帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百三十九話 これが自分から人望を上げて失墜させていくスタイルである

 サジタリウス腕、そして自由惑星同盟の中心地たるバーラト星系には無数の宇宙基地や人工衛星が設けられている。その大半は民間仕様であるものの、同時に首都星防衛のために少なくない軍事衛星が配備されている事も事実だ。惑星ハイネセンを囲むように配備された無人防衛衛星『アルテミスの首飾り』がその代表格であろう。

 

 だが『アルテミスの首飾り』の配備前は別の軍事衛星がその代表格を務めていた。ハイネセン衛星軌道上に設けられた長方形状の造形をした巨大な宇宙桟橋がそれである。

 

 より正確には、それは各々で大気圏突入・地上係留能力を有さない同盟宇宙軍正規艦隊の一万隻近い艦艇の収容と整備・修復を行い、更に地上との往復用に数千隻のシャトルを同時に管制し、造船ドックでは数百隻の宇宙艦艇を同時に建造出来る。それどころか医療施設や娯楽施設、補給基地に通信施設、訓練施設、弾薬の製造施設にミサイル発射機や防空レーザー、長距離ビーム砲台等を完備した高度な防衛システムを備え、各艦隊の司令部まで併設されている程だ。流石に人工惑星を丸ごと使う帝国のイゼルローン要塞やガイエスブルク要塞と比べれば半分弱の能力であるが、下手な補給基地とは隔絶した規模を誇る。

 

 そして、一つでも純軍事的に脅威となりえるそれは何と一一基も配備されている。もうすぐ完成する一二番目のそれが稼働すれば全一二基となるだろう。

 

 各同盟宇宙軍正規艦隊を係留する人工衛星型超巨大宇宙母港『オリュンポス』は、単価で言えば同盟宇宙軍にとって最大にして最高価の資産であり、『アルテミスの首飾り』と共に惑星ハイネセンを防衛する要であった。コルネリアス元帥量産帝の親征を辛くも凌いだ同盟軍が半ば狂気に駆られて建造したそれは艦隊の強力な後方支援基地であり、第一艦隊の母港でもある第一船渠『ゼウス』の建設以降改修と拡張工事を繰り返しながらハイネセンの地上基地、各種無人防衛衛星、周辺の宇宙基地と合わせて首都決戦時には宇宙艦隊を支え、平時においては各艦隊の母港として、また一部では政府行政や民間船舶の航路管制や臨検、受け入れ等の役割をも担う。

 

 そのうちの一つ、第六艦隊の母港である第六船渠『ヘルメス』の一角に見慣れぬ艦艇が入港しようとしていた。

 

 モスグリーンに塗装された一個巡航隊の帝国軍ブレーメン級巡航艦、それに『ヘルメス』の防備戦隊に厳重に護衛された大型民間クルーザーが軍港に着岸する。

 

 港内の空気は緊張していた。恐らく極秘の移動であったためであろう、入港許可を求める通信が『ヘルメス』に来た時、艦隊司令官たるロボス中将以下の主要メンバーはスパルタ市で会議に出席する事となり不在であった。故にこの場で第六艦隊の儀仗兵や軍楽隊達と共に訪問者を出迎える主な高級士官は第六宇宙軍陸戦隊司令官兼『ヘルメス』警備陸戦隊司令官レオポルド・カイル・ムーア少将と『ヘルメス』鎮守府司令官クヌート・フォン・ティルピッツ少将、『ヘルメス』港務部長アルノルト・ゴドノフ大佐の三名位のものだ。

 

「なんて事だ、この時期にあの方が此方にお見えになるとは……」

 

 数年のうちに退役して予備役編入は確実なクレルベン=ティルピッツ帝国騎士家出身の老少将は歳に似合わず項垂れて緊張に額を汗で濡らす。どうやらこれから出迎える客人をどう応対するべきか悩んでいるようであった。

 

「ロボス司令官達が居れば良かったのですが……我々では中々荷が勝ち過ぎますな」

 

 帝国士族とフェザーン人の混血であるゴドノフ大佐は同じく困り果てる。相手の立場を考えれば非礼な態度は致命傷になりかねない。だが残念ながらこの場に宮廷儀礼に精通する者は皆無であった。いや、より正確には同盟軍人の立場で最大限帝国式の儀礼を行える者、というべきか。

 

「……宜しいのですかな少将?職務中である事を盾に欠席する手もありますが」

 

 頼りなさげなティルピッツ少将の姿を一瞥した後、ゴドノフ大佐は陸戦隊司令官に尋ねる。

 

 肩幅の大きく鍛え抜かれた巨躯を有する偉丈夫、ムーア少将は憮然とした表情で問題無い事を返答する。

 

「俺はあくまで命令に基づいて部隊を貸し出したのだ。本人も危険を承知で従軍している。事後のブリーフィングでも私の過失は無い事は証明された、何を怯える必要がある?」

 

 帝国系クォーターとして四分の一帝国士族の血を引く猛将は堂々と答える。そこには一切の怯懦も疑念もない。元来帝国人街出身の混血であるために亡命政府に対する帰属意識が薄い事もあるが、第三次イゼルローン要塞攻防戦にて同盟軍で初めて要塞表面に揚陸した経歴のある自由戦士勲章受勲者に相応しい態度でもあるだろう。

 

「しかし……」

「しかしも糞もない。何を如何しろと言うのだ?何も過失が無いというのに赦しを乞えと?それこそ先祖に申し訳が無い。仮に客人が気分を害して俺を私刑にしようとしても構わん。堂々と正面から迎え撃ってやる。俺は無能者になろうとも卑怯者にはならんぞ?」

 

 鋭い眼光で正面を睨み、鼻を鳴らし、不敵な笑みを浮かべ冗談半分に答える。意味もない敵前逃亡を厭い、負傷した味方を率先して救助し、後退の際には殿を務める真の戦士は僅かの恐怖感も無いようだった。

 

「何、それにまさか俺をどうこうするために態々ここに来た訳でもあるまい。そこまで暇でも無かろうよ。俺達は唯上からの連絡通り御丁寧に歓迎して入国手続きを行うだけだ」

「やれやれ、貴方達は気楽ですな。矢面に立つのが私だからと……」

 

 腹部を摩りながらティルピッツ少将は嫌味を言う。士族階級の混血児達は気楽なものだと憤慨する。尤も、それを口にする事はない。意味が無いし、何よりその時間が無かったからだ。

 

 刹那、喇叭の音が港内に鳴り響く。着岸したクルーザーから客人の警備隊が次々と姿を現し深紅のカーペットを広げていく。同時に第六艦隊の儀仗隊が捧げ銃を行い、軍楽隊が音楽を鳴らし始めた。

 

 ティルピッツ少将以下のメンバーが要人を歓待する掛け声と共に体勢を整えて一斉に敬礼を行う。そして、それを確認したかのようにクルーザーからその人影は堂々と、鷹揚と、高慢に降りて来たのだった……。

 

 

 

 

 

 

「これはまた、我らが雇用主殿はどんな安全地帯でもお怪我をする才能があるようですな、このワルター・フォン・シェーンコップ感嘆致しました」 

「お褒めの言葉有り難く頂くよ。てめぇ、ボーナス削るぞ」

 

 雨嵐が窓から聞こえて来る。屋敷の薄暗く、そして仄かに酒精臭漂う撞球室で私はソファーに倒れ込みそう言い捨てた。おい、てめぇ何勝手にブランデー開けて楽しんでるんだよ。

 

「いちいち細かくケチな雇用主ですな。ほれ、これで誤魔化しなさい」

 

 そう言って水晶のように輝く氷と黄金色のブランデーを注いだひんやりと冷たいグラスを差し出される。渋々と私が受け取るとシェーンコップ一等帝国騎士は自身の飲みかけのそれを手に小さなテーブルを挟んで反対側の椅子に腰がけた。

 

「麻酔代わり、と言った所か。余り健康に宜しくはないな」

 

 まだちくりと地味に痛む額……正確には額の右側辺り……に包帯で留められたガーゼに触れる。流石に一日ではまだ少し痛むか……。不本意ながらブランデーを口にする。泥酔する必要はないが程よい酔いで痛覚を誤魔化すのは古今東西で良く行われる事だ。

 

「正直な話本当に誉めてはいるのですぞ?お陰様で随分とやり易くなりましたからな。まさかと思いますが……狙っていた訳ではないでしょうな?」

「おいおい、私がそんな用意周到な人間だと思うか?」

「用意周到にしても最後でヘマをして御破算する人間ではありますな」

 

 にやにやと此方を見つめる一等帝国騎士に私は憮然とした表情を向ける。こいつ、遊んでやがる。

 

「運が良いのか悪いのか……いや、悪運かね、これは?」

 

 極めて遺憾であり認めたくない事ではあるが、正直な話を言えば先日のトラブルのお陰で私としては大変動きやすくなった事実は否定出来ない。

 

 先日の騒動の結果として現在私に対する監視はかなり緩んでいる。というよりも家を取り仕切るべき代理当主……即ち母が沈黙して自室に閉じ籠ってしまったからだ。

 

 私が怪我をした件は故意というよりは衝動的な物であり、しかも狙いは私ではない殆ど事故に等しい物であった。然程大それた怪我でもない。それでも母としてはかなりのショックを受けているようであり、私が使用人達に命じて自室で『休息』を取らせたものの、それ以来室内に閉じ籠ってしまっていた。

 

「小間使いに様子を見て貰ったが相当落ち込んでいるみたいだからな………それ程私が敵対したのが辛かったのか」

「怪我させた事か、あるいはその両方か……ですかな?」

 

 続けるようにバリトンボイスが言葉を紡ぐ。

 

「過保護って笑うか?」

「呆れていないと言えば嘘になりますが、その逆に比べれば幾千倍もマシではあるのでしょうな。貴方みたいな方を前提として考えれば辛うじて理解出来る範囲ではありますしね」

 

 前世の基準では過保護で過干渉な嫌いもあるが門閥貴族の、しかも私の立場とこれまでの所業を思えば母のそれは必ずしもやり過ぎという訳ではない。『貴族』という立場で見た場合善良な人である。尤も、だからこそ質が悪いのだが……。

 

「もっと穏便に話し合う事が出来れば最善ではあるのだがな……」

 

 心労から来るのか怪我から来るのか、仄かに疼くような頭痛を感じて私は再度手元のグラスを呷る。灼熱の液体が喉から食道に、そして胃へと向かい身体全体を火照らせ、その感覚を鈍らせるのを自覚する。

 

「それが難しいからこその強硬策でしょう?若様とてこれまで話し合いをして来なかった訳ではない筈ですが?」

「分かってはいる。しかし分かっていても後悔や罪悪感は消えんさ」

 

 生まれた時からの付き合いだ。何だかんだ言っても母の価値観は理解しているし、目上相手でなければ簡単に自身の意見を変える人でもない。私に対してに至っては甘く、優しいが同時にいつまでも過保護で子供として扱う人だ。生まれ持っての特権意識も合わさり説得は困難を極める。ましてや軍への復帰を許可するとは思えない。かといって銃口を突き付けて脅す訳にもいかないし(そもそもそれすら効果を期待出来るか怪しい)、だったら戦うよりも逃げる方が合理的だ。

 

「そっちの首尾はどうなってる?」

「人と備品は用意出来ました。後は移動して全てが上手く行くのを祈るのみですね。何事もなくスムーズにいけば一番ではありますが」

 

 危険手当は弾んで頂きたいものですね、そう言って肩を竦ませる不良士官である。

 

「それくらいは払う。寧ろ備品の方が私としては問題だ。アレで貯金の四割消えたんだぞ?壊してくれるなよ?転売して少しでも元金取り戻したいんでね」

 

 この期に及んで金についてせびる忠臣に嫌味半分にそう答えてやる。全く持って私は部下に恵まれているね!ん?皮肉に決まってるだろが!

 

「………」

 

 内心で二分程悪口を言いまくった後、一旦落ち着くと、手元のグラスを見つめながらふと目の前の帝国騎士にとって私の行いはどう映るのだろうかという疑問が頭に浮かんでいた。

 

 確か幼少期に祖父母に連れられてフェザーン経由で亡命していた筈だ。両親との記憶は殆どあるまい。別世界における彼は兎も角、少なくともこの世界線においては古き良き帝国騎士の気風を受け継いだ家族思いの愛妻家だ。そこに家族恋しさの深層心理が無いとも限らない。誰だって本当の意味で根無し草にはなれないし、心の拠り所は多い方が幸福だ。

 

 更に言えば実の所私の行いは婚約者や付き人と言った周囲にも迷惑をかける事だ。いや、父や大叔父からの認可は受けているとは言えもっと大きな、『ティルピッツ伯爵家』全体から見ても私の行いは余り褒められる事ではない。

 

 そもそもな話、帝国の価値観で考えれば私が仕出かそうとしている事は門閥貴族としては落第だ。門閥貴族にとっての『公益』は必ずしも国家のためのものとは限らない。彼らにとっての『公益』は一族と家臣団、領地と領民の利益を守り、拡大する事だ。銀河連邦末期の中央政府の搾取と無責任の果てに見捨てられ荒廃した地方に赴任した諸侯達は領民を厳しく統制する鞭を振るったが同時に中央政府に地方の要求を伝え認めさせる飴を与える事が務めであった。中央に逆らう事が『公益』であったとすら言える。そしてその特性上門閥貴族にとって『公益』と『私益』は表裏一体だ。

 

 その面で考えれば一見『ティルピッツ伯爵家』よりも『自由惑星同盟』のために動こうとしている私……少なくとも外面ではそう見えるだろう……は確かにとんだ放蕩者にも見えよう。

 

 母から見れば散々甘やかしてやったのに裏切られるのだ。随分と親不孝な息子な事だろう。少なくともシェーンコップにとっては私は自身と違い幼い頃から愛情を精神的にも物質的にも散々与えられてきた坊っちゃんだ。そんな私が実の母親に心労と迷惑をかけるような計画を立てている事に対してどう感じているのだろうかと疑問を抱いてしまう。

 

 ……とは言えその疑念を口にはしない。ここに来て態々軋轢の元を作る必要なんてない。無用な詮索なぞすべきではなかろう。少なくとも彼はプロだ、思う事はあろうとも仕事は全うしてくれる、それで良いではないか……私は半ば無理矢理自分を納得させる。

 

「……済まない。お代わり貰えるかな?」

 

 水滴で濡れ始めていたグラスの中身を全て飲み切った私はそう頼み込む。本当なら今後のために母と妹に書置きを残していくべきなのだろうが……この先に待ち受ける気苦労を思い、それから一時的でも目を逸らすために今は酒精の力が欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「失敗しました……」

 

 少女は与えられた客室に戻って以降、ずっと天蓋付きのベッドに倒れこみ青ざめていた。

 

「御嬢様……お身体に障ります。御気持ちは分かりますが少しでも食事をお取り下さいませ」

 

 傍に控える中年の女中が恐る恐ると提案する。その背後に控える数名の若い少女共々グラティアが実家から連れて来た使用人達は不安げに自身の主人を見やる。先日の昼にあった騒動以来既に日を跨ぎ次の日の夕方頃……既に丸一日以上が過ぎていた。

 

 本来ならば客人を招いて食事をするのを伯爵夫人が臥せってしまい各自が用意された食事を自室か食堂で摂るようにティルピッツ伯爵家の執事から要請されていた。とは言え、壮絶な失態を演じた彼女に食欲なぞ最早一欠けらとして存在していなかったのだが……。

 

「食欲なんてもう無いわ。もう駄目……もう終わりよ……こんな………」

 

 わなわなと震える声で呻きながらベッドの布団を被るグラティア。その姿は大人びた品格ある門閥貴族令嬢の面影は殆ど見えず、年相応に現実に打ちのめされた少女そのものであった。

 

 どこがいけなかったのか?どこで間違えたのか?こんな筈では無かったのに!唯自身の夫になる人の見舞いに行き、次いで義母となる筈の伯爵夫人に挨拶し、機嫌取りをするだけだったのだ。それが蓋を開けてみれば機嫌取りをするどころかあそこまで明確に敵視されるなんて!!

 

「うぅ……どうしたらいいの……?」

 

 グラティアは消え入りそうな声で呟いた。本当にどうしてこんな事になってしまったのか……?

 

 正直な話婚約が決まった際に蟠りや戸惑いが無かった訳ではない。寧ろ祖父や母から最初にその話を聞かされた時点で不安で一杯だった。

 

 嘘か真かは真偽はつかなかったが散々に問題児で変わり者である話は聞いていたし、事ある事に実家を悪しく口にする事から彼女と彼女の一族にも好印象を抱いていないであろうとは思っていた。

 

 無論、それでも婚約が決まった以上は好き嫌いの問題ではない。既に彼方の当主等から具体的な話を持ち掛けられているのは聞いていたし、それが一族のためである事も聞いていた。

 

 ならば自身に選択肢なぞ元からある訳がない。家のために『良き伯爵夫人』になるだけだ。例えどれだけ嫌われていようとも品のある佇まいに愛想の笑みを浮かべて妻としての役割を果たすのが門閥貴族の令嬢に生まれた以上果たすべき義務だった。

 

 互いに形式ばかりを重んじた手紙のやり取りに面会、グラティアはそこで婚約者が宮中の礼儀を弁えた紳士である事は知る事が出来た。しかしそれだけだ。寧ろ本音を見せない様は……お互い様ではあるが……心を開いてくれない事を意味していたし、礼儀を弁えている事が分かるからこそ敢えて噂になるのを理解した上で実家を悪しく言う事実に恐怖していた。それだけ敵視していると思うのが当然だし、仮に結婚したとしてもその後どのような生活が待っているのか考えれば身が竦む思いだった。

 

 ある出征から帰り後方勤務となった婚約者との食事会、そしてその後に婚約者の職場で巻き込まれた事件で彼女の認識は少しだけ変わった。決して完全に心を開いた訳では無かっただろう。しかし自身の失態や危険に際して……政略的理由があった可能性があろうとも……身を挺して庇ったその姿に少なくともグラティアは自身の夫となる相手に借りが出来たし、彼女をぞんざいに使い捨てるような性格ではないと思えた。

 

 エル・ファシルでの従軍で重傷を受けた知らせを聞いた時にはその事もあり内心では必要以上に狼狽していた。少なくとも完全に政略のためだけの結婚相手として割り切れない程度には情はあったのだろう。だから一早く見舞いの手紙も出した。随分と長く返信を待たされる事になったが。

 

 今更のように招待された事に思う所が無かった訳ではない。夫になる伯世子の療養する屋敷に親戚や上官が相次いで見舞いに来ている事は聞いていた。それらが粗方終わった後の招待である。それが意味する事は理解出来る。それでも元より上下関係は分かり切っていた事だ。食事会や職場での態度と貴族の社交界での態度は別というのは可笑しい事ではない。若干の失望はあったが幻滅する程の事でも無かった。最悪、愛が無くても結婚は出来るのだから。

 

 だが……計算違いだった。いや、前提条件が違っていたのだ。身構えていたよりも夫となる人物は高圧的でもなく、寧ろ謝意を伝え此方を気遣ってくれた。以前ハイネセン南部で会った時の態度は演技でも幻想でもない事を再認識する事が出来た。そして心労と心配の何割かは解消されたと思った矢先に……。

 

「………前提条件が間違っていました」

 

 そう、寧ろ本当の彼女の課題は………。

 

「あそこまで敵視されているのは予想外でしたが……」

 

 家柄から見てかなり貴意の強い人物であるとは理解していた。圧力を受けて『躾』をされる事自体も想定は可能だったが……流石にあそこまで憎まれているとまでは思い至らなかった。

 

(それだけ家族愛の強い御方であるのでしょうが……)

 

 貴族の女性としては愛情の深い人物であるとは聞いていたが………政略最優先の祖父に比べれば大違いだ。

 

 まして先日の……結果論ではあるが自分が義母と夫の関係を拗らせる原因となってしまった。義母は勿論であるが、夫や義妹、他の一族の者達からもどのように見られる事になるか……。

 

 唯でさえティルピッツ伯爵家の前代の頃は当主と次期当主の間で険悪な関係だったと聞く。伯爵家の長老たる軍務尚書からすれば不安要素は可能な限り排除したいだろう。元々敢えてティルピッツ伯爵家がケッテラー伯爵家との婚姻に賛同したのは宮中の勢力均衡もあるが立場上煮るなり焼くなり好きにしやすいために後々トラブルが生じても処理が簡単だからと軍務尚書や隠居した前当主夫人が判断したからとか……。

 

「……!!」

 

 ぞわり、と身体が震える。そうだ、上下関係は分かりきっているのだ。祖父の頑迷さと執着心を思えば嫁ぎ先で何かあればこれ幸いに口出ししようとするだろう。しかし相手は『あの』軍務尚書である。彼女の存在が害悪になれば最悪命すら危うい。

 

「はぁ、どうしてこんな事ばかり………」

 

 グラティアは苦悩にその美貌を歪ませる。彼女は自身の巡り合わせの悪さに嫌気すら感じていた。

 

 うちひしがれ、絶望する主人を見て付き添いの使用人達もまた暗い面持ちを浮かべる。彼女達も目の前のまだ成人もしていないしていない主君がとれだけの物を背負い、そして苦悩しているのかを良く理解していた。そしてそれに対して殆ど手助けが出来ない事も……一族と領地のために身を削る少女に同情しない者なぞこの場にはいない。

 

 重苦しい空気が室内に充満する中、部屋をノックする音が響く。

 

「……私が参ります」

 

 一人の女中が名乗り上げてそそくさと応対に向かった。こんな時に誰が何の用か、そんな苛立ちすら使用人達の間では立ち込めていた。

 

「何用で御座いましょうか……っ!?し、少々お待ち下さいませ!!」

 

 重厚な扉を開けて慇懃無礼にそう答えた女中はしかし、次の瞬間には悲鳴に似た声を上げてそう要望し、急ぎ足で室内に飛び込んだ。明らかに使用人は動転していた。

 

「何事ですか!栄えある伯爵家の女中がそのような慌てぶりなぞはしたない!」

 

 憤慨するように使用人の長がその若い女中を糾弾する。先日の件に続きこの様ではケッテラー伯爵家の恥を晒す事に等しい。

 

「で、ですがっ……!」

 

 女中が驚愕と動揺と共に訪問者の名前を口にする。その次の瞬間にはベッドから伯爵令嬢が飛び起きて、同じく使用人達が水を打ったからのように出迎えのための主人の身支度を始めていた……。

 

 

 

 

 

 

 

「昨日はお見苦しい所を御見せしてしまい申し訳御座いません。母は決して悪い人ではないのですが……貴意が高くて世話好き過ぎる所がありましてね。改めて私の方から謝罪させて頂きます」

「承知しております。気にはしておりませんわ」

 

 屋敷の廊下を歩みながらグラティアは疲れきった心を奮い立たせ、必死に笑みを形作り先導する青年貴族の言葉に答える。正確には気にしていない訳ではないが彼女からすれば下手な事を口にする事が出来ないと言える。

 

「私の方こそ……その御怪我の具合はどうですか?それに……伯爵夫人の方は……?」

 

 恐る恐るとグラティアは尋ねる。その視線はこめかみのガーゼに向けられている。

 

「ああ、私の方はお気になさらず。全く自慢になりませんが、この程度ならば戦傷の内に入らない位ですよ。何方かと言えば母の方が課題なのですが……こればかりは時間が解決してくれるのを待つしかありませんね」

 

 苦笑気味に答える青年貴族。そこには自嘲と苦渋の色が僅かに見て取れた。同時にこれ以上立ち入るべきでは無いとも判断する。だからこそグラティアは話を変えて別の質問へと移る。

 

「そうですか……旦那様、今一つお尋ねしても宜しいでしょうか?」

「えぇ、勿論ですとも。何でしょうか?」

「何故そのような出で立ちなのでしょうか?」

 

 僅かに強い口調で、そして追及するように、糾弾するようにグラティアは尋ねた。

 

 目の前の青年貴族の服装は明らかに室内で着こなすものではなかった。防水加工をした外套に帽子、その下に僅かに見え隠れするのは自由惑星同盟軍の士官軍装であると思われた。

 

「……ここから御出に?」

 

 取り繕っても尚少し震える声は尋ねるというよりは確認に近かった。そして僅かな疑念と非難の感情が乗せられていた。

 

「……散歩ですよ」

「外は雨嵐で御座いますが?何時頃お戻りになられるのでしょうか?警護は手配為されましたか?」

「………」

「お答え出来ませんか?」

 

 不満と不安を綯い交ぜにした視線が伯世子を射抜く。

 

「……御分かりと思いますが誤魔化した訳ではありませんよ?」

「存じております」

 

 流石にグラティアも今の天気にこのような出で立ちで唯の散歩と言われて騙される程愚かで世間知らずではないし、目の前の婚約者が自身をそこまで過少評価していない事位は理解している。

 

「……何故この時期にそのような事を為さるのでしょうか?」

 

 一見淑やかに、下手に出るように、しかしその言葉の隅に棘を含んでいた。見る者が見れば裁判の被告を問い詰めている検事のようにも見えたかも知れない。

 

 しかしそこはグラティアにも言い分はある。本来ならば婚約者と母との間で確執が生じているのだ。最終的に嫁ぐ側の婚約者が全面降伏するのは既定の路線としても、その仲介と仲裁位は当の本人が自ら申し出ていたのだ、してくれても良い筈だ。それを自身で口にしていながらトラブルが生じた途端に夜逃げとばかりに出ていくなぞ有り得ない行動ではないか!

 

「それは理解しています。私もまさかこのような事態になるとは思わず……」

 

 元々予定されていた事であると弁護、いや言い訳をする伯世子。

 

「このような事にならずとも私の滞在中にどこぞに御行になろうとしていた事については今は追及は致しません。ですが……その予定は変更は出来ないのですか?」

「こう言っては厚かましいのですが、それが出来れば苦労は致しません。私用ではなくある種の公務ですから。それに私個人としてもやらねばならぬ内容でもあります」

「……内容について教えては……頂けませんでしょうね?」

「……申し訳御座いません」

 

 公務、そして出で立ちから見てそれが恐らくは自由惑星同盟軍人としてのものである事は間違いない。話では義母に軍務から遠ざけられていると聞いているが……どうやら本人はそれに従うつもりはないようだった。

 

「母の御気持ちは分かります。本来ならば粘り強く話し合う方が良いのでしょうが……あの人は頑固ですから。それに、私としても然程長々しく交渉を出来る時間も立場もありません」

「しかしそれだけ夫人が旦那様の事を御心配しているのでしょう?」

「まぁ、そうなのですが……」

 

 少し迷うような素振りをして、しかし目の前の青年貴族は一度だけ自身の母が閉じ籠る部屋の方向を見つめ、視線を正面に戻してから再度口を開く。

 

「ですが……時として親不孝と分かっていてもやらなければならぬ事もあります。それが家族や故国のためならば尚更です。理解されずともやらなければなりません。無論……」

 

 一階広間に続く二階の大階段前に出ると青年貴族は首だけをグラティアに向けて補足する。

 

「無論、その家族の中には貴女も含まれていますし、同時に貴女の故郷のためにもなると私は考えております」

 

 証拠の提示は出来ませんが、と最後に気まずそうに続ける。

 

「………」

 

 グラティアはすぐに答えず、その『言い訳』を吟味し、噛み砕き、熟考して、怪訝な表情を浮かべて尋ねる。

 

「そのためにここから離れたい、と?」

「はい、貴女を置いていく事になります。貴女を危険な場所に連れ出す訳にも行きませんし、置いていかざるを得ません。世間からは婚約者から逃げられた、等と悪い噂を口にする者も出て来るかも知れませんね」

「………」

「諸々の問題の始末は私が付けさせてもらいます。貴女に責任が向かないように手配します。母との事については私も保護者を手配しておいたのでその人に頼って欲しい。貴女と貴女の家が恥をかくような真似はさせません。信じて欲しい」

 

 広間の階段を下りながら震える声で婚約者は語る。

 

「信じる、ですか」

「私なんぞが口にしても信用出来ないでしょうが……」

「いえ、そんな事は……!」

 

 グラティアは必死に否定する、が彼女の婚約者は自虐的な笑みを浮かべる。

 

「いえ、私の言葉を疑うのは当然の事です。貴女には余り会う事も出来ないのに御迷惑ばかりかけて心苦しい限りですね」

 

 グラティアはその自身の婚約者の言葉が心からの本音である事に気付いていた。彼女は婚約者が自身に向ける視線に謝罪の色しかない事を知覚していたからだ。それは生まれながら様々な不躾な視線で見られ続けていた彼女だから気付けた事かも知れない。

 

「………私としてもこのような事態に巻き込む事は筋違いだと考えています。貴女の立場を思えば控えるべきだとも思う。だが……すみません。どうしても私には今やらなければならない事があるのです」

 

 そこで一目の前の婚約者は一旦言葉を切り、苦渋と苦悩に彩られた苦い表情を浮かべる。そして一階広間に降り切った所で足を止めて振り向く。

 

「だから貴女にこれから行う非礼を許して欲しい。……いや、許さなくても良い。非礼な行いによる被害は私の力及ぶ限り清算させて欲しい。唯……恨むのなら家族ではなく私だけを恨んで欲しい、そして清算するまでの時間が欲しいのです」

 

 歯切れ悪そうに、しかし怯えの色を含みつつ自身の目を見据えて語る婚約者の姿にグラティアは内心で意外にも反発よりも好感を感じていた。無論、抽象的な説明であるが故に内容が分かりにくい事も理由ではある。だがそれ以上に婚約者が彼女と目を合わせても逃げようともせずまっすぐ、真摯に向き合っている所は悪く無かった。それに……。

 

(……少し可愛い所があるのですね)

 

 言葉の節々に感じ取れる怯えの感情。目の前で説明をする彼は幾度も激しい戦場で軍功を挙げ、勲章を授与されるような気性の荒い人物である筈だ。しかしそんな彼が自身と口を聞く時に内容を加味しても緊張気味に語るその姿をグラティアは非礼を承知で、場にそぐわない感情であると理解しつつもどこか初々しく、可愛らしくも思えていた。

 

「………」

 

 とは言え、グラティアとしても感情と理性は別物だ。こんな状況で婚約者が屋敷を出ていきたい、等と口にすれば彼女の立場からすればその場で快諾なぞ出来よう筈もない。寧ろ絶対に止めなければならない立場であった。

 

「……態々説明をする必要があるのですか?そのつもりになれば私なぞに教える必要も無いでしょうに」

 

 グラティアは疑問をぶつける。成程、婚約者が義母の意志に反する行いをしようとしているらしい。その過程でグラティアも被害を被るようだ。そこまでは良い。だが、それを何故態々自身に説明する?

 

 既にティルピッツ伯爵家とケッテラー伯爵家の立場は目の前の婚約者も分かり切っている筈だ。どれだけ貶されようと、嘲笑されようと、無碍にされようと彼女は下僕の如く従う以外の道はない。それだけの力の差が生まれているのだ。この場で言いにくそうに説明しなくても無断で出ていこうとも何の問題があろう、無意味どころか目の前の婚約者にとって不利益でしかないのではないか?いや、それどころかここで聞かせる事自体何かを企んでいるのではないか?自身はその出汁にされているのではないか?

 

「む?あー…、そういう解釈も出来るか……」

 

 グラティアの瞳に浮かんだ疑念と不安を察したのか、婚約者は苦い顔を浮かべる。

 

「そう、だな。……まぁ、確かにそれでも構わなくもないが……貴女としてはそれも困りましょう?」

「はい、この時期にいきなりそのような事をなされれば……ですが旦那様にとっては避けられない事なのでしょう?」

「その通りです。仮に貴女が泣いても、あるいは脅しても、母に告げ口しようとも、私の行動は変わりません」

「ではなぜ……」

 

 必要もないのに説明した……?

 

「それは……まぁ、自己満足と言えばそれまでなんでしょう。親の事情とは言え婚約した間柄です。そして私は貴女に負い目が幾つもある。どの道傷つける事になるとしてもよりマシな物を選びたい。私が緊張して腹痛を催す位は当然の報いですから」

 

 未来の夫はそう言って笑みを浮かべる。微笑んではいるが、見る者が見ればそれは無理矢理のものであると分かる。手と足元を見れば外套の隙間から僅かに震えているのが確認出来た。それが彼女が向けるであろう敵意に対して身構えているためだとすぐにグラティアは理解した。

 

「罵倒を受けるのを待っている、と?」

「必要ならばそれ位は受けても良いと思っています。それとも平手打ちが良いかな?」

 

 周囲を確認して今ならおやりになっても大丈夫そうだ、と補足する。

 

「成程………そういう事ですか」

 

 グラティアは小さく呟いた後、俯きながらゆっくりと記憶を反芻した。そして考える。目の前の婚約者がどういう人物であるのかを……。

 

(何とまぁ、チグハグと言うべきか物好きと言いますか……)

 

 軍歴と勲功から見て好戦的で無謀な人物であるのは間違い無い。人を好き嫌いする程偏見や拘りは無いのかも知れないが、従士の事を思えば執着的で頑固な人物なのかも知れない。その癖不用意に誤解を受ける行動を行う程に軽挙だ。

 

(ですが……)

 

 グラティアが思い返すのは食事会の時の記憶であり、捕虜収容所の時の記憶であり、四阿で謝罪を受けた時の記憶であり、何よりも先日の事件の記憶だ。咄嗟に庇われて目の前の男性がこめかみに傷を負った記憶だ。

 

 確かに軽率だ、不用意だ、不注意な人物だ。だが少なくとも自身のために、圧倒的な上下関係のある自分のために血を流す覚悟がある人ではあるのだろう。恥を忍んで謝罪する覚悟はあるのだろう。自分を……自分の事を慮ってはくれているのだろう。

 

(嫌ってはいないんでしょう……?)

 

 それが相手に向けてか、それとも自分自身への問いかけか、グラティアは自身でも判断をしかねた。兎も角も、彼女の答えは決まっている。

 

「……旦那様の御気持ちは分かりました。実にふざけた物言いで御座いますね」

 

 きっ、と睨みつけるように鋭い視線を向けられて僅かに動揺する婚約者の姿をグラティアは可笑しく思う。戦場ではもっと鋭く禍々しい殺意を向けられた事もあるだろうに、成人もしていない小娘の弱弱しい視線に怖気づく姿はどこか滑稽に思えてしまった。

 

「分かってはおりますが手厳しいですね」

「当然で御座います。幾ら私の立場が人身御供とは言え、ここまで侮辱を受ける謂れはありません」

 

 気まずそうにしつつも、しかし目の前の婚約者は視線を逸らさずに聞き続ける。

 

「本当に屈辱です。恥辱です。旦那様、残される私の御気持ちが分かりますか?あのような事が起きた屋敷で奇異の視線を向けられて耐え続け、阿る立場の気持ちが御分かりになられますか!?」

「………」

 

 伯爵家の嫡男は一言も口にしない。だが決して無視している訳でもない事はその瞳を見れば分かる。唯ひたすら謙虚に聞き入る。だからだろうか?グラティアは自分自身でも驚く程に本音を吐露していた。

 

「私も我儘なぞ申しません、武門の貴族の娘ですもの。道具であり人質です。理不尽には慣れております。ですが、昨日今日に謝罪の御言葉を頂きその舌の根も乾かぬうちに御見捨てになられると言われれば御恨みもしたくなります」

「うっ……」

 

 言葉通り恨みがましい視線を向ければ居心地悪げな表情を浮かべる婚約者。しかしそこに彼女への敵意は皆無だった。だからこそ、彼女は続ける。

 

「ですから私は旦那様を信じます」

「……え?」

 

 目を丸くして心底意外そうに驚く青年貴族を見やり、グラティアは内心で小さく笑ってしまった。やはり聞き入り、読み込んだ軍歴や噂との落差が大き過ぎるのだ。だが……だからこそこれが素の姿だと彼女には思えた。

 

「四阿で昼食を御馳走になった際も御伝えした筈です。私は諸侯の、ティルピッツ伯爵家の妻となる身、そうであれば例え最後の唯一人となろうとも主人を信じ、御支えせねばなりません」

 

 グラティアはそこで漸く剣呑な表情を消して微笑む。

 

「旦那様が頑なに行かねばならないと仰るのならば、それは即ち本当にそうせねばならぬ事と言う事でしょう?ならば……旦那様が恥を忍んで誠意を御見せくださった以上、それを信じ、答えるのが妻としての当然の務めで御座います」

 

 そしてドレスの裾を掴み、彼女は優美に答える。

 

「どうぞ行ってらっしゃいませ旦那様。妻となる身として、旦那様の武運長久をお祈り致します」

 

 その振る舞いは間違いなく、武門貴族に嫁ぐ令嬢のそれであった。

 

 

 

 

 

「それはそうと、旦那様はどのように私の立場を保証してくださるのですか?」

「えっ……?あ、あぁそうです。それを伝えなければなりませんね」

 

 私は一瞬目の前の婚約者の堂々として、凛々しく覚悟を決めた姿に見惚れていた。それ故に次に来た言葉への反応が一瞬遅れる。慌てて我に返った私は平静を装った。

 

「そうですね、一つは先程も触れましたが今日か明日にでも貴方を保護してくれる後ろ楯が来る手筈です。後もう一つは……その前に確認致しますが少々貴女には負担をかける事になりますが構いませんか?」

「武門貴族の娘に二言は御座いませんわ」

 

 僅かに不機嫌そうにグラティア嬢は宣言する。

 

「これは失礼。ではまずは準備から」

 

 そう口にして私は懐から呼び鈴を取り出し盛大に鳴らす。少々やり過ぎな程度鳴らし続ければ廊下の奥からそそくさと家政婦長が数名の使用人を連れて参上する。

 

「御待たせ致しました若様。ただいま参りました。……何用で御座いましょうか?」

 

 ちらりとグラティア嬢の姿と私の出で立ちを見て怪訝な表情を浮かべる家政婦長は、しかし頭を下げて申し出る。

 

「まぁな、少し用事でね。……あぁそうだ、ケッテラー伯爵家の使用人もいる筈だな?何名か呼んでくれるかな?」

「……?分かりました。ケッテラー伯爵令嬢様、宜しいでしょうか?」

 

 家政婦長がグラティア嬢に許可を求める。ティルピッツ家とケッテラー家の上下関係は分かり切った事とは言え、流石に他所の家の使用人を相手側の許可なく呼び寄せる程ぞんざいに扱う訳にはいかない。グラティア嬢の許可を得た上で家政婦長が部下に呼び寄せさせる。

 

「……旦那様?一体何を行う御積もりなのですか?」

 

 私の行動の意味を理解出来ないのだろう、困惑気味に婚約者は尋ねる。私の行動がどう自身の立場を保証するのか?そう考えるのは当然だ。

 

「うん?あぁ、こうするんだよ」

 

 そう言って私は平然と、堂々と、飄々とした演技で目の前にいた少女を抱き寄せた。さて、覚悟を決める、か。

 

「えっ?」

 

 何事か分からずにそう声を漏らした伯爵令嬢の言葉は、しかし続かなかった。まぁ当然であろう、いきなり口を塞がれていればねぇ?

 

「お嬢様?何事でしょ……」

 

 ケッテラー伯爵家の使用人達がグラティア嬢の姿を見て呼ばれた理由を尋ねようとして凍り付く。それは近くで控えていたティルピッツ伯爵家の家政婦長や使用人も同様であった。

 

 それは口づけとしては決して深いものではなかった。舌を入れる訳でもない唇同士を軽く合わせるだけのライトキスに過ぎない。とは言え、手の甲や頬へのそれとは全く意味が異なる。

 

 即ちそれは『傷物』にした訳であり、同時にそれを婚前に行うという意味は……。

 

「若様っ……!!?」

 

 家政婦長が唖然とした表情で叫ぶ。だが私はその声に反応せずに(自分でも驚く程に)冷静に周囲を観察する。

 

(これだけ証人がいれば十分だな)

 

 我が家の使用人達だけでは口裏を合わされる危険があるので婚約者の実家側の証人も欲しかった。この分だと揉み消される事はあるまい。……私の醜聞がまた増えそうだけど。

 

 何秒程唇を合わせていたのか、私は漸く顔を引く。目の前には何をされたのか分からないとばかりに茫然とした表情をする年相応の少女がいた。その頬は赤く染まり、その瞳は混乱し、動揺に揺れている。

 

「な、なにを……」

「申し訳ありません、これが貴女の立場を考えると一番確実でしたから」

 

 私は周囲に聞かれぬよう耳元で囁くように謝罪する。正直恥ずかしいのは私も同様であるがこういう時だけでも強がらないと情けないので我慢せねばならない。

 

「あ…うあ……」

 

 譫言のようにそう口をぱくぱくとさせる婚約者。恐らく私の言葉は殆ど入ってきていないと思われた。仕方あるまい。パニックになり足に力が入っていない程だ。私が腰を抱えて支えなければ床に倒れ込んでしまうだろう。

 

 尤も、彼女の身体は(正直驚いたが)羽毛のように軽いので然程負担ではないが。

 

「誰か、彼女を支えてあげてくれないか?」

 

 私の言葉に第一に反応したのはケッテラー伯爵家から来ていた使用人達だった。私から奪うように婚約者を抱え込み守るように距離を取る。彼女達の視線には明らかな敵意と侮蔑が含まれていた。まるで獣でも見るかのような眼光である。あーうん、覚悟していたけどかなりキツい。

 

「それでは失礼。彼女は御疲れのようだから客室でお休み頂くと宜しいでしょう。私は気晴らしに少し『散歩』にでも行かせてもらいます」

 

 そう言って(外見上は)飄々とした態度を取る私はケッテラー伯爵家の使用人達が叫ぶ余り愉快ではない言葉を無視して踵を返し屋敷の正面玄関に歩みを進める。

 

「若様っ!?一体……何てことを……!!」

 

 おろおろする実家の使用人達の中で唯一、家政婦長が私の傍に駆け寄り追及を行う。その顔は信じられないとばかりに驚愕していた。唯でさえ門閥貴族同士、しかも特に古い価値観の住民である彼女の衝撃は人一倍であろう。

 

「あー、その場の気分?」

「気分……なんて……そんな……」

 

 愕然とした表情でこれまた口をぱくぱくと開く家政婦長。うん、色々ごめんなさい。

 

「余り追及してくれるな。あぁ、彼女達への応対は丁重に頼むよ?……なぁに、今日か明日にでも私の火遊びの後始末をしてくれる方が御来訪なされるのでその御方に全て投げてくれ」

「後始末、ですか?………まさか!?」

 

 家政婦長は暫しの逡巡の後、最後の私の言葉の意味を理解して叫ぶ。よしよしどんどん驚いてくれ。他の事で一杯になって私を引き留めようなんて頭から抜け落ちてくれ。

 

「そう言う事だ、大変だろうが……まぁ、頼むよ?」

 

 私は驚きに茫然とする家政婦長にそう命令し、早歩きで未だ大雨の降る夜道に、当然のような態度で出ていったのだった……。




冒頭の宇宙桟橋はノイエ版のものを念頭にしております。
藤崎版では軌道エレベーターがあるようですがこの世界線では採用はしておりません。

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