帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五十九話 ゲームは皆でした方が楽しいよ!

 彼にとって、世界というものは穏やかで、静かで、優しくて、詰まらないものであった。

 

「ねぇ、これもうあきちゃった。ほかのおもちゃほしいな」

「分かりましたわ、皇子様。次はどんな玩具がお望みで御座いますか?」

 

 広い、沢山の玩具で山積みになった部屋で彼が我が儘を言えば、乳母や女中達が笑顔を浮かべ、恭しく答える。

 

 どれもこれも高級なオーダーメイドの玩具であり、しかも彼の元に与えられて数日しか経っていない、それをもう飽きたといって一欠片の関心も示さない子供を本来ならば叱りつけるのが当然であるのだが、残念ながら彼を叱りつけるような存在はこの場には存在しなかった。

 

 当たり前の事だった、少なくとも彼を世話する三ダースに及ぶ使用人達にとっては『この程度の事』で神聖不可侵なる銀河皇帝の血を引く少年を叱りつけるなぞ、想像の外の発想であった。

 

「……なんでもいい。おもしろいのがいい。ここのじゃつまんないもん。おもしろくない」

 

 絹の生地に金糸を編み込み、宝石を嵌め込んだ軍服をモチーフにした子供服を着た端正で可愛らしい少年はしかし、何でも言う事を聞いてくれる使用人達の発言に不機嫌そうに拗ねると、そう言い捨ててプイッと玩具の山に向かって行ってしまう。少年にとっては彼ら彼女らの言葉なぞ何度も聞いており、期待していなかったからだ。だから仏頂面で玩具の山に座り込み、視界に映りこんだ近場の玩具を適当に弄び、頬を膨らませて乱暴に放り投げる。

 

「つまんないなぁ」

 

 おおよそ、望み得る物であれば殆んど何でも手に入る恵まれた立場にある少年は、しかし心底うんざりした表情でそう呟く。彼にとって、何物も、何者も詰まらないものであった。

 

 欲しい物は何でも手に入る。食べたい物は何でも食べられる。思い付いた事は何でも実現出来、周囲の人々はどんな事でも言う事を聞いてくれる。遊び相手が欲しければ幾らでも従順で年の近い家臣が用意される。しかし、彼にとってはそれは詰まらないものだった。

 

 恵まれた立場なのは幼いながらも聡明な彼の頭は理解していた。だが、それでも彼の心の内には明らかな欲求不満があり、何かを渇望していた。そして問題はそれが何なのか年の割には賢くはあっても、まだまだ拙い思考しか出来ない子供である彼には言語化する事も、自覚する事も出来なかった事だ。

 

 それ故に彼はそのやり場のない不満に不機嫌になり、不必要に物を欲しがり、そしてそれが望む物でないと理解すると直ぐに関心を失ってしまうのだ。そして周囲の大人達もまた、少年が何を欲しがっているのかを理解せず、ただただ従順に物を与え続けるだけだった。

 

 ハリセンボンのように頬を膨らませて、拗ね続ける少年は、しかし暫くすると自室の扉の向こう側が騒がしくなるのに気付いた。そして壁に掛けられたクラシック時計の針を見やるとその事に気付いて立ち上がる。部屋の扉が開いたのはほぼ同時の事だった。

 

「お、アレク!ここにいたかぁ!御姉様が来てやったぞぅ?」

「あうぐすたねえさま!」

 

 恐らくは宮殿の近衛兵達の訓練に(勝手に)参加したすぐ後なのだろう、上着を脱いで薄着に汗を拭いたタオルを首に掛けたラフな姿の姉……それも一番歳が近く問題児との評判の……が豪快な笑い声と共に現れる。周囲では女中達が立ち眩みしそうな顔で慌てて姉の汗や訓練で付いた汚れを拭き取り、ゆったりとしたドレスを着せようと群がっていた。

 

 深雪色の鮮やかな長髪に紅玉を思わせる鋭い瞳、男勝りな所がある顔立ちは多くの美姫の血を取り込み続けた黄金樹の血脈を確かに引いているのだろう、逞しさと美しさを見事に調和させていた。その白い肌は当然のように染み一つ存在しない。

 

 大股で歩く度に揺れる豊かな胸元に細い線を描く腰、そして引き締まった臀部は薄着の上からでもその魅力的な女性美と健康美を兼ね備えた彼女の体格を十二分に連想させる事が出来る。正直、それだけでも大抵の男性には目に毒であっただろう。

 

 無論、当の本人は自身の身体を隠そうとする女中達を無視しながら屈託のない笑みを浮かべてずけずけと異母弟の部屋に当然のように歩を進める。余り女性としての意識が強くなく、しかも相手が幼い弟ともなればさもありなんである。執事等も周囲にいたが彼女にとってはそんな爵位も持たぬ下賤の者共なぞ『人の数に入らな』かった。

 

 当然ながら彼の方も歳が歳であり、また相手が母が違うとは言え血を分けた実姉となればその姿に特に感情を揺さぶられる事はなかった。美女に見慣れており、しかも淑女と言うべき性格の者が多かったのも一因だろう。

 

 それでも笑顔を向けて少年が姉の元に駆け寄るのは数多くいる周囲の人々の中で、比較的彼女が『楽しい』人物であったためだ。純粋無垢で、豪快で負けず嫌いな彼女との時間は少なくとも少年にとっては心から楽しめる時間であったのだ。

 

「おうおう、そんなに必死に駆け寄って可愛い奴め!」

 

 にかっ、と満面の笑みを浮かべて、姉は駆け寄って来た弟の頭を乱雑に撫でる。一見乱暴なそれも、しかしその立場上滅多に頭を撫でられる事がなく、数少ない少年の頭を撫でる事が出来る者達も恐る恐ると、あるいは優しく慎重にする事が多いために、撫でられる本人は寧ろ新鮮に感じられた。

 

「ふわっ……!へへっ、おねえさまくすぐったいよ!!」

「にひひ、嘘は駄目だぞぅ?これが大好きな事位よーく知ってるんだからなぁ?」

 

 ワシャワシヤと頭を撫でられ子供らしい嬌声を上げる弟に姉であるアウグスタは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。家族思いの姉はいつも不満げで仏頂面の弟が心から楽しそうな声を上げる事に機嫌を心底良さそうにする。

 

「さて、今日はな。お前さんに新しい友達に会わしてやろうと思っていてな」

 

 弟の頭から手を離してから第三皇女は腕を組んでしたり顔をする。少年はそんな姉の言葉に首を傾げる。

 

「ともだち?」

「ああ、私の尊敬する従姉様の子供でな。まぁ、少し気難しいが同い年だし家柄も良い。きっとお前とも気が合う筈だぞ?」

「えー」

 

 異母姉の言葉に、しかし少年は懐疑的な声を上げる。大好きな姉の紹介とは言え、変わり者の姉の紹介でもある。それに既に多くの友人のいる彼にとっては今更そんなものに魅力を感じられなかった。どうせ、ほかの友人と似たようなものだろうと予想をつけていた。

 

「おいおい、そんなに幻滅するものじゃないぞ?まずは会ってから考えてもいいと思うぞ?それに……こういっては何だが少し気難しくてな……。

 

 どうやらその人物は余りほかの同世代と仲良くないらしい。もしかしたらこの紹介は寧ろ従姉が自身の子供に友人を作らせるためのものではないかとすら少年は訝しむ。

 

「うーん、わかったよ。おねえさまがそういうなら……あうだけだけど」

 

 暫し考え込んでから、少年は答える。別に紹介される友人に期待はしていないが大好きな異母姉のためならば会う位なら我慢しよう、と考えたためだ。 

 

「!そうかそうか!!よしよしっ!!やっぱりお前は良い子だなぁ!」

 

 一回り以上年上でありながら天真爛漫な子供のように、はっきりと感情を表に出して姉は喜び、弟を抱き締める。

 

 この姉の喜びようだけで少年は面倒な顔合わせも我慢しようと素直に考える事が出来た。好悪の感情を分かりやすく浮かべ、家族思いで表裏のないこの姉の性格は大人らしくない代わりにガキ大将のように同い年や年下の子供の好意を良く集めるようだった。

 

「うぅん……おねえさま、すこしくるしい……」

 

 尤も、流石に窒息しそうな程強く抱き締めるのは止めて欲しかったが。

 

「おお、すまんすまん。さて……ヴォル坊!此方に来なさい!お前に良い友達を紹介してやるぞ!!」

 

 心から苦し気に呻く弟の声に慌ててアウグスタ皇姫は抱擁を止める。そして大声で部屋の外に控えているらしいその子供に呼び掛ける。

 

「わか……およ……」

「いや……そんな……かって……」

「?」

 

 姉の呼び掛けと共に扉の向こう側では何やら言い争い……いや、正確には一方がもう一方に対して愚図るような囁き声が聞こえた。少年はその事に再び首を傾げる。これまで歳の近い子供が紹介される時は大抵呼び掛けと共に緊張した態度で入室して来るのだが……。

 

「分かったよ……糞っ!」

 

 何やら根負けしたような疲れきった口の悪い声が響き、若干大きい足音と共にその人影は室内に入室した。

 

「あー、ティルピッツ伯爵家のヴォルターって言う。一応ここでは初めましてって言うべきかな?って……げぇっ!?」

 

 入室した育ちの良さそうな端正な、しかし目付きが悪い少年は半分程投げ遣り気味に自己紹介をし、同時に彼の顔に視線を向けたと同時に蛙が死ぬような声と共に驚愕の表情を浮かべる。

 

 それが彼の恐らく一番の、そして最も気負いなく、飾り気もなく付き合える旧友との最初の出会いで……。

 

 

 

 

 

「っ……うたた寝してしまったかな?」

 

 高級地上車の走行による僅かな揺れにアレクセイ・フォン・ゴールデンバウムは夢の世界から現実に引き戻された。どうやら疲れが溜まっていたらしく、暖房の効いた暖かな車内の気持ち良さに意識を手放してしまったらしい。未だ若干ぼやける視界はフェザーン・セントラルシティの煌びやかな夜景でチカチカと輝いている。

 

「綺麗なんだろうけど、あのネオンの光は少し目に悪いね」

「全く下品な光です。フェザーン人には調和や品性と言った美意識が足りませんな」

「左様、明るすぎて喧しいものです」

 

 正面に座る銀河帝国亡命政府の護衛を兼ねた書記官達は大公の発言に頷きフェザーンの町並みに不快感を示す。彼らにとってフェザーンは堕落し、退廃し、下品な事この上ない存在であった。

 

「ははは……」

 

 別にそこまでは思っていないのだが、と内心で呟きつつアレクセイは再度外の景色を見やる。眠らない街とは良く言ったものだとアレクセイは街の輝きに関心する。

 

「それより、ヴォルター……ティルピッツ大佐の身柄はどうだい?」

 

 ぼんやりと夜の街を観賞しつつ、大公は尋ねる。書記官達は互いの顔を見合せ、気まずそうな表情を浮かべる。

 

「我々、それに市民軍の諜報員が捜索を続けております。ですがやはりこの広いフェザーンで内密に探すとなりますと時間がかかりますので……」

「そうか。いや、分かっているよ。我が儘を言ったね。忘れてくれ」

 

 数時間に一度は質問している事を自覚しているアレクセイは苦笑いを浮かべ、部下に質問した事を無かった事にするように命じる。同時に内心で自身の落ち着きのなさに呆れ返る。

 

(やれやれ、らしくない。どうせ本人は結構気楽そうにしているんだろうねぇ)

 

 旧友のどこか庶民的な一面を思い浮かべアレクセイは嘆息する。尤も、旧友がこういう事に巻き込まれたからには簡単には終わらない事もまた彼は熟知していた。

 

 ふと、そんな事を考えている内に地上車は緩やかに停まる。気付けばそこは地上四〇階地下二五階建てのセントラルシティの自治領主府ビル前であった。その周囲には完全武装した傭兵と装甲車両群、ドローンが展開しテロや襲撃に備える。

 

「どうやら着きましたな」

 

 書記官の一人が答える。

 

「ああ、そのようだね。……自治領主直々のお出迎えとはね」

 

 地上車の窓越しにアレクセイは自治領主府ビルの出入口前で複数のボディーガードを周囲に侍らせて佇むフェザーン民族衣装に身を包む老人を見つける。

 

「待たせる訳にはいかないな。……行こうか?」

 

 そう微笑みを浮かべ、アレクセイは自動で開いた地上車から降り立ったのだった……。

 

 

 

 

 

 

 フェザーンは表面の凡そ六割を海が占め、残る陸上の大半は乾燥した岩盤と砂漠に覆われた惑星である。それ故に、フェザーンは銀河連邦中期に入植が開始されて以来、常に緑化事業が推進されてきた。

 

 所謂『表街』はフェザーン入植最初期に緑化事業が進められた肥沃な沿岸部が中心であり、内陸部においては移民規制法成立以前は増え続ける人口対策のために灌漑設備と地下水による点と線のオアシスが開発され続けた。移民が規制されフェザーンの(表向きの)急速な人口増加が停止した後は大規模な開発はその殆どが凍結、一部放棄されたオアシス等は『裏街』の一部に飲み込まれた。

 

 それでも緑化事業が完全に停止した訳ではない。主に観光用・富裕層居住用のリゾート地としての運用を主目的に、自治領主府や企業は細々と緑化事業を進めて来た。

 

「とは言え、予想した通りそれだけが目的じゃあないという訳だな?」

 

 沿岸部の『表街』からも治安の悪い『裏街』からも若干距離を置いた緑化事業開発地区、砂漠のど真ん中に広がる八〇〇平方キロメートルに及ぶ湖と森林によるオアシス地帯……表向きは開発途中のためドローンにより立ち入り禁止となっているその地域の奥に、観測衛星からも見えないように偽造された広く豪華な邸宅が佇んでいた。

 

「ワレンコフ自治領主の指示で建てられた非常用のセーフハウスです。無論、自治領主府が隠し持つ数多くある施設の一つに過ぎませんがね」

 

 我が物顔で電磁キーで邸宅の玄関扉を開いて中に立ち入るルビンスキー氏である。中は貴族の邸宅と言わんばかりに華美な内装と家具で彩られ、秘密基地と言うよりかは金持ちの別荘である。

 

 ルビンスキー氏の案内で辿り着いた何となくOVAで既視感のあるこの邸宅は、フェザーンのセントラルシティの自治領主府省庁街の近隣から地下通路で繋がっている秘密基地であるらしい。電気と通信は巧妙に細工されながら発電所や通信基地と繋がっており、フェザーン各地の様々な情報をここで知る事が出来る。地下には核シェルターや政府移転用の各種設備、武器庫に食糧庫、自家発電機等も備わっているようで、どうやら最大数百人が数年立て籠もる事を想定して設計されたようだ。恐らく原作の黒狐はこの邸宅で金髪の小僧を標的としたテロや陰謀を計画していたのだろう。

 

「お、このソファー結構いい品じゃねぇか!んじゃ俺らは寛がせてもらうぜ?」

 

 まるで自身の家であるかのようにリビングのソファーに愛人を膝に乗せて大の字で座り込むブラウンシュヴァイク男爵である。つい先ほどまで命狙われていたのにこの態度、神経が図太過ぎない?

 

「んな事言ってもよぅ。俺はお前さん達と違ってこれと言ってやれる事もないし?何より育ちが良くてね、もうへとへとだから後はまったりと休憩したい訳よ。あ、腹減ったから誰か食い物と飲み物持って来てくれない?」

 

 育ちが良いというよりもゆとりなだけではないか?等と内心で私は呆れかえる。無論、実際男爵が実務的な意味でこの場において殆ど役に立たないのも事実ではあるが……。

 

「セーフハウスと言いますがスペンサー氏はこの場所の事は?」

「無論、彼もこの場所の事は知りませんよ。確かに彼はワレンコフ氏の後継として有力視されてはいますが、それでも全ての機密に触れられる訳でもない。そもそもこの施設の建築の実務指揮は自治領主から私に命じられたものですからな。無論、建築資金も帳簿上偽装してますし、実際に開発した会社は自治領主の親戚がオーナーをしている所で、作業の大半はドローンで、現場労働者にも嘘の計画で働かせましたので位置がバレる心配はありませんよ」

「成程」

 

 懸念を口にするバグダッシュ少佐に対して黒狐は自信満々に答える。実際、私の記憶が確かなら帝国軍の来襲後も相当長期に渡ってこの屋敷に潜伏していた筈だ。機密保持体制はかなり巧妙にされていたのだろう。

 

「とは言え、これでこのセーフハウスはもう駄目ですがね。やれやれ、機密保持のために随分と苦労したのですが……」

 

 同盟の諜報員に帝国のブラウンシュヴァイク一族の放蕩貴族、亡命政府の大貴族出身の同盟軍人に知られたのだ、実質的にこの隠れ家の価値は失われたに等しい。加えて言えば、これから更に多くの者達に知られる事になる。

 

 警告音のサイレンと共にリビングの天井から収納式の液晶画面が下りて来る。受像すると、そこには外のオアシスを進むトラックの列が映り込む。ボルテック一等理事官はどうやら優秀な官僚らしい。注文の商品は時間ぴったりに来たのだから。

 

「さてさて、それでは期間雇用社員の出迎えに行きますかね?」

 

 出迎えと共に銃撃されない事を祈りながら私は屋敷の外に向かう。

 

「私も御供しましょう。仮に襲撃された場合は……」

「ああ、足止め頼むよ。とは言えスムーズに行くのが一番だが……」

 

 少佐はスタジアムで腕を、私はカーチェイス中に足を負傷している。対して彼方さんはスタジアムと違って猛獣の襲撃もなく、ましてスラム街と違って素人集団でもなかろう。もし駄目だった場合は諦めるしかない。

 

「という訳だ。皆皆様、自分の身は自分で守ってくれ……ん?その手は何ですかね?」

 

 リビングに残る補佐官達にそう言って出迎えに向かおうとした所を扉を遮る人影。偉そうに佇む家主様は右手を開いて此方に差し出す。

 

「自分の身は自分で守れ、でしょ?そろそろ私のブラスター返してくれないかしら?」

 

 不機嫌そうに宣う家主様である。成程、そりゃあ失礼。

 

「これは申し訳ありません。序でに家の弁償費用も支払った方が良いですかね?補佐官、立て替え出来ますか?今手持ちの現金無いんですよ」

「この屋敷の金庫に有事に備えた現金と換金用の貴金属がありますよ。ご案内しましょうか?後で伯爵家に請求書は出しますがね」

 

 私の質問にルビンスキー氏が答えてくれる。そりゃあ一安心だ。

 

「だそうです。弁償費用を確保した後は念のため下のシェルターにでも隠れておいて下さい。多分大丈夫でしょうが安全第一で考えるに越した事はないですからね」

 

 私はバラック小屋での銃撃戦の時に拝借したハンドブラスターを腰から抜き出すと家主様に返し、助言する。私としても彼女には色々と迷惑をかけた意識がある。今回の一連の騒動に巻きこまれた善良な一般人を……少なくとも直接的に関係のない彼女をこれ以上危険に晒す気はなかった。

 

 私からハンドブラスターを受け取った家主様は私の言に何故か不機嫌そうな表情を浮かべる。そしてまずハンドブラスターを見て、次いで黒狐の方を見て、最後に私を見やると押し付けるようにハンドブラスターを返す。

 

「フロイライン?」

 

 私が怪訝な表情を浮かべると腰に手を置いてふんぞり返るような態度を浮かべる家主。

 

「気が変わったわ。私だって相手の命の危険がある時に我を通す程子供じゃないわよ。どれ位役立つかは知らないけど、もう少し持ってなさいな。後!間接的であれ、あの糞野郎からお金を貰うなんてまっぴら御免よ!?支払いは貴方が直接しなさいな」

 

 そう言い捨てると男爵様達から少しだけ離れた別のソファーに勢いよく座り込み、首をくいっと振る。さっさと行け、と言った事だろう。

 

「……配慮が至らず申し訳御座いません」

 

 恭しく社交辞令を返した後、ハンドブラスターを再度借りて腰に差し込み、私は出迎えの準備に向かった。これは弁償に利子が付きそうだな、と冗談半分に思い浮かべ、私は肩を竦めるのだった。

 

 

 

 

 

 

「ブラウンシュヴァイク男爵殿との共同依頼者たるティルピッツ伯爵家伯世子ヴォルター様で御座いますね?ユージーン&クルップス社より委託依頼を請けて派遣されました現場責任者アントン・フェルナー中佐であります。此度の職務、宜しく御願い致します」

 

 隠れ家の庭先で妙に薄っぺらさを感じる敬礼と共にブラウンシュヴァイク家が筆頭株主であるフェザーン民間軍事会社の一つユージーン&クルップス社から派遣された士官は名乗りを上げた。その背後では市街地・室内・閉所戦闘等を想定した装備で控える特殊訓練を受けた軽装歩兵凡そ二個小隊がトラックから降り立ち整列して並ぶ。

 

「こりゃあ、また………」

「大佐?」

「あ、いや、なんでもない。……御苦労。時間通りか、迅速だな」

 

 あっけに取られた表情を浮かべる私に怪訝な視線を向ける諜報員。私はすぐに気を取り戻してそう答えた。

 

 ……此処でお前さんが出てくるのかよ、と言いたくなったがその言葉は口にしない。そんな事言っても隣の諜報員は無論、目の前の傭兵にとっても意味不明であるし、無用な不信感を与えるだけだろうから。

 

「即応部隊ですので数こそ残念ながら少数に留まります。ですが練度は実戦を幾度も潜り抜けた精兵ばかり、大佐殿の御要望に最大限叶えられると我が社としても自負しております」

 

 私の言葉を数の少なさへの苦言と受け取ったのか、部隊長兼営業マンであるフェルナー中佐は宮廷帝国語で恭しく答える。いや、別にお前さんか率いているから部隊の実力の面での心配は余りないのだが……。

 

(これは流石に予想外だったな……)

 

 私は気付かれないように目の前の傭兵を観察する。勝ち気で、不敵な表情を浮かべる若く端正な男はしかし、ある意味で原作の最重要人物の一人である。

 

(まさか傭兵を注文したら義眼の右腕がやって来るなぞ考え付く訳ねぇだろ……いや、経歴からしたら可笑しくはないのか……?)

 

 私は混乱しそうになる思考を一旦落ち着かせて、改めて現状についての整理を行う。

 

 人手が欲しく、しかし同盟軍は勿論、同盟やフェザーンの息のかかった傭兵すら情報漏洩や通信傍受の危険で頼れなかった私が頼ったのは逆転の発想だった。即ち、帝国の息のかかった、しかも確実にカストロプ公やスペンサー氏と繋がりのない会社から傭兵を雇う事だ。そしてその白羽の矢が立ったのが『ユージーン&クルップス社』であった。

 

 統制派の首魁たるブラウンシュヴァイク家が株式の過半数を所有するフェザーン民間軍事会社『ユージーン&クルップス社』は当然株主の性質上カストロプ公爵家やスペンサー氏、自治領主府を警戒した防諜体制を敷いているだろう。その上、彼らは有事の際にブラウンシュヴァイク一族の一員である男爵の救助と警護を請け負う契約を結んでいた。

 

 そんな彼らの現実はと言えばスタジアムで救助に失敗し、その後護衛対象は行方知れず、救助部隊を殺害し護衛対象を襲撃した輩の正体は分からず報復も出来ない状況がこの数日続いているという状態であった。はっきり言おう、大失態である。

 

 オーナーたるブラウンシュヴァイク一族から相当の抗議が来て、しかも醜態からほかの契約先からも悪評が立ち会社の株価は九パーセント、事業収益も僅か数日の内に五パーセントも下落したらしい。彼らからすれば緊急事態そのものであっただろう。

 

 そこにフェザーン自治領主府一等理事官ニコラス・ボルテック氏を仲介して私は彼らに接触しこう伝えた。即ち、ブラウンシュヴァイク男爵の身柄の無事、そして彼らに対する下手人への報復の誘いをである。

 

 彼ら自身株主たる公爵への釈明のために、そして男爵自身に同じく報復の依頼を注文されれば選べる選択肢は一つであった。

 

(とは言え本当に誘いに乗るとはな。フェザーン企業はどいつもこいつも気が狂ってるな)

 

 報復の相手を伝えられ、しかも連絡してきたのが亡命貴族とは言え同盟軍人であるのに当然の如く誘いに乗るフェザーン企業の態度に私は今更のようにこの星の人間は拝金主義が極まっていると呆れ返る。

 

「ティルピッツ伯世子殿、此方我が社に初の御依頼を頂いた事への心ばかりの御礼で御座います。どうぞお納め下さいませ」

 

 私が現状の整理(現実逃避)をしているとフェルナー中佐はそう申し出て、傍らに控える副官が高級感溢れる木箱を差し出す。

 

「これは……」

 

 木箱の中身が開けられる。そこにあるのは義手であった。それもフェザーン製の高級品!

 

「スタジアムの監視カメラの映像を見るに、恐らく御入り用であろうと思いまして。オーダーメイドの品に比べれば質は落ちますが、どうぞ御容赦下さい」

 

 フェルナー中佐は詫びの言葉を口にする。確かに一人一人の体格と欠損状態に合わせた一品物に比べれば使い勝手では劣る大量生産品の義手ではあるが、それでも今の私のズタボロになった間に合わせ物に比べれば雲泥の差である。

 

「大佐、余り不用意に装着するのは……」

「いや、問題はなかろう。……有り難く頂こう」

 

 警戒するバグダッシュ少佐を宥め、私は直ぐに既存の義手を外すと代わりにコネクタに新品の高級品を接続する。次の瞬間に神経接続の鈍い痛みが走り、次いで右腕の感覚が復活する。

 

 指を、手首をくるくると回す。そこには殆どラグは無かった。

 

「良い品だな。……さて、時間がない。では手短に作戦会議とでも行こうか?後について来てくれ」

 

 取り敢えず顔合わせでいきなり撃たれる事は無かった事から『ユージーン&クルップス社』と背後に控えるブラウンシュヴァイク家一門は私の提案に本当に乗っかる積もりらしい事は分かった。なので私も警戒を解いて中佐と副官に即興で立てた作戦を説明するために屋敷の中へと誘う。少佐は先頭に、次いで私と中佐、中佐の副官の順で進む。

 

「……中佐は帝国風の名前だが、元は帝国軍人なのかな?」

 

 屋敷の廊下を進みながら私は極自然に、世間話の体で尋ねた。これから尋ねる事は今後の課題を考えると少なくとも私にとっては極めて重要な内容であった。

 

「元帝国軍人である、と言うのは事実です」

「含みのある言い方だな?」

 

 元帝国軍人、と言う経歴自体は珍しくない。フェザーンの民間軍事会社は同盟・帝国軍の退役や予備役入りした軍人、退職した警察官等を大量に雇い入れている。しかしこの物言いは……。

 

「アントン・フェルナーは帝国軍時代の通名です。元アスカリ軍団所属ですので」

「アスカリ?それはまた珍しい出身だな?」

 

 その用語から、原作でも触れられなかったこの男の前半生に私は若干の好奇心を混ぜて更に尋ねた。

 

 通常帝国軍に志願ないし徴兵されるのは帝国臣民のみである。それ故に自治領民や奴隷階級等は反乱の可能性も考慮して本来は兵士として取り立てる事はない。その数少ない例外の一つがアスカリ軍団である。

 

 自治領民及び奴隷階級、外縁宙域出身者、捕虜となった反乱勢力(同盟軍人を含む)からの志願兵を中核とするアスカリ軍団は帝国軍の補助部隊的存在である。

 

 思想的に問題無しと認可された自治領民・奴隷階級・外縁宙域人・反乱勢力軍兵士からの志願兵で編成されたアスカリ軍団は、当初は流刑地やに自治領での反乱が生じた際における鎮圧後の治安部隊としての役割が期待された。帝国軍が直接鎮圧後の治安維持を行と地元の市民感情を刺激する可能性が高く、また同じ奴隷や自治領民、反乱勢力等の思考や価値観を熟知している彼らは現地における宣撫工作に有効、更に言えばダゴン星域会戦以前の軍縮時代には歴代皇帝の自治領や奴隷階級に対する融和政策の一環でもあり、またその人件費の安さも手伝って予算削減に喘ぐ軍部は彼らを積極的に活用したとされる。

 

 対同盟戦争勃発以後は反乱の可能性もあり削減されたアスカリ軍団は、しかし第二次ティアマト会戦以降再度拡充が行われた。余りに甚大な貴族・士族・軍役農奴の喪失と財政的な損害を前に迅速な戦力再編を迫られた帝国軍は、平民の徴兵強化と共に安価なアスカリ兵の一時的拡充で部隊の頭数を揃えようとしたのだ。

 

 特にオトフリート五世の時代にはその総戦力を五〇〇万近くまで拡大させたアスカリ軍団は急速にその軍部内での発言権を強化した。尤も、それ故に帝国軍の主流派に危険視され、またその性質から保守的なリヒャルト大公と対立していたリベラル派のクレメンツ大公に接近、その後三諸侯の宮廷クーデターの余波を受けてアスカリ軍団は大規模な粛清を受けその規模を縮小させ、現在では最盛期の数分の一の規模を維持するばかりである。

 

「私は帝国臣民ではなくシリウス自治領出身の自治領民です。身寄りがなく、故郷ではまともに食える仕事もありませんでしたので志願しました。最初は兵士として雇用され准尉に昇進した後、戦場で会社の営業マンにスカウトされました。何せ捨て駒の殿を用命されましてね、そうでもしなければ今頃戦死していましたよ」

 

 さらりとエグい過去を暴露する中佐である。おい、そんな事原作で聞いてないぞ。しかもあのシリウスとは……。

 

 シリウス第五等帝国自治領は一〇〇余りある帝国自治領の中でも最も貧しく、内政が不安定でかつ、腐敗している事で有名だ。帝国史の中では曰く有りの惑星でもある。

 

「一兵卒から准尉に、しかもその年で……随分と早い昇進だな?」

 

 取り敢えず言いたい事は幾つかあったがその事は一旦脇に置き、まずはその事について触れる。前世の記憶等というものがなければまずはこの事に注目する事だろうから。

 

 アスカリ軍団の士官の大半は兵士の反乱を抑圧する事を目的として帝国軍の正規ルートから選ばれた者が着任する。自治領民や奴隷出身者もいない事はないが、圧倒的に数は少ない。それを傭兵になる前に既に准尉にまで昇進していた事実は彼が軍人として相当に優秀である事を証明している。

 

「別に嘘ではありませんよ?一応帝国軍時代には突撃勲章と狙撃勲章を頂いております。今の雇用先での経歴は後程会社に御問い合わせ下さい。とは言え、社外秘の仕事も多かったので結構黒塗りですがね」

 

 堂々と自身の能力と実績を自慢気に答える傭兵。それはまるで営業マンのセールストークのようだった。いや、訂正しよう、この後の発言から見て間違いなく、それはセールストークだった。

 

「……それで、私は伯世子様殿の一次面接に合格出来ましたかな?」

 

 此方の反応を楽しむように極々自然な態度で中佐は私にそう質問した。それは私の考えが読まれている事を意味していた。

 

「バレたか」

「たかがその場限りの派遣の傭兵に色々と聞いてくればある程度予想は出来ますよ。貴方の質問は経歴確認のような印象を受けますしね。無論、私としては都合が良いのですが」

「都合が良い?」

 

 不敵な笑みを浮かべるフェルナー中佐に対して私は首を傾げる。

 

「いえ、私も機会があれば転職をと考えておりましてね。今の職場は以前よりは好待遇ですが、所詮は雇われの傭兵ですから。出来ればもう少し遣り甲斐があって福利厚生が充実した職場に転職したいと考えているのです」

「ほぅ」

 

 フェルナー中佐の言わんとする事を私は理解した。同時に原作での行動も。

 

 この男にとっては別に帝国が祖国という意識はないのだろう。そして主君を次々と変える事もまたしかり、文字通り彼にとってはブラウンシュヴァイク公爵も、ゴールデンバウム王朝も、ローエングラム王朝だってただただ転職に過ぎないのだ。そこには他のローエングラム王朝の諸将のような理想はない。

 

 正直、その性格を理解して部下にしたいかと言えば敬遠したい所ではあるが……原作でのイベントを考慮すると彼にブラウンシュヴァイク公の所に転職してもらうのは止めてもらいたかった。

 

「それで?私はどうだ?」

 

 取り敢えず、現段階における彼の評価を尋ねる事にする。そもそも誘っても断られたら滑稽だ。

 

「まだまだ判断は保留と言った所でしょう。確かに福利厚生は良さそうですが職場と職務のミスマッチは避けたい、転職活動も経歴が多すぎれば採用先の信頼を損ねますからね。それに、貴方も雇用する労働者の能力を確認してからでなければ採用しようとは思わんでしょう?」

 

 飄々とした態度を取る機会主義者の傭兵。原作では恐らく福利厚生抜群であっただろうブラウンシュヴァイク公爵家に雇用されたこの男は、幸運にもどうやら私の事も転職先候補の一つとして見定めているらしい。

 

「一応聞くがブラウンシュヴァイク家から直にスカウトのオファーが届いたりした事はあるか?」

 

 私は確認のために尋ねる。

 

「いえ?出来ればオファーを貰いたいとは思っておりますがね。彼処は大手ですから、食客待遇でも福利厚生は最高です」

 

 若干怪訝な表情を浮かべて答えるフェルナー中佐。演技の可能性も否定は出来ないが……そこはまた後々調べれば良い。どちらにしろ、彼の存在は今後の事を考えれば手元に確保した方が得であろう。最悪既に公爵の唾つきでもリップシュタット戦役の時点でオーディンにいなければ十分だ。

 

(何にせよ、今の時点では捕らぬ狸の皮算用か……)

 

 まずは目の前の課題の対処が先である。原作スタート後の話はその後に考えれば良かろう。

 

「そうか。私も軍人である以上優れた人材には大枚を叩いてでも手元に置きたいと思っていてな。此度の君の仕事ぶり次第ではスカウトしようかと考えていてね。何せ社運を賭けた今回の仕事の受注、只の傭兵なぞ送るまい?」

 

 私の質問に肩を竦める中佐。

 

「ほぅ、初対面で随分と高評価ですな。期待に沿えるように努力致しましょう」

「そうしてくれ、此方としても失敗出来ない仕事でね。……どうやら到着だ。入ってくれ」

 

 バグダッシュ少佐がリビング兼作戦会議場に向かう扉を開き、私は先行し中佐らを招き入れる。ここからが本題であり、勝負になりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

「本当に大丈夫なのか?この策が失敗すれば我々は御仕舞いだぞ……!?」 

「今更何を言いますか?もう後に退けないのは御存知でしょうに。もう貴方には口封じを行ない、全てを混乱の中で揉み消す以外に道はない。違うかな?」

 

 うっすらと意識を取り戻した彼女……テレジア・フォン・ノルドグレーン中尉が耳にしたのはその会話だった。

 

(視界が……見えない……目隠しされている……?痛っ……頭がっ……!?)

 

 目覚めても尚、彼女の視界は真っ暗に染まり、神経の感覚が少しずつ戻って来ると共に頭に鈍い鈍痛が蘇る。身体の自由は何かに縛られ奪われているようで、何者かの会話が耳を通じてまだまだ思考の定まらない彼女の頭の中に響き渡る。

 

「それは……」

「それに卿が御父上を見限り次の後見人に乗り換えようとしている事も知っている。この事が発覚すれば帝国・同盟・フェザーン、何処にも卿の居場所はなかろう?」

「………」

 

 粘りけのある若い男の声に、もう一方の初老の男の声が沈黙する。

 

(これは……何の会話……?)

 

 未だに意識がはっきりしないテレジアは、しかし必死に会話の内容を覚えようと努める。殆んど本能的にその会話を聞き漏らしてはいけない事を彼女は直感していた。

 

「なぁに、安心するが良い。我が家にとっても卿のやろうとする事には益がある。だからこうして協力しているのではないか?いざとなれば我々は一蓮托生だ、逆に成功すれば御父上も卿の事を無下には出来まい。私が直々にこの場に来ているのだ、信用するが良い」

「……信用して良いのだな?」

「勿論だとも。何やら嗅ぎ回る犬がいるが……最悪我々にはこれがある、何の問題もない」

 

 苦い口調で初老の男が念押しすれば応揚に青年の声が応じる。その後幾度かの会話を交え初老の男のものだろう、何処か頼りない足音が響き渡り、それはゆっくりと離れていった。

 

「ふっ、アレは終わりだな。愚かなものだ、身の丈に合わぬ野望なぞ抱くからこんな事になる。賎しい生まれは賎しいなりに分を弁えれば良いものを、よりによって同じ下賎の皇子と手を組むとは。実に滑稽な事とは思わんかね?」

 

 若い青年が問い掛ける。それは周囲にいるのだろう者達に向けたもののように思われた。僅かに何かが動く擦れた音がした。恐らく御辞儀か何かで青年の言葉に応じたのだろう。

 

「ふっ、形式通りの同意か。全く、詰まらん奴らな事だな」

 

 恐らく型通りの返答であった事に僅かに嘲笑するように鼻白む音。そして足音が響き、それは彼女の元に近づいて来る。そして、青年は愉しげに叫んだ。

 

「さて、いつまで寝た振りをし続ける積もりかな、御嬢さんっ?」

 

 その声と共に彼女に掛けられた目隠しが強引に引き剥がされる。

 

「っ……!?」

 

 長時間闇に慣らされた彼女の瞳孔に広がったのは強い照明の光であった。それも真正面、それ故に彼女の視界は黒から白に塗り潰される。

 

「君が随分前から意識を取り戻していたのは分かっていたよ。ラーデン、薬を打ったそうだが予想よりも目覚めるのが早いな?どういう事かな?」

「少々お待ち下さいませ」

 

 そう言えば眩い光の中から人影が現れる。それは未だに意識が混濁する彼女の顔を下から掴み上げる。顔が近付き、それが意識を失う前に尾行していた老紳士のものである事を脳の片隅で彼女は理解した。老紳士は検分するように彼女を観察した後その手を離して恭しく答える。

 

「初歩的な薬物と暗示、洗脳に対する精神的耐性を付与されております。恐らく先程までの会話も全て深層心理のレベルで記憶しておりましょう」

 

 老執事は薬物を注射された彼女の口調や瞳孔の開き具合と動き等からそのように結論付ける。そして、それは間違いではなかった。

 

「ほぅ?流石に権門四七家に仕える従士家の名家だ、こんな小娘にもそういう調整を施しているのか」

「ノルドグレーン家と言えばティルピッツ伯爵家の諜報と治安部門に代表される一族です、その直系となればこの程度の初歩的な調整は寧ろ当然かと」

「ふむ………」

 

 老執事の言葉に興味深そうに顎を擦りテレジアを見下ろす公世子。

 

「まぁ、記憶がはっきりしているなら、それはそれで一興だ。これの絶望に歪んだ反応を見るのも面白い」

 

 にやり、と口元を凄惨に歪ませた笑みを浮かべるマクシミリアン。それはどこまでも加虐性に満ち満ちたものであった。

 

「鏡を持ってこい。あぁ、もう照明は要らん。消せ」

 

 その青年の命令と共に眩いばかりの光は消え失せる。そして、彼女は自身のいる場所が広いホールのような場所だと言う事を把握した。思考が定まらないまま、殆んど条件反射的に視線を動かしその場にいる者達の人数と顔を彼女は脳裏に焼き付ける。

 

(執事……女中……護衛……あの男は……カストロプ家の………)

 

 吟味するように自身を観賞する青年貴族をぼんやりと、しかしきっちりと記憶に覚えさせるテレジア。同時に何故この男が自分の前に姿を現しているのかという疑問が浮かび上がる。 

 

 だが、その疑問もすぐに忘れ去る。女中二人がかりで運び込まれ目の前に置かれた立て鏡に映りこむ姿を見れば……。

 

「っ……!!?」

「どうかね?一応プロにやらせて見たのだがね、やはり本物ではなく写真や動画越しでは微妙に違いがあるかな?遠目からなら誤魔化せるとは思うのだが……」

 

 目を見開き驚愕するテレジアとはうって変わり、気軽そうに放蕩貴族は宣う。

 

「貴様……うごっ……!?」

 

 鋭い眼光で青年貴族を睨み付けようとしたテレジアは、しかし次の瞬間布地で口に猿轡をされ強制的に発言を中断される。その姿を見てマクシミリアンはその端正な顔を機嫌良さそうに綻ばせる。

 

「おやおや、そんなに怖い顔をしないで欲しいのだがね、折角化粧したのにこれでは台無しだ。囚われのお姫様は大人しく、可愛げある態度をしてもらわんとな?やってくる獲物に失礼だろう?」

 

 猿轡されたテレジアの両頬を掴み、その顔を改めて観賞するマクシミリアン。それは人の顔というよりかは宝石やアンティークの質を確認する鑑定家のようにも見えた。いや、実際彼は彼女に一個人としての価値なぞ一ミリとして抱いていない。

 

「『代用品』でも磨けば見掛け位はどうにかなるものだな」

「っ……!!」

 

 マクシミリアンの放ったその言葉にテレジアは震え上がり、怒り狂う。それは彼女にとっては自尊心を土足で踏みにじる言葉であったから。特に今の彼女にとっては。

 

「ほぅ、これは……!」

 

 一方、マクシミリアンはそんな人質の姿を見て、その意味合いを理解して口元を愉しげに吊り上げた。それは新しい楽しみが増えた事に喜ぶ無邪気な子供のようだった。

 

「どうやら今回のゲームはとことん楽しめそうだな。結構な事だ」

 

 そう嘯くマクシミリアン、同時に遠くから何かが爆発する音と小さな震動が響く。天井の照明がチカチカと点灯をし、周囲の使用人達が青年貴族の周囲を守るように囲む。

 

「狼狽えるな、見苦しい。……ラーデン!」

「はい、郊外の送電線が爆破されたそうです。恐らく陽動かと」

 

 耳元のイヤホンから情報を得たのだろう、老紳士は一切の淀みなく淡々と主人に報告を上げる。そして主人はこれまでにない程に笑みを浮かべていた。肉食動物が獲物を食い殺す時に浮かべる笑顔だった。

 

「ふふふ、それでは漸く本番という訳だな?さてさて、まずはお手並み拝見といこうか。なぁ、ラーデン?」

 

 青年貴族は踵を返し愉しげに部屋の窓に顔を覗かせる。執事はそんな主人に対して恭しく礼をもって答える。口を利けない人質だけが顔を青くして絶望していた。

 

 九月二三日2100時、フェザーン・セントラルシティ郊外フルトン街の送電線の爆破、それがゲームの始まりを告げる合図であった……。


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