリオスは息も絶え絶えに最期の言葉を残そうとする。

 

『一人の好敵手として、レンの悲願が、叶うことを…願ってる』

 

願うは好敵手の悲願成就。そんな激励の言葉に、蓮は静かに笑いアリオスをまっすぐに見つめ返す。

 

『必ズ果タスサ。ソノ為に我ハ獣ニナッタノダカラナ』

『……ああ、必ず…勝て…レン自身が、選んだ……道……なの、だか……ら……』

 

最後にアリオスはそう言い残して遂に事切れた。

カクンと顔は横に倒れ、生命の鼓動が完全に止まり、瞳からは光が消える。

蓮と死闘を繰り広げた魔人《牛魔の怪物》アリオス・ダウロスが死んだ瞬間だった。

 

『………………逝ッタカ、アリオス……………』

 

好敵手の死を惜しんだ蓮は事切れたアリオスの傍に両膝をついてしばらく無言で彼を見下ろすと、やがて、

 

 

 

 

『—————————』

 

 

 

 

——————静かに、顎門を開いた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

青の極光が収まりしばらくした頃、黒乃は破壊し尽くされたヴァーミリオン皇国の大地を駆け抜けていた。

 

「はぁ………はぁ……」

 

伐刀絶技《時間倍速》による時間を加速させた高速移動で大地を駆け抜ける彼女の表情は焦燥に満ちていた。

それもそのはず。蓮のことが心配で仕方がなかったからだ。

先程青と黒の二つの極光がぶつかり青の極光が競り勝ち大地を突き進み北海の中程で柱となって打ち上げられソレが治まった瞬間、黒乃は直感的に蓮の勝利で戦いが終わったことを理解してすぐさま飛び出した。

 

(……速くっ、もっと疾くっ‼︎‼︎あの子の所へ行かなければっ‼︎‼︎)

 

戦いが終わっても安心なんてできるわけがない。

蓮が暴走している以上、抑えきれない力で衝動のままに周囲を更に破壊し尽くす可能性だってあるからだ。

そうなる前に、自分が彼の元へ辿り着いて止める。そう決意を強くして疾走する黒乃の視線の端に四つの影が見えた。

 

「……あれは………」

 

黒乃は彼らの存在に気づきそちらへと方向を変える。あちらも黒乃の存在に気づいたのか反転してこちらへと向かってくる。

遠くから向かってきたのは四人の騎士。

 

一人は、巨大な戦斧を手にしている黒い甲冑に全身を包む騎士。

一人は、青白色の剣と同色の盾を手にし、白銀の甲冑に身を包み、ティアラのような兜を被る長い金髪を靡かせる麗人。

一人は、自分の身の丈よりも大きい盾を背中に背負っている淡紫の鎧に身を包んだ紫髪の女性。

一人は、白いボルサリーノ帽にジャケットを羽織り、紺碧の槍を携える長身痩躯の中年の紳士。

 

その四人が一目散にこちらへと向かってきた。黒乃はそのうちの一人の名を呼ぶ。

 

「アイリス‼︎」

「《世界時計》。合流できてよかった」

 

蓮とアリオスが戦ってる最中に連絡を取っていた《黒騎士》アイリス・アスカリッドと軽く言葉を交わすと後ろの3人にも声をかける。

 

「3人とも今回は作戦招集に応じてくれて感謝する」

 

彼女の感謝に3人は各々返す。

 

「構いませんわ。今回は事態が事態ですしね」

「ええ、こればかりは流石に見過ごせません」

「私も正義の味方として当然のことをしたまでさ」

 

今回蓮の討伐作戦に選ばれたのは黒乃含めて5名のAランク騎士。

 

一人は蓮の母にして『時間』という希少な能力を有する元世界ランキング3位《世界時計》新宮寺黒乃。

 

世界ランキング3位、使用者の肉体を無限に回復し続ける《不屈》の概念を操る女性騎士。フランス所属《黒騎士》アイリス・アスカリッド。

 

KOKには参加していないためランキングこそないが、《白髭公》に次ぐ実力を有し、連盟本部の実行部隊を率いる隊長であり、『英国の鉄壁』とも称されるほどの高潔かつ優秀な騎士であり有数の《魔人》でもあるイギリス所属《聖騎士(パラディン)》アリシア・リーゼブルク。

 

こちらもその能力の特性からKOKには出場しておらずランキングはないが、能力の特性から『連盟最高の盾』とも呼ばれ防御においては並び立つものがいないとも言われている、ギリシャの盾。ギリシャ所属《守護者(イージス)》リージュ・クレアライト。

 

世界ランキング2位、現存する水使いの中でも蓮の次に実力のある有数の水使い。一国の存亡すら左右する力をもっていると言われるイタリア所属の騎士《カンピオーネ》カルロ・ベルトーニ。

 

錚々たる面々だ。一人一人が一騎当千の実力を有しており、彼らだけでも戦争を起こせるかもしれないという程の戦力がここに集まっていたのだ。

そして、カルロはとある方向に視線を向けながら黒乃に尋ねる。

 

「さて、《世界時計》。《魔人》の事は道中アリシア殿に聞かせてもらったが、《七星剣王》の状況は今どうなってると推測できるんだ?君の意見を聞かせて欲しい」

 

カルロとリージュは《魔人》の事を知らないが、緊急事態であるため《白髭公》が情報の開示を許可した為、この道中《魔人》であるアイリスとアリシアの二人に説明は受けている。

だが、いかんせん蓮がどのような状態にあるかが不明だ。だから、母であり状況を誰よりも把握しているであろう黒乃に尋ねたのだ。

 

「ああ、私の推測だがまずい状況だ。恐らくだが、蓮は理性がない状態にある。心の中を破壊衝動と殺戮本能が支配して溢れる衝動のままに暴れ尽くす事だろう。

今は魔力の感じからして何故か落ち着いているように感じるが、それでもいつ暴れ出すかわからない。ゆえに迅速な対処が必要だ」

「………しかし、戦闘を遠目から見ていましたが、正直言ってアレを討伐できるとは思えないのですが……」

 

リージャは恐る恐るとそう意見する。

彼女には正直言ってアレほど凄まじい激闘を繰り広げた蓮を止める事はできないのではないかと思ってしまったのだ。

確かにその気持ちはわかる。だが……

 

「確かにリージュの言う通りだ。ソレでもやらなければならない。アレを放置しては世界にさらなる被害が出る。ヨーロッパ全土が焦土になるのも時間の問題だ」

「……むぅ、それほどか」

 

カルロもソレには思わず顎を撫でながら唸る。

一国を丸ごと洗い流せるほどの水量を操る禁技を有する彼にとっても、黒乃の話は驚愕だったのだ。

そして、黒乃は蓮がいると思しき方向へ体を向けると、真剣な表情を浮かべながら告げる。

 

「警告しておくが。今の蓮を人間と同じように殺せると思うな。今のあの子は完全に人の枠から逸脱している。人と同じ殺し方は通用しない。全身全霊我々の全てを賭さなければ勝てない相手だ」

「「っっ‼︎」」

 

黒乃の真剣な言葉にカルロとリージュが息を呑むも直後には、すぐに表情を引き締めた。

黒乃の視線の先から感じる強大かつ禍々しい、膨大な魔力が彼女の言葉が誇張ではない事を知らせていたからだ。

 

「行くぞ‼︎」

 

黒乃の合図と共に全員が弾かれたように駆け出す。ソレに加えて、黒乃が全員に《時間倍速》をかけているのだろう。黒乃含め全員が魔力放出との併用による加速で凄まじい速度で疾走していた。

そうして走る事2分。彼女達は遂に中心地と思われる場所に近づく。

地面が捲れ上がり、捲れ上がった地面が砕け転がっており、片面は何かに切り裂かれたかのような巨大な亀裂が生まれている。その様はこの凄惨な大地の中でも特に悲惨であり、強大な力が激突したことの証左だった。

そうしてクレーターに近づこうとした彼女達の耳にソレは聞こえた。

 

「?なんの音だ?」

 

グチャグチュ、バキッ、ボキッ、ジュルルッ、ゴクッ、グチャ。

 

足を止めた黒乃は異音に眉を顰める。

聞こえてきたのは奇妙で異質な音。

何かを潰したり、砕いたりするような音だったり、液体を啜るような音、喉を鳴らしたような異音まで聞こえる。

 

『『『ッッ⁉︎⁉︎⁉︎』』』

 

黒乃達は最初こそなんの音かと眉をひそめたものの、次第にそれらの音の正体に気づくと表情を青褪めさせた。

 

「ま、まさかっ」

 

黒乃は震える声をあげ愕然とした表情を浮かべる。

その音は誰もが聞き覚えがあった。あまりにも下品で汚らしいマナーが欠片もないものだが、ソレは自分達がよく知る音。ヒトだけでなく全ての生物が日常的に発する音の一つ。

 

 

そう、それは、

 

 

 

——————咀嚼音だ。

 

 

 

「ッッ‼︎」

 

ゾワリ、と凄まじい悪寒が彼女の背筋を走り抜け、彼女は血相を変えると他の者達を置き去り駆け出した。そうして走り抜けた先、一際巨大なクレーターの端へと辿り着いた黒乃は確かにソレを見た。

 

「……蓮……?」

 

彼女は震える瞳でソレを見て、哀しみの声で思わず彼の名を呼ぶ。彼女の視線の先には《覚醒超過》を経て異形と化した蓮がいる。しかし、彼の今の姿は先ほど見たソレとも大きく変わっていた。

 

まずサイズが違う。

 

3、4mほどだった体躯はその数倍。10m後半、いや20mを優に超えて30mをも超えていた。

シルエットも変化しており、長い首や尾があるもののあくまで人の形を保っていたはずだが、もはや人の形すら維持していなくて、丸太のような太さの四肢のはずなのに、長く伸びた胴体に比べればそれは短くて、四つん這いの獣を連想させる姿だ。

 

 

その姿は、まさしく龍だった。

 

 

彼はなんとか人の形を保っていた姿から、遂に人から外れた獣の姿へと変わってしまっていたのだ。

 

三度目の覚醒超過。アリオスとの激闘で力を使いすぎたからか、彼の魂の影響は肉体にまで及び、彼を人外たらしめていた。

しかし、彼女が愕然としたのはそれだけではない。彼女を愕然とさせた最大の理由。それは、今蓮が行っている所業だ。

 

彼はその頑強な前脚で足元にある黒い何かを抑えながら、一心不乱に首を動かし続けていた。

黒い何かから赤黒い何かを引きちぎっては飲み込み、赤黒い液体を長い舌で舐め取っている。

そこまで見ればもうわかってしまった。今蓮がやっている悍ましい所業に。

 

彼は———アリオスの死体を貪り喰っていた。

 

弱肉強食の世界に住む獣だからこそ、強者であり勝者であるからこそ、打ち倒した者を喰らうと言わんばかりに彼はアリオスの肉体に牙を突き立てては、肉を引きちぎり食み、骨を噛み砕き、臓物を取り出し呑み、血を啜っていたのだ。

赤黒い血の色に肉体を濡らしながら、血肉を貪る蓮の姿はあまりにも悍ましかった。

 

「うっ……れ、蓮…‥お前……」

 

黒乃は込み上げる吐き気を堪えて青褪めた表情を向ける。目を背けたい気持ちでいっぱいだったが、目を逸らしてはならないと自分に言い聞かせる。

 

『…………グゥル、ガァルルッ‼︎‼︎‼︎』

 

唸り声を上げながら一心不乱に血肉を貪り喰らう蓮の様子を黒乃が悲しげに眺めている時、少し遅れてアイリス達もその場に到着してその悍ましい光景を見るや、顔を顰める。

 

「こ、これはっ……」

「なんと禍々しい……」

「………っ」

「なんてことっ……」

 

誰もがこの惨状に顔を顰め、現実を否定しようと声を上げる。だが、悲しいことにこれは現実だ。

人ならざる獣が獣の血肉を貪り喰らう悍ましい光景はどうしようもなく現実であった。

そして、アイリスがふと気づき呟く。

 

「まさかっ……魔力を、取りこんでいるの…?」

 

蓮の背中に生える突起物が青く輝いており、血肉を喰らうたびにその輝きは増し青黒いプラズマが迸っていた。彼から感じられる魔力も喰らうごとに増幅していたのだ。

事実、アイリスのいう通り、蓮は今アリオスの血肉を喰らうことで彼の力を、魔力を己の身に取り込み力へと変換している。

他者の血肉を喰らうことで魔力を取り込むことが出来るのかは定かではないが、こうして目の前で彼が血肉を喰らい肉体を肥大化させている光景は、その仮説を裏付ける証拠になり得ていた。

龍神の特性か、あるいは魔人の特性なのか。それは分からない。だが、明らかに蓮が纏う魔力が急激に高まっているのだ。肉体も魔力の増大に合わせ肥大化し、今や過去現在に存在しているすべての生物よりも巨大化し、その巨躯は50mをも超えていたのだ。

黒乃達が絶句する中、蓮は血肉を残らず喰らい、最後に頭部を咥えると首の方から残った肉を全て丸呑みにしてしまう。

 

『…………アグッ、ゴグッ』

 

喉を鳴らしながら残った肉を徐々に丸呑みしていった蓮は完全に呑み込むと今度は足元の血溜まりを啜る。……やがて、完全に血を啜り終えてアリオスの遺体を余すことなく喰らい尽くした蓮は、空を見上げて牙を剥き出しにすると、遠吠えをあげる。

 

『オオオオォォォォォォォォォォォォォォ』

 

夜天に静かに響く遠吠えは、己の勝利を、存在を世界に見せ付ける為のものか。はたまた、全霊を賭して戦った好敵手への敬意を捧げる為のものか。

真意は定かではないが、その遠吠えからは確かな重みを感じ取ることが出来た。

 

『………グゥルルル』

『ッッ⁉︎⁉︎』

 

遠吠えを上げ続けていた蓮は、徐に口を閉じて頭を下ろすと、黒乃達の方へと振り向き、黒く濁る金碧の龍眼を向ける。自身の巨体のせいでクレーターの底にいても首を上に伸ばせば黒乃達を見下ろせるほどの高さになる為、彼は黒乃らを見下ろしながら口を開く。

 

『我ヲ、殺シニ来タノカ』

『『『『ッッッ⁉︎⁉︎⁉︎』』』』

 

確かな理性が残っている口調に黒乃達は揃って目を見開く。なぜなら、黒乃の話ではもはや完全に理性がない暴走状態にあるはずなのだ。

だというのに、確かな理性を残し話しかけてきた。だから、黒乃はまだ対話が可能だと判断し銃を下ろすと彼に問いかける。

 

「確かに私達はお前を討伐しにきた。だが、それは完全に暴走した場合だ。もしも、お前にまだ理性が残っているのなら今すぐに《覚醒超過》を解除してくれ。そうすれば、私達は戦わなくて済む」

『…………』

 

黒乃にそう言われた蓮は無言で彼女を見下ろすと、徐にズシンと足音を鳴らしながら首を伸ばして彼女へと近づく。

蓮の動きにすかさずアイリス達が霊装を構えるも、黒乃が声を張り上げてソレを止める。

 

「全員動くな!」

『ッッ‼︎』

 

アイリス達が黒乃の指示に咎めるような視線を向けるが、黒乃は蓮から一切視線を逸らさない。

蓮もまた彼らの視線を無視し黒乃にズイと首を伸ばし手を伸ばせば届く距離にまで近づくと、小さく唸り声を上げた。

 

『グゥルルルル』

『…っっ⁉︎』

 

蓮が唸り声を発すると同時に放った獣の威圧感にアイリス達は息を呑む。

人間を止め完全に獣へと堕ちた魔人の気迫。それは、まさしく獣そのもの。しかも、蓮はただの獣ではなく神話の世界に存在する神ー龍神の力を宿している。放つ威圧感も獣のソレではあるものの、密度、覇気、共に桁違いであり、唸り声を上げて威圧感を放っているだけなのに、歴戦の猛者であるはずの彼らに対応を間違えれば喰われる、という危機感を抱かせた。

そして、しばらく蓮が黒乃を見下ろしていたが、やがて顔を離すと口を開き、

 

 

『……イイダロウ』

「っっ」

 

 

あっさりと黒乃の要求を受け入れる。

要求がすんなりと通ったことに黒乃が声を出さずとも大きく目を見開き驚愕を顕にする中、蓮は黒乃から顔を離しながらその驚愕に答える。

 

『…………アリオストノ決着ハツイタ。コレ以上戦ウ理由モナイ。……連戦ダッタカラナ、ソロソロ休マナケレバト思ッテイタトコロダ。ソレニ………』

 

蓮は首を曲げてある方向へと視線を向けて、目を細め誰かを睨むように眼光を鋭くさせると、静かな怒りが滲む声音で呟いた。

 

『今回モ奴ハ手出シハシテコナイハズダ。ソノ時ガ来レバ奴ノ方カラ出向イテクル。ナラバ、我ハソレニ備エテイレバイイ』

「奴?備えるだと?どういうことだ?」

『……………』

 

不穏な言葉にすかさず黒乃が問いかけるも、蓮はその疑問には答えずに自身の体を淡く発光させる。

青白い輝きに包まれた蓮は、ピキパキと異音を立てながらその巨躯をあっという間に小さくする。

十数秒の時間をかけて龍の巨体が小さくなり形を変えて、人の形へと変わった時、光が消えて中から人間態の蓮が姿を表す。

白い装束を着た彼は、ふわりと黒乃の前に降りる。そして、顔を上げて彼女と目を合わせた時、黒乃は絶句した。

 

「蓮、お前…それは…っ」

 

黒乃が蓮を見て驚愕に声を振るわせる中、蓮は有無を言わせない口調で静かに呟く。

 

『詳シイ話ハ我ガ目覚メテカラダ。ソレマデハ少シ、休マセテ、モラ…ウ』

「っっ、蓮っ‼︎」

 

そう言った瞬間、蓮は目を閉じてフッと体を前に倒れる。黒乃がすかさず受け止めて彼の顔を見た時、蓮は既に瞳を閉じて穏やかに寝息を立てていた。

 

「……蓮、よく頑張った。……本当にっ……」

 

黒乃は表情を悲痛に歪めながらも、確かな安堵を口にして蓮の髪を撫でて強く抱きしめた。

そんな二人の様子を見ていたアリシアは周囲の惨状を見渡しながら小さく呟いた。

 

 

「………これほどなのか、《覚醒超過》を経た者の力とは」

 

 

自分も彼と同じ《魔人》ではあるものの、《覚醒超過》は経験していない。ただ、そう言った領域があることを知っていただけ。

 

だからこそ、驚愕と戦慄を隠せなかった。

 

齢17にして世界を崩壊させることが可能な力を有している蓮の《魔人》としての格の違いを。

 

その時、ちょうど激闘の終了を告げるかのように地平線から陽光が顔を出したのだ。

蓮が眠ったからか黒雲は空から消え失せて、漆黒の夜空は青白い朝焼けの空へと変わりつつあった。伸びる陽光が蓮達を照らす。

 

 

それは、長いようで短かった戦いが終わったことを示す為のものでもあった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

平和な夕暮れ時から始まった獣達の死闘は終わった。

 

被害区域はヴァーミリオン皇国皇都が七割壊滅し、周辺地域は半径およそ50kmの範囲が甚大な被害が出ていた。

土地や建物の被害は甚大だったものの、これだけの大災害が如き破壊がもたらされたにも関わらず死者は0だった。負傷者は多数出ていたものの、全員が命に別状はなく、一人の死者も出なかったのだ。

 

擬似的とはいえ《覚醒超過》を経たヘルドバン監獄の囚人七名との戦闘とその直後に世界的に見てもトップレベルの《魔人》にして、かつて《紅蓮の炎神》大和と死闘を繰り広げた《牛魔の怪物》との死闘。

 

小国を滅ぼすことすら可能な強大な戦力との連戦を、彼はたった一人で制した。しかも、一人の死者も出さずにだ。

 

 

《七星剣王》新宮寺蓮は見事国民を守り抜いた。

 

 

土地や建物に甚大な被害が出たのは事実だが、それでも一番大事な人命は一つの被害も出さなかった。

 

その功績はかつての英雄達《紅蓮の炎神》や《紺碧の戦乙女》の二人と並びたてる程であり、ヴァーミリオン皇国の国民達は、いや、蓮が《牛魔の怪物》を撃破したことを知った者達は多くが彼を称賛し、北欧地方の伝承に伝わる大英雄の名を称号として名づけ呼んだ。

 

 

 

———『紺碧の大英雄(ジークフリート)』と。

 

 

 

この日、《七星剣王》新宮寺蓮は名実共に英雄となった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「あら、眠ってしまったのね」

 

 

ヴァーミリオン皇国から300km離れた山脈地帯の山頂。

そこで『魔女』は彼が力尽き眠ってしまったことを把握し残念そうに呟く。

 

「残念。せっかくこっちに来てくれると思ったのに」

 

岩の上に腰掛け脚を組んでいた彼女は、そう呟くとくすくすと笑う。

彼女としては、計画が狂うがソレでも彼がー新宮寺蓮がこちらに来てくれれば、戦ってもいいと思っていたのだ。

だが、来なかった。それだけ消耗しきっていたということなのだろう。あの連戦は蓮を以ってしてもそれだけのものだったのだ。

 

「あの最初の七体は彼には勝てないとわかっていたけれど、まさかアリオスにも勝ってしまうなんて。もう実力的にはヤマトやサフィアと同等。いえ、もう超えてると言ってもいいかしらね」

 

彼女は蓮の実力をそう評価し称賛すると、口を三日月に歪めて妖しく笑うと満足そうに頷く。

 

「ふふ、ふふふ、今回は貴方がどれだけの可能性を秘めているのか見させてもらうつもりだったけど、ええ、ええ。予想以上の収穫だわ」

 

彼女は今回の目的が予想以上の成果で達成できたことに喜ぶ。

彼女の目的は蓮の秘める『英雄の可能性』がどれだけのものかを確認することだった。そして、それは想像以上のものだった。

彼は、既に自分が殺した大和やサフィアの実力を超えていると判断できた。

 

そう。彼女が殺したのだ。蓮の両親を。殺したからこそ、彼らの実力はよく把握している。その上で、蓮は二人を超えていると判断できたのだ。

 

彼女こそ《極夜の魔女(リリス)》ローゼン・ヴァイオレット。

 

《擬似覚醒超過個体》の七体や、アリオスを差し向けた張本人であり、蓮が探し求めていた不倶戴天の仇であった。

彼女は蓮の実力に表情を綻ばせて妖しい笑みを浮かべながら笑うと、その後恍惚とした笑みを浮かべた。

 

「ああ、嗚呼っ、いい!いいわ!とても素晴らしいわ‼︎あの姿!人であることをやめて完全な獣へと堕ちたその姿‼︎とても禍々しくて、とても美しいわ‼︎‼︎」

 

人ならざる魔人が《覚醒超過》を使ったとしても、それは人の形を逸脱しない。

悪魔や鬼。神話の世界や伝承でその存在を知られている人の形をとった怪物達。自分が生み出した怪物達も人の面影を残している。そのはずだった。

 

蓮は違った。

 

アリオスを喰らいながら変化していたあの姿。

龍人ではなく完全な龍の形態へと変異した蓮の姿。

人の面影など欠片もなく完全に人から逸脱した姿。人だけでなく魔人をも凌駕する可能性を彼は秘めていたのだ。

龍となった蓮の姿を思い出し、彼女は内側から湧き上がる高揚感に震える体を抱きしめると、まるで恋をする乙女のように頬を赤らめて妖しく笑う。

 

「嗚呼っ、早く貴方に会いたいわ‼︎あんなに小さくて可愛らしかった貴方が、私への復讐心で強大な獣になるなんて、とっても素晴らしい話じゃない‼︎‼︎」

 

彼女は先ほど蓮がこちらに視線を向けて殺意を込めて睨んできたことを思い出す。

彼は、自分の居場所に気づいていた。

気づいていて自分を睨み殺気を届かせてきたのだ。『今は向かわないが次相見えればその時は必ず殺す』そう言わんばかりの凄まじいほどの怨嗟がこもった眼差しを。

 

「〜〜〜〜ッッ、あぁ、ゾクゾクする。久々に感じたわ。あれだけの濃密な殺気。あの若さであれだけの殺気を放てるなんてっ」

 

その殺意に、敵意に彼女の心はゾクゾクと快楽に震えて歓喜一色に満ちていた。

世界を崩壊させられるほどの凄まじい力を秘めた少年が魔人になった原動力が自身への復讐心なのだから。

 

「あの時貴方を殺さなくて正解だったわ‼︎‼︎見逃してあげたから、あそこまで貴方は実ってくれた‼︎‼︎そう、それこそ、私の命に届きうるかもしれない程の世界有数の強者の領域に‼︎‼︎」

 

12年前のあの日。彼女は蓮を見逃した。

死んだ二人の遺体に縋りつき泣き叫ぶまだまだ、小さく弱々しい何もできない子供であった蓮を、彼女はあえて殺さなかった。

あの時は殺す価値もないと気まぐれで見逃したが、まさか12年の時を経て《魔人》へと覚醒し、さらには自身にも迫るかもしれないほどの世界有数の強者へと育った。

 

「私が殺した英雄の子が、国をも護れる輝かしい英雄となった‼︎‼︎だけど、同時に禍々しくも美しい魔性の怪物にもなった‼︎‼︎英雄の皮を被った怪物‼︎‼︎守護者にして復讐者‼︎‼︎ソレが貴方なのね‼︎‼︎しかも、その強さの源が私への憎しみだなんて‼︎‼︎嬉しくてしょうがないわ‼︎‼︎」

 

彼女は12年ぶりに胸が高鳴り、高揚感や歓喜、多幸感が自身の心から快楽となって溢れ出す。

快楽に表情を蕩けさせ、瞳を潤わせる姿はあまりにも扇情的で、色気を感じさせる艶やかさだったが、それ以上に彼女からは身の毛もよだつような狂気が絶えず発せられていた。

 

「んんっ、んあぁっ、はぁぁ……っ、ふ、ふふっ、いけないわ。これじゃまるで恋する乙女ね」

 

恍惚に浸り悦楽の吐息をこぼし快楽に震えながら自分の体を抱きしめていた彼女は、ふと気づきそう呟くとくすくすと苦笑する。

 

 

 

 

「…………やはり、貴女の狙いはレンなのですね」

 

 

 

 

そんな時、突如、ローゼンに声がかけられる。

響いた典雅な声音に彼女が振り向けば、ザッザッと地面を踏みしめながら歩く女性がいた。

戦乙女の如き白眼の甲冑を身につけ、両手に白銀の双剣を手にし携える女性の名はエーデルワイス。《比翼》の二つ名を持つ世界最強の剣士である。

彼女は白銀の怜悧な瞳を鋭くしローゼンを睨むも、ローゼンは笑みを浮かべながら平然と口を開く。

 

「…………あら、誰かと思えば《比翼》じゃない。こんなところで会うとは思わなかったわ」

「ええ、そうですね」

 

軽くそう言葉を交わすと、ローゼンは赤紫の瞳を細めるとエーデルワイスに問う。

 

「それで、私に何の用?随分と殺気を向けてきてるけど」

「………単刀直入に聞きます」

 

エーデルワイスは手短にそう呟くと、視線を鋭くし凄まじい殺気を放ちながら彼女に尋ねた。

 

「《極夜の魔女》ローゼン・ヴァイオレット。貴女は、レンを利用して何を企んでいるのですか?」

「……………」

 

詮索なしのいきなり本題に踏み込んだ問いかけに、ローゼンは無言になる。エーデルワイスも無言になり、しばらく静寂の時間が過ぎ過ぎたから風が彼女らの髪を揺らし、木の葉を揺らし鳴らした後、ようやくローゼンは口を開く。

しかし、それはー

 

 

 

 

「それを貴女に話すと思ってるの?」

 

 

 

 

エーデルワイスが望んだ言葉ではなかった。

当然だ。ローゼンとエーデルワイスは敵対している者同士。出会ったら確実に殺し合いをするわけではないが、敵対する以上情報は明け渡さないのが普通だ。

そして、彼女の返しにエーデルワイスは分かりきっていたかのように頷く。

 

「………ええ、そうでしょうね。ですから、私は貴女に警告をしにきたのです」

「警告?もしかして、彼に手を出したら許さないとでも、言うつもりかしら?」

「その通りです」

 

ローゼンの言葉を肯定すると、エーデルワイスは左剣の鋒を向けながら静かに、だが確かな怒りが滲む声音ではっきりと告げた。

 

「あの子に何かするのであれば、私は貴女を決して許しません」

 

その言葉が放たれると共に瞳の奥で静かに燃え盛る炎に、ローゼンは妖しく口の端を歪めると肩を大きく振るわせて腹を抑えながら笑った。

 

「ふっ、ぷふっ、あははっ、あははははははははははははっっ」

 

腹の底から出た笑いは思いの外大きく響き、彼女の笑い声が朝焼けの山に響く中、エーデルワイスは一瞬たりとも視線を逸らさずに彼女を睨み続ける。

一頻り笑って落ち着いたのか、ローゼンは笑いを止めると目の端に浮かんだ涙を拭う。

 

「あははっ、ごめんなさいね。随分と貴女が面白いことを言っていたからつい笑っちゃったわ」

「別にふざけてなどいません。これは私の本心の言葉です」

「えぇそうね。貴女が真剣に言ってるのは分かってるわ。でも、()()が言うようになったじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを忘れたのかしら?」

 

その言葉と共にゾワリと放たれたのは濃密な悪意と害意を孕んだ黒紫の障気。彼女の周囲に広がった闇は、瞬く間に木々を呑み込み一瞬で溶かす。

ジュッと短い音を立てて障気に呑まれた木々が溶けて食われる。大気は毒気を帯び、周囲の空間は黒紫に歪んだ。

()()()()()()()()()()()()()()()()彼女を前に、エーデルワイスは眉ひとつ動かさずに平然と返す。

 

「………無論、忘れてるわけがありません。

確かに、17年前、私は貴女に手も足も出ずに負けて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

エーデルワイスは自分が彼女の足元に及ばなかった過去を素直に認める。

今でこそ世界最強の剣士と呼ばれ、あらゆる組織から恐れられ、個人で国家に比肩し国家すら脅かすほどの圧倒的な怪物。

だが、初めから彼女は強かったわけではない。

15年前。彼女の《比翼》の伝説が始まるより以前、17年前にエーデルワイスはローゼンと偶然にも邂逅し戦ったが、その際に一度彼女に()()()()()()()()()()

 

文字通り手も足も出なかったのだ。自分が積み重ねてきた師より受け継いだ剣技が彼女の纏う障気には何一つ通じなかった。

しかも、その上殺されることもなく興味がないと言わんばかりに見逃された。それは度し難いほどの屈辱であり、苦い経験でもあった。

 

「ですが、今は違う。少なくとも、昔のように簡単に負けたりはしません」

 

そう告げると共にローゼンの暗黒の闇に対抗するように白銀の魔力光を解き放つ。

彼女の体から迸るのは光の暴風。木々が揺らぎ、大気が軋むほどの莫大な魔力の高鳴り。暗黒の闇に対抗する白銀の光に、笑みを浮かべていたローゼンは、感心するように目を僅かに大きく開いた。

 

「…………へぇ、言葉だけじゃないのね。確かに貴女は強くなったわ。以前のように無様に地に這いつくばることはもうなさそう。《世界最強の剣士》と謳われるだけの事はあるわね」

「………………」

 

エーデルワイスへの認識を訂正したローゼンは楽しそうに笑う。大気を震わせる殺気すらも彼女にとっては心地よい微風にすぎない。

そんな狂気を纏い、愉悦に嗤う彼女の姿はあまりにも悍ましかった。その彼女の悍ましさにエーデルワイスは端正な顔に不快感を、嫌悪感を一層滲ませる。

 

「………これまで貴女は数多くの動乱を巻き起こしてきた。己の欲望のままに、己の狂気が突き動かすままに、そんな貴女は今度はレンを利用して世界を巻き込むほどの動乱を引き起こそうとしている。…………《極夜の魔女》。貴女は、どれほどの混沌をこの世界に齎すつもりですか?」

「ふふっ、ソレを知ったところで貴女に何ができるの?」

「……私にできることの全てを以て抗いましょう」

 

そう言って、エーデルワイスは左右の剣を翼のように広げて、構える。

彼女の臨戦体勢。本気だ。今ここでエーデルワイスは、ローゼンに本気で抗おうとしていたのだ。

だが、そんな彼女の臨戦体勢に対しローゼンは、霊装である鎌を展開し構えることもなく、岩から降りて六枚の闇色の翼を大きく広げるとエーデルワイスに背を向ける。

 

「やめときなさい。今ここで私と貴女が戦えば、余計な邪魔が入ることになるわ。それは、貴女も望んでいないでしょう?」

「…………」

 

彼女の言う通りだ。ローゼンとエーデルワイス。共に世界最強クラスである化け物達が激突したとなれば、《連盟》も《同盟》も確実に動くことになる。そうなれば、《白髭公》や《超人》が出張ってくる可能性も高い。そんな邪魔はエーデルワイスとて望んでいない。だから、彼女は剣をスッと下ろし構えを解いた。

 

「今日の所は、警告に来ただけです。私も、ここは引き下がりましょう」

「随分と物分かりが良くなったわね。歳をとったからかしら?」

「貴女に言われたくはありませんね」

 

ローゼンにそう返したエーデルワイスも彼女に背を向ける。

 

「…………《極夜の魔女》。貴女は、何を思って世界に混沌を齎そうとしているのですか?貴女を動かす狂気の源は、何ですか?」

「…………………」

 

エーデルワイスの問いかけに、彼女は返すこともなくバサリと翼をはためかせてその場から飛び去った。

エーデルワイスは、振り向きその場に残った数枚の暗闇色の羽を見下ろし、悲壮を漂わせながら呟く。

 

「…………きっと、二人の激突は避けられないのでしょうね」

 

もはや、確信すらしていた。

蓮とローゼン。どうあがいても二人の激突は避けられないことに。

かたや復讐の対象であるがゆえに、片や狂宴を齎す為の道具であるがゆえに。お互い邂逅を果たせば殺し合う事は確実だ。

そうなれば周囲への被害は計り知れないだろう。

 

英雄と魔女。

 

復讐に堕ちた怪物と狂気に歪んだ化物。

 

厄災と破滅。

 

共に世界を滅ぼすことが可能な力を有している二人の激突は、有史始まって以来の壮絶な死闘になることだろう。

その戦いに介入するのは至難の業なはずだ。

 

「…………私もソレ相応の覚悟をしたほうがいいでしょう」

 

エーデルワイスは彼の師匠として、また力を持つ者の責務としてその時が来たら果たすべき事を考え決心を固めると、自分もその場を後にした。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

 

『……………………』

 

 

 

深く、昏い深海の社。

その段木に腰掛けていた蓮は、ゆっくりと瞳を開ける。白目が黒く濁ったままで、かつ金碧に染まったままの瞳が写したのは、自分を覗き込むように顔を近づけている龍。自身と共にある魂の半身ー龍神『蒼月』だ。

『蒼月』を視界に収めた蓮は、口の端を吊り上げて嗤う。

 

『………今回も随分と暴れたな。それほどにアリオスとの戦いは楽しかったか?』

———分かりきった事を。我と貴様は、一心同体。ならば、我が感じた愉悦は貴様も感じたろうに。それに、貴様が心の奥底で望んだ激闘を、奴は叶えてくれた。愉しかったに決まっておろうよ。

『……だろうな』

 

蓮はわかりきっていた返答にそう答える。

蓮と蒼月は魂で繋がっている。繋がっているからこそ、思考や思いを共有しており、蒼月が感じた愉悦は蓮もまた感じ取っていた。

蒼月もまた蓮の心の奥底に潜む願望を当然理解しており、アリオスとの戦いが蓮にとって満足いく戦いだった事を指摘したのだ。

肩をすくめて笑った蓮に、蒼月は静かな眼差しを向けると今度は彼の方から口を開く。

 

———しかし、良かったのか?

『?何がだ』

———魔女の元へと向かわなかったことだ。アリオスを喰らい補給をしたのなら、魔女と戦うのに不足はなかった。場所も把握していた。だが、貴様は止めた。母の前だったからか?

『……………』

 

蒼月の問いに蓮は無言になる。

確かに彼の言うことも正しい。アリオスを喰らい補給を終えたあの時の蓮の状態ならば、黒乃達の包囲を突破し魔女に戦いを挑んでも問題はなかったはずだ。居場所も気づいていた為、探し回る必要もない。だが、蓮はソレをしなかった。黒乃の言うことに素直に従い《覚醒超過》を解除した。

だが、その真意は黒乃がいたからじゃない。

もっと独りよがりな醜い欲望だ。

 

『……ハッ、違う。そんなものじゃない』

 

その真意を問う蒼月に蓮は不敵に笑い否定する。

 

『まだその時じゃないからな。いずれ奴は俺の前に姿を表す。なら、その時に万全の状態でいられるよう備えておいた方がいいってだけの話だ』

———確かに、な。貴様の言う通りだな。

 

蒼月は納得を示す。

相手が世界最凶と謳われる怪物である以上、備えは万全にしておくに越した事はない。

だが、最たる理由はソレでもない。

 

『それにだ』

———?

 

そう呟くと、蓮は顎に手を当てて口の端をニィッと吊り上げて狂気の宿る酷薄な笑みを浮かべると、

 

 

『獲物は待てば待つほど喰った時美味く感じる。同じ事だ。12年ずっと待ったんだ。今怒りに駆られて復讐を果たしにいくのも興醒めだ。万全の状態で奴を打ち倒し、喰らった方が………きっと美味いに違いないからな』

 

 

1番の理由はそれだ。

黒乃がいたからではない。

万全に備えなければいけなからではない。

あの時、復讐に向かえばつまらない、そう感じたからだ。

確実に殺せる機会を探り、ソレに備えて復讐を果たせれば、達成できた時の高揚感は何よりも大きいはずだから。

牙を剥き出しに凶悪に嗤いながらそう言った蓮に、蒼月もまた牙を剥き出しにして嗤った。

 

———く、くく、くくく、なるほど。確かに貴様の言う通りだ。そうした方が奴を喰らった時の歓喜は大きいものになるだろう。

『だろ?だから、焦る必要もない。どうせ奴は俺の前に現れるからな。今は備えていればいい。そして、力を温存すると共にもっとお前との()()()()()()()。ソレが今の俺のすべき事だ』

———そうだな。それが賢明か。

 

蒼月はそう返すと、体を動かし蓮が座る拝殿の前で蜷局を巻きながら海底に寝転がる。

 

———ならば、貴様はそろそろ起きるがいい。既にあの日から2日経過している。さぞや、母も心配している事だろう。

『だろうな。特に今の俺の有様を見てればな』

 

苦笑いを浮かべながら自分の腕を見下ろして蓮は儚げに笑った。

彼は自分の体に起きた変化を今この時点で既に把握していた。

 

 

三度目の《覚醒超過》。その代償を。

 

 

この激闘で蓮は確かに勝利を収めた。

 

 

だが、勝つために払った代償は余りにも大きかったのだ。

 

 

———何事にも対価はいる。それは仕方のなかった事だ。ああする他に貴様に選択肢はなかった。それだけの話だ。

『そうだな。なら、そろそろ起きようか』

 

蓮は蒼月にそう返すと、目を閉じて意識を沈める。精神世界で意識を沈めていき、閉じた視界の中に光が満ちていくのを感じる。

 

 

 

そうして、蓮は現実世界へと意識を浮上させていった。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「……………っ」

 

 

 

意識を取り戻した蓮は、ゆっくりと瞼を開ける。

視界に満ちるのはLEDの照明と真っ白な天井。天井を見上げながら光の輝きに目を細めた蓮は、ゆっくりと体を起こし、周りを確認した。

その時、ちょうどカナタと目があった。

 

「………蓮、さん?」

「………カナタ」

 

部屋に戻ってきた瞬間だったのだろう。ちょうど扉の前に立っていた彼女は、手に持っていたタオルを落としすと、スカイブルーの瞳を揺らしながら口を手で隠した姿勢で数秒固まり、大粒の涙を流しながら蓮へと駆け寄る。

 

「蓮さんっ、良かったっ。目を覚まされたんですねっ。ああっ、本当によかったっ」

「…………」

 

駆け足で蓮のそばに駆け寄ると彼の左手を握り自分の眼前に寄せながら、感極まった声で蓮の目覚めを喜んだ。

その時、蓮は漸く自分の視界に自分の左腕が映ったことでソレに気づきわずかに目を細める。

 

「———っ、腕が…」

 

自分の左腕が、左手の指先から肘までが、肌色の皮膚ではなく()()()()に覆われ、指先が並の刃物を超えた切れ味を有するであろう鋭利な鉤爪に変化していたことに。鱗に覆われた左前腕部には《臥龍転生》発動時の青い紋様が浮かんでおり、淡い輝きを放っていた。

 

(………あぁそうか。これが代償か)

 

蓮は自身の腕が人ならざるものへと変わっていたことに特に驚きはしなかった。

こうなる事はわかっていたからだ。自分がもうまともな人間の形に戻る事は叶わないと言う事を。

だが、カナタは違った。

 

「……っっ、その、蓮さん……」

 

蓮が自分の腕を見て気づいた様子に、悲痛な様子を浮かべてどうにか慰めようと何かを言おうとして何も言葉が浮かばずに言葉を詰まらせていたが、蓮がそんな彼女に淡々と言った。

 

「……《覚醒超過》の代償だろう。何らかの影響は出ると思っていたから、別にこの結果に驚きはしない」

「……え?」

 

蓮の言葉にカナタが目を見開き愕然とするが、ソレに構わずに蓮は左手を彼女の手からやんわりと外すと、自身の眼前に氷の鏡を創り出し自分の外見を見た。

 

「………なるほど。どうも全身に違和感があると思っていたが、ここまで変わっていたか」

 

目が覚めたとき鏡に映る変化した外見に蓮は納得を示す。蓮が今着ている病衣は膝まである短パンのみ。上半身は露わになっており、自身の変化がはっきりとわかったのだ。

左腕は肘までだったが、右腕は既に肩まで変化している。鱗に覆われ、鉤爪が伸び、紋様が浮かんでいる。二の腕も変質しているからか左腕と違いそこには小さな突起のようなものがあり、肩にも小さな突起は生えていた。

右胸部も鱗に覆われており、鱗への変質は腰にまで及んでいた。背中にも氷鏡を作る事で背中側も見れば、右側の肩から肩甲骨にかけて鱗に覆われていた。

 

脚を見れば右脚は膝から先が左腕と同様の変質が起きており、藍色の鱗と青い鉤爪、青の紋様があった。唯一、左脚は大きな変化はなかった。

しかも、全体的に肌は僅かに白くなっていた。

 

胸部には肌や鱗関係なく紋様が浮かんでおり、淡い青に輝いている。

 

そして、頭部だが頭部も変質していた。

右眼は黒目と金碧の龍眼のままであり右顔面の大部分が鱗に覆われている。口から覗く歯も八重歯が牙のように鋭くなっており、吸血鬼の牙を連想させる。他の歯も心なしか牙のように少し尖っていた。

耳も尖ってはいないものの藍色の鱗に覆われている。

淡い水色の髪は、一房だけがメッシュのように龍神の力を発動した際の純白色へと変わっていたのだ。

 

もはや、検査するまでもない。

蓮の肉体は明らかに異常をきたしており、《覚醒超過》を解除したにも関わらず半異形の状態になっていたのだ。

《覚醒超過》の代償による肉体の変質は彼の予想以上に大きく、三度目ですら肉体の外見に影響が出ており、実に三割が変貌を遂げていた。……いや、内側の変化も含めれば四割近く変質していることになる。

 

「違和感はまだ多少あるか。これがどう変化するかはこれからの生活をしない限りわからないが、ある程度は魔術で隠蔽できる。

外見もワンサイズ大きい服を着れば誤魔化せるか。背中の突起もサラシでも巻いておけばまぁイイだろう。問題は髪と顔面だが……まぁこれも魔術で隠せばなんとかなるな。今のところ大した支障はない」

「……蓮、さん…?」

 

蓮は両手を握ったり開いたりして状態を確かめながら、冷静に日常生活における対処法を分析し考案していく。

その様子にカナタは戸惑いを隠せなかった。

 

(……どう、して……貴方は、そんなに、平気なんですか?)

 

わからない。

どうして蓮は平然としていられるんだ?

自分の体の半分が人間のものじゃなくなって、元に戻れなくなっていると言うのに、どうして彼は取り乱しすらしないのだろうか?

そんな困惑は疑問となって溢れる。

 

「れ、蓮さん…どうして、平気でいられるんですか?」

「…………」

 

カナタにそう問われた蓮は呟くのをやめて静かな眼差しを彼女に向ける。その瞳はあまりにも静かで、同時に冷たかった。カナタはその眼差しに僅かに寒気を感じながらも涙を流しながら続ける。

 

「……もう、貴方の体の一部は人間のものじゃなくなってるんですよ!?なのに、どうして、そこまで平気でいられるのですかっ!?それじゃあまるで、こうなる事を…ご自分が元に戻れない事を、最初から分かっていたみたいじゃないですか!?」

「…………カナタ、俺は…」

 

涙交じりの問いかけに蓮が口を開き答えようとしたとき、ガラリと病室の扉が開かれる。

 

「………入るぞ」

 

入ってきたのは黒のスーツ姿の麗人。新宮寺黒乃だ。黒乃はベッドの上の蓮と涙を流すカナタを見ると、険しい面持ちのまま静かに口を開く。

 

「…………起きたのか。蓮」

「………ああ、迷惑かけたな」

「今更だ。それで、体の調子はどうだ?」

「見ての通りだ。とはいえ、多少の違和感はあるがな……」

「………そうか」

 

そう答えながらカツカツとヒールを鳴らし蓮へと近づいた彼女はカナタの横に立つと、

 

「蓮、歯を食いしばれ」

「?ッッ⁉︎」

 

言葉は出てこなかった。

何故なら、蓮が問うよりも先に黒乃が蓮の右頬を問答無用で殴り飛ばしたからだ。

魔力強化でもしていたのだろう。左頬にバギィっと拳がめり込むと蓮の身体は容易くベッドから剥がされ、窓下の壁に叩きつけられた。

 

「黒乃さんっ⁉︎」

「……………」

 

カナタが声を上げる中、蓮は殴られた衝撃で口の中を切ったのか、口の中に広がる血の味に僅かに眉を顰めながら身を起こそうとした時、自分の目の前には黒乃が既に立っており、

 

「…………」

「グッ⁉︎」

 

今度は左頬を殴られた。

蓮の身体は横へと大きく弾かれ、次は床へと叩きつけられる。

頭を揺らす衝撃に蓮が顔を顰めながらもう一度起きようとした時、黒乃に腕を引き上げられ上半身を起こされ壁に叩きつけられる。

そうして漸く見えた彼女の瞳には涙が滲んでおり、顔は憤怒と悲哀の二色に彩られていた。黒乃は唇を震わせながら、込み上げる何かを堪えるかのように叫ぶ。

 

「……何故だっ。どうしてっ、お前は《覚醒超過》を使ったんだっ⁉︎あれほど使うなと言ったはずだっ‼︎‼︎次使えばまともに戻れるか分からないことなどわかっていただろうっ‼︎‼︎なのに、お前は使った。その結果がこれだ‼︎‼︎どうしてだっ、私達の言葉はどうでも良かったのかっ⁉︎私達ではお前を引き止めるほどの価値はないとでも言いたいのかっ⁉︎答えろっ‼︎蓮っ‼︎‼︎」

「………………」

 

黒乃の涙交じりの怒声に蓮はしばらく彼女を真っ直ぐに見つめ、やがて数秒経った後、蓮は漸く口を開いた。

 

「…………言い訳に過ぎないが、ああする他なかった。あの場では俺が《覚醒超過》を使うことが最善だった。だから、使った。それだけの話だ」

 

蓮が淡々と事実を述べるも、ソレでは当然納得しない黒乃は再び声を荒げる。

 

「だからといって‼︎私や連盟からの救援まで耐え抜く事はできなかったのか⁉︎お前ならばどうにかできただろっ⁉︎それなら「それは所詮理想論にすぎない話だ」…っ、れ、蓮っ?」

 

黒乃の言葉に被せるように言い切った蓮に、黒乃は初めて困惑した。それはカナタ同様彼女も気づいたからだ。

 

蓮の様子が今までとどこか違うことに。

 

蓮は黒乃の手を優しくどけて立ち上がるとベッドに戻るとシーツの上で足を伸ばし、ベッド脇の棚に置いてあった果実の詰め合わせの籠に手を伸ばして、中から林檎を一つとって一口齧って飲み込んでから口を開いた。

 

「結局のところ、救援が来るまでどうとかは理想論だ。母さんや連盟からの救援が向かっていたのは本当なんだろう。だが、救援がくるまでアリオスの相手を人間のままし続ける事は不可能だった。

奴は既に《覚醒超過》の状態だったからな。俺が崩れるのも時間の問題だった。そして、俺は奴に一度敗れて、奴に勝つ為に《覚醒超過》を使って奴を打倒した。これが結果であり、唯一の事実だ」

「「……っ」」

 

淡々と告げられた言葉に黒乃やカナタが息を呑む。明らかに蓮の纏う空気が冷たいものへと変わっていたのだ。戦闘中のようなピリつくような威圧を纏っており、相対するだけで背筋が凍るような感覚を覚えるこの感じは、人間というよりは、獣のソレに近かった。

蓮が纏う獣の威圧に黒乃達が息を呑む中、蓮は続ける。

 

「ソレにさっきも言ったろ。あの時、アリオスとの戦いで《覚醒超過》を使うのが最善だと」

「………自ら化け物に堕ちることが、最善だったとでもいうのか?」

 

呻くように絞り出された問いかけに蓮はわざとらしく首を横に振り否定する。

 

「いいや、そうじゃない。アリオスに一度敗れた時点で、俺には《覚醒超過》を使う以外の選択肢は残っていなかった。でなければ、最悪の事態になっていた」

「最悪の事態、だと?」

 

黒乃が思わず聞き返すが、蓮はソレには答えずに視線を鋭くした。

 

「ソレを話す前に、俺も母さんに聞きたいことがある」

「………何をだ?」

 

何をいうのか冷や汗を流しつつ待つ黒乃を蓮は鋭い視線を向けながら、蓮ははっきりと言った。

 

 

「《極夜の魔女》ローゼン・ヴァイオレット」

「っっっ⁉︎⁉︎⁉︎」

「??」

 

 

本来蓮が知らないはずの名前が、他ならぬ蓮の口から出てきたことに黒乃は目をこれでもかと見開きあからさまに驚愕する。

正体を知らないカナタは首を傾げていた。

 

「な、何故お前が、その名をっ」

「アリオスが教えてくれたんだよ。死ぬ間際に奴の情報をくれた」

「っっ、《牛魔の怪物》めっ、余計な事をっ‼︎」

 

狼狽えていた黒乃は情報提供者であるアリオスによくもやってくれたなと恨みごとを吐き捨てる。自分達は彼を復讐の権化にさせまいとずっと秘密にしてきたというのに、アリオスがソレを全て台無しにした。なんて事をしてくれたのだと、黒乃が恨むのは当然だった。

その時、カナタがおずおずと蓮に尋ねる。

 

「あの、蓮さん、その《極夜の魔女》とは?」

「親父達を殺した奴だ」

「つっ」

 

カナタは簡単にだが正体を知り戦慄する。

蓮が12年追い求めた両親の仇。もしも彼が仇を知ればどうなってしまうかは黒乃達から聞かされていた。そして、彼に明かさない理由も聞いていた。

だからこそ、蓮が遂に仇の正体を知ってしまったことに戦慄すると共に一つの可能性に思い至る。

彼の雰囲気が変わった理由の一つは、仇を知ったからなのだと。

そして、カナタが戦慄する中、蓮は狼狽える黒乃に再び視線を戻すと嘆息する。

 

「………その様子だと俺に話す気はなかったみたいだな。どうしてだ?俺が奴を探していたのは知っていただろう?俺の願いを知っておきながら、ソレでも情報を明かさなかったのはどうしてなんだ?」

「……………そ、それは……」

「あぁ別に責める気もないし、隠す理由もなんとなく分かる。俺を復讐の権化にしたくないとかそんな理由だろう?………ただまぁ、今思えばソレも無駄な話だったがな」

「なに?」

 

どういう事だと眉を顰めた黒乃に蓮は淡々と事実を告げた。

 

「魔女の狙いは俺だ。俺の異能を奪う事、それが奴の目的。そして、今回の二つの事件もそれが原因で起きた」

「なにっ⁉︎」

「なっ」

 

黒乃がこれでもかと目を見開き、カナタが口を抑えて驚愕する。魔女が動き始めた以上なんらかの目的があるとは思っていたが、まさか蓮の異能を狙っているとは思わなかったからだ。

 

「今回の事件は俺を狙って引き起こされたものだ。それは———」

 

そして蓮は今回の事件の全貌を話す。

魔女により肉体を改造され、擬似的な《覚醒超過》状態にされたヘルドバンの囚人七名が自分を魔女の元へと連れていく為に襲撃を仕掛けた事を。

魔女の手引きで脱獄したアリオスは、蓮との戦いを望んでおり、脱獄の手引きをする代わりに蓮と戦い勝てば蓮を自分の元へ連れてくるという契約を交わしていた事を。

最後のアリオスとの会話以外での顛末を全て話したのだ。

 

「………っ」

「……っっ」

 

話を聞いた黒乃は怒りを堪えるように拳を強く握りしめ、顔を激情に歪ませて歯をギリッと鳴らす。カナタは悲しみを抑えきれなかったのか、口を手で押さえながら涙を流していた。

 

「既に奴は俺の力を喰らう為に動いている。前回は俺の存在を確認する為。今回は俺の実力を見定める為にヘルドバンの囚人七名とアリオスを差し向けてきて、俺の様子を観察していた」

「……そうだったのか……いや、待て。お前、今前回と言ったか?それはいつの話だ?」

 

黒乃は聞き逃さずにすかさず問いかけた。

今回の件はともかく、以前にも魔女が関わっていた事件があった事は黒乃は知らないからだ。

そんな疑問に蓮は答える。

 

「黒狗との戦いの時だ。奴は俺の戦いを数百km離れた場所から見ていたようだ」

「「っっ⁉︎⁉︎」」

 

蓮から聞かされていなかった二人は何度目かわからぬ驚愕をし、黒乃が声を張り上げて蓮を咎める。

 

「何故それを話さなかったんだ⁉︎あの時話してくれたら何か手を打てたはずだろうっ⁉︎」

「誰かが見ている事は分かっていたが確証はなかったから話さなかった。今回一件で漸く確信に至ったんだ。だが、それ以前に……」

 

そこで一旦止めると、蓮は黒乃に向けていた視線を鋭くし、冷徹なものへと変えるとはっきりと言った。

 

「俺が話したところで母さん達に何か出来たのか?あの魔女からどうにか俺を守る方法が。母さんと寧音さん、二人が俺の代わりに戦う以外で何かあったのか?」

「っっ、それはっ」

「母さん達も分かってるはずだ。親父とお袋を同時に相手取って勝った奴は強い。それこそ、《白髭公》《暴君》《超人》三大勢力の長達や《比翼》のエーデよりもだ。母さんや寧音さんでは彼女には勝てない。二人揃っても勝てる可能性はゼロだ。獣になれない寧音さんと《魔人》ですらない母さんでは力不足。勝てる可能性があるのは………俺だけだ」

 

魔女に対抗できるのは自分のみ。黒乃や寧音では力量不足だ。蓮は突き放すような物言いで言い放つ。

龍神の力を体現する異能を持つ自分だけが彼女に太刀打ちできる可能性を秘めている。

蓮は自身の変わり果てた左手に視線を落とすと、強く握る。

 

「俺だけが魔女に対抗できる。俺ならば奴の命にこの牙を届かせることができる。だから、もっと強くならなくちゃいけない。今のままじゃダメだ。足りない。まだ俺は龍神の力の全てを解放できていない。だから、もっと、引き出す。奴に勝つ為に」

 

双眸を禍々しい蒼黒に爛々と輝かせながら蓮は静かな憤怒と殺意を込めて宣言する。

《覚醒超過》は絶大なまでの力を得る代わりに人間とは全く異なる存在に変質する諸刃の剣。

激流のような怒りや破壊衝動が心を埋め尽くし、己を自己に塗れた欲望の獣へと変える力。

 

それは、人でいたいならば決して使ってはならない禁忌の力。

普通ならば、恐怖し躊躇うことだろう。特に、獣へと変わり果てた者達を知っている者ならば尚更。

 

それがどうした?

 

《覚醒超過》が危険すぎる禁忌の力?あぁ確かにそうだ。だが、そんなこと知ったことではない。

化け物になることなど上等だ。

あれは己の魂の力。つまり、己の一部なんだから何を恐れることがあるのだ。

己の力になり、糧になるのならばそれが身を滅ぼす呪いであっても受け入れ喰らいつくし取り込もう。

 

この憤怒、この殺意、この衝動は己自身のもの。

 

誰かに穢されるなど、邪魔されるなどあってはならない己だけの意志にして決意の根源なのだ。

 

扱い切れないのならば扱い切れるようにしよう。

 

扱い切れるほどに我が身を堕とそう。

 

既にこの魂は獣と同一と化した。

 

ならば、その本能も受け入れよう。

 

なぜならば、それもまた自分なのだから。

 

「っっ」

「蓮、さん……?」

 

己の身の危険を顧みずに、嬉々として獣へと堕ちようとする蓮の狂気の片鱗に黒乃は動揺を隠せず、カナタは呆然とする。

ヴァーミリオンへ発つ前とはまるきり違う。彼が纏う狂気が、瞋恚の炎が、大きく膨れ上がっていた。

 

(………蓮を、ヴァーミリオンに行かせたのは間違いだった……)

 

黒乃は今回蓮をヴァーミリオン皇国に行かせた選択を後悔する。

蓮を行かせるべきではなかった。行かせたからこそ、こうなってしまった。自分がすぐに助けに向かえない場所に送り出してしまったから、こうなった。

 

蓮が魔女に狙われていた以上、きっとどこにいてもアリオスらと戦うことは避けられなかった。

だが、彼が日本にいたならば黒乃や寧音もいるし、《闘神》の南郷までいる。

戦力は十分で、蓮と共に戦うことだってできた。きっと一人で追い込まれて《覚醒超過》を使う事態にもならなかった。

 

(…………私の考えが甘かったっ)

 

己の甘さを呪う他なかった。

《魔女》の情報が出てきた時点で、蓮を一人にさせるべきではなかった。自分の手が届く範囲内にいさせるべきだったのだ。

 

「…………お前の言い分はわかった。だが、お前が一人で戦うことは許可できないっ」

「…………」

 

黒乃は蓮の言い分を理解した上で、蓮の言葉を拒絶した。彼女は拳が震えるほど強く握り締め、涙を流しながら。

それに対して、蓮は肯定も否定もせず冷ややかな表情を向ける。

 

「だがっ、例えそうだとしても、お前がこれ以上堕ちるのを黙って見ていることはできないっ‼︎

これからお前は何があっても、日本から出るなっ‼︎何かあったとしても、必ず私か寧音が同行するっ‼︎お前はこれから決して一人で行動するな‼︎‼︎」

「……………」

 

瞳から涙を流しながらそう言い放った黒乃を蓮はしばらく冷めた眼差しで見つめると、瞳を逸らしながら嘆息をする。

 

「…………はぁ、好きにしろ」

「…‥あぁそうさせてもらう。蓮、私は今一度報告の為に席を外す。戻ってくるまでこの部屋から出るな」

 

蓮の返事を待たずに黒乃は足早にツカツカと踵を鳴らしながら扉へと歩いていく。そんな彼女が扉に手をかけた瞬間、蓮が口を開いた。

 

「最後に言っておくが、どうしたところで俺と奴が激突するのは避けられないことだ。だから、その時が来たら、俺は好きに動かせてもらうぞ」

「……………」

 

蓮の発言に黒乃は返事をせずにそのまま扉を開いて外へと出ていってしまった。

ツカツカとヒールを鳴らす音が遠ざかり、再び病室に静寂が戻る。

 

「……………」

「……………」

 

静寂が部屋を満たす中、蓮とカナタはお互い一言も発さない。蓮は黙々と林檎を齧っており、カナタは椅子に座って顔を俯かせている。

髪が垂れているせいで彼女の表情は窺えない。だが、纏う空気は明らかに悲壮そのものであり、また膝の上で握られた手に涙が滴り落ちてることから、彼女が悲しみに打ちひしがれていることがわかる。

蓮もそれを感じ取ったのだろう。食事の手を止めて彼女へと視線を向けると彼女の名を呼んだ

 

「………カナタ。お前も少しは休め。その様子だとろくに寝てないんだろ?」

 

蓮は彼女に休むよう促す。蓮の指摘通り、カナタは蓮の看病でまともに睡眠をとっていない。その疲労の色を感じ取った蓮は自分はもう大丈夫だと休むように言ったのだ。

そんな彼の言葉に、カナタはか細い声で答える。

 

「………私は大丈夫ですわ。それよりも、答えてください」

「何をだ?」

「………貴方は、魔女と相見えたら《覚醒超過》を使うつもりなのですか?」

「なるべく使わないようにはするが、恐らくは使うことになるだろう。それほどまでに奴は強いからな」

「………貴方が《覚醒超過》を使う以外に方法はないのですか?」

「ないな。俺以外に奴に太刀打ちできる存在はいないだろうからな」

「………なぜ、そこまでして一人で戦おうとするのですか。私達はそんなに頼りないですか?」

「………………」

 

彼女の問いかけに押し黙る蓮にカナタは顔を俯かせたまま問い続ける。

 

「蓮さん、私達はそんなに頼りないですか?私達が弱いから、貴方の邪魔になってるんですか?」

「カナタ、それは違う。俺は「なら、なんでお一人になろうとしているんですかっっっ‼︎‼︎‼︎」っっ」

 

カナタの言葉を否定しようとした蓮の言葉をすぐさま否定し叫んだ彼女に、蓮は思わず目を見開き言葉が止まる。

彼女が怒りに声を荒げることなど今まで見たことがなかったからだ。

叫んだ彼女はガバッと顔を上げる。彼女の瞳は悲しみに揺れていて、ボロボロと目尻からは止めどなく大粒の涙が絶え間なく溢れていた。

 

「確かに貴方がお二人の仇をとりたい気持ちはわかりますっ‼︎そして、もしもその時が来たら貴方は迷わず一人で戦おうとすることもっ‼︎

ですがっ、それを選んだら貴方は私達の手の届かないどこか遠くに行ってしまいそうな気がしてずっと不安なんですっ‼︎‼︎」

 

蓮と再会してから見るようになった、蓮が異形になりつつ炎に呑まれて消える悪夢。

今の蓮の姿は、あの夢の中で見た姿に近づいており、あの悪夢が現実のものになると告げているようで彼女はずっと怖かった。

 

「魔女が貴方を狙っている以上、戦いが避けられないことは承知していますっ。ですが、それでも私は貴方には戦ってほしくないっ。もうこれ以上貴方に苦しんでほしくないっ‼︎それは、私だけじゃなく貴方を愛する人が、慕う人皆が思ってることですっ‼︎‼︎」

「……カナタ」

「でも、貴方はそんなこと構わずにどこまでも一人で進んでしまうっ‼︎自分のことなんて顧みずにっ‼︎目的の為ならば貴方は自分のことなんて二の次になってしまうっ‼︎いやっ‼︎‼︎そんなのは嫌ですっ‼︎

そんな身体になってまで、私は、貴方に戦ってほしくないっ‼︎今回はまだ人の形を保てています。でもっ、次《覚醒超過》を使って人の形すら取れなくなったら……っっ‼︎‼︎私の心配は、どうでもいいのですかっ‼︎」

 

タガが外れたように抱え込んでいた想いの丈や不安や恐怖を、悲痛な声音として吐露した彼女は、蓮の異形の右腕を躊躇なく掴むと縋るように言う。

 

「貴方に幸せに生きてほしいと願う私の想いは………どうでもいいというのですかっ……‼︎」

「…………」

「お願いですっ。一人で戦おうとしないで、私達を頼って…っ。復讐を選ばないでくださいっ。今ならまだ、なんとかなるはずなんですっ。きっと。……私達がどうにかしますっ。だから、貴方はもう……休んでくださいっ」

 

どうか思いとどまってほしいと縋るカナタを蓮は見つめ返すと、その表情に悲しみの色を浮かべ、

 

「…………すまない。それは、できない」

 

謝罪の言葉を口にし、直後に彼女の懇願を否定した。彼女の顔は一層悲痛に歪み唇が小刻みに震える。

 

「っっどう、してっ」

「………さっきも言ったが、魔女に対抗できるのは俺しかいない。復讐のことを無しにしても、奴を野放しにはできないんだ。

奴が俺を狙ってくれるのなら好都合。俺が奴と戦い勝てば復讐を果たすだけでなく、お前達を守ることに繋がる。

カナタ、これは俺にしかできないことだ。俺だけが、奴に勝てる可能性を持っている。だから、俺が戦うんだよ」

「…………………」

 

目を見開き絶句するカナタに蓮は少し気まずそうにすると、彼女の手に自分の手を重ねよう左手を伸ばして、それをやめて左手を引っ込めると、目を逸らし窓の外へと視線を向けながら言った。

 

 

「好きに恨んでくれて構わない。嫌いになってくれて構わない。だが、俺はどうあってもこの考えを曲げるつもりはない」

 

 

何をしても自分の意志は変わらないと無慈悲に告げた蓮に、カナタは大きく目を見開くと顔を俯かせながら小さく呟く。

 

「貴方のことを、嫌いになれるわけが、ないじゃないですか」

 

そう呟くきスッと立ち上がると蓮に背を向ける。そして、扉の付近で落としたままのタオルを拾い上げながらドアノブに手をかけると振り向かないまま、

 

「…………タオルを落としてしまったので、代わりのものを持ってきます」

 

そう言って病室を出た。

部屋を出た彼女は、しばらく廊下を歩いていたが徐に立ち止まると壁にもたれかかりずるずると崩れ落ちる。

 

「うっ、ぅくっ……ひぐっ………うぅっ……うぁあぁあ……」

 

膝をつくと背を丸めて、肩を震わせ、頭を抱えて嗚咽を漏らす

 

「なんでっ……あの人ばかりが……こんな目にっ………どうしてっ……」

 

どうして、彼ばかりが傷つかないといけない?

 

どうして、彼ばかりが苦しむ必要がある?

 

どうして、彼ばかりがあんな目にあわないといけない?

 

カナタは想い人ばかりが傷つく現状を恨んだ。そして、現状だけでなく己の無力さにも。

 

もう彼に戦ってほしくない。

 

もうこれ以上化け物になってほしくない。

 

そう願っていても、自分の声は、自分の想いは、彼の心を動かさなかった。

 

自分に見せてくれたあの優しい微笑みが消え、代わりに冷徹な殺意が宿った冷たい表情。

 

それらがどうしようもなく辛くて、悲しくて、苦しかった。

 

「ごめんなさいっ………ごめんなさいっ………」

 

愛する人が破滅へと進んでいるのに、それを止められない自分の無力さに、不甲斐なさに、彼女は己を責めた。

これまで何度も彼を引き戻せる機会はあったはずなのに、何もしてこなかった。いや、大和とサフィアの葬式の時に自分がもっと彼に寄り添っていれば、こんなことにはならなかった。

そう自分を責めずにはいられなかったのだ。

 

 

 

そして、彼女はぐちゃぐちゃになった感情の整理がつかないまま、しばらくその場で泣き続けた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「…………また、泣かせてしまったか」

 

カナタが去った後の病室、ベッドの上で蓮は扉の方へと視線を向けながら、呆れ混じりにそう呟く。また彼女を泣かせたことに対する罪悪感が彼の心に広がった。

 

「…………」

 

正直なところ、もう彼女の涙は見たく無かった。

彼女の涙を見るだけで、蓮の心は酷く痛んだから。それほどまでに蓮にとってカナタという存在は大きなものになっていたのだ。

 

だが、どうしようもなかった。魔女との戦いだけはどう手を尽くしても避けられないものなのだ。

そして、その戦いでは自分以外の誰もが彼女に太刀打ちできないことも分かっている。

元世界3位の黒乃や現世界3位の寧音が組んだとしても。ましてや、世界最強の剣士と謳われるエーデルワイスであってもだ。

 

自分以外では彼女には勝てない。だから、自分が戦う。それだけに過ぎない。

 

魔女と自分が戦うことは、大和とサフィアが死んだあの日に既に決まっていた事。

あの日、魔女に見逃された時からこうなることはもはや必然だったのだ。

 

 

「…………もう……止まれないんだよ」

 

 

蓮は、この世界が今や大きなうねりに呑まれていることを感じ取っていた。そして、誰にも止めることができないことも。

 

これから、世界は荒れる。

 

アリオス曰く、魔女の狂乱の宴(オルギア)は既に始まっているのだ。

 

自分がその宴の最大の目的として狙われている以上、隠れて逃げ延びることなどできない。

それに、復讐の対象が自分を狙っていると分かった以上、逃げる気など毛頭ない。

自身が辿る道の最果てが破滅であることは分かっている。だが、その破滅は蓮にとって悲願の成就でもある。だから、もう彼は止まることができない。止まらない。止まる気がない。

 

「………ふっ、ククッ、ははっ、あぁ気分がいいなぁ……やっとだよ。……やっと見つけた……」

 

堪えきれないように思わず笑みが溢れて、蓮の口が三日月の弧を描き凶悪に歪み喜悦が漏れる。

これまでずっと闇の中を彷徨っていた道にようやく光明が、出口が見えたのだ。

ならば、その光へと進む他ないだろう。

その光が、破滅を齎すものであっても、暗闇から抜け出すにはソコへ向かうしかない。

 

光明(破滅)逃してはなら(受け入れるしか)ないのだ。

 

「……………これはもう、邪魔になるな」

 

蓮は自身の首から下げられる形見のネックレスを見下ろすとそう悲しげに呟いた。

《覚醒超過》発動の際に魔力干渉で魔力分解して体内に擬似霊装として保管しておいたソレは、無事に元に戻ったらしい。

この桜のネックレスは家族の形見であると同時に自分が騎士としての誇りを、彼らの愛を忘れないために身につけていたものだ。

 

このネックレスには多くの思い出が詰まっている。愛情や喜び、蓮の心を元気付けてきたものだ。

 

 

だが、今となってはそれはもう———自身を引き止める足枷(未練)にしかならない。

 

 

 

 

 

だから———

 

 

 

 

 

「———全てが終わったらまた付けるよ。それまでは、外させてくれ」

 

そう言って蓮は桜のネックレスを首から外すと、そばの棚に置いた。

 

 

 

この日、蓮は…………己の原点(家族の形見)を自らの意思で手放した。

 

 

 





蓮以上にやべー能力と狂気持った敵の正体を漸く出すことができました。数百年生きてると言われてまさかと思う方もいるでしょうけど、そもそも《覚醒超過》事態が人間とは異なる存在に変質する現象な以上、肉体構造も変わると思うんです。肉体構造が変われば人間の寿命なんて適用されませんし、長寿でもおかしくないだろうなということで、数百年寿命の設定にさせていただきました。

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