その車両は不調気味な旧型車両の補充用として、新たに東京メトロから宛がわれた、日比谷線用03系電車であった。
鉄道車両の転生という前代未聞の中で、俺は思いに耽る。
「くそっ!何であいつらから手を出したのに、喧嘩両成敗で俺まで怒られるのか!」
夕方の学校は陰鬱であった。
俺は不良三人にからかわれ、「ふざけるな」と冷めたように言い放つと、いきなり鉄拳で頬を殴り、赤く腫れ上がるほどのハンマー以上と言っても過言ではない威力が襲う。
骨が砕けるかと思った。
もう一発目が飛んでくるとき、拳闘に熱中していた俺の拳が殴った一人の鳩尾に直撃し、一人を立ち上がれなくした。
残りの二人も間合いを図って、顔面にそれぞれ一撃必殺のフィニッシュブローを直撃させると、その二人も泡を吹くようにしてリーダ格の一人と同じくヘロヘロに倒れた。
運悪く指導部に見つかり、酷くどやされた。
向こうから仕掛けたからやり返したといっても、それが許されるはずがない。
暴力はいけないと気取る発言を繰り返す教員に苛立ちを覚えながらも表情を不動のまま、ただ沈黙を貫く。
その後、時間の流れに身を任せ、ようやく学校から解放された時、胸の奥底が冷たい心境のまま、猥雑で薄汚い蒲田の繁華街を歩く。
スーツを着た会社員、ジャージ姿で片手に缶チューハイを持ち歩く中年男性、スーパーのバーゲンセールがあったのか袋一杯に必需品を詰め込んだまま帰路に就く主婦、俺もその雑踏に紛れた一人であった。
頬がまだ熱く、痛い。
湿布を貼った分、ひんやりと痛みを和らげてくれるが、まだそれでも痛みを感じた。
ゲームセンターから流れる音楽、楽しそうに会話を弾ませる淑女、モーターを唸らせるJRの電車、騒音に苛まれつつも蒲田駅へと向かう。
俺の家は東急多摩川線蒲田駅から数駅のところにあり、必ず行き帰りする時は通らざるを得ない関所、東急蒲田駅のターミナルはとても大きく、池上線のホームと多摩川線のホームに分かれている。
グレーのコントラスト、ひっきりなしに何本も発着する列車の数々、池上線と多摩川線の銀色に赤い帯の電車が並行しながら、降りる客と乗る客を迎えてくれる大きな駅舎からゆっくりと去る。
今夜は両親も帰りが遅く、夕飯は外で食べるかスーパーで何か買ってと2000円を自室の机に置いてくれた。
放任主義の家庭、何不自由のなく育った俺は夜遊びに耽ることなく、最寄り駅の下丸子駅まで多摩川線に乗る。
東急多摩川線、元々は目蒲線と呼ばれたその路線は蒲田から多摩川までを結ぶ東急の支線、目蒲線時代は田園調布を通り目黒まで行っていたが、目黒から田園調布までは目黒線に再編され、残りの多摩川から蒲田までは多摩川線とした分断され、今では大田区民の一部に愛されている。
最も、銀色の小振りで3両編成という短い電車は関東ではそれほど例が少なく、時間の流れが速まっている東京においてその路線は、牧歌的とも言える下町の沿線風景が見られる珍しい鉄道線であった。
羽田空港までのシャトルバスや京浜東北線が出ている蒲田、東横線とかつての目蒲線の一部を継いだ目黒線に乗り換えができる多摩川、この途中の小さな駅、下丸子駅が俺のいわばもう一つの家だ。
ダイアモンドの如く輝くステンレス車体、甲高いブレーキ緩解音と重低音が響くモーター、軋むフランジの音、一日の疲れをため込みながら行き交う人々の雑踏、帰りの列車は皆、重い足取りなのかもしれない。
そんな時、俺は多摩川線の車両に違和感を覚えた。
東急と言えば、鏡のように磨き上げられたステンレス車体のはずが、来た電車はざらつきのある銀色、シールで貼られているのか、濃緑とベージュ、黄緑の帯を纏うアルミニウムの車体、近未来的な局面形状の前面、まるで宇宙船のようだ。
中に入るとベージュ色の壁とグレーの床と、ワイン色の座席、東急の電車にしては異なった一体化した網棚とひじ掛け、新型車両では省かれていたカーテンも備えている。
いつも乗る電車とは違う・・・・・・。
新型車両にしては車体からも随分と年季の入った煤や茶色い汚れ、何かのプレートを外したような跡、全面と側面の行き先表示も旧型車と同じオレンジ色のLED表示、ひし形パンタグラフ、随分と簡素な仕事ぶりが見られるその車両、不思議と東急らしさがなくて胸が弾む。
時間の流れは早く、すぐさまけたたましい発車ベルが鳴り響く。
俺はこの車両、その後に多摩川線からも姿を消すことになる03系とかいう、東京メトロ日比谷線から転属してきた中古車両であることをしばらくして、学校の知人である鉄道好きに教わる。
新型車両には備わっていた扉の上にある液晶ビジョンによる案内も、企業のPR映像やCM用のビジョンすらない、そっけない造り、何故ここに?
とにかく、奇妙な電車の1号車に乗り込んだ。
エアーの閉まる音と同時に、扉の閉まる「バタン」という重い音が終わると、今度は床下からも溜息を吐いたような緩解音、ゆっくりと動きだす電車、いつもよりワクワクという言葉が似合う陽気な感情で多摩川線に乗るのは初めてであった。
台車の軋む音と同時に左右の揺れが五体に伝わる。
その流れに乗客たちも任せて波風のように揺れる風景、日常でありながら幻想的にも思えた。
流れる窓辺はどんどん、速度を上げていき、時速70キロほどではあるが、モーターは激しくゴロゴロと唸り、上下からの揺れが直線区間で続く。
「本日も東急多摩川線をご利用いただき、ありがとうございます。この電車は、多摩川行きです。まもなく、矢口渡です」
味気ない女性の自動放送、俺はふとこの車両に纏わる過去を思い出す。
三ノ輪にある祖父の墓参りに行った時、日比谷線を利用したことがあり、今乗っている電車(03系)が短い3両編成ではなく、8両編成という長い電車で、通勤通学に向かう人々を支えていた。
まだ子供の頃は両親も墓参りの後は板チョコレートを買い与え、俺はいつも板チョコを頬張りながら、この電車に乗っていた。
違う会社から転属してきた電車、日比谷線の電車が東急を名乗るというのも、あまり前例のないシステムであり、転職してきた社員の如く、俺や疲れ切った乗客、温かい笑みを浮かべる乗客を運ぶ。
東急と言えば商業、不動産においては名前を知らないものはいない電鉄会社の中では老舗にあたる会社、特に国際貿易で栄えた港町である横浜、著名人も多く住む高級住宅地田園調布、自由が丘、中目黒を通り、ファッションや文化が行き来する渋谷に至る東横線を始め、多くの路線を抱える。
どの路線も休日になると混雑するほど、利用者が多く、通勤や通学、観光とお得意のショッピングにも長けた会社だ。
東急沿線は駅舎や車両の清潔さや沿線の魅力から高級感や明るいイメージがあり、他の会社にある下卑た広告や風俗も目立つことなく、多摩川線も全員ではないが極端な人間を見かける機会は少ない。
極端な人間と言っても、喧嘩も大したことのない田舎のヤンキー程度だが。
それだけ歴史も長く、不動産や商業という強みを持っている会社であれば、新型車両の導入も倒産寸前でない限り、可能であるのに、どうして他所の会社から持ち出された車両でつないでいるのか、不思議でもあった。
誰も怪訝に思うことなく、乗客はイヤホンをつけて音楽を聴き騒音をシャットアウトする乗客もいれば、老人たちが昔話を楽しそうに弾ませたり、車内で眠りに耽る会社員もいる。
運転士はただ黙々と旅客の安全を第一に考え、今日もブレーキとマスコン(アクセル)ハンドルを握りながら、矢口渡駅に滑り込む。
停止位置もずれがなく、完全に止まった数秒の衝撃、電車の扉が開く。
電車の加速のせいか、多摩川線も大手企業のシフト構成を見越したダイヤなのか、日本の環境が早く光陰矢の如しとしか言えぬか、それとも俺の感覚が不良生徒の鉄拳で麻痺してしまったからか。
不思議と今日はゆっくりと乗っていたい。
俺はこんな時間の体験をずっと続けばいいのにとこの時は思っていたが、この体験から数年後には新型車両が入り、俺の乗った03系は、もう多摩川線にはいないという。
夢のような時間、東急以外から転向してきた電車故、非日常的な出来事の中で過ごす人々を見て、自分も他人もちっぽけな存在であると感じつつも、この電車もしばらくして轍から去り、人々の記憶からも消されていく。
夜の暗闇のように溶け込んでいくかもしれない。
この時はそんなことも考えず、とにかくゆっくりとした時間を過ごせればとおもいつつ、下丸子まで乗った。
家路までのレールは不思議と暖かかった。
孤独の線路の先には何がある、目を開いた先は明るい街並みか、茂みのような静止した迷宮か、不思議とこの電車から見える世界に、目の色が変わってきているということを感じながら、揺られていく。
03系は扉を閉めると、ものすごい加速で武蔵新田へと向かう。
短いようで長い時間の中、列車は夜の静けさを抜けて、家路というレールまで加速していく。