ファンタスティック・アカデミー!【異世界×大学物】 作:丸いの
今まさに死に瀕していた目の前で、僕の腹部を食い破らんと猛進してきた炎の剣が横合いから伸びてきた小さな火の玉がぶつかった瞬間に形を崩した。消え失せる剣、頬に吹き付ける熱気の残り香、死を予見していたのかまるで神経が切れたかのように力を失う両手両足。そのまま背中から崩れ落ちて下半身を強く打ち付けた痛みで、自分の腹部に燃え盛る魔法の剣が付きたてられていないことを頭と体の双方でようやく理解をした。
「大丈夫だ、どこも焼けてはいない。立てるか?」
「あっ……いえ、すいませ――!?」
その背後から聞こえてきた声、そして尻もちをついたところに差し出された手。遥か昔に背中を通り魔に刺された時を思い起こさせる臨死体験からか全く状況が把握できず、頭がよく回らないうちにその手を掴み、そして顔を見上げて絶句した。混乱と混濁の最中にいた頭の中が、まるで磁石を押しあてた砂鉄のように無理やりひとまとまりになるような感覚だ。その理由は単純、僕の背後から手を貸してくれていた人に心当たりがあるからだ。
「貴方を一連の騒ぎに巻き込んでしまったようだ。事態の収拾は私がつけよう」
立ち上がり呆然とする僕と同じく、先ほどまで烈火の如く怒りの炎を巻き上げていたライル殿下までもが闖入者に視線を向けて絶句をしていた。そんな無理やりに闘争が沈められた空間に一人歩みを進める黒を基調としたドレスを見に包んだ人物は、腰ほどもある長い赤紫色の長髪をなびかせ、そして一歩づつ殿下と藤沢さんの元に近づいていく。
「……貴女が、なぜここに……」
「つい先ほど二ホン国の臨時大使から通達があった。私の不在中に色々とやってくれたそうじゃないか」
この人のことを直接見たのはただの一回のみ。それも言葉を交わしたなんて近しい距離などではなく、エルトニアキャンパスの開校式にて壇上で開幕の挨拶をしているのを見た時だ。僕の記憶に違いが無ければ、そしてライル殿下がここまで萎縮をするような人間なんて、もう間違いない。エルトニア王国第一王女、ライア・ヴィクトリウス・エルトニアその人が、この混沌たる状況下に現れたのだ。
「まさか私がトウト大学に出向いている間ならば、何をやっても邪魔は入らないとでも思ったか。二ホンの技術力は凄い物でな、王都の昼間の混雑など物ともせずにこちらに来れたよ」
苛烈な様子ではなくあくまでも淡々とした、しかし決して逃れられなさそうな強い話口で彼女はライル殿下に言葉を浴びせていく。今この場に第一王女が現れるなんて考えてもいなかったのか、彼は何を言い返すでもなくライア王女を驚いた様子で見つめている。それとは対照的に、藤沢さんはどこかホッとしたような様子で二人の様子に目を向けていた。そしてそのまま、状況が膠着したのを良いことに焼け落ちた扉の傍らで動けず仕舞いの僕の方に近づいてきた。
「レイッ!! 何処も火傷していない!?」
「い、いや……ライア様のおかげで難は逃れたけど……」
「ちょっと見せなさい!! 自分が気が付かないとこが火傷してるかもしれないでしょ」
駆け寄ってきて最初の一言が、現在の状況に関するものではなく僕を心配する文言である。大丈夫だと言ってみても、なかなか納得していないのだろうか僕の服やら背中を見まわしたりペタペタと触って確かめてくる始末である。それだけを見てみれば心配を掛けてしまったようで申し訳なく思うところだけど、今はそれ以上に何故藤沢さんがライア王女の存在に対して驚きを見せていないのかという方が気になってしまう。
「お前のおかげで重要な式典の開会式に欠席せざるを得なくなった。だがそれはまだ良い。お前はとうとう超えてはいけない一線を踏み越えた。それが何か分かるか?」
「……ラスティレイという男は、王家までもが行方不明と断じていたヘレナ姉様の存在を知りながら口を噤んでいた。事実この男を隠れ蓑にしていた姉様が、この王宮に姿を――」
相も変わらず僕のスーツの黒い色に隠れて焦げ跡でも無いかと隈なく探す藤沢さんを、どうあしらったものかと首をひねる。今の僕たちを傍から見れば、完全に危険な目にあった我が子を心配している親子のソレだ。今はそれどころじゃない、そもそも君は何故ライア王女がここにいることを平然と受け入れているんだと聞こうとしたところで、パシンという乾いた音が響いた。
「言い訳をしろと言ったんじゃ無い。お前がやったことがエルトニアにどういう影響を与えることになるか分かるかって聞いているんだよ」
決して大きくない、しかしこの部屋の中に響き渡る平手打ちの音。僕と藤沢さんが二人して話口をピタリと止めてその音の発生源にぐるりと首を向けた。どちらもそれどころじゃないという見解が一致したのだ。振り下ろした右手を小さく振るライア王女の前で、ライル殿下は打たれた頬を正面に向けている。王女の言葉は鋭さと冷たさを増し、そして話を強制的に止められた殿下は声を発することはおろか打ち据えられた状態から動く様子は見られない。
「雑多な小国を統一してエルトニアという一つの国が形成されてから、この王都には他国の兵が闊歩したことは無い。しかし先ほどに、王都の外れならまだしもこの王宮の目の前に異国の武装集団が陣をふんだ。キドウタイというらしいが、二ホン国の持つ治安維持組織さ」
彼女が口にしたのは、僕の身をこの王宮まで護衛するという名目で川崎さんが召喚した、山梨県警の機動隊のことだろう。無論僕は川崎さんが言った内容を額縁通りには受け取ってはいない。確かに護衛という意味で言えば最高級の物であるがいささか過剰にすぎる。彼が取った行動の本質とは、やはりエルトニアへの威圧に違いはないだろう。そしてライア王女は裏側の意味を読み取り、表情を厳しいものに変えている。
「我が国は、他国の兵に立ち入らせたという前例を作った。そして二ホン国側はあくまで自国民の警護に過ぎないという立場を崩しはしない。向こうに大義名分がある以上、抗議など出来るわけがない。分かるか、ライル。お前の行動が二ホン国が付け入る隙を与えたのだ」
そして示威行為は僕が考えていたよりもよほど大きな影響を持ちうるのだろう。エルトニアの建国から数百年、小さな争いも含めれば数十年前までいくつか戦争が起きていたにも関わらず、その全てにおいて王都に戦火が及ぶことが無かった。国家間の記念式典でも無ければ他国の軍が居るなんてことなど無かった都に、警察組織とはいうものの武装した他国の一団が展開したのだ。メンツが潰されたと言う他無い、完全な失態だ。
しかしふと、頭に何かの違和感が走る。どういうものか上手く形に出来ないけど、彼女の話す内容を考えた時に、彼女自身の雰囲気に少しの不思議さを感じるのだ。言ってしまえばあまりよろしくない前例を作る切っ掛けとなった人間を叱咤するにしては、妙に淡々をしているな、と。
「そしてそもそもの問題が、二ホン国の国民をこの場に呼び出したことだ。それこそが彼らに大義を与える源だ。今まではお前の行動を、うっ憤の溜まった一部の連中の適度なガス抜きとして見逃してきた。しかし二ホン国との関係に影響を与えるというのならば、私は黙っているわけにはいかない」
そう、例えるならばライア王女は一連の事態を上から俯瞰しているような雰囲気を感じるのだ。エルトニアの王子が巻き起こした問題に日本の公的組織が介入してくるというイレギュラーが起きたにもかかわらず、この人はまるでそれが元々起きることを知っていたかのように淡泊な様子を崩すことは無い。
「……貴女は何処かがおかしい。確かにこの私がやったことは褒められたことじゃないさ。元より次代の王位への期待が薄いことに変わりはない、何ならこれを機に私の王位継承順位を落とすことを宣言したって良い。だがそれとこれは別だ!! 何故ヘレナ姉様が十年来に姿を見せたというのに表情一つ動かさない!?」
ライル殿下からは、怒りというよりも得体の知れないものを前にしたかのような困惑さが垣間見えた。彼の言う通り、僕の記憶の限りでは藤沢さんがライア王女と身分を明かしたうえで顔を合わせるのは十年近いブランクを挟んで今日が初めてであるはずだ。にもかかわらず、ライア王女はそんなことを微塵も感じさせないで、殿下のまくし立てる話し声を表情一つ変えずに聞き流している。
「そもそも私がここにいる時点で、大方の事情は知っているに決まっているだろう。ヘレナ、いつまでそこに居るんだ。彼には傷一つ無いだろう」
「あっ……はい、ライア姉様」
藤沢さんがライア王女に呼ばれたことで、再び僕は一人だけの部外者として取り残された。彼女が言う、大方の事情とはどこまでのことを指すのか。ただその情報の範囲が如何ほどかはともかく、間違いなく情報源は日本政府、ひいては臨時大使という役職に上り詰めた川崎さんに間違いないだろう。僕がこの場所に来てから今までのわずかな時間の中で、彼はライル殿下とは異なる派閥との交渉ということでライア王女にコンタクトを取ったと考えるのが妥当な所だ。
「……エルトニア王家第二王女、ヘレナ・ヴィクトリウス・エルトニア。この度、再びエルトニア王国に帰還しました」
「壮健だな。扉一つを消し炭にしてなお余りある莫大な魔力、おかげでこの広い王宮のどこに居るのかがすぐに分かったぞ」
ライル殿下の言う通り、実際に藤沢さんと言葉を交わすライア王女の様子は、十年以上行方不明だった実の妹と顔を合わせたにしては淡々とし過ぎていた。王家というものが僕の考えるほど兄弟姉妹の間柄が強いかは正直なところ怪しい部分がある。しかしそれを踏まえたうえでも、いくら何でも事務的すぎやしないか。元々藤沢さんと仲が良かったライル殿下との差を見ればより際立って見えてしまう。
そしてライア王女と相対する藤沢さんの様子を見て、彼女は間違いなく今日この場にライア王女が現れるということを把握していたのだと確信をした。今の彼女から読み取れる感情はあくまで緊張の一色のみ。それに最初に王女と顔を合わせてから、藤沢さんは全く驚いたという風な様相を見せてはいないのだ。例えるならば初めての学会発表に際して緊張気味だった時と、そう大差はない感じに見える。対象にそこはかとない緊張感を抱きながらも、それ自身は決してイレギュラーな事態ではないということか。
「……ライア姉様。貴女は、一体何を企んでいるんですか?」
「企むだなんて、随分と言うじゃないか。あくまでも私は二ホン国との関係を考えてお前の暴走を止めることしか考えてはいない」
そこでふと、断片的な事柄たちにある一つの関係性があることに気が付いた。藤沢さんの帰還を既に知っていたライア王女、その王女が現れることを事前に聞かされていた藤沢さん、そして両者が引き合わされる切っ掛けになった、この僕が王宮にいるという状況。これらすべてにおいてどこかしらに関与をしている人間が、一人だけ存在する。ライア王女に日本の臨時大使として状況を知らせ、藤沢さんに対しては恐らくここまで連れてきた時にライア王女へコンタクトを取っていると伝え、そして僕がライル殿下の呼び出しに応じるという判断を最初に聞いた人物。それはつまり――
「ライア姉様、そしてライル。私は、今日あることを宣言しにこの王宮へと戻ってきました」
「……だそうだ。ライル、まずはその宣言とやらを聞いてみようじゃないか」
根拠も何もないけれど、僕の予想が正しければこの状況は全て計画されたものだ。ライア王女という国政に密接にかかわる立場の人間の前で、藤沢さんにあることを宣言させる。そしてそれを傍らで聞いているのは、同じくエルトニア王家の次男という肩書のライル殿下だ。こんなシチュエーション、偶然にしたら出来過ぎている。
この状況に目を白黒させているのは僕だけじゃない。そもそもの発端であったはずのライル殿下が、訝し気にライア王女と藤沢さんの二人を眺める。ということは彼も利用されたんだ。エルトニア王家のメンバーが会する機会を作るための切っ掛けとして。
「私、ヘレナ・ヴィクトリウス・エルトニアは、エルトニア王位継承権を完全放棄することをここに宣言します」
ライル殿下が目を見開き、そしてライア王女は淡々を藤沢さんの宣言を聞いている。たったの一言、しかしそれはとてつもなく大きな意味を持つことは、元貴族の端くれであった僕にだって流石に理解をすることは出来た。君は、自分が一体何を言ったのか分かっているのか。そう問い詰めるように向けた視線に、藤沢さんは少しだけ憂いを持った表情をこちらに向けただけ。
「……川崎さん。貴方は一体何を考えているんだ」
恐らくは今回の状況を全て把握しているであろう今や姿も見えない外交官の名前を、ただ呆然と口にすることしか出来なかった。