ファンタスティック・アカデミー!【異世界×大学物】 作:丸いの
その1
「えー、皆さんもう課題は行き渡りましたね? まだ貰ってないよという人は手を上げて下さい」
授業ももうほとんど終わり、後は今日行なった内容に関する課題を配るのみとなった。目の前に座るのは総勢二十人に届かないような小規模の集団だ。プリントの配布数を間違えるだなんてへまは起こりにくいし、仮に配布ミスがあったとして彼らが手を挙げる前にはそれを察知することは十分可能だろう。こういった公的な講義を持つのが初の経験とはいえ、伊達に一か月以上この講義を続けちゃあいないのである。
当然誰も手を上げるようなことはなく、無事に本日の授業でやらなきゃいけないことの全てが片付いた。学生の皆さんは今日の講義の発展と次回の内容の初歩問題からなる課題を行い、次回の授業に繋げていくという流れである。ありきたりなスタイルと言ってしまえばそうだが、世の中に王道というものが流行る理由はそれ自身がなんだかんだで優れているからなのだ。ただ今回に関しては次週に解説を、という流れではなくなるのだ。
「授業の頭にも話しましたが、次で僕のパートが終了するので、来週は今までの分野から簡単なテストを行います。なので復習をしてきてください」
荷物をまとめつつそんなことを話してみると、案の定テストと聞いて多くの学生がげんなりとした表情となった。同じ研究グループに所属する助教の先生と講義の前後半を分担しており、それぞれでテストを行って授業評価を決定するという仕組みになっている。いくら人が少ないからとはいえ、助教一年目の春先からアシスタントではなく一般の講師として登用をするのは如何なものかと思わないことはないけれども、研究活動が深まってくる夏ごろに手が空くのは助かる。
「皆さん頑張ってね。それじゃあお疲れさまでした」
腕時計を眺めつつまだ予定の時刻が遠いことに小さく安堵をする。ちょっとやそっと授業が長引いた程度では全く問題がないような余裕はあるが、何分控えている予定が逃してしまうとかなり大きな問題になりかねない物であるから中々に気を抜くことができない。
「ヒラツカ先生、今日の授業の内容で少し聞きたいところがあるんですが……」
「えーと……うん、何かな?」
緑髪の女学生、普段から前の方に座っていてこの学生たちの中でも特に授業へ積極的に参加をしてくれていた彼女が、帰る準備がほぼ万端となった僕を寸でのところで呼び止めた。一瞬だけ、予定がありますの一言で諦めて貰おうという考えが頭を過ぎったが、今日がテストの前の授業ということもあってこのまま放置して帰ることに大きな引け目を感じてしまった。
ただ、なるべく分かりやすく彼女の質問を答えながらも自身の脳裏には今後の予定の内容が勝手に浮かび上がってくるのだ。出張、それも国内の研究施設や海外の学会といった割とあり得そうな用では無く、地方の大貴族に頭を下げに行くという後にも先にも到底体験する機会がなさそうなもの。勿論こんな要件で出張を行ったことなんて無いし、出張申請を受ける側だって初めての可能性が大いにある。そんなことだから本来ならばもう少し前には終わっていそうな出張準備も、前日になってまで申請が掛かっている事態に陥っているのだ。
「つまりこの近似を行なえばいいんですね。それでこっちの問題ですけど……」
人にものを教えること自身は嫌いじゃないし、そもそも嫌いだったらこんな職になんかならない。でも今はなるべく早く切り上げたい気持ちが沸き起こり、視線が女学生と腕時計を行ったり来たりをしていた。
* * *
「フォルガント家に、ですか……」
思いついたらまず行動とほぼ勢いだけで川崎さんに電話を掛けたのが、二週間ほど前のレシルの試合が行われた日の夕方である。電話回線を通して異世界の大地からゲートの向こうにある東京都心に声を届けられるのは中々に言葉にしてみると凄い事だと思う。そんな世界の壁を越えた通話に少々の感動を覚えていた僕の耳に入ってきたのは、案の定というべきか、やや怪訝そうな川崎さんの声だった。
まあ当然だ。そもそも僕のような一介の職員が、大学を運営する役人に電話をするなんて早々ある話ではない。それに話の内容を取ってみても、いきなり地方の大貴族にお目通しを願いたいなんて言い出すなんて客観的に見れば突拍子が無さすぎる。例えば僕自身がエルトニアにおける大学計画を積極的に推し進める役人的な立場ならそこまで不思議ではなくとも、ただの助教に過ぎぬ身なのだかわざわざ動くような立場でもない。
「やはり難しいですかね。まあもし可能となりましたらいつでも連絡を……」
「いえ、そんな実行するのが難しいなんてことではありません。むしろこちらにしてみればわたりに船な話で少し驚いています」
しかし受話器の向こうから返ってきたのは、僕の予想とは反して、逆にこちらの案をサポートしていくかのような内容だった。
「実はですね、つい先ほどの会議で六大家についての話が持ち上がりまして」
川崎さんの話をざっくりとまとめるならば、ライル殿下を中心として持ち上がりかけている大学反対派に対抗するために、更なる地盤作りを行なおうという計画が委員会の中で立ち上がったそうだ。
ライル殿下が大学計画に否定的な意見を表明したことで、僕や平塚先生のような現場で働いている人間には波紋が広がっている。ただでさえ異界の地での研究活動なんていう常識的に考えたら異常極まりない状況に加えて、現地の有力者からも良い顔をされないなんていろいろ終わっているなと、何人もの現場の人間が思っているに違いない。そしてそのような問題意識は、当然運営委員会にも共有されていたようだ。
「彼がまとめ上げる勢力は絶対に無視できない。ならば我々も対抗して勢力を広げようという考えです」
「それで、その目標が六大家ですか。でも今になってですか?」
向こうがその気なら、こっちもやってやろうということである。たしかに国の各地方を任された六大家のどれか一つでも巻き込むことが出来れば、基盤づくりとしては申し分が無いだろう。むしろ今まで彼らほどの有力者と関わりを持たずにいたことが不思議でならない程だ。
「これを言っていいものか……ここからの話はなるべく内密にお願いします」
そこからの川崎さんの話は、今になってようやく実害を及ぼし始めたこの大学計画の少々歪な部分についてだった。
エルトニアと日本は関わり合いをもってからまだ五年という短い付き合いにある。空と海の航路が縦横無尽に地球を取り囲んだこの現代社会で、一定水準以上の新規文明国と交流を持つなんて、普通に考えたらあり得るような話じゃあない。だからきちんとした国交を樹立するのには相応の時間が必要とされるであるうことは想像に容易い。しかしこの二国は関わり合いを持ってから僅か二年で両者共同の教育機関を設立する計画が持ち上がるにまで至っている。
「王都の発達した学園区が象徴的です。教育に力を入れるエルトニアの政府は、すぐにこちらの科学技術に目を着けました」
日本の外務省と対話に臨んだのは、当然エルトニアの王家である。貿易や文化交流といった基本的な事柄と並行、もしくは優先する勢いで教育機関の導入が推し進められ、結果として国家間が互いを認識してから僅か五年の間に本学開校にまでこぎ着けた。
ただしこんな促成栽培染みた教育交流には当然弊害も存在した。些細なものでは、本学がどのようなことを教えているのかについて現地住民の認識が未だ足りていないというものや、本学校舎の位置が現地の一学園を間借りしている等。そして深刻なものでは、現在直面しているように、エルトニアにおける本学の後ろ盾が王家の一部しか存在しないということだ。
「トントン拍子に話が進み過ぎたんです。そのツケが、彼の行動によってようやく明るみに出たんですよ」
「……なるほど。そして足場作りの第一歩が、という訳ですか」
「そしてお恥ずかしい話しながら、六大家のどれとも碌に交流が取れていないのも問題です」
山間部の多いエルトニアは、国の中央に位置する平野部を王家が治め、小規模の山脈で区切られた幾つかの土地を六大家が王家から任される形で統治をしている。一応王家の配下という立ち位置に入るものの、彼ら大貴族はある程度の独立を許されている。
「地方領主なんてまるで戦国の世ですが、エルトニアでは現役のシステムです。国の中央と彼らは完全な上下関係ではない。そして中央と交流を持っていたとしても、その流れで六大家とも、とは出来ないんです」
だからこの国立東都工科大学エルトニア校という存在は、国の中央とは密接な関わり合いを持つ一方で、地方領主からしてみればそんなんあったね程度でしかない。非常に宙ぶらりんな状況と言えよう。
僕たち現代日本の感覚で言えば、六大家は国内の有力貴族というよりかは、隣接する友好関係にある小国の主と言った方が適切かもしれない。そしてそのエルトニア王国は、僕らに取ってみれば小国が集った一種の連合国家として捉えられる。おそらく最初に日本政府が交流を持つことが出来たのが国の中央である王家であったことも、六大家とのパイプライン建設が後回しになった理由の一つだろう。
「今までは王家との話し合いだけでなんとかなっていました。そしてそろそろ地方領主とも繋がりを作ろうとなった矢先……すいません、少し愚痴臭くなってしまいました」
「段々話が見えてきました。確かにそんな状況ですと、僕の提案は渡りに船なのかもしれません」
「……平塚さんには是非ともフォルガント家との最初のパイプラインになって頂きたい。無論なるべく業務に差し支えの無いよう最大限配慮は致します」
その言葉を耳に入れたとき、受話器越しの直接伝わった肉声では無いうえに視覚的な情報を何ら持ってはいなかったにもかかわらず、まるで川崎さんが頭を下げてきているかのような錯覚を感じた。
なんたってこんな空前の空腹時に鴨がネギを背負ってきたかのような状態だ。露呈した六大家との繋がり不足という問題を至急解消しなければならなくなった状況において、大学側の関係者でありながら六大家の一つであるフォルガント家の関係者がわざわざ自分から名乗り出てくるだなんて。僕が川崎さんの立場ならば、多分速攻で現地に赴いて頭を下げるだろう。
「自分から言い出しといて何ですが、必ずしも僕が交渉役として適役なのかは未知数です。確かに僕はフォルガント家の庶子だった時期もあります。しかし現状では、生憎実家から除名されています」
ただいざそんな期待を大いに向けられてしまうと、今度は僕自身のやや特殊な立ち位置ゆえに不安な点が露出する。僕がフォルガント家の関係者だったのは数年前までの話であり、レシルから既に聞かされている通り既に除籍済みだ。まったくの非関係者という訳ではもちろん無いのだが、僕がフォルガント家とのパイプライン役として最適であるかと問われれば正直な所自信は無い。
「そんな自分で宜しければ、是非協力をさせていただきます」
でも、当然やってやろうという気持ちは立ち消える筈もなかった。今まで何かと避けていた節のあるフォルガント家に能動的に関わる切っ掛けなのだから、みすみす手放すなんてことはしたくはない。数秒遅れて帰ってきたありがとうございますの言葉には、ホッとしたかのような響きが多分に感じることが出来た。
* * *
とまあ、そんなわけでわざわざ頭を突っ込んで参加をすることになった出張の出発日を迎えた。思えばある程度の期間完全に研究室を離れるような規模の出張は、この立場になってから初めての経験である。行き先がアメリカやらヨーロッパではなく異世界の都市というぶっ飛び具合から、多分今後の人生の中でも妙に濃い思い出として残るんだろう。
「……っと、もうそろそろ行かなきゃ。とりあえず指摘した点を確認するってことで、得られた結果とかは僕が帰って来るまでに纏めといてね」
「ええ、ちょっと大変だけど善処するわ」
現在の時間は午前九時の少し眼前くらいである。朝食から出発予定時刻まで中途半端に時間が開いていたから、ぎりぎりまだ作業に取り掛かっていなかった藤沢さんをとっ捕まえて、時間つぶしがてらに研究の進捗を話し合っていた。
そうこうしている内に予定していた時間になったことをタブレット端末の画面が伝えてきた。朝食を食べてから一時間程度が経過して、大体の人は既に作業を始めているであろう時間帯だ。デスクワークをするスペースには実験室に赴いている人が多いために、僕らの他は人の入りが疎らである。
「別に全部が全部揃ってなきゃダメってことはないから、無理が無い範囲で頑張ってね」
藤沢さんの言うとおり、大変という文言におそらく誤りは無いだろう。彼女は所用のためにちょくちょく都心の校舎まで出向かなくてはならない。ようやく異界の地での生活スタイルがある程度確立できたのだから4月の頭に比べれば能率も相当向上をしているのだが、他の人と比べると藤沢さんは時間的に結構なハンデを背負っていると言えよう。
普通は先生と言う存在はどちらかといえば発破をかけるものだと思っていたけれど、藤沢さんに関しちゃあ例外だ。僕からこういう風に言わないといつか彼女はぶっ倒れるんじゃあないか。大袈裟かもしれないが、普段から研究棟が開いてから閉まるまでの間ほぼずっと何らかの作業をしているところを見るかぎり、冗談では済まされない予感を感じる。最近土日に街の探索に乗り出すメンバーが増えている傍らで、レシル関連の用事以外は大抵僕と同じく休日返上して籠りきりだし。前々から人が疎らな週末に僕と藤沢さん、そして平塚先生の三人が妙に揃う頻度が高いなあとは思っていたのだ。
「うん、そうする。五日間だっけ……レイも居なくなっちゃうしね」
「本人目の前にして鬼の居ぬ間に洗濯って発言は戴けんよ」
こうもぼそりと視線を逸らしつつものを言う様は、見た目がよろしいだけにあざといなあと感じる。ただ内容が内容であるために同時にため息も吐いてしまうけども。あまり自覚はしていなかったけど、普段からそんなに焦らせているようならば今後は改善が必要かもしれない。
簡単な会話を交わしつつも出発するための最終準備を終わらせていく。とりあえず使い切ることがない程度まで変換した現地通貨、インターネット環境が皆無だから電子手帳程度の役割しか果たさないタブレット、貧弱な電気周りに対抗するための代えのバッテリー等々。
普段とは少々変わった荷物セットが有効に働いてくれるのを祈るばかりだ。確か実家の方は、夏場も頂上部に雪が残るような山脈にほど近いということもあって初夏の到来までは肌寒い機構が続いていたはずだ。小さめのキャリーバックとリュックサックを装備して、寒さ対策を兼ねた厚手のジャケットを羽織れば準備は完璧だろう。
「行ってらっしゃい。レシルちゃんにもよろしくね」
「そっちも怪我とかしないように気を付けてね。お土産期待しているように」
鬼がどうとか言っていた割に、藤沢さんはなんだかんだ部屋を出るまでこちらを向きつつ、去り際には小さく手を振ってくれていた。こちらもお返しとばかりに手を振り返しつつ、何故か妙な気恥ずかしさに苛まれて早歩きで部屋を後にした。
ここのシーンだけ切り取ってみたらまるで青春の1シーンのようなホンワカとした甘さを感じるのだけれども、そんな雰囲気のまま出発が出来たのかといえばそんな訳もなく。居室の前の廊下をキャリーバックを引きながら歩き出した瞬間、狙っていたかのように平塚先生の部屋の扉がガラリと音をたてて開き、「すまん昨日聞こうとして忘れてた。5分で終わらせるから」という文言のもと研究の進捗について話し合うために平塚先生によって部屋に引きずり込まれたのだ。
早めに出発したことがある意味で項を奏した。きっかり5分で済んでしまった話し合いの後早歩きで目的地に向かいつつ、今後は自分も藤沢さんに電撃的な議論を持ちかけるのは止めようと小さく心の中で決意をした。