なんちゃって研究論。
理解する必要はないです。
「じゃあ奏ちゃん、準備はいいわね?」
二課の研究室の一角、そのガラス板の向こうの奏へと了子が問いかける。
奏はその身体をゴムバンドで固定されて、体のかしこに電極が貼ってある状態で、目を閉じたまま、大きく息を吐いた。
そして、目を見開いた。
「ああ、やってくれッ!」
了子が奏の言葉を受けて、戦兎の方を見た。戦兎はその合図に合わせて、第三号聖遺物『ガングニール』を加工して作られた、FG式回天特機装束、通称シンフォギアを起動させた。
それと同時に奏の側の研究員達が奏を取り押さえながら、緑の液体に満たされた注射器を取り出した。戦兎はそれを見て誰にも気づかれないように薄く唇をかむ。
奏の体内へ液体が注射される。
「ぐ、ぐぅぅぅぅ……」
それと同時に奏が苦悶の声をあげた。
「戦兎くん、数値はッ!」
「まだ、全然足りない。この数値の上昇度合いなら…………最低ラインまであと一時間以上かかる」
戦兎はモニターが電極からとったデータをもとに計算して、このままならば無理だと判断した。
フォニックゲインの上昇度合もそうだが、なによりバイタルが安定しなくなってきていた。
「先生、このままだと天羽さんが危ない。一旦中止してくれ」
「そう、ね……」
了子が困ったように、研究室内の出口のドアの側から実験の様子を確認している弦十郎へと目を向けた。
弦十郎は未だ何かに悩んでいるのか目を閉じたまま静かに唸っていた。
「弦さんッ!」
「……ああ、わかった。了子くんッ、今すぐ実験を────」
「中止、だと」
「──!」
その声は、研究室の中からではなく、ガラス板の向こうの天羽奏からのものだった。
その瞳は、薬液の影響か血走って、いつもの燃えるような赤の度合いが濃いようにも思えた。
「とぼけた事言ってんじゃねえッ! あたしの命なんか頓着してんじゃねえよッ!」
唇の端から血を零しながら、奏は吠える。
今のシンフォギアを起動できない現実を否定するように、己の力不足を補わんとするかのように。
「あたしの命は、ノイズに家族を殺された日から復讐のために使うと決めたッ! 今更、心配なんて────ごはっ!」
縛られたままの状態の奏が血の塊を吐いた。それは、未だ少女であるはずの体から出ていい量の液体の量では無かった。
それと全く時をおかず奏の体が激しく痙攣を始め、意識がとんで、白目を剥いた。
「先生ッ!」
「分かってるわッ! 医療班急いで気道確保! そこの研究員連中輸血パック準備! 急いぎなさいっ! それと────」
了子が周囲へ慌ただしく指示を始めたのを確認して、戦兎はガングニールのシンフォギアの起動を止めた。
「クソッ!」
未だ痙攣を続ける自分と同じ年頃の少女を見て、戦兎が唇を強く噛み、拳を握りしめた。ぶち、とあまりに強く噛み締めた為唇が切れて口の中に鉄の味が広がった。
(なんで、なんで俺は、何もできない……!)
特異災害対策機動部二課、その切り札対『ノイズ』FG式回天特機装束、通称シンフォギア。それは、起動さえできればノイズに対して絶対の耐性を持つ。
だが、その起動のためには発動資格が二つある。
それが、適合係数と呼ばれる数値が一定以上ある事。
そして、肉体的に雌体であること、つまり女性であること。
男である戦兎には今できることは了子の手伝いをすることだけだった。
奏が一命を取り留め、病院へと搬送された後研究室には三人の人物が残っていた。
二課の司令、風鳴弦十郎。
二課聖遺物解析班のトップ、櫻井了子。
その助手兼、一部聖遺物解析担当、霧生戦兎。
「やはり、ダメか」
弦十郎が静かに言った。
「そうね、フォニックゲインが圧倒的に足りてないわ。まあ、時間経過とともにじわじわ上がってるけど」
「と言うことは、ゆっくりと時間をかければシンフォギアを起動できると言うことか?」
「そうじゃないわ。さっきも見たでしょ、じわじわ上がってるの待ってたら」
「天羽さんの体がもたない」
戦兎が目線を先ほどまで奏が縛り付けられていた場所を見たまま、了子の言葉を引き継いだ。
実験室の未だ乾ききらない血痕が残り、先程までの激しい実験を物語る。
「まだ負担が大きすぎるんだよ。もっと負担を減らさなきゃ話にならない」
「出来るのか」
「やるよ。減らしてみせる、俺と先生で」
戦兎が短く、だが、決意を感じさせる口調で言った。その瞳の奥には、奏の真っ赤な瞳が焼き付いていた。
そして、弦十郎たちの方へ振り向いてその顔に、奏が嫌いだ、と言ったその不敵な笑みを浮かべた。
「俺を誰だと思ってるんだよ、弦さん」
了子の顔が眼に映る。
「俺は、先生の助手で、弦さんの背中を見て育った──」
そして、弦十郎に近づく。巌のような肉体を持つ巨漢が戦兎の目の前に来る。
「天っ才物理学者だ。任せとけって」
その厚い胸板を軽く叩き、もう一度不敵に笑ってみせた。
そんな戦兎を見て、了子が優しく笑みを浮かべて近づくと、戦兎の事を後ろから思いっきり抱きしめた。
「せ、先生っ?」
「そーね、私と戦兎くんなら楽勝よ。いっちょ、やってやりましょう!」
「ふっ、任せたぞ、了子くん、戦兎」
「ほーら、戦兎くんアレやるわよ、アレ。ふぁいとー、ってやつ」
「わ、わかったよ」
「ふぁいとー」
「い、いっぱーつ」
「声が小さーい! 奏ちゃんの為に頑張るんでしょ根性出しなさい! 弦十郎君もついでに出しなさい、声」
「お、俺もか?」
「ほら、行くわよー。ふぁいとー」
「「いっぱーつ!」」
「もういっちょ! ふぁいとー!」
「「いっぱーつッ!」」
シンフォギア。
それは、天敵とも言えるノイズに対して人間が磨いた対抗の牙の一つだった。
櫻井了子の提唱する「櫻井理論」に基づき、現代技術では解析不能の
正式名称は、FG式回天特機装束。
その最大の特徴は、身に纏う者の戦意に共振・共鳴し、旋律を奏でる機構が内蔵されている点に有る。
その旋律に合わせて、『奏者』と呼ばれるシンフォギア装着者が歌を奏でることで、ノイズの存在を
なぜ、調律しなければならないのか、その疑問は至極簡単な回答に帰結する。
『ノイズ』には、位相差障壁と呼ばれる機能がある。
位相差障壁存在とは、異なる世界にまたがらせることで、通常物理法則下にあるエネルギーを減衰又は無効化させる能力である。
簡単に言えば、異次元からの来訪者であるノイズは自らの体を異次元へとズラす事ができる。
攻撃の時は破壊の為に、存在比率を100%に引き上げ、反対に防御の時は10%程まで引き下げる。
そうする事で、本来は100のダメージが存在比率が低い為に体をすり抜け、たった10のダメージしか与えられないこととなる。
更にノイズの恐ろしいところは、これ程までに強い盾を持ってるにも関わらず、人間に触りさえできれば、問答無用に人体を炭素化出来ることにある。
こちらの攻撃は殆ど効かない。しかし、あちらは触れば勝ち。
はっきり言って、相性が悪すぎるのだ。
じゃんけんなら、チョキとパー。
ハブとマングース。ライオンとシマウマ。仮面ライダービルドでいうなら、ヒゲホテルといい声芸人。心炎とネットアイドルである。
そんな、絶望的な相性の相手に人間が勝つための武器、それがシンフォギアだ。
しかし、そんなシンフォギアも誰にでも扱えるわけでもない。
適合係数と呼ばれる、シンフォギアとの相性の良さのような才能が先天的に在るものしか纏うことができないのだ。
その才能を、風鳴翼は持っていた。
その才能を、天羽奏は持っていなかった。
故に、翼は己の力で歌う。
故に、奏は科学の力で歌う。
翼は、夢を犠牲に。
奏は、命を犠牲に。
「んーー、難しいな……」
戦兎は自室で研究データと睨めっこしていた。
周囲には人体に関する専門書が数冊、櫻井理論のフォニックゲイン増幅についての項の紙の束、そのほか各国の公開されている限りの聖遺物研究データが大量に積み重なっていた。
「現状の問題は適合係数上昇のための薬液を注射してから天羽さんの奏でるフォニックゲインが上昇してシンフォギアを起動するまでの時間がかかりすぎる事いやそれだけじゃないなそもそもの上昇の上がり幅も低すぎるんだいやまてそもそもなんで薬液の注入の拒否反応がアレほど激しく出る薬液はフォニックゲイン上昇の為だけならあそこまでの即効性のある拒否反応はおかしいつまり天羽さんの体がそもそもフォニックゲインを高めるための機能を持っていないのかいいやそうじゃないはずだ見たところ翼と天羽さんの身体状況にそこまで大きな違いはないつまりどういうことだ?」
ブツブツとデータを見ながら呟いていた戦兎が突然立ち上がる。
「まさかっ!? 確かこの辺りに……」
そしてごそごそと本棚を探して一冊の本を取り出した。そして、通常ならなかなかできないような速さで目を通していき段々目を輝かせていく。
「いいじゃんコレ!」
そう叫んだところで、櫻井理論にそういえば似たようなことを書いてあったな、と思い出して、櫻井理論のプリントアウトされた紙がファイリングされているファイルを取り出して目を通し始める。
「ダメじゃんコレ! もろに反論されてたよ!」
戦兎が一瞬光明をもたらしたかに思えた論文の載った本をため息と共に戻した。
「最っ低だ……」
そして、また席に戻って睨めっこを始める。
「つまるところ現状の一番最初に解決すべき問題は薬液の拒絶反応の方だろうなとりあえず最低ラインのとこまでフォニックゲインを高めれればシンフォギアを起動できるそうすれば天羽さんも一応希望持てるだろうしなじゃあ薬液のどこが拒絶反応を引き起こしてんだんー先生の薬液精製のデータ見る限り負担になりそうなのはこの身体稼働促進の為のものあたりか身体稼働を促進して無理矢理フォニックゲインを高めさせてるんだよなこれじゃあ確かに体に負担がかかりすぎるんだよなぁでもかといって他に何か手立てがあるわけでもない現実的にはこれが一番効率的だけどもやっぱ負担が重すぎるそれに薬液を注入した負担が稼働率あげてるせいでものすごい勢いで反映されてるこれ普通の数倍のスピードで体が浄化しようとして失敗してるんだよなだから血を吐くんだあーつまり浄化を遅らせれればいいのかいやそんな事してたら薬液の負担が多くなっちまって本末転倒だな」
「あのー、戦兎、今いいかな?」
「じゃあ薬液の負担減らしてみるかどっかの機能を削るかいや今でも結構ギリギリのバランスだろこれはっもしかして注入する量を減らせばいいのではそうすれば負担は軽減されるぞいや馬鹿かよ俺そうしたら効き目も軽減されんだろアホかよ俺拒絶反応が小さくなるだけだよんまてそうだ少量ずつ注入していって体に少しずつ慣らしていけばしだいに抗体ができるかもしれないぞいやそれは分の悪い賭けかこいつはそもそも病原体とか体に害なすものが多いわけじゃねえしな」
「もう! 戦兎っ!」
唐突に戦兎の頰が引っ張られた。それと同時に戦兎の思考が一旦止まり、ようやく自分を呼びかけていた人物の声が耳に入った。
「
「あ、ごめん」
翼が掴んでいた戦兎の頰から手を離して謝る。
「って、戦兎が私が呼んだのに気づかないから悪いのよっ!」
「え、よんだ? 身長が小さくてわからなかったよ」
「身長の小ささと声が聞こえたかどうかは関係ないでしょ! 馬鹿にしないでよ!」
「悪い悪い小さくてわかんなかったよ」
「もうまた馬鹿にして。すぐに私も戦兎より大きくなるんだから!」
「俺よりも?」
「戦兎よりも!」
ふんす、と翼が手をぐっと握って戦兎をじっと見つめた。
「そのうち電柱ぐらい大きくなるから!」
「お、おう頑張れよ、本当にそんくらい伸ばしたかったら俺の発明品で手伝うからさ……」
「いざという時はお願いする!」
(超えたい相手に力を貸してもらって勝って果たして本当に嬉しいのか……?)
きっと翼は何も考えてないな、と戦兎が心の中で思った。未だやる気いっぱいといったポーズのままで戦兎を見ている翼の頭を戦兎が軽く叩いた。
「で、何の用だ? 何か用があったんだろ?」
「此れ差し入れ。私の分も持ってきたから休憩にしよう」
「む、いやもう少し調べ物を……」
「知ってるんだからね。もう五時間休憩なしで研究と実験繰り返してるでしょ」
「げ」
「休憩です、休憩!」
翼が戦兎に言われて思い出したように側の空いた机に置いてあった紙コップ二つとケーキの乗った皿二つを乗せたお盆を戦兎に差し出した。
「はい、他の人達にも頼まれてるから絶対休んで」
「……わかったよ。翼には勝てないな」
戦兎がもはや研究論文を積み重ねるための場所となっている予備用の椅子を引っ張り出して翼の席を確保する。その間に、翼の方は食事のために机を移動させようとして、その端に白塗りの機械的な箱状の物があるのに気がつく。
「戦兎ー、これはどうしたらいい?」
「あー、自分でやるから触らないでくれ」
「わかった」
戦兎はゴロゴロと椅子を転がしてきて翼に差し出すと、白塗り箱状の物を研究のための机の下のジュラルミンケースに収めた。
(何か、大切なものなのかな……?)
「さっ、机を運ぼうか?」
二人で端を持って机を動かして、隣り合うようにして椅子を設置して腰掛けた。
「はい、あったかいものどうぞ」
「はい、あったかいものどうも……このあったかいものっていつも思うけど正確にはなんなんだ?」
「……あったかいものだよ」
「だからそれが何かって話なんだが……」
「このケーキ藤堯さんが作ってきたやつだよ。暇だったんだって」
「誤魔化したな……」
二人で藤堯特製のケーキを口に運ぶ。
「「美味っ!」」
そして二人同時に叫び、目を合わせた。そのまま何度かケーキと互いの顔を見合わせて、肯き合うと、一気にケーキを食べきってしまう。
「美味かった……本当に藤堯さん器用だなぁ」
「頭も良くて料理も上手って藤堯さん凄いなぁ……。なんで上手なのかしら」
「作ってくれる人が居ないから美味しいもの食べるには自分で作るしか無かったんじゃないのか?」
「えー、藤堯さんだよ?」
「ああ、藤堯さんだぞ?」
どうやら戦兎と翼の間では藤堯に関して見解の相違があるようだった。
どちらかというと翼は好きになった人は良いところを見て判断するタイプ。悪いところがしっかり見えてて、でもこんなにいいところもあるんだから、と考えてから評価を少し高めにつける。
対して戦兎は自分の好感を置いといて正当に人を判断できるタイプ。目に見える部分をしっかり評価して、正論すぎる答えを出す。正論すぎて本人が聞いたら苦い顔をせざるを得ないことも多い。
だから、二人とも藤堯に対しての好感はあるにも関わらず違う評価が出てしまう。
二人の会話を藤堯がもし聞いて居たら「今まで彼女なんて居たことねぇよ! 畜生!」と血涙を流しながら悔しがったことだろう。
「ねえ、いま戦兎はどんな研究してるの?」
「FG式回天特機装束適合係数上昇促進薬の改良と、第三号聖遺物ガングニール型FG式回天特機装束起動失敗の原因究明だな。俺の見立てではこの失敗を改善するためにはまず二つの問題を解決しなきゃならない」
「う、うん」
「第一にFG式回天特機装束適合係数上昇促進薬の方の拒絶反応の軽減。天羽さんが起動実験を安心して行うためにもコレは急務だ。第二に、フォニックゲインの……」
そこまで饒舌に話していた戦兎は自分の話を必死に理解しようとして、目をぐるぐると回しながら頭から煙を上げている翼に気づいた。
「悪い、もう少し簡単にいうよ」
「そうしてくれると嬉しい……」
戦兎が咳払いをする。
「まず、この前の天羽さんの実験の失敗の原因が俺的には二つあると思う」
「ふんふん」
「一つがFG式回天特機……ええい、面倒くさいから薬液って言うけど、その薬液は天羽さんの適合係数をあげるものなんだよ。融合係数って言うのは」
「私にあるシンフォギアとの相性の良さ、みたいなのだっけ?」
「その認識でいい。んで、その融合係数を上げるスピードが遅すぎたこと。そのせいでシンフォギアを起動する前に薬液の拒絶反応が出てきちまった」
「じゃあ、もっとスピードを上げればいいんじゃないの?」
「その通りだ」
「人を指でさしちゃダメだと思うけど」
頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出すと、びしり、と戦兎が翼を指でさした。そして翼に注意されてゆっくりと手を下ろす。
「まあ、ところがどっこいそうもいかないんだよなぁ」
「何で?」
「スピードを上げようとすると拒絶反応が出る時間も同じように短くなっちまうんだよ。少なくとも今の薬液のままじゃ」
「ええ……それどうするの……?」
「どーしようもないから今困ってるんだよ」
はあ、と戦兎がため息をつく。
「先生だって研究してるから絶対に俺が考えなきゃいけないって訳でもないんだけどな」
「でも、戦兎が助けてあげたいんでしょ?」
「む……」
「その為に、頑張ってるんでしょ」
「まあそうだけど」
「なら、大丈夫よ。だって戦兎は天才物理学者でしょ?」
にっこりと翼が笑った。その笑みには自分の信じる戦兎が頑張ってるんだから大丈夫、という根拠のない、しかし翼は疑わない信頼がのぞいていた。
「……そうだな、俺は天才だもんな。なら、大丈夫か」
戦兎も唇の端を吊り上げて不敵に笑うと、自分の手元のあったかいものの入った紙コップを取って一気にあおった。そして、激しくむせた。
「まずっ!」
「わー、戦兎大変! ハンカチ使って!」
「おー、ありがとう」
翼の青いハンカチで戦兎が口元を拭う。
「って、翼!」
「なに?」
「これ友里さんじゃなくてお前が作ったコーヒーだろ!」
「な、何故バレたの……」
「味が全然違うんだよ……」
いやむしろ何故バレないと思ったのか、そう問いただしてやりたい気持ちが広がったが戦兎はため息とともに飲み込んでしまった。
そして、若干責めるような目つきで翼を見る。
「コレ、何で作ったんだ? インスタントじゃないよな、この味」
「ちゃんとコーヒーメーカーで作ったもん……」
「それちゃんとか……?」
「ちゃんとだよ、たぶん」
「…………なんか失敗の原因の心当たりはあるか?」
「えーと、えーと……」
「フィルターは変えたか」
「ふぃるたー?」
こてん、と翼が首をかしげ、その拍子に音符のような髪型にしてある青色のおさげがさらりと揺れた。
大変可愛らしいが戦兎はため息をせざるを得なかった。
「フィルター変えなきゃダメだろ? 入れてお湯を入れればいいだけのインスタントと違って、コーヒーメーカーなら前の奴が残っちゃうからフィルターを変えて…………」
戦兎の中で何かが音を立てた気がした。
「戦兎?」
急に黙りこくった戦兎を不思議に思ったのか、翼が名前を呼ぶが戦兎からの反応はない。
(なんだ、なにが引っかかった。今、凄いヒントになりそうなことを言った気が……)
戦兎が自分の言葉を振り返り、一体なにが自分の琴線に触れたのか必死に模索するがなかなか満足のいく答えが現れようとしない。
肝心の答えはそこにあるはずなのに、手が届かない。
溺れた海で、どんなにもがいても全く前に進めないようなもどかしさが戦兎の胸中を占拠する。
「戦兎、コーヒーのフィルターが何か──」
「それだーーッ!」
「せ、戦兎?」
「それだよ翼!」
突然の大声に翼の体が跳ねた。そして、戦兎は興奮冷めぬ様子で翼の肩を掴んでわしわしと前後に振る。
「最っ高だ! 翼のクソ不味いコーヒーのお陰だ!」
「え、ええ?」
所変わって二課オペレータールーム。
「みんなーやってるー?」
「あ、了子さんお疲れ様です」
「はーい、みんなもお疲れ様ー」
いつもの白衣姿でやってきた了子がオペレータールーム備え付けのソファにどっかりと座った。
「あー、疲れた」
「ふっ、流石の了子君もシンフォギア相手ではお疲れか」
そんな了子の隣に赤いスーツの弦十郎がネクタイを緩めながら腰を下ろす。その巨体と重量にソファが少し悲鳴をあげるように軋んだ。
「ありゃ、弦十郎君ここにいるのは珍しいわね」
「まあ、少し息抜きだよ。お偉いさん方との交渉で肩肘がはってかなわん」
「ふーん」
了子が弦十郎の顔を見る。いつも通り男らしい厳つい顔だが、その表情に隠しようのない疲労が現れている。
(お偉いさん方との交渉、ね……。いくつか心当たりはあるけど今回はたぶん)
「了子さん、司令、あったかいもの、良かったらどうぞ」
「ん、すまんな友里くん」
「ありがとう、いただくわ」
そんな明らかに疲れている二人に友里が気を利かせて、あったかい物を差し入れた。
こうして頼まれてもいないのに気をきかせることができるのが、デキる女友里あおいである。藤堯とは根本的に違う。
「司令、さっきの会談って、防衛省の……」
「ああ、防衛大臣だな。任期はあと少しなんだが、最後に何としてもシンフォギアを引っ張り出したいらしい」
(……やっぱり)
「急かされてるのね、翼ちゃんを」
「ああ、奴さんは金ばっかり食ってなかなか実戦投入しようとしない俺たちに腹を据えかねているらしいな」
「そう……」
了子が眉を寄せて、親指の爪を噛んだ。
「それで、あとどのくらい時間もらえそうなの」
「よければ、あと二回。悪けりゃ次のノイズ出現で実戦投入だ」
「次、ですか!? 司令、翼ちゃんはまだ小学生なんですよ!」
「わかってる。だから、なんとか引き延ばそうとしてるんだ」
友里が目を見開いて驚いたが、了子はその事をある程度予想はつけていたのか特に大きく反応はしなかった。
「あおいちゃん、仕方ないのよ。このプロジェクトが動き始めてかなり経つわ。そろそろ結果を出したいと思うのは普通のことよ」
「でも……」
「でもも何も無いのよ、彼方さんは。彼方が見てるのは『風鳴翼』という個人じゃなくて、人間が起動する『シンフォギア』なんだから」
淡々と了子が言う。まるで翼が危険な目にあいそうな事に何も思っていないかのように。
多くの人は今の了子を見たらそう思っただろうが、付き合いの長い弦十郎だけは了子が親指の爪を噛むところを見逃さなかった。
それは、了子がイラついた時や、何かを耐えるときにする本人も自覚していないだろう癖だった。
故に、弦十郎は話を変える事にした。
「了子君、研究の方は何か進展はあったか?」
「そう! 聞いてよ弦十郎君! 薬液の改良が成功できたのよ!」
「おおっ!」
了子の報告に友里と弦十郎の表情が明るくなる。二人とも奏の数度の実験失敗を見ている。
薬液の改良成功と言うことは奏の成功にも繋がると言うことだ。喜ばない道理はない。
「ということは、その薬液を使えば奏ちゃんがシンフォギアを起動できるんですか?」
「いや、そういう訳でもないのよ」
「え? 改良出来たんですよね?」
「ええ、出来たわよ」
「じゃあ、奏くんはシンフォギアをまだ起動できないのか?」
「いや、そろそろできると思うわよ?」
「む、それは、どういう……?」
了子のどこか矛盾しているように聞こえる言葉に、弦十郎と友里の頭の上にクエスチョンマークがいくつも現れる。
「簡単にいうとね、現状の問題は、薬液による拒絶反応、そして、薬液による適合係数上昇スピードの遅さによるフォニックゲインがなかなか高まらないことの二つ」
ぴっ、と了子が二本指を立てて弦十郎と友里にピースサインを見せる。
「で、今私が解決したのは二つ目の方。拒絶反応の方はまだがっつり残ってるのよ。これじゃあ、まだまだ奏ちゃんは起動できないと思うわ」
「それならば、何故さっきのような事を……?」
弦十郎が了子に尋ねる。すると、了子は魅惑するような蠱惑的な笑みを浮かべた。
「私たちにはもう一人、天才くんが付いているでしょ?」
了子がそういったのと同時に二課のオペレータールームの扉が勢いよく開かれた。
音のした方にオペレータールームの人間すべての視線が扉の方へ集まった。
「先生ッ! いる?!」
そこには、肩で息をしながら笑みを浮かべる戦兎と、横で涼しい顔のまま立つ翼がいた。
「そろそろかと思ってわよ、戦兎くん」
戦兎が荒い息を立てながら了子のいるソファの方へと歩いていく。
やたらと戦兎の息が荒いのは、走ってきただけでなく、どうやら興奮しているためでもあるようだ、と弦十郎が気づく。
「先生、何の改良した?」
「薬液の融合係数上昇スピードの向上、かしら」
「ベストマッチッ! 最っ高だッ、先生ッ!」
戦兎がこれ以上ないほどに嬉しそうに笑う。いつものような不敵な笑みではなく、年相応のくしゃっとした笑みが戦兎の顔を彩る。
「俺は拒絶反応をどうするのか考えてたんだ!」
「なん、だと……ッ!」
「ね、言ったでしょ? そろそろ起動できそうって」
驚きの表情の友里と弦十郎に了子がまたもや笑ってみせた。今度は、自分の手柄を自慢するように。
「で、戦兎くん、どんなの考えたの?」
「ヒントは翼のクソ不味いコーヒーだった」
「ちょ、ちょっと戦兎っ」
翼が少し顔を赤くして戦兎の背中を叩いた。
「今先生の作った薬液は天羽さんの体の稼働率を上げて、薬液の負担を代謝とともに消費させようとしてるだろ?」
「そうね、現状ではそれくらいしか対策が無かったし」
「けど、消費させる必要なんてないんだよ。別に、残ってていいじゃん」
「でも、それじゃ……」
「だから自分に消費させなくても、俺たちが取り除いてやればいいだろ?」
「────っ! 戦兎くん、貴方やっぱり冴えてるわ、私の次くらいに」
「でしょ?! 凄いでしょ? 最高でしょ? 天っ才でしょーーッ!」
フッフゥーと、戦兎が奇声をあげてスキップをはじめて、翼の手を取ってぐるぐると回りはじめた。翼は何が何だかわかっていない様子だったが、付き合ってぐるぐると回っていた。
そして、残されたのは何が何だかわかっていない弦十郎と友里の二人。
「了子さん、戦兎くんは一体何を?」
「全く、戦兎くん本当に頭が柔らかいわ。私の考えの斜め上の解決法を用意してきたわ」
了子が若干呆れたように、友里の出したあったかいものを飲んだ。
「戦兎くんはね、薬液の負担を体に
「──っ、それは……」
「ええ、一歩間違えば危険だわ。でも、『櫻井理論』の提唱者で、薬液の作成者の私と、戦兎くんが居れば、
了子がソファから勢いよく立ち上がり、隣に座る弦十郎に目をやった。
「弦十郎君、イケるわ。奏ちゃんがシンフォギアを起動させるのはそう遠くないわよ」
了子がやや興奮気味に笑い、それを受けた弦十郎も満足そうに笑い返し、拳を差し出した。
了子と弦十郎の拳が無言のままぶつけられた。
「あの、了子さん、一つ疑問なんですけど」
「ん、なーに?」
「どうして戦兎くんが、薬液の拒絶反応の方を先に研究すると思ったんですか? あらかじめ打ち合わせしてたんですか?」
「別にしてないわよ〜?」
「ならどうして?」
友里の疑問はもっともなものだった。了子と戦兎は互いに研究を進めていた、その際にどちらが何をしようという打ち合わせは特になかった。
それは二人の研究スタイルの違いや、一緒にやっても成果が出るかわからなかった、といった理由が挙げられるが、一番大きな理由は他にもあった。
「だって、戦兎くんが苦しんでいる奏ちゃんを放っておくはずがないもの」
それは、戦兎に「先生」と慕われる了子だからこそ、そう断言できた。
そして了子は、未だくるくる回っている戦兎に声をかける。
「戦兎くん、まだイケるわね」
その言葉を聞くと、戦兎は一瞬目を丸くしたが、次の瞬間にはいつもの不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、実験を始めようか?」
二課で小さな光明が見えたのとほとんど時を同じ時間帯。場所を移した、日本の首都たる東京の郊外。
そこで、小さな、小さな歪みが現れる。
それは、現代の技術では観測できないような小さなもの。
しかし、それはたしかに存在しており、その歪みの向こうには、人類の天敵が密かに蠢いていた。
────ノイズ襲来まで、残り四十八時間。
本当に頭のいい人は最初からバカにでもわかるように話す。
そして、戦兎は最初は堅苦しく話す。了子は最初から噛み砕いて話す。
ここで、二人の知性の差が出ますよねー。