"(デウス)"を倒した夏目智春は9ヶ月経った今も帰ってこない。彼の帰還を待ち続ける少女と、その周りの人々の物語。

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原作小説が出たのがもう何年も前ですからこの短編もまともに読まれるとは思っていません。自己満で書いたものです。それでもよければお読みください。


アスラクライン 〜"神"のいない世界で〜

魔神相剋者(アスラクライン)となった黑鐵・改の演操者(ハンドラー)が自らの使い魔(ドウター)と共にこの世界を破滅に導く存在、"(デウス)"を倒してから9ヶ月。私の契約者(いとしいひと)はまだ帰ってこないーーーー

 

「夏目くん……」

つい、空を見上げると彼が今すぐにでも何気ない顔で帰ってくるのではないかと思ってしまう。ニ年生に進級した私は相変わらず科學部の先輩で、一人機甲師団こと黒崎朱浬さんに振り回されている。同じ科學部で智春と親しかった樋口くんは私以上に朱浬さんに振り回されている。本人に理由を聞いたところ、「ほら、樋口って雑用にも使えるしカメラとかの機材も扱えるし、情報網は広いから正直一緒にいて便利なんだよね」との回答が返ってきた。確かにサポート役としては非常に頼りになる存在だが…何も生徒会業務まで手伝わせるのはかわいそうだと思う。今でもたまに業務の疲れで抜け殻のように燃え尽きた彼を見る事がある。その朱浬さんも普段は黒崎紫浬本来の体で生活し、非常時は改造を施した方の黒崎朱浬の体を操っている。…たまに生徒会業務の処理のために紫浬さん自身の体の隣で朱浬さんの体を動かしているらしい。ニアちゃんは私とは違うクラスだが相変わらず科學部に入り浸っており、たまに樋口くんに噛み付いて運気を吸っている。…なんか思い返してみると樋口くんが本当にかわいそうになってきた。今年の春、新入生に夏目くんの妹がいた。正確には義妹だそうだ。入学式の前の日に彼女が越してきた鳴桜邸にイクストラクタを届けに行った時、私が和葉ちゃんのことを"あなた"ではなく"あなたたち"と複数形で呼んだことに驚かれたことを朱浬さんに話したら、夏目くんの時も同じだったらしい、ということがわかった。やっぱり血は繋がってなくてもそこら辺は兄妹なのかな…と思ってしまう。夏目くんが他の女の子と繋がりを持ったみたいでちょっとモヤモヤする。彼女は入学式の後、すぐに科學部を見つけ出して私たちの下までやってきた。正確には樋口くんと杏ちゃんに偶然出くわしただけらしいけど…それも運命なのかもしれない。和葉ちゃんに私と夏目くんの邂逅から契約、そして彼が"(デウス)"を倒すに至った経緯を話した。一巡目の世界の重力炉の中でのことを話す時はちょっと恥ずかしかったけど、朱浬さんに迫られて契約の儀の最中のことも赤裸々に語らされた。その後しばらくニアちゃんと和葉ちゃんが顔を耳まで真っ赤にして俯いていた。ちなみに告白を受けた時のことを聞いた朱浬さんは何やら人の悪そうな笑みを浮かべていた。夏目くんが帰ってきたらそのことでいじり倒そうとしているのかもしれない。一応、ペルセフォネとの繋がりは感じるので、死んでいる、ということはない。どこにいるかは分からないが、ペルセフォネが無事なら夏目くんも生きているだろう。私は立ち上がって窓の外を眺め、無意識に自分の下腹部に手を当てていた約9ヶ月前、ここに彼の温もりをもらった。校庭に青々と茂る木の葉を見ていると思い出す。私たち二人の出逢いは最悪だった。何せ、謎の能力を使う襲撃者と何も知らない幽霊憑きの一般人という関係だったのだ。その後、十字稜(ラ・クロア)で一緒に一巡目の記憶を見たり、暮海崎の一巡目の遺跡でニアちゃんのお姉さんとその契約者(コントラクタ)の射影体の死に立ち会ったりした。一巡目の世界に飛ばされた時に告白された時の事は今でも鮮明に覚えている。あの時言われた事は一字一句今でも復唱する事ができるだろう。そしてニアちゃんの故郷の悪魔が機巧魔神(アスラ・マキーナ)を狙って重力炉の中の次元潜行チェンバーに襲撃をかけてきた時に私は死んだ。しかしあの空間では時間はループするものらしい。確かだいたい三時間ぐらいをぐるぐると繰り返していると聞いた。螺旋。それは同じ場所を回り続ける周回ではなく、同じ場所にいるようで、違う場所にいる。私が居候していた潮泉家の老人と一巡目の夏目くんのお兄さん、本当に最初のオリジナルの夏目直貴が言っていた事だ。一見すると同じ場所にいるようで、本当は移動している。なんとも不思議なものだ。そして現在、私と和葉ちゃんと和葉ちゃんに憑いている射影体の咲華ちゃんの三人で部活動と言う名のささやかなお茶会をしている。他のみんなは生徒会業務や私事で出払っている。

「あの、嵩月先ぱ…キャッ⁉︎」

「和葉ちゃん!」

入学式の日に科學部に来た夏目くんの妹である苑宮和葉ちゃんが突然の轟音と揺れに驚いて持っていたカップを取り落としそうになったのでそれをキャッチして彼女を自分の胸に抱き寄せる。

「奏っちゃん!…でかっ」

科学準備室に飛び込んで来た朱浬さんの発した一言目がそれだった。後に続いてやってきた樋口くんも「おおぅ…これは中々に…」などと言っている。でかいだの中々だの言われているが今はそれよりも揺れの正体が気になる。

「朱浬さん、今のは…」

「多分、はぐれ眷属(ロストチャイルド)が学校の敷地内に出現したんだわ。まだ世界間の境界が危うい場所もあるし、そこから紛れ込んできたんでしょうね…って、奏っちゃん!和葉が!」

「え?…あっ!」

朱浬さんに言われて私はようやく和葉ちゃんを抱きしめたままだった事を思い出した。去年の科學部メンバーはともかく、彼女はまだ荒事に慣れていないのだ。できれば慣れて欲しくはないが。慌てて彼女を離すと蒸気が上がるのではないのかというほど顔を真っ赤にしてぼーっとしていた。酸欠にでもしてしまったか。

「和葉⁉︎しっかりして!」

朱浬さんが肩を揺さぶってみるとなんとか意識を取り戻したようで目の焦点があった。よかった。

「先輩、今のって…」

「心配、しないでください。私たちが対処、します」

「和葉はどうする?玻璃珠(カルセドニー)を使ってみる?」

「朱浬さん、危険、です」

演操者(ハンドラー)である以上、悪魔や他の演操者から狙われることも無いとは言い切れないわ。今のうちに扱いには慣れておいてもらわないと。今回は私もサポートするけど、和葉が三年になったときに一人で戦えないと困るでしょ?」

悔しいけど朱浬さんの言う通りだ。実際にイクストラクタを所有しただけで夏目くんは私と神聖防衛隊に襲われた。演操者を襲った身としては朱浬さんの言葉は無視できない。

「和葉ちゃん、今回は私たちがサポートするから玻璃珠(カルセドニー)ではぐれ眷属と戦ってみてください。いつか貴方一人でも今みたいな事態を解決する力を身につける第一歩です」

「え…で、でも…」

「大丈夫よ。奏っちゃんも私もいるし、いざとなれば神聖防衛隊の筋肉共がどうにかしてくれるわよ」

「朱浬さん!校庭のど真ん中に出現したっぽいです!」

何やら怪しげな雰囲気のゴーグル型の機械をつけた樋口くんが朱浬さんに報告する。校庭ならこの近くの窓から飛び降りたほうが早い。朱浬さんも同じ事を考えたのか既に窓を開けて片足を窓枠にかけている。

「え?会長?何をする気…ってええええぇ⁉︎」

朱浬さんが飛び降りたのを見て和葉ちゃんが驚いている。これからはあれに慣れてもらわないといけないのだ。ちなみに樋口くんは最初からこうなる事が分かっていたのか階段に向けてダッシュしていた。

「和葉ちゃん、私たちも、飛び降りましょう」

「無理です!私普通の人間ですから!」

「大丈夫、です!」

和葉ちゃんをお姫様抱っこで抱きかかえて朱浬さんの後に続く。途中、悲鳴をあげていたが多分大丈夫だろう。…多分。着地してすぐに和葉ちゃんを下ろして校庭へ向かう。既にこの場所からも校庭の上空の空間に亀裂が見える。相当な大きさの亀裂だったから空間の歪みも複雑だろう。両手のひらに懐に忍ばせておいた懐剣で傷をつけ、滲み出てきた血を嵩月家の血に流れる地獄の業火へと変化させて手に纏う。物陰から校庭のはぐれ眷属に飛びかかろうとして空中に躍り出た私は驚いた。暴れているはぐれ眷属の数が尋常ではなかったからだ。両生類、鳥類、哺乳類、爬虫類…多くの種類の生物のようなフォルムをしたはぐれ眷属が校舎に張り付き、地面を這っている。私の接近に気づいた鳥型のはぐれ眷属が一匹向かってきたが、容赦なく撃ち墜とす。手の炎を大砲の弾のように飛ばして鳥型の羽根に当てる。たちまち炎は燃え広がって鳥型を焼き尽くした。

「奏っちゃん!掴まって!」

背中のバックパックでアクロバット飛行をする朱浬さんが私の胴をしっかり掴んで一旦その場を離脱する。その際にさりげなく胸を揉んできたので肘鉄を入れておいた。呻き声が聞こえた気がするがあの改造美人ならさして問題無いだろう。朱浬さんは建物の陰に隠れていた和葉ちゃんの横に私を下ろしてすぐに飛び立ち、校舎を超えて校庭の外に出ようとしていたヤモリのような形のはぐれ眷属に向かってミサイルを叩き込んでいた。

「奏!数が多すぎるぞ!どうする?」

「ニアちゃん!お札は後、何枚くらい?」

「精々五十枚程度だ。無駄遣いはできん」

「…和葉ちゃん、玻璃珠(カルセドニー)の出番、です」

「玻璃珠の固有能力は大気掌握だ。幸い今出てきている奴らは肺呼吸するタイプ。ここら一帯の空気から酸素だけを奪い取れ。興奮して息も荒くなっているから、奴らはじきに動けなくなる」

「大丈夫、和葉ちゃんが玻璃珠を操っている間は、私とニアちゃんで守ります、から」

「は、はいっ!…ふーっ、よし!来て、玻璃珠(カルセドニー)!」

和葉ちゃんの隣に浮かんでいた射影体の姿がモザイクで隠れるようにして消え、和葉ちゃんの影が黒よりも暗い闇色へと変化する。次元の狭間を破るように影をこじ開けて出てきたのは純白の鎧を身に纏った機械仕掛けの悪魔。その名を玻璃珠(カルセドニー)。玻璃珠は自らの演操者(ハンドラー)を守るように校庭の前に立ち塞がり、喉の歯車を回転させて男性のものとも女性のものともつかない音を鳴らし始める。

『闇より(くら)き空より出でしーーー』

「この空間の酸素を奪う!全員離脱しろ!さもなくば巻き込まれるぞ!」

ニアちゃんが大声で朱里さんと神聖防衛隊の面々に向かって叫ぶ。ここで戦っているのは機巧魔神(アスラ・マキーナ)の恐ろしさを知っている人間。その威力は個体にかかわらず破壊力抜群である事を身を以て学んでいるからこそ、即座に離脱ができた。朱里さんは空高く上昇し、神聖防衛隊は殆どが窓を割って校舎内に入り、危機を逃れた。

『其は科学の風が運ぶ毒!』

校庭内の空気が酸素を奪れて空気の約20%が急に消えたことで周囲の空間から校庭に向かって強い風が吹いた。言うなれば湯船から桶で水をすくった時のような状態だ。見ると、多くのはぐれ眷属が急に呼吸できなくなった事でパニックを起こし、小型のものは鳥型や大型のものに踏み潰されて死んでいった。朱里さんと神聖防衛隊が上から、横からミサイルと小銃を叩き込み、ニアちゃんが暴れるはぐれ眷属にお札を貼って本来いた世界や世界の境界に還していく。私はあの空間に酸素が無いので正直手持ち無沙汰な状態だ。火を付けたマッチを二酸化炭素で満たした集気瓶に入れた時に消えるのと同じだ。なので、せめて玻璃珠(カルセドニー)の制御に集中している和葉ちゃんの隣で不慮の事態に備えようーーーそう考えた時だった。次元の亀裂がパキッ、と嫌な音を立てた。殆どのはぐれ眷属(ロストチャイルド)が死ぬか、もしくは元いた場所に還されるかして事態が収束している中で、誰もが油断していた。見る間に亀裂はどんどん広がり、ほんの十数秒で大穴が開いた。そのから姿を現したのは、巨大なミミズ。ぬめりを帯びた体表に、細く長く柔らかい胴(?)。それをくねらせながら無理矢理に穴をこじ開けながらミミズ型はその巨体を世界に誇示するように校舎の大部分を自身の体重で押しつぶし、支柱などが無く構造的に弱い場所は既に倒壊してしまっている。こうなってしまえば玻璃珠の大気掌握もほぼ無意味になってしまう。私は和葉ちゃんに向けて言った。

「すぐに逃げて、ください。なるべく、遠くに」

「朱里さんや先輩は⁉︎」

「大丈夫、です。悪魔、ですから。さ、早く!」

和葉ちゃんは納得していないような顔だったがあのミミズ型の巨体を前には無力だと理解していたのか、大人しく逃げてくれた。私は再度手に炎を纏わせて臨戦態勢になる。隣にニアちゃんと朱里さんも降りてきて護法榴弾砲を両手に構える。毎回思う事だけど、一体いくつ持ち歩いているんだろう。

「ニアちゃん、そのお札効きそう?」

「一、二枚貼り付けた感触だと効かなそうだった。あの粘液に何かしらの仕掛けがあるのかもしれん。が、まあ効いたとしても過度な期待はしてくれるなよ」

「じゃあ奏っちゃんの炎と私の武器で粘液をどうにかするからその隙にお札を貼り付けてみて。効かなそうだったらありったけの護法榴弾砲ぶち込むから」

「その後のことは…ま、その時考えるか」

ニアちゃんの一言を皮切りに私たちはミミズ型の胴体の側面に一斉に攻撃を仕掛けた。朱里さんはどこから取り出したのか、ガトリングガンを二丁、地面にアンカーを下ろして連射している。飛びながら撃ったら反動でまともに姿勢制御できないのだろう。

「焔月!」

嵩月家に伝わる神楽舞の動きに合わせて焔月を振るう。正直こんな巨体に対して武術の型は意味をなさないと思えるが、一応、精神面での集中を保つためにいつも通りの動きで攻撃する。血の排出量を増やして焔月の威力を上げて熱と衝撃で粘液が飛び散って薄くなった場所を思いっきり切りつける。爆炎とともに肉片が飛び散ってミミズ型が叫び声を上げた。即座に離脱した私の穴を埋めるように朱里さんが飛び込んできて護法榴弾砲を至近距離でぶち込んだ。更に肉片が飛び散り、ミミズ型の巨体が揺れた。ニアちゃんが残ったお札を全部の使って五芒星を作り、呪文を唱えて完成した陣をミミズ型にぶつけた。その間にも肉が再生し、粘液が体表から分泌されているので私と朱里さんで周囲の肉を削り続けることを忘れない。

「ニアちゃん!どんな感じっ⁉︎」

「ダメだ!このはぐれ眷属(ロストチャイルド)の体が大きすぎて送り還すにも送り還せそうにない!」

「そんなっ…!」

その時、ミミズ型の体が大きく動いた。存在するだけでこちらの世界に大きな被害を及ぼすミミズ型が、動いた。今まで被害がなかった地域や区域に被害が及び、せっかく私たちが削った部位も見えないところへ行ってしまった。私たちがどうするか考えていると、持ち上げられたミミズ型の首がこちらを向いていた。気付いた時にはもう遅く、ミミズ型の巨体が倒れてくるのを私たちは回避できなかった。朱里さんが飛んできて拾ってくれたおかげで、3人とも直撃は避けたものの、衝撃波で吹き飛ばされ近くの校舎に叩きつけられた。

「う…あ…」

どこか折れてしまったかもしれない。血もだいぶ使ってしまったし、貧血でもう立つことも出来ないだろう。朱里さんはバックパックの翼が歪んで飛べなくなっているし、ニアちゃんは気を失っている。少し遠くには倒れている和葉ちゃんの姿もあった。逃げ切れなかったのか。ミミズ型が大きな口をあんぐりと開け、こちらに迫っていた。もうダメなのかな。あの人にもう一度、会いたかった。もう一度抱きしめて、抱きしめられたかった。あの温もりを、もう一度ーーー。そう思って目を閉じた。死ぬ時ぐらいは大好きな人の名前を呼びたいーーー私は目を閉じてその名を呼んだ。

「夏目…くん」

ミミズ型の呼吸音が聞こえる。生温くて気持ちの悪い風も感じるから、きっと目を開ければミミズ型の口が目の前にあるのだろう。しかし、いつまでたっても衝撃は来なかった。おかしい、と思って目を開けると、口を開けたままピクピクと痙攣するミミズ型の姿があった。そしてすぐにミミズ型は悲鳴をあげ、のたうち回った。なんで、と思った私の視界に、すぐにその答えが飛び込んできた。小さいながらも空を舞う、赤い体を持った火を噴く竜。そう、それはーーー

「ペルセフォネ⁉︎」

私と夏目くんの(ドウター)、ペルセフォネだった。朱里さんとニアちゃんを足で掴んで私を口で(くわ)えて、ペルセフォネは3人分の重さのためかふらふらしながら飛び立ち、校舎の屋上まで運んでくれた。かと思えばすぐに飛び立って和葉ちゃんも運んできた。ニアちゃんも和葉ちゃんも目を覚まし、周囲の状況を把握しようとしてキョロキョロしていた。

「ペルセフォネ、あなたどうやって…?それに、夏目くんは…?」

「キュルルー!」

ペルセフォネは一声鳴くと、再会を喜ぶかのように頭を私に擦り付けてきた。思わず、バランスを崩してペルセフォネに押し倒される形になってしまう。頭を撫でてやると、ペルセフォネも気持ちよさそうな顔をした。

「どういう事だ?使い魔(ドウター)は本来、母体の悪魔よりも契約者(コントラクタ)の方を優先して守るはずだが…」

ニアちゃんが不思議そうに言った。たしかに、今のペルセフォネの行動は本来の使い魔の行動原理に適っていない。でも、私には分かる。

「ペルセフォネ、夏目くんがあなたを送ってくれたのね?」

「キュウ!」

肯定の意思を示すかのようにペルセフォネは元気に鳴いた。

「世の中、不思議な事もあるものね」

バックパックと使えなくなった武器を地面に放り投げて捨てていた朱里さんが感嘆したかのように言った。

「何も、不思議なことじゃない、です。私と、夏目くんは繋がってます、から」

「ほら、和葉、あの子が貴女の姪っ子よ!名前はペルセフォネっていうの。貴女も叔母さんになるのね!時間が経つのって早いわ〜!」

目を覚ましていた和葉ちゃんに朱里さんがいつもの調子で絡んでいる。本人は何を言われているのかまだよくわかってないらしく、少しの間ボーっとしていたが、やがて話の全容を把握して驚いている。無理も無いと思う。だって翼の生えた爬虫類のような生き物が自分の姪だと言われてまともに受け止めきれる人間は少ないだろうし。

「さて、目下の問題はアレだが…還すことができない以上、こちらの世界で処理するしか手は無いぞ」

ニアちゃんが難しそうな顔をして地に伏せているミミズ型に目を向けた。見れば、広範囲で背中が焦げて、煙を上げている。ペルセフォネがやったのだろうが、すごい火力だ。

「あとは…任せておけば問題、ありません」

「?どういう事だ、奏?」

不思議そうな顔でニアちゃんがこちらを見る。たしかに、何も分からない状態で同じことを言われたら私もあんな反応をするだろう。でも、私には分かる。彼がーーー私の契約者(コントラクタ)がーーー私の愛しい人(夏目くん)がーーーすぐそこまで、来てくれている!

『闇より暗き深淵より出でしーーー』

ああ、聞こえる、この音。懐かしい。私を幾度も守ってくれたあの機械仕掛けの悪魔。その演操者(ハンドラー)が近くまで来てくれているという事に、私は涙が溢れるのを止められなかった。

『其は科学の光が落とす翳!』

ミミズ型がこじ開けた次元の穴から黒と白の装甲を纏い、右手に剣を持ち、左手には漆黒に輝く重力球を握った人造の悪魔が降ってきた。その重力球をミミズ型の背中に叩きつけ、叫び声を上げたミミズ型にとどめを刺すように右手の剣でその背中を斬りつけた。次元を超えて世界間移動を可能にする能力を持った剣で斬りつけられたミミズ型は自らのうちにできた次元の穴に取り込まれて、次第にその体を小さくしていき、ついには膨大な破壊の痕跡だけを残してこの世から塵1つ残す事なく完全に消えていった。和葉ちゃんに支えてもらいながらなんとか立ち上がった私の見つめる先には、漆黒の白衣を着て、黑鐵・改の隣に佇む青年の姿が。彼はこちらを一瞥(いちべつ)するとすぐに黑鐵・改と共にその場から消え、私たちのいる屋上に今度は彼だけが現れた。

「夏目…くん」

「ごめん。遅くなった」

「遅い、です…本当に、遅すぎ、ます」

私は無意識に歩き出していた。和葉ちゃんもそれを察してくれていたのか支えていた手を離してくれた。私は歩いただけで倒れこみそうになる体を叱咤しながら彼の方に歩み寄る。彼も私の方に歩み寄ってくる。そして二人の距離が1メートルあるかないかというぐらいまで縮まったところで私の体に限界がきた。足に力が入らなくなり、彼の方に倒れこむ。彼はこちらに駆け寄って私の体を抱きとめ、ゆっくりとその場にしゃがみ込んだ。彼の体は私の知っている頃よりも大きくがっしりとしていて、彼がどれだけの時間を過ごしてきたのかを雄弁に語っていた。

「腕……」

「うん、世界間移動を繰り返してたら体が悪魔化したりして非在化の影響を受けてね、再生もしなくて、結局左腕は丸々無くなった」

「心配かけないで、って私、言いました。守らせて、って言いました。なのに…何で……」

「ごめん。奏」

彼は訴えかける私の顔に顔を近づけて、キスをした。頬や額にじゃなく、唇にだ。これだけで、私は全て許してしまう。彼のそばにいたいと、思ってしまう。叶わないことかもしれないのに、彼と一生を添い遂げたいと思ってしまう。唇を離し、彼は言った。

「遅くなったけど、ただいま」

「はい…お帰りなさい、智春くん」

そしてまた、唇を塞がれた。

『おーおーこれまたディープなキッスをなさることですなぁ』

「っ⁉︎」

声のした方を見ると、こちらも成長した姿の水無神さんが浮かんで朱里さんの隣でニヤニヤしていた。その紫浬さんの本当の体が屋上の扉から出てきて姉の方の朱里さんの体は隅っこに優しく横たえられた。

「トモハルも操緒(サオ)ちゃんもお帰り。何で二人とも成長してんの?トモハルに至っては直貴さんみたいになってるし」

「操緒さんは、環緒(たまお)さんみたい、です」

『んーとね、なんか、時間の流れが遅い世界と早い世界っていうのがあって私と智春(トモ)はそこに長い間滞在してたからこんな事になっちゃったみたい』

「ふむ…私が智春たちよりも五年昔に飛ばされたのとはまた違う原理…時間の流れる速さの違う世界とは興味深いな」

ニアちゃんが興味深そうに私たちの方に近づいてきた。幸い、怪我は軽かったらしく、目を覚ました後は元気そうだ。

『久しぶりだね、ニアちゃん。元気してた?寂しくなかった?夜はちゃんと一人で眠れてる?』

「操緒、貴様この9ヶ月でさらに性格が捻れたんじゃないか?」

操緒さんの軽口が智春くん以外にも向かうようになってる…。ニアちゃんの眉がピクピクと痙攣しているが、思い当たる節があるらしい。今でも偶に朱里さんや私と一緒に寝ているからか。

『9ヶ月…?あ、そっか。よかったね、智春(トモ)。まだ9ヶ月しか経ってないらしいよ』

「お前たちの時間は何年だったんだ?」

「体の成長具合から推測するに、って前提が付くけど多分、8年ぐらいだと思う」

『うーん、何回か世界間移動を繰り返すうちに時間の流れがおかしい世界があるのに気づいてさ、移動の後最初にやる事が時間の流れの誤差の確認とか、ほんと迷惑な話だったよね』

「全くだよ。しかも時間の流れが早い世界に留まった所為で腕の非在化は進行したし、その後に行ったここよりも流れが遅い世界で問題を解決するのにも時間がかかったりしたから体感時間に関してはもう数えきれないかな」

『でも本当にこっちでの時間が9ヶ月でよかったよね。一年も経ってたら智春(トモ)が勉強についていけなくなっちゃうところだったじゃん』

「いや…この体で高2は無理があるだろ。それに洛高は一回卒業してるし」

「えっ」

「何⁉︎」

「本当だよ。ほら、卒業証書」

驚きの声を上げた朱里さんとニアちゃんを見て私を膝枕したまま漆黒の白衣の内ポケットから折りたたまれた一枚の紙を取り出した。折り目でボロボロだったけど確かにそれは卒業証書だった。この世界の時間軸では2年前になる年の数字と、この学校の卒業式の日付が書かれていた。名前のところにはーーー

「夏目、直貴?」

「いつかこっちに戻ってきた時に、って思ってね。三年前の卒業生の中に僕は含まれてない。けど、兄貴の名前ならあるからね。ちょうどいいと思って兄貴の名前を借りたんだ。卒業した方の世界でも年が同じだったのは完全な偶然だけど」

それじゃあ今の彼はこの洛高のOB扱いになるのか。一緒のクラスどうこう以前に、彼はこの学校自体にいないのか。

「ならば身の振り方を考えてもらわねばならんな。夏目、お前は自分が一般人だと思っているみたいだがこちらから見れば"(デウス)"を倒した最強の演操者(ハンドラー)であり、我々が最も警戒すべき魔神相剋者(アスラクライン)だ」

「お久しぶりですね、佐伯会長。あれ、もう佐伯先輩の方がいいですか?」

どこからか現れた佐伯先輩に昔では考えられないほど飄々とした口調で応える智春くんを見てこの人は私が知らない間に沢山の経験をして変わっていったんだな、と思った。

「今の君を見ていると夏目直貴と被ってしまってしょうがないんだが…。まあそれはいいとして、これからどうするつもりだ、夏目?流石にこちらも野放しにはできんぞ」

佐伯先輩は頭を抱えて言った。智春くんのお兄さんに何か嫌な思い出でもあるのだろうか。確かに第一生徒会と第三生徒会は対立しているからあってもおかしくないけど。

「そういうと思ってましたよ。妥当なのは連盟所属になるのが一番かと思ってるんですが、どうですかね」

「悪くはない、だが、連盟側が受け入れるかどうか分からんぞ。もし君が加盟したとすれば、あちらとしても力強い戦力になるのは間違いないだろう。だが、それは同時に爆弾を抱えるようなものだ。いつ叛旗を翻すか分からない君を、あの連盟が手放しに喜んで迎え入れると思うか?」

「タダで…というのは正直考えられませんね」

「ああ。だから、もし連盟が君を受け入れなかった場合の身の振り方も考えておいてくれ」

佐伯先輩はそれだけ言って帰っていってしまった。

「佐伯のやつ、素直にお帰りぐらい言えばいいのに」

朱里さんが呆れたように言う。確かに、それは私も思った。でも、それも理由があったのかもしれない。校舎内へと続く扉へと入る時に誰かと話していた気がするけど…誰だろう?私のその疑問の答えはすぐに現れた。

「夏目…」

「あ、佐伯。久しぶり」

佐伯さん(つまりは佐伯兄妹の妹の方)だった。感慨深そうに夏目くんと夏目くんに膝枕されている状態の私を見ると、ズカズカと近づいてきて、

「こんのぉ…っ、バカ夏目っ‼︎」

智春くんの頭頂部を思い切り、グーで殴った。ゴチン!と本当に音がしたかのようだった。うわぁーとか、痛そーとか声が上がっているけど、そう思うのなら助けてあげてほしい。

「遅いのよバカ夏目!あんた、帰ってきたのはいいけど!何やってんのよ!嵩月さんをこんなボロボロになるまで戦わせて!本当にっ…、遅いのよ、バカッ…!」

その場に泣き崩れてしまった佐伯さんに複雑そうな顔を向け、残った右腕で彼女の頭を撫でた。

「泣くか怒るかはっきりしてほしい所だけど…ただいま、佐伯」

「うんっ…!お帰り、夏目…!」

「あ、智春(トモ)じゃん!樋口、樋口!智春(トモ)が帰ってきてるよ!」

「え、まじで?うわ、本当に智春じゃん!あれ?なんか大きくなってね?」

何の騒ぎだ、とここにどんどん人が集まってくる。次現れたのは杏ちゃんに樋口くんだ。

「お、杏に樋口じゃんか」

「どこ行ってたんだよ、お前はよ!こちとらお前の名前を呟いてたそがれる嵩月を毎日見てたんだぞ⁉︎」

樋口くんの言葉に反応してジト目で智春くんがこっちを見た。私はつい恥ずかしてくて顔を逸らしてしまった。その時、私だけに見せた彼の呆れたような微笑みは私の頭の中にずっと残っているものだ。

「夏目様、お久しゅうございます」

『鳳島氷羽子…』

「会長も…」

智春くんと水無神さんが険しい表情を作り、扉の陰から現れた二人を睨む。

「トモハル、もう二人に敵対の意思は無いわ。警戒しなくても大丈夫よ」

朱里さんの言葉に智春くんと水無神さんはしばらく二人を睨んでいたがやがて警戒を解いたのか、力が入って強張っていた体も元通りになった。

「…どうしても、いくつもの世界で全く違う性格の同じ人を見てきたぶん、この世界のこの人たちは警戒してしまうんです」

『あれ?そういえば部長はどこにいるの?それに何で二人はここに?』

「塔貴也は…留置所にいるわ。私は塔貴也に機巧魔神(アスラ・マキーナ)の生贄として利用され、鳳島は兄を人質に取られていた…これが、学生連盟と洛高の公式発表よ」

「虫のいい話ですね。こっちは一巡目の自分と片腕を失ったって言うのに、二人はお咎めなしの万々歳ですか」

「…言われなくても、本来私たちがここにいていけないことは分かってる。それでも、塔貴也が一人で罪を背負ってまで庇ってくれたんだから、無駄にはしたくないの」

俯いて、震える声で会長は言った。それに智春くんはしばらく睨みで返して、黙っていたが、何の前触れもなく急に俯いた。そしてその顔はーーー笑っていた。

「何深刻そうな顔してるんです?それぐらい予想付いてましたし、別に今更言われたところで何の驚きもないですけど?」

あっはっは、と高笑いをする智春くんを見て二人は呆けた顔をしていた。まあ、今の話流れからどうやって今の結論に至るのか分からないのも無理はないと思う。

「言ったでしょう?いろんな世界の部長たちを見てきたって。秋希さんがいなくならなければ部長も会長も、ましてや鳳島もあんな事をするような人じゃないってことは大体わかりますよ」

私は智春くんの言いたい事が分かっていた。あの二人は罪悪感からか考える事を放棄してしまっている。今、あの二人に必要なのはしっかりと現実を受け入れ、自分たちがしてきた事、これからすべき事をもう一度考え直す事だ。

「さて、何が悲しくていつまでもこんな寒いところに留まってるのか知らないけど早いとこ私の従姉妹の容体診せてくれるかしら?旦那さん?」

「げっ…律津さん…」

「律っちゃん…」

本当にいつからそこにいたのか、私服の上に白衣を着た私の従姉妹が立っていた。しかも「げっ…」って別の世界の律っちゃんに嫌な思い出でも植え付けられたのだろうか。確かに次元潜行チェンバーにいたオリジナルの夏目直貴も何かされたらしく、相当怯えていたけど。

「ますます直貴に似てきたわね、あなた。まあ直貴もやっと次元潜行チェンバーから出てきたし、体の方も成長を再開するから直貴の方が今のあなたに似てくるのかもしれないけど」

そう言いながら智春くんの膝枕で寝ている私のそばにしゃがみ込んで、私の腕を軽く、本当に軽く、つついた。

「痛っ⁉︎」

「あーあ、やっぱりね。力を使い過ぎよ、奏。あなた本当に力の源が自分の血液だって理解してる?いい?皮膚の表面にできた傷を修復するのは血の中にある血球なのよ?血小板が血液凝固因子を出してフィブリンを作って、それに赤血球と白血球が絡め取られて血栓ができてそれが時間をかけてかさぶたになって、傷を修復していくの。で、今のあなたにはフィブリンを作るだけの十分な血、というか血小板が無い状態。だからいつまで経っても傷の修復は遅々としたままなのよ」

「それぐらいは…知ってます、けど…」

律っちゃんの言い分が正しいだけに抗議する私の声はどんどんとか細いものになっていった。

「じゃあ…何でこうなるまで力を使ったかなぁ⁉︎あなたたちに敵対した手前強く言える事じゃないけどねぇ!馬鹿なの?奏あなた馬鹿なの⁉︎」

「い、いひゃ()い!律っちゃん、いひゃ()い!」

私の頬をグイグイ引っ張って怒る律っちゃん。顔は笑っているが目は笑っていないし、こめかみにも血管が軽く浮き出ている。

「あのー…律津さん?奏が可哀想なのでその辺で…」

膝の上で暴れる私と律っちゃんを見かねたのか智春くんが声をかけた。

「黙りなさい」

「ヒィッ⁉︎」

これ程異常な怯え方…本当に何をしたの、律っちゃん。何をされたの、智春くん。

「いいの、私に逆らっても?こっちにはあなたの女装写真のファイルがあるのよ?」

「え⁉︎でもあれは別の世界の物体でしょう⁉︎クロエって世界間の物体移動も出来たんですか⁉︎」

「まさか。クロエはそこまでハイスペックじゃないわよ。でもね、私、絵はすごく上手いのよ?だからあっちで写真を見ながらこっちで絵を描く。自分で描くぶん、体の細かいラインや顔立ちの修正は幾らでもきくの」

「写真よりも余計に(たち)悪いじゃないですか!」

「え、何それ全部見たい!」

朱里さん、やめてあげてください。智春くんが悶え死にそうです。

「さてと、悪ふざけはここまでにして。早いとこ怪我人を病院にぶち込みましょ。いつまでもここにいたんじゃ治る傷も治らないわ」

「はい…とは言ったものの運べそうにないな…ニア、頼んでいいか?」

「ああ。代わりにあとで吸わせろ」

提示する条件が智春くんの嫌いな事ベスト3に入っていそうな気がする。智春くんは何度も運気を吸われてろくな目にあっていない。私の体はニアちゃんに優しく抱えられ、倒壊した校舎の中を大所帯で歩いて一旦保健室まで行き、救急車が来るまではそこのベッドで律っちゃんから簡単な応急処置と検査を受けた。幸い、骨は折れていないらしく、入院になってもそこまで長引くことはないだろうというのが律っちゃんの見解だった。病院への付き添いも律っちゃんが付いてきてくれるようで、智春くんも志願していたけど律っちゃんに「介護が必要な人間が他人の介護するとかほざくんじゃないわよ。こういうのは私たちに任せてあなたは黑鐵の力で校舎の修復でも手伝ってなさい」と言われていた。絶対に揺らぐ事のない上下関係が出来上がっちゃってるみたいでなんだか可哀想になってきた。…女装写真のファイルはちょっと気になるけど。何があったら女装写真でファイルなんてものが出来るんだろう?しばらくして救急車が到着して病院に運ばれて、私の怪我は校舎の倒壊に巻き込まれたときに出来たものだと偽られて処理された。そして検査諸々で入院してから丸一週間が経った。あと二日で退院。残っている検査も少なくなってきて一日中ベッドにいるのが暇になってきた頃。智春くんが病室を訪ねてきてくれた。律っちゃんも気を利かせてか買い物に行ってくると言ってどこかに行ったので病室には私たちしかいない。水無神さんは姿が見えないので多分律っちゃんについて行っているか姿を消しているのだと思う。

「どうだい、体の調子は?」

「特に問題は無いみたい、です。もうすぐ退院、できますし」

「そっか。よかった」

胸をなでおろす智春くんを見て私は安心した。長い時間と多くの世界を経て、この人は変わってしまったのではないかと心配だった。私たちとは別の世界の、別の時間軸で過ごした彼は、ここでの生活を忘れてしまったのではないかと、そう思っていなかったといえば嘘になる。だが、今は微塵もそんな心配はしていない。彼はここにいる。私の事を助けてくれて、好きだと言ってくれた彼は、変わらず私の目の前にいる。

「どうかした?」

「え?」

「いや、ずっとこっちを見てたからどうかしたのかなって思って」

気づかないうちに彼の顔を見つめていたらしい。慌てて目をそらすと途端に恥ずかしくなってくる。

「なんでもない、です」

「昨日、さ。部長に会いに行ったんだ」

彼が唐突に話し始めた。

「相変わらずでさ、あの人。世界を渡ってきた事話したら別の世界の皆の事聞きたがったんだよ。特に秋希さんと冬琉会長のことをさ。それで全部話し終えた時、部長ってばなんて言ったところ思う?」

「何でしょう…分からない、です」

「『よかった』なんて言い出したんだ。後処理をさせられたこっちの身にもなってほしいよ…」

多分、部長の言う『よかった』は多くの意味を含んでいるのだろう。智春くんが戻ってきた事、別世界の橘高姉妹が無事でいる事、そして、この世界が守られた事。

「でも、部長は自分のことは一切聞かなかった。確かにあの人がした事は許されない事だと思う。でも、たった一人の大切な人を生き返らせるために十億の命を犠牲にできる人を、あれだけの覚悟を持った人を、僕は他には知らない」

あれも、一つの愛の形なのかもしれない。私たちが見てきた世界の秋希さんの性格から考える限り、あの人は多分、自分が十億の命の上に立ってまで生きる事を是としない。きっと責任を感じて自分を責め続けてしまうだろう。どの選択が最善だったかなんて今でも分からない。三巡目の世界を作ることが良かったのかもしれないし、それを阻止したこの今が正解だったのかもしれない。はたまた、"(デウス)"に世界が破壊された後に何かが生まれたかもしれない。だから、私たちはこの選択に責任を持たなければならない。あらゆる可能性という無限の選択の中で選んだ、たった一つのこの世界の行き着く先を見届ける義務がある。この体で過ごせる時間は有限。もっと言えば誰かと過ごせる時間は更に短い。だから、私は今この瞬間さえも後悔しないように生きていきたい。

「あの…智春くん」

「ん?」

「子供は…何人ぐらい…欲しい…ですか?」

「んー…二、三人ぐらいかな……ってええ⁉︎」

ガタンッ!と大きな音がした。見れば、智春くんが来客用の丸椅子から転げ落ちている。しかも驚いた顔でこちらを見ながら。

「奏⁉︎何か変なものでも食べた⁉︎病院食が味気なさすぎた⁉︎」

「その…律っちゃんが…こう言えば…智春くんがて、照れるって…」

「あ、あの人はああっ‼︎」

「嫌、でしたか…?」

「あ、そんな事はないよ。むしろ嬉しいくらいだけど…ちょっと衝撃が強すぎて…」

心配そうにする私の顔を見て否定する智春くんは未だ状況の整理に頭が追いついていないのかあたふたとしていた。もしかしたらこんなに慌てた顔は彼がいなくなる前から数えても中々見られなかったかもしれない。

「たっだいまー!」

突然、律っちゃんの声が響いた。見ると、コンビニの袋を提げた律っちゃんと水無神さんが病室のドアを乱暴に開けた入り口に立っていた。買い物に行ってくると言っていたのは本当だったらしい。しかも声を聞いた瞬間、智春くんが跳ねるように飛び上がっていた。

『あれ?どうしたの、智春(トモ)?』

「律津さん⁉︎奏になんて事教えてるんですか⁉︎」

「えー?だって面白そうだったし〜」

なんの悪びれもなく言う律っちゃんに私と智春くんが項垂れていると律っちゃんの後ろが騒がしくなってきた。見れば、科學部のメンバーと佐伯兄妹、鳳島兄妹、橘高会長に雪原さんと千代原さんのGDメンバー。柱谷先生と奥さんの由璃子さん。その後ろには第二生徒会メンバーと姫笹さんと真日和くんの押す車椅子に乗った風斎さんの姿もある。

智春(トモ)も嵩月さんも二人とも何してたの?」

声のした方を見ると大原さんの姿があった。軽装の私服姿に大原酒店のロゴが入ったタオルを首にかけていたので実家の手伝いをしていたのだろうと分かる。

「二人はね〜、丁度逢引の真っ最中だったみたいよ?」

「り、律っちゃん…!」

他人の質問に勝手に答えた挙句、今度は私の荷物のあるあたりを漁りだした。

「あったあった」

そう言って律っちゃんが荷物の奥底から取り出したのはーーービデオカメラ。おもむろにそれを操作して録画を止めて再生モードにし、画面をみんなの方に向けた。そして再生ボタンをポチッと押した。

『子供は…何人ぐらい…欲しい…ですか?』

『んー…二、三人ぐらいかな……』

再生されたのはほんの数秒。しかし効果は絶大。なんて絶妙な所だけを再生するのだろうか。というかいつ仕掛けたのだろうか。そんな事を聞く間も無くたちまち病室は阿鼻叫喚の騒ぎとなり、律っちゃんは高笑いし、樋口くんと朱里さんが智春くんを肘で小突き、佐伯先輩は抹殺だの何だの物騒な事を叫び、鳳島蹴策は状況が飲み込めていないらしくキョロキョロしているし、妹の方に至っては顔を赤らめている。雪原さんと千代原さんは呆れたように笑みを浮かべ、倉沢元会長に至っては「ひかり!真日和!仕事よ!このバカップルの式場からドレスとプランまできっちり準備して金を絞れるだけ搾り取りなさい!」なんて叫んでいる。そして部屋の片隅で水無神さんと大原さん、和葉ちゃんと佐伯さんが諦めたような笑みを浮かべていた。今、改めて智春くんはこんなにも多くの人に慕われていたんだと実感する。そしてそんな人と一生を共にできる自分を幸せに思う。不意に、朱里さんと樋口くんから解放された智春くんがこちらに近づいてきた。

「この際だから全部言うけど…」

そして私のベッドの隣に立って言った。

「僕は、奏の事を愛してるし、いずれは子供と家庭を持ってゆっくり暮らしたいと思ってる」

あれだけ騒がしかった部屋が一気に静まり返った。誰も音を立てようとせず、彼の次の一言を待っている。

「でも奏は身分上まだ高校生だし…僕の戸籍もちゃんとしてるかは怪しいし…。卒業してすぐに、ってわけにはいかないだろうからせめてこれだけでも、って感じなんだけど…」

そう言って彼はこちらを向いてポケットから小さな箱を取り出し、それを開いて私の前に跪いて言った。

「婚約…はどうかな」

私は一瞬、何を言われたか理解できなかった。その言葉が予想外だったからだ。次第に、私の目尻に涙が溜まっていく。そして、片方の目から小さな涙が流れ落ちたのを感じて、答えた。

「はい」

彼が私の右手をとって薬指に指輪をはめる。彼は立ち上がって私の唇にキスをした。再度、病室が喧騒に包まれ、騒ぎは私の主治医が来るまで続いた。そして何気なく律っちゃんはビデオカメラに今の瞬間をバッチリ収めていた。私は今、仲間と共に過ごせるこの時間を幸せに思う。そして今、最愛の人と共に過ごせる世界と、その選択に感謝するーーーー。




途中で奏と智春の互いの呼称を変えているのはわざとです。ミスではありません。決して。

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