ファンタスティック・アカデミー!【異世界×大学物】 作:丸いの
「来たか。そこへ座りなさい」
再び訪れた、静観なフォルガント卿の執務室。落雷や雨風によって散らされた部屋の内装は元通りの理路整然とした光景へと回復している。しかし衝撃波で散らされた窓だけは、今も破損した窓硝子がはめ込まれたままになっていた。ガラス窓が半壊するだなんて、改めて昨日の落雷による衝撃の大きさを思い知る。
そのまま視線を長椅子へと移した。昨日は座らせることが無かったこのスペースを勧めるというあたり、若干雰囲気の違いを感じ取る。そして今日はこちらに対する否定的な空気はあまり見られない。
「体調の方は大丈夫か。レシルティアから現場で倒れたと聞いている」
「おかげさまで回復しました。魔力切れなんて、慣れないことはしない方が吉ということかもしれません」
この人がこっちを労わることなんて、記憶の限りでは初めての経験だ。慣れていない対応を前にして、嬉しさよりも不気味さの方が先行してしまう。勧められるがままに客人用のソファーに座ると、彼もその正面に腰を下ろした。
「さてと。今回の事故についてどこまで把握している?」
「そうですね……肝心なところで意識を失っていたので、多くは分かりません。ただ、どうやら建物の焼失は免れたようですね」
つまりはあまり分からんということだ。まあ詳細が分からないだけで、予想はある程度出来る。あの時現場に集まっていたみんなは、たぶんレシルの後に続いて消火砂散布による適切な消火活動をしてくれたんだろう。そうじゃなければ兵舎は全焼の後に真っ黒こげだ。
「私が建物内部から貯蔵庫に突入した時には、既に火元は消し止められていた。その上、使用人や兵士が一丸となって火災拡大を防ぐべく粉末魔石の隔離を始めていた」
「……使用人の皆さんがスムーズに動いていただけたことが幸いしました」
彼らがそこまでスムーズに動けた裏には、レシルの先導もあったことだろう。曲がりなりにも公爵家令嬢のレシルが先陣切って行動を起こせば、他の皆もそれに続くだろう。
「……落雷の箇所が粉末魔石の貯蔵庫と知った時、私は火災も時間の問題だろうと思っていた。せめて完全に燃え広がる前に無事な物資を搬出する、その程度しか考えてはいなかった」
だからこそのあの焦り方だったのか。粉末魔石の保存状態やらなんやらを全て度外視し、救出できる物資のみを外に出す。ただ消火困難な火災を前にした対応としては、少々リスクのある行動に違いは無い。
「だがあの時、お前は私とは違い、完全に火を消す心積もりでいた。知っているか? 粉末魔石による火災というものは、一般的にそれ自体が燃えきるまでは手だしをしないというのが通説だ」
基本的に燃えるものが無くなれば火も収まる。この建物が全焼しようが、少し距離をとって建てられている邸宅本体にはまず燃え広がらないだろう。恐らくは火災発生の際に兵舎自身が燃えきるまで放置することも視野に入れた設計になっているのかもしれない。
「結果として兵舎の焼失は防がれた。レシルティアの先導とお前の指揮の賜物だと、使用人共は口を揃えて言っていた」
「彼らにそう言っていただけるのは光栄です」
それは偽りならざる本心だ。結局のところああいう火事はその場にいる人間たちが団結しなけりゃ対処することは難しい。指揮者に続いてくれる数名こそが、消火活動においては重要になるのだ。そこまで言うと、フォルガント卿の目線が少しだけ鋭くなった。
「……大量の乾燥した砂だったか。お前が手配して使用したものは」
訓練場の整備用にまとまった量の乾燥砂が蓄えてあったのは幸運としか言いようがない。そして、そんなものを用いて消火活動を行うなんて文化は、おそらくこっちの世界にはまだ浸透していないのだろう。
「水ならまだしも砂を掛けて消火するなど初耳だ。しかし事実、粉末魔石の延焼は消し止められた……これは、二ホン国の知識なのか?」
「……窒息消火って言うんですよ。砂で指定箇所を覆って新鮮な空気を遮断すれば、原理的に火災は収まる。そして一般的な水による冷却消火は、対象物質が禁水性物質のため不適です。あの状況じゃ、乾燥した砂以外に適切な消火剤はありません」
おそらくこちらの世界にも砂を使った消火方法は、探せばどっかしらには存在するだろう。しかしそれらは一般的に知られた方法なんかじゃない。経験的に伝わるそれらが原理的に見れば至極真っ当な消火行動でも、この世界においてはそれを紐解く段階にまでは至っていない。
「そしてこれは日本の知識というよりも、科学技術に紐づけされた方法です。そしてその科学は、この世界ではまだ十分に発達していません」
「……やはりそうだったんだな」
若干ではあるがフォルガント卿が小さく笑みを浮かべた。そこに見えるのは得意げでな、そして自嘲気味な雰囲気。いろいろなものが混ざった笑顔をこちらに向けて、彼は意外な一言を漏らした。
「お前を逃がしたのは失敗だったかもしれない。そのまま王都の学校で学ばせていたら、と今になって思うよ」
彼がそんなことを言っているという事実は、僕にとって相当に意外なものだった。思わず目を見開いてフォルガント卿を見つめるが、笑顔を崩さずに彼は続ける。
「もう知っているだろうが、フォルガント家は二ホンのアカデミーを支援することとなった。カガク技術の高々一例を目にしただけだが、それでも有用性の一旦が見えたからだ。頭ごなしにお前を否定するよりも、その先に隠れたもののほうが重要だ」
事前交渉の結果を裏返してまで川崎さんとの交渉に臨んだ背景には、そういう事情があったのか。火災の発端になりかけた落雷事故によって交渉がうまくいくだなんて、世の中何が成功の秘訣なのかもわからないものだ。
「その交渉の場で、二ホン国の役人に言われたよ。アカデミー所属の教員。言葉で言うのは簡単でも、その立場は非常に狭き門だということをな」
「それは……否定はしません」
面と向かってそういうことを言われると、誇らしさよりもむず痒さを感じる。調子が狂うとはまさにこのことだ。
「しかも異国の地で、その歳でその地位に至るなど……結局私は、お前の才を見抜くことは出来なかったようだ」
「……いや、間違っちゃいませんよ。今の地位に魔法の力なんぞ必要はない。貴方が見抜いた勉学、知識、洞察力。これらが物を言う世界です」
何度か夢に見た少年期の思い出。いくら頭の出来が良くでも魔力の才能は無い。今目の前にいる人間から言われたことは、事実何一つとして間違っちゃあいないのだ。エルトニアを出て今の職に就いているという事実が、それを示している。
「お前の勘当を取り消すつもりはない。一度家を逃げ出した人間は、相応の報いを受けなければならない」
「それは、そうでしょう。僕も覚悟の上です」
貴族、それも公爵家の人間からしてみれば一族からの勘当だなんて一大事件もいいところだ。一度言い渡されたら身の破滅をも意味する、かなりの重罰に違いない。しかしフォルガント卿も、そして僕自身も、それをなんてことはないような雰囲気で言葉を交わす。今の僕に対して、勘当なんてものが罰として然したる意味を持っていないことなんて両者共に分かり切っているんだ。
「……取り消せと言ってみれば良いものを」
「出来ないことをお願いすることはしません。それに僕みたいな人間は、大貴族に抱えられて生きるような器じゃない」
貴族という立場から離れて気兼ねなく生きるのが丁度良いと言外に伝えてみると、フォルガント卿は手を叩いて笑っていた。そこに混じる自嘲的な笑いは、逃がした魚は大きいとでも考えているのだろうか。ひとしきり笑った彼は、長椅子を立ち上がった。
「出発前に呼び出して悪かった。役人やレシルティアが待っているだろう」
「……そうですね。では、そろそろお暇しようと思います」
こちらに戻ってきてから二度目になる話し合いの席は、初回に比べてみればずいぶんと平和なものだった。そのまま立ち上がり、会釈をして執務室を後にしようとした背中から、フォルガント卿の声がかかる。
「ラスティレイ。お前の才は確かにお前が造り上げたものだ……そしてお前たちは、私とフロスティーネの子供だ。家系から外れても、それは忘れるな」
「……その言葉、レシルにはいつの日かきちんと面と向かって伝えてやってください」
扉が閉まる間際、振り向きざまにそう伝えた。言うのが10年遅い。ため息とともに苦笑が顔に浮かぶ。もしその言葉をもっと前に聞いていたのであれば、結末だって違ったかもしれないのだ。
* * *
「そうだ……忘れてた……」
「ベルトは締めましたね? 日が暮れる前に到着しなければ危ないので、帰りは行よりも飛ばしますよ」
ドゥルンドゥルンととても重厚なエンジンの振動が座席下から伝わり、冷や汗がつたる。行きがオフロード車なのだから、帰りだって同じ交通手段になるのは当然だ。なんでそれを失念して、昼食を腹いっぱい食べてしまったのか。そして川崎さん、行きも結構飛ばしていたように感じられましたが帰りはどこまで飛ばすんですかね。
「じゃあ出発しますよ。景色も良いし、絶好のドライブ日和です」
楽し気に喋る川崎さんと、景色が楽しみなのか笑顔を浮かべるレシル。それに混じる、走り出す前から覚悟を決める僕。悲しいことに、今この場にいる誰もが、酔い止めなんて持ち合わせている訳もなく。そして半日以上寝ていたためか夢の世界に逃亡することも困難だなんて。せめてもの抵抗ということで、しっかりと目を瞑り、精神を統一するほかは無い。
結論を言えば、ちょっとばかし吐いた。そう、あくまでちょっとだけだ。