一夏が一階でタオルの片づけをしている間に俺は下着やシャツ、パジャマの着替えを終わらせる。流石に一夏が居る前で着替えとか無理です。一応女の子ですよ彼女は。元男とはいえ、今は立派な女の子なんですよ。そこらへんの意識だけはしっかりと守っていきたい。守らないと大変な事態にもなりかねないからな。下手な事をして一夏との関係を反故にしたくない。鈍感なところや千冬さんの事を慕いすぎている点が未だに頭痛の種だが、それ以外の部分はかなり気に入っているし。
一夏の奴は目の前で着替えても別に気にしないって言うだろうけど、俺が気にするんで。男の前で女の子が着替えとかしないでしょ? それと同じで俺も女の子の前で着替えなんてしたくないんだよ。小さい溜息を吐きつつ、まだ残っていたスポーツドリンクを口に運び、喉を潤してからマスクを掛け直す。はあ、なんでこんなに気疲れしなければいけないのか。料理を作ってくれたり、体拭いてくれるのは嬉しいんだけどさ。うーん、上手く言葉にできないわ。
「あ、ちゃんと着替えたんだね。えらいえらい」
体を拭くのに使ったタオルを片づけ終えたのか、一夏が再びに部屋に入ってきて俺に笑顔を向けてくる。……やっぱ一夏の笑顔って可愛いよな。なんかもう女の子になった一夏の表情を見ていると似たような感想しか出てこなくなっていた。案外俺って語彙力あるように思えてそんなにないのかもしれない。これで元男とか信じられないわ。ぶっちゃけ信じたくないけど。束姉さんに薬盛られて女の子になってましたとか、束姉さんならやりかねないと理解している俺や一夏ならともかく他の人間は信じないだろう。
そんな一夏の笑顔を脳裏に焼き付けながら俺は一夏へ先程から感じていた疑問をぶつけることにした。一夏ならちゃんと答えてくれるだろうという信頼があるからだ。
「なあ、一夏。なんで俺に対してこんなに良くしてくれるんだ? お前が面倒見がいいのは知ってるけど限度があるだろ?」
俺の疑問に一夏は困ったように頬を掻いてから息を吸い、意を決したかのように話し始めた。
「風邪を引かせたことへの罪悪感と……嬉しかったからかな?」
「嬉しかった?」
「ほら、私が女の子になった日に和行が言ってくれたじゃない? 『俺はお前の味方』だって」
ああ、確かに言ったな。別に俺は何かを考えてあの言葉を口にした訳じゃない。あれは自然と俺の口から零れた言葉だった。自分でもびっくりしたんだからな。俺の口からあんな言葉が飛び出るなんて。あんな言葉が無くても俺は一夏の味方でいるつもりだったけどな。親友――いや、何故かこの言葉には違和感が出てきているな。前までなら躊躇せずに言葉にしたんだが。親友じゃなかったら友人。いや、これも違う何かが違うんだよな。大切な人……うん、これで良いでしょ。
一夏は俺の大切な人なんだから、一夏の味方をするのは当たり前だよ。味方をしないなんて選択肢は最初から存在しない。
「その後も和行は私のために色々としてくれたし、言葉遣いの特訓とかなんか言い寄ってくるクラスメイトから私を守ったり……。和行からしたら小さい事かもしれないけど、私の為にしてくれているのが嬉しくて」
俺は余計なことは言わず、黙って一夏の言葉を聞いていた。
……お前、そんなこと考えていたのか。俺自身はそんなに大したことはしてない、ただ一夏の近くいただけだと思っていた。だって、俺自身は女の子になった経験もなければ女の子の大変さなんて話に聞いたくらいの知識しかない。実際にはどう大変なのかなんて分からない。だから、一夏の精神状態なんて勝手な推測を立てるくらいしかできなかった。だって、俺は一夏じゃないんだから。一夏の苦労や心境が分かるなんて口が裂けても言えなかった。いや、言うのを許さなかった。他ならない俺自身が。こうして口にされない限り、相手の本心なんて他人には理解できないのだから。
うん、自分でも中学生らしくない台詞だってのは理解している。でも、俺はこういう風にしか考えられないんだよ。小学生の頃からさ。母さんにそう教えられたからっていうのが一番影響出ているんだろうけど。
「そうだったのか……」
「うん」
一夏の話を徐々に自分の中に染みこませていった俺は心の中で思わず微笑んだ。俺はこいつの支えになってやれてたんだな。嬉しいような、こそばゆいような……。こんな俺でも誰かの役に立てたんだな。その相手が一夏ということもあってか尚更嬉しくなってくる。
「まだ六日くらいしか経ってないけど、それでも今こうして過ごしている時間は大変だけど楽しいかもって私は思っているんだ」
「楽しい、か」
「うん。特に和行と居るとね。だからその恩返しも兼ねて、かな?」
そう言って俺に笑顔を向けてくる一夏に内心ドキドキしっぱなしだった。思わず頬が熱くなるのを感じる。……大変だけど、楽しいか。女の子になって最初は大変だったけど、今は楽しいと思えているのか。一夏がそう心から思っているのは昔から付き合いのある俺だからわかる。こいつは本当にそう思えているんだなって。でも順応性高すぎじゃないかお前。でもまあ、そこにツッコミを入れるのは無粋か。
俺も一夏と居ると楽しいと思ってる。昔からやっていたいつもの何気ない行動とかも新鮮に感じられて、一分一秒を愛おしく思うよ。
「ありがとうね、和行」
――彼女が、一夏が見せたその笑顔はとても美しかった。これがトドメというか、きっかけだったのかもしれない。この時から一夏の事をより強く意識し始めたのだから。一夏の事を考えると心が躍り、胸が締め付けられるこの感覚。そんな状態に俺は安心感を覚えることが出来た。こういう感情をならずっと感じていたいと。
その後。一夏の笑顔を脳内フォルダに永久保存した俺は、やることを終えた一夏が帰ったし再び寝ようとしていたところだったんですが……一つ問題が起きました。
帰ったはずの一夏がパジャマとかの着替えやら歯ブラシやらを持って俺の家にまた戻ってきたんだ。な、何を言ってるのかわからないと思うが一番混乱しているのは俺だ。もう意味わからん。ちなみに一夏は自宅で風呂に入った後らしい。その所為なのか一夏からシャンプーやらなんやらの匂いがしてるから俺の頭がハッピーになってます。
……冗談抜きでなんで戻ってきたのこの子。なんで当たり前の顔をして俺の部屋の床に一階の客間にあった布団敷いてるの? そんなに風邪をうつされたいの? お願い答えてください、何にもできませんけど。あ、学校のプリントとか宿題持ってきてくれてありがとね。でも質問にはちゃんと答えてくださいお願いします。
俺からの問いかけに、彼女から反ってきた言葉はこうだった。
「和行の風邪が治るまでここに居るよ」
……え、なんですと。ごめん、俺の耳が逝かれたのかな。俺の風邪が治るまで俺の家に居るだって? え、聞き間違いじゃないの? あの、ちょっと。今の君は女の子なんだよ? そして俺は男なんだよ。流石にまずいと思うんだけど。だって男子中学生なんて性欲の強い猿みたいなものなんだぞ。自分好みの女の子が居たらえっちいことになるかもしれない。体験はしてみたいけど、俺の理性が駄目だと叫んでいる。当たり前だよな。俺達はまだ中学生だ。そういうのはまだ早い。一夏、君はそこんところ理解してます?
……いやまあ、性欲があるのかもわからないレベルだったからなこいつは。あまり理解していない可能性もある。頭をフル回転させていたお蔭でなんとか言葉を絞り出すことが出来た。
「……なんで?」
「和行のことが心配だし、それに明日と明後日は休みだからね。しっかり看病してあげる」
一夏の言葉を聞いて俺は今日が何曜日なのか思い出した。そういえばそうだな。今日って金曜日だったな。俺だけ三連休みたいなことになってるし。でもなあ、幾らなんでも女の子と一つ屋根の下ってのは不味い気がするんだけど。さっきも同じこと言った気がするけど。だって一夏、美少女だしめっちゃ可愛いし美少女だし。あ、二回同じこと言っちゃった。うん、絶対寝れないわこれ。同じ部屋で寝るとか一夏ちゃん大胆すぎー! ……はあ、なんか余計に風邪が悪化しそうだわ。気を紛らわすためにマスクを取ってスポーツドリンクを口に含んだ俺の視界にある物が見えた。
一夏はいきなり立ち上がり、狙ったかのようなタイミングで俺の目の前で服を脱ごうとし始めていたのだ。既に一夏の肉付きの良い腹と綺麗なくびれが見えてしまっている。あ、一夏の体めっちゃ綺麗だなと考えている内に状況を理解し始めた俺は、
「っ!?!?」
その姿に思わず目を剥き、飲んでいたスポーツドリンクが気管に入りそうになった所為で噎せてしまう。
馬鹿野郎! 付き合ってもいない男の前で着替えようとするんじゃねえ! いや、付き合っていたとしても絶対にやるな! と叫びたいのだが噎せているのでそんな言葉が俺の口から出るはずもなく、俺が噎せているのを心配したのか一夏が脱ぐのを中断して慌てた表情を浮かべながら近づいてくる。
「か、和行、大丈夫!?」
「お、お前! なんで俺が居るのに目の前で着替えようとするんだよ!?」
「え……あっ」
噎せるのが止まり、ようやく吐き出すことが出来た俺の言葉に一夏は今思い出したかのような顔をしていた。こ、こいつ……女の子になってもどこか抜けているところは変わらないのかよ。いや、なんとなく分かってたけどさ。もう少しでブラジャーが見えるところだったんだぞ、気を付けろよ本当にもう……。
「う、後ろ向いててね?」
「わ、わかったよ……」
急に気恥ずかしくなったのか小さな声で俺にそう頼んでくる一夏。俺は元よりそのつもりだったのでマスクを着け直しながら大人しく後ろを振り返る。すると、俺の後方から布が擦れる音が聞こえ始めた。一夏が私服を脱いでパジャマに着替えているだけなのだが、それだけなのに先程から心臓が煩い。早く終わってくれと祈っていると、一夏からこっちを見ていいよという声が掛かったので一夏の方を向いた。
そこには所々にフリルがあしらわれた白色のパジャマを着た一夏が居た。一夏の黒髪が映える色彩に俺は思わず目を奪われていた。
「ど、どうかな? これ千冬姉が選んでくれたんだけど」
「凄く似合ってるぞ一夏」
世辞ではなく本当に似合っていると感じた。ああ、やべえ。ホント可愛い。お持ち帰りしたいくらい可愛い。あ、既にここは俺のお家でしたね。
千冬さん、一夏のパジャマを選んでくれてグッチョブです。今度美味い飯を奢らせてください。それと、今度で良いので一週間だけ一夏と同棲する許可をください。お願いします。
そんな俺の考えなんて知らない一夏は俺の言葉にご機嫌になったのか、明るい顔をして布団に横になろうとしたのだが、
「あっ!」
「ちょ、一夏!?」
足を躓かせた一夏がこちらへと倒れ込んできた。なんか嫌な予感がすると思ったらこれかよ! 俺は一夏を受け止めるために敢えて避けなかった。だってもし俺が避けて一夏が俺の後ろにある壁とかに顔面をぶつけたら大変だし。
そんなことを考えている間に一夏の体が俺へとぶつかってきた。俺の体は慣性に従い、ベッドに寝そべる形になった。そこまで痛くなかったが、女の子とはいえやはり一人の人間の体を受けとめた所為かそれなりの衝撃が来た。体調が悪い時にやるもんじゃねえなこれ。衝撃が体に響いたわ。
「い、一夏。あの、さ――」
一夏に早く退いてくれと言おうとしたのだが……出来なかった。だって、俺の目の前に一夏の顔があったから。一夏が上の方になり、俺が下になっている他に一夏が両手で俺の両手の手首を掴む様な格好になっている。傍から見れば、完全に一夏が俺を押し倒しているような状況になっていた。
――俺は動けなかった。お互いの額が接触してしまうほどに近い距離。交差する視線。俺の胸に乗っている一夏の年齢不相応に発達している胸。聞こえる一夏の鼓動。そして、マスク越しに一夏から仄かに香ってくる言葉で表現するのが難しい安心するような匂いが俺の思考と体の自由を奪っていたのだから。もう少しこうしていたいという欲求と早くこの状況から抜け出さなきゃという理性の声が俺の中で拮抗していた。
どれくらいそうしていたのか判らなかったが事の次第に気付いたのか、一夏の顔がみるみる紅潮していき、彼女は後ろに飛ぶように体を起こして俺から離れていく。
うん、俺も多分あんな感じに顔が赤くなっていると思う。マスクで隠れちゃってるけどさ、なんか顔全体と耳から火が出るんじゃないかってくらいめっちゃ熱いし。俺は今起きたことが信じられず他人事のように頭を働かせていると、耳まで赤くなっている一夏が一呼吸を置いてから俺に謝ってきた。
「そ、その……ご、ごめんね?」
「い、いや、平気だ。その、一夏の方こそ大丈夫か?」
「う、うん。そ、それより早く寝よう? ね!」
早口で捲し立てる一夏に俺は咄嗟に頷いてしまう。一夏は俺の方をチラチラと見ながら敷いていた布団の中へと潜り込んだ。……一夏のラッキースケベが俺に移ったのかという疑心と、もう少し一夏と密着状態になっていたかったという名残惜しさを胸にしまう。手元にあるリモコンで部屋の電気を消すと掛け布団を体に掛けて目を閉じたのだが中々寝れず、気が付くと一夏に話しかけていた。
「一夏。起きてるか?」
「うん。起きてるよ」
「その、ありがとな。お前が看病に来てくれて本当に嬉しかった」
「当たり前でしょ。親友なんだから」
そうか、と俺は呟くとそのまま会話を終了させた。一夏はさっき俺と居ると楽しい、ありがとうと言ったよね?
一夏、お礼を言うのは君じゃなくて俺の方なんだ。実を言うと俺、少しだけ退屈してしまっていたんだ。この、代わり映えしない日常に。一夏や弾や数馬と馬鹿騒ぎして鈴に成敗されたり、一夏と一緒に料理したりゲームしたりするのは楽しかったけどさ。退屈してると言っても危険なことや危ないことは流石に勘弁だが、こういうのなら悪くはないと思う。まあ、肝心の一夏からしたらたまったものじゃないだろうが。
でも俺はそのお蔭で、新しい自分を見つけられたような気がする。女の子の一夏と過ごしたのはまだほんの数日だけどそれでも感じられるものはあったから。だから、俺は一夏に感謝の言葉を捧げたいんだ。でも直接口にするのは憚られるので、心の中で君に送るよ。
――ありがとう、一夏。