ファンタスティック・アカデミー!【異世界×大学物】 作:丸いの
乗り合い馬車の停泊所に並んだ3台のオフロード車。王都ほどの道幅がない中で領主の館まで巨大な車で走破するのは難しいという判断から、車は置いていくことになった。それに仮に道幅に余裕があったとしても、全体的に舗装が十分でないこの都市でオフロード車を走らそうものならば、道の至る所がボコボコになるのは想像に容易い。
行楽シーズンから外れているためか、停泊所にはある程度の余裕があったことが幸いした。管理人に話を通して相場よりも高い使用料を払うと伝えたら、二つ返事で使用許可が出た。ただ、馬小屋脇に併設されているからか馬の生活臭がが漂う車両置き場にたどり着いた途端、川崎さんが物凄く渋い顔を浮かべていたのが思い起こされる。結局三台とも停車させたが、せめてもの抵抗なのか、川崎さんの運転していた車は馬小屋から一番離れた場所に停められた。
そんなわけもあって、現在はメンバー全てが街中を徒歩で移動している。城壁に囲まれた街の規模は王都リーヴェルよりも小さく、その中央に位置する当主の館に歩ていくのは苦ではない。
検問所近くの宿泊街を通り過ぎ、いくつかの露店が立ち並ぶ中央通りを移動する。リーヴェル程とは言わないがそれなりに通行人の数は多く、数年越しの故郷エルドリアンがさびれた地方の一都市に変化していないことに少しほっとした。都市部への一極集中が顕著な現代日本では、高々数年の経過であっても地方の町が一個衰退することは珍しくもない。
外部からの襲撃に備えて曲がりくねった中央通りの先には、街の中心部に聳える大きな建物の姿が見える。周囲の赤レンガ屋根の建物と同じトーンを感じさせながら、その規模は他よりも幾分か立派に見える。そしてエルドリアン全体を見渡せる一本の高い塔が、その建物の外周部に鎮座していた。
六大家の一つ、エルトニア北西部一帯とその中核都市エルドリアンを統治するフォルガント家。その由緒ある一族が住まう場所が、ようやく目の前に見えてきた中規模の城だ。当主やそれに近しい者が居を構える城本体、そして兵士やメイドたちが生活をするいくつかの小規模の建造物。それらをグルっと取り囲むのはいくつかの見張り台を備えた城壁だ。城塞都市の中でさらに城壁で囲まれた区域が、僕たちの目的地たるフォルガント邸である。
「我々はここまでですね。お二人とも、後は頼みましたよ」
「分かりました。夜前に一度そちらの宿に伺いますので、また後ほどお会いしましょう」
数名の部下を率いた川崎さんが城壁前を通る道の対岸で手を振っている。城への正門近くで彼らとは一旦別行動となり、その後は僕とレシルの二人だけでこの城壁の中へ入ることになっているのだ。
「……顔があまり明るくないね」
「兄さんも、ボクとお互い様だよ?」
まるで僕らの上に広がる灰色の雲の如く、恐らく僕の顔には緊張とも覚悟ともとれるこわ張った表情が張り付いているだろう。そして脇を歩くレシルの顔も、あまり優れていないように見えた。共に幼少期を過ごした間柄だ。エルドリアンの街そのものはいざ知らず、この城壁の中での思い出に複雑なものも多いのは分かっている。多少なりとも、目の前の城門を潜り抜けるのには覚悟が必要だ。
ポケットに入れていない右手が、レシルにぎゅっと掴まれた。彼女はその手を引いたまま、城門の両脇を固める衛士に近づいた。
「レシルティア様!? 一体いつ王都からお戻りになられたのですか!? それに今は学園の休みでは……」
「父上に用があったので帰郷しました。彼はボクの客人だ。身元については……見れば分かるはずです」
仕えている公爵家の令嬢が、護衛一人も無しで王都から戻ってきている事実に大層慌てたのだろう。城門を守護する衛士の一人がこちらの顔に目を向けた瞬間、血相を変えて走り寄ってきた。ただ心配と驚きをありありと示す彼に対して、レシルの対応はずいぶんとそっけないものだ。その彼が、レシルに言われるがまま客人扱いとなっている僕の顔を覗き込んだ。こちらも苦笑いを浮かべて見つめ返す。
数秒間、互いに瞬きせずに相手の顔を見つめる。この衛士の顔は、残念ながら己の記憶には残っていないようだ。当時から対した接点もなかった兵士のうちの一人なんて、数年間も合わなければ記憶からさっぱり消えてしまう。その一方で、相手のほうはそうではないようだ。
「そんなまさか……貴方は、ラスティレイ様ですか……?」
「……覚えていただいたみたいですね。昔はこの家でお世話になっておりました。現在は、平塚礼二と名乗っております」
正直に言おう。ものすんごく気まずい。
此方は当の昔に家出をして勘当された身だ。ただでさえ家の中における立場は高いほうではなく、それでいながら公爵家の加護から抜け出したのだ。言わば、二度と帰ってくるはずのない存在の筈だった。その僕を前にした彼の反応は、まるで腫物を扱うかのよう。久方ぶりの再開への喜びはおろか、僕が昔に行なった常識外れの行動への怒りすらも感じられない。言わば彼は、6年前に死んだ人間を前にして硬直しているかのような状態なのだ。
「この度は、フォルガント家当主、テオル・アルマルク・フォルガント公爵へのお目通りをお願いしたく参りました。レシルティア様のお許しは既に頂いております。お通しいただけますか?」
胸に手を当てて、斜め15度程度の角度で礼をする。二度目の少年期に身に着けた、目上の人へ挨拶をする際の正式なマナーである。固く、冷静に、そして落ち着いて最後までやり通すことを努める。この家で上手く立ち回るには、己という存在をなるべく殺して一見して冷徹とも言われるくらいが丁度良かったのだ。今みたいな形式ばった挨拶も、あの時は日常茶飯事だった。
「……お嬢様のご客人という肩書ならば問題ありません。どうぞお入りください」
許可を受けたその瞬間、レシルが僕の手を引いて城門へと速足で歩き始めた。まるで引っ張られるようにして、己の足はフォルガント家の敷地へと向かっていく。
たとえ嘘でもいいから、おかえりなさいの一言が欲しかった。仮にも生まれ育った家。その実態が本妻の子供たちとは隔離された場所での妹との共同生活であったとしても、肉体が幼かった時の世界のすべてはこの広大な邸宅を中心としていた。だからここは、今の人生における故郷に違いはない。
足が踏みしめるのは、あの頃から変わらず整備された館へと続く石畳の道だ。正面に見える領主の一族が住まう本邸、左右の奥に控える兵舎と使用人の宿舎。6年前に見たあの時から何も変わらない。そしてその風景の中を連れたって歩くのは、やはり相も変わらず妹なのだ。結局見える範囲で変化をしているのは、精々が僕たちの年齢だけだ。
一体、今の僕は何処に帰ればおかえりなさいと言ってもらえるんだろう。無人の自室か、もはや引き払った前世からの実家か、山形に移り住んだという前世の両親の家か。たった数文字の言葉を言ってもらえる機会が、思い返せばすごく希薄になったものだ。記憶に残っている限りでは、平塚先生と共に実家へ間借りして住んでいたときが最後か。とても丁寧とは言えないような、平塚先生のおかえりという声。それが、記憶の中の最後なのだ。
荘厳な扉を前に足が止まる。一家の誰にも知らせていない帰郷のためか、お手伝いさん方が先んじて扉を開けているなんてこともない。一見して重厚そうな扉をレシルが片手で軽々と押し開き、そしてこちらに向き直った。
「また兄さんと一緒にここに戻ってこれるなんて、まるで夢みたいだよ。ようやく、ボク達は故郷に帰ってこれたんだ――」
目じりに涙を浮かべ、レシルは小さくはにかんだ。
「――おかえりなさい。兄さん」
「……ああ、ただいま。そして、おかえりなさい」
すっと、レシルの言葉が胸に入ってきた。久方ぶりに言われた言葉。それはこの兄妹にとっておそろいのものなのかもしれない。ただの数文字で終わるその言葉を、ずっと言ってほしくて、ずっと言ってあげたくて。僅かばかりにぼやけた視界の中で、レシルはただ穏やかに破顔していた。
彼女に手を引かれるがままに、幾分軽くなった足取りで扉を通り抜ける。目の前に広がるのは、朧気ながら見覚えのある二階まで吹き抜けの開けた空間だ。飾り付けられた鎧や豪華な燭台、触ることすら憚れる金の額縁に彩られた絵画が目に入る。幼少期において別邸でレシル共々暮らしていたためか、これらの眺めにそこまでの馴染みは無い。ただそれでも僅かながらに残った記憶が、この場所が生まれ育った場所の一部であることを示している。
ちょうど人が少ないタイミングで訪れたのか、ロビーには僕たち以外の人影が見えない。ずいぶんと静かだ、燭台に垂れ下がる硝子細工の揺れる音まで聞こえる。そんな空間に聞こえ始める自分たち以外の足音。音のする方向に注意を向けていると、奥のほうから駆け寄ってくるメイドさんの姿が見えた。
「お、お帰りなさいませ、レシルティア様。お出迎え出来ずに申し訳ございません!!」
「別に良いよ。こっちが急に帰ってきたんだから仕方がない」
見た感じレシルと同じくらいの年齢だろうか、年若い茶色髪のメイドさんがレシルの元まで駆け寄り、何度か頭を下げている。それに対するレシルの様子といえば、よく言えば気にした風もなく、悪く言えば面倒そうに冷たく流している。帰宅時に使用人一同がずらりと並んでお帰りなさいと述べる光景は、確かにレシルは嫌いそうだ。
「彼は客人だ。父上に面会を願いたい。彼は今何処に?」
「お客様……ですか? ええと、テオル様は現在商工組合との話し合いの最中です」
彼女は僕とレシルを見比べて少々不思議そうな表情を浮かべている。非常に似通った見た目の人間が並んで立っているのだから、彼女の反応も何らおかしいことは無い。僕らの関係性について気付いていないということは、おそらくこのメイドさんは僕がこの家を飛び出した後にここへ奉公しに来たのだろう。
「分かった。どのくらい掛かりそう?」
「先ほどから始まったので、おそらく夕刻までは掛かるかと……」
彼女の言った時間は案外長いものだった。完全に日が沈む前までに面会をすることは可能だろうが、川崎さんたちに報告できるのは想定よりも遅くなりそうだ。
別に自身に非がある訳なんて無いだろうに、メイドさんは申し訳なさげに頭を下げている。それを一瞥したレシルは、別に気にしていないとばかりに首を振り、すぐに彼女から視線を外した。
「ならその時に父上に会うことにするよ。ボクの部屋で待機をしているから、会議が終わりそうなタイミングで呼びに来て」
「し、承知しました!! あのっ、お待ちになるのであれば、談話室をお使いになればよろしいかと」
用は終わりだといわんばかりに再度玄関扉に向かうレシルを、メイドさんが慌てて呼び止めた。振り返ったレシル、その顔には若干の険しさが見える。何かを言おうとして口を開けかけたレシルは、その直後に小さく首を振った。
「……いや、わざわざありがとう。だけどボク達は部屋で待つよ」
メイドの少女へ向けられたのは、ぎこちなさはありながらも穏やかさを持ったレシルの笑顔だった。少し驚いた表情を浮かべてこちらを見つめる少女を放置し、レシルは僕の手を引いたまま本邸を後にした。相も変わらず親しくない人間には冷徹な令嬢モードを通すのかと思えば、最後にはきっちりと年相応の表情を向けることが出来ていた。彼女が僕や藤沢さん以外に心からの笑顔を見せる日は、おそらくそう遠くは無いかもしれない。