うまい具合に調整が出来ない。
らしさ
「と、言うわけで!」
教壇に立つ文化祭実行委員が高らかに声を上げる。
彼が背を向ける黒板には数々の正の字が並ぶ。それは戦いの傷跡であり、勝利者を明らかにするのだ。
「俺たちB組の出し物は演劇に決まりましたー!」
割れんばかりの拍手が起こる。
黒板で冠の抱くのは演劇の文字。大きく丸で囲ってある。
他の企画は敗北者であり、なんとも惨めだ。
そろそろ春と呼ぶには難しい、夏には少し早い、そんな微妙な季節。俺たちB組は来たる文化祭の出し物を決めていた。
「あー、負けちゃったかー……」
そういう俺は希望していた企画が通らず、少し悲しい気持ちになっているのであった。
「へーん、ざまぁ」
そういう心無い言葉は刃になることをこいつはそろそろ覚えた方がいい。
隣を向けば、意地悪そうに笑い、意地悪な言葉を言う市ヶ谷がこちらを見ていた。
ため息が出る。深い深い、きのこが生えてきそうなくらい。
「折角市ヶ谷を買収したのに」
「買収言うな。聞こえが悪いだろ」
黒板を見れば俺が票を入れたたこ焼き屋は正の字が完成すらしておらず、線が2本引かれているだけであった。
これは俺と市ヶ谷の票だ。俺たちだけだ。
出し物の案が出揃った時、聞けば市ヶ谷は特に希望はなく何でもいいとの事であった。で、あるならば俺が希望するたこ焼きに誘導するのは至極当然であり、見返りのジュース1本も当たり前の対価なのであった。
しかし結果はご覧の有様。
たこ焼きを提案したクラスメイトすらたこ焼きに投票していない。
何故たこ焼きを提案したのにたこ焼きに投票しないのか、何故俺と組織票(1人)だけなのか。
それはきっと、
「やっぱりみんな検便は嫌なのか……」
「言うな。聞きたくない」
これだ。市ヶ谷も顔を顰める。
飲食系は検便を実施しなければならない。これは学園側が原則としている。
それを聞いた瞬間、筍のように乱立していた飲食系企画は軒並み消えていった。
いいじゃないか、検便くらい。寧ろ食を扱うのであれば当然だと思う。これだけで安全を買えるのだから。
それにクラス全員が検査するわけではない。
実際に調理する人だけでいいのだ。5人から多くて10人。たったそれだけでいいのに。
俺がやるからあと9人でいい。
しかし我がB組のクラスメイトは検便の必須と犠牲の可能性があると知った途端に日和ってしまった。
だからと言ってモザイク画や研究発表など、展示系の弱小勢力が盛り返すわけではない。
場は完全に膠着する。
えー、他に何かない?そんな声がそこかしこから上がる。
そこに現れた演劇という第3勢力。
提案したのはそれまで司会に徹していた文化祭実行委員だ。
だったら演劇やろうぜ!そんな力強い声に対し、力強い同意が再び筍のように乱立する。
正にここしかないというタイミング。まるでこうなる事を予見していたかのようだった。
加えて提案者だ。
文化祭実行委員の彼を、B組の戸山さんと俺は呼んでいる。つまりはコミュ力モンスターなのだ。
自らパリピを呼称する彼、B型戸山は文化祭実行委員を自ら請け負い、日頃のコミュニケーションの甲斐あり、浮いていた大半の票は演劇へとなだれ込み、必殺のタイミングをもって演劇を勝ち得た。
「実は!待ちきれなくて劇の内容も考えちゃいました!」
マジでか!
原作と思われる本を世界最高の宝物のように掲げるB型戸山君。
再び湧き上がる拍手。なんて用意周到なんだ。もうクラスが演劇一色に染まっている。
「あれだ。お前の負けだな。差がありすぎる」
あ、あれは引いてる顔だ。市ヶ谷は感心しつつ、周到すぎる彼に引いている。
しかしこれは素直に負けを認めよう。
彼こそがウィナーだ。
劇のストーリーを大まかに話し、賛同を得るとあれよあれよという間に役割分担に。
そして俺は、脇役に配置されることになった。
「じゃあ今日はここまでってことで!
台本コピーしてくるから次回みんなに配りまーす!はい、解散!」
B型戸山君の掛け声で本日はお開きとなる。
しかし帰る支度をする人は誰もいない。
未だ教壇に立つ彼を中心に輪を作ったり、同じ役割となった人と雑談する人ばかりだ。
「おい、早く行こうぜ」
いや、一人だけいた。
市ヶ谷だけは我関せずとばかりに支度を済ませて鞄を手に持っていた。
「仰せのままに、姫」
「姫はやめろ」
「御意」
「それもやめろ」
もう何も言えない。無言で俺も鞄を掴む。実際に姫なのに。
市ヶ谷の配役はなんとメイン級のお姫様なのだ。不思議なことに俺以外のクラスメイトに素の市ヶ谷は露見していない。未だに猫被りモードだ。
そんなお淑やかな外面のおかげか、B型戸山君からの熱いご指名が入ったのだ。
普段なら罵声と共に一刀両断といったところだが、猫被りモードと簡単な役だから、という追い打ちと、クラス中の、やるよね?市ヶ谷ならぴったりだね!と言わんばかりの無言の圧に、やんわり断っていた市ヶ谷が負けてしまったのだ。
「あー、何で私が姫なんかやらなきゃいけないんだ……」
「ほら見ろ、たこ焼きにすればよかったのに」
友達に挨拶をして教室を出る。
途端ににこやかな表情が剥がれ落ちる市ヶ谷姫。この変わり様は本当にすごい。
「たこ焼きはダメだったろ。全員検査嫌がったんだから。
私も検査なんてやりたくないし」
周りに目があるから歩く姿勢は綺麗だけど、口調は酷い、姫とチンピラが同居してる。
「ちなみに仮にたこ焼きになってたら投票した市ヶ谷は検査確定だったから」
「はぁ!?ふざけんな!」
当たり前の事を言ったつもりだったのに、市ヶ谷はキレて俺の腕を小突く。
「お戯れが過ぎますぞ!姫!」
市ヶ谷にもう1発、今度は本気で殴られた。
「ほら、好きなの買えよ」
自販機に100円を入れて場所を譲る。
俺たちは何も一緒に帰るわけではない。
約束のジュースを買いにきたのだ。
悪いなー。全然思ってもない事を言いながら何にしようかな、と口ずさむ。
そんな横顔をぼんやりと眺める。
「市ヶ谷って優しくなったよな」
「んなっ!?な、ななな何言ってんだ!!」
ぼんやりついでに出た言葉。それに大いに吃る市ヶ谷。真っ赤な顔をして振り向いた。
「なんていうか、前はどんな生活送ったらそうなれるのかってくらい捻くれてたのに」
「悪かったな」
途端にムスッとなる。
こういうところだ。表情が豊かになった。
はじめの頃は眉間にボンドでも塗っているのかっていうくらいいつも皺が寄っていた。
ため息をついたり、笑いながらジュースを選んだり、驚いたり拗ねたり。
何気ない市ヶ谷らしさを見ることが出来る。
「柔らかくなったっていうか、普通の市ヶ谷っぽい」
「訳分かんないんですけど。……あ」
ガシャン。
ジュースが出てくる。
俯いていた彼女の顔がサッと引き攣る。
目と目が合って、ゆっくりと、市ヶ谷の白い指の先へと視線を移す。
「……コーヒーだな」
「コーヒー……」
オウム返しが精一杯のようで、コーヒーを取り出して固まる。お望みの物じゃなかったんだな。ブラックとデカデカと書かれたそれを握り締める。
あまりの落胆ぶりに笑うに笑えない。
「笑えよ」
笑えるか。
市ヶ谷が動かないから俺も動けない。
自販機前で固まる俺たちは傍から見たらどう映っているのだろう。
「おーい!有咲ー!」
そんな俺たちに声がかかる。
そこには本家本元コミュ力モンスターの戸山さんが走って来ていた。
「ドーン!有咲ー!」
「うわぁ!くっつくなー!」
勢いそのままに市ヶ谷にハグをする戸山さん。戸山さんにとってハグは挨拶みたいなものでよく目にする。が、俺あんな事してもらったことない……。
「こんにちは、兵動君」
そんな俺に再び声がかかる。
振り向けば、最近知り合った隣のクラスの友達がいた。
「やっほー、ウッシー。みんなA組も終わったの?」
「うん、B組の声こっちまで聞こえたよ?」
クスクスと口元を隠して笑うウッシーこと牛込りみ。
彼女は戸山さんバンドの3人目のメンバーだ。後で知った事だが、実は戸山さんは憧れのSPACEでライブを一度したらしい。。
ライブの大トリをかざる予定だったバンドが欠場。期待が萎んでいく観客達を見て戸山さんは止まれなかったとか。市ヶ谷とベースを嗜んでいたウッシーを引っ張り上げて即席3ピースバンドを結成。
飛び入りでライブに参加を果たしたのだ。
市ヶ谷いわくあれはそれと呼べない程お粗末だったそうが、その時の縁でウッシーは晴れてメンバー入りする事となった。
市ヶ谷、戸山さん、ウッシー。更にニューカマーが一人。
「うん、野獣みたいにすごい雄叫びだった」
「それ言い方酷くない?」
こちらはおたえさんこと、花園たえ。経緯はよく分からないが、くらイブなるものを開催した後にメンバー入りした。
「結局イチのクラスは何をやることになったの?」
「うちは演劇。おたえさん達は?」
「A組は1-Aカフェだよー。イチエイ!」
語呂がいいよね、イチエイのイチはイチのイチだよ。言ってるおたえさんが訳分からんのは初日で分かっていた。
そんな事よりも、
「A組飲食店やるの!?」
何でA組はアレをできてB組はできないのかが問題だ。
「うん、そだよー」
「だって検便は!?」
みんな花の高校生だ。
なんとなくやりたくない気持ちは分かる。A組は文化祭にそこまでの熱意をかけていたのか。
「あ、A組は出来合いの物しか提供しないから検査は必要ないんだって。マキアートくらいはするんだけどね。山吹ベーカリーからパンを買うの。あそこのチョココロネが本当に美味しくて」
「マジか!」
ウッシーマジかよ。そんな抜け道があったなんて……。たこ焼きだってさ、冷凍物使えばできたってことじゃん。
いや、焼くのがいいんだけどさ、醍醐味なんだけどさ。
「俺たちもたこ焼きやりたかったなぁ……」
「私たちは1-Aカフェだよ?」
「あはは……」
疑問符を浮かべるおたえさんと理解してくれたウッシー。俺にもう少し知恵があれば……!
「で?話はもう終わったか?」
「あ、有咲ちゃん……」
トンと背中を叩かれる。
戸山さんを引き摺りながら輪に加わる市ヶ谷がそこにはいた。戸山さんは市ヶ谷に構ってもらえてご満悦の様子だ。
「早く練習行こうぜ……重い」
子泣き爺のような戸山さんを担ぎながらのっしのっしと歩く市ヶ谷。
しかし数歩歩いておかしいぞと気付いたのか子泣き爺を振り落とし、肩を怒らせて歩みを進める。
有咲ごめん〜!ドタバダと追いかける戸山さん。
「私たちも行こうか、りみりん」
「あ、うん。またね、沙綾ちゃん、兵動君」
おたえさんに声をかけられ、追いかけるウッシー。
残されたのは俺。
そして、
「……嵐みたいだったね」
ずっと会話に加わることがなかった山吹沙綾が困ったように笑いながらこちらを見ていた。
「……………………」
「……………………」
気まずい。帰り道を一緒に歩く事になった山吹さん。隣を盗み見るとあちらも困ったように視線を彷徨わせる。
とても会話に困る。
市ヶ谷だったら無言も別に困らない、というか基本無言だし戸山さんだったら勝手に話してくれる。
もう一度盗み見る。
が、
「あ」
「あ」
バチっと目と目が合ってしまった。
うーん、益々気まずい。
「兵動君さ……」
困っていると山吹さんが更に困っているようにチラチラとこちらを見る。
何なのか、酷く緊張する。
「な、何でしょうか」
「…………背中にシール付いてる」
「え?」
ポカンと足を止める俺の後ろに回ってそのまま正面まで回ってくる。
笑いながら差し出すその指の先には、
「シール?」
「そ、コーヒーに付いてる応募券だね」
何故かコーヒーの応募券が付いていた。
なんでも集めて応募すればスカジャンが当たるとかなんとか。そのコーヒーはひどく見覚えがあった。
「市ヶ谷!あいつか!」
さっき間違えて買っていたコーヒーに付いているシールだった。
別れ際の不自然な肩ポンはこういう事だったのか。
「それ市ヶ谷さんが?……ふふっ」
堪え切れないと言いたげに小さく笑う。
それを見ていたらなんだか怒りも萎んでしまっていた。
「久しぶりに兵動君と話した気がする」
「実際そうかも。中学の1年生の時同じクラスで少し話したくらいだったもんな」
そう。おたえさんとウッシーとは同じクラスになった事がないのだが、山吹さんだけは1度だけある。
中学部1年の時だ。といっても普通のクラスメイトで別段仲が良かったわけではない。
学年が上がってクラスが別れれば話す事もなかった。だからだろうか、何を話せばいいのか分からなかった。
「兵動君ずっと難しい顔してたから何話せばいいか困ったよ」
「それ俺も」
どうやらお互い様だったようだ。
結果的に市ヶ谷のシールに救われた事になる。
そう思えば市ヶ谷も許せる。
「ね、ね、このシール貰ってもいい?」
「別にいいけど集めてるの?」
「そ。狙ってるんだー、スカジャン」
「山吹さんスカジャン着るんだ」
「持ってないよ。だから欲しいの」
やったー。そんな風に喜ぶのならシールも浮かばれるだろう。
山吹さんはシールを掲げながら歩き出す。
追いつく俺。
再び並んで家へと向かう。
「もうすぐ貯まるんだー。締め切りまでには間に合いそう」
「春夏にスカジャンって季節外れだな」
「うん。届くのは秋くらいだからちょうどいいと思う」
「学校に着て来てね」
「えー、流石に恥ずかしいなぁ」
先ずは当たらないとね。そう言って山吹さんは笑う。しかし、どこへ着て行こう……。なんて真剣に悩む彼女は微笑ましい。
「沙綾でいいよ」
不意にそんな事を言う。
「え?」
「名前。山吹って語呂悪いでしょ」
「そんなに悪くはないと思うけど……」
「えーそう?山吹ベーカリーって自分で言ってて噛みそうになるんだけどなー」
山吹ベーカリーと3回呟くと確かに噛んでしまった。
しっかり言い切るつもりだったのに聞かれてしまい、山吹さんは吹き出す。
「やっぱり!」
「言えると思ったんだけどなぁ」
「いいよ、沙綾で。私も一って呼ぶから」
もう一度念押しをされる。
そこまで言われて否定はできない。
「じゃあ、沙綾」
「うん、一」
名前をただ呼び合うだけ。特に意味のない会話だけど恥ずかしい。
それが伝播したのか再び無言の時間に。
そんな中、夕焼け小焼けが市内放送で流れる。小学生の頃はこれが鳴る前に帰らないと親に怒られたなー。これに気にしなくなって随分と経つが今日ばかりは助けられた。
BGMがあるだけで随分と違う。
「今ホッとしたでしょ」
「うぇっ!?」
突然の声に驚く。沙綾が真っ直ぐ前を見ながら拗ねるように眉間に皺を寄せていた。
こいつ、心が読めるのかっ!
「顔に出てるから」
また読まれた。
「そういうとこ変わらないんだね」
「……何が?」
「すぐ顔に出るとこ」
ようやくこちらを向いた沙綾はしてやったりと笑う。からかい好きな沙綾。中1の頃からこんな調子だったのか。さっぱり思い出せない。
いや、一つ覚えている。今思い出したんだけど。
「そういえばもうドラムはやめちゃったの?」
沙綾はたしかバンドを組んでいてドラム担当だったと聞いている。最近は全くと言っていいほど聞かないけど。
本当に純粋な疑問だった。
何気ない一言だったのに、沙綾からの返事がない。
「沙綾?」
「あ、バンドはさ、抜けちゃってドラムもそのまま……。今はその、家の手伝いがあるし」
快活さはなりを潜め、しどろもどろに答える。どこかおかしさがあった。
「私家こっちだから、またね!一!」
まくし立てる沙綾を呼び止める暇もなく、走り去ってしまった。あれも一種の嵐なのだろうか。
疑問が残るけどもう答えを知るには遅い。
俺も帰ることにする。
と、その前に。奴に文句を言わないと。
メールの宛先を市ヶ谷にする。
【シール1枚を笑うものは1枚に泣く】
送って1分もしないうちに返事が届く。
【訳分からん。色々遅すぎ】
ちなみにこれは、俺と市ヶ谷の初メールだったりする。
あれ?これって有咲のお話だよね?
文字打ってて疑問が消えなかった。