一夏が俺の腕に抱き付いて登校しかけたあの日から数日後。俺は今、一夏や母さんからの一緒に私服を買いに行こうというお誘いという名の強制連行によりレゾナンス内にある男性服売り場に来ています。
……どうしてこうなった。いや、原因というか切っ掛けは分かっているんだ。一夏がうちの母さんに向かって「和行にカッコいい服とかを着させたらいいんじゃね?」的なことを囁いたらしいんだよ。それの所為でうちの母さんもなんかテンション上げてる訳で……。
それで休日を悪用――もとい利用されて俺の服選びやらなんやらをする羽目になっているんです。俺は家で勉強するか、一夏と一緒に家庭用ゲーム機でパーティゲームでもしていたかったのに。野郎の服の何処にそんなテンション上げる要素があるんだよホント。男の服だぞ? 女の子とかなら未だしも男の服だぞ? 訳わからんわ。一夏に泣き縋ろうにも母さんを唆したのも一夏だから真っ黒すぎてどこに目を向ければいいんだよ。これもうわかんねぇな。
「これも、これも、これも和行に似合うはず。いや絶対に似合う!」
「テンション高いわね。一夏ちゃん」
「和行和行和行和行――」
「一夏ちゃん、どうどう」
なんか意味が分からないくらいにテンションを上げている一夏を母さんが宥めていた。あいつ、なんでそんなにテンション上げてるんだか。てか一夏なんだけどさ、結婚がどうのって話をしてきた後から俺の事を甘やかす時はとてつもない勢いで甘やかそうとしたり、料理をしただけでまるで何かの大会で金賞を取ったり、優勝したみたいな扱いで褒めてくる回数が増えたんだけど。正直言って心臓に悪いです。カッコいいとか言わないでくれ、冗談抜きで照れるから。風邪を引いてた時に俺の事をめっちゃ褒めてたけどさ、あれマジで危なかったんだからな。あまりの恥ずかしさで心臓が爆発するかと思ったわ。
これなら抱き付きとかだけの方がまだマシだった気がする。本当にこれ以上は不味い。なんか一夏に駄目にされてしまう予感がする。
「八千代さん。これなんてどうですか? 和行に似合いますよね! ね!」
「いいわ。実にいいわ! 流石ね、一夏ちゃん」
「和行の為ならこれくらい造作もないです」
「今の一夏ちゃん、物凄く輝いて見えるわ」
もうやだこの二人。俺、家に帰りたい。どこぞのスクールアイドルじゃないけど切実にお家帰りたいです。ほら、周囲の男達がうちの母さんと俺の女神である一夏が女性という事と二人の気迫に気圧されてなんか縮こまってるもの。そこの二人、頼むから自重しやがれください。
さっきからこの調子な所為で頭痛が痛いです。もう言葉の誤用なんか知ったことか。はあ、ヤケ酒ならぬヤケ炭酸飲料をやりたい気分だよ。
「和行。次はこれ着てみて」
「はいはい……」
一夏に手渡された服を手にしながら、俺はボックス型の試着室へと戻る。冗談抜きでさっさと試着済ませて帰りたいのだが、あの二人がそうは問屋が卸さないと言わんばかりに俺の退路をがんせきふうじしてきやがるから逃げられない。とても辛い。
あの二人が野郎の服売り場に居るのもいただけない。一夏はあの通り最強美少女だし、母さんはまだ三十代な上に美人だからな。悪い男とかに声を掛けられないか心配だ。母さんはぽっくり逝っちまった親父一筋らしいから大丈夫だとは思うけど、息子としてはかなり不安だ。その内、俺の為とか言って再婚する可能性も否定できない。もし仮に俺と年齢が近い二十代とかの男を父親とか呼ぶ羽目になったら、織斑家に一夏と共に逃げ込んで一夏の胸で泣いている自信ある。
一夏がもし声を掛けられたら、その時点で声を掛けてきた男にガン飛ばしてから一夏の手を無理矢理掴んで一緒に逃げます。一夏がチャラいというかそういう感じの男と居るのを想像したくないし、何より一夏にそんな男なんて似合わない。あいつのことだからそんな男に付いていく事や付き合うことなんてないだろうけどさ。
「ほい。着たぞ」
そんなこと考えている内に着替え終えた俺は母さんと一夏に押し付けられた服を見せつけた。ネイビーの普段着用テーラードジャケット、Tシャツ、黒スキニーパンツ。靴は外出する際に履いてきていたスニーカーといった出で立ちだ。さあ、笑うなら笑え。笑われる覚悟は出来ているぞ。俺にこんな格好なんて似合わねえんだよ。そこら辺の安い服で十分なんだよ俺には。
「ふわぁ……カッコいい」
「うん。良いわね。これも買いで」
……あ、あれ? 俺が想像していた反応と二人の反応が違うんですけど? 母さんはうんうんとなんか頷いていて、一夏の方は俺の方をうっとりとした顔で見てきているし。あの、やめて。その顔、冗談抜きでエロいからやめて。一夏の事をお持ち帰りしたくなったからマジでやめて。
ていうかさ、今朝もそんな感じの顔してなかったか? 頼むからその表情はアウトだから自重してくれ。お前のその顔を俺以外の男に見られたくないんだよ。一夏のこういう表情見ていると俺の独占欲が高まっていくからホント辛い。自分でも頭おかしいんじゃないかってくらいに。
「じゃあ着替えていいわよ」
「はい……」
母さんの言われた通り、俺はまた試着室の中に戻る。……ちょっと待って。今日家を出る時に着ていた服に着替えてるんだけどさ、試着していた服の値段見ただけで吹き出しそうになったんだけど。気に留めていなかったけどこんな値段するのかよ。まさか、さっき試着した服も同じような値段なんじゃ……俺、こんな値段の服要らないよ? 安い服で良いよ。なんか怖くなってきた。
そんなことを考えながら試着を終えて試着室から出た俺は、やっぱりこんな服要らないと母さんに伝えたのだが、
「駄目よ」
「なんでさ」
母さんから帰ってきた言葉は俺の要求の却下するものだった。えぇ……マジで駄目なの? そんなー。ダレカタスケテー。はははワロス。泣きたい。冗談抜きで俺にこんな服に合わないから。この手の服を着ても、どうせ弾や数馬や鈴に笑われるだけだと思うし。うん、絶対笑うよあいつらは。
「じゃあ、私は会計に行ってくるから」
「もう好きにしてくれ……」
有頂天になっている母さんの言葉に投げやり気味に返しながら俺は盛大にため息を吐いた。溜息吐かない方がおかしいでしょこれ……。母さんの着せ替え人形にさせられていた箒、鈴、一夏の気持ちがよく分かりました。明日から一夏にはかなり優しくすることにします。鈴は今度会ったときにでも優しくします。箒は現在住んでいる場所が分からないので無理です。
そうだ、一夏には後で今日の仕返し――じゃなくて、お礼としてお姫様抱っこしてあげよう。そうしよう。
「和行、どうしたの?」
「俺に似合わないってあれ……」
「大丈夫だよ。ばっちり似合ってたし」
「あの、馬子にも衣装って知ってる?」
「和行」
真面目な顔で俺を見てくる一夏に少しだけ困惑した。なんでお前がそんな顔するんだよ。俺なんかにこんなオサレな服なんて似合わないんだよ。俺がそんなことを心の中で吐きだしていると、おもむろに一夏は俺の左手を両手で握ってきた。
「い、一夏!?」
「あまり自分の事を卑下しないで。私、自分の事を馬鹿にしている和行の言葉なんて聞きたくないよ」
「……でも」
「分かってる。和行がそういう人だって。だからね、これから自分に自信を付けていこ? 私も手伝うから」
「う、うん。分かったよ」
一夏のその言葉に俺は頷くしかなかった。な、なんなんだ。一夏のやつ、俺に対して献身的すぎるぞ。まだ頭が一夏の態度の変化を受け入れようとしていないんだよ。でも正直さ、こんなこと言われて嫌だなんて言える訳ないでしょ。無理だよこれ。身長差の影響で俺の事を見上げる形になってるから若干上目遣いなんだよ。一夏に背中を拭いてと頼まれたときもこんな感じだった所為で断れなかったし。
上目遣い抜きにしても、俺ってなんだかんだで一夏に甘いっていうか弱いよね。一夏に対してはかなり優しくしてしまうし。これって惚れてしまった弱みなんだろうか。
いや、それよりも一夏に言っておかなければいけないことがある。さっきから野郎共の嫉妬に満ちた突き刺さるような視線が辛いんだよ。早く手を放してくれないと俺の胃に穴が開く。
「一夏」
「なに?」
「あの、いい加減手を放してくれないか?」
「え? なんで?」
「周りを見てみろ」
俺が一夏にそう促すと、一夏は周囲を見渡し始めた。ようやく一夏も自分達がどんな目で見られているのか気付いたのか俺から手を放してくれた。顔でも赤くしてるのかと俺は思ったのだが、俺の予想に反して一夏は顔を羞恥に染めたりしていない余裕がある表情をしていた。
「そっか。和行ってば恥ずかしかったんだね」
……本当にあの日から一夏に何があったんだ? わからん。冗談抜きで一夏が何を考えているのか分からなくなってきた。鈴はどうして一夏がこういう態度を取るのか理解できてたっぽいけど、その事に関して口を割る気はないみたいだし。
俺が一夏の態度に疑問符を浮かべ続けていると、母さんが会計を終えたのか俺達の下へと戻ってきた。俺は母さんから買い物袋を大人しく受け取った。もう諦めたからね、仕方ないね。買うものは買ったし、そろそろ昼食時なのでレゾナンス内かレゾナンス近くの店で食事をする為に動き出そうとしたのだが、その前に一夏はお手洗いに行きたかったらしいので俺は母さんと一緒にトイレの近くで待つことにした。
なんていうか、女の子になっても一夏はどんな時でも自分の言いたい事は物怖じしないでちゃんと言う方だよね。トイレに行きたいとか誤魔化すと思ったんだけど。そこがあいつの良いところでもあり、駄目なところでもあるんだが。まあ、最近は空気を読まずに発言する事は殆どなくなったけどさ。
あ、そうだ。今のうちに母さんに相談してみるか。
「母さん。相談があるんだけど」
「なに~?」
「一夏の態度がさ、俺が一夏を看病した日から変わっている気がするんだよ」
「確かに一夏ちゃんは和行に甘くなったりしているわね」
「なんで俺への態度が急に変わったのかな……」
恐らくだけど、母さんは一夏の俺に対する態度が変わった理由を知っているだろう。何故だかそう直感する事ができた。それに多分一夏と母さんはその理由を俺に隠す為になんらかの話し合いをしたに違いない。だから母さんに疑問に正直に答えてもらうことなんて期待していない。せめてヒントだけでも欲しいんだ。
「疑問に思うのは当然よね」
「当たり前だろ。あんな事されたら気になるに決まってる」
「一夏ちゃんに甘やかされたりするのは嫌?」
「嫌じゃないけど……なんかこう、しっくりこないというか」
一夏が俺に向けてくる感情や言葉はむしろ心地よいものだ。好きな女の子に褒められたり、優しくされているんだから尚更だ。でも、だからこそ気になってしまうんだ。なんで一夏は俺に先程のような言葉を掛けてくるんだろうって。
「そうね。理由はその内分かるんじゃないかしら」
「根拠は?」
「女の勘」
またかと口に出しそうになるが、ぐっと飲み込んでおくことにする。でも今はそれだけでいいか。無理に聞き出すなんて俺の趣味じゃないからな。
そうやって自分を納得させていると一夏がお手洗いから戻ってきたので、俺達は昼食を食べるために再び足を動かすことになった。母さんの提案により、レゾナンス近くにあるファミレスで食事をすることになった。ここにはよく鈴や弾や数馬、俺と一夏で駄弁るのと腹を満たすのを両立するためによく来ているので、変に気を張らずに食事することが出来ると思う。
禁煙席に案内された俺達はそれぞれ座りたい場所に座る。一夏は窓側、その隣に俺。俺達の向かい側に母さんが座った。まあ、こうなるよね。俺は一夏と一緒に座りたかったし、母さんは自ら進んで反対側に座っているし。母さんはメニューを手に取ると、それを俺達の方に見せる為にテーブルに広げた。
「一夏はなに食べる?」
「カルボナーラ。和行は?」
「カツ丼定食だ。母さんは?」
「私はカキフライ定食にするわ」
なんか綺麗に割れたな。俺と母さんは和食なのに一夏はイタリアンだし。あれ、なんだか一夏が口を尖らせ始めたんだが……。一体どうしたんだ?
「私、やっぱりカツ丼定食にする」
「これ、カルボナーラよりカロリーあるぞ? いいのか?」
「いいの。……和行とお揃いだから気にしないもん」
え、俺とお揃いなのが良いの? ……嬉しいんだけど、なんだこの複雑な気持ちは。一夏のやつ、前は自分の好きなものを頼んでいたのに、最近ではこうやって俺と同じ料理や飲み物を飲みたがることが多い。
この前、二人してきゅうり味の炭酸飲料を飲んだ時は酷い有様になったな。俺がスーパーのワゴンに投げ売りされてた謎の復興販売されたばかりのきゅうり味の炭酸飲料を買ってきて、冒険気分で飲もうとしたところに一夏も便乗したんだよ。俺は止めておけと再三止めたんだが、一夏の奴がどうしても首を縦に振らなかったので俺の方が折れたんだ。その所為で二人してグロッキー状態になってたよ。勿論残すようなことはせず、俺が責任を持って全部飲み干しました。
俺がそんなことを考えている内に母さんがお冷を持ってきた店員さんに向かって三人分の注文を終えていた。料理のついでにドリンクバーも頼んでくれていたらしく、俺は三人分の飲物を持ってくる為に席を立った。俺が通路側に座っているんだし、俺が行った方が良いでしょ。
「母さんはなに飲む?」
「ウーロン茶」
「一夏は?」
「和行と同じ物」
俺は「はいよ」と呟くとそのままドリンクバーに向かい、ウーロン茶とメロンソーダを二つコップに淹れる。鈴達に罰ゲームで複数のドリンクを運ばされた時のテクニックを駆使して、三人分の飲み物を無事テーブルへと持っていくことに成功した。あの経験がこんなところで役立つだなんてと阿呆な事を考えていると一夏が俺の袖を引っ張ってきた。俺は反射的に一夏の方へと顔を向ける。
「なに?」
「なんでもないよ。和行の顔を真正面から見たかっただけだから」
……あの、なんで他のお客さんも居るファミレス内でそんな小恥ずかしい事を言えるんですか君は。体と顔が熱くなってきたぞおい。母さんも俺達のことを暖かい目で見てきているし。……一夏の馬鹿。
心の中で軽く拗ねてると頼んでいた料理が運ばれてきたので、俺は気持ちを切り替えて昼食をいただくことにした。ここは全部支払ってくれると言った母さんに向かって挨拶をすべきだろう。
「いただきます」
そう口にしてから俺はカツ丼定食を食べ始めた。やっぱりここのカツ丼は美味い。肉の柔らかさと卵の閉じ加減がかなり良いんだよ。ほんと箸が進む。でもやっぱり俺は一夏の作るトンカツやカツ丼の方が好きかな。一夏の思いが籠っている感じがして大好きだ。
「和行。ほっぺにお米付いてるよ?」
「え、マジか」
一夏の指摘に俺は紙ナプキンを取ろうとしたのだが、その前に一夏が俺の頬に手を伸ばしていた。……あの、なんか今年の夏祭りの光景がデジャブったんですけど。これ、次の瞬間には一夏に頬に付いている米を取られるんじゃないでしょうか。いや、取られるよねこれ。あのイケメン力を美少女力へと変換した一夏ならやってのけるだろう。
「はい。取れたよ」
「あ、ありがと。一夏」
はい、予想通りでした。一夏が俺の頬に付いている米粒を取りました。そしてあろうことか、一夏はその米粒を自分の口元へ運んだ。白魚のような指に付いた米粒を口に含み、少し咀嚼してから一夏は米粒を飲み込んだようだ。
……ごめん。理解が追い付かない。え、え? いま一夏は何をした? 俺の頬に付いていた米粒を食べたよね? な、なんでそんなことできるんだよこいつ。ちょ、待って。冗談抜きで恥ずかしくなってきた。
「和行のほっぺたに付いてたお米……お米……えへへ」
当の一夏はそんなことを考えていないのか、物凄く嬉しそうにしながらそんなことを呟いていた。クッソ恥ずかしいぞこれ! 一夏の奴、何を考えてるんだ!? 母さんはどんな反応をしているのだろうかと母さんの方を見てみると、
「私もあの人とこういうことやってたわね。懐かしいわ~」
何故か過去のことを振り返ってました。てか、母さんの口ぶりからして親父と母さんも今の俺と一夏のようなシチュになったことがあるのかよ……。そんな事実知りたくなかった。
その後、俺は何も喋らずにもくもくとカツ丼を食べ終えたよ。俺に遅れて一夏や母さんもご飯を完食した。昼食を終えた俺達はお腹を休ませてからファミレスを出て帰路に着くことになったのだが、母さんは支払いを終えると今日買った服が入った服を持って先に帰宅しました。そんな母さんに置いてけぼりを喰らった俺と一夏は、まだ照り付けている太陽の日を背に二人並んで歩いている。
今日はなんだか一夏に困惑させられっぱなしだった気がする。特にファミレスでのアレが。だけど、
「和行。また買い物に行こうね?」
「ああ、そうだな」
隣を歩く一夏の笑顔に、俺の些細な疑問なんて頭の中から完全に吹き飛んでしまった。……うん。やっぱり俺、一夏には甘いみたいだ。
うちの一夏ちゃんは軽くぶっ飛んでるので、草食系というか貞淑というかまともな一夏ちゃんが見たい人は気を付けてください(今更)