ファンタスティック・アカデミー!【異世界×大学物】 作:丸いの
授業を無事に終わらせることの出来た僕は、ただ今新校舎をふらりと離れて噴水広場に向けて散歩中だ。夕飯の時間にはまだまだ余裕があるし、講義前に研究室を出たときに既に平塚先生に寄り道をする旨を伝えてあるので、多少戻るのが遅れても大丈夫だろう。
こうやって風景を眺めながら歩いていても、頭に浮かんでくるのはなんだかんだ言って先ほどの授業のことだ。講義の最中にそれとなく他の先生の授業がどのようなスタイルを取っているのかを聞いてみたが、現地語で書かれた教科書を事前にある程度予習させておくとか、ホワイトボードに板書する内容は図や数式などの言語に関わらない物のみとか、ボードの板書よりも喋る内容をノートに取らせたり等々。やはり先生方皆さんは言語の違いに難儀しているようだった。
彼らの様々な頑張りを聞いてみると、現地語を話すだけではなく書くことも出来るというのは本当に便利なのだと実感させられる。数式一つとってみても軽く脇に添えるような説明があると分かりやすいし、授業内容は別に数学などではなく化学なのだから板書の内容も数字だけではいかなくなる。長らく書いていなかった言語をボードに板書するのは意外と大変だったが、それすら不可能な状況に比べれば大分マシだろう。
そんなわけで広場の入り口が見えてきた。一週間くらい前に藤沢さん同伴で訪れたときは妙に豪華な見た目に若干の居辛さを感じたものだが、ここ数日広場の近くを朝の散歩ルートにしてからは流石に慣れてきた。
少々離れてはいるが、噴水広場の様子はここからでも見ることは出来る。よく目を凝らしてみれば、噴水のすぐ近くに置かれた長椅子の脇にここへ来た目的の人物が立っているのが見えた。夕日をきらりと反射する銀色の長髪に向けて急ぎ足で近づこうとしたが、その人物と対面する数名の人影がいることに気が付いた僕は慌てて歩みを止めた。
「おっとっと。お取込み中かな」
入り口付近の茂みにサッと身を隠し、頭だけを出して我が妹に視線を向け直した。友達と談笑している場面に乱入するのは気が引けるし、レシルが友達と会話する時にどのような雰囲気を出しているのかは下世話だとは思うが気になる。
「……うん?」
しかしどうにも様子がおかしいように見える。遠目に見てもなんだか無表情そうなレシル、そして彼女と相対しながら険しい顔を浮かべた背の高い二人組の男子生徒。どこをどう見ても親しげに談笑をしているような空気ではないように感じられるし、喧嘩にしては双方の間の温度差が不自然過ぎる。広場に居る他の生徒達も彼らを露骨に裂けているように見受けられるし非常にきな臭い。
「それで……結局それに何の得があるんだい?」
「お前、エルトニアの貴族としての自覚は無いのか!?」
疑問に思い視覚だけでなく聴覚にも注意してみると、ギリギリ彼らの会話内容が聴こえてきた。感情の見えない冷え切った声でレシルが二人組の片割れに質問をして、それに激昂した青年が怒声を上げながら一歩彼女に詰め寄った。
「ボクの質問に答えなよ。そもそも君たちの話はボクに欠片も得はない。君らの主もそんなインチキで勝ったところで偽りの名声しか入らないさ」
「偽りであろうと、名声が入ることには変わらない。それに、貴様にもあのお方に華を持たせたという賞賛が飛ぶ。貴族の端くれなら分かっているだろう」
「……ボクは演技ってものが大の苦手なんだよ。無駄話もここまでだ、ボクにも待ち合わせがあるんだからさっさと帰った帰った。全く、無能な自称右腕達を持ったあの人には同情するよ」
なんだかエライ場面に遭遇してしまったみたいだ。長らく見ない内に妹はむちゃくちゃ変貌しちゃったようです。非常に冷淡な様子から一変して口端で薄笑いを浮かべながら蔑むような話術を披露する肉親の姿を見て、果たして兄としてどんなリアクションを取ればいいのかさっぱりわからない。つい昨日見かけたレシルの姿と剥離し過ぎていて、陰から見ている僕の額に冷や汗が浮かぶ。
「貴様ァ!! 庶子上がりの分際で偉そうな口を叩くな!!」
とうとうレシルの不遜な態度に耐えきれなくなった青年が嘲笑を浮かべる彼女の襟元に手を伸ばした。目測で190センチに達している彼の姿は近場で見ればかなりの威圧感を感じるだろう。そんな人間に目の前で怒鳴られて胸倉を掴まれたら、情けないけど僕だったら有り金の半分くらいなら差し出してしまう。
しかしいくらなんでもこの展開はさすがに見逃すことは出来ない。可愛い妹が暴力沙汰の被害者になるなんて到底看過するわけにはいかない。代わりに謝るでも良いし、後に菓子でも送るでも良い。なんとかして場を収めようと茂みを飛び出しかけた僕の目には、更にとんでもない光景が飛び込んできた。
「女に手を挙げるなよ、見苦しい」
「がはッ!?」
早業過ぎてよく見えなかったが、突き出された腕を避けたレシルは、足を払うとともに青年の鳩尾を容赦なく殴りつけたようだった。巨体を石張りの地面に仰向けで張り倒されたかと思えば、すぐに丸くなって腹を押さえながら呻き声を漏らす大柄の青年。殴られた瞬間一瞬だけ宙に浮いていたり苦しそうに何度も咳き込んでいる辺り、相当強く鳩尾を打たれたのだろう。
「おい、大丈夫か!?」
「う……ゴホッ」
慌ててもう一人の青年が倒れ伏した相方に駆け寄るが、苦悶の表情を浮かべまともな返事も返せないほどの苦痛のようだ。見ているだけでこっちまで鳩尾あたりが痛くなってくる。一方のレシルといえば、罪悪感の欠片も感じない涼しい顔をしながら当然の報いと言わんばかりにうずくまる青年の姿を見下ろしていた。
「まさかここまで伸びちゃうなんてね。悪いけど彼を背負っていってくれるかい?」
「テメェ……こっちが大人しくしていれば調子に乗りやがって!!」
レシルを睨みつけながら拳を握りしめる青年。その腕からは見間違いでなければ赤白い火花が弾けており、彼が大きく地面を踏みつけると火花同士が繋がりあって空中に一本の稲妻を走らせた。しかし青年の怒りを正面から受けてもレシルは全く動じることは無かった。
「アリーナ外での魔術行使は感心しないね。でも君がその気なら、ボクも全力で身を守らなきゃいけない」
「うっ……」
軽く腕を振ったと思えば、いつの間にかレシルの手には透き通るような輝きの小剣が握られていた。夕日を散乱させながら白い靄を立ち上がらせる剣の切っ先は、腕を突き出した体勢のまま固まった青年へと向けられている。その顔には苦虫を噛み潰したような表情を浮かべており、腕に走る火花がどんどん弱々しいものへと変わっていく。
「良い判断だ。ボクは不意の乱闘で怪我をしたくないし、ましてや同級生の腕を切り落としたくなんてないよ」
「……チッ。冷徹極まる氷銀の魔女め。お前に頼み込まなくとも、あのお方なら実力でお前を凌駕するだろう」
どうやら青年は戦意を無くしてくれたようで、最後に捨て台詞一つを残すと倒れたままの相方に駆け寄った。妹に対する態度は険悪の一言に過ぎるが、未だ顔を真っ青にしたまま自由に動けない相方に肩を貸すあたり根っからの悪い奴ではないような気がする。
一方のレシルといえば、遠ざかっていく二人を見送るでもなくぼんやりとした無表情で夕日を眺めていた。手に握りしめている小剣は大量の滴り落ちる冷水となって形を失っていき、彼女の白い手先を濡らしながら石畳の地面へと消えていく。遠巻きに今までのやり取りを眺めていた他の生徒達も、わき目でレシルを伺うものの誰一人話しかけに行く者は居ない。それどころか一人、また一人とバツが悪そうな顔で広場の外へと向かいだす始末だ。
誰一人近付かない、まるで氷の中に閉じ込められたよう。そこで表情の無い顔で立ちすくみ続けるレシル。思い返すのは、幼少期に誰にも懐こうとしなかった頃の妹の姿だった。彼女が掴んでいたのはいつだって僕の手のひらや服の裾だった。魔法の制御から外した氷剣をわざわざ溶け出すまで持っていなくても良いのに、彼女は何かを堪えるようにして握りしめていた。彼女の氷水で濡れた手を握りしめる人間は誰もおらず、ほんのりと赤く色付いた白い握り拳は滴り落ちる水以外に触れている物はない。それが酷く寂しげで、そして酷く心が痛んだ。
「……レシルー!! 遅れてゴメンね!!」
見ている内に、何故だかわからないが猛烈に彼女の傍に居てやりたいという気持ちが胸の中に沸き起こった。茂みの中からそっと這い出て深呼吸をすると、大声で彼女の名前を叫んで自分なりに精いっぱいの速さで彼女に向かって駆け出した。
「……あ。に、兄さん」
「すまないねえ、ちょっくら授業が長引いちゃってさ」
一瞬近付いてきた僕に抱きつこうとしたのだろうが、すぐに体を強張らせるとレシルは不自然に腕を引っ込めた。濡れてしまった手を乱暴に制服の裾で拭こうとしているみたいだが、霜焼けのように赤くなってしまった肌が見ていて痛々しい。
「あらら、噴水にでも手を突っ込んだのかな? この時期はまだ水が冷たいんだし、せっかくのすべすべな手が荒れちゃうよ」
僕に見えないように拭こうとする手を掴んで引き寄せると、レシルは大層驚いた様な表情を浮かべた。ジーパンのポケットに丸めて突っ込んであった手拭きタオルで冷たくなってしまった手をなるたけ優しく拭い、粗方水気が取れたというところで手をしっかりと握りしめた。想像していた通り赤みが差した彼女の手は冷たくなっており、指同士も絡めてなるたけ早く温めることが出来るように組み直す。噴水に突っ込んだ程度でここまで手が冷えることはないだろうから不自然な言い訳だったろうけど、濡れっぱなしの手を見なかったことにすることは出来なかった。
「もしかして、兄さん見ていたの?」
「な、何をかなあ。今着いたばっかりで見てたなんて一体何のことやら」
「……目が泳いでる。分かりやすすぎだよ」
手をきつく握り返してきたレシルは、バツの悪そうな顔で小さく笑った。
「あ、あはは……なんだか嫌なところを見せちゃった。ごめんね、ただ待ち合わせただけなのに……」
無理に笑おうとしているのだろうが、どうにも表情が歪んでしまう。先ほどまで無表情で佇んでいた少女の姿とは似ても似つかない、まるで泣きそうな強張った笑いを精一杯肉親に浮かべようとするレシル。目蓋が歪んで肩が震えだし、手を握りしめる力がちょっとだけ強くなる。
一体何を言えばいいのか分からない。今までレシルのことを快活で甘えん坊な年齢よりもちょっとだけ幼い雰囲気の少女と思っていた僕のことだ、例え口を下手に開いたところで見当違いの慰めしか出てこないだろう。結局のところ、今の僕に出来ることといえば、震える彼女の体をゆっくりと抱きしめてやるだけだった。
「う、うぅぅ……」
「……ごめん」
とうとう涙を流し始めてしまったレシルの頭を胸元に抱え込む。おそらく彼女が冷徹さと幼さを兼ね揃えた性格となってしまった原因は、5年以上も放置してしまった僕にあるのだろう。自然に口から出てきたごめんという言葉にどこまでの意味があるのかは、言った本人である僕にも分からない。しかし肩を震わせて目元を擦り付けてくるレシルを見ていると、言わずにはいられなかった。
「……落ち着くまでは、このままでいようか」
今後の予定についての話し合いなんて日が落ちてから初めても十分だ。押し付けられた銀色の頭が小さく頷くのを確認し、出来るだけ優しく銀色の長い髪の毛を撫でた。
銀髪と銀髪、碧眼と碧眼。十七年という大人に差し掛かる年数が過ぎたにもかかわらず、僕とレシルは男女の壁を乗り越えてよく似た容姿へと育った。しかし六年前の離別によって、僕たちは全く違う人生を歩むことになった。僕は現代日本の波に揉まれながら研究者の一端へと成長し、レシルは貴族社会の中で己の才能を更に磨いている。今や僕たちの人生は完全に違う方角を向き、後戻りなんて今更出来やしない。異世界大学計画によるエルトニア派遣が互いに分かりあえる最後の機会かもしれないのだ。
僕が一方的に妹へ抱いていたわだかまりは去年の秋に再会した時に解消することは出来た。しかし僕とレシルの間には、たった一度の再開なんかじゃ埋まらない何かがまだ横たわっている。それが一体何なのかを直接聞き出すことは難しいだろうし、レシルから話してくれるまでは踏み込むべきではないかもしれない。それでも近いうちに僕たちのわだかまりを解決するための糸口をつかもうと、僕は固く決心した。