長いです。
注意!
このお話に差別の意味、意識はありません。
「さぁ、真実を話してもらいましょうか?“人里の賢者”さん?」
橙色に染まる廊下で待っているとそんな声が聞こえて来た。
私が助けを求めた、一年ほど前に幻想入りして来た吸血鬼、レミリアの声が。
勇気を出して障子に手をかける。
そのまま震える手で障子を開けるとそこにあったのは痛ましい幸太の姿だった。
布団に寝かせられてレミリアに応急処置を受けている。
応急処置を受けている右腕は何かでぐちゃぐちゃにしたような傷が大量に付いている。
しかも付けた後に何回も何回もえぐったような感じだ。
…多分あれだろうな。
心当たりがある。
そのことに心を痛めながら部屋に入り、レミリアの前、寝ている幸太のそばに座ってレミリアが応急処置をする姿を眺めていた。
…私に幸太を癒す資格はないから。
いっときして、レミリアは応急処置を終えてからすぐに訪ねて来た。
幸太の頭を慈しみ、撫でながら。
羨ましさを隠しきれない。
そして自分自身の愚かさが嫌になる。
「最初に聞くわ。慧音、なぜ私に助けを求めたの?」
「…それは言っただろう。幸太を正気に戻してほしいと。」
「いいえ。そういうことではないわ。」
レミリアの赤い瞳がこちらを見据える。
まるで全てを見透かすような目に思わず怯む。
隠し事は許さない…と、言外に言われてしまった。
諦めて正直にいうことにした。
「はぁ…私よりもレミリアのほうが幸太を救える確率が高いと思ったからさ。」
「ふぅん…そう。まぁいいわ。」
レミリアは依然として不満げだ。
別に嘘は言っていない。
「じゃあ、なぜ幸太はいきなり発狂したの?あなたは知っているんでしょ?」
「それは…詳しく話すと長くなるな。知りたいか?」
「えぇ。幸太を気に入っているもの。」
そう言うとレミリアは幸太に視線を落とす。
目を細めて色っぽく、幸せそうに、愛おしそうに。
無力感で虚しくなる。
そんなレミリアを見てふつとわいた感情だった。
幸太が人里に来るようになったのは15年ほど前のことだっただろうか。
今まで里に肉や皮を売りに来ていた彼の父親がいきなり来なくなり、代わりに子供が来るのだから人里で話題になった。
そして人々は…とことん幸太を痛めつけた。
人里にはある暗黙のしきたりがある。
人里に新しい“ひにん”が来るということはその親が死に、代わりに子が来ることになったことである。
ということをを里は知っている。
なので《“ひにん”に立場を分からせる》といった名目で新しい“ひにん”がやって来たその日。
徹底的に上下関係を教え込むのだ。
まさに卑劣。
下劣である。
その光景は本当に痛ましいものだった。
まだ九つばかりであろう幼子に対して人里の人々は会うや否や殴りかかりこう浴びせかけるのだ。
「罪人め、身の程を知れ。人あらざるもの。卑しいもの。生きているだけ幸運と思え。バケモノめ。」
そんな、聞くだけで吐き気がするような罵詈雑言を吐きかけながら、集団で押さえつけて痛め続ける。
従順になるまで。
そして、それを一ヶ月ほど続け、その後も一年に三度ほどの頻度で行うのだ。
人里の人々は、ひにん身分の人々の恐ろしさを知っている。
里の基盤として危険な山に分け入って狩りや釣りをするその強さはもちろん。
里外れで里の守護を担い、妖怪の囮として生きている彼らの強さを。
そして同時に大事さも知っている。
ひにん身分がいなくなれば自分たちの生活は危ういと。
故に幼い頃に植え付けるのだ。
恐怖を、痛みを、卑屈な心を、自虐心を。
絶対に優遇はしない。
完膚なきまでにその反骨の心を叩き潰す。
…私だっていい気はしない。
が、昔の私はそれを黙認していた。
仕方のないことだと、人里のためだからと。
しかし違った。
私はもっと早く気付くべきだったのだ。
変えるべきなのだと。
数十年も見逃していい問題ではなかったのだ。
私が人里を導く立場になってから、幸太の時代に至るまで。
わたしはこの暗黙のしきたり、俗に《躾》と呼ばれる行為を見たことがなかった。
酷いものだった。
泣き叫ぶ子供の声にむしろ興奮して理性を失って幼い体を力の限りに蹴りつける大人たち。
そんな大人たちに触発されて包丁やら傘やらを持ってきて手加減を知らない残酷さをもって痛めつける子供達。
助けなどない。
四方八方から飛んでくる否定の言葉の渦の、体に痛みを刻み込まれる幸太。
叫び声は少しずつ、少しずつ小さくなっていく。
人だかりの真ん中にある幸太の姿は分からなかったが、周囲にいる狂気の人々と聞こえる叫び声で惨状がありありとまぶたに浮かんだ。
…見てられなかった。
私は止めに入った。
私の信頼もあってか人々は渋々やめてくれ、すぐに解散していった。
幸太に対する情などまるでなかった。
私は人々が去った後、取り残された幸太を抱き上げた。
体はぐったりとし、目は光を失い、声を出すこともせず、涙も枯れていた。
人はここまで非情になれるのかと驚いたよ。
これが私の愛する人間の姿だったのかと。
私は幸太を抱きしめて約束したよ。
「絶対に救ってやるからな」と。
それから私は幸太をできるだけ守るようにした。
人里での立場や、忙しさから完全とは言えないが守ることに尽力した。
人里での意識の改正にも取り組んだ。
寺子屋での教えに“ひにん”身分との身分差別の問題の教育を始め、人里の規則の改正も始めた。
そして…なるべく幸太と触れ合うことにした。
幸太に心を失って欲しくなかったから。
人里に幸太が来た時はたくさん話して、うんと甘えさせてあげたものだったよ。
可愛らしいものだった。
幸太は年相応の感情豊かな心優しい少年だった。
気遣いもできる逞しい子だった。
二人で遊び疲れて一緒に草むらで昼寝したことを思い出すよ。
お腹が減って二人で団子を食べさせあいっこした時のことを思い出すよ。
「けーねさんありがとう!」と勢いのある声で、満面の笑みで言われた時の感動ときたら。
子を持たない私だが親の気持ちがわかったような気がしたよ。
暖かな平穏さ。
でも…現実はそううまくいかなかった。
人里の意識改革は難航した。
根強い差別意識がどの世代にも染み渡っていた。
規則改革もどんなに良い代案、正論を突きつけても感情論でできないと一点張りされ変えることができなかった。
そして何より大きな失敗は…私が中途半端に幸太と関わったことだった。
私は守りきれていなかった。
私がそばにいないその隙を見て人里の人々は《躾》を続けていた。
それどころか里の人気者である私の心を奪ったと憎まれてさらに酷いことをされていたようだ。
糞尿を喰らう餓鬼の真似をさせられたり、奉仕活動といって退魔師と戦わせて見物にしたり、殴る蹴るはさらに激しく、かつ服で見えないところに限定されるようになっていた。
そう、あとで気づいたんだ。
…ある日。
私が人里に来た幸太と遊んでいた時。
急に幸太が右腕のあたりを見つめて黙りこくったものだから訝しんで聞いたことがある。
「どうかしたのか?」と。
幸太はこう答えたよ。
「けーねさん、俺、人間じゃなくなっちゃった。」とね。
そしていきなり幸太は右腕を傷つけ始めた。
持っていた鉈で何度も何度も刺した。
すぐに止めたら不思議そうな顔で聞かれたよ。
「なんで止めるの?ここにいま目が生えてきてるんだ。早く潰さないと…潰さないと…俺は人間だから…」
そのあとはうわ言のようにそんな言葉を繰り返していた。
そしてなんど止めても鉈で腕を刺そうとしたよ。
そこには目なんてなかったのに。
あったのはたび重なる《躾》でついた悲惨な傷跡だけだったのに。
その日から幸太は…幻覚を見始めた。
右腕がバケモノにしか見えなくなった。
自分のことをバケモノにしか思えなくなった。
そして幻聴まで聴き始めたよ。
人里の人々の、罵倒する声をね。
幸太は人里の《躾》でだんだんと壊れてきていたんだ。
それでも彼は強かった。
優しい心を保って、内に育まれてくる狂った自虐心に打ち勝とうとしていた。
わたしは必死に助けようとしたよ。
それこそ能力を使って彼の痛ましい記憶を全て消したこともあった。
無意味だったよ。
すぐに彼は思い出してまた苦しむ、いや、忘れさせた時以上に狂ってしまうんだ。
そして…決定的な時が来る。
人里であるとき、幸太が人を殺したことがある。
処刑とかそんなものではなく単純に人殺しを犯した。
ありえないと思った。
あんなに心優しい子供が、と。
事情を聞いてみたらそれは酷いものだった。
いつも通りに《躾》に来たある一人の退魔師がある遊戯を幸太としたそうだ。
決闘をして、幸太が勝ったらもう意地悪はやめる。退魔師が勝ったら言うことを一つ聞いてもらうと。
幸太は喜んで受けたよ。
これで苦しみが減ると。
そして始まった決闘。
駆けつけた私がみた光景は信じられないものだった。
負けるわけがないと余裕綽々で刀を構える退魔師。
一方素手で今にも倒れそうな姿で挑む幸太。
誰の目にも勝負は明白だった。
観客はどのように残虐ないじめが行われるかという気持ちでいっぱいのようであったよ。
歓声の飛ぶ中、退魔師は幸太に斬りかかった。
そして…
幸太はその左手をもって退魔師の首を跳ね飛ばした。
正確に言うと突っ込んできた退魔師の刀を避けて、下あごに左手を突っ込み、首筋に突き刺して固定し、そのまま勢いに任せて地面に思いっきり叩きつけたんだ。
退魔師の首は千切れたよ。
会場は白けに白けた。
そしてどよめきが起きた。
「バケモノめ、人殺し、妖怪。」
そんな言葉を恐怖のままに人々は浴びせかけたよ。
会場で死骸を見て立ち尽くしている幸太に。
私は…動けなかった。
可愛がっていた幼子が軽々と人を殺したことに驚愕した。
その後、幸太が私を見つけよろよろと両手を差し出しながら歩いてきたんだ。
そしてこう言った。
「けーねさん、俺…俺…殺そうとしたんじゃないんだ…ただ…ただいつも通りにしただけなんだ…」
救いを求める声だった。
希望を見つめる瞳だった。
抱きしめて欲しそうな所作だった。
でも…私は…
「幸太…なぜ…」
《拒絶》してしまった。
可愛がっていた子が人殺しをした事実と、超人的な力を持っていたことに対する驚きが。
私の動きを止めた。
「えっ…」
幸太は悲しそうにそう呟いて止まった。
目が黒く染まっていくようだった。
両手が降ろされ、顔は絶望に塗れた。
そして何かを理解したような笑みを一つ浮かべて…走って去っていった。
私は…止めることができなかったよ。
あの時の私を張り倒して幸太を思いっきり抱きしめてあげたいが…無理なことだ。
それから幸太は心を失った。
義務的な表層しか出さなくなった。
私は…幸太を傷つけた。
救えなかった。
私に幸太と接する資格はないんだ…
はい、どうでしたでしょうか。
慧音さんの語る幸太さんの昔話でした。
…重いっすね。
幸太さんには幸せになってほしいものです。
大分前の話のあとがきに主人公への感情集で慧音のものに疑問を持った人がいたと思います。
憐憫と申し訳なさ
それだけじゃなさそうと。
はい、かくしてました。
慧音さんにも幸せになってほしいです。
これからもよろしくお願いします。