暦はすでに五月。休みを心待ちにしていた学生たちからすれば嬉しい時期であろうゴールデンウィークに突入している。既に一夏が女の子になってから一か月も経っていたなんてね。時間の流れは早いよな。なんか去年とかよりも月日が過ぎるのが早い感じがするんだけど……気のせいなんだろうか。
さて、今日も毎度お馴染みなパターンで一夏とお出かけしてる訳なんだが、一つだけいつもと違う点がある。唐突だが、俺はいつも一夏とこういう風に出かけるのをデートだと思ってるんだよ。一夏がどう思ってるかは言わなくて分かってもらえるだろうけど、個人的にはデートだと思ってるんだよ。大事なことなので二回言いました。一夏と歩いてるとそんな気分になってくるんだよ。たまに妬ましげな視線を道行く人達から向けられたりするが。
だけどね、今日はそんなデート(仮)的な雰囲気すらも作れないのさ。だって――
「一夏、和行、あれ乗るわよ!」
「え、あれってジェットコースター? あ、あのね、鈴? 私たちはともかく和行は……」
「大丈夫よ。和行ならあれに乗った程度じゃ死なないわ」
鈴が居るからだ。今日は例の約束通り遊園地に来ている。ここ最近、鈴に元気がない時が多かったので俺が気分転換にでもと思って誘ったのだ。ほんと悩んでいるような表情をすることが多くなったしなあ、鈴のやつ一体何があったんだろうか。それと一夏もだ。なんだか最近様子が変というか……やはり疲れているんだろうか。女の子ならではの悩みもあるみたいだしさ。
俺もちょっと勉強疲れというか、気分転換したくなったのでこうやって遊ぶことにしたんだ。あまりこういった誘いを俺からしたことがなかったせいか、先に鈴に話した際には「変なもの食ったんじゃないの?」と目を細められ、一夏にもこんなことするタイプじゃないのにねって感じで笑われたけどな。超恥ずかしかった。特に一夏の場合、両手を顔に添えられたせいでめっちゃドキドキしたし。一夏の手、柔らかかったなあ。なんだか俺って一夏の手に触れたり、触れられたりすると毎回こんなこと言ってる気がする。もっと語彙力を発揮したいんだが、一夏の手の前にはそんな思考なんて消し飛ぶんだよ。ああ、柔らかかった。
あ、ここは学校じゃないので基本的に一夏の事は夏菜子と呼ばず、普通に一夏と呼ぶようにしている。近くには夏菜子の正体を知っている俺達しかおらず、学校のクラスメイトとかはいないから一夏って呼んでも問題ないだろと判断したんだ。実際鈴もさっきから一夏って呼んでるし。まあ、流石にクラスメイトとかを本当に見かけたら夏菜子って呼ぶけどな。
ちなみに今回来た遊園地はいつも一夏とかと出歩く場所とは違い、比較的遠目というか近所と言えないような距離にある場所だったので引率者として鈴の両親に来て貰っている。俺たちのことを離れた位置で見守ってくれています。うちの母さんはまだ入院中だし、千冬さんは例の如く仕事でスケジュールが合わなかったんだよ。それで今日は鈴の実家でやっている食堂が休業日との話を聞いていたので、俺たち三人で頼み込んで来て貰った訳だ。本当にありがとうございます。
それとだ、鈴。お前はやっぱ俺の事を何かの超生命体だとでも思い込んでる気がしてならんだが? 俺はジェットコースターなんて絶対乗らないぞ。一夏が上目遣いで頼んできた場合は別だけどね。一夏には抗えないからね、仕方ないね。何事も戒めと賛美と許容の精神よ。まあ、それだけじゃ限界があるのも確かだけど。
「はぁ……」
俺はジェットコースターが嫌いだ。くだらないことを考えて現実逃避するくらいに嫌いだ。理由というか原因は小学生二年生の頃にある。まだ男だった一夏や幼馴染の箒となんか俺達に付いてきたウサミミおっぱいアリス、そして俺の母さんとで一緒にこの遊園地に来たことがあったんだ。ちなみに千冬さんは俺達が遊びに来ていた時、篠ノ之家が開いていた篠ノ之道場で剣道の練習をしていた。一夏曰く、千冬さんは「お前達だけで遊んで来い。私にはああいう場所は似合わんからな」と言って一緒に来るのを遠慮したらしい。
話が逸れたが、まあなんだ。その時にジェットコースターに乗ったんだけどガチで気持ち悪くなったんだよ。それ以来無理になったっていうか……。あと某国が作ったジェットコースター事故を回避した人たちが悲惨な目に遭うという映画の予告編をうっかり見てしまい怖くなって軽くトラウマになったのも原因っちゃ原因かな?
「おい鈴。俺はジェットコースター乗らないぞ」
「は? なんでよ?」
このままだと俺が色々と不味い事態になるので鈴に意思表示をしておくのを忘れない。鈴は俺の発言に不服そうな顔をしているが、一夏は俺がジェットコースターに乗れない理由を知っているからか先程から鈴の言動に当惑しているみたいだ。一夏可愛い。
「なによ、あんたまさかジェットコースターが怖いっていうんじゃないでしょうね?」
「ああそうだ」
「……」
間を置かずに俺が言い放ったせいか鈴が固まっている。仕方ないじゃん、トラウマだったり過去の体験の所為で無理なものはどうしても無理なんだよ。ついでに言うと俺はコーヒーカップも無理だ。理由は過去に箒たちと来たあの時の出来事が原因だ。俺と一夏、束姉さんと箒という組み合わせでそれぞれのコーヒーカップに乗ったんだよ。そこまでは良かったんだが、一夏のやつが調子に乗って回転させまくったせいで凄まじい嘔吐感に襲われてガチで吐きかけたことがあったからだ。
回しまくっていた張本人である一夏もグロッキーになってたし、あの体験だけはもう二度としたくないです。一日で二度も吐きかける経験するとか嫌すぎる。当然だけど俺達の惨状を見た箒は呆れてました。まあ、そうなるよね。あと一緒に居た束姉さんは口を開けて笑ってました。ウサミミもぐぞ。
俺が昔の事を思い出している間に鈴が復活したのか、一夏と二人だけでジェットコースターに乗りに行ってしまった。俺は完全に置いてけぼりである。軽くしょぼくれながら少しの間近くのベンチで待っていると一夏と鈴はジェットコースターから降りてきて俺の方へと寄ってきた。
「ああ楽しかったわ! あんたも乗ればよかったのに」
ふふん、と言いたげな視線をこちらに向けてくる鈴に軽くイラっとした。こいつが一夏の隣に座ってたのがチラッとだが発進前に見えていたので先を越されたような気分に陥る。くっそ、俺がジェットコースターさえ苦手でなければ今頃一夏の隣に居ただろうに。今この瞬間ほど過去にタイムスリップしたいと考えたことはない……!
あれ? 一夏の髪型乱れてるな。どう見てもジェットコースターの所為だよな……どれ直してやるか。
「一夏、ここに座って。髪型直してあげるから」
「うん、わかった」
俺は一夏をベンチに座らせると上着の内側から取り出した櫛で一夏の髪型を直してやる。なんで俺がこんなものを持ち歩いてるかは企業秘密だ。知らない方がいい。別に一夏の髪に触れる口実を作るために持ち歩いているとか、一夏と触れ合う機会を増やすにはどうしたらいいのかと母さんに電話で相談して唆されたからとかそんなんじゃないから。
あっ、言っちゃった……俺の馬鹿……。そうですよ、俺は基本的に表面上は一夏に興味があるなんておくびにも出さないけど、内心は一夏の事しか考えてないむっつりスケベな変態ですよ。そんな俺だが、今のところは俺が一夏のことを好きなことは母さんを除いてバレてない。というか言う必要もなかっただけなんだけどね。友達に限定するなら、鈴や弾や数馬にはそのうち俺が一夏の事を好きなのがバレると思うけどね。鈴に知られた場合のことを考えるとあまりバレてほしくないです。多分俺が酷い目に遭う。千冬さんは最近会ってないから知らん。ほんとあの人なんの仕事してるのよ。稼ぎは良いみたいだけど、なんかヤバい仕事とかしてるんじゃないだろうな。心配だ。
……はい、余計な事を考えているうちに一夏の髪型のセットが終わりました。うん、やっぱ一夏は可愛い、超可愛い。母さんの着せ替え人形にされる予定があるだけある。
「ほい、終わったよ一夏」
「ありがとう和行。ほんとこういうの上手だね」
「礼を言われるほどじゃないよ。母さんに仕込まれただけだし」
「……冗談だよね?」
自分の髪の毛を持参していた手鏡で確認して微笑んでた一夏が、一変して嘘だろと言わんばかりの表情を作って俺に向けてきている。……すまんな、一夏。残念ながら冗談ではなくガチなんだよ。俺だって冗談って言いたかったさ。
なんか知らんのだが、ある日急に母さんが俺に女の子のこういう髪型のセットの仕方を教えてきたのだ。小学二年の頃から小学五年の間だったはずだが、一夏が女の子になるまでその事を忘却の彼方にしまい込んでいたので覚えた正確な時期は曖昧だ。一夏の髪型を整え始めたのもごく最近だし。まあそのお蔭で俺は一夏の髪の毛を合法的(?)に触れるんだが。まったくどこでこんな技術を学んだんだあの人は。美容師ではなかったはずだし、母さん七不思議の一つだよほんと。俺の技術なんてプロとかに比べば殆ど素人のそれだけど、一夏が喜んでくれているから別にいいか。
俺の答えを待っているであろう一夏に本当だよと教えると一夏は頬を引きつらせていた。まあ、そうなるよね。母さんのことをよく知っている一夏ならそういう反応すると思ったよ。
「ん? どうした鈴?」
「べ、別に……」
先程から鈴が嫉妬と困惑の二つの感情を混ぜたような目でこちらを見ていたが俺が声をかけた途端そっぽを向いてしまう。俺は敢えてそこには触れないようにしながら次はどこに行くのだろうと疑問に思った。出来れば俺も乗れるアトラクションとかにして欲しいものだが。
「で、次はどこに行くんだ?」
「えっと……どこに行こうか?」
「あれはどう?」
俺が気になって口にした言葉に一夏と鈴が反応したのだが、俺は鈴が指を差した場所を見て軽く固まった。鈴が指を差した場所、それは幽霊屋敷だったからだ。恐怖を体験するために備え付けられた娯楽施設。この遊園地は幽霊屋敷関連に特に力を入れており、昔ここに来た時は知らなかったのだが怖いと評判らしい。この場にいる三人の中では一番ビビりなはずの鈴がこんな提案をしたことに俺は脳味噌をフル回転させる。
鈴、お前何が目的だ……。まさかお前、きゃーこわーいとか言って一夏に抱き付くのが目的か!? ぐぬぬぬぬ! 俺だって一夏に抱き付きたいが、俺がやるとおまわりさんこいつです状態になること請け合いだ。鈴なら同性なのでそこらへんは問題がなくなるが……やばい、泣きたくなってきた。
「え、幽霊屋敷って……。鈴、チキンなのに大丈夫なの?」
「一言余計よ!」
一夏にチキンと言われたことに憤慨した鈴が先に幽霊屋敷へと向かっていってしまった。俺と一夏は思わず顔を見合わせる。鈴を一人にしておくわけにもいかないので、鈴の両親に先に行っていますと告げてから鈴の後を追うことにした。意外と早く鈴に追いつくことが出来た俺たちは三人して幽霊屋敷に入ることになった。鈴は若干及び腰だったけど。
「わあ……」
腰が引けている鈴を押し込む形で幽霊屋敷に入ったんだが、内部はかなり良い感じになっていたので思わず声が漏れてしまった。なんでも荒廃した屋敷の中を探索しながら出口を目指すタイプのやつらしいので荒廃した廃墟をよく研究しているのが伝わってくる。廃墟は良い文明。いや、よくはねえか。
で、案の定なのだが、鈴のやつはさっそくビクついてるのか一夏の傍を離れようとしていなかった。き、貴公……やはりそれが目的か。てかさ、一夏もなんか雰囲気に当てられたのかちょっと怖がってね? まあこんなんホラー耐性ない人は怖いだろうけどさ。俺は大丈夫だ。こんなことを言うと鈴とかには強がりだと言われかねないから口には出さないが、そこまで怖くないのよ。昔さ、この幽霊屋敷に来た時もそうだったんだけどさ、母さんに「怖くないの?」って聞かれたんだけど本当に怖くなかったんだよ。その時の母さん曰く「やっぱりあの人の子供ねえ」らしいので多分親父譲りなんだと思う。親父の心臓とか精神構造とかどうなってたんだよ。そっちの方が別の意味で怖いわ。
なんか話が逸れたような気もするが、とにかく俺はそこまで怖く感じていないということなのです。まあ、流石にうわって脅かしてくるようなのにはビビるだろうけどね。恐怖するのと音とかにビビるのとでは感覚が全く違うと思うんだよ俺は。
というか、俺はこういう幽霊系とかよりも現実の人間の方が怖いって思ってるタイプだからあまりそういうのに頓着がないだけとも言えるんだけどね。
「おい、行くぞ」
「は? はあ? あんたこの状況で何言ってんのよ」
それはこっちの台詞だ鈴。これは出口まで進むアトラクションなんだから、こんな入口近くで立ち止まっていても意味ないだろが。仕方ないので了承を得ずに右手で一夏の左手を、左手で鈴の右腕を掴むと無理矢理内部を進んでいく。いつもなら一夏の手の柔らかさへの感想を垂れ流しているところだが、今日は鈴も居るのでやめておくわ。なんかうん、こいつが居るとなんか調子が狂うというかペースを保つことができないというか。
途中二人が物凄い悲鳴を上げたりしてたんだが……。その、なんだ。一夏の場合は百歩譲らなくても物凄く可愛い悲鳴に聞こえるのに、鈴には悪いが鈴の場合は完全にマジな悲鳴だから耳が痛くなったんで冗談抜きでうるさいって叫ぶところだったわ。軽く耳にダメージを負いながらも最初の目的地まで着いた。俺はようやく二人を手を放して二人の方を見る。そこまで驚かしがあったわけでもないのにこの二人ビビリすぎじゃね?
「お前ら、そんなに怖いのか?」
「あったりまえじゃない! あんたはなんで平気なのよ!?」
「別に大して怖くないし」
「……あんたの事がたまに凄いのか凄くないのか判らなくなる時があるわ」
鈴、それって褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ。……まあ、いいや。とりあえずこの場所でえっと、何するんだっけ。ああ、そうだ。あのアンティーク調のクローゼットの中を調べてから進むんだったな。
なんか幽霊的なものが飛び出してくる予感しかしないんだけど……あ、鈴、開けてみる? え、嫌だ? あ、はい。そうですか。じゃあ一夏は? え、怖いけど別に開けてもいい? うん、一夏にそんなことさせられないから俺が開けるね。幼馴染二人がビクついているので仕方なしに俺がクローゼットを開けることになった。こういうのはね、ゆっくり開けると余計怖くなるだろうからここは一気に開けた方がいいな。よし、せーの。
「ぎゃあああああ!?」
「鈴!? ま、待って!?」
え、俺がクローゼットの扉を開けただけなのにその音にビビったのか、鈴が次の目的地がある方へ逃げて行ったんですが……。ついでに一夏も鈴の後を追いかけて行ってしまった。
あの、待って。流石に一夏にまで置いて行かれると心細いんですけど。俺はゆっくりとクローゼットの中を確認するとすぐに扉を閉めて二人の後を追った。ちなみにクローゼットの中には幽霊的なものが顔を出すような仕組みになっていた。でも一夏とか鈴の方が心配だったので気に留めてもいなかったわ。ごめんなさい、脅かし役のスタッフさん。