帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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今更気付いたけど目次PV200万、通算PV600万越えとるやんけ!
これは御礼にお気に入り一つ当たり感謝の正拳一万回しなきゃ!!(使命感)


第百六十九話 人の性質というものは中々変わらない

「並行追撃中に帝国軍が味方ごと『雷神の槌』で撃つ可能性の検討、ですか?」

 

 統合作戦本部ビル二六階、窓際に設けられた士官サロンの一席で、珈琲入りの紙コップを手にしたダスティ・アッテンボロー中尉は先輩でもある上官が口にした言葉を反復する。

 

「うん。先日ね、シトレ大将とレ中将から分析した報告書の提出を命じられてね。元々の仕事の上に追加だから、手が回らなくて大変だよ」

 

 対面に座るぼんやりとした顔立ちの少佐は手元の紙コップ入り紅茶の表面を何となしに見つめつつ仕事の大変さを溢す。その何処か危機感の薄い態度にアッテンボロー中尉は僅かに脱力したように顔を歪め、しかし直ぐに先輩らしいと思い至り肩をすくませる。

 

「作戦の前提条件が覆るような要件を今更分析しろってのも可笑しな話ですが……それで、先輩の見立てではどうなんです?」

 

 湯気の立つ珈琲をふぅ、と冷ました後に一口啜り、鉄灰色の髪をした反骨精神の権化は尋ねる。

 

「うーん、五分五分といった所なのかなぁ?」

 

 歯切れが悪そうに、自分自身でも断定出来ないとった表情で少佐は語る。

 

「帝国軍は元々装備の運用概念は兎も角、用兵思想的には人命に対して頓着しない組織なんだ」

 

 アマチュア歴史学者を自称する同盟宇宙軍少佐は語る。帝国軍の艦艇や車両は最新鋭テクノロジーよりも、寧ろ機械的安全性と整備性を重視した枯れた技術を中心に活用されるものが多い。

 

 また同時に帝国軍の装備は防御力や生存性を重視している事でも知られる。同盟のそれよりも強固な装甲、エネルギー中和磁場、ステルス性能、脱出装置……帝国軍の人命軽視の象徴とされる盾艦や単座式戦闘艇ワルキューレにしても、前者はそもそも性能の全てが防御に割り振られている上に前線に出る事はまず有り得ないし、後者は装甲が薄く撃墜時や遭難時の生命維持機能も同盟軍のスパルタニアンより粗悪だがそもそもワルキューレの運用思想は艦隊防空・敵戦闘艇迎撃戦闘を前提にしており艦隊から離れて運用する事を想定していないので大した欠点ではない。

 

 寧ろ、機動力や展開能力を重視するが故に同盟軍宇宙艦艇は防御力が低く、スパルタニアン等の単座式戦闘艇は制宙戦闘に哨戒、対艦戦闘等多彩な任務を一機で対応するマルチロールファイターを目指したが故に操縦士に時として無茶を要求する代物になっている。地上軍の装備の充実性は質量共に明確に帝国軍に対して劣位にあるのは同盟軍の常識だ。緊急時の故障率も最新テクノロジーを重視するが故に帝国軍に比べて高い。

 

 だが、それらの兵器の思想とは打って変わり、帝国軍の用兵思想は兵士の生命を軽視している。捕虜となる事を恥とし、どのような劣勢であろうとも最期の一兵となるまで徹底抗戦を要求するのが帝国軍兵士指導の基本要領である。今でこそこれらの軍規や要領は平民出身の軍人が増えている事もあって実質的に有名無実化しているが、特に第二次ティアマト会戦以前の帝国軍との戦闘は勝利した後も残敵掃討で同盟軍を陰鬱にさせたものであった。

 

「精神主義で体罰は当然、内部における階級対立も深刻だ。特に帝国軍の高級士官の大多数を占める門閥貴族にとって下級貴族や平民、農奴が消耗品に過ぎないのは過去の記録が証明している」

「では味方ごとでも撃つと?」

「それがまた難しい。帝国軍は確かに兵士の生命を軽視しているし、一昔前ならば高級士官の大半は武門貴族が独占していた。その前提に立てば、勝つために味方を撃つ事に躊躇いはなかっただろうね」

 

 そう、一昔前の帝国軍であれば。

 

「第二次ティアマト会戦の結果、帝国軍における主だった武門貴族は壊滅している。頭数こそ揃えているが、今尚その損失は甚大なんだ」

 

 銀河帝国の階級社会の頂点に君臨する門閥貴族は凡そ四三〇〇家あるとされる。そのうち三分の一が官僚等を輩出する文官貴族であり、残る三分の一が地元に根付いた地方貴族であり、最後の三分の一が帝国軍正規軍に勤める高級士官を輩出する所謂武門貴族と言われる存在だ。

 

 第二次ティアマト会戦は帝国貴族社会における武門貴族の勢力に致命的な打撃を与えた。門閥貴族の総数は最大限に見積もっても一〇万人、これは女子供に老人まで含めた数だ。単純に武門貴族だけだとこの三分の一、更に女子供と老人を除けば更に半分以下となる。

 

 第二次ティアマト会戦や付随する地上戦、戦闘後の追撃戦で戦死した武門貴族は数千人に及ぶ。その後の同盟軍との激戦、特にイゼルローン要塞建設に向けた戦いで更に武門貴族は消耗したし、リヒャルト大公とクレメンツ大公の権力抗争によって残り少ない力ある武門貴族はその殆んどが処断された。

 

「今の宮廷において、武門貴族の発言力は限りなく失墜していると言って良い位なんだよ。どうにか発言力があるのはリッテンハイム侯爵家やエーレンベルグ伯爵家等数える程度しかない。その穴埋めは主に平民……特に平民階級の中でも最上位にある富裕市民層、それに新興の下級貴族や士族、そして武門以外の門閥貴族達で行われた」

 

 より正確に言えば、帝国軍は第二次ティアマト会戦以降、同盟軍の猛攻に対して質を捨て、物量で対抗した。艦艇を始めとした装備こそ第二次ティアマト会戦の損失を機に最新型に更新されたが、それを操るのは大幅に条件を緩めて新規徴用した兵士であり、艦長や部隊長は促成した平民士官に乱造した下級貴族や士族階級である。これまで門閥貴族階級出身者が就任していた提督や将軍職を勤める者すらかつてない規模で現れた。

 

 激減した武門貴族の生き残りは一部を除き後方勤務に回された。只でさえ一族や家臣の多くを失ったのだ。生き残った彼らまで失われれば大量の諸侯一族が断絶する事になる。それは帝国貴族社会の崩壊を意味した。それ故に七提督を始めとした極一部以外は大切に温存され、あまつさえ一族の大半が戦死してしまったため、御家断絶を防ぐ目的で軍役を拒否してしまう家まで公然と現れた。そして時の皇帝コルネリアス二世不運帝はそれを咎める事も出来なかった。

 

「武門貴族の激減が平民階級の台頭をもたらしたのは知っての通りだが、もう二つ台頭した勢力がある。それが文官貴族と地方貴族だ」

 

 武門貴族の絶対数の不足、また質を量で補うための艦隊や野戦軍等の編成規模の拡大……富裕市民や下級貴族、士族階級が空いた、あるいは新設されたポストに次々と捩じ込まれた一方で、文官貴族や地方貴族もまた同じようにそれらのポストに就く事となった。

 

「無論、文官貴族や地方貴族は軍事の専門家じゃない。中には地元では私兵軍の群や連隊の指揮経験しかないような田舎男爵が分艦隊や軍団の司令官になった例もある。当然、実戦での指揮ぶりは散々なものだったそうだよ」

「そこまでして、何で態態貴族の坊っちゃん方を指揮官にしたんです?当時の帝国軍が人材不足とは言えそれくらいは予測はつくでしょうに。それこそそんな素人を使う位なら曲がりなりにも実力ある平民提督に指揮させるべきでしょう?当時の帝国軍にそんな道楽をする余裕はない筈ですよね?」

 

 余裕が無い癖に非効率な運用をした当時の帝国軍の行動にアッテンボロー中尉は顔をしかめる。対面の少佐はその姿に僅かに苦笑いを浮かべ、紅茶を一口口に含んでから話を続ける。

 

「今でこそ帝国軍でも門閥貴族階級以外の将官は珍しくないけれど、当時の宮廷にとってはかなり覚悟のいる選択だったのさ。時の皇帝コルネリアス二世の二つ名は『不運帝』、その名の通りこの時代の帝国と皇帝の威信は度重なる不運で大きく揺らいでいたんだからね」

 

 コルネリアス二世は本人の実力こそ決して劣悪ではなかったが、その度を過ぎた不運のせいで醜聞と悪評にまみれた皇帝として知られている。即位の前にはアルベルト大公の失踪に前皇帝ヴィルヘルム二世の皇后コンスタンツェと寵妃ドロテーアの対立(そして暗殺)、即位後にはいきなりヴィレンシュタイン公が、次いで権門四七家に名を連ねるグリンデルヴァルト侯まで反旗を翻しその鎮圧に相当な労力を消費した。

 

 内政の不満を外征で誤魔化すのは権力者の常套手段であるが……残念ながら時代は七三〇年マフィアの最盛期、帝国軍は同盟軍相手に連戦連敗と来ていた。不運帝の晩年に至っては彼の有名な『偽アルベルト大公事件』があり、それが遠因となり名君として期待されていたオトフリート四世餓死帝は人間不信となり僅か一年で衰弱死すると言う有り様だ。それ以外にも彼の在位中に生じた中小の問題は数知れない。

 

「当然皇帝と帝国の権威はがた落ちさ。記録によるとこれを機会とばかりに帝国では大規模な民衆反乱や民主化運動もあったそうだね。帝都で反乱した兵士との市街地戦が起こる程さ」

 

 そうなれば軍人とは言え、兵権を平民に預けるなぞ宮廷にとっては恐怖以外の何者でもない。少々無理にでも文官貴族や地方貴族を司令官にした方が遥かにマシだ。

 

「無論、それはそれで無茶な指揮で失敗して余計民衆の反発を受けるんだけどね。結局一部の能力を認められた者は兎も角、大多数の門閥貴族は前線勤務を止めて別の形で軍役に就く事になったんだ」

 

 事に憲兵隊や法務局、査閲局等、軍組織を監視する部署は飛躍的に権限を拡大し、増設したポストに彼らは就任する事になる。こうして帝国軍は平民や下級貴族の前線指揮官の比率を高めつつ、その監視のために後方勤務や部隊司令部所属の門閥貴族軍人が大量に発生するようになる。

 

 また、多くの武門貴族が弱体化し、更に平民や文官・地方貴族の軍内部における発言力・政治力が拡大した事は生き残りの武門貴族達に大きな方針転換を強いる事になる。

 

「生き残った武門貴族はこれまでのように戦争による武功だけで発言力を維持するのを放棄せざるを得なくなった。即ち、これまで政治的には主戦論の推進以外は一丸となって中立を維持してきた武門貴族達は、これ以降、地方貴族や文官貴族、あるいは政財界や後宮と急速に距離を近づけ極めて政治的影響を受ける勢力になったんだ」

 

 帝室と婚姻を結び、ブラウンシュヴァイク家やベルンカステル家と連携していた前代リッテンハイム侯爵、軍務尚書として皇帝フリードリヒ四世の軍内での後ろ盾となっているエーレンベルグ元帥等がその代表格であろう。

 

「……さて、アッテンボロー。お前さんならここまで前置きすれば今の帝国軍が味方ごと同盟軍を吹き飛ばすリスクについて分かるだろう?」

「弱体化しどっぷり政治に足を突っ込んだ武門貴族、しかも戦場に文官貴族やら地方貴族やらがいるのでは到底撃てませんね」

 

 実戦指揮こそ平民や下級貴族が執るとしても、憲兵隊や査閲将校、あるいは法務将校として群や戦隊司令部に門閥貴族が共に乗艦する事例は少なくない。

 

 特にイゼルローン要塞に常駐する『有翼衝撃重騎兵艦隊』は最前線にして国境を守る精鋭艦隊、当然艦長から指揮官まで主だった士官達は全て実力主義で選ばれているために門閥貴族以外の階層の者が他の艦隊に比べても多く、そしてその監視のために多くの門閥貴族も憲兵や法務士官、査閲士官として所属している。しかも、そんな彼らの多くは文官貴族や地方貴族出身者であった。

 

 同じ武門貴族ならばある程度味方ごと吹き飛ばされても状況次第で納得するかも知れない。だが元より戦死する積もりなぞない地方貴族や文官貴族は話が別だ。そして門閥貴族は血の結束で結ばれており、平民が幾ら死のうとも意に介さぬが、一人であろうと身内が死ねば仇を決して許さない。

 

「そうでなくても味方撃ちをすれば武門貴族達は宮廷での政治抗争で不利になるだろうね。ブラウンシュヴァイク公爵を盟主とした文官貴族達の統制派、カストロプ公爵を盟主とした地方貴族達の分権派がこの機会を逃すとは思えない」

 

 故に、どれ程追い詰められたとは言え要塞砲で味方ごと撃つ可能性があるかと言えば……しかし零ではなく、確実に発射しないとは言い切れなかった。

 

「やれやれ、理解は出来ますが帝国の宮廷は面倒この上ないですねぇ。面子に派閥に階級……此方も大概ですが、帝国の事情を知るとかなりマシに見えてしまいますよ。彼方さんは戦争している自覚があるんですかねぇ?」

 

 先輩でもある上官の分析に、アッテンボロー中尉は辟易とした表情を浮かべて嘆息する。

 

「帝国は何だかんだあっても五〇〇年近く継続してきたからね。無論、その間に幾人もの暗君と暴君が現れたし、大規模な反乱、同盟と接触した後は第二次ティアマト会戦のように幾度か歴史的大敗をした事もある。……逆に言えば帝国はそんな災禍からも何度も蘇って来たから、逆に危機感が薄いのさ。まして、今やイゼルローン要塞のお陰で国土の大規模な侵攻を受ける可能性は限りなく低い。そうなれば誰も彼もが一層政争に精を出すわけさ」

 

 そして青年士官は、だからこそ幾ら腐敗していようとも専制政治よりも民主政治の方がよりマシなのだと考える。少なくとも煽動政治家達は形だけとは言え市民に向け訴えかけ、選挙という洗礼を受けてその政争の決着をつけるのだから。形式的な市民への利益もなく、ましてやその存在を一切考慮しない一握りの狭い世界しか関心を持たぬ貴族達によって政治を好きに弄ばれるよりは遥かに良い筈だ。

 

「それで?校長殿はどう考えているんです?半々の可能性で要塞砲を味方ごと撃つかも知れないのなら下手したら作戦そのものが根底から覆るんじゃないんですか?」

 

 若干温くなり始めている珈琲に口を近づけ、ふとその事に気付いた遠征軍総司令官副官は疑念混じりに尋ねる。少佐は何とも言えない笑みを浮かべてゆっくりと後輩の言葉に答える。

 

「いや、それがね。シトレ大将は恐らくある程度は味方撃ちを想定して今回の作戦を計画していたんだと思うよ。だからこその二段構えの作戦なんだろうね」

「だからこそ?」

「うん、これは偶然聞いた話なんだが、シトレ大将が当初作成していた作戦は並行追撃と無人艦特攻だけだったらしい。動員戦力も五万隻程度を計画していんだとか」

 

 無論、決して豊かではない同盟の財政からすれば五万隻の動員でもかなり難しいものではある。

 

「その話は俺も聞いてますよ。副司令官に任命されたロボス中将が功績欲しさに無理矢理ミサイル攻撃も捩じ込んだとか。会議の時のあの副官……確かフォーク大尉でしたっけ?まるで自分達の作戦が本命と言わんばかりでしたでしょう?」

 

 独身主義者を自称する中尉は面白くなりそうな話題ににやりと笑みを浮かべて食いつく。その態度に現金なものだと少佐は思いつつ、説明を続ける。

 

「無理矢理かは兎も角、シトレ大将とレ中将がロボス中将の提案に基づき作戦の修正をしたのは事実らしいよ。ロボス中将によれば、当初の作戦では最悪恐慌状態になった帝国軍が味方ごと『雷神の槌』を発射する可能性がある、とね」

「それ、あのロボス中将が言ったんですか?」

 

 何かを思い出したかのようにアッテンボロー中尉は苦い顔を浮かべた。

 

「修正したのは事実、その理由については噂だよ。私だって興味の薄い話だから本当に偶然聞いただけなんだよ。兎も角も、味方ごと要塞主砲で凪ぎ払われる事も想定しているのなら二段構えなのも納得出来るんだ」

 

 財政的にも、動員可能戦力的にも然程余裕のある訳でもない同盟軍である。ましてや総司令官シドニー・シトレ大将は質実剛健であり決してケチ臭い訳ではないが、同時に無駄な出費を好む人物でもない。要塞を攻略する積もりならば五万隻による並行追撃と無人艦突入戦法だけでも十分に勝算がある筈だ。

 

 少なくとも眠たげな表情をした二四歳の少佐の計算ではそうであったし、自分よりも遥かに経験豊かで様々な情報を把握しているシトレ大将がその結論に辿り着かないとは到底思えなかった。

 

「口にはしてないけれど、シトレ大将は最初の並行追撃と無人艦特攻は最悪失敗する事を計算に入れているんだと思うよ。ある意味で正面の主力艦隊は注意を逸らす囮なんだ」

 

 その上でミサイル艦と揚陸艦からなる別動隊が死角から要塞の装甲をこじ開け制圧する。司令部からすれば『雷神の槌』が撃たれなければそれで良し。撃たれたならばそれはそれで要塞駐留艦隊も混乱するから碌な迎撃も出来ない。要塞内部の兵士も動揺しているだろう。何方に傾いても問題なし、という訳である。

 

「無論、流石に帝国軍が自棄っぱちになった時に備えて要塞主砲範囲からの緊急退避の計画は立てているだろうけどね」

「成程、あの副官の態度もある意味は当然と言う訳ですか。最悪一、二発撃ち込まれても駐留艦隊を殲滅し、ミサイルで壁を抉じ開けて要塞の制圧と維持をする事が出来る戦力が六万隻、と。……まぁ、今回で確実に陥せるのならば多少の犠牲は許容範囲という戦略自体は理解は出来ますが」

 

 元ジャーナリスト志望の宇宙軍中尉は不快感半分、納得半分にぼやく。信条としては犠牲前提の作戦に嫌悪感がない事もない。しかし士官として指導された五年の月日とそこから得た知識と思考法は、その作戦の合理性を正しく認識させていた。財源も無限ではない。中途半端な作戦と戦力で失敗して犠牲の山を増やすよりは多少の犠牲は覚悟してでも確実に要塞を陥落させる事が軍事的にも、国家戦略的にも合理的である事をアッテンボロー中尉は理解していた。

 

 無論、先程言った通り決して納得はしていないが。

 

「……それで?先輩殿の見立てではどうなんです?今回の作戦は成功しそうなんですか?」

「うーん……どうなんだろうねぇ」

 

 先輩の要領を得ない発言に総司令部副官は予想外とでも言うように目を見開く。そして心底不思議そうに尋ねる。

 

「いける、と先輩が断言してくれないのは怖いですね。俺の見立てですと流石にここまで想定していれば情報漏洩でもない限りは成功すると確信するのですが……」

 

 最悪要塞主砲を撃たれる事すら計算に入れた作戦だ。ここまで覚悟を決めた作戦が成功しないなぞ有り得ない。いや、失敗したら困るのが後輩の気持ちであった。

 

 しかし同時に、アッテンボロー中尉が目の前の士官学校の先輩の分析力を他のどのような専門家のそれよりも高く評価しているのも事実である。そんな人物に渋い表情をされるなぞ気が気ではない。少なくともアッテンボロー中尉は、父親の自己都合で無理矢理ならられた軍人としての職務でその一生を終える積もりは毛頭なかった。

 

「……普通に考えれば確実に要塞を陥落させられるとは思うんだ。だが………」

 

 そう、現状の作戦計画が順調に進んだ場合、同盟軍はイゼルローン要塞陥落に成功するだろう。多少のミスは有り得るとしても、カバーの方法は幾らでもあるし、既にその方面についても分析と想定は始まっている筈だ。そう、何も問題もない。……唯一つの懸念を除いて。

 

「……まぁ、それこそ作戦が根底から覆りかねないんだけれどね」

 

 それは最早議論するに当たらない懸念であった。寧ろ無意味というべきかも知れない。総司令部の首脳達に進言した所でどうしようもない内容である。いや、話を聞いて貰えるかすら怪しいものだ。

 

「何か言いましたか、先輩?」

「……いや、世の中考えても仕様もない事柄が多いと思ってね」

 

 そう言いながら彼は紙コップの中の冷めてしまった紅茶を呷るように飲み干した。

 

「渋いな。これだから自販機の安物は好きじゃないんだよ。まぁ、置いてないよりはマシだけどね」

 

 空になった紙コップをゴミ箱に放り投げたヤン・ウェンリー同盟宇宙軍少佐は自嘲を含んだ微笑を浮かべ、統合作戦本部に設けられた自動販売機のインスタント紅茶をそう評したのだった……。

 

 

 

 

「あぁ!もう最悪っ!!折角気取られないように国境の部隊を削っていたのに!!前線の奴らは何をしてるのよ……!!」

 

 第五回イゼルローン要塞遠征軍総司令部の置かれたアイアース級旗艦級戦艦『ヘクトル』の艦橋で苦々しげにコーデリア・ドリンカー・コープ大佐は舌打ちする。彼女の癇癪の原因はほんの一か月前にシャンダルーア星系で生じた前線部隊の失態についてだった。

 

 シャンダルーア星系にて帝国軍哨戒部隊を取り逃がした結果、帝国軍に国境宙域に対して大規模な警戒強化を実施させる事となった。具体的には三ダースの通信基地の建設に合計三個悌団規模の艦隊と二個遠征軍規模の地上軍の動員がそれである。

 

 帝国軍の警戒強化は同盟軍にとって喜ばしい事ではない。来年に実施される予定である遠征計画は第三回遠征同様に奇襲を前提にしている。帝国軍が要塞に駐留させる艦隊を増員すれば、同盟軍の作戦は当然のように困難なものにならざる得ない。

 

「いつまでも文句を言っても始まらん。そちらの対処は別の部署の受け持ちだ。我々は目の前の職務を果たすだけだ、違うか?」

 

 未練がましいコープの愚痴をそう切り捨てるのは同じく『ヘクトル』艦橋に詰める総司令部航海部副部長ウィレム・ホーランド准将である。腕を組みデスクに腰掛ける厳めしい表情の青年に視線を向けたコープはむっと顔をしかめるが、同時にその言が事実でもあるために反論の言葉が出る事はなかった。

 

「陣形崩壊!要塞主砲が発射されました!!第四艦隊右翼半壊……!!」

 

 宇宙艦隊支援総隊から出向した士官が叫ぶ声にコープ達は正面のモニターを見つめる。

 

「問題は、その目下の課題も前途多難な事ね」

 

 モニター上で壊滅判定を受けた艦隊の有り様を見て、コープはぼやいた。ホーランドも、周囲の他の参謀やスタッフ達も無言で、かつ脱力気味にその主張を肯定した。

 

 宇宙暦791年一一月二八日、自由惑星同盟軍宇宙艦隊に所属する第四・第五・第六・第八艦隊及び第一輸送軍、その他部隊はポリスーン星系にて大規模な演習に従事していた。

 

 この時期に大規模な演習を開催するとなると、その目的は一つしかない。そして、今回の演習に参列する艦隊は遠征参加予定の全ての部隊ではないにしろ、その主力部隊たることを期待されており、それ故に演習は極めて激しく、厳しいものとなっていた。

 

「第四艦隊の第三、第五分艦隊に通信、何をしているのかとな!前進と後退のタイミングを間違えるな馬鹿者共!!これが本番だと貴様らは死んでいるぞ……!!」

 

 遠征軍総参謀長レ中将が怒声を上げる。モニター上の第四艦隊は第五・第六艦隊と共に仮想敵役である第八艦隊と相対していたのだが、第八艦隊の攻勢の前にその右翼部隊が陣形を崩し、現在進行形で崩壊しつつあり、演習を支援する宇宙艦隊支援総隊は崩壊した艦隊右翼が『雷神の槌』により壊滅したとつい先程判定していた。

 

「何をしているっ!?自動衝突回避システムを使えっ!演習で死人が出たら堪らん!!」

「ああ、糞!緊急連絡だ、第四三と四四戦隊は演習中止っ!!戦隊司令部に連絡!送信したルートで演習宙域から離脱しろとな!!さっさと失せさせろ!!」

「彼処はこの前損害の補充が完了したばかりだからな。新兵共を指揮するとなると流石にグリーンヒル中将とは言え簡単にはいかんようだな……」

「やれやれ、初っぱなから随分と派手に吹き飛んだものだな」

「演習が終わるまでに何回艦隊が壊滅しますかねぇ」

 

『ヘクトル』艦橋内の各所で参謀やスタッフ、オペレーター達のぼやき声が響き渡る。

 

 俗に『D線上のワルツダンス』と称される艦隊運動は決して一朝一夕で出来るものではない。データリンクすら妨害されるイゼルローン要塞正面の狭い回廊宙域で何万という宇宙艦艇が帝国軍と砲撃戦を展開しながら一糸乱れずに前進と後退を繰り返すのは常識的に考えて職人技と言わざるを得ないのだ。

 

 タイミングを逸したら突出して敵艦隊に袋叩きに遭おう。後退し過ぎたら味方に隙が生じてやはり火線が集中するだろう。回避運動に集中し過ぎたら回廊の危険宙域なり、味方に衝突してやはりアウトだ。陣形が崩壊したらそのまま要塞主砲射程内まで押し込まれ千隻単位でプラズマに還元される事だろう。

 

 漆黒の女王に求愛するダンスは同盟軍宇宙艦艇の優れた電子戦能力と機動力、そして実際に艦隊を動かす上は提督、下は兵士までが徹底的な鍛練を重ねる事で漸く可能な正に芸術そのものであったのだ。

 

 特に第四艦隊は宇宙暦787年四月に生じた第三次シャマシュ星域会戦において旗艦アキレウスを喪失した他、艦隊全体の三割余りを失う大敗を喫した。育成・練兵能力に定評のあるドワイト・グリーンヒル中将が宇宙暦788年に艦隊司令官に着任してからは訓練と部分的な補充を受け宇宙暦789年に実施された大反攻作戦『レコンキスタ』に参戦したものの、それは司令部直轄の予備戦力としてであり、実際戦闘自体は動員された他の艦隊に比べ至って小規模であった。

 

 即ち、第四艦隊の練度は他の艦隊に比べ若干格下と言わざるを得なかった。そのために本演習においても真っ先に陣形を崩して要塞主砲の洗礼を受ける事となったのである。

 

「ふむ、これはまた……来年の遠征までに練兵が間に合うかな……?」

 

 『ヘクトル』艦橋の総司令官専用席に深く座りこんだシドニー・シトレ大将は、顎の辺りを擦りながら渋い顔で第四艦隊の動きにそうこぼす。

 

「間に合うかではありません、間に合わせるのです。徹底的にしごくしかないでしょうな。グリーンヒル中将は人を誉めて伸ばす達人ですが、今はそんな悠長な事は言ってられません」

 

 モニターを睨み付けながら、やや憮然とした表情でレ中将が答える。グリーンヒル提督とレ参謀長が飴と鞭で鍛えていくしかないだろう。

 

「そうは言いますがグリーンヒル提督は状況のわりに良くやっておりますよ。寧ろ、私としては第五艦隊の動きが想定以上に良いのが驚きです」

 

 そこで会話に加わったのはシャトルで第六艦隊司令部との打ち合わせ会議より帰還したネイサン・クブルスリー総司令部航海部長であった。

 

「ビュコック提督は老練の宿将だ。漸く名将が名将に相応しい立場に就任したというだけの事さ」

「そうは言いますが艦隊司令官ともなれば職務の幅が違いますよ。一兵卒から昇進して現場指揮だけでなくあれだけの事務仕事もこなせるとは、正直侮っていた自分が恥ずかしい限りです」

 

 シトレ大将の言に頭を掻きながら苦笑する航海部長。士官学校を優秀な成績で卒業するエリート士官は多かれ少なかれ兵士や下士官からの叩き上げ提督を侮りがちな側面がある。

 

 宇宙暦791年六月より第五艦隊司令官に着任したアレクサンドル・ビュコック中将は軍歴五〇年以上、第二次ティアマト会戦を筆頭に大規模艦隊戦への参加回数七七回、小競り合いを含めた総戦闘参加数八六〇回……無論戦闘とは言え必ずしも最前線に出るとは限らないし、自身の乗船する艦艇が一発も砲弾を撃たずに戦闘が終了する事もある。しかしそれを差し引いたとしてもこれだけの戦闘に参加した老将は滅多にいない、正に現場の神と言える存在だ。

 

 だが、逆に言えばそういう人間は大抵現場だけとも言える。一兵卒であればそれだけで良いが、一〇〇万を超える将兵を率いる艦隊司令官ともなれば事務仕事も膨大である。たかが事務仕事と侮り滞らせれば、それだけで艦隊のパフォーマンスは低下し、実戦でもその実力を発揮出来ない状況に陥るだろう。その点、ビュコック提督は現場一筋の人間には珍しく事務仕事も少なくとも一応合格点と言えるレベルでこなせる希有な存在らしかった。

 

 シトレ大将やレ中将と各艦隊の練度や司令官の能力について語り合うクブルスリー少将の下に人影が近付く。

 

「航海部長、帰投御苦労様です。持ち場預り中の問題は特に発生しておりません。権限を返上させて頂きます」

 

 クブルスリー少将が第六艦隊司令部に訪問中、総司令部航海部の責任者を受け持っていたホーランド准将はデスクから立ち上がると上官の下に参上し敬礼と共にそう通達した。

 

「うむ、引き継ぎ御苦労」

 

 クブルスリー少将は二人いる副部長の内、特に優秀な方に対して労いの言葉と共に答礼する。実の所、数個艦隊を指揮する総司令部の部長の仕事なぞ滅多に経験できるものでもない。それ故に少将は敢えてホーランド准将を残して短い時間であるもののそれを体験させてやろうという意図から彼を総司令部に残していた。

 

「………」

 

 ホーランド准将は僅かに怪訝そうにきょろきょろと視線を動かし始める。その様子にクブルスリー少将もまた奇妙そうに首を傾げ尋ねる。

 

「ん?どうしたのかね?」

「いえ、同行していた副部長はどちらに?」

「ん?先程まで隣にいたと思うのだ……「うげえぇぇぇ!!」………」

 

 ガマガエルが潰れる時に上げる悲鳴のような呻き声が『ヘクトル』艦橋内に響き渡る。思わずその場にいたシトレ大将やレ中将、幾人かの部長、その他艦橋内にいた参謀スタッフやオペレーター達がひきつった表情でその音の方向に視線を向ける。仄かに胃液の嫌な臭いが彼らの鼻に漂ってきた。『ヘクトル』の艦内管理AIが異常を関知して艦橋内の換気を始める。

 

「若様、しっかりしてくださいませっ!濯ぎの水を用意しました……!」

「此方、新しいビニール袋ですっ!!御無理は為さっては行けません!最悪窒息する可能性もあります……!!」

「だ、大丈夫だ。流石に酔い止めのお陰でそこまで……あ、やっぱ無理」

 

 ウエェェェ、とグロテスクな音源と共に何かが吐き出される音が響く。『ヘクトル』艦橋内の誰もが沈黙していたからその音は良く響いた。

 

「……ティルピッツ准将、司令官命令だ。医務室で休養を取りなさい」

「り、了解し……うぇぇぇぇ!!」

 

 シトレ大将は艦橋の裏側でビニール袋に顔を突っ込み、副官二人に介抱される総司令部航海部副部長にそう声をかけた後、臭いから逃れるようにその場から離れたのであった………。

 

 

 

 

 

 

 恒星ポリスーンを中心に一一個の惑星に四六の衛星、六万を超える小惑星等から構成されるポリスーン星系は、宙域座標的にはバーラト星系より九一六光年の位置にある、自由惑星同盟建国初期にその勢力圏に取り込まれた無人星系だ。居住可能惑星は無いが、金属ラジウムやボーキサイトの採掘のために宇宙暦540年代より開発基地が設けられ、最盛期には三〇万人余りが採掘業に従事していたとされている。

 

 宇宙暦620年代には採算性のある主だった鉱脈は枯れ、鉱夫達もその殆んどはこの星系を見捨てた。しかし、ダゴン星域会戦の後に本星系は再び脚光を浴びる事となる。

 

 イゼルローン回廊とバーラト星系の中間の位置にあり、尚且つ主要航路から外れる人目のつかない立地が同盟軍により注目された結果、本星系は大規模な演習宙域かつ帝国軍の侵攻に対してはその補給線を叩くゲリラ戦の拠点として密かに整備が進む事になった。事実、コルネリアス帝の親征に際して、当星系は同盟軍の後方撹乱部隊の一大拠点としてその当初の存在意義を十分に果たす事になる。

 

 ダヤン・ハーン基地は元々は直径二八キロの小惑星鉱山で、その鉱脈の大半を堀尽くされた残り滓を再整備した築一五三年の相当年季物な宇宙要塞型補給基地である。当時の一個艦隊の定数分、五〇〇〇隻近くの収容と補給・整備・修繕を可能とした国内有数の大規模補給施設ではあるが……やはりそれでもオンボロ過ぎる。

 

 少なくとも原作の帝国領遠征失敗後の同盟軍にはその古さもあり、維持費が余りに重過ぎ無理に管理するメリットが無かったのかも知れない。バーミリオン星域会戦直後に離脱したメルカッツ独立艦隊が屯していた事から見て、少なくともバーラトの和約締結前には既に放棄されていたらしい。もし大まかな歴史の流れが変わらなければこのまま七年以内には原作同様同盟軍に放棄される事になるだろう。

 

 無論、それは未来の事であり、宇宙暦791年の時点では常時四万名の同盟軍が基地を管理しているし、現在に至ってはポリスーン星系で訓練を行う四個艦隊を始めとした大軍の支援のため、その機能をフル稼働させている。流石にこの規模の演習ともなるとダヤン・ハーン基地の機能だけでは支えきれないので星系内の他の基地や臨時に設置した駐屯地と協力しての事であるが。

 

「で、正に今そんな基地の支援能力の御世話になっている所な訳であるが……」

「演習中に怪我したなら兎も角、ただの宇宙酔いで将官用入院室を占拠しているようなのは伯世子殿だけだと思いますぞ?」

 

 死にかけな顔でダヤン・ハーン基地医務室の将官用個室入院室のベッドに横たわる私にそう冷酷に事実を突きつけるバリトンボイスであった。うん、知ってた。

 

 第六艦隊司令部へのシャトル移動で宇宙酔いした私は『ヘクトル』の医務室に最初御世話になり、その後も体調が優れないので『ヘクトル』がダヤン・ハーン基地に停留した時により設備が揃い安定している基地の医務室に移動する事になった。うん、当然のように補給と整備を終えた『ヘクトル』は私を置いて演習の続きをしに行っちゃったよ。完全に私の事なんて気にしてないよっ!まぁ、コネ昇進のコネ人事で遠征軍総司令部に捩じ込まれたような存在だから、多少はね?

 

「やれやれ、毎回の事ながら良くもまぁここまで体調を崩せるものですな。確かに宇宙酔いしやすい人間は少なくはありませんがここまで酷いとなると……」

 

 湯気の立つ珈琲カップ片手にそう肩を竦めて呆れるのは、第五〇一独立陸戦旅団第二連隊長ワルター・フォン・シェーンコップ同盟宇宙軍中佐であった。

 

 エル・ファシル攻防戦を始めとした『レコンキスタ』における一連の戦闘で、多大な軍功と共に相応の損害を受けた第五〇一陸戦連隊戦闘団は再建と増強の対象となり、約一年半をかけて第五〇一独立陸戦旅団へと改変された。兵員定数は後方支援と事務員も含めて四六〇〇名、司令官は部隊の連隊時代まで含めると第一一代目となるヘルマン・フォン・リューネブルク同盟宇宙軍大佐、上位司令部はヘルムート・フォン・リリエンフェルト同盟宇宙軍准将を司令官とする第六宇宙軍陸戦隊第一揚陸軍団である。

 

「若様の体質の問題、不可抗力で御座います」

「それよりそちらはどうなんだ?随分な大任を受け持っているんだろう?」

 

 私の傍らで控える従士二人の内、ヘリヤ星系での会戦の功績で中佐に昇進したベアトが若干不愉快そうにそう口を開く。私の方はと言えば、詰まらない私の体質の話を止めて、より重要性の高い食客の状況について尋ねる。

 

 此度の遠征計画においては絶対安全な総司令部の航海部副部長たる私よりも、この不良士官とその所属部隊の方が遥かに危険な任務を受け持つ事が予定されていた。

 

 第六艦隊直属となる第六宇宙軍陸戦隊に所属する第五〇一独立陸戦旅団、その基幹部隊はあの武勇で誉れ高い第五〇一独立陸戦連隊『薔薇の騎士連隊』(ローゼンリッター)である。

 

 亡命政府系においても同盟軍地上戦闘部隊においても十指に入る精鋭部隊である彼らは、今回のイゼルローン要塞攻略作戦でもその類い稀れなる戦闘能力を期待されていた。そして、彼らは今回の作戦において最も危険な部分を受け持つ部隊の一つでもあった。

 

「要塞背後、ミサイルで吹き飛ばした外壁から突入する別動部隊の一員。まぁ、功績と能力から指名されるだろうとは思っていたが、改めて考えると気が狂ってるな」

 

 私は薔薇の騎士達に要求された任務の重大性と困難性に呆れ返った。

 

「平時におけるイゼルローン要塞の要塞防衛軍の兵力は推定五〇万から六〇万、内六割は整備要員に航空要員、索敵要員、要塞砲術要員にオペレーターだから純粋な陸戦部隊は二〇万から二四万、そこに無人防衛システムが加わる訳だ。一方突っ込む別動隊の陸戦戦力は二個師団、最大限に見積もっても三万余り。特殊部隊と精鋭部隊で固めるとは言え、一個軍団並みの戦力で要塞の主要設備を占拠しろとは……荷が重くないか?」

 

 無論、呼応して正面からも無人艦艇の特攻で抉じ開けた穴から大部隊を揚陸させる計画ではあるが……下手しなくても迷宮のような要塞内で各個撃破される危険はあるし、最悪攻略が失敗したら置いてけぼりを食らう可能性だってある。私ならば到底参加はご免である。

 

「軍人である以上命令に逆らう訳には行きませんからな。まぁ、その辺りは我々の実力を信じて頂くしかないでしょう。何、最悪味方の艦隊が逃げても我々だけで要塞を陥落させてご覧にいれますよ。寧ろそれ位した方がオーナーたる伯世子殿にとっても都合が良いでしょう?」

 

 足を組みながら飄々とした態度で中佐は嘯く。一時期は有名無実化していた『薔薇の騎士連隊』に人材と予算を集中的に投入して精鋭部隊に舞い戻らせたのは亡命政府であり、特に最初に投資を始めたティルピッツ伯爵家の発言権は大きい。それ故に我が家はある意味で『薔薇の騎士連隊』のオーナーとも言える立場だった。当然、連隊の活躍は伯爵家と私の功績にも還元される。

 

「随分と大言壮語を吐く事だな。今回の競争率は高いぞ?搦め手にはお前さん達以外にも精鋭部隊を集中的に投入するからな」

 

 要塞中枢を制圧する予定の別動隊である。当然亡命政府系以外の派閥としても要塞攻略後の発言力を見越して同じように子飼いの精鋭部隊を捩じ込んで来ている。まぁ、どうせ亡命政府系列だけで精鋭部隊を二個師団分集めるのはきついし、失敗した際の喪失が怖いので良いのだが……問題は現場で功績の奪い合いで足を引っ張らないかだな。

 

「流石にプロなだけあってそこまで酷い事はありませんよ。少なくとも帝国軍……賊軍の内情に比べれば最低限協力は出来ていますよ。そう言えば、伯世子殿の仰っていた例の傭兵方も参加するらしいですな?演習時に顔を合わせましたよ」

「あぁ、あいつらね。亡命政府軍からか」

 

 多くの帝国軍投降兵をその戦力とし、また亡命貴族やスパイの持ち込む情報もあって、亡命政府はイゼルローン要塞内部構造についてかなり詳しく理解しているとされている。そして揚陸する同盟軍に対する水先案内人として、艦隊とは別に地上戦要員も少なくない数が同行する予定だ。

 

 元銀河帝国軍アスカリ軍団所属、フェザーン傭兵部隊を経て現在はティルピッツ伯爵家が後ろ楯を務めるナウガルト子爵家の食客として雇用されているアントン・フェルナー中佐以下二個小隊は、再建途上で殆ど家臣のいないナウガルト家の貴重な私兵戦力であり、同時に今回の遠征に従軍する部隊の一つだ。彼らの大半がアスカリ軍団出身であり、移動にある程度制限があったもののイゼルローン要塞の内部構造に理解があるので案内役を一部を受け持つ予定だった。

 

「フェルナー中佐から此方も色々と聞きましたが、改めて考えると随分と畜生な行いですな」

「だろう?あの場面で悪戯とは言えあんな冗談はキツ過ぎるだろ?」 

「いや、若様の行動がですよ」

「貴様も敵かよっ!!?」

 

 ファック!と私は吐き捨てベッドに倒れこむ。どいつもこいつも私を責めやがって!もう良いよ!私の味方は従士二人だけで良いよ!!二人に膝枕して慰めてもらうからよっ!!

 

「若様、大丈夫で御座いますか?」

「シェーンコップ中佐、少々言葉が過ぎませんか?」

 

 いじける私を抱き寄せて甲斐甲斐しく背中を撫でるベアトであった。一方、大尉に昇進しているテレジアは不快そうに不良中佐に口を尖らせる。

 

「罪の上塗りとはたまげましたな。楽な方向に行きたい気持ちは分かりますが現実と戦うのも大切ですぞ?」

 

 従士二人に世話される雇用主を見て情けない、とばかりに溜め息をついて無慈悲に現実を突き付ける食客であった。止めろ、その言葉は私に効く。

 

「やれやれ、良い歳して呆れますな。別に私としては妻や娘がどうこう無ければ若様の御乱行に文句を言う訳ではないんですがね。ただアフターケアは大事だと言っておるのですよ」

「それ位は分かる。分かるがなぁ……」

 

 当然のようにベアトに膝枕してもらっている私は苦い顔を浮かべる。こんな私だって、別にふざけている訳じゃない。嘘じゃないよ?

 

 ……思いっきり婚約者が警戒しているし、疑心暗鬼になっているからなぁ。そりゃあ、折角許した男がいきなり自分を傷物にしてきて、ましてや裏切り同然の行動してきたらああもなろうよ。最早どんなに言葉を尽くそうが信用されないだろう。私なら信用しないね。だからこそどうしようもなくて現実逃避しているのだ。

 

「いやいや、私の見立てではまだギリギリリカバリーが出来ると踏んでいるんですがね。諦めたらそこで試合終了ですぞ?」

「そういうならどうか助言して欲しいものだな。こういう時に雇用主を助けるのが食客の役目じゃないのか?」

 

 どこぞのバスケ部コーチのような台詞をほざく食客にそう言い捨てる。言うが易し行うは難しである。口だけ言うのは簡単でも実行者の気持ちになって欲しいものだ。

 

「模範解答が欲しいという事ですかな?」

「カンニングしたいんだよ。お前さんならその辺りの女性相手の機微に聡そうだからな」

「前前から言ってますが人を漁色家みたいに言わんで欲しいですな」

 

 心底心外そうに顔をしかめる不良中佐。その発言は平行世界の自分にでも言ってくれ。

 

「そうですなぁ……ふむ、若様としては婚約者殿の好感度をどうにかしたいと言う解釈で宜しいですな?」

「……まぁ、端的に言えばな」

「腹の内を晒してしまうのも手ではありますが、似たような手口は一度してしまいましたからな。しかも酷い掌返しをしましたので二番煎じは避けた方が良いでしょう。同じ手で騙せるとたかをくくっていると思われかねません」

 

 顎を擦り、妻と娘一筋の癖に妙にそれらしい事を言って見せる不良中佐である。おい、お前さん本当に浮気とかしてないんだろうな?

 

「となればやはり贈り物でもするのが良いかと。無論、そんなもの普段からやっているでしょうから工夫が必要ですな」

 

 そもそも貴族同士ともなれば高価な贈り物位普通だ。何なら私自身が聞いてなくても家の方が私名義で勝手に山程相手に贈る事がある位だ。

 

「やはり大事なのは場面と前置きの言葉、後は内容ですな」

「その言い方だと私が直接渡すのか?」

「寧ろ他人にやらせるのは誠意がないので止めた方が良いでしょうな。特にそこの二人には」

 

 食客は私の傍に控える従士二人を見て渋い表情を浮かべる。ベアト達は首を傾げて不思議そうにするが私には分かる。うん、この二人を使いに出すのはあかんわ。

 

「とは言え、此方だって遊んでいる訳じゃない。そうそう時間なんてないぞ?」

「だからこそです。彼方も武門の家柄、ともなれば逆に時間を取って自ら足を運ぶ意味位理解出来る筈ですよ」

「むむむ……!」

 

 言いたい事は分かる。分かるが……従妹が言う通り直接足を運べば相応の誠意を見せる事は出来るだろうが、そう簡単に時間が取れたら苦労しないのだ。

 

「いやまぁ、時間についてはどうにかして作るしかないのだろうが……。それで?具体的にはどうすれば良い?」

「そうですな……その前にそちらの御二人には暫しの間退席して貰っても宜しいですかな?」

 

 若干考え込んでから、不良騎士は私にそう要求する。その発言に従士二人は不快そうな表情を浮かべる。

 

「何故そのような事をする必要が?」

「私が望んでいる、というよりかは若様のためですよ。無論、我らが主君が『否』と言えば構いませんが。どうですかな?」

 

 愉快そうに、そして試すように私にそう尋ねる上等騎士。私は僅かにむすっ、と顔をしかめるが直ぐに観念したようにベアトの膝枕から起き上がり命令する。

 

「二人共、悪いが少し部屋の外で待機してくれ。看病で疲れているだろう、休憩代わりとでも思ってくれ」

 

 私の言葉に従士達は一瞬顔を強張らせるが、互いを見やり次いで素直に承諾してくれた。

 

「了解致しました。何事かありましたら直ぐにお声かけ下さい」

 

 心配そうにベアトはそう言って、テレジア共々退室する。その姿を見やるシェーンコップ中佐は残る珈琲を飲みきってから意地悪そうに口を開く。

 

「流石に長々と愛人の前で婚約者の機嫌取りの話をするのは辛かったでしょう?御愁傷様です」

「言ってろ」

 

 私は舌打ちして言い捨てる。確かに少し気まずかったのは事実だが、改めて言われれば不愉快にもなる。

 

「いやいや、別におちょくってる訳ではないのですよ?寧ろ良くやってると思っている位でしてね。女性を複数人、同時に機嫌を取る難しさは分かりますぞ?私とて妻と娘の相手で齷齪してますからな」

「お前さんの場合と比較するなよ……」

 

 妻と娘の機嫌取りは一般家庭でもある事だ。私のような糞みたいな男女関係と同列には語れまい。というか我ながら本当に糞だよな……。

 

「御二人共、元よりそういう教育を受けていますからな」

「普通だとこれ後ろから刺されてそうだよなぁ」

 

 ベアト達と婚約者の関係を考えると気分が重たくなるが、かといって婚約破棄は論外だし、今更従士をポイするのも畜生なのだ。うん、底無し沼に落ちてるなこれ。

 

「私で良ければ協力しますから、痴情の縺れで死ぬのだけは勘弁して下さい」

「貴重な収入源だからか?」

「大正解です」

 

 うん、知ってた。麗しい主従関係な事だ。

 

「じゃあ、私がこれ以上フラグを立てないように我が忠臣殿のアドバイスを聞くとするかね?」

 

 私は未だに宇宙酔いで顔を青くしながら、目の前の騎士から貴重な助言を伺う事にしたのだった。金髪の孺子を仕止める前に背中にナイフなんか生やすのはご免だった……。


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