帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五十八話 誰に対しても隠し事は良くないって話

「と、まぁこういう訳ですね」

「成る程、説明は理解したよ」

 

 砂丘で回収され、足の痛みを堪えつつキャンピングカーに設けられたソファーに座り、家主様の治療を受けながらバグダッシュ少佐達の話を聞き終える。私が返答の言葉を口にした時には既に応急処置は終わり、脹ら脛の怪我を包帯でくるまれ、強く締め付けられていた所だった。痛い痛い。ご免、もっと優しくしてくんないかな?

 

「馬鹿おっしゃい。消毒はしたけど止血はまだまだ怪しいわ。これくらい我慢しなさいな」

「うぐっ……むう………」

 

 私の足に包帯を巻き続けながら家主は答える。キャンピングカーに回収されてから彼女に私の応急処置の大半をしてもらっている以上文句は言えなかった。

 

「くくっ!よう大佐、介護される気持ちはどうだい?」

「敬老精神は大切だって気づけたよ」

 

 私を茶化す男爵の声に呆れ気味に言い捨てる。そして、同じく男爵に不快げな冷たい視線を向けつつ私を治療をしてくれている家主様から視線を正面に移す。

 

 顔を上げた私の目の前にはキャンピングカーの運転を黒服の一人に代わってもらったバグダッシュ少佐と自治領主補佐官が正面の椅子に座り、少し離れた所ではベッドに男爵、その膝の上に少女が座り、当然のように怪我を応急処置した数名の黒服がその周囲に控えていた。

 

「……それじゃあ、話を聞いた上で理解の確認をさせてもらうぞ?」

 

 色々と言いたい事はあるが……兎も角、端的に説明すれば全ては私の勘違いであった訳だ。此度の騒動はアドリアン・ルビンスキーによるものでなければ、寧ろ彼もまた命を狙われる側であったらしい。

 

 黒狐とバグダッシュ少佐の言を合わせて考えた結果、此度の騒動を裏で糸を引いている者達は恐らく二者であると予想された。即ち、カストロプ公爵を筆頭とした地方諸侯からなる帝国分権派、そしてフェザーン傭兵派遣企業最大手アトラス社社長にしてフェザーン元老院議員たるスペンサー氏の一派である。

 

 前者については説明しなくても理解出来よう。そもそもアルレスハイム方面への出兵を主導したのはこの分権派と旧守派である。少なくとも数日前の使節団に対する爆弾テロとフェザーン元老院における自治領主に対する各種妨害はまずこの二者のどちらか、あるいは両方によるものと見て間違いない。問題はスタジアムでの襲撃に関与したと思われるスペンサー氏の存在だ。少なくとも表向きは親同盟派であり、ワレンコフ自治領主との関係も良好な社長が何故彼方側であるのか疑問ではあるが……。

 

「以前から噂自体はありました。正確に言えばカストロプ公がフェザーンを通じて同盟との各種密貿易をしており、フェザーン元老院の有力議員がそれに関与しているという内容です」

 

 私の疑問に対してバグダッシュ少佐が補足説明を行う。

 

 基本的に帝国と同盟の間を航行出来るのは暗礁宙域を貫く二つの回廊のみであり、一方のイゼルローン回廊は当然ながら両軍の厳しい警戒網が張られている。ステルス性能に特化した特殊潜航艦艇なら兎も角、密貿易とは言え貿易に使用する輸送艦艇ではその警戒網突破は極めて困難と言わざる得ない。

 

 ともなれば、当然ながら密貿易で主に使用される航路はフェザーン回廊である。当然此方の回廊も両国の警戒が行われているが、その密度はイゼルローン回廊程厳しい訳ではない。ましてフェザーン船籍の貨物船に対する臨検体制は一世紀に渡るフェザーン自治領主府の数々の政略により比較的緩い。

 

 当然、それでも密貿易を行う事自体は簡単ではないが……協力者に元老院議員と輸送警備を下請けする大手民間軍事会社があれば話は別である。

 

「無論、それだけが理由ではありませんよ。サジタリウス・オリオン両腕内の反政府勢力に宇宙海賊、その他の犯罪組織、外縁宙域の中小勢力、彼らに対する武器弾薬、日用品、消耗品、機械類、人材の派遣とその見返りの御禁制品の輸入……この密貿易は両国とも利権を持つ有力者は多い」

 

 ルビンスキー氏は補足説明する。帝国・同盟共に長い戦争で兵器は日進月歩の進歩を遂げ、同時に旧式兵器は毎年のように値崩れを繰り返している。

 

 二大超大国の支配に反発する両国内諸勢力、外縁宙域で抗争を繰り返す国外中小勢力にとっては両国軍では大昔に陳腐化した兵器でも羨望の的だ。無論、これ等勢力が求めるのは武器以外にも常に不足する日用品に消耗品、輸出規制のかけられている各種機械類、技術力的に自作出来ない恒星間航行用宇宙船舶等々幾らでもある。

 

 カストロプ家はスペンサー社長を初めとしたフェザーンの協力者を通じそれらの商品を密かに輸出し、代わりに資源や商品としての人間、違法薬物等を輸入して莫大な利益を上げたのだという。確かに十年以上前から生じている同盟国内の宇宙海賊の重武装化はカストロプ家による武器密輸がその一因とも噂されていたし、スペンサー氏が急速にアトラス社経営陣として頭角を現した時期とも一致する。表向きは凶悪化・重武装化の進む宇宙海賊からの民間船舶護衛分野の事業改革によるものとされているが……それ自体は嘘ではなかろうが、どうやらそれだけではなかったらしい。下手したらマッチポンプだった可能性すらあり得る。

 

 ……さて本来、ここまで滅茶苦茶すれば同盟・帝国双方から潰されても可笑しくはないのだが……やはりオイゲン・フォン・カストロプは狡猾で辛辣だ。

 

 密貿易で得られる利益の少なくない額が同盟・帝国・フェザーンの軍人・政治家・官僚・警察機関・企業にばら蒔かれている、というのは昔から噂レベルで伝わっているが、どうやら少佐と補佐官の言から察するにそれは真実らしい。また密貿易の合間に得られる敵国内の情報、売り払われる商品による武装勢力の敵国内及び外縁宙域での活動の活性化は双方の諜報機関にとっても極めて有益なものであったという。

 

 また幾らカストロプ公が手広く闇社会で荒稼ぎしているといっても全ての組織と商談している訳ではない。寧ろ広い銀河ではカストロプ公とビジネスをしていない組織の方がどちらかと言えば若干多い位だ。

 

 そして商売仇である非カストロプ派武装勢力・犯罪組織はカストロプ公とその傘下勢力によって過去、幾度も攻撃を受けている。同盟と帝国から見れば、カストロプ公系列の密貿易・犯罪組織を潰すよりも寧ろ放置して他の組織を弱体化させてもらった方が治安上効率的な側面があった。あるいはカストロプ公がそう両国治安機関に吹き込んだのかもしれない。

 

 そもそもカストロプ公が全てを元締めしているだろう事は九割方事実と見られていたが、その証拠を中々掴ませないと来ている。過去無理矢理な強制捜査が行われた事もあるが、証拠類は悉く処分され空振りに終わった。下手をすれば報復すらあり得る。両国とも、カストロプ公とその系列組織の調査と弾圧を行う労力があれば別の方向に向けた方がまだ生産的であった。

 

 あらゆる違法行為に手を染めながら、しかしその存在が有益であり、撲滅が困難を極めるがために放置される存在、それがオイゲン・フォン・カストロプ公爵であった。そして、宇宙暦790年においてフェザーンにおけるカストロプ公の最大の協力者が今やアトラス社の社長にまで上り詰めたスペンサー社長であるという訳だ。

 

「正確に言えばフェザーン・同盟間、ですがね。アトラス社は同盟政府や亡命政府と数多くの契約を結び傭兵を派遣しています。その輸送船舶、あるいは彼らへの補給のための補給船舶は密貿易を行う上で都合が良かったのでしょう。近年反同盟勢力から帝国製兵器の鹵獲や犯罪組織からのサイオキシン麻薬等の回収事例が増えていますが、恐らくそれが原因かと」

 

 同盟軍情報局将校は補足的にそう答える。

 

「ふむ、カストロプ公と、その要請を受けたスペンサー氏が借款交渉を叩き潰すためにこれまでのおもてなしをしてくれたって訳か」

「私はワレンコフ自治領主の補佐官、借款交渉に協力する身です。どうやら私もそのせいで暗殺の対象だったようですな。しかもあのタイミングです、彼らにとっては鴨が葱を背負って来たようなものでしたでしょう。あのチンピラ共の襲撃から見るに、恐らくこの辺りのマフィアは密輸事業に協力しているらしい」

 

 ルビンスキー氏は自身について来て襲撃した者達についてそのように分析する。

 

「私は尾行してきたマフィアを尋問して事態を把握しました。ブラウンシュヴァイク男爵家の方々と合流出来たのは同じくこの辺りのマフィアが大佐方を襲撃しようと妙な動きをして注目されていたのが理由です。双方共に救助が目的なので比較的協力関係を築くのは簡単でした。このキャンピングカーは男爵家の方々が急いで用意したものです」

「成る程な。補足説明ご苦労」

 

 ふむふむ、と私は大仰に、納得したとばかりに頷く。そして、穏やかな表情で私は口を開いた。

 

「……それで?実際の所はどうなのよ?」

 

 二者の『建前』の御説明を聞き終えて、一拍置いてから私は彼らに『真実』について尋ねた。

 

 当然だ。本当に彼らの言う通りならばカストロプ公は使節団の地上車を完全に吹き飛ばしているだろうし、襲撃してきたヒットマンによって私はスタジアムで死亡しているだろうし、運良くそれを生き延びたとしてもバラック小屋への砲撃でミンチになっていたたろう。少なくともカーチェイス中に放蕩者として有名なカストロプ公の嫡男が顔見せする訳がない。

 

「嘘を言っていないのは確かだろうさ。だが……真実も言っていない、そうだよな?」

 

 私の質問に対して少佐はむすっと不機嫌そうに顔をしかめ、一方自治領主補佐官は意味深な笑みを浮かべる。

 

「いやはや、やはりその事に気付きますかな?」

「当然さ、これでも一応門閥貴族だもんでね。……因みに口止めしようと提案したのはどちらよ?」

 

 私が問い質せば自治領主補佐官は少佐を指差す。まぁ、妥当な線ではあるな。

 

「大佐、私は……」

「あー、別に気にしてはないさ。同盟軍の情報局からすれば余所者の私がこの件に首を突っ込み過ぎるのを嫌うのは当然だろうからな」

 

 まぁ、代わりに裏話についてはちゃんと聞かせて貰うがね?

 

「で?誰が説明してくれるんだ?」

「……私が答えましょう」

 

 自治領主補佐官殿が恭しく、そして白々しい態度で内実について説明を始める。

 

「まずハイウェイにおける使節団に対する爆弾テロについてです。あれは確かにカストロプ公の手の者による犯行である事に間違いありません。ですが、実際彼方が本気で暗殺を目論んでいればあんな可愛い花火では済まなかったでしょうな」

 

 その言い回しは如何にも態とらしさがあった。そしてそれだけで私は黒狐の口にしたい事が何であるのかを理解した。

 

「……事前に把握してたんだな?」

「正確に言えば私と同盟、それに亡命政府の使節団が、ですな。本来ならばあのハイウェイは完全に爆破されて倒壊していました。ですが、爆弾は一部を残して私の手の者が密かに撤去しておりました」

「成る程、撒き餌か」

 

 どうやらカストロプ公自身はかなりの覚悟を決めていたらしい。曲がりなりにも皇族たるアレクセイを中立国で白昼堂々爆殺する積もりだったとは。かなり政治的リスクは高かっただろうに。それだけ公爵は今回の借款交渉を邪魔したかった訳か。いや、それよりも重要な事がある。

 

「トリューニヒト議員やシュヴァリーン大公はテロを事前に把握していた訳か。安全確認はしていただろうが……随分と肝が据わっている事だな」

 

 ルビンスキーの言から察するに、同盟政府と亡命政府どちらの使節団もテロ計画は把握していた。そして『敢えて』爆弾の待ち構えるルートを『わざと』爆弾を一部残したまま通った訳だ。恐らく目的はカストロプ公と繋がりのあるフェザーン元老院議員を炙り出すため。

 

「中途半端な形でテロが起きてしまいましたからな。カストロプ公もこれには焦った事でしょうよ。火消しと借款潰しのためにパイプのある議員を急いで総動員しているようですな。流石に予想外の事態らしく、お陰様でこれまで判別の付かなかったパイプまで炙り出せましたよ」

「それは結構。ワレンコフ自治領主はこの事を?」

「いえ、あの件につきましてはあくまでも私が独自に動きました。全て自治領主閣下の預かり知らぬ所ですよ」

「……へぇ」

 

 その返答は私も予想外だった。親同盟派のワレンコフ自治領主に同盟が話を通していないとは。となるとその理由は……。

 

「……少佐、スペンサー氏がカストロプ公と組んでいる事は事前に知らされていたか?」

「いえ……」

「だろうな。伝えられたのはカーチェイスで私が振り落とされた後だろう?……同盟政府と亡命政府にはスペンサー氏の事は伝えず、ワレンコフ自治領主には爆弾テロに対する工作を報告しなかった。随分と危ない橋を渡っているな、補佐官?」

 

 この禿げ男の魂胆は分かっていた。パイプ役の素振りを見せての情報操作、恐らく我々を潰し合わせて漁夫の利でも得ようとしたのだろう。思えば原作でもルビンスキーはワレンコフの死後、もう一人の自治領主候補と争って自治領主の地位についていた筈だ。そのもう一人の候補者が恐らくスペンサー氏だろう。

 

 多分、原作でも似たような陰謀はあったと思われる。本来ならば同盟政府とワレンコフ派の残党はスペンサー氏を支持した筈だ。帝国の諸派やフェザーンの他派閥企業にしてもワレンコフの補佐官であったルビンスキーを推す筈がない。

 

 恐らくはこの情報操作が決め手だったのだろう。借款交渉が潰れた所で同盟政府とワレンコフ派にスペンサー氏とカストロプ公の繋がりを示す情報をリークしてスポンサーを奪い取った。

 

 あるいは勢力均衡派に接近した可能性もある。スペンサー氏が自治領主となればカストロプ公の影響を強く受けるだろうし、両者の繋がりが暴露されれば同盟はフェザーンに確実に干渉してくる。勢力均衡派からすればルビンスキーを推した上で全てがバレる前にスペンサー氏を処理するという選択肢もある筈だ。少なくとも情報の隠匿と重要局面での活用が彼が自治領主の地位を得た一因である事は間違いない。

 

「チャンスには食いつくのがフェザーン人ですので」

「そして今や命を狙われる立場か?」

「いやはや、耳が痛いですな。……次の件について説明しても?」

 

 私は補佐官の言葉に応じる。彼のせいで我々も色々と面倒な事になったがここで彼を詰るのは余り生産的な選択ではなかった。

 

「さて、次はスタジアムで大佐殿を襲撃した騒動についてです」

「ああ、実行はスペンサー社長、黒幕はブラウンシュヴァイク公と亡命政府間の協力を妨害したいカストロプ公だっけか?」

 

 それ自体は話の筋は通る。特にブラウンシュヴァイク公は治安機関・諜報機関系列に地盤とコネクションを持つ人物だ。非合法行為を行うカストロプ公からすれば目の上のたん瘤、あのような騒ぎを起こすのは可笑しくはない。

 

「だが、ここで話題にする位だ。そんな簡単な話じゃあないんだろ?」

 

 私が尋ねれば楽しそうに自治領主補佐官が口元を吊り上げる。

 

「直接的にスタジアムで貴方を襲撃したのはスペンサー氏の駒で間違いないでしょう。ですがあのような無謀な策はあのカストロプ公に似つかわしくない、そう思いませんかな?」

「本当にカストロプ公なら今頃私も男爵もヴァルハラ送りだろうよ。まして、曲がりなりにも次期当主たる息子があの場にいたのに慎重な公爵が動くものかよ。あからさまに疑惑が向くし、一族を殺されたブラウンシュヴァイク一門は全力で潰しに来るだろうな。そんなリスク誰が背負うんだよ」

 

 となれば、あの場で襲撃を企てたと考えられるのは……。

 

「同盟政府や統制派の自作自演、はないな。利点がない。リッテンハイム侯も今は派閥の結成に集中したいだろうからこれも有り得ない。旧守派にしてもあの襲撃は余りにも稚拙過ぎる。腹黒狸爺の計画ではないな。だが……」

 

 となると誰が計画した?ほかの派閥や勢力で残念ながら計画の実行自体難しいが……。

 

「派閥が常に一枚岩とは限らんさね」

 

 ここで話に割って入ってきたのは私と共にあの騒ぎに巻きこまれたブラウンシュヴァイク男爵だった。キャンピングカーの簡易ベッドの上で胡座をかき膝に表情の乏しい少女を乗せて此方を見やる。

 

「一枚岩……まさか、皇太子ですか?」

 

 私は僅かに帝国の宮廷の勢力事情と文化について考え、その答えを導き出す。男爵は僅かに驚きながら口笛を吹く。

 

「御名答!案外すぐ分かったな?もう少し思いつくのは遅れると思ったんだけどな?」

「男爵の中で私はどれだけ過小評価されてるんですかねぇ?」

 

 現状の帝国政情、あるいは帝国宮廷の常識に対する知識があれば決して難しい発想ではない。

 

 旧守派はルードヴィヒ皇太子を次期銀河皇帝に押す派閥である。だが、それは必ずしもルードヴィヒ皇太子に対して本当の意味で忠誠を誓っている訳でなければ積極的に皇位継承に相応しい人物と考えている訳でもない。

 

 以前触れたように、ルードヴィヒ皇太子はブラウンシュヴァイク公爵夫人アマーリエ及びリッテンハイム侯爵夫人クリスティーネと違い、宇宙暦786年に死去したフリードリヒ四世皇后ルイーゼの子ではない。それどころか後宮に納められた諸侯の子女でもなければ宮内省の役人がスカウトした娘の子ですらない。

 

 皇帝の地方行幸の際に偶然目に入りそのまま勝手に摘まみ食いして連れ帰ってしまったロンバルト二等帝国騎士家の娘、それがルードヴィヒ皇太子の母である。

 

 百歩譲ってこれが歴史ある騎爵帝国騎士家、あるいは千歩譲って上等帝国騎士家の家柄であったとして、正当な手続きを経て後宮に入宮し、どこかの派閥の一員として御手付きになってから懐妊したのなら味方もいよう。だが、宮廷事情も何も知らない田舎の小娘をいきなり拉致って懐妊させて出来た小僧に誰が好意を持てる?

 

 経緯の時点で既に諸侯の好意は限りなくゼロに近かった。ましてルードヴィヒ皇太子の母は田舎の歴史の浅い下級貴族らしく、宮廷人からしたら余りに品がなく、庶民的で、後宮の姫君達や諸侯の地雷を(恐らく本人に自覚なく)盛大に踏み、その精神を逆撫でする性格と価値観の持ち主だった。

 

 まぁ、あれだ。宮廷的には「あ、こいつ死んだわ」とすぐに分かるような人物だったそうだ。実際後ろ盾皆無なのでルードヴィヒをすぐに臣籍降下してなかったら真っ先に暗殺されていただろう。

 

 問題は仁義なき次期銀河皇帝レースの主要参加者達が軒並み現世から強制リタイアした事だ。お陰様で臣籍降下した筈のルードヴィヒに御鉢が回って来た訳だ。

 

 当然、母方の事もあり主要な諸侯の支持は得られない。かといって他の次期皇帝候補者もそれはそれで様々なベクトルで問題があった。結果、国務尚書、軍務尚書を始めとした旧守派の消極的な支持を受け、ルードヴィヒは皇太子の地位に就く事に成功する。

 

 だがそれも薄氷の上の地位でしかない。二等帝国騎士の子供を皇帝に?確かに歴代の皇帝の中には大貴族以外の腹から産まれてきた者もいない事はない。

 

 だがそれでも精々男爵、どれだけ妥協しても準男爵や騎爵帝国騎士の立場はあったし、ちゃんと後ろ楯も用意はしていた。ルードヴィヒとは違う。

 

 仮にフリードリヒ四世に新しく息子が生まれれば、その瞬間にルードヴィヒ皇太子は旧守派からすらお役目ご免にされる可能性が十分にあった。いや、立場を失うだけならまだ幸運だ、下手すれば後顧の憂いを絶つために現世からも追放されかねない。

 

 実際、フリードリヒ四世の寵妃が懐妊する度にルードヴィヒ皇太子の大公位と皇太子位剥奪の噂が宮廷中に立った。偶然か否か、ベーネミュンデ侯爵夫人をはじめとして流産か死産、あるいは赤子の内に急死、寵妃自身が事故や病死する例もあり、結局は何も変わらなかったが。ルードヴィヒ皇太子が手にかけたとも、抜け駆けを阻止しようとした他の派閥が潰し合いをしたからとも、単なる偶然だとも言われるが真相は不明である。

 

 それは今この状況ではどうでも良い事だ。問題は正にルードヴィヒ皇太子が自派閥にすら軽視され、信用出来ない事にある。求心力が少ない皇太子からすればそれは致命的である。

 

「ルードヴィヒ皇太子の独断とすればあの杜撰な襲撃も納得出来る訳か」

 

 借款交渉を潰して派閥内での自身の功績を上げ、同時にその犯行をカストロプ家に押し付けブラウンシュヴァイク家と潰し合わせる事が出来れば次期皇帝レースで優位に立てると考えた訳だ。

 

「だが、待て。少し矛盾があるぞ?スペンサー氏はカストロプ公爵と繋がっていると言った筈だ。あのスタジアムの襲撃がルードヴィヒ皇太子の仕組んだものとして、それではスペンサー氏はカストロプ公を売ったのか?それは損得勘定に聡いフェザーン人らしくないぞ?」

 

 誰が考えてもカストロプ公とルードヴィヒ皇太子を天秤にかければ前者を選ぼう。後者を選ぶのは勝負に勝てばリターンは大きいだろうがリスキー過ぎる選択肢だ。スペンサー氏が密貿易等の非合法な手段で頭角を表したとしてもそれもまた実力であり、当然有能なフェザーン商人である事は事実である。ならばほかの派閥にも唾をつける位の事はしてもカストロプ公爵家を売ってまでルードヴィヒ皇太子に味方するのは明らかに不自然だ。

 

「おやおや、流石にそれは酷い言い草でしょう?カストロプ公を捨てルードヴィヒ皇太子に駆け込むような投機をせねばならなくなったのは貴方のせいではありませんかな?」

 

 こいつは何を言っているんだ?とばかりに答えるのは黒狐だ。

 

「私の……?」

「おや?当事者意識がない?やれやれ、これはスペンサー氏も空回りしましたな。まさか一番警戒していた人物が何も知らないとは………」

 

 肩をすくませ、スペンサー氏に同情するような口調でルビンスキーはぼやく。

 

「……エル・ファシル、ここまで口にすれば大佐であれば思い当たる件が大有りでしょう?」

 

 黒狐の代わりにバグダッシュ少佐が呆れながらそうヒントを私に与えてくれた。

 

「エル・ファシル?エル・ファシル……エル・ファシル………っ、まさか……?」

 

 少佐のヒントを呟きながら私は記憶を掘り返して行き、それに思い至る。もしかしたらあれか……?

 

「シャルルマーニュ、か?」

「正解です」

 

 そのコードネームを口にすればバグダシュ少佐が頷く。黒狐と男爵は今更かよ、といった表情で同じく私の出した答えを肯定する。

 

 公式に公表はされずとも、エル・ファシル攻防戦の最終局面で同盟軍の勝利を決定付けたのは帝国地上軍第九野戦軍内部の『アセット』による帝国軍の作戦・部隊展開情報の漏洩にあるのは事情を知る者達の共通見解である。

 

 そして、帝国軍より情報を手にして逃亡したという『アセット』を保護したのはあの『薔薇の騎士連隊』であり、大軍に包囲され玉砕一歩手前にあった彼らを救援したのは当時私の指揮下にあった部隊である。更に言えば再編中に司令部を丸々失った第九野戦軍であるが、それを実行したのは私であり、司令部の移動経路もまた『アセット』からもたらされた情報だ。

 

「『アセット』は確かコネクションのためにどこぞの麻薬密売組織に所属していた、だったか?……カストロプ系列の組織か?」

「正確にはその下請けですがね。それでも立場的にそれなりに高い地位に就けたそうです」

「成る程な、カストロプ公とスペンサー氏からすれば大変だな」

 

 恐らく、『アセット』経由で密貿易に関する情報も相当量流れた事だろう。カストロプ公が出征を後押しする理由も分かろうものだ。単純に帝国軍の定員を削ろうとする以外にも出征で同盟政府を戦争に釘付けにしてその間に全力で同盟方面における密貿易に関する証拠の廃棄処分と店仕舞いを進めている事だろう。

 

「カストロプ公のバックアップが喪失し、しかも調査が進めばいつかスペンサー氏まで尻尾がつく。その前の次のパトロン探しという訳か……」

 

 スペンサー氏からすればエル・ファシルでの『アセット』回収に私が一枚噛んでいると考えていても可笑しくない。そして、私がブラウンシュヴァイク男爵と接触すれば疑念はますます深まる訳だ。彼からすれば密貿易やそれに関わる者達の摘発について協力関係を結ぼうとしているように見えたのだろう。カストロプ公爵の庇護が望めなくなり、摘発が近付いたとなればスペンサー氏も保身のために新たな協力者が必要となる。

 

「統制派は長年密貿易で対立してきたので論外、革新派も武門貴族中心のためスペンサー氏からすれば因縁が有り過ぎる。となれば旧守派と組むのは当然です」

「そしてフェザーン人らしく、最も自分を高く売り付ける事が出来る相手に売り付けた訳だな?」

 

 私はバグダッシュ少佐の言わんとする事を代弁する。リヒテンラーデ侯やエーレンベルグ伯はリスクを考えて態態スペンサー氏と組もうとはするまい。少なくとも直ぐに取り込む事はしない筈だ。そしてスペンサー氏もその事をよくよく理解しているだろう。

 

 となると、もし旧守派に接近するとなればその相手は独自に味方を集める必要があるルードヴィヒ皇太子しか有り得ない。

 

(話の道理はあっているな。だが……)

 

 成る程、確かにスペンサー氏がルードヴィヒ皇太子と組む合理的理由はあろう。

 

 ……しかし、私個人としてはまだ理由が不十分に思われた。確かにルードヴィヒ皇太子はスペンサー氏がフェザーンのおける親旧守派、いや親ルードヴィヒ皇太子派と言うべきか、その立場につけばかなり厚遇するだろう。だが、ルードヴィヒ皇太子の立場は常に不安定。

 スペンサー氏が皇太子と組むのは未だリスクがあるように私には思われたのだ。

 

(少佐達の言葉は嘘ではない。たが……だが………)

 

 まだ、何か大事な事が隠されているようにも思えた。尤も、これ以上は私にも見当もつかないのだが………。

 

「…………」

「……?」

 

 私が今回の騒動について状況を整理していると、ふと足下で私の手当てを終えた家主様がちらりと横目に誰かを、あるいは何かを見つめ続けている事に気付く。私は気付かれないように家主様の視線を追う。彼女の視線の先にいたのは男爵様……いや、正確には彼の膝の上にちょこんと座り込んでいた愛人の少女の姿……。

 

(いや待て?……いや、それならば辻褄は合うのか?いや確かに可能性はゼロではない、か………)

 

 原作知識と私個人の亡命貴族として知っている知識、そして状況証拠が一つの仮説をもたらす。そして私は暫しの間考え、最終的にそれが恐らく事実であろう事を確信する。

 

(……いや、今はこんな事は後回しで良い。それより目下の問題は……!!)

 

 私は脳裏に過った仮説を振り払い、これからやるべき事を彼らに問い質す。正確にはもう一つ私には疑問があったが、それは後回しにしておこう、それよりも優先するべき事がある……!

 

 既にある程度私は彼らの狙いに気付いていた。特に意味もなくこんな裏事情について私に教える筈もない。つまりここまで私に説明するのは別の理由がある。

 

「……それで?何か問題でもあるんですかね?」

 

 私のその言葉に漸く諜報員と自治領主補佐官と男爵、全く食えない三者が意味深げに口元を吊り上げる。漸くスタートラインに辿り着いたな、といった表情だった。

 

「ええ。深刻な、しかも随分と面倒な事態になっているようです」

 

 話を切り出したバグダッシュ少佐は苦い、深刻な表情を浮かべて口を開いた。そこには葛藤と焦りの表情が窺い知れた。

 

 どうやら、本当に面倒臭そうな話はこれからの事らしかった………。

 

 

 

 

 

 

 どうやら、偶然の積み重なりはスペンサー氏を不必要に、かつ不用意に追い詰める事になってしまったらしい。

 

「戒厳令を逆手に取られました。ワレンコフ自治領主からすれば治安警察軍やフェザーン警備隊を信用しきれなかったので味方のスペンサー氏から傭兵部隊を借りたつもりなのでしょうが……」

「フェザーン自治領主府の主要施設はアトラス社の傭兵で固められているようですな。いざ命令が下れば政府機能の乗っ取りは容易でしょう」

 

 バグダッシュ少佐は忌々し気に、ルビンスキー氏は皮肉気に語る。今やフェザーン自治領の主要政府施設は実質的に帝国と繋がっているスペンサー氏の傭兵部隊の支配下にあると言って良かった。しかも自治領主も、元老院議員も、お役人連中も誰もその事に気付いていない。

 

「問題は自治領主府から高等弁務官事務所に通達が入った事です。自治領主が亡命政府側の使節と交渉したい事があると呼び出しがあり、一名が既に向かっているそうです」

 

 バグダッシュ少佐のその情報はカーチェイスの前、即ちルビンスキー氏からスペンサー氏の裏切り情報が齎される前に他の諜報員から得たものであるという。

 

「それは恐らくスペンサーが口添えしたものでしょうな。ワレンコフ自治領主は此度の借款交渉を旧守派や分権派から妨害される事を予め想定していました。ですので自治領主はこの機に同盟・亡命政府が得た密貿易の情報を基にカストロプ公の協力者を一斉摘発、分権派のシンパを壊滅させた時点で借款を成立させる積もりでした。私とスペンサーは裏でその実務を受け持っておりましたが……」

 

 その実務者がカストロプ公の協力者だった、という訳だ。ワレンコフ自治領主は人を見る目がないらしい。もしくは耄碌したか……。

 

「昔はもっと頭が切れた方でいらしたのですがね……」

 

 嘲笑するような、それでいて憐れみを含んだ声で黒狐は呟く。彼はワレンコフ自治領主とは浅からぬ関係があるのでさもありなんである。

 

「兎も角も、スタジアムでの一件以降にスペンサー氏が亡命政府使節団との面会を自治領主に勧めていたのは事実です。一応表向きは亡命政府とのブラウンシュヴァイク一族に対する対応についてや借款交渉の見通しに対する意思疎通と意見交換ですが……当然ながら彼自身には別の目的があります」

「別の目的?」

「自治領主府の警備体制はアトラス社がほぼ管理しています。自治領主や使節が落命しても最初に発見するのも、状況調査するのも彼らです」

「っ……!」

 

 私はその言葉の意味を理解して舌打ちする。自治領主が死ねばそれだけで借款交渉は終わりだ。しかも使節も死ねば……いや、唯死ぬだけなら良い。例えば自治領主を殺害した下手人扱いして逮捕しても、その場で射殺しても良い。兎も角もどのようなスキャンダラスなシチュエーションをセッティングするのも彼らの自由という訳だ。

 

「随分と過激な手だな?リスクが高過ぎないか?」

「それだけ追い詰められている、と考えるべきでしょうな。時間が立てばその分、彼の外堀は埋められます。ならば多少無理矢理でもそれどころの話ではない事態にするしかないと考えたのでしょう。バグダッシュ少佐からの話を聞くに、恐らく私が大佐と鉢合わせしたのが決め手です。アイリスの家で我々が会談を始めた頃に高等弁務官事務所に連絡が来たそうですよ。大急ぎで自治領主に進言したのでしょうね」

「それはまた……随分と急な事ですね」

 

 尤も、偶然とは思えない事ばかり起こるスペンサー氏からすれば文字通り必死なのだろうが。

 

「少佐、これってひょっとして不味い事態?」

「えぇ、確実に不味い事態ですよ」

 

 だよなぁ……。

 

「使節や高等弁務官事務所に警告出来そう?」

「通信センターは既にスペンサー氏の影響下でしょう。当然盗聴されているでしょうし、危なくなれば無線を切られます。すぐに我々の居場所は逆探されるでしょう。自治領首府に向かった使節も、我々も殺されます」

「だよなぁ……」

 

 時間がない上に監視されているとなると下手に同盟政府と接触するのは藪蛇になるか……。

 

「各地に点在している諜報機関の要員ならば動かせない事もありませんが少数に留まります、武装も軽装でしょう」

「とは言え、自治領主と使節の保護をしない訳にはいかないしな……。自治領主補佐官殿、一応聞きますが自治領主府に抜け道とかありますかね?非常用の脱出口とか」

「私が口にするとお思いで?」

「その返答、あるって事ですよね?」

 

 寧ろ無いと考える方が可笑しい。フェザーンの中立は常に薄氷のものであり、歴代自治領主は常に同盟と帝国の軍事侵攻に備えて来た。原作のルビンスキーの隠れ家のような場所はそれこそダース単位であるだろうし、自治領主府の主要施設には秘密の部屋や抜け道もゴロゴロあるだろう。

 

「このまま行けばかなりの確実で自治領主が代替わりする事になります。そして空いた椅子に座るのは貴方ではないでしょう。スペンサー氏が自治領主となれば貴方は粛清されます」

「………」

 

 私が突き付ける事実に不敵な笑みを浮かべる黒狐。正直、かなり彼も追い詰められている筈なのだが……こういう危機的状況ですら楽しめるとは神経が図太い事だ。

 

「私が協力した場合の見返りは?」

「少佐?」

「私に振るのですか?」

 

 ルビンスキー氏の質問を私はそのまま少佐に振る。いや、だって私に権限あるの?

 

「それこそ私にあるとお思いで?」

「想定位はしてるだろう?」

 

 私は嫌みたらしく尋ねる。少佐は苦虫を噛むように口を開く。

 

「察しが良いのか悪いのか、どちらなんですかね?……補佐官殿が情報の一部を隠匿していた事実については不問とします。そして、仮にワレンコフ氏が死亡した場合は同盟政府が貴方の支援をすると約束しましょう。表側からも、裏側からも」

 

 最後のその点を強調するバグダッシュ少佐。

 

「確約出来ますかな?口約束なぞ信用出来ませんからな」

「その点については……」

 

 ちらりと少佐は私を見やる。おい、止めろよ此方見るなよ。黒狐、てめぇも見るな。

 

「………」

「………」

「…………ちっ、てめぇら都合が良い時に私を使いやがって……!!」

 

 私は立場上絶対に借款交渉を成功させなければならない立場である。つまり断れない立場だ。こいつら、その事見越して足下見やがって……!!

 

「ああ分かったよ!!判子でもサインでも血判でも何でもしてやるよ、糞っ垂れが!!」

 

 私の半ば投げやりに吐き捨てる言葉に少佐も補佐官もニッコリ微笑む。こいつら鼻へし折ってやろうか?

 

「まぁ、それも全ては本題が解決されなければ意味が無い訳だが………」

 

 準備万端とばかりにルビンスキー氏が差し出す契約書の内容を熟読しつつ、私は肝心の人手について思索する。同盟軍に対する連絡は当然無線傍受されているだろうから困難、同盟政府と繋がりの深い民間軍事会社も同様だ。となるとどこから人手を集めるか………。

 

「あった」

 

 暫しの間悩む私は、そこで一つの案を思い付いた。にやりと私はベッドに座る男爵に視線を移す。男爵は私が注目した事に怪訝な表情を浮かべる。

 

「復讐は高貴な血の欲する所、だったか?」

 

 嘲笑気味に私は門閥貴族の間で当然のように認識される信条を口にした。

 

「男爵、未遂でもそれは該当するかな?」

 

 私の質問に対して男爵は僅かに首を傾げ、次いで合点がいったように苦笑いを浮かべる。

 

「おいおいお前さん、結構性格悪くねぇか?」

「お褒めの言葉と受け取っておくよ。……その様子だとセーフだよな?」

 

 私の問いに男爵は肩を竦める。つまりそういう事だ。私は足の痛みを我慢しながら立ち上がる。足元の家主様が文句を言うのを適当に宥め、若干激痛で涙目になりながら私は補佐官を見やる。

 

「だそうですよ。自治領主補佐官、携帯端末をお貸し下さいませんかね?……少し連絡を入れたい人物がいましてね」

「先程言った通り、高等弁務官事務所に連絡するのはお勧め出来ませんが?通信センターに入り込んだ相手方が監視しているでしょう。恐らく逆探された上で途中で通信を切断されます」

 

 サインをした契約書を押し付けた後、私は手を出して携帯端末を寄越すように尋ねる。そんな私に警告する黒狐殿。なぁに、それくらい理解しているさね。

 

「余り私を馬鹿扱いしないで欲しいんですけどねぇ。まぁ、貸して見ろってな?」

 

 そう言ってルビンスキー氏から携帯端末を半ば無理矢理に受け取る。

 

「……通信費はそちら持ちでお願いしますよ?後で領収書を発行します」

「滅茶セコいな、おい!?」

 

 補佐官の言に突っ込み、携帯端末にとある携帯番号を打ち込んで通話ボタンを押し耳元に当てる。

 

 着信音が鳴り響き、暫しの時間を置いて電話の向こう側の人物が通話に出てくる。

 

「ああ、ボルテックさん?御言葉通り欲しいものがあるんで電話したんだが?……まぁまぁ細かい事は気にしないで。……そんな事よりも今すぐ営業マンを派遣して欲しいんだよ。ああ、三〇分以内にな。なぁに、こう言えば直ぐに彼らも動くよ。『オーナーに対する汚名返上のチャンスをやる』って言えばな?」

 

 私は相手の立場や事情を一切無視する我が儘放蕩貴族らしくそう言い放ったのだった……。

 

 

 

 

 

「はははっ!!あははっ!!!あははははっ!!!お前達っ!!見たかっ!!?あれをっ!!あのショーをっ!!最高じゃないかっ!!素晴らしいっ!!素晴らしいっ!!最高のショーだったじゃないかっ!!!」

 

 スラム街に建てられたコンクリート製の古い建物の屋上でマクシミリアン・フォン・カストロプは狂ったように笑う。嗤う。狂喜する。  

 

 周囲に控える執事も、女中も、護衛も、誰もが無言で反応せずただ静かに佇み沈黙を守る。ここで反応するのを主君は別に求めていない事位理解していた。

 

「あれだけの敵の銃撃を避けて反撃して見せるとは素晴らしいっ!!しかも見たかねあの横入りしてきた車をっ!!最高に盛り上がるタイミングじゃあないかっ!!しかも!しかもだぞ!?あの男、私の撃った弾を避けてくれたと来ている!!あはははっ!!止めの弾を外したのはいつぶりだろうなっ!!?」

 

 マクシミリアンはその端正な顔をひきつらせ、狂ったように笑う。いや、明らかにその精神には濃厚な狂気が含まれていた。

 

「最後はあのカーチェイス!!はははっ!!あんなショー、どこのサーカス団に大金積んでも見られんぞ!!お前達、ちゃんと録画保存はしただろうな?くくくっ!!新無憂宮のほかの貴族が羨むぞ!!あんなショーを生で見る事が出来たのだからなっ!!」

 

 ビデオカメラでスラム街で起こった騒動を最初から最後まで記録していた使用人にそう叫びながら確認を取る公世子。使用人達は一言も発さずただ頭を恭しく下げる事で主君の質問に返答する。

 

「くくくっ、これは久し振りに心踊る狩猟が出来そうだな!」

 

 心底楽しそうな笑顔を浮かべるマクシミリアン。何せ亡命したとは言え門閥貴族、しかも大貴族にして権門四七家に名を連ねる家の嫡男が狩りの対象なのだ。

 

 これまでも莫大な財産を費やし二、三度門閥貴族に名を連ねる人物を使い狩りをした事はある。しかしそれも男爵家か精々子爵家……それも没落した一族の末席が限界だ。そんなもの、舌のこえきった彼にとっては三流の獲物でしかない。それに比べれば今回の獲物は正に極上だ。

 

『グルルル………』

「おお、お前達も楽しみか?くくく、分かるぞその気持ちはなっ!!」

 

 足下に駆け寄って来た二体の『猟犬』が上げる唸り声に応揚に頷く公世子。これまで幾度も狩りの勢子役に連れ出した彼らにもちゃんと役割を与える事を彼は教える。

 

「さて、そろそろここは引き払うとしよう。……ああ、下の奴らには代金を払ってやれ。これからも御父上を宜しくとな」

 

 思い出したように面倒そうに執事にそう命じるマクシミリアン。カストロプ公爵家の密輸事業の下請けを受け持つ数多い犯罪組織の一つであり、今回の公世子の道楽のために脅迫され、その構成員を動員し数多くの犠牲者を出した『カラブリア・スピリット』に対して彼は既に関心を失っていた。既にこの公爵家の嫡男にとって全ての関心は逃げた獲物の行き先に先回りし、どうなぶり、苦しめ絶望させるかしかなかった。

 

 高笑いを浮かべながら公世子は鎖を手にし、少し前に熱い珈琲を頭からぶっかけられた『ペット』の横腹を全力で蹴り上げる。骨の折れる嫌な音が鳴り響き子供の咳き込み胃液を吐き出す音が夜空に木霊する。身長一八四センチメートルの均整の取れ、引き締まった恵まれた体格から放たれたフルスイングの蹴りは大の大人ですら無事ではすまない。ましてその靴には鉄が仕込まれていたのだから尚更だ。

 

「さっさと歩け。移動するぞ?」

 

 咳き込み、嘔吐する『ペット』にそう笑顔で嘯くとそのままコンクリートの床に引き摺るように『ペット』鎖で引っ張っていくマクシミリアン。その後ろを使用人達はただただ無言でついていく。

 

「ふふっ、それではそろそろ本番と行こうか?……最高の舞台を用意してやるのだ、失望させてくれるなよ?」

 

 性格破綻した青年貴族は、獲物のこれから向かうだろう場所を予想し、そしてそこでの狩猟に思いを馳せて、恍惚の笑みを浮かべるのだった………。


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