妹の営業するおでん屋に舞い戻ってきたルルーシュ。
世界を手にする前に、彼にはやるべきことがあった。

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コードギアス ドラマCD「おでん屋ナナちゃん」をお聴きになってからお読みいただければ幸いです。


おでん屋ナナちゃん・AFTER ーCode Geassー

 夕闇に微睡む世界で歩を進める。

 仕事終わりの社会人達が会話を交わし、街中に繰り出すのを視界に収めながら、駅から徒歩十分程度の距離にある二階建てのアパートに辿り着く。寂れた外観は否めないが、むしろここから上へと這い上がっていくことを想像すれば、この古ぼけた建築物もここから先の己の未来を足掻くことへの気概を高めてくれる。塗装の剥がれた手摺階段を登り、そのまま一番奥の部屋に到着し、あらかじめ手の中に持っていた鍵で開けてみればーー。

「ーーー?」

 カチャっと、開閉の音が真逆に届いた。試しにドアノブを回してみれば部屋へと通じるはずの扉は固く閉ざされたまま開くことはない。「空いていたのか……」と吐息と吐き出すと共に内心で呟いてから、再び鍵を片手に作業に入る。開いた扉の奥は真っ暗だが、微かに人の気配を感じた。

 靴を脱げば、正面に広がる場には同居人の姿はない。ならばと左側にある寝室に足を向けてみれば、ドサリとベッドにうつ伏せに倒れている光景が広がっていた。さらりとベッドに流れる翡翠色の髪、艶やかな光沢を残しながらも、当人があまり手入れをする気がないのだから、宝の持ち腐れとはこの事だ。

 もっとも、本人がやらない以上、捨て置くことも出来ずに同居人である自身が風呂上がりのアイロンから何までやっている影響もあるのだろうが、今更彼女が自分でやるとも思えずそのまま流れでやってしまっているのは痛恨のミスと言わざるをえない。

 起こす気も湧かず、スヤスヤと微かな寝息をたてる人物に背中を向け、夕食の準備に取り掛かる。手洗い等を済ませながらもその頭の中は帰宅するまでに起きた出来事に囚われていた。それは当然、今のこの生活に関係してくるわけでーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 不意に目が覚めてしまった。

 唐突というわけでもなく、強いて言えば浮き上がった五感の内の嗅覚が、鼻腔をくすぐる匂いに触れたことだろうか。

 今日はすっかり通い慣れた道を辿って、面倒な仕事に従事し、夜な夜な帰ってくるという通例の工程を行うこともなく、休日というだけあって家で惰眠を貪りながらも、軽食を用意しておかなかった同居人のせいでわざわざコンビニに買い物に行った影響ですっかり体力も彼女としては消費してしまったこともあり、本日何度目かという眠りに落ちてしまった次第である。

 うつ伏せていた身体を起こし、目元を手で擦りながらキッチンの方に顔を向ければ、もう見慣れてしまった背中を捉えた。ご丁寧にエプロンを纏い料理に精を出すその姿に、自然と口元が緩んでしまった。

「……起きたか、C.C.」

 動く気配を敏感に感じ取ったらしいルルーシュ・ランペルージは振り向くこともなく、そう言葉を投げる。ーーああ、と短く返事をしてから立ち上がってその背中に近づく。

「もうすぐ出来る、手を洗って座っていろ」

「……そこに置いてあったピザは?」

「おまえ……残ったものは皿に移して、冷蔵庫に入れるなりしておけ。それで処分すれば機嫌を損ねるんだからタチが悪い」

「当たり前だ。そのまま捨てるとは、ピザを構成する数多の食材に対する暴虐だろう?」

「だったら尚更そうしておけ、ピザ女!」

 すっかり浸透した言葉のキャッチボールを投げ合いながら、おとなしく席に座る。腕に抱えていたチーズ君をぎゅっと抱きしめながら今もお玉で味噌汁をゆっくりとかき混ぜているらしい同居人を見つめる。

 

 出会いにしても、唐突ではあった。仕事先のパブからの帰り道、完全なる暗闇に沈んだ世界を灯りを頼りに帰路に着いた。その時、わずかに以前から僅かに感じていた悪寒。

 有り体に言ってしまえばストーカーという奴である。一週間程前から感じるねっとりとした気味の悪い視線に晒されながらも、同じ店で働く赤い髪の女に「顔色悪い」だのなんだのと言われながらもなんとか躱してきた。

 

 だが、今夜は違った。

 

 接近してくる気配と足音。咄嗟に背後を振り向けば電灯に照らされた何かが視界で瞬き、直後に強烈な熱が右手を襲った。苦痛に顔を歪め、肌を伝って指先から滴り落ちる血漿に切られたと理解した。

 眼前にいる人影と視線が交差する。そいつの口元が歪に曲がったのが見えた瞬間に、足が痺れたように動かなくなった。ただ指先から流れ落ちる血の感覚だけが身体を襲う。

 ああ……そうか、死ぬのか。とーー。

 そう頭が情報を整理しているうちに、ゆっくりと振り上げられた狂気に満ちた刃が自身に狙いを定めた。目蓋すらも動かせず、目の前から襲い来る現実から目を背けることも出来ずに、ただ自分の終わりを待っていることしか出来なかった。

 

「ーーーーーーーえ?」

 

 その刹那。

 耳に届いてくる、異音に意識が割かれた。

 ガシャガシャとやかましい騒音。

 音楽というわけでもない。年端もいかない子供がドラムセットを叩いて遊んでいるのかと冷静に考えてしまった。男もその音を聞いたのだろう、間抜けにも二人してそちらに顔を向けてみる。音の出所を目で探ってみれば暗闇の中に小さな光源がひとつ、路上に転がっていた。携帯電話だと瞬時に理解する。音量を最大まで上げているのか、無音の世界にその騒音が喧しく響く。

 ーーその音に紛れて気付けなかった。

 目の前にいた男が自分に背中を向けた。呻きにも似たドブ声が轟き、振り下ろされたナイフがなにかを割いたのか「ーーぐぁっ!」耳に痛みを訴えるような別の声が届いた。

 同時に鼓膜を震わせるようなバチバチと犇く音。鳴り立つ咆哮、男は全身を振動させると路上に横向きに倒れ伏した。そしてその男の前に立っていたのは、見覚えのない若い男だった。自分と大差無い年齢の彼は手に持っていたスタンガンを落とし、もう一方の腕を顔を歪めて抑え込んだ。見てみればその腕に深く食い込んだナイフが灯りに輝いた。

「ーーーお、おい」

 硬直していた身体が緩やかに時間を取り戻していく。静かに駆け寄ってみれば、男の顔はびっしょりと汗に塗れている。アメシストの瞳が薄ぼんやりと焦点を当てる。

「これを……」

 そう言って男は懐からハンカチを取り出して渡してくる。

「傷口は塞いでおいたほうがいい」

「お前、いったい……」

 さっさとしろと、力づくで渡してくる男に渋々従っているうちにいつまでもリピート再生されている様子の携帯の音に気づいたのか周辺の家から出てきた人間が現れ、その人のお陰で到着した警察と救急車によって障害・殺人未遂の現行犯で逮捕され、被害者である自身と、それを防いだ男も治療を受けて、事件は一応の解決をみた。

 

 そこからの出会いから、勘違いされて手元にきた恩人の携帯電話等の紆余曲折を経て、今のこの現状に至っているわけだが。

「まあ、回想はこのぐらいでいいだろう」

「なんの話だ? 出来たぞ」

「ああ」

 テーブルに並べられた料理の数々。互いに「いただきます」の言葉を交わしてから舌鼓を打つ。彼と出会うまでは基本的に夜のお仕事なので三食とまではいかないが、基本的に主食はピザで一貫していた。しかし今となっては同居人の男の一喝もあって、作れる時は彼が手料理を振る舞うことになっている。

 今日も今日とて、世界を手にする為の何かしらの工作を行なってきた帰りだというのに、まったくよく作る気になるものであると思いを浮かべながら肉じゃがに箸を伸ばす。

「ん?」

 ほくほくのじゃがいもを口の中で転がしながら、向かいの席に座る同居人に目をやる。そうしてみると、何を思ったのかいつも喧しいほどに礼節を正してくるルルーシュが、箸を加えたまま停止していたのだ。

 片手に持った味噌汁のお椀をそのままにフリーズしている光景にC.C.の箸も止まる。

「ルルーシュ、どうした?」

「…………いや、その…、C.C.」

 お椀と箸を置き、姿勢を正したルルーシュはC.C.を見据えーー。

 

「ひとつ……頼みがある」

 

 

 

 

 

 

 

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 ナナリー・ランペルージは幼くも、この下町の一角に存在する「おでん屋ナナちゃん」を運営するオーナーである。父と母が逝去し、兄であるルルーシュが家を空けるようになってからこのおでん屋を一人で切盛りしてきたナナリーではあるが、それは決して自らの手で全てを行ってきたわけではない。

 幼い頃から兄妹と縁のあったロロや、青果店を経営している両親の代からの付き合いがあるジェレミア、父方の血縁である兄や姉の助力などもあって、ようやく一人で店を回せるようになっていき、最近はすっかり一人で店を回すことにも慣れてきたものだ。

 それでも、まだ幼いナナリーにとっては、兄のルルーシュという存在はかけがえのないものであることに変わりはない。先日久々に我が家に舞い戻って来た兄との勝負で、見事に勝利を収めたナナリーであったが、流石に兄もすぐにここに腰を据えることは無理があった。その為、色々な事の処理を済ませる為に二、三日、もしくは一週間はかかることになると言って再び店をあとにした。

 ナナリーも、ルルーシュが妹である自分の身を案じて様々な策を練っていたことはとても嬉しいことでもあるので、それならばと胸の内に燻る微かな寂しさを押し殺して見送ったのだ。

 

 そして、あれから五日が過ぎーー。

 

「ナナリー、たまごひとつ追加で!」

「はーい、スザクさん!おまちどー!」

 今日も変わらず店を開けてみれば、兄の学生時代からの友人であり、この店の常連さんでもあるスザクとリヴァルが連れ立って入店し、先日帰ってきたルルーシュの話題に花を咲かせている。

「えぇーー! じゃあまたどっか行っちゃったのか、ルルーシュのやつ!」

 リヴァルの投げかけに、ナナリーはくすりと微笑んでみせた。

「ええ、でももうすぐ帰ってきてくれると思いますから」

「そうそう、流石に今回は大丈夫だって! あのルルーシュがナナリーとの約束を簡単に破ったりはしないだろうからね」

 ナナリーをほったらかしにしていると言われても仕方のないルルーシュだが、基本的にはナナリーのことを誰よりも何よりも重く考え、大事に思っているのは付き合いのある者なら誰もが承知していることだろう。

 そのルルーシュが、このまま約束をバックレるとは考えにくい。小さい頃からの馴染みでもあるスザクにはその辺りの心配はあまりなかったのだ。

「ていうかスザク、どうなんだよあっちは」

「あっちって?」

「そりゃあ、もちろんユーフ…」

 ああ!と、恐るべき速度でスザクの手がリヴァルの口元に伸び、パァン!とアタック音を鳴らして口を塞ぐ。痛いのはナナリーにも分かったが、当のリヴァルは想像以上の激痛が予想の斜め上から襲来したことで、痛みを伴う呻き声がスザクの手の隙間から漏れ出ている。

 流石は自衛隊所属の枢木スザク。その身体能力はますます苛烈になり衰えなどしない。むしろこれからどうなっていくのかと末恐ろしいほどだ。

「ユー……、なんですか?」

「い、いやっ! なんでもないよ、ナナリー! ほんとになんでもないからね!」

 あははは、と若干引き攣った笑みを浮かべているスザクの傍らで涙のリヴァルが慌てている光景が、なんだかおかしくて笑ってしまう。そうしていると引き戸がガラガラと音を立てて開かれた。

 

「いらっしゃい、ーーーあら?」

 

 知り合いの誰かかと思い声をかける。玉城かカレンか、はたまたその二人でもない兄の友人の方々かと思って声をかけてみれば、そこにいたのは見知らぬ来店客。思わず出てしまった声に反省しながら、「お好きな席に座ってください!」と笑顔で対応に当たる。

 その人物は、それはまた見惚れてしまうほどの翡翠の髪を長く下ろした綺麗な女性ともなると同性として注目してしまった。

 それが異性ともくればその感情も高まってしまったのか、スザクの手を退けようと争っていたリヴァル共々に男子二人は不意に訪れた美人客に視線を固定したまま惚けていた。

 来店した女性はナナリーの眼前の席に落ち着くと、店内を見渡す。広いと言うほどでもないがカウンター席の背後にはテーブル席が二つ並んでおり、左右との隙間も適度な距離を保たれていて、近づこうと思えば近づけるように動かせる椅子を使っているようで苦にはならない。広過ぎず狭過ぎず、その店の中にはぐつぐつと煮込まれるおでんの良い香りが漂い食欲をそそってくる。

「ーーー良い店じゃないか」

「まあ……ありがとうございます!」

 お世辞とも皮肉でもなく、ただ心のままに口にされた言葉だと瞬時に把握したナナリーはぺこりと頭を下げて感謝の言葉を示す。

「とりあえず大根とごぼう天とたまごをくれ」

「はい、少々お待ちを」

 そうして笑顔で用意をするナナリーを視界に収めながら来店した彼女、C.C.はほのかに笑みを浮かべた。あの男の妹なのだからどんなものなのかと思ったが、似ても似つかないほどの清純な少女だった。むしろこんな妹を放置してあの家で暮らしていたのかと思うと腹が立つほどだ。といっても、ルルーシュが密かにこの店をこっそりと訪れ、ナナリーの様子を探っているのをC.C.は知っていた。

 昔からの知人に頼んでナナリーの様子を見に行かせ、何かあれば連絡を寄越すようにと密偵紛いのことをさせていることも。

「はい、おまちどう!」

「ああ、いただこう」

 カウンターに出された薫る湯気の中にある大根に箸を伸ばした。力を込めずとも箸で容易く割かれ、口に含んでみればほくほくと熱さの中に隠しきれない旨味を持って五感に沁み渡ってくる。

「…………あいつの味と一緒、か」

 ぼそりと呟かれた言葉はナナリー達には届かず、立ち昇る煙に阻まれ共に消えて行く。そのまま大根から始まり、ごぼう天とたまごも食していく。ごぼう天はこの店を訪れる前にルルーシュがよく食べると口にしていたので、ならばこっちのもと食べてみたがーー。

「美味いな」

「ありがとうございます!」

「ああ、いつも食べるおでんより何倍も美味い」

 実際、ルルーシュが冬場にたまに作るおでんと比べると味は似通っているがやはりこっちの方が美味い。ご飯は場の力というものもあるらしいが、それでも単体としてもこちらの方が美味い。

「さてと、美味しかったぞ」

「あら、もうお帰りですか?」

 実際、三品しか口にしていない。些か不躾かもしれないが、今後のことを考えてからやはり席を立つことにした。

「ああ、あまり食べすぎると怒る奴がいてな。また来てもいいか?」

「はい! お待ちしています!」

「では、今度は思いきり食べさせてもらおう」

 ナナリーと軽い挨拶を交わし、支払いを済ませて出入り口へと向かう。その戸に手を掛ける直前にC.C.の手がピタリと止まり、ナナリー方へ顔を向ける。

「またな、ナナリー」

「はい、ありがとうございました!」

 そう言ってふらりと現れた謎の美女は、来た時と同様にふらりと去っていった。

「…………あら? 私、名前を……」

 名乗った覚えがない。おでん屋ナナちゃんではあるが、そこからナナリーと本名を当てずっぽうで正解を導き出したのだろうか。

 首を傾げるナナリーを置いて、その妖艶な雰囲気に圧倒されていた男共はひそひそと会話をこぼしている。

「スザク、見たことあるか?」

「いや、あんな綺麗な人、近所に住んでれば分かると思うけど、ああーくそ、玉城辺りなら分かるかもしれないのに、今日バーの開店日だったからなー」

 あとで聞きにいってみよっか、などと言葉を交わしてからナナリー特製のおでんにありつく。そのナナリーも今は営業中と意識を切り替え、店主として業務に従事する。

 

 そうして夜が更けていき、客も引け、また明日の準備の為にと睡眠を取って身体の疲れを解してゆく。下準備を入念に行うこともあって、開店はほかの店と比べると些か遅くはあるが、味のクオリティの為にもそれだけは譲れない。

 今日も一日頑張ろうと気合いを入れ直していると電話のコールが店裏の家の中に響き、いざ電話を取ってみれば、耳に届いたのは唯一無二の兄の声だった。

「お兄様! どうなさったんですか?」

『いや、いくらか作業も落ち着いたから、明日の昼頃にはそちらに行けると報告をしたかったんだ』

「まあ! ほんとうですか!」

 嬉しそうに返事をするナナリーの声音にルルーシュから笑みが漏れる。そんなにも待ってもらえるのは兄冥利に尽きるが、あいにく今日の本題はそれではなかった。

『ナナリー、実はその……ナナリーも一人で店をやっていくのもなんだと思って、だな。連れて行きたい人間がいるんだが、構わないか?』

「助っ人、でしょうか?」

『……まあ、そう考えてもらっていい。 了承は昨日の内に取ってある。 今日にでもそっちに行ってもらう予定だ』

 どうにも、兄の様子が変だ。

 言葉もぎこちなく、なにかおかしい。

 こういう時の兄は覚えがある。

 なにか勘違いされたくないことがあると、ルルーシュはこんな風に言葉を探すような言い回しをする。それでも兄がそう思っていても周りはそれを勘違いと思わないのも通例ではある。

 ーーもしや、と。

 ナナリーは脳内に浮かんだひとつの考えに押されて、ルルーシュに問いかけた。

「その助っ人の方は、どんな方なのですか?」

 すると、ルルーシュは詰まったように言葉を発することなく、耳元で小さく聞こえてきた声にならない吐息が、ナナリーの考えを増長させる。今度ははっきりと言葉にしてみることにした。

「ーーーもしかして、女の方……ですか?」

 息を呑む音がかすかに聞こえた。

「お兄様、本当に?」

『ま、待て! ナナリー! 違うんだ。 あいつは決してそういう関係ではなく、あくまでその、ただの居候というか!』

「居候!? その方はお兄様と一緒に暮らしてらっしゃるのですか!」

 ナナリーの言葉になにを思ったのか「ほわあっ!?」と不可思議な声を漏らすルルーシュのその様子にナナリーの表情が綻ぶ。こと自身の恋愛ごとに関しては兄はそこまで鋭敏な感覚を有してはいない。そんな兄が一人の女性の話でこんなにも取り乱すなんて。

 前代未聞だと、今からでも両親の墓前に赴いて兄の成長を聞いてほしいと思ってしまうほどだった。微笑みを隠しきれずにくすくすと笑いをこぼしてしまうナナリーに、今も落ち着きのないルルーシュの声が電話越しに聞こえてくる。

『と、とにかく、あいつには今日中にそっちに行ってもらう。あとは頼む!』

「あっ、お兄様!?」

 ナナリーの返事を待つこともなく、ルルーシュは問答無用と通話を打ち切る。そんな態度であったルルーシュにも今のナナリーは笑顔を浮かべる。久しぶりに感じた兄の照れた様子につい笑みが溢れてしまう。

 滅多な事では見られない貴重な兄の姿に喜びを覚えながら、このあとここにやって来るという新しい従業員。そして未来の姉候補の到着にナナリーの心は浮き足立って仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

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 そうして、顔に浮かんだ笑顔を隠す事もなく小刻みなステップも踏みながら開店準備を整え店を開ける。気づけば時間も経ち、店の中にはいつもの馴染みの面子が揃っていた。さすがにこの人数ともなれば一人だと少しだけ厳しいが、手が空いていたらしいロロが手伝いにきてくれたのでなんとか仕事のスピードを保っていた。明日も仕事があると言って先に退出した藤堂や扇と言った面々に、夜も遅いからとロロが帰宅し、今残っている面子でテーブル席の方にいるカレンはぐいっとジョッキ片手にビールを飲み干す。

 テーブルに叩きつけたジョッキが騒音を立て、上に置かれていた皿が大きく揺れる。その様子はいかにもオッサンらしいが隣に座っているジノは爽やかに笑いをこぼす。

「まあまあ、そんなに荒れんなってカレン」

「べっつにー、荒れてなんてないし。今アタシちょー喜んでるしー」

「何かあったんですか?」

 普段は見ないカレンの姿にナナリーが当人と周りに疑問を促す。

「なんでも、カレンの店のナンバーワンが店を辞めるって言って、さっそく辞めちゃったらしい。 で、カレンはそれが寂しくて泣いぼふぁっ!!」

 ジノの鳩尾をカレンの容赦ない拳が撃ち抜く。鬼気迫るその修羅に、ジノの隣に座っていたスザクが遠ざかるように尻を動かす。もう一方のカレンの隣に座っていたリヴァルも顔を引きつらせてカウンターの方に退避していた。

「寂しくもないし、ましてや泣いてもない!ただアタシはあいつに勝ち逃げされたのが悔しいだけだっつーの!」

 店の方では密かにナンバーワンとナンバーツーで凸凹コンビ扱いされていたのを当人であるカレンは知りようも無いことだが、それでもやはり彼女の存在が店から居なくなるという事はカレン自身の中に多少の寂寥感を生んでいた。

 目元に溜まっている輝く透明なソレは勝ち逃げからの悔しさから来るものなのか、それとも居なくなってしまうことの寂しさか。それは当人以外は不鮮明なことだが、周りから見れば姉のような人が居なくなって若干荒れている妹キャラにしか見えなかった。実際に妹属性であるというカレンのキャラクター性が、そういった雰囲気を強固にしているらしい。

「たぁーく、仕方ねぇーなぁー! 今度俺が行ってパーっと金落としてやるから元気出せよカレン!」

「玉城、アンタ今度店の子に手ぇ出そうとしたら出禁だからね」

 出禁という単語を強調したカレンからの最終警告に「なにぃー!」と玉城が絶叫しているのを尻目に、ナナリーは視線を出入り口へ走らせた。

 兄の電話のあと、店を回しながらも密かに気にしていた助っ人に現れる女性というのはまだその姿を見せない。もう夜も遅いが、果たしてこんな時間にやってくるのかと思案を巡らせていれば、カウンターに逃げてきたリヴァルが口を開く。

「そういえばさスザク、アレ聞いてみないか?」

「ん? アレって、ああ! あれか!」

 スザクとリヴァルの間で成立するやり取りに首をひねっていれば、スザクはカレンに縋り付いて出禁キャンセルを頼み込んでいる玉城に言葉を投げる。

「玉城、ちょっとひとつ聞いていい?」

「んぁ!?なんだよスザク!」

「まあまあ落ち着いて。 あのさ緑色の髪の美人さんとかに覚えないかな?」

 その言葉に今にも玉城の顔面にグーを喰らわそうとしていたカレンの眉がピクッと反応を見せる。すでに真っ赤に染まった顔が髪の色と一体化してますます鬼の面の如くと言った風態だった。

「あぁ? 緑色の髪ぃ?」

「うん、昨日この店にーーー」

 来たんだけど、と。

 そう言ったスザクの声を搔き消すように出入り口の戸が開けられた。ぴしゃりと開けられたその方向に何故だか全員の目が向いた。

 いらっしゃいと、ナナリーの言葉が発する前に口内で途切れた。噂をすればというやつか、そこに立っていたのは。

「昨日の……」

「また来たぞ」

 気さくな体で来店した緑色の髪の美女。昨日会ったばかりの人だというのに何故か愛着の湧く女性だった。何故だろうかと内心不思議に思いながらも、宣言通りすぐに来てくれたことに感謝を禁じ得なかった。

 周囲の固まっている人影など微塵も気にせずに彼女は一歩ずつ足を踏み込んできた。リヴァルの座っている隣が昨日彼女が座っていた席であり、またしても彼女はそこに腰を下ろした。

「なにをお召し上がりになりますか?」

「そうだな、じゃあまずは一通りのメニューを全部いただこうか」

「え?」

 さすがにその返しは想定外だったこともあり思わず声が出てしまった。それを間近で見ていた彼女はふっと息を吐いてからナナリーを見つめた。そして決定的な一言を。

「ーーー助っ人、だからな。メニューの味を覚えるのは当然じゃないのか?」

 からかうように口元が弧を描き、C.C.の瞳がナナリーを捉える。その言葉に一瞬静止したナナリーだったが、その意味をゆっくりと呑み込んでいく。

 そんなナナリーの姿を見て笑うC.C.だが、そこまでは良かった。その背後でゆらゆらと赤い影が揺らめいたのはその直後のこと。その憤怒のオーラに恐れ慄いたリヴァルが、ヒーッ!と叫び声をあげてジノの横へと回避し、玉城と一緒に抱きついて子鹿のように震えていた。

「………………ねぇ、ちょっと」

「ん?」

 自分にかけられた声に反応し、ナナリーに向けていた目を身体ごと後ろにいる人物に向けて、少しだけ驚いたような顔を見せた。

「なんだカレンか。居たのか」

 と、あっけらかんと言い放った。

 ブチッ!!と何かが切れたのが聞こえた。

 赤い髪が鋭さを増したような光沢を見せると、怒髪天のようにオーラが燃える。

「い、いたわよぉぉーーー!!! さいっしょからここにいたってのよ! アンタにとっちゃアタシはただの負け犬だったかもしれないけどね! アタシはそれなりにアンタのこと気に入ってたってのに、それを、それをあんたってやつはー! だいたいどうしてここにいんのよ、アンタもここの常連だったわけーー!」

 雄叫び、咆哮の類が店に響く。

 ナナリーも近所迷惑極まりないので止めようかとも思ったが、カレンから溢れ出る幾多の感情の波に堰きとめられたように言葉が出てこない。

 怒り、寂しさ、困惑。爆発した感情の勢いに皆が呑み込まれる中で、唯一彼女は、C.C.だけはその平静さを崩す事なく。

 

「明日からここで働くことになった。お前が常連だってことはルルーシュから聞いてる。これからもよろしくな」

 

 …………その言葉にどれほどの意味が込められていたのか、皆黙って考える。

 

 ーーー明日からここで働く?

 ーーー聞いてた、しかもルルーシュから?

 ーーーなんでルルーシュ?

 ーーールルーシュとどういう関係?

 

 気づけばルルーシュという存在の渦に呑まれそうな思考。

 

 しかしその片隅に一筋の光明がーーー。

 

「じゃあお兄様と一緒に暮らしているという方は、貴女だったのですね!」

 

 しかし、それが希望となるかはまた別の話で。

 

「「「「「えっ?」」」」」

 

「……あいつ、そんなことまで喋ったのか」

 

 そして、それを肯定する声がひとつ。

 

 

「「「「「えええええええええええええええええええええええーー!!!??」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ーーー妹のおでん屋を一緒に手伝ってほしい。そう言われた時はなにを血迷ったのかと思ったが、実際に行ってお前が判断してくれと言われ、仕方なくという気持ちと私的な好奇心も重なって赴けば、しっかりした少女が一人で切盛りしているおでん屋さん。

 味も悪くなく、雰囲気もいい。先に店中にいた男二人に関しても悪辣な気配はない。今のパブが嫌いになったというわけでもない。しかし、「まあここならいいか」という思いが勝り、妹の店から出て早々に今の職場を辞めることを決めた。

 そこから先は即断もあってスピーディーに進んでいき、退職は受理され、ルルーシュに関してもOKを出し、荷物を幾らか纏めておくのも一時間もかからなかった。もともとここは自分の家ではなく、ルルーシュの持ち物なのだ。自分はただの居候。それに変わりはなく、仮にもしルルーシュに女の影があれば即座に出て行くつもりがあったというのも、荷物の少なさに直結している。

 

 ーーーだからといって、今のこの生活に未練がなかったのかと言われると、些か棘が残る。男女関係などなく、ルームシェアのようなものなんだと言い聞かせていれば、ルルーシュという同居人に対して思わなかったものがなかったといえば嘘にもなる。

 だから、いざ店に訪れ、知り合いの元同僚に遭遇したりとしている間に薄れかけていた内側に燻る想いが今になって押し寄せてきたのだから始末が悪い。

 

 パチリと、瞬きが数回。

 目覚めてみれば、ナナリーから聞いていた起床時間よりも一時間ほど早い起床だった。むくりと身体を起こしてみれば、未だ馴染めない枕の感覚と馴染みのある黄色の感触が襲ってきた。おでん屋ナナちゃんにやってきて早三日。帰ってくるはずのナナリーの兄は未だその姿を見せず、「遅れる」と電話を一本だけ寄越して以来音沙汰無し。

 その間、押し寄せるナナリーの眼差し。あれは間違いなく勘違いされている。いや仕方ないとは思う。年頃の男女が同じ屋根の下で暮らし、戻ってくるに際して一緒に連れてくるともなれば、誰だって容易くそういった間柄なのだと思うことだろう。

 だが、それは違うとナナリーにいったところでどうにも相手にされている気がしない。スルーされているわけではないが、いまひとつ理解されていない。「現状はまだだけど、いずれはそうなるんですよね?」というような視線をたまに頂戴するのだ。

 否定するのも面倒になってきたので、しばらくそっとしておくことにした。そうだ、当のルルーシュが戻ってきたら、あいつになんとしてでも否定してもらうことでナナリーに理解してもらおうと諦めて今に至る。

 だが未だにルルーシュが戻って来ず。

 悶々とした日々が続いている。

「C.C.さん、起きてますか?」

 余裕を持って支度をしていれば襖越しに聞こえてきたナナリーの言葉に返事をすれば、スッと開けられた廊下に立っているナナリーと目線が合う。

 その瞬間、ドキンと心臓が跳ねた。

 そのナナリーの背後に立っている、ルルーシュの姿を視界に捉えて跳ねた鼓動が煩くなって目をそらした。

「C.C.さん、お兄様が帰ってきましたよ!」

「ああ、みたいだな」

 顔が見れなくなって、横に置いてあるチーズくんに触れる。それでもなにも変わらずバクバクと喧しく振動する鼓動の音に意識を持っていってしまう。そんな自分に疑念が尽きない。どうしてこんなに動揺している。今までずっと一緒に暮らしていた相手だというのに。

 この場所が悪いのだろうか。ここはルルーシュのホームであり、自分にとってはアウェイだ。なにせここにはルルーシュという男の人生が詰まっている。そんな場所に触れている自分が、居座っている自分がおかしい。

 場違いな場所に居座っているのを理解しながらも、今更出て行くわけにもいかない。なにせ荷物も全部ここに持ってきている。ルルーシュがここにいるということはあの部屋はもう自分達の居場所ではないのだろう。

 自分達。

 その言葉が出てきたことに驚いた。

 彼処だけが自分とルルーシュを繋ぐものであって、もうあそこは無くなってしまった。だというのに今こうしてルルーシュの実家にいる自分はなんだろうか。

 自分はルルーシュ・ランペルージにとってのなんなのだろうか。今思えば、先日のナナリーの発言から端を発する常連どもの過剰な反応は不味かった。あの辺りから、本格的に考え始めてしまったのだ。

 

 これからの自分を。

 ルルーシュとの関係を。

 

 正直ナナリーには言ってほしくはなかったが、いまさら何かを言ったところで後の祭り。あのアパートの部屋が今まで自分を保ち続ける楽園だったのにーー。

 

「C.C.」

「え?」

「え? じゃない。着ていたものくらいちゃんと畳んでおけ」

 気がつけばナナリーはおらず、部屋に踏み込んでいたルルーシュは慣れた手付きで放り出しておいた服を畳み始める。女性の服も躊躇なく触れて畳み始めるのはそれが自分のだからだろう。もうすっかり見慣れてしまい、やり慣れてしまった工程に身体が反射的に動いたんだろう。

 いつかこうして、誰か見知らぬ女にもこういった事をするんだろう。ルルーシュのことだから自身のような女ではなく、その辺りの意識がしっかりとしている女だろう。

「………………は」

 それを考えて眉根を寄せる自分は。

 胸の中に蟠るもやもやはなんだろうか。

 一丁前に感情を剥き出しにして。

「…………なにかあったか?」

「……なんだ、急に」

 唐突なルルーシュの質問を質問で返す。

 彼の横顔を眺めながら次の言葉を待つ。

「こういう時に黙り込むのは、なにかあった時だろう。 それくらいの判断はつく」

 今だけは、その妙なところで勘の良い頭を恨めしく思う。そう言われたところで返す言葉が見当たらない。なんと言えばいい。

 今の状況に、不安を感じていると?

 自分達の関係が変わってしまうのが怖いと?

 これからの自分がどうなるのかが怖いと?

 これまではただ生きているだけの人生だったのだ。希望もなにもなく、ただ呼吸をしているから生きてきただけ。そんな自分を今更変えていけることなんてできやしないのに。

 そんな人並みの感情を剥き出しにして、この男の前に立つのが怖い。

 拒否されたら。

 拒絶されたら。

 それを考えただけで足が竦む。

 そんな事を思ってしまう自分の心が、どれだけ彼を大事に思っているかに直面してしまいそうで、持て余してしまいそうで。

 そんな自分への不安に襲われる。

 嫌な女だと自覚することも、彼に落胆されることも。

 

 ーーああ、自分はいつからかこんなにも脆くなってしまったと。

 

 そんな今の自分を突きつけられる。

 

「…………お前のせいだ、ルルーシュ」

「いきなりなんだ。主語を挟め」

「うるさい、お前のせいと言ったらお前のせいだ。責任を取れ」

 チーズくんを武器に、ルルーシュの顔面へと投擲したC.C.はおそらく自分を待っているであろうナナリーの元へと歩を進める。

 そんな自分を何処かで、逃げたと思ってしまうのはいよいよ病気だと思わず笑ってしまうが、その割には覇気もなく、C.C.は今更ながらに、変化した環境に馴染めずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 実を言えば実家を飛び出した身であるルルーシュも、ナナリーからそこまでの距離を置いて世界を手にする計略を講じていたわけではない。なによりも優先すべき妹の身を案じるのは家を離れておいてどの口がと言われもしたが、それはそれ。いざという時にすぐに駆けつけ、対処出来るほどの距離に住まいを構えていた。

 それでも知り合いと遭遇することは避けていたので、こうして堂々と商店街を歩くのも随分と久しぶりなのである。ーーと、そこでルルーシュは足を止め、少しだけ痙攣らせた顔で背後を振り向く。

「なぜついてくる!?」

「だって、ルルーシュだし」

「そ、スザクの言う通り、ルルーシュだし」

「意味が分からんっ!」

 スザクの発言に乗っかるリヴァル。二人して納得するように同じタイミングで頷きあう様子に頰がさらにピクリと動いた。家を出てみればバッタリと遭遇してしまった知己二人。そのまま別れてみれば、後ろから当然のようについてくるので、一言くらいは言ってやりたくもあったのだ。

「お前ら、仕事はどうした!?」

 問いかければ揃って「休み」と言い張る連中に頭を抱えそうになったが途中で止まる。こんなことでいちいち反応していたら身がもたないと止めていた足を前へ動かす。

 それに大体の見当はついている。おそらくまた自分が蒸発するのではないかと疑っているのだろう。ナナリーに頼まれたわけでもないだろうに。これが妹が愛されている証拠と捉えるか、単に自分が信用されていないだけか、どのみちコイツらのことだからからかい半分だということを薄々把握しているルルーシュは、街並みにとけ込む二階建て一軒家の前で再び足を止める。

「あれ、青果に用事?」

 リヴァルからの疑問が飛ぶ。ルルーシュが立ち止まったのは、この下町で知らぬ者はいないであろう人気の青果屋の前だった。

 

 そうしていると、店先からひとりの少女が小さめのダンボールを抱えて姿を現した。淡い桃色の髪の少女はルルーシュを見るや、少しだけ驚いたように目を見開いた。

「ルルーシュ……」

「しばらくだな、アーニャ。 店主はいるか?」

 アーニャと呼ばれた少女は、コクリと頷くとダンボールを抱えたまま引き返していき、ルルーシュも勝手知ったるものとその背中に続いて店の奥の方へと歩いていく。スザクとリヴァルもあとに続いていけば、奥のカウンターでこちらに背を向けた状態で椅子に腰を下ろしている店主のジェレミアの姿があった。

「店長、お客さん」

「ん、私に客、いったいーーー」

 だれ、と口にしようとしたジェレミアが振り向き、ルルーシュの姿を確認した瞬間、言葉が止んだ。アナログ式に週間の売り上げ確認に勤しんでいたらしく、手に持っていたペンがカタリとテーブルに落ちた。その視線はルルーシュに固定されたまま微動だにしない。そんなジェレミアの姿を見て、ルルーシュはふっと、笑みを漏らした。

「相変わらず資金面に関しては余念がないようだな、店主(ジェレミア)

「おお、なんと、ルルーシュ様! お久しゅうございます」

 無駄のない軽やかな動き。流れるように膝をつき頭を垂れるその姿勢は、まさに忠臣の名にふさわしき振る舞いだった。

「すまないな。仕事中に割り込みたくはなかったんだが、このあとおでん屋の件で少し出かける予定だったので寄ってしまった」

「なにを仰います。ルルーシュ様がこちらに来られるのならば、このジェレミア、ふさわしき装いでもて成させていただく所存です」

 会話の内容は主従の関係は存分に匂わせるが、このやりとりは青果店の奥で繰り広げられているのを忘れてはいけない。

「この二人、相変わらず世界観間違えてると思うんだよなぁ………」

「まあまあリヴァル、そんなこと言ってたらルルーシュの友達やってられないって。 ね、アーニャ?」

「私も、もう見慣れた」

 違和感などもう拭えてしまったスザクとアーニャはさておいて、呆れた目線を送るリヴァルの前で会話は続いていく。

「俺がここに来た理由……薄々勘付いてはいるんだろう?」

「はっ、例の件……でございますね?」

「うむ、兼ねてよりお前に任せていた責務。今この時をもって、その任を解くこととする!」

「イエス、ユアマジェスティ!」

 バッ!と、堂々とした姿勢で片手を掲げ、宣言するルルーシュに連なる形でより一層に頭を低く垂らすジェレミア。この光景に渇いた笑い声しか出ないリヴァルに、慣れたと言っても流石に呆れた視線を送っていたスザクとアーニャだが、ルルーシュの放った言葉には興味を抱いていた。

「任?」

「せきむ?」

「知らないのも無理はない。この話は俺とジェレミアの間でしか通していないからな。 今更だが、俺がいない間、ナナリーに不審な輩が近づかないかとジェレミアに密かに頼み、情報を流せていたんだ。現にいけ好かない矮小な餓鬼や、情欲をはき違えた変態どもを幾らか屠ってやったよ」

 ふふふ、と笑うルルーシュに、仕事を達成した充実感からか、何処と無くジェレミアから発される雰囲気が和らいでいる。ナナリーは幼くも社会人としての足を踏み出している。そんな彼女の儚く見えながらも、健気に真摯に物事に取り組む姿勢は他者を惹きつける。それが良い意味でも悪い意味でも。

 変態(ハイエナ)が集るのに時間はかからなかった。そんな最愛の妹の身を案じたルルーシュはジェレミアに内々に指示を出していたのだ。

 

 ーーーせっかくだ。手厚く持て成せ。

 手加減無用。

 しっかりと記憶(トラウマ)に焼きつくようにな、と。

 

「これにて《オレンジ大作戦》終了(コンプリート)とする!」

「オレンジ大作戦?」

「なに、簡単なことだ。ジェレミアにはお裾分けのみかんを持って月に一度おでん屋に出向き、隙を見て仕掛けておいた盗聴器とカメラの取替えを行なってもらっていた」

「ナナリー様には申し訳無く思いますが、これもお二人ご兄妹の安息を護らんが為、不肖な身ながらも、心を鬼と化し、任を務めさせていただきました」

「ご苦労だった、ジェレミア。お前の忠義に感謝する」

「なんと……勿体無い御言葉。このジェレミア、謹んで頂戴致します」

 正直、ルルーシュに至っては実の兄なだけにストーカーよりもよっぽど気持ち悪いことこの上ないと思えるが、いかんせん二人は真面目にナナリーの安全を考えていた分、下手なことが言えない。

 目の前の二人が独自の世界観に浸り、互いに笑みを交わし親交を深めている間も、余計にタチが悪いと冷静に心の中でツッコミを入れているスザク達なのであった。

 

 

 店前でジェレミアと別れ、ルルーシュはスザク達を伴って駅の方へと足を向けていた。なにせ今日の用事は『おでん屋ナナちゃん』にとっても大事な日。おでん屋の味に目をつけたコンビニがその味を是非店頭での販売にと声をかけられ、ルルーシュは各部署との連携作業を(オーナー)から一任されていた。ナナリーは若くもありながらしっかりとした立ち振る舞いをしているが、やはりその幼い外見で侮られることが多々あった。

 そのため、コネクションという意味では兄であるルルーシュの身をもって、その一連の流れを託してみようという話に落ち着き、今日はその第二回の会議開催日である。

 今からでも遅くはないと、ルルーシュは頭の中で前回の話し合いの内容と、今回提出する議題、提案内容、想定される質疑等のチェックを行なう。そして、そんな彼の耳に染み込んできた左隣を歩くリヴァルの声がひとつ。

「でさ、ルルーシュ。 結局のところ、どうなのさ?」

「ん? なんの話だ?」

「とぼけんなって。あの美人さんのことだよ」

 その言葉に、頭内に浮かべていた思想を一旦カットして目線をリヴァルに流す。正直その話題にはうんざりしているのだが、当人以外にしてみればネタにしかならないのだろう。ふらりと帰ってきたおでん屋の息子が、綺麗な女を一緒に連れてきたのだから。しかもその彼女もおでん屋で働いているとくれば、これはもう『おめでた話』と思うしかない。

「たらしで、朴念仁で、根性無しのルルーシュが女連れで帰省してきたんだよ。そりゃあそういう関係にしか見られないって」

「……言いたい放題言ってくれるな、スザク。 そういうお前だって人の事を言えるのか? ユフィとは今でも友達止まりだろう。根性無しはどっちだ!」

「なっ!? ユ、ユフィのことは今は関係無いじゃないか!」

「自分に都合の悪いことには過剰な反応を示すくせに、いざ他人事となれば当然のように口を挟みこむ。まったく、相変わらず変わらないなお前は」

 学生時代と変わりなく、他愛ない口論。これも二人のスキンシップであると付き合いの長いリヴァルは特に気にせずに両者を見守っている。

「スザクの話はひとまず置いといて。 で、はっきり言えってば、ルルーシュ。 どんな関係なのさあの人と」

「関係って……だから、その……」

 ストレートな質問に応えようとして、いざとなるとうまい言葉が、ぴったりと自分達の関係に嵌る言葉が見つからず、何も出てこない。C.C.との関係性。あの家に共に暮らしていた時はただの居候だと言い切ることも出来ただろう。

 

 しかし今はーーー?

 実家に連れてきたこの現状で、自分達はいったいどんな間柄か。

 

「…………………………ふん」

「ルルーシュ?」

「いや、なんでもない」

 雰囲気の変わったルルーシュの姿に、両隣にいたリヴァルとスザクは口を噤んだ。互いに視線を合わせルルーシュに気付かれない程度に軽く頷いた。どうやら本人もその辺りについては今も考え中らしいと察した。

 それならばと、二人は何も聞かない。

 当人同士で解決しなければいけない問題ならばと、揃って友人に心の中でエールを送る。でも、それでもーーー。

「ルルーシュ」

「ん、なんだリヴァル?」

「なんか困った事があったらさ、俺とかスザクに相談しろよな。友達だろ」

 それだけ言って、リヴァルは朗らかに笑う。そんな友人の姿を目にして、ルルーシュも静かに口元を綻ばせた。

 

「…………ああ。 そうだな。そうさせてもらうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

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「帰ったか」

「……なにをしてるんだ、お前」

 材料とまでは行かずとも、経営をしていればそれなりに備品も消費する。ナナリーと共に買い物に出かけ、ついでだからと入り用の物を買い揃えて帰宅すれば、灯りもつけずに朝方に出かけた男が自分の部屋に居座っているのを発見してしまった。はっきり言えば不審者かと思った。いや実際知り合いとはいえ不審者にしか見えないのだが。

 ルルーシュと一緒に過ごすのにどうにも言い知れぬ違和感が拭いきれず、今日も朝から挨拶を交わさなかった。ルルーシュがナナリーに自分の事を聞くのを耳にした際は、用もないのにトイレに篭ってルルーシュが去るのを待ってしまったほどだ。

 付き合いが短いナナリーも、おそらくではあるが自身の変調に気付いている。だからこそ買い物に行きましょうと気分転換を申し出てくれたのだろう。早々に気を遣われてしまったが、謝る気にもなれずにいるまま、こうして帰宅したわけなのだが。

 まさか待ち伏せされているとは。

 C.C.は顔を合わせることがなんだか躊躇われて、自分用の物が入っているビニール袋を持って、部屋の隅の方に移動した。

 ルルーシュから向けられる視線が強くなった気がするが、気のせいと思うことにして袋を意味も無く漁ってみた。出来れば早くこの部屋から出て行ってくれないかと思ってしまったが、そんなC.C.の意思を否定するようにルルーシュはそこから頑として動く様子はない。

 ガサガサと袋の擦音だけが暗い部屋に肥大化して響き渡る。どちらも言葉を発することもなくただそこにいた。

 

 そこで唐突に、空気を吸い込む音が耳に嫌になるほど流れ込んできた。不意に見つめた先で深呼吸をしたらしいルルーシュが、その眼光を向けてきたのをC.C.は理解した。

「…………………………C.C.」

「な、なんだ……」

「その、ナナリーとはどうだ?」

「は?」

 質問に意図が読めず、声が漏れた。

 ルルーシュは言い澱む気配を隠しきれないまま、畝り声をこぼし、眉根を寄せる。

 いかん、焦って失敗した。どうにもうまい言い回しが出てこない。

「うまく、やれているか?」

「……ああ、まあな。 ナナリーは良い子だ。お前には似ても似つかない」

「……そうか」

 いつもならこの辺りで一言申しそうなルルーシュが、何も言わずに流した時点で互いに異変を如実に感じ取り始めたルルーシュとC.C.だが、基本的に不器用な二人はどうにかしようとしてもどうすればいいのか見当もつかない。

 

 ーーーそれでもと。

 ルルーシュは、先ほど固めた決意を揺るがすわけにはいかないと言葉を紡ぐ。

「迷惑じゃ……ないか?」

 言ってしまった。心の何処かで思っていた言葉を口にする決意をしたのだ。ルルーシュの突然の発言にC.C.が目を見開いたのが瞳に映り込んだ。

「今更ではあるが、勝手に決めて、勝手に頼んで、こうして来てくれたあとに聞くのもどうかとは思うが……迷惑じゃないか」

 リヴァルの発言が耳に残っている。

 どんな関係なのかと言われて、口を噤んだけれど、ひとつだけ確かなことがあった。

 

 大事に思っていなければ、わざわざこんなところまで連れて来たりはしないとーーー。

 

 思えばお互いに、どんな存在なのかと問うた事などない。それはそうだろう。お前は俺のことをどう思っているのかなどと聞ける筈もない。両者共に「あいつはただの居候だ」と言い続けてこれたのも、それをはっきりとしないままにしてきたから。

 それも、そろそろちゃんとしなければならない。彼女のことを思うならば。だからまずは、気になっていたことから始めよう。

「もし抵抗があるなら、すぐにでも何処かに部屋を手配することも出来る。 ナナリーには俺の方から説得するし、お前は何も心配することはない」

 自分で言っておいて、胸の辺りがギシギシと軋むような錯覚に囚われる。予想以上に歪んだ顔に、筋肉が悲鳴をあげている。それでも言わなければいけないと、それらを全て誤魔化して言葉を届ける。

「だから、ーーー」

 C.C.と、彼女の名を呼ぼうと、伏せていた顔を上げてみれば。

「……え?」

 その声を発したのはC.C.だった。

 ルルーシュの言葉が止まり、何事かと思えば彼は自分の顔を見つめ、口を開けた状態で硬直していた。何かあったのかと思っていると、頰になにかが触れた。反射的にその部分に手をやれば、しっとりと指が濡れた。

 左手の甲に落ちるソレを目が捉えた。

 

 ーーー泣いている。

 自分の瞳から溢れる涙に気付いた。

 両の眼から伝い落ちる水滴。

 咄嗟に両手で目元を拭う。

 こんなところを見られたくはない。その感情が溢れてくる。これじゃあまるでか弱い女のようで、今そんな自分を見つめている彼にどう思われるか。らしくないと、笑われてしまうかもしれない。もしかしたら失望されることだってあるかも。

 それ以前に、どうして私は泣いているのかと自身に問いかける。

 ルルーシュが部屋を手配だのと口にして、それを聞くたびに胸が締め付けられた。なにかを否定された気がして痛みが全身を這うように襲ってきた。こんなところを見られたくないのに、どうして私は。

「……?」

 その時、近づいてくる気配に意識が戻る。直後に頰に触れたハンカチが、今も溢れ続ける涙を優しい手付きで拭っていく。その温もりを感じて、また涙が溢れた。

「無闇に拭うな。まったく……」

 呆れた口調でも、そのハンカチを持つ手は本当に優しくて。優しすぎて。今までこんな風にされたことはなかった。自分の頰に優しく触れてくる男なんてーーー。

 瞳が交差する。その穏やかなルルーシュの表情に、全身が吸い寄せられる。どれくらい、互いに見つめ合っていたのだろうか。

 どちらともなく、近づいてゆく。

 降ろされた目蓋、淡く溢れた吐息。

 唇が触れ合ったのはそれを感じた直後。

 その優しさと温もりも伝わるようにと。

 その細やかな触れ合いの中で薄く漏れた声が暗く静謐な部屋に溶けていく。

 息が出来ないと、同時に唇が離れる。それでも惜しい気持ちが隠せずに一瞬だけ唇が再び触れ合う。

 それでも、瞳に焼きつく男の顔だけは逸らさない。ルルーシュの瞳に映る自身の顔が見えるほどに、その距離が離れることはなく。

 

「…………………………責任、取ってやる」

 

 と、ルルーシュの口元から言葉が零れた。

 

「責任……?」

「言っただろう。『責任を取れ』と。だからそれを果たすと言ってるんだ」

 そんな事を言ったかと自問自答するC.C.だが、ルルーシュから逃げる時にふとそんな言葉を告げたのを思い出す。

「なんだ、そんなこと覚えてたのか」

「そんなこととはなんだ、重要だろ」

 俺たちのことだぞと言われ、C.C.は鼓動がドクンと疼いたのを感じた。それをルルーシュには悟られたくなくて精一杯の力で誤魔化し気味に口元を緩めーーー。

「なんだルルーシュ。 お前、私に惚れてるのか?」

「……そうだと言ったら、どうする」

「えっ……」

「そうだと言えば、お前はどんな返答をするんだ、C.C.」

「わたし、は……」

 今まで見たことがない強い眼差しを送るルルーシュにたじろいでしまう。そんなことを言われるとは思っていなかった。

 いや、さっきの自分の言葉も。

 ルルーシュの質問も。

 本当はなにもかもが瑣末なことで。

 ただ、素直になりきれないまま。

「俺はーーー」

 ルルーシュは口にする。

 彼女がまだ言葉に出来ないものを。

 

「俺は、お前との未来(あした)が欲しい」

 

 ーーーその言葉に心を絡め取られた。

 その願いに心が奪われた。

 

 なんだか、今までの自分の葛藤が馬鹿みたいに思えてしまうほどに確かな想いが湧き上がってくる。

 

 それでも上手く言葉に出来そうになくてーーー。

 

「私との、未来……か」

「……返答を聞かせろ」

「そうだな、しかし人は簡単に嘘をつく。現にお前だって世界を手に入れるなんて言ったはずが、今はおでん屋稼業だ」

「否定、出来ないな」

「だろ。お前は嘘つきだからなルルーシュ。……だからーーー」

「ん?」

「態度で証明しろ。そしたら聞かせてやる」

 そうして静かに目蓋を降ろす。

 小さく笑みをこぼしたのが微かに聞こえた直後、また暖かな感触が触れてくる。

 

 その愛しさが彼女の胸に突き刺さる。

 

 悲しくもないのに、涙が溢れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 パタリと、ナナリーは静かにPCを閉じた。

 多少火照った頰を冷ますように、両手をうちわ代わりにしてパタパタと揺らす。

「………………はふ」

 ついつい気になって見てしまった。

 そう、兄とジェレミアが密かに仕掛けてあったカメラと盗聴器を回収し、同じものを入手していたナナリーであった。

 他の人についてはどうなのかは知らないが、盗聴器とカメラにしても兄が自分のことを想って色々な事をしてくれている事実がナナリーは嬉しかったのだ。

 彼女も彼女でブラコンの気が十分にあることは馴染みのメンバーならいくらか知ってはいるが、流石にルルーシュの策を知った上で自由にさせている、しかも若干嬉しさも抱いていると分かれば、いよいよ重度のブラコン認定を受けることだろう。

 それを使って、なんだか兄達の異変に気付き、こっそり仕掛けておいたモノでモニターしてみれば二人の濃厚なシーンを目にすることになってしまった。

「あとで回収しておかなきゃ」

 とりあえず今のところはそっとしておくことにして、店の準備に入る。

 

「あ、これからはちゃんとお義姉様と呼ぶことにしないと」

 

 ルルーシュも知らぬところで。

 着実に成長しているナナリーなのであった。

 



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