帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百十七話 何事も余裕を持った計画をしよう

 最も偉大な勇者はアレクサンダー大王か、はたまたヘラクレスか?

 ヘクトル王子、またはリュサンドロス提督と人々はその名を口にする

 しかし歴史上に偉大な英雄達は数あれど、吾等に肩を並べられる者なぞ存在しない

 そう、銀河帝国装甲擲弾兵団に比する勇士達なぞありやしない!

 

 古の戦士達は軌道爆撃の嵐を見た事はない

 雨霰のように襲い掛かる電磁砲弾も、重厚な甲冑をも引き裂く戦斧の一撃も味わった事はなかろう?

 だが、吾等はそれを知っている!破壊と殺戮の嵐の中、主君のために一切の怯堕を打ち捨て進軍せん!

 さぁ、いざ讃えよう!高貴なる黄金樹の傍で侍り守護せし装甲擲弾兵団の勇士達を!

 

 主君より一言敵陣を突破し蹂躙せよと下知が下るならば!

 連隊長は先頭でサーベルを振るい、旗手は連隊旗を高らかに掲げ、勇者達は血の滴る戦斧を持ちて突き進まん!

 我らは血濡れの戦斧を振り下ろし、高貴なる血統に仇なす逆賊の徒に忠罰を下さん!

 さぁ、いざ讃えよう!高貴なる黄金樹の傍で侍り守護せし装甲擲弾兵団の勇士達を!

 

 星々と臣民を逆徒から解放し、秩序と正義を回復したならば!

 臣民は感動の涙と共に帝旗に頭を下げ、皇帝陛下の名を歓呼の声を上げて讃えよう!

 我らは皇帝陛下の代理人!宇宙の正義と秩序を守護せし黄金樹の正義の意思の代言者なり!

 さぁ、いざ讃えよう!高貴なる黄金樹の傍で侍り守護せし装甲擲弾兵団の勇士達を!

 

 勝利を祝い我らは皇帝陛下より賜りし葡萄酒を金杯に注ぎ飲みほさん!

 我らは装甲服を纏い、背嚢を背負い、戦斧を掲げて帝都に勝利の凱旋を果たさん!

 銀河帝国装甲擲弾兵の戦士達よ、末長く戦乙女に愛され幸あれかし!

 さぁ、いざ讃えよう!高貴なる黄金樹の傍で侍り守護せし装甲擲弾兵団の勇士達を!

 

 さぁ、いざ讃えよう!戦乙女達の寵愛を受けし戦士達の守護する黄金樹の王朝と高貴な血統の栄光を!

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国軍『装甲擲弾兵団行進歌』より

 

 

 

 

 

 

 原作で「石器時代の勇者」、「野蛮人」、「流した血の量で昇進した」等と称されるオフレッサーであるが、一つ疑問に思った事はないであろうか?

 

 そう、たかが白兵戦で殺害した功績で将官……まして最終的には上級大将にのし上がるなぞ可能なのだろうか?一人で直接殺せる兵士なぞ数百、せいぜい頑張っても一〇〇〇名程度であろう。

 

 当然ながら艦隊戦だと十隻も沈めればあっという間に届く人数である。その程度の数で本当に将官に登り詰める事は出来るか?答えは否である。オフレッサーの恐ろしさはそんな単純なものではない。

 

 「将軍殺し」、「挽肉製造機」、「雷神」、「殺戮機械」、「首狩り男爵」……二十を超える渾名で称賛、あるいは畏怖、軽蔑される現銀河帝国軍装甲擲弾兵団副総監オフレッサー大将は、直接的な意味で同盟・帝国軍において唯一の「将官エース」である。直接的、というのは文字通り自身が戦斧で肉塊にした、という意味である。

 

 帝国暦451年に帝国軍装甲擲弾兵養成所を卒業したバシリウス・フォン・オフレッサー騎爵帝国騎士は伍長に任ぜられ、装甲擲弾兵団分隊長として惑星ティトラ攻防戦に参戦した。

 

この惑星がオフレッサー伝説の始まりである。

 

 劣勢の帝国地上部隊の中でオフレッサー率いる分隊は幾度も戦功を上げて友軍を励ました。時には分隊どころか小隊まで単独で全滅させたこともある。無論、実際に殺害した者の半分はオフレッサー一人によってであるが。

 

 しかし、所詮は戦術レベルの勝利でしかない。同盟軍は少しずつ戦線を押し上げていき、帝国軍は後退に後退を重ねた。そして……同盟軍は敗北した。

 

 オフレッサーは少数の部下達と共に前線を掻い潜り、数日かけて同盟軍の前線司令部を探り当てて奇襲を敢行、同盟地上軍第四一三師団司令部に血に飢えた巨人が突撃した。オフレッサーは師団長以下の参謀、司令部要員をほぼ単独で壊滅させたのだ。

 

 司令部が突如壊滅した事により前線は混乱、そこを突いた帝国軍の反攻により同盟軍は壊走を余儀なくされた。オフレッサーはこの功績で二階級特進と勲章授与、そして精鋭部隊への転属という栄誉を授かった。

 

 装甲擲弾兵団の特殊作戦コマンドに編入されたオフレッサーの仕事はただ一つ、前線を抜けて敵の司令部を強襲し、その指揮能力を喪失させる事だ。そしてオフレッサーは上層部の期待以上の成果を見せつけた。

 

 殺害した連隊長以上の指揮官の数は六八名、内将官は一四名、少将が二名も含まれている。中には宇宙軍の戦隊旗艦に強行接舷して占拠した経験まであった。小隊長や中隊長の犠牲者は数えきれない。同盟軍士官学校席次第三位、勇将にして『十年後の同盟地上軍元帥』と期待された第一〇遠征軍団司令官ローラン・ブラッドレー少将すらこの化物の手により頭部と体を分断された状態でヴァルハラに強制的に連行された。

 

 特殊作戦や後方撹乱の指揮官として以外にもオフレッサーは指導者としても有能であった。彼の率いる部隊はどれも地獄の教練により死をも恐れぬ文字通りの狂戦士の集団となり相対する同盟軍兵士を恐怖に陥れる。

 

 果てはその名前を聞くだけで同盟軍は恐慌状態になる程であった。その影響力と名声はフリードリヒ四世時代において二人目の金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章受勲者となった事で頂点を極めた。

 

 圧倒的な実力と異常なまでの軍功、残虐な性格と統率者としての才覚と覇気と名声、オフレッサーと言う人物は正に帝国軍最強にして最凶の戦士であった。

 

 そしてそんな戦士が正に我々の目の前に君臨していた。雷雨に打たれる中、雨露に濡れた狂暴な表情を持って我らを見下ろしている。余りの恐怖に私は声を出す事も、逃げる事も出来ず、だからと言って視線もそらせずただただ立ち尽くす。

 

「……!!げ、迎撃だっ!撃て!撃て!」  

 

 臨時駐屯地の警備に就く基地警備隊所属の下士官が真っ先に我に還り部下達に命令を叫ぶ。同時に数名の同盟軍兵士がブラスターライフルや火薬銃を構え、自分達を見下ろす死神に一斉に発砲した。

 

 だが、その銃撃の雨が死神に降りかかる事は無かった。その前にオフレッサーは四メートル余りはあろう崖を平然と飛び降りたためだ。銃弾の嵐は虚しくも通り過ぎる。

 

「き、近接戦闘用意……!!ぎゃっ……!??」

 

 一番近くにいた兵士が悲鳴と共に銃剣を着剣し、銃口を向けようとするがその前に一気に距離を詰めた悪魔に頭部を斧で叩き潰された。軽量特殊繊維と合金で出来た鉄帽は本来の役目を果たす事なく引き裂かれ、頭蓋骨を粉砕にされた兵士は脳漿と血液を泥の中に飛散させた。

 

 周囲の人間は何が起きたか分からないといった風に驚愕の表情を作る。それほどまでにあっという間の出来事であったのだ。あの図体からは信じられないような虎豹の如き動き、当然私も余りに衝撃的な現実に固まるしかなかった。ははっ!ふざけるな、戦斧の一振りで人がミンチになるなんてふざけている……!

 

 そして、そんな戦慄に震える獲物達に対して、文字通り人間の頭を挽き肉に変えた男は戦斧を一振りしてその血を払い落とし、目の前の哀れな獲物達に舌舐めずりするような凄惨な笑みを浮かべたのだった……。

 

 

 

 

 

 

「ひ、ひぃ……がばっ!?」

 

 二人目の犠牲者である若い同盟兵士は「殺戮機械」に対して背を向け一目散に逃げ出そうとした。敵前逃亡は軍法会議物であるが理性を恐怖に塗り潰されたその兵士にとっては知った事ではなかった。全力疾走で駆ける。

 

 だが次の瞬間には背中に投げ斧をぶちこまれ、背骨をへし折られ脊髄が粉砕されていた。口から血を盛大に吐き出しながら白目を剥き出しにして泥中に倒れる。

 

「う、撃て!撃ち殺せ!?」

 

 激しく雨が降る中、同盟軍兵士達はブラスターライフルでオフレッサーを射殺しようと次々と発砲する。だが、暗い曇天の空にこの豪雨の中である。咄嗟に暗闇の中に消える巨人の前に虚しくブラスターの光条は通り過ぎる。

 

「畜生っ!ふざけるなっ!!何だよあの動き……!!?ブラスターを避けるとか有り得ないだろう!!?」

「落ち着けっ!!良く狙うんだっ……!うがっ!?」

「い、痛いっ…!イダい……!」

 

 同時に上方からのクロスボウの雨が同盟軍兵士達を襲った。炭素クリスタル製の鏃が兵士達のトレンチコートと防弾着を貫通しその人体を傷付ける。ブラスターや火薬銃と違い発砲の光がなく、闇夜から突如として襲いかかるボウガンの雨は時代錯誤なように思えるが予想外の脅威であった。

 

「む、無闇に撃つな!!居場所が分かる!暗視装置と消音装置を使うんだ!いそ……がばっ!?」

 

 咄嗟に機転を聞かせて味方にそう伝える下士官は、しかし次の瞬間悲鳴をあげ、暗闇の中に引き摺り込まれた。視界が悪く良く分からないが彼がいたであろう地面の泥が赤黒く染まっている事から彼が誰に何をされたのかは大体予想がついた。

 

 周囲から次々と悲鳴が響き渡り、血の鉄臭い臭いと肉の生臭い臭いが豪雨の中でも強烈に漂ってくるのが分かった。そしてそれを自覚すると共に胃の底から気持ちの悪い感触が襲い掛かる。

 

「若様っ!ここはお引き下さい……!態勢を建て直しましょう……!!」

 

 いつの間にか連隊旗を抱えた従兵を傍にして駆け寄っていたクラフト少佐が私に語りかける。交戦中の同盟軍警備部隊の兵士達が殺られている内に連隊を後退させて迎撃態勢を整えようと言う訳だ。

 

「あっ……ああ、分かったっ!中尉、行けるかっ!?」

 

 私はクラフト少佐の言葉にようやく我に返り副官に尋ねる。

 

「だ、大丈夫です、行けます……!」

 

 若干ふら付きながらもノルドグレーン中尉は立ち上がる。それを確認して私はハンドブラスターを腰から抜いて少し上擦りながら叫ぶ。

 

「か、各員、牽制しつつ後退するぞ……!」

「若様っ!後ろです……!」

「えっ……?」

 

 咄嗟に私が振り向くと雨の中から髑髏を思わせる甲冑が現れる。血濡れの戦斧を振り下ろそうとするそれをクラフト少佐は反射的に発砲する。

 

「ぐうっ……!?」

 

 しかしその装甲擲弾兵は若干呻き声を上げて仰け反るだけだ。重装甲服の防弾性能の前にハンドブラスターなぞ意味はない。とは言えやり様はある。

 

「か、関節部を狙え……!」

 

 私とノルドグレーン中尉も同時にハンドブラスターを相手に向けて発砲する。

 

 重装甲服も視界確保や関節駆動のために防弾性能を落とすしかない部分がある。我々はハンドブラスターのエネルギーを使い切る覚悟で何発も、それこそ何発もその装甲擲弾兵にレーザーを叩き込む。反撃の隙は与えない。戦斧と装甲で身を守ろうとするが足の膝にある隙間を貫かれて血が噴き出し、次いで脇腹、そして姿勢を崩した所に首筋に受けた銃撃が止めを刺した。

 

「糞!一人相手にエネルギーパックを使いきるとはなっ……!!」

 

 薄暗さと豪雨で視認しにくいが見れば崖から次々と火薬銃や戦斧を備えた装甲擲弾兵が飛び降りて警備兵達と戦いを繰り広げているのが分かった。ふざけやがって、下手したら怪我する高さだぞ……!?

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!??」

「畜生っ!!どこだっ!どこにいやがるっ!!?」

 

 百メートル程離れた場所で五、六名の兵士が悲鳴を上げ、雨が激しく降りしきる中何かを近づけないように見境なく銃を乱射していた。私は少し前まで彼らがその倍の数はいた事を知っていた。恐らく今彼らが相手にしているのは……。

 

「は、早く逃げるぞっ……!!ここは不味いっ……!」

 

 私は雨に打たれながら部下を急かすと、警備兵達を捨て置いて中尉達と混乱の坩堝にある臨時駐屯地から駆けだした。悪いが彼らを助ける余裕は無いし、その力も無い。私に出来る事は逃げる事だけであった。……そう思い立った。

 

 臨時駐屯地は地獄と化していた。相手は部隊章から見る限り装甲擲弾兵第三軍である。この臨時駐屯地を警備する第八〇八警備隊と第一〇一八歩兵連隊第二大隊、そしてその他の事務員や後方支援部隊の兵士達は手に持つ拳銃やライフルで抵抗するが練度と数が違い過ぎる。銃撃戦で一方的に射殺され、近接戦闘に至っては殆ど虐殺となっていた。

 

 私を中心とした第七八陸戦連隊戦闘団本部の生存者は私の周囲を囲むように円陣を組んで天幕が燃え盛り悲鳴が響き渡る臨時駐屯地を突き進む。ベアトの第一大隊とその他連隊戦闘団直属部隊と合流を試みるのだ。

 

「正面、二個分隊が展開しています……!」

「時間が無い!強行突破する、行くぞ……!」

 

 クラフト少佐が皆に命じる。火薬式銃を構える二十名ばかりの装甲擲弾兵に三十名ばかりの我々は発砲しながら突き進む。極めて危険な行為であるが、もたもたしていたら後方から迫り来る大軍に包囲される。それ以外手が無かった。少なくともその時極度に焦っていた私はそれが一番だと考えていた。

 

 大口径の火薬銃を構えた先遣隊が突撃する。相手はいきなり突撃してくると思わなかったのだろう、機先を制される形で攻撃を受けた。その後ろからブラスターライフルやハンドブラスターを持った本隊が発砲しながら無理矢理突入する。装甲は貫けなくても牽制にはなる。

 

 余りの銃撃の雨に、たまらず敵は戦斧や物陰を盾にして攻撃をやり過ごそうとする。尤も、幾人かは勇猛なのか、蛮勇なのか、銃撃の雨の中戦斧を持って襲い掛かってきたが。

 

「がっ!?」

「うごっ……!?」

 

 擦れ違い様に双方から悲鳴が上がる。ある装甲擲弾兵は喉元に実弾を受けて泥沼の地面に倒れ、ある連隊士官は戦斧を避け損なって斬り捨てられる。

 

「っ……!?な、何人やられた……!?」

「ヴァイル軍曹とハック中尉が殺られました……!」

「ブラントはどこだ……?いないぞ…!?」

「糞っ……ビビッて逃げ遅れたようです……!」

 

 後ろを振り向けば突破に失敗した数名の部下が戦斧で切り捨てられていく姿が映る。

 

「い、今助けに……」

「駄目ですっ!間に合いません……!」

 

しかしクラフト少佐達が冷静にそれを止める。

 

「だがっ……!」

 

 そんな事を言っている間にちらりとこちらを見た生き残りが何か決心したように懐の手榴弾を取り出す。一瞬その行為に装甲擲弾兵が驚いて怯んだ。逃げ遅れた部下は殆ど同時に手榴弾の安全ピンを引き抜くとそのまま装甲擲弾兵に吶喊する。

 

「皇帝陛下万歳!ティルピッツ伯爵家に栄光あれ!」

 

 爆音が轟いた。その先は言いたくない。取り敢えず暫くは我々の後を追う者達が居なくなったのは確かだった。

 

「くっ……!!進めっ!遅れる者は置いていくぞっ……!!」

 

 込み上げて来る激情と吐き気を押し殺して私は歯を食いしばりながら厳命する。暫く駆けると再び我々の行く手を遮る者達が現れる。

 

「正面、装甲擲弾兵一個中隊……!」

 

 先行する部下が叫ぶ。逃げ惑う同盟軍兵士を執拗に追いかけ回し背中から戦斧で斬り捨て、倒れて命乞いするのを嬉々として火薬式銃で蜂の巣にしていく髑髏の集団を確認する。我々は散開しつつ破壊されたジープや物資コンテナの影に隠れる。

 

「はぁ…はぁ…………不味いな。流石にあの人数の突破は無理だ………」

「はい、迂回するしかないでしょう。あるいは……」

「止めろ。それはいい……」

 

 精神を落ち着かせた後、私はクラフト少佐の提案を口にする前に止めさせる。先程見た行動を助からない者なら兎も角志願兵にやらせるなんて考えただけで吐き気がして来る。

 

「味方に連絡が取れれば良いのですが……携帯無線機は妨害電波で通じないですから……」

 

 ノルドグレーン中尉が苦い顔でそう口にする。最初の迫撃砲による砲撃で高性能な連隊通信機材は破壊されてしまっている。出力の低い個人携帯通信機では帝国軍の妨害を掻い潜りベアト達や上位司令部に連絡するのは不可能に近い。

 

「……仕方ない。このまま別ルートから……」

 

 そう言い切る前に私は異変に気付く。小丘が影になって良く見えないが装甲擲弾兵達が何事か驚愕して銃撃をしていた。

 

 次の瞬間小丘から戦車と戦闘装甲車が機関砲弾をばら撒きながら乗り上げるように現れる。戦闘装甲車からフルフェイスの重装甲服を着た陸戦隊員が現れ機関砲弾から生き残った装甲擲弾兵に大口径火薬銃を浴びせて掃討する。

 

「あの部隊章は……第一大隊か!」

 

 戦闘装甲車から降りて兵士達に命令を与える小柄な指揮官を見つけると私は安堵して喜色の笑みを浮かべる。ベアトもまた必死で兵士達に命令を与え、周囲を見渡していたが我々の姿を見つけると心から安心した表情を向けた。

 

「若様っ……!御無事でしたかっ!?」

 

ベアトが私の下に急いで駆け寄る。泥塗れの姿に動揺し、血の気が引いていた。

 

「ベアトっ……!助かった……!本当に助かった……!」

 

 尤も私が縋りつくように重装甲服を着たベアトに抱き着いたので人の事は言えないが。

 

「大丈夫で御座いますか!?こんなに汚れて……御怪我はありませんか!?」

「ああ……大丈夫だ。部下達のおかげで……ああ……ああ………」

 

 過呼吸気味になり息を整える。だが次の瞬間、安堵と不安がごちゃ混ぜになった私の脳裏にあの化物とその化物に虐殺されるがままに見捨てた警備兵の表情、そして逃げ遅れた部下の最期を思い出しその場で朝食を泥にまみれた地面に吐き出す。

 

「若様っ……!?」

 

 ベアトが悲鳴を上げて私の体を支える。慌ててノルドグレーン中尉とクラフト少佐も駆け寄る。

 

「だ、大丈夫だ。……ああ、もう大丈夫だ。それよりも……状況を教えて欲しい」

 

 胃液を吐き捨てて再度息を整えて私は尋ねる。今は一刻の猶予もない事位理解はしていた。

 

「こちらも完全に把握は出来ていませんが……」

 

 ベアトは不安そうに私とその他連隊本部のメンバーを指揮通信車に乗せると部隊を移動させつつ説明する。

 

「断続的な通信を整理する限り襲撃はここ以外でも複数の中継基地で発生しております。装甲擲弾兵団を中核とした部隊が険しい山林地帯を抜けて奇襲をかけて来たようです。部隊章から見て装甲擲弾兵団第三軍団と思われます」

 

 後に知った話によると、先行する猟兵部隊が警備部隊を始末した後、山林地帯の道なき道を偽装しながら進軍。オフレッサー大将率いる装甲擲弾兵団第三軍団を中核とした五万八〇〇〇名の軍勢が砲兵陣地、兵站拠点、通信基地、航空基地等、三二か所の軍事拠点を殆ど同時に襲撃したという。

 

 更に同盟軍の戦線後方の混乱に呼応して前線においても第九野戦軍主力が攻勢に転じ、砲撃支援や航空支援、或いは援軍を封じられた前線部隊は文字通り帝国軍と血を血で洗う白兵戦を行う状況に陥っていたらしい。

 

「第三軍団か……噂通りだな。まさか大将が最前線に出て来るとは」

「最前線……まさかあの蛮人をご覧になったのですか……!!?」

 

 顔を青くしてベアトが尋ねる。オフレッサーとの遭遇なんて交通事故やテロに遭遇する以上に危険な状況なのでさもありなんである。

 

「見た所かあの化物、部隊の先頭で警備部隊相手に戦国無双してたぞ。………ああ、安心しろ。警備部隊が食い止めている間に退避したさ。流石にアレと戦おうなんて考えるのは相当のマゾだ。私には怪我一つありやしない」

 

 私は受け取ったタオルで雨と泥に汚れ、雨で冷えた体を拭きながら可能な限り問題無さそうな振りをして答える。いや、あれはアサシン的なクリードだろうか?どちらにしろ下手に勇気を奮って前に出れば即殺されていたのは間違い無い。すぐに逃げたから確認は出来ないが記憶にある限りでも十名は既に殺していた。恐らく実際の数は最低でもその数倍だろう。

 

(……警備隊には悪い事をしたな)

 

 罪悪感に苦しくなるがその感情を振り払う。自己陶酔する前にやるべき事をやらなければならない事位実家でも、幼年学校でも、当然士官学校でも徹底的に指導されていた。

 

「……まぁその話はいい。それで?援軍は呼べそうか?」

 

 私が話を変えたのに何か言いたげにするベアトだが、すぐに気を取り直して説明を続ける。

 

「援軍は今すぐには難しいかと。通信基地や通信設備も相応の被害を受けていますし、妨害電波も厳しくなっています。ニヤラ市の遠征軍団司令部との通信は大隊所有の無線機では困難です。我々は若様の救出のために訓練中の所を引き返す形で駐屯地に突入しました。賊軍に危害を加えられる前に御守りする事が出来て幸いです」

 

 ベアトは心の底から安堵した表情を作る。無傷で私を回収出来た事に子供のように感動している。まぁ、これまでがこれまでだからなぁ……。

 

「……よし、臨時駐屯地から多少距離が離れたら無線に呼び掛けよう。帝国軍から距離を取れば繋がるかも知れないからな」

「私がやります」

 

 そう言って無線手と共にノルドグレーン中尉が無線の周波数帯を調整していく。

 

「…………んっ、少しお待ち下さい。もう少し……何か聞こえます。……よし、この周波数なら……」

 

 暫くすると気色を浮かべた笑みと共に中尉は無線機をこちらに差し出す。私はそれを受け取り耳元に添える。

 

『こ……である……こ……七…連た………こちら第七八陸戦連隊戦闘団第二大隊長ヨルグ・フォン・ライトナー少佐である、連隊戦闘団本部応答願いたい……!』

「……こちら連隊戦闘団臨時本部、連隊長のティルピッツ中佐だ。……少佐、無事そうで何よりだ」

『っ……!?わ、若様で御座いますかっ……!!ご無事で御座いますか!!?今どこに……!?』

「落ち着け、傍受される可能性もあるからこちらの場所は言えない。そちらも危険地帯なら言わなくてもいい」

 

 私はライトナー少佐に落ち着くように言ってから質問する。

 

『いえ、問題御座いません。現在第三大隊、偵察隊と共にエリアs-a-fに展開しております。斥候との戦闘はありましたが大規模な部隊は周辺に確認出来ません。ほかの部隊との連絡は現在不可能な状況下にあります』

 

 私は無線報告の内容を基に携帯端末の地図機能で第二・第三大隊の展開地域を確認する。

 

『御命令でありましたら直ちに救出に向かいます。どうぞ御命令下され……!』

 

 恭しくライトナー少佐が答える。私は地図と現在の我々の位置、帝国軍の展開予想地域を下に暫く逡巡し、返答した。

 

「いや駄目だ。第二・第三大隊はそのままこちらに直進せずに星道三二一五号線から三二三〇号線に向かってくれ。どうせそのままこちらに来ても間に合わんし、その方面に展開する帝国軍部隊の突破は困難だ。第四大隊に通信が繋がるのなら三二三〇号線に急行しつつニヤラ市の軍団司令部に援軍要請を求めるように連絡してくれ……!」

 

 私は携帯端末のディスプレイの映るエル・ファシル地図を睨みつけつつ無線機で部隊展開を命令する。

 

『ですが若様の身はっ……!』

「こんな場所で玉砕するつもりはない。……こちらは第一大隊と合流済みだ。まだ包囲網は完全じゃない。部隊配置の甘い場所から突破を図る。逃げ込み先の確保を頼むぞ……!」

『っ……!!了解致しました……!御武運をお祈り致します……!』

 

 私の伝える方針に動揺しつつも最後の命令に気を引き締めるようにライトナー少佐はそう力強く答える。そして私は連隊司令部のメンバーや第一大隊長のベアト、その他短距離無線で諸部隊司令官に方針を伝える。

 

「聞いての通りだ。数が数だ、ここは臨時駐屯地の放棄しかない。一時後退しつつ我々は星道三二三〇号線を確保し、友軍の退路と増援来援のための回廊を確保する」

 

 「リグリア遠征軍団」主力を始め第五六四歩兵師団、第五九〇歩兵師団が駐屯するニヤラ市に繋がる星道三二三〇号線沿線に防衛ラインを敷き後方の部隊の増援が来るまで耐え凌ぐ、それが現在の我々が純軍事的に行うべき最も合理的な任務である。前線の味方のためにここで完全に逃げるのは宜しくない。ほかの部隊の脱出路を確保すると共に彼らやほかの大隊と合流・共同すれば数時間程度は持つ筈だ。航空支援があれば更に持つだろう。

 

『しかし敵方の奇襲はかなり緻密です。恐らくこちらの動きも想定しているでしょう。それよりも我々は南部の包囲網を突破するべきでは?一個大隊で刺し違えれば本部だけでも脱出は可能です……!』

 

 無線機越しに第七八装甲陸戦小隊(連隊付き戦車小隊)長デッカー大尉が進言する。だが私はその進言を直ちに却下する。

 

「駄目だ。それではほかの残存部隊はこのまま包囲殲滅されるし前線は完全に後方との連絡路を遮断される。星道さえ確保していれば反撃の橋頭堡にもなるし、前線の動揺は最小限に抑えられる」

『ですがっ……!』

「命令だ、却下する。悪いがこの期に及んでこの連隊の仕事は私の御守りじゃあるまい?同盟軍、ないし亡命軍として此度の作戦成功のために、そして帝国軍の攻勢対処のために最善を尽くすべきだ」

 

 そのまま私は指揮通信車に乗車する連隊本部要員やベアトの顔を見た後、彼らにこちらの意思を伝える。

 

「……君達の立場は理解している。その上で言おう。悪いが君達の立場に配慮する事は出来ない」

 

 私一人の都合で数千、数万の兵士を無駄に危機に陥れる訳にはいかなかった。連隊に負担をかけるとは理解していたが純軍事的にはこれが一番全体のために必要な選択だった。ここで星道を完全に明け渡してしまっては最前線の第五三・五四遠征軍が完全に孤立する。それだけは避けるべきだと私の長年受けて来た軍事教育の知識が教えていた。

 

 無論、私の率いる連隊は伯爵家の個人的な臣下も少なからず在籍しているが……身内可愛さに自身の連隊をこの危機で温存するわけにはいかないし、まして私一人を脱出させるために使い潰すなんて論外だ。この場において私は同盟軍人として派遣され、同盟軍人としての決断が求められているのだから。

 

 本音では部下に全て任せて装甲車の中で毛布にくるまっていたいが、それをする訳には行かない事位理解している。……正直あの化物の姿を思い出すだけで吐き出しそうになるが私は必死に誤魔化して平然な振りをする。

 

「臣下なら主君の命令は委細の漏れなく全て完遂して見せろ。……ほかに意見は?」

 

 私の軍人としては当然の、主家の嫡男としての我が儘な命令に、しかし異を唱える者はいない。全員が静かに私を見つめる。

 

 それは上官と部下の区別が小さく忌憚なく意見を交える同盟軍のそれではなく、上官の命令には有無を言わずに付き従う帝国軍のその雰囲気に近い物があった。どれ程無茶な命令でも命を捨ててでも完遂する絶対服従の軍隊の在り方。伝統と血統に忠誠を誓う封建的な軍隊の有り様………。

 

「……では総員、自分の仕事に移れ」

 

 私は軍人のように義務的に、しかしどこか門閥貴族のように高慢にして不遜にそう命じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臨時駐屯地から星道三二三〇号線に続く山道を第七八陸戦連隊戦闘団第一大隊を筆頭とした部隊が戦車と装甲戦闘車、その後ろにハンヴィーやジープ、ハーフトラック等の車列が突き抜けるように走る。帝国地上軍の要塞攻略のために同盟地上軍工兵部隊が爆薬で木々を吹き飛ばし重機で地均しした幅広い山道は、しかしやはりまだ出来て日が浅くこの激しい豪雨で泥濘み、車列の足を引っ張る。

 

「横合いからの攻撃は無視しろっ!相手をしていると包囲されるぞ……!!」

 

 私は無線機越しに車列を叱咤する。何せ両脇の森から装甲擲弾兵が発砲してくるのだ。機関銃程度なら兎も角、対戦車ミサイルを撃ち込まれては敵わない。誘導用レーザーの警報が鳴り次第、照射元に戦闘装甲車のビームバルカン砲や戦車の電磁砲が撃ち込まれる。あるいは妨害用レーザーで精密な狙いがつけられないようにする。

 

「とは言え……!」

 

 酷く揺れる指揮通信車の中で冷えた手に息を吐いて温めつつ私は舌打ちする。ミサイルはある意味ではマシなのかもしれない。ロケット弾は無誘導なのでレーザー警報はなく、妨害電波も通用しない。対戦車砲の待ち伏せ攻撃も脅威だ。

 

 幸運にも各車両は潤沢な予算のお陰で追加装甲も備え付けられていたので一撃やニ撃食らった所で問題はない。逆に撃って来た所に機関銃弾と榴弾を撃ち込んでやり永遠に黙らせる。地雷はこの泥の道では使えない。特に先頭の戦車部隊は先鋒の盾役に最適だった。

 

 だが星道三二三〇号線が視界に入ると共に私は舌打ちする。

 

「糞っ……!遅かったか……!」

 

 1430時、私は指揮通信車から身を乗り上げて電子双眼鏡で星道を拡大する。

 

 山道を抜けて我々が退避する前に帝国軍は装甲擲弾兵の一個連隊を星道三二三〇号線に迂回させて確保していたようだった。戦車こそ無いが重機関銃を装備した装甲兵員輸送車や少数の戦闘装甲車、時間が無かったからだろう有刺鉄線に地雷による簡易的な陣地には迫撃砲や歩兵砲、対戦車砲に対戦車ミサイルが備え付けられていた。流石装甲擲弾兵、限られた時間で可能な最大限の防備を固めたようだ。この防衛線は流石に短期間で抜けるのは難しい。

 

 少し疲れ、ぼんやりとした脳を回転させて私はどうするかを考えるが、答えを出す前にクラフト少佐が助言する。

 

「総力戦しかありません。ハーフトラックや装甲兵員輸送車の陸戦隊を降ろし、戦車と戦闘装甲車を盾に時間をかけて突破しましょう」

「……流石にあれを突き抜けるのは無理か……」

 

 クラフト少佐の助言を私も肯定せざる得ない。時間をかけ過ぎると後ろからオフレッサー率いる大軍が追い縋ってきそうだが……仕方ない。

 

「陸戦隊を降ろせ、総力戦だっ!戦闘車両は陸戦隊の支援に回せ!工兵隊と後方支援隊も可能な限り戦線に投入する。急げ!後ろから本隊が来るぞ、挟み撃ちにされたら敵わん……!」

 

 退路を塞ごうとする装甲擲弾兵連隊と突破しようとする第七八陸戦隊連隊戦闘団、双方の思惑は相いれる事はない。

 

 1545時、激しい豪雨の中で近距離から第七八陸戦隊連隊戦闘団と帝国軍装甲擲弾兵連隊が激突した。基本的に大口径火砲や戦車を持たない装甲擲弾兵、しかも星道を確保するために急いでいたのだろう、通常編成に比べ重火器の装備数は比較的少なかった。だが装甲擲弾兵科は白兵戦と歩兵戦の実力は地上戦に秀でた帝国軍の中でも指折りであり、彼らは戦車や戦闘装甲車相手に恐ろしいまでに勇猛に、或いは無謀な程蛮勇を振るって襲い掛かる。

 

 一方、第七八陸戦隊連隊戦闘団第一大隊は戦闘車両の質量に優れるが歩兵戦力の絶対数が不足していた。陸戦隊は精鋭であるが、工兵隊や後方支援隊等の補助部隊は技術や専門装備は豊富でも歩兵部隊としての戦闘参加を想定としてはいない。それらを含めても敵の半分の陣容もない。しかも我々には時間も無かった。

 

 結果として戦闘はどちらが有利ともいえない熾烈な泥沼の情況となり果てた。

 

 1700時、豪雨の中、最後のルクレールⅢ戦車が対戦車砲で沈黙する。虎の子であった三両の戦車は敵陣地を電磁砲で吹き飛ばしていくが火砲やミサイルによる同時攻撃や差し違える気概で襲い掛かる装甲擲弾兵の肉弾攻撃の前に遂に全滅した。乗員の半数は無事で戦車を乗り捨てて歩兵として戦う。これは戦闘装甲車も同じでこちらは一二両の内半分近くが失われていた。工兵隊と陸戦隊が障害物や擬装陣地を排除していくがそれでも視界不明瞭な中で奇襲攻撃を受けて一台、また一台と失われていく。

 

「く、時間と後方支援さえあれば……!」

 

 第一大隊を指揮するベアトが自身の無様な指揮に苦虫を噛む。彼女の陸戦指揮は際立って優秀ではないが無能からは程遠い。それでも相手があの装甲擲弾兵団、それも数倍の数の差があり、後方からの航空支援や砲撃支援もなく、気象は最悪、進行方向は限定されるため戦術的な選択肢は小さい。何よりも時間が無ければ無理な戦闘をせざるを得なかった。有能無能以前の問題であった。寧ろ一番不条理を感じても良い筈の人物である。

 

「まだ突破出来ないか……!」

 

 疲労を誤魔化すために頭痛薬を飲んだ私は焦燥感から不機嫌そうな声を漏らす。前線で戦う兵士達は寧ろ圧倒的に不利な状況で奮戦していた。それでも状況は私が想定するよりも段々悪化していた。

 

 帝国軍の攻勢から五時間近くが過ぎても七〇キロ先のニヤラ市に駐留中の「リグリア遠征軍団」及び同盟地上軍第五六四歩兵師団、第五九〇歩兵師団が、その先行部隊すら星道三二三〇号線に来る気配も無かったのは誤算であった。

 

 後に知る事になるが、猟兵部隊はニヤラ市にも進攻しており、通信システムやインフラへの破壊工作を行っていた。そのため、この時点でニヤラ市駐留の部隊は正確な情報を得ることができずにおり、更に、星道三五二一号線から進出してきた装甲擲弾兵二個旅団の攻撃を受けて拘束され、不用意に動く事が出来なかったのだ。

 

しかも追い討ちをかけるように更に悪い知らせが届く。

 

「後方二〇キロ地点で敵影発見!数……最低でも一個師団規模!」

「っ……!」

 

 眠気覚ましのための珈琲を口にしている最中、この知らせが届くと共に私は脱力感と共に指揮通信車車内で思わず指揮統制用携帯端末を落していた。それは止めというべき知らせであったからだ。

 

 一個師団!それだけの戦力に襲われたら一個増強大隊程度の戦力でしかない我々は一撃で壊滅させられる!最早死刑宣告にも等しいじゃないか!

 

「ふざけるな……!哨戒網を抜けた敵はせいぜい一個軍団程度の筈だ……!たかが一個大隊にそれ程の戦力を投入出来るのか……!?」

 

 ここに来て私は自身の選択は誤りでは無かったかと動揺する。後方に浸透した帝国軍はこちらの想定より多いのではないか?第二・第三大隊の救助を待つべきではなかったか?いや、あるいは助言通り南から脱出するべきではなかったか?

 

 冷静になって考えればそれらはナンセンスな選択であるし、ここまで追い詰められているのは所謂「戦場の摩擦」……つまり偶然による所が多いのが実のところであった。これも後に知ったのだが、この方面に一個師団が投入されたのは寧ろ予想外の奮戦が帝国軍の注意を引いたのが真相であったという。とは言えこの場でそんな帝国軍の判断を理解出来る筈も無かった。

 

 この時、疑心暗鬼に陥り私は自身の選択に自信が持てなくなりつつあった。理由としては指揮官として多数の生命を預かる責任感があっただろう。

 

 後に考えればこの連隊戦闘団司令官は私のこれまでの軍務の中では最も大きな責任を抱えた任務だったのだ。所詮私がそれ以前率いて来た部下なぞ多くても数十名程度、参謀スタッフは多くの人命を左右する仕事だが所詮は命令に従い業務をするのと助言が仕事であり指揮官とは責任の大きさが違う。故に迷いが生じた。このままで良いのか、あるいはこれからどうするべきか、と言う不安が私の思考を支配した。

 

「……若様、残念ながら本大隊の命運は尽きました。脱出の御用意を御願い致します」

 

 そんな不安と過労によって正常な指揮が出来なくなっていた所でクラフト少佐が進言した。

 

「………え?」

 

 そんな淡々としたクラフト少佐の言葉に指揮通信車の指揮官席に座る私は思わず聞き返す。

 

「若様、残念ながらこの状況では正面突破は困難であると思われます。後方の師団が接敵するのは四〇分もかかりません。このままでは包囲殲滅される危険性が高いでしょう」

「そ、それは………」

 

 物資の補給について報告するように義務的にクラフト少佐は私に事態を伝える。私は力なく、恐る恐るそれを肯定するしかない。

 

「完全に包囲される前に南側に脱出を進言致します。森林地帯ですので追跡は簡単ではないでしょう。一個分隊を護衛につけるので脱出を御願い致します」

 

 クラフト少佐の進言に、しかし私はそれを肯定する訳にはいかなかった。

 

「わ、私は連隊長だ!私はこの部隊を最後まで指揮する義務がある!ここで逃亡する訳にはいかないだろう!?」

 

 狼狽する私は半分程意地でクラフト少佐の提案を否定する。今更この場で私だけ逃げる訳にはいかなかった。連隊の方針を決めたのは私だ。自身で方針を決め部下を何人も死なせたのにどうしてそんな事が出来よう?

 

「若様、残念ながら現在の若様は過労で随分と疲労しております。これ以上十分な指揮を取るのは難しいでしょう。また若様は士官学校出身の中佐、軍中央にも在籍した経験のある立場として少なからぬ機密にも触れている身で御座います。捕虜ないし戦死は好ましく御座いません」

「っ……!そ、その通りだ。では大隊残存部隊を再編して……」

「それはいけません」

 

クラフト少佐は全軍後退の意見を否定する。

 

「少数なら兎も角、負傷者も含む全部隊の人員の後退は時間がかかり過ぎます。その上足も鈍足ですぐに迫撃され壊滅するでしょう。であれば軍事的価値の高い少数名の脱出を優先するべきです」

「………」

 

 クラフト少佐の進言は合理的であった。敵は獰猛で知られる装甲擲弾兵、降伏は難しい。同時にこの場で損失を最小にするのならばより価値の高い本部要員を脱出させるべきだ。

 

「既にメンバーは選別致しました。無論若様の付き人も離脱要員に含んでおります。この雨の中ならば離脱は難しくありません、どうぞ御選択を」

「だが……残りはどうなる?」

 

 クラフト少佐がこの進言をする時点でその答えは半ば理解していた。だが一縷の望みをかけて私は尋ねる。だが……。

 

「残存部隊は私が指揮し、可能な限りの遅滞戦闘を続けます。運が良ければ時間稼ぎをしているうちに援軍が到着する可能性もありましょう」

 

 冷徹に答えるクラフト少佐の答えは最悪の物である。修飾しているがようは玉砕するまで戦い続ける、という事だ。

 

「それは……」

「若様、同盟軍人として、義務を全うして下さい」

「だがっ……!っ……!!?」

 

 指揮通信車の椅子から立ち上がった私は、しかし次の瞬間視界が歪み、立ち眩みに襲われる。

 

「熱がおありのようです。やはりこれ以上の指揮は危険でしょう」

「熱……?」

 

 そう言われて今更ながら身体の悪寒と倦怠感と火照りを感じた。空気が冷え、豪雨が降り続く中何時間も雨に打たれ、その後も指揮と戦闘によるストレスを受けて気付かないうちに疲れていたらしい。

 

 いや、この程度の疲労なら戦闘中の部下はもっと疲労しているだろう。その意味では私がひ弱と言う事なのかもしれない。

 

「コフマン軍曹、若様を運んでくれ。……当初指名した人員に集合するように連絡を」

「り、了解しやした!!」

 

 私を支えるクラフト少佐とコフマン軍曹の声が遠のいて聞こえて来る。

 

「足にはハンヴィーと………」

「物資の方は後方支援大隊から………」

 

 意識がぼんやりとしていき、次第に声が聞こえなくなっていく。

 

(駄目だ、このまま意識を手放す訳には……)

 

理性はそう訴えるが気だるさと眠気には勝てない。

 

「どうぞお休み下さいませ。……後の任務は我々が果たします、どうぞ御安心下さいませ」

 

 背中を優しく擦られる感覚がした。何となく懐かしさと安心感を感じ、私はそのままゆっくりと意識を手放していく。

 

 完全に意識を手放す直前、ふと大昔の記憶を思い出した。確か付き人候補が付けられたばかりの頃、迷惑をかけていた者に似たような手つきの者がいた気がした。

 

 やんちゃして、我が儘ばかり言って、相手がついて来れないような事ばかりやって、その癖先に疲れてしまった私を抱っこして屋敷に連れ帰った二回り程歳上の従士。確か彼は……彼は………。

 

 残念ながら私は意識を失うまでにその名前まで思い出す事は出来なかった………。




冒頭の曲の元ネタは「ブリティッシュ・グレナディアーズ」です
著作権?一世紀以上前の曲なのでへーきへーき……多分

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