ファンタスティック・アカデミー!【異世界×大学物】 作:丸いの
「先日はすまなかった。私の友人がお前に無礼を働いたと聞いている」
「いえ……」
「お前が手を上げたことは目を瞑る。その代り今回の件は水に流してくれると助かる。それはそうと……」
背後からゆったりとした様子で歩み寄る青年は、遠慮なんて欠片も見せることなく僕たちをじろりと観察していた。賑やかな話声で満ちていたはずのテラスは、一転して妙に静かな空間へと移り変わっている。客の目線がチラチラと向けられているのを全く気にも留めず、僕たちが座るテーブルの隣から椅子を勝手に拝借した彼は深々と腰かけた。
「お前が渡来人の集団と親しく話すところを見たという噂は耳にしていたが、どうやらそれは嘘ではないようだ」
「……殿下、このような小さな食事処にどのような御用ですか」
「ほう、ご挨拶だな。王族が城下町を歩いて何が悪い。それに私はまだ学生の身だ。このような場所ぐらい訪れることはある」
平塚先生ほどはある高い身長、そしてひょろながの先生よりも幾分かがっしりとした体格。レシルと同じく休日にもかかわらず騎士学園の制服に身を包んだこの気位が高そうな青年は、鮮やかな赤紫色のレイヤーヘアを気だるげに掻き毟った。
その特徴的過ぎる色の髪だったり、目立つ黄金の瞳であったり、レシルが先ほどから口にしている殿下という言葉だったり。これらの情報から想像できるのは、信じられないような話だが僕らの目の前に立つ青年が王族の一人であるということである。長い足を組んで切れ長の瞳をこちらに向ける彼からは、確かにただ者ではないオーラのようなものを感じる。
「この連中とお前がどういった関係なのかは知らんが……ふむ、渡来人にしては妙な風貌だな」
彼の金色の瞳がレシルから僕へと移された。彫りが深めとはいえ元より黒髪の日本人である平塚先生、そして顔のつくりが完全に日本人のソレではないがかつらのおかげで黒髪となっている藤沢さん。この二人と比べたら、銀髪碧眼を晒したまんまの僕は非常に悪目立ちをしているに違いない。それに加えて、間が悪いことに青年の位置からは異常に風貌の似ているレシルと僕の二人が相対して腰かけているように見えているのだ。僕たちはただの通りすがりの日本人で、そこらへんで意気投合をしたんですよ、などとは到底言える状況ではない。
「ええと、彼は……」
「ライル殿下、お初にお目に掛かります。私、国立東都工科大学のラスティレイと申します」
椅子から腰を離し、その場で右足を軽く折り曲げて深々と頭を下げる。後に自己紹介をする先生と名前が被るのを避けるために、あえてラスティレイの名前を出す。要らぬ配慮かもしれないが、転ばぬ先の杖というのはいつのどういう場面でもやっておくにこしたことはない。
貴族社会における目上の人間に対する挨拶だなんてここ数年身経験したことがないものではあるが、頭をフル回転させて適切な行動の仕方をなんとか思い出すことが出来た。二度と使わないと思っていた知識がこうやって役立つ時が来るなんて、人生分からないものである。
「渡来人のお前に敬われる覚えはない……と言いたいところだが、どうやらそう簡単な話ではないようだ」
含み笑いを口元に浮かべながら、青年はレシルと僕を見比べるようにゆっくりと首を動かした。
僕とレシルの見た目は、それこそ髪の長さや服装以外ほとんど変わらない。そんなに姿が似ている人間が並べば、そりゃあ何らかの疑心を持たれてもおかしな話ではない。もはや僕がただの日本人です等と誤魔化すことは叶わないだろうけど、果たしてどうこの場面を乗り切ろうか。僕とレシルの関係をぽろっと言ってしまうと、僕はともかく彼女の方に問題が出てしまわないだろうか。
どうしようかとレシルの方に視線を向けてみれば、意を決したように息を力強く吐き出した彼女の姿があった。
「彼は、ボクの実の兄です」
「見た目が似すぎているからまさかとは思ったが、やはりな。そうなれば、お前の名前はさしずめラスティレイ・フォルガントといったところか」
「……まったくもって殿下の仰る通り、僕は彼女の兄です。今は独立していますが、幼少から十数年間彼女と共にフォルガント家のお世話になっておりました」
どうやって彼女との関係を誤魔化してやろうかと思っていたが、当のレシルがあっさりと話してしまったために肩すかしをくらってしまった。なんとか言葉を選んで波が立たないようにした自己紹介も、もしかしたらそこまで気を使う程の状況では無いのかもしれない。
「なるほど。エルトニアの生まれでありつつ、妹とは違い渡来人として生活をしているのか」
「そういうことになります」
「そうか、実によく分かった――」
目を閉じて意味ありげに何度も頷く青年の顔は、真意の読み取れない薄笑いが浮かんでいる。なまじ顔のつくりがアイドルも素足で逃げ出す勢いの美形さんのために、薄笑いという表情からは非常に不気味な物を感じる。
「――つまりはお前、エルトニアとの繋がりを一度は捨てたということだな?」
何度も見せつけるように頷きを繰り返していた彼は、急に底冷えするような声でそう問いかけてきた。何が彼の琴線に触れたのかは不明瞭であるが、災難なことにおそらく何らかの地雷を踏んでしまったのだろう。鋭く向けられる黄金色の瞳は、目を逸らしたくても動かせないような威圧感を持っている。
さて、彼は一体僕に何を言わせようとしているのだろうか。青年と交わした会話は、それこそ自己紹介に過ぎない短いものだ。おそらくこの短い会話の中に、触れてしまった逆鱗が混じっているのだろう。
「……言葉を選ばせて頂くならば、僕は確かにエルトニアから離れて異国の地へと渡りました」
「そしてカガクとやらに染まったのか。この国の貴族という立場を踏みにじって」
青年は明確に不満を表へと出している。端整な顔立ちに小さく皺を寄せ、口調もぞんざいなものへと変化をしていた。
「先に言っておこう。私は渡来人が信用ならない。姉上はいたくお前たちをかっているようだが、私は認めない」
「下っ端に過ぎない僕も、我々が万人に受け入れられるわけが無いということは重々承知しています」
下手に反論をしては火に油を注ぐ結果に成りかねない。この場を収めるためには無難に相手へ同調するのが最善だろう。
「承知の上でその場に立っているのか。一度祖国を捨てたというのになんという厚顔さだ」
「そのような言われも身に染みております。まことに申し訳ございませんでした」
「……ハッ、立場どころか誇りまで捨てたのか」
しかしそんな思慮も全く功を奏さなかったのか、怒りで歪めた顔で僕を睨めみつけた青年は、とうとう吐き捨てるような口調になってしまった。激昂の理由が何も掴めない現状では、このまま成すがままにされて彼の気が晴れるのを待つしかないだろう。
「そしてどうせこのまま私の怒りが勝手に過ぎ去るのを待とうという魂胆なのだろう」
「それは……」
「図星か。ガワはエルトニア人だが、中身はすっかり魂を売り渡したのだな」
嘲るように響く僕への罵倒は、まったく止まる様子が見えない。しかしここは耐えて忍ばなければいけない。下手なことを口に出せば、窮地に追い込まれるのは僕なのだから。
「何がカガクだ。お前の妹は独力で学園の頂点が見えるレベルにまで魔術の才能を高めたというのに、その兄がこの様か」
「僕たちは、目指す物が違うだけです。彼女は剣術と魔法を極めて、僕は科学を追及する。ただそれだけのことです」
見下すような視線と共に放たれる言葉に、視界の端でレシルの表情が強張るのが見えた。せっかく半年前の再開で解せた兄妹間の捻じれの原因を平然と口にする青年に、僕だけではなく彼女も思うところがあったのだろう。机に置かれた彼女の手が強く握りしめられており、放っておいたら彼に向って反論か何かを言ってしまうかもしれない。
「そのカガクとやらに逃げただけじゃないのか。妹に敵わないと知ってしまったから。違うか?」
「……いい加減にっ」
「レシルっ!! ……確かにきっかけはそうだったかもしれません。しかし結果的には、僕は晴れて異世界の地で教鞭を執るにまで至れました。あの時の選択が間違っていたなんて、今の状況を省みれば考えられません」
案の定耐え切れずに机を叩きながら立ち上がりかけたレシルを、寸でのところで抑えられた。数度会話を交わしてみたが、彼が僕を挑発していることは明確だ。それに乗ってしまえばもはや相手の思うつぼなのだから、最善の選択肢は深呼吸をして心を静めて淡々と事実を述べることに違いない。
これは根競べだ、お前の挑発になんか乗るものか。口元に薄笑いを浮かべながらなんとかして僕の怒りを煽ろうという青年を前にして、僕は絶対に怒りという感情を表に出さないようにして平素を装い彼の金瞳を見据える。互いに視線を交わすだけで口を開かない青年と僕、まだ何かを言いたそうにしていながらも拳を握りしめて我慢をするレシル、目つきこそ青年に負けず劣らずの鋭さだが表情は安定している藤沢さん、ずっと両手を組み合わせて表情一つ変えずにやり取りを見守る先生。周囲の客までもが囁き声を押し殺してしまったため、真昼のテラスには通りから響く雑踏以外の音が消えてなくなってしまっていた。
「……興をそがれた。机が空く素振りは全く見えないし、何しろ居心地も最悪だ。お前たち、邪魔をして悪かったな」
「こちらこそ、殿下の気分を害するような対応をしてしまい、申し訳ございませんでした」
結局先に折れたのは青年の方であった。蔑むような表情はいつの間にか霧散して、気だるげな様子でゆっくりと椅子を立ちあがった。それにつれて僕も一緒に腰を浮かせて幾分か僕よりも背の高い彼に視線を合わせ続ける。
「フォルガント。次の闘技大会、下手な遠慮はするな」
「言われなくても、たとえ殿下が相手でも全力で叩き潰しに行きますよ」
身内の僕ですらゾッと感じる底冷えした声で、レシルは青年の宣戦布告に堂々と応じた。彼らの関係が果たしてライバルなのか知り合いなのかは類推できるところではないが、青年が特に気にした様子もないことから日常的に険悪な関係ではないのだろう。
よく分からない内に嵐が去ってくれるとホッとしていると、既に背中を向けてテラスの出口へと歩き始めていた青年に対して、あろうことか隣でずっと押し黙っていた先生が動きを見せていた。
「ライル殿下。最後に一つお聞かせください。どうしてそこまで科学を、ひいては渡来人を嫌うんですか」
「お前は……」
「申し遅れてすいません。国立東都工科大学准教授、平塚という者です」
さっきの僕の対応を見様見真似で実行しているのだろうか、先生はぎこちない様子で王族への挨拶を実行していた。藤沢さんとレシル共々思わず目を見開き、僕も慌てて止めようと手を伸ばす。しかしそれよりも先に、先生は自己紹介を始めてしまっていた。
「……いちいち言わなければ理由も分からないのか。ようやく安定した世の中にいきなり入ってきた異物を危険に思う。それはそこまで不自然なことではないだろう」
「そうですか……ふむ、貴重な意見をありがとうございます。わざわざ呼び止めてしまい、すいませんでした」
「別に気にしてはいない……では、またな」
含ませ気味に顎に手を当てる平塚先生を後に残し、青年は再度大股で歩き始めた。ちょうどオーダーしていたセットを運びに来ていたウェイターの隣を颯爽と歩きぬける姿を見るに、おそらく敗走でも何でもなく、言葉の通りに興がそがれただけなのだろう。本当に彼の挑発に乗って場を泥沼化させずに済んで良かった。
何事も起こらなかったことにホッと一息を吐いた僕の隣では、最後に尺玉花火を炸裂しかけた平塚先生が人の気苦労も知らずにコーヒーカップを片手に思案顔を浮かべていた。思わず机の下で先生の向う脛を蹴りあげてしまっても、おそらく罰は当たらないだろう。
* * *
「一時はどうなるかと思ったけど、今日はしっかり楽しめたわね」
「はい!! すっごく楽しかったです!!」
藤沢さんとレシルが、夕日が伸びる噴水広場の前を並んで歩いている。銀髪と黒髪、片方はかつらとはいえ、色の対比が夕暮れの中で妙にくっきりと映える。おい藤沢さんよ今すぐその場を僕と代わるのだという邪念を後方から飛ばしつつも、並んで楽しげに会話をする二人組を見ていると彼女達を引き合わせることが出来て本当に良かったと思えてくる。
確かに今日は色々大変なことがあった。笑えるところでは、お土産屋に三人そろって全力で喧嘩を売りつけたり、服飾屋でゴスロリファッションに身を包む羽目になったり、スイーツ食べ放題というメニューを見つけたレシルが文字通り食べ放題し始めたり。そしてライル殿下という青年との遭遇が、今日の最大の壁だった。
「このレシルちゃんのかわいい格好の写真、今度印刷して持ってくるわ」
「う……恥ずかしいですけど、ふふ、兄さんもすごい似合ってる」
彼女達の非常に不穏な会話はこの際目を瞑ろう。
王族の一人という大物を前にして、更にはつい最近まではかなりナイーブだった場所を幾度も刺激をされて、よくもまあ僕とレシル共々爆発をしないで乗り切れたものだと思う。科学技術推進の壁になる層の中でももっともやり玉にあがりそうな人間に遭遇するだなんて、運が悪いにもほどがある。しかし逆に言えば、今遭遇をしておいたことで彼の人間性の一端に触れることが出来たのは大きな収穫かもしれない。
「レイにもあげる。せっかくのレシルちゃんとのツーショットだもの」
「片割れの服装をピクショでジーパンカッターシャツに加工してから渡しなさい」
結論としては、彼が何故科学というものを毛嫌いするのかはっきりとは掴めなかった。妙に思案気な表情を浮かべていた先生も、後に聞いてみればよく分からないの一点張りで、真相は今のところ闇の中だ。
ただし、彼が科学技術だけではなく、僕たち日本人に対してもよくないイメージを抱いているということは分かった。それが坊主憎ければ袈裟まで憎いといった単純な物なのか、それともそうではないのかははっきりとはしないが、妙に僕に対して挑発的な態度を取ってきたことからおそらく間違いないだろう。
「さてと、ここいらで今日は解散かな」
夕暮れの広場はいつも通り閑散としている。騎士学園の中心部へ続く通りと、東都工科大学の新校舎がある外れへと至る小道。その分岐点に立った僕たちは、改めて互いの姿へ向き直った。
満足げな笑みを浮かべつつも少しだけ表情に影を差しているレシルは、まだ遊び足りないといった感情があるのだろう。つい先日にこの場所のこの時間で冷水に手を濡らして立ちすくんでいた時と比べれば、なんとも年頃の女の子っぽくなったことだ。
「兄さん。今日はわざわざ時間を作ってくれてありがとう」
「僕もレシルとたくさん話したり遊べたりで楽しかったよ。ちょっとだけ昔を思い出すことも出来たしね」
「……正直、まだ遊び足りないや」
いたずらっ気な笑顔を浮かべたレシルに対して、僕は当然のように笑顔と共に言葉を返す。
「なるたけ週末には会って話そうか。来週も、一緒に街とかを歩こうよ」
「……うん!!」
「私も無理のない範囲で着いていくわよ。蚊帳の外に成りかけているけど念のために言っておくわ」
しっかりと視線を交わす僕たちの隣で、やり取りを見守っていた藤沢さんがため息を吐いていた。
今日のイベントに関しては、彼女には感謝をしてもしきれない。自身に対しても若干ながら内向きだったレシルに対して、彼女は積極的に話しかけてくれた。今日の趣旨がレシルに人と積極的にコミュニケーションを取ってもらおうというものだったから、肉親である僕以外ともたくさん話せたというのは満足いく結果である。
「それじゃ、また来週」
「じゃあねっ!!」
大きく手を振ったレシルは、何度も此方を振り返りながら広場の出口へと駆けていく。すぐに解散せずにそこらのベンチで少し話をしていても良かったのかもしれないが、ちょっとばかり未練があった方が来週また会ったときの喜びもひとしおだろう。
「……さてと。それでどうなんだい?」
「どうって……ああ、そのことね」
完全にレシルの姿が見えなくなったのを見届けてから、僕たちも回れ右をして帰路へと足を進める。その最中に藤沢さんへ何の気なしに一見中身のなさそうな質問を投げかけてみれば、彼女は最初こそは怪訝そうな顔をしていたものの、すぐにため息を吐きながら表情を渋いものへと変えた。
「ライル殿下。本名ライル・フランシス・エルトニア。腹違いだけど、弟には違いはないわ」
「へえ。王室の一人だとは分かってはいたけど、やはり直系の皇太子さまだったか」
彼女から聞かされた名は、紛れもない王家直系の人間が持つべき名前だった。よくよく思い出してみれば、藤沢さんは腹違いとは言うけれども隣を歩く彼女と先ほどの青年の容姿は、特徴的な赤紫の髪色以外にもそこそこ共通点が多いように感じる。
金色に煌めく意志の強そうな瞳やら、シミひとつない綺麗な頬、すらっとした高めの背丈、そういえば青年も男の割にはまつ毛がキュインとアクセントになっていたっけか。青年の姿を思い浮かべながら藤沢さんの姿をしげしげと眺めていると、微妙に頬を赤らめた彼女にジト目で睨まれた。
「き、急に見つめるんじゃないわよ……」
「あー、よく見れば例の青年と君が結構似ているなって思ったんだ。嫌な気分になったのならゴメンね」
「別にそういうわけじゃ……」
「あ、デレた」
軽くからかってみれば、瞬時に彼女の手による制裁が僕の頭へと下された。ポコンという良い音が響き思わず頭を押さえる。
「デレてない。ふふっ、こんなやり取りも久しぶりね。確かにレイの言う通り、昔から彼とは母が違うのによく似ていると言われたものよ」
「君の反撃も相変わらず鋭いよ。ふうむ、見た目が似ているってのは僕の気のせいじゃないのね」
なだらかな下り坂の先に、寮と新校舎の頭が見えてきた。背後から照らす夕日も大分弱々しくなってきている。あと少しで合同食事会が始まるような時間だ。
「彼とは母違いだったけれどよく一緒に遊んだ仲だったわ。その時は特に高飛車な感じもなく、むしろ大人しい雰囲気の子供だったけどね」
「一度会っただけだから何とも言えないけど、まるで今の彼とは真逆だね」
一人称こそ私と落ち着いてはいるが、纏う雰囲気の強さは大人しいという言葉とはかけ離れているように感じたし、僕へ向けた言葉の連撃からは微塵も大人しさを感じなかった。首を傾げていると、藤沢さんは「歳を取ると人は変わるのね」としみじみ呟いた。二度も思春期を繰り返していながら、性格の根幹が幼少の頃から微塵も変わらない僕は一体何だというのだ。
「そんなに簡単に人の性格がコロコロと変わるなんてねえ」
「でも事実彼は変わってしまっていた。それにプラスして日本人への嫌悪感も、あら?」
話の端を折るようにして、彼女はオーバーコートのポケットをごそごそと探ったかと思えば、振動音を響かせるスマートフォンを取り出した。一応学園区内であれば電波は生きているらしく、エルトニアのど真ん中にいてもメールの着信があるというのは別段変な話ではない。
「僕にも着ているみたいだ。全体メールかな」
そして僕のポケットからも、スマホ由来の振動が響き始めた。同時に別々の場所からメールが届いたというよりも、研究グループ内での全体メールが送信されたと考えた方が自然だろう。特に不思議に思うこともなく、後で内容を確認してみようかなとポケットにしまおうとしていたら、隣でスマホをいじる藤沢さんの表情が驚愕で塗りつぶされていた。
「えっ……うそ」
「どうしたのさ。なんかヤバい内容でも書いてあった?」
「レイにも送信されている全体メールだけど、ちょっと見てみて」
彼女が差し出してきたスマホの画面を覗き込んでみると、確かに送信元は新校舎の運営部となっており、全体メールであることは間違いがなさそうだ。しかしタイトルの頭に"緊急"という文字が入っているのがどことなく不安を予想させる。そしてその不安はすぐ下に続いていた本文を流し読みしてみたところ、どうやら間違った物ではなかったようだ。
「……これは、すぐに戻った方が良さそうだね」
「ええ、まったく同感だわ」
すぐに歩調を速めて校舎への道を歩き出す僕の後ろを、携帯をポケットに放り込んだ藤沢さんがやや焦った様子で追いかける。
"今日から三日後の午前中、講義室及び各研究グループにエルトニアの視察団が訪れることが決定しました"だなんて助教の僕でさえ初耳なのだから、修士学生の身である藤沢さんが知る由もない。そして視察団のメンバーの中に王室の人間が混じっていると書かれているのだから、焦るなという方が無理難題も良いところである。誰が来るかなんて具体的なことは何も書かれてはいない。だが急ぎ足で新校舎へと向かう傍ら、どうにも脳裏にあの背の高い赤紫髪の青年の顔が浮かんでしようがなかった。