ファンタスティック・アカデミー!【異世界×大学物】   作:丸いの

41 / 69
その8

まず感じたのは、起きることを躊躇うような寒気。そしてそれと相反するような暖かさだった。風邪をひいたときの様な寒気が体を這い回るが、しかしそれに付随するはずのだるさはそれほど大きくは無い。普段だったら明るさを瞼の先に感じたのならば、それはもう起きる時間だ。しかし毛布からじんわりと伝わる暖かさが寒気を感じる体を包んで離さない。一層瞼をきつく閉める。

 

 まどろみの中、この状況にどこか懐かしさを覚えた。いったい何に対してなのだろうか。全身を包み込むような柔らかいベッドか、瞼を優しく照らす太陽の光か、窓辺から吹き込む初夏の香りを含んだ風か。たぶんどれか一つの要素に対してではなく、これらすべてに対して僕は今懐かしさを感じているんだろう。五感のすべてが、今自分が置かれている環境を昔懐かしいものと認識している。

 

 そう、貴族の子息が住まう部屋としてみればお世辞にも広くは無いこの部屋が、再び人生を踏み出した僕が何度も朝を迎えることになった場所なんだ。この昔懐かしい部屋で朝を迎え、そして微睡の中で想う。ああ、なんて久方ぶりなのだろうか。数年越しになっても分かる、この落ち着いた空間にいるという事実だけで、深い充足感が心の奥底から沸き起こり――

 

「……いや、なんでここにいるんだよ」

 

 ――前言撤回。なぜこの場所で寝起きを迎えているのか。というか今はいったい何時なんだ。今の状況における前後の脈絡が全く分からず、すぐさま体を起こした。急に起き上がったせいだろうか、わずかに頭へ鈍痛が走る。しかしこういう本物の頭痛以上に、現在の状況の意味不明さに対して頭が痛い。

 深呼吸をして落ち着いて記憶をたどっていく。フォルガント邸に到着した後、この部屋にレシルと共にフォルガント卿の時間が空くまで待機をしていた。その後彼の執務室へ赴き、旗色悪くなったところで――

 

「そうだ、落雷だ。落雷で火災が起きそうになって……」

 

 慣れない魔術を使いながら消火活動をサポートし、火元である粉末魔石の貯蔵庫に砂バケツを持ちながら突貫した辺りまでは覚えている。しかしその後はどうにも不明瞭だ。どうにもその前後で意識をなくしたのだろう。おそらく無理に己の限界以上に魔法を行使した代償か。

 火元近くで気を失うだなんて、普通に考えたらそのまま一酸化炭素中毒でお陀仏だ。集団で消火活動にあたっていたのが幸いした。しかしそうなると、その後の消火活動の行方がどうなったかが気になった。

 

 毛布を体から退かすと、体に残っている寒気が再び優勢になった。風邪に近い寒気と若干のだるさ。最近ではめっきり縁が無くなっていたが間違いない。典型的な魔力切れの症状だ。さすがに足をもつらせるなんてことは無いだろうが、念のためゆっくりと起き上がる。だるさのためだろうか、一歩踏み出してみたら案の定少しふら付いてしまった。

 

 扉に手をかけて廊下へと出る。そしてふと己の体を見下ろしてみれば、目に入ったのは真っ白のローブと少し余裕のあるズボン。この時になって、ようやく自分の恰好が寝間着姿になっていることに気が付いた。

 幸か不幸か、廊下をいくらか歩いてみても、使用人とは誰一人会わなかった。この建物は、落雷の被害にあった兵舎や使用人宿舎と隣接しているから一人や二人くらい会いそうなものだが、結局そんなこともなく廊下の端にまでたどり着いた。窓から外を眺めると、十分に空へと上がった太陽に照らされた、一部半壊状態の兵舎が目に入った。目を凝らしても周辺に燃え広がった痕跡は見当たらない。どうやら最悪の事態は避けられたようだった。

 

 窓辺に手をついて、安どのため息を吐いた。少しでも遅れていれば爆発的な燃焼が始まり、収集がつかなくなっていただろう。間違いなく兵舎は全焼し、隣接するこの離れも燃え広がる炎に飲み込まれていたかもしれない。思い出の詰まった私室は、意識をしていなかったが己の手で守れたということだろう。

 

「本当に、良かった……」

 

 じんわりとした達成感に、少しの間だけでも浸ろう。フォルガント卿すらも説得し、火災を未遂で終わらす一端に力を添えたんだ。誇ったってバチなんぞあたってやるものか。

 

 しかしどうにも妙だ。なんでこの達成感に混じって、変な胸騒ぎがするんだろう。何か大切なことを忘れているような、そんなしこりのような違和感がある。火災を未然に防ぐという功績にケチをつける事柄なんて早々ない――

 

「……違う。なんでそもそも僕は今フォルガント家にいるんだ。帰省なんかじゃない、これは……」

 

 今の状況は、端的に言ってヤバい。爆発火事まで後少しというイベントがあって頭の隅に追いやられていたが、王都リーヴェルから東の中核都市エルドリアンまでやってきたのは、単なる帰省のためなんかじゃない。そう、川崎さんにわざわざ頼み込んでまでここにいる理由は、フォルガント卿に対する大学理念への協賛依頼だった。

 そしてそれは、初っ端で頓挫したのだ。理由は単純、僕がフォルガント家を勘当されており、そんな人間がかかわっている物なんぞ信用できないということだ。関係者だからと名乗りを上げたのが、見事なくらい裏目に出た形となる。最悪なことに、その結果を早急に川崎さんへ知らせなければならないところを、消火活動に協力を申し出たばかりに、結果としてぶっ倒れてこの場で寝かされていた。

 

 窓辺を見上げる。太陽はしっかりと上がり、もう朝とは言いにくい時間であろうことは容易に想像できる。

 さて、約束の時間はいったい何時だったかを思い出してみよう。フォルガント卿と顔合わせし、その結果を昨日の夜までに川崎さんへ伝える手筈になっていた。しかし現実には川崎さんと会って話すこともなく、今はおそらく昼前。会談決裂の上、会合のすっぽかすとか結構宜しくない状態だ。

 

「――それで、昨晩はどのような状態でしたか?」

「外傷はありませんでしたが――」

 

 頭を抱えてどうしたものかと悩んでいると、階段下から聞こえてきた会話が耳に入ってきた。どうやら誰か来たようだ。ちょうど良い、着替えやらなんやらを頼んで早急に川崎さんたちの所へ行けるよう手配してもらおう。少し駆け足気味で声の聞こえてきた階段の方へ向かった。

 

「ならばひと安心ですね。ただ意識が戻らないようでありましたら一度大月市内の病院に――」

 

 そして目に入る階段を上がってきた人物。それは今正に会いに行こうとしていた、川崎さんその人だった。こちらの姿を目に入れた彼は、どうにも大変驚いたような表情を浮かべた後、すぐに駆け寄ってきた。

 

「平塚さん、意識が戻ったんですね!?」

「え、ええ。ご心配をお掛けしてすいません。恐らくただの魔力切れなので、もう粗方大丈夫です」

 

 彼はどうやら僕が寝込んでいたことを知っているようだ。そして彼の背後には、昨日少しだけお世話になったメイドさんが控えており、こちらを見て安心したように破顔した。この家の人間に笑顔を向けられるのは初めてのことだ。ぶっ倒れて爆睡しているうちに随分と株が上がったものである。

 体調に関していくつか川崎さんと言葉を交わす。ちょっとした寒気や立ち眩みなどの微弱な風邪のような症状しか残ってないとわかると、彼はようやく安心したようにため息をついた。一段落した今、そろそろ肩の荷を下ろそうかと思う。

 

「……川崎さん。昨日はフォルガント卿との会談についてお伝え出来ず、申し訳ございませんでした」

「いえいえ。事情が事情ですし、むしろご無事で何よりです。また代わりにレシルティアさんがこちらに来てくれましたので問題はありませんでした」

 

 彼女には本当に頭が上がらない。今度何かしらの埋め合わせをしようと思う。しかし会談の結果を伝えたということは、つまり川崎さんも今回の交渉が決裂したということはもう知っているのだろう。

 

「本当に、今回の会談について台無しにしてしまって申し訳ございません。他の六大家に関する情報など、最大限お手伝いはします」

「……ええと、他の六大家ですか?」

 

 頭を下げてから数秒後、下げた頭の上から聞こえてきたのはどこか困惑した川崎さんの返答だった。フォルガント家の助力が得られないとなればリカバリー案が必要なのは当然だというのに、彼はいまいち話が分からないという顔を浮かべている。

 

「そりゃあ……当事者の僕が言うのもなんですが、フォルガント家が無理ならば他の家に話を通すほかには……」

「あれ、フォルガント家が無理って……先ほどですが、ここに来る前にもうフォルガント氏とは話を取り付けてきましたが」

 

 その言葉に思わず「えっ」と返す。何かがおかしい。川崎さんと僕で致命的に何かの認識が一致していない。

 

「……話を付けるって、大学の協賛についてですか?」

「え、ええ。私たちの大学で教えている科学技術に関心があるご様子で、問題なくご協力頂けることになりました。これも平塚さんの交渉のおかげですよ」

 

 認識がずれている箇所がはっきりした。どうやら僕がダウンしているうちにフォルガント卿はどういうわけか手のひらを返し、大学計画に対して協賛の立場をとることに決めたようだ。結果として僕が不在の状況下で手っ取り早く大学関連の話がまとまったようで何よりだが、どうにも腑に落ちない。フォルガント卿のあの剣幕から考えて早々手のひらを反すようにも思えないからだ。

 

「後は平塚さんの体調だけが気がかりでしたが、立って歩ける程度には回復しているようですので安心しました。これで無事朗報を持って帰ることが出来そうです」

「あはは……今回の旅路は一先ずといったとこですか」

 

 これまでの遅れを取り戻すため、フォルガント家との間に幸先のいいファーストコンタクトを取るというのが今回の目的だ。川崎さんの安心した様子も納得である。

 一通り現状について話し終えた彼は、そのまま今後の予定、つまりは王都エルドリアンへの帰還についての説明を始めた。本日正午過ぎにここを立ち、そのまま行きと同じペースで車を走らせたら夕暮れ前には王都に到着するとのことだ。仮に僕の意識が戻らなかった場合も、そのまま車に寝かせて持って帰る腹積もりだったそうだ。

 

「そうそう、忘れてました。フォルガント氏から頼まれたんですが、平塚さんの意識が戻っていたら話したいことがあるから呼んで欲しいそうです。行けますか?」

 

 なんとなく、そんな気はしていた。なぜあの後フォルガント卿は考えを変える気になったのか。恐らくそれに関する話をしようというつもりなのだろう。丁度良く、こちらもその件に関しては気になっている。

 

「問題ありません。ただ……服だけを着替えたいなあと」

 

 いくら病み上がりとはいえ、これから会う相手は公爵閣下だ。こんなパジャマに毛が生えた程度の服装で面会をするつもりには流石になれない。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。