雨の向こうに青空を   作:世嗣

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名前はビルドから文字を変えて持ってくる、よくあるアレです。




失い、進むフューチャー

 

 

 

 

 天羽奏は、恵まれていた。

 

 学者である尊敬できる父と母が居て、愛すべき妹がいた。

 

 父と母の親戚と付き合いが薄かったが、そんな事は奏にとってはどうでもいい事だった。

 

 ただ、家族四人で幸せに暮らしていければそれで満足だった。

 

 にも関わらず、それはたやすく壊れた。

 

 

『ノイズ』。

 

 

 国連総会での災害認定後、民間の調査会社がリサーチしたところ、ノイズの発生率は、東京都民が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と試算されたことがある。

 

 

 それは、恐ろしく低い確率だ。

 

 この確率は『スカイウォール事件』でノイズの発生が増加する前に調べられたものであるから、今となってはあまりあてにはならない数値であるのだが。

 

 だが、奏にはそんな事は関係ない。

 

 確率が低くてたまたま死んだ。

『ノイズ』だから仕方ない。

 

()()()()()

 

 仕方ないわけなかった。

 

 大好きな両親だった。

 

 愛していた妹だった。

 

 故に、復讐を誓った。

 

 この世から『ノイズ』を一体残らず、鏖殺し、家族への弔いとする。

 

 そう、奏は誓った。

 

 その日から、人としては死んだ。

 

 そして生き返った。

 

 今度は、戦士として死ぬために。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 奏の病室の扉がノックされた。

 

「…………」

 

 奏にはもう入院しても見舞いに来てくれるような仲のいい人はいない。

 

 だからこうしてノックされる理由と人物は限られて来る。

 

 一つは、病院の回診。

 

 しかしこれは時間的に違う。いつも通りならばあと三時間ほど後にあるはずだ。

 

 もう一つは、二課の人間による見舞い。

 

 では、誰なのか、という疑問。

 

 二課司令、奏の後見人となった風鳴弦十郎ではない。弦十郎のノックはもっと力強い。

 

 櫻井了子でもない。というか、そもそも了子はノックしない。

 

 ならば、もう残る人間は一人しかいない。

 

「よっす、天羽さん。返事なかったけど入って大丈夫だった?」

 

 今、奏が最も苦手とする霧生戦兎が顔を見せた。

 

「好きにしろよ」

 

「そうか、ならよかった」

 

 奏が声を返すとにかりと笑う。その能天気な表情に少しだけ苛立ちを覚える。

 

「あ、これお見舞いね、果物の盛り合わせと花。カキツバタって言うらしいぜ」

 

 戦兎が果物を置こうとして、自分の持って来たものよりも一回り大きなものが近くに置いてあるのに気づいて、目を丸くした。

 

「げ、これ置いたのって、誰?」

 

「……オガワ、って人。なんか朝来た」

 

「くそ、さすが忍者、人知れず味な真似を……!」

 

 戦兎が悔しそうに唸った。

 

 戦兎のものも、与えられているお小遣いからしたらなかなか馬鹿にならない値段だったのだが、それを大人たちは軽く超えて来るから嫌になってしまう。

 

「まあ、果物は食い切れないかもだけど、花はいくつあっても悪いもんじゃないだろ」

 

 戦兎が空っぽの花瓶をささっとすすいで、水を入れて持って来た花を生けた。

 

「どうよなかなか綺麗だろ。流石俺、センスあるな、天羽さんどう思う?」

 

「……別に、普通だろ」

 

「んー、普通かぁ。まあ、それはこれからの頑張りを期待してくれよ」

 

 そして奏をみて顔をくしゃっと笑った。

 

「なんか果物食う? 俺、これでも結構料理する方だから包丁は────」

 

 ドン、という奏がベッドを強く殴った音で、戦兎の言葉が遮られた。その音で今までコロコロと表情を変えていた戦兎から表情がなくなった。

 

「ピーチクパーチクうるせえよ。何の用だ、用件伝えてさっさと帰れよ、自称天才物理学者」

 

 ぎろり、と奏が睨んだ。その瞳には明らかな敵意がのぞいていて、戦兎の背中に何時ぞやの時のように、背中が涼しくなった。

 

 奏に睨まれながら、戦兎は小さくため息をついた。

 

「本当にただの見舞いだよ。天羽さんも今は二課の仲間なんだから」

 

「はンッ、仲間、ねぇ……」

 

 戦兎の言葉を馬鹿にするように奏が戦兎を下から上までじっくりとみて、嘲笑うように鼻を鳴らした。

 

「お前みたいな能天気な野郎が仲間とか笑わせんじゃねえ。本当の要件を早く言えよ」

 

「…………だから、俺は天羽さんが心配だったから」

 

 奏が反論しようとした戦兎をまたもや睨む。それを受けて戦兎は頭をかいて、しゃがみこんだ。

 

「あー、もう最低だ……」

 

「何だって?」

 

「俺のせいだからだ」

 

 戦兎がぼそり、と呟いて立ち上がる。その顔には奏からは薄っぺらくみえる、いつもの笑みが張り付いておらず、何を考えているかわからなかった。

 

「俺のせいだから、俺は色々してるんだよ」

 

「はぁ?」

 

「わかってもらう必要はない。だって、俺は何となく君の気持ちがわかる」

 

「私の気持ちが、わかるだと」

 

「ああ、きっと俺たちは似てるから──」

 

「ふざけるんじゃねえッ!」

 

 パン、と乾いた音が辺りに響いた。

 

 奏が自分を繋いでいた管を無理やり体からひっぺがして、戦兎の頰を張ったのだ。

 

 そして奏はそれで力を使い果たしたのか、膝から崩れ落ちた。しかし、その後もずりずりと体を引きずって戦兎の服を掴んだ。

 

「お前みたいな、お前みたいな奴にあたしの気持ちがわかってたまるかッ! あたしは、あたしは…………」

 

 ぼろり、と決壊するように奏の目から涙が零れだす。

 

「なん、だよ、これ……。なに泣いてるんだよ、そんなの、もういらないだろうが……!」

 

 奏が己を叱る様に、己に言い聞かせる様に、声を荒げて叫んだ。しかし、その涙は止まることなく奏の頰を伝って病室の床を濡らす。

 

 そんな奏に、戦兎は何も言わずにポケットからハンカチを取り出して、自分の服を掴んでいる奏の手を解いて握らせる、ら

 

「これ、返さなくていいから」

 

 そして、戦兎は奏の元から去る。病室に涙を流す女の子を残して。

 

 そんな戦兎の背中を見送り、奏が握らされたハンカチを投げ捨てる。

 

「ふざけんな、ふざけんなよッ! この気持ちが、この無念が、この憎悪が、人にわかってたまるかァッ!」

 

 奏が自分の涙の雫で濡れた床を何度も何度も殴りつける。その度に拳は鈍い痛みを訴えるが、それでも殴るのはやめない。

 

「何でだッ! 何で、何で私にはシンフォギアが使えないんだよ……!」

 

 家族を失った悲しみ、無力な自分への悔しさ、そして自分を取り巻く環境への怒り、それらの感情がないまぜになった、言葉にできない感情が奏の中から涙として溢れ出る。

 

 その嗚咽は、奏の他に誰もいない病室で静かに響いていた。

 

 

 そんな声を戦兎は病室の扉のすぐ外で聞いていたが、奏の叫びが聞こえなくなると病室から離れて歩き始めた。

 

 そして、張られた頰を抑えて、静かに目を閉じる。

 

 

「早く、実験を始めよう……」

 

 

 

 

 

 

 時は少し流れ、またもや病室の扉がノックされた。

 

 一瞬、また戦兎がきたのかと勘ぐったが、ノックの仕方が違うことに気づいた。

 この力強いノックの仕方は奏の後見人である巨漢のものであった。

 

「よっ、奏くん。ここを出る準備は終わったか?」

 

 つまり、風鳴弦十郎である。

 

「ああ、終わった。纏める荷物も大してないから楽だったよ」

 

 奏が目で病室の端にまとめられている自分の荷物を目で示すと弦十郎は満足そうに頷く。

 

「そうか、荷物は俺が持とう。渡すといい」

 

「別にいいよ、自分の面倒くらいは自分で面倒見る、って、おい!」

 

「ふっ、俺は奏君よりも大人なもんでね。このくらいするのは義務なのさ」

 

「……なら、好きにしたらいいさ」

 

 弦十郎は奏が否定したにも関わらず、そんな事には頓着しないとばかりに、勝手に荷物をからってにかり、と笑ってみせる。

 奏は何か文句を言おうとしたが、弦十郎の笑顔に毒気を抜かれたのか、しぶしぶ弦十郎に従った。

 

 そのあとは、最後に世話になった病院の医師に弦十郎と奏が言って、退院の運びとなった。

 

 奏は弦十郎が駐車場に停めていた、二課保有の赤い普通車に乗り込んだ。

 もちろん弦十郎が運転席で、奏は後部座席だった。

 

 車が動き出し二課保有の社宅、奏の仮の自宅に向かい始める。

 

 その間奏は特に喋ることなく、ぼんやり空と、その向こうに薄く見えるスカイウォールを見つめていた。

 

 現状の技術ではスカイウォールの解析は満足にできないらしく、付近から吹き出す黄色いガスも、ノイズとの関係も全くわからない、というのが奏の持つ知識だった。

 

(けど、こうしてよくわからない組織に保護された以上、その情報もホントか怪しいもんだが)

 

「なあ、奏君、この前戦兎が君の所を訪ねてきただろう?」

 

「…………引っ叩いたのは、悪かったよ」

 

「はははは、別に責めるのではない。ただ、少し聞きたいことがあるだけだ」

 

 奏が視線を窓の外から車のミラーから反射して見える弦十郎の顔を伺うが、その表情はいつもとほとんど変わらなかった。

 

「君は、戦兎のことをどう思う?」

 

「アイツのことを……?」

 

 奏が自身に問いかけてみる。

 

 霧生戦兎という少年をどう思うか。

 

「…………ナルシスト。イラつく奴。しつこい。デリカシーに欠ける。自称天才物理学者。自己中」

 

「散々な言われようだな、そしてそれの全てが強ち間違いでない辺りがどうしようもないな」

 

「…………あと、底抜けの、お人好し」

 

「ほう?」

 

 最後に付け加えた言葉に弦十郎が興味深そうに唸った。

 

「アイツ、何度もあたしに話しかけてくるんだよ。どんなにあたしが冷たくあたっても」

 

 時には結構ひどいことも言った。それは、もうこれ以上奏自信が誰かと仲良くする必要があるとは思えなかったから。

 

 人としての天羽奏は死んで、今いるのは戦士としての天羽奏だ。

 

 戦士は孤独で構わない。

 

 だから、戦兎だけでなく翼も、弦十郎も、了子も、その他二課の面々も遠ざけていた。

 

 にも関わらず、霧生戦兎という少年はしつこく奏に話しかけてくる。

 きっと奏の気持ちが全くわからないわけではないだろうに、わざとそうしていた。

 

「なあ、弦十郎の旦那。アイツは一体何者なんだよ」

 

「二課の仲間。奏君と同年代の男子。後見人は了子君。好きな物は辛口のカレーで、おそらく初恋は…………と言った答えを求めているわけじゃなさそうだな」

 

 奏の問いかけに弦十郎がいくつか戦兎のプロフィールを公開して、途中でやめた。小さなミラーに映る弦十郎の目が少し険しくなる。

 

「ああ、とぼけないでくれ旦那。アイツは二課で()()()()()()()()で、()()()()()()なんだ」

 

 奏の真剣さを孕む言葉に、弦十郎も覚悟を決めて話し始める。

 

「奴、戦兎は、()()()()だ」

 

「記憶、喪失……?」

 

「ああ、彼奴は翼に拾われるまでの自分の人生を全く思い出せないらしい」

 

 記憶喪失。

 

 物語などではよく聞く、陳腐な、使い古された設定だった。

 

 ──きっと俺たちは似てる

 

 その言葉には、どう言った意図が込められていたのだろうか。

 それを聞いた時奏は怒りを覚えたが、今ならば少し違った感じ方ができる気がした。

 

「そして、『葛木データ』。それが戦兎が研究しているものの名前だ」

 

「葛木? 誰かの研究を引き継いでるのか?」

 

「ああ。遺失物質『パンドラボックス』、それに付随する物体『フルボトル』、その研究論だ。二課に所属していた前任者の物を戦兎は引き継いでいる」

 

「アイツ、本当に頭いいのか?」

 

「俺にはよくわからんが、了子君が言うには『葛木データ』の研究に関しては誰にも負けないらしいぞ」

 

 どうやら、『てぇんさぁいぶつりがくしゃ』の下りはそこまで大げさな物言いではなかったらしい。

 

「ますますわからねえ。なんでアイツはあたしにそんなに構う」

 

「俺にはこれ以上は言えん」

 

 弦十郎が運転したまま、そう言う。視線は一度も奏の方を向くことはない。しかし、なぜかその視線はひどく優しいものになっている気がした。

 

「もし、これ以上知りたければ直接聞くことだ。そうだな、戦兎の研究室でも訪ねてみればいい、アイツはだいたいそこにいる」

 

 

 

 

「って、言われてもなぁ」

 

 奏が頭をガシガシとかきながら二課の中を行くあてもなくうろつく。

 

 奏としてはすぐにまたシンフォギアの起動実験をしたかったが、退院当日という事では流石に許可は出なかった。

 

 奏は知る由も無いが実験をしなかったのは薬液の実験が大詰めであるあと一息で改良版が完成しそうだから、という理由も実はあったりする。

 

「アイツの研究室、ね……」

 

 そこに行けば、きっと戦兎がいて、今の奏の疑問やら何やらを聞くことができる。

 しかし、奏はそれを少しためらっていた。

 

(この前思いっきり引っ叩いた奴だぞ……。そんな気軽に顔見せれるかって……)

 

 奏はあの時戦兎を殴った事を後悔はしていない。今奏がためらっているのは、きっと戦兎がそれでも怒っていないだろう、と半ば確信しているからだった。

 

 きっと戦兎は自分が叩かれて当然のことをしてしまった、となんとなく考えていて、そのためこれまで以上に奏によくしてくれるはずだ。

 

 そして、タチの悪いことにそれは奏の勘違いではなく客観的事実であった。

 

 その事が、奏をためらわせていた。

 

 奏は今は周りを突っぱねているが、根本のところがどうしようもなく、二課の面々と同じような善人だ。

 

 故に、きっと戦兎が良くしてくれれば良くしてくれるほど罪悪感を感じてしまう。たとえ、後悔がなくても。

 

「どうするかねぇ」

 

 奏は近くにあった椅子に腰をかけた。どっかりと腰を下ろして、近くに自販機があるのに気がつくと同時に、猛烈に喉が渇きを訴えた。

 

 ポケットの中を探れば、百円玉が一枚と、十円玉が二枚入っていた。

 

「コーヒーでも買うか……」

 

 お金を入れてボタンを押して、落ちてきたコーヒーを取り出す。

 

 

 ──あ、これ飲み物。飲んでいいから。

 

 

 頭の中に薄っぺらく笑う戦兎の顔が浮かぶ。

 

「そういう顔するから、お前はわかんねえんだよ……」

 

「恋の悩みかしら? はむ」

 

「り、りりり了子さんっ?!」

 

 突如、奏の耳を後ろから忍び寄り唇で挟んだ不届き者が一人。

 

「突然何するんだよっ!」

 

「いや、別に理由はないけど?」

 

 特に理由のないセクハラが奏を襲う! 

 

「それで、奏ちゃんは何してるのかしら?」

 

「あ、いや別に、ヤボ用だよ。うん、大した理由はないんだ」

 

「ヤボ用。でも、ここから先にあるのは戦兎くんの……、あー成る程そういうことね」

 

 了子がここから先にある部屋と、奏の態度で大まかな事情を察した。そして、しばらく頭の中で状況を整理して、にんまりと笑った。

 

「奏ちゃーん、今から時間あるかしら?」

 

「別に暇だけど、何でだ?」

 

「ちょっと、身体検査していいかしら? 無事退院したんだしもう一回細かいデータを取りたいのよ」

 

「検査? この前やったばっかな気もするけど、まあいいぜ」

 

「じゃあ、ちょーっとついてきて頂戴。ほらー、乙女の秘め事よー」

 

「ちょ、了子さんっ! 胸揉むな! セクハラだぞ!」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「入るぞ、了子君」

 

「あら、弦十郎君じゃない。どうかしたの?」

 

「どうもこうもない、奏君はどうして検査を受けている? 病院からのデータは君にもう送ってあるはずだ」

 

「ありゃ、バレちゃったの」

 

「了子君」

 

「もーう、そうカッカしないの」

 

 弦十郎がやや険しい顔で了子を咎めたが、了子は特に悪びれた様子もなく肩をすくめて見せた。

 

「奏ちゃんに戦兎くんを訪ねるように言ったの弦十郎君でしょ?」

 

「ああ、そうして貰えれば戦兎と奏君が分かり合えると思ったからな」

 

「あまーい! 甘いわ弦十郎くん、駅前の特製チョコレートケーキよりも甘いわ」

 

「なぜ駅前のケーキ屋を例えに……?」

 

「そんなの私が食べたいからよ」

 

 了子が椅子から立ち上がって研究室の隅に置いてある冷蔵庫から缶ビールとを取り出して弦十郎に投げた。

 

「俺はキューっと効くものは仕事の後に飲みたいたちなんだがな」

 

「ノンアルコールよ、それ」

 

 言うが早いか了子は自分も缶ビールを取り出して飲み始める。弦十郎の方もそんな了子を見て、仕方ないとばかりに缶を開けてビールを一口飲んだ。

 

「で、どうして奏君にこんな事を?」

 

「それは最大限効果を上げるためよ」

 

「効果?」

 

「そ、効果」

 

 了子がそう言って缶ビールを一気に飲み干して、缶をぐしゃりと潰した。

 

「効果って、戦兎との仲直りのか?」

 

「仲直りって、変な表現するわね。まあ、そうよ。これは、奏ちゃんのためでもあるの」

 

「それならなるべく早い方が……」

 

「わかってないわねっ」

 

 了子が手の中の潰した缶を弦十郎目がけて投げる。そこそこのスピードで飛んで行った缶は、弦十郎の頭にあたる直前で弦十郎にキャッチされる。

 次手を開いた時には、その手の中には先ほどに比べて約半分ほどになった感が出てくる事だろう。

 

 弦十郎はしばらく手の中の物をどうしようか悩み、結局ポケットの中に突っ込んだ。

 

「こういうのはタイミング。恋は駆け引きとタイミングなの」

 

「別に恋じゃないと思うが」

 

「もういちいち細かいわね。だからいつまで経っても結婚できないのよ」

 

「むぅ……」

 

 弦十郎が少し不満そうな顔をした。

 

「とにかく見てなさいって。ぜーったいに上手く行くから」

 

「君がそういうならきっとそうなんだろうな」

 

「そーよ、ちゃーんと見てなさいよ? 私の予想が当たったら今度の飲みでは奢ってもらうわよ?」

 

「ふっ、了解した。じゃあ、この後奏君達が──すまん、電話だ」

 

「いーわよ、出ちゃいなさい」

 

 弦十郎が了子に断り、スーツのポケットから自分の赤い携帯を取り出した。

 絶え間なくバイブを続けるそれの液晶に映し出された名前は、先日顔を合わせたばかりの防衛大臣の名前。

 

 公的な回線でなく、個人の携帯にかかってきたことに、僅かに嫌な予感がした。

 半ば祈るように着信に応じる。

 

「二課の風鳴弦十郎です」

 

 そして、弦十郎の予感は的中した。

 

「なにかご用ですか? ─────はい。───は? ────ですが、その件は先日に────だから、待ってほしいと言ったはずですッ! ──お待ちください大臣ッ!」

 

 無慈悲に電話が切れて、電話がつながっていない事を示す電子音が弦十郎の耳に何度も響いた。

 

「クソッ!」

 

 

 弦十郎の鍛えられた拳が、携帯を手に握ったまま了子の研究室の壁を殴った。

 壁が僅かに凹み、弦十郎の手の中の携帯に僅かなヒビが広がる。

 

「弦十郎君、今のはもしかして……」

 

「ああそうだよ。防衛大臣だ」

 

 弦十郎が自分の缶ビールを一気に煽り、飲み干す。

 

「俺はどうやら運が良くないらしいな」

 

 珍しく弦十郎が自虐的に笑い、手の中の缶ビールを握りつぶした。

 

「シンフォギアに次はない。次ノイズが出現すれば、翼を出さなければならない」

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 了子による奏の検査がようやく終わる。

 

「あー、長かったー」

 

 時間はもう既に夜の9時を回ってしまっていた。

 

「こんなにかかるなんて聞いてないぞ……」

 

 奏が半ばボヤくように呟いた。なんでも研究員の人たちも少しばかり予想外のことが続いたようで思ったより時間がかかったのだとか。

 

(そういや研究員の人が、了子さんとアメノハバキリがどうとか言ってたがなんかあったのかね)

 

 そんな事を考えていると、腹の虫が空腹を訴えて鳴いた。今まで夕飯もとらずに検査だったのだ、流石に奏も空腹だった。

 

「食堂行くか、確か10時くらいまでは開いてただろ」

 

 二課は聖遺物を用いたノイズ対策を行うが、ノイズが現れた際に一課と協力して事にあたる。

 そのため、いつ出現するかわからないノイズに対応する為、二課に人がいないと言うことはほとんどないのだ。

 

 そんな勤務時間や食事時間が不安定になりがちな二課職員のために二課の食堂は割と遅くまで開いているのだ。

 

 奏は食堂で今日のメニューであったカレーを頼むといつもの席に座った。

 

「そういやカレー、アイツ好きなんだっけ、旦那情報では」

 

 

 ────天羽さん、今何してるんだ? 

 

 

 頭の端に、腹がたつ声とともに烏羽色の髪の少年の顔との食堂でのやり取りが頭を掠めた。

 

「…………お前には関係ねえよ」

 

 頭の中に現れた人物を追いやって、カレーを食べる。子供がいる事をあまり考慮していない少し辛めの味付け。

 

(それもそうだよな。普通ここに子供はいないよな……)

 

 ふとしたところで、自分が昔から随分遠いところまで来たのだと言う事を感じる。

 

 しばらくして、奏がカレーを食べ終わり食器を下げていると、髪を音符のような形にして結んでいる青い髪の女の子が目に入る。

 

 何故かカレーの乗ったお盆を持ったまま、焦ったように周りを見回している。

 

(風鳴翼……、何してんだ?)

 

 その不審な行動が気になってそのままぼんやりと翼を見る奏。

 するとその視線に翼が気づき、奏の方を見て、二人の視線がぶつかった。

 

(げ、目があっちまった……)

 

(奏、か……。でも、仕方ないっ!)

 

 翼は暫く悩んでいたようだったが、カレーが溢れないように細心の注意を払いながら奏に近寄る。

 

「あの、奏……さんに、お願いがあります」

 

「あたしに……?」

 

「あの、私、叔父様に呼ばれてて、今すぐ行かなくちゃいけなくて……」

 

「ああ、だから?」

 

「だから、これ、カレー、戦兎の研究室に、差し入れ。お願いしますっ!」

 

「はあ、差し入れ。って、はっ?! あたしが?」

 

「よろしくお願いしますっ!」

 

「ちょ、待っ────」

 

 奏の制止の声も聞かず、翼は脇目も振らず駆けていった。そして、残されるカレーのお盆を手に持った奏。

 

「────て、くれよ。マジかよ……」

 

 今日はもう会わないだろう、と考えていた矢先の事である。

 

「てか、もう10時近いし流石に居ねえだろ。いや、アイツがここに住んでるなら、メシもここで食うのか?」

 

(いや、アイツはわざわざ翼に飯を届けさせる様な奴じゃねえか……)

 

 そんな奴なら奏が悩むこともなかった。そう断定できない様な面倒くさい奴だから、霧生戦兎という少年はややこしいのだ。

 

「じゃあいるのか、本当に……?」

 

 悩んで居ても仕方がないので、渋々ながらも戦兎の研究室を探して歩き出す。

 

(アイツの研究室ってどこにあるんだっけか。確か旦那は……)

 

 奏が二課に世話になる様になってまだ1ヶ月ほど。

 家を出て弦十郎のところに世話になる様になってからここに入り浸っている翼や、そもそも記憶がなく帰る場所が二課か弦十郎の家しかない戦兎ならばいざ知らず、奏はまだ二課の全体を把握しきって居なかった。

 

(確か、こっち、か)

 

 奏は自分の頼りになるか怪しい記憶をたどって歩き続ける。手にお盆があるため、どうしてもゆっくり歩かざるを得ず、慣れない道な事もありやたらと時間がかかってしまう。

 

(ん、光ついてるな、あそこ)

 

 しかし、どんな道も歩けばどこかにつくものである。加えて言えば時刻は10時近く。日はとっぷりと暮れて、電気がついた場所は薄暗い廊下の中でよく目立っていた。

 

 そして、ついに研究室の前までやって来た。扉の脇の第13号研究室というパネルの上に『霧生戦兎の研究室』という張り紙がしてあるため奏の勘違いという線ももうない。

 

(本当に、やってんのか?)

 

 奏が若干疑いの目で研究室の扉を見つめる。耳を澄ませば戦兎が何かを喋っているのがわかるが、扉のせいで何を話しているのかを判別することはできない。

 

「…………」

 

 奏が手の中のお盆をゆっくりと音を立てない様にそばに置いて、自分も静かにしゃがんだ。

 

 そして研究室の扉に手をかけてゆっくりとほんの少し開けていく。その度に、少しずつ戦兎の声が鮮明に聞こえる様になっていく。

 奏は、戦兎の声が耳を澄ませば何とか聞こえる、という場所でドアを開けるのをやめて体で固定し、これ以上動かない様にした。

 

 そして、目を閉じて戦兎の声に耳をすます。

 

 

 

「ふー、これも失敗か。やっぱシンフォギア系の発明はどうしても先生には劣っちまうな」

 

「あー、これで薬液7()8()2()()も失敗かー。なかなか上手くいかねぇな」

 

「今日一日で500号近く失敗したなぁ。頑張れ、俺。頑張れ天才。俺ならできる、俺ならできる」

 

「これ以上、天羽さんに辛い思いをして欲しくない。だから、頑張らなきゃ」

 

「だって、天羽さんが失敗するのは俺のせいでもあるんだから」

 

(は……?)

 

 

 奏は一瞬耳を疑った。他ならぬ自分の耳で聞いた事だが、聞き逃せない言葉だった。

 

「俺の、俺のせい、だと……?」

 

 その言葉は知らず識らずのうちに口から溢れ出していた。それだけ、今の言葉は奏にとっては衝撃的だった。

 

 そのためか、奏は思わず盗み聞きするには適さない音量で声を出してしまって居た。

 

「ん、誰かそこにいるのか?」

 

(しまった……!)

 

 奏は急いで立ち上がろうとしたが、扉を少しだけ開けながら体でそれを抑え、聞き耳をたてるというなかなかに無茶な体勢だった奏は瞬時にたちあがれず、それよりも早く扉が強く引かれた。

 

「うわっ」

 

「なんだこれ重っ────は、天羽さん……?」

 

 奏が上から降って来た声に顔を上げると、今の事態を全く理解できない、といった風に目を丸くしている戦兎が奏を見下ろして居た。

 

「何してるんだ、お前……」

 

「……メシ、だよ。カレー」

 

「は? メシ? 天羽さんが、俺に?」

 

 奏がぶっきらぼうに戦兎の質問に答えると戦兎は、一層理解が追いつかなくなったのか、その烏羽色の髪を触った。

 

「えーと、取り敢えず天羽さん、詳しい話は中でいいか? そんな姿勢でずっといさせるのもしのびないしさ……」

 

 

 

 

 

 戦兎の研究室の中。そこで奏と戦兎は向き合って座っていた。

 

 辺りには先ほど戦兎が食べたカレーの匂いが僅かに香っていた。

 

「あったかいものどーぞ。友里さんほどじゃないけど、少なくとも翼のよりは美味い」

 

「どうも」

 

 奏が短く、ぶっきらぼうにお礼を言うと、おう、と戦兎も短く言葉を返し、くしゃりと笑った。

 

(また、この笑い方……)

 

 奏が見る限り戦兎には笑みの種類が二つある。

 

 一つは、いつも戦兎が浮かべている薄っぺらい笑み。奏はこれには、どこか嘘くさい何かを感じていた。

 

 もう一つは、本当に時々みせる、くしゃりとした笑顔。この戦兎は本当に嬉しそうで、二つの笑みのギャップに奏は少し戸惑っていた。

 

 ちらりと戦兎を伺う。戦兎は自分の淹れた飲み物にふーふーと息をかけながら、時々飲もうとして慌てて下を引っ込めるという行為を繰り返していた。

 

「なあ」

 

「ん、どうしたー?」

 

「ちょっと、聞いていいか」

 

 戦兎は顔を上げて、奏の真面目な表情から何かを悟ったように頷いた。

 

「アンタはさっき、あたしがシンフォギアを起動できないのは自分のせいだって言ったよな?」

 

「……聞いてたのか」

 

「それは、悪いと思ってる。けど、それはどういう意味なんだ? なにかの比喩的な意味なのか、それとも────」

 

「そのままだ」

 

 戦兎が奏の言葉を遮るように返答する。そして、奏の目を真正面から見つめて続ける。

 

「そのままの意味だよ。()()()()()()()()()()()()、天羽さんはシンフォギアを起動できた」

 

「────は?」

 

 戦兎の言葉に、奏の頭が一瞬フリーズする。

 

(いま、いまコイツ、何て……)

 

 奏が驚きのあまり言葉を失い、戸惑いの表情を浮かべた。その表情を、奏が理解できなかった、と捉えた戦兎は首を傾げた。

 

「わからなかったか? ()()、葛木データと同じくらい櫻井理論を研究しておけば、君はシンフォギアを起動できたんだ」

 

(それ、は……)

 

「俺が、俺がもっと本気で頑張っていれば」

 

「それ、は、おかしいだろ……」

 

 その理論は奏の目から見れば、破綻していた。そもそも成立すらしていない。

 

 戦兎の物言いは、例えるならば『目の前で交通事故が起きました。私は何もできませんでした』、『私が交通事故をしないような車を発明していれば防げた事故だったのに』と言うようなものだった。

 

 そして、それを戦兎は本気でそう思っていて、本気で悔しがっていた。

 

 美しき献身、しかし奏にはどこか歪に見える戦兎の性格がそこに現れていた。

 

「何でアンタはあたしなんかの為にそこまでするんだよ」

 

 奏が思わず問いかけた。

 

 何故戦兎が奏のためにそこまでするのかわからなかった。

 

 何故、そこまで奏のことについて責任を取ろうとするのか、全くもって理解できなかった。

 

「あたしは、アンタに結構冷たい態度をとった。酷いことも、結構言った。普通の奴は、見捨てるだろ。嫌うだろ、普通」

 

 奏が戦兎に渡されたコップの中に反射した自分の顔を見た。眉を寄せた険しい顔。

 そんな顔を見て、最後に笑ったのはいつだったか、とぼんやり思った。

 

「……別に大した理由はねえよ。強いていうなら……そうだ! 天羽が可愛い女の子だからっていうのはどうだ?」

 

「真面目に答えろよ」

 

「真面目に答えてるぞ?」

 

 そして、へらりと戦兎が笑った。それはどう見ても薄っぺらい方の笑みだった。

 その笑みを見て思わず奏の目が鋭くなる。

 

 その目線に戦兎は少し気圧されたように表情を硬くして、髪を撫で付けた。

 そして、しばらく何かに悩むように目を閉じると、ゆっくりと開き、大きなため息をついた。

 

「はいはいわかった。正直に言うよ」

 

 戦兎は手の中のコップを近くの机に置くと立ち上がって研究室の窓のそばまで歩いて行き、夜の闇に染まった外を見つめた。

 

 よく掃除されたガラスは、鏡のような役割を果たし、本来は見えない互いの顔を映し出した。

 

 そして、戦兎が静かに話し始める。

 

「俺、記憶ないんだよ」

 

「いや、それは知ってる」

 

「なんでっ?!」

 

 そして、速攻で話の腰をおられた。

 

「弦十郎の旦那が教えてくれた」

 

「くそ、弦さんめ……」

 

 戦兎が少し苦い顔をして、力が抜けたように笑った。

 

「なーんか、力抜けちまったよ」

 

「なんか、悪いな」

 

「天羽さんが謝ることじゃないだろ?」

 

「まあ、それもそうか」

 

「ああ、そうさ」

 

 そう言って振り返って背中を窓にもたれさせて、腕を頭の上で組んだ。

 

「まあ、それで俺、記憶ないんだよ。だから、自分の本当の名前もわからないし、それどころか年もよくわからない。本当に何も覚えてないんだよ、笑っちまうよな」

 

 戦兎が自虐的に笑う。

 

「そのせいか知らないけど、目が覚めた時は頭の中がぽかん、と空いちまってさ。何か大切なものをなくしたのに、それが何なのかわからなくて」

 

 始まりの夜、少年には何もなかった。

 

「何のために生きてるんだろう、とかそんなしょうもないことを考えながら生活してた」

 

 でも、それでも見捨てなかった人たちがいた。

 

「でも、そんな俺に中身を与えてくれた人たちが居たんだよ。そのおかげで、俺は少しずつ前に進めるようになった」

 

 導いた人たちがいた。

 

「今の俺は、天才物理学者で、先生の助手で、弦さんに育てられた。ついでに言えば男だ。こういう生き方は、二課の人たちのおかげで持つことが出来た」

 

 何もないからこそ、何者にもなれる。そう言ってくれた大人たちがいた。

 

 だから、今戦兎は前に進んでいける。

 

 なりたい自分になるために、進んでいける。

 

「俺の持論だけど、人は生きる為には心の支えがいる。だから、俺は天羽さんにそれをあげたいんだよ」

 

 戦兎がそこまで言うと、窓のそばから奏の方へと歩いてきて、奏の目の前で足を止めた。

 

「そして、何より俺は、人のために頑張れるような、そんな自分で居たいんだよ」

 

 奏のことを戦兎がその薄い青みを帯びた瞳でみる。

 

「だから、天羽さんのために頑張る。それだけ」

 

 そう言って、くしゃりと笑った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 奏が二課社宅のベランダから空を見上げる。

 

 空には灰色の雲が占拠していて月明かりどころか、星の一つさえ見えない。

 そんな灰色で、スカイウォールとの境界が曖昧になっている空をぼんやりと見上げて、研究室での戦兎との会話を思い出す。

 

 

 ──人は生きる為には心の支えがいる。

 

 ──俺は、天羽さんにそれをあげたいんだよ。

 

 

 思わず拳を強く握りしめる。

 

 

「何だよ、それ」

 

 

 ぽつり、と零すように呟いた。

 

 

「あたしに、生きろって言うのかよ」

 

 

 そう言った途端、奏の鼻の頭に水滴がひとしずく落ちて来る。空を見れば、遠い空から夜闇に紛れて黒々とした雲がこちらに向かって来るのが見えた。

 

 

「一雨、来るかもな。この分じゃ」

 

 

 

 

 まだ、雨雲の向こうに空は見えない。

 

 

 

 

 

 ノイズ襲来まで、あと────

 

 

 

 






霧生戦兎くん

名前
翼が命名


了子の勘

誕生日
ある

身長
翼より頭一個半大きく、奏とはあまり変わらない。

運動神経
翼に勝てたことはない

体力
クソザコナメクジ


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