世界を構成する上で必要なそれは、一種の暴力だ。
概念という見えないロープは全てを縛り、収まらぬ者にはさらに丈夫な鎖を付ける。それでも固定できないものには、専用の枷を付ける。
力を持つ者が、力を持たぬ者に行使しないようにと。強者から、弱者を守るようにと。
そうやって守られている――否、守られている気にさせられている弱者は知っている。
その枷は、強者が付けた物だと。
攻撃は最大の防御という。ならば逆説的に、防御は最大の攻撃だ。
叩いてかぶってジャンケンポンを思い出せばわかりやすい。
敵に何もさせない手。最善の一手。ジャンケンで負けたら、盾を取り、それで殴る。
身を守る優れた武具は、優れた武器になる。
いつしか本質を見失い、守る鎖は、傷付ける鎖となった。強者が持つ枷は、弱者に付ける物となった。
ぼっちはぼっちであることを強制される。
引きこもりは引きこもることを強いられる。
少数派は多数派によって弾圧される。
歯向かうな。抗うな。口答えするな。強者は強者らしく、弱者は弱者らしくするために、タブーという重りが体の自由を奪う。
泣いてはいけません。勝ってはいけません。負けてはいけません。攻撃してはいけません。反撃してはいけません。――逃げてはいけません。
強者のルールは強者しか守れない。守れない弱者には、タブーを犯したものには、罰がくる。
どこまで行っても、世界は、この世は、真理は変わらない。
理不尽で、不条理で、我儘で、汚い。
事々左様に、
初めてこの世界に来た時のことを思い出す。あの時も、紐なしバンジーだったな。
遥か上空から落下する風圧を受けながら、俺は体を捻って上を向く。
数度、意識的に呼吸し、確かめた。問題ない。空気を取り込めるってことは、アズリールが浮遊力だけを取り除いたってことだ。
「やるか」
ため息のように小さく、覚悟を決める。
心臓の鼓動が速い。汗が滲む。喉が渇く。
生涯最後の大博打。やってやると口では言っても、脳が、本能が恐怖を実感させる。やっぱり、怖えなこれ。
命を賭ける。
あの二人もして来たことだ。全く阿呆みたいなやり方だが、同じ阿呆でも、根本が違う。
彼らには確信がある。必ず勝ち、だから失うことは無いと。
けれど、俺は違う。これは確信も確定も確証もない勝負。いや、勝負にすらなっていない、ただの独り相撲。文字通りデッド・オア・アライブの賭け。
――こんなのにベットするバカは、普通いねぇよ。
普通じゃない。俺はぼっち、異分子でマイノリティ。このふざけた世界ですら、仲間外れのはぐれ者だ。
今更、何を心配するってな。
全身に力を込める。筋肉が張り、緊張は拳をつくらせた。
右手に持った本を強く握り、腹から絞り出す。
「――テッッッ――トぉぉぉぉぉぉ!」
俺史上最高出力の最大音量で、天へと叫ぶ。
「お前の思い通りには――絶ッッッ対に――しねぇぇぇ!」
ほとんど死ねのニュアンスで言い放ち、目を閉じる。
背中には風が当たり、全身で低抵抗の物体を切り裂く感触を味わう。
――乗ってくるか?
そこが賭けだ。あいつは自由人だが、そのくせルールには厳格だからな。
だから、最後の一押し。駄目押し。悪足掻き。
今度は張り上げない。素直に、俺らしく、皮肉交じりに、呟く。
「逃げねぇよな?たかがニートに
子どもっぽく、どこまでも負けず嫌いで、異世界から呼んでしまうほど我儘な神様に、俺は最後までニヒルに向き合う。
これ以上出来ることはない。俺はただ目を瞑る。
――次に開いたときは、挑戦者か仏様だな。
―other side―
正直、拍子抜けだった。
アズリールは彼の反重力を消すと、安否の確認も取らずアヴァント・ヘイムに帰還した。
ジブリールに全権が戻っている以上、既に彼女にとってあの男の死はどうでもいいこと。落胆と失望の感情を抱きながら、アズリールは妹を探していた。
「ずっと、いたのかにゃ?」
そして見つけた。
さっきまで自分もいたキューブの上。目的の彼女は、別れた時と変わらぬ位置で、何も写らぬ虚空へ目を向けていた。
「先輩」
今気付いたように振り向くジブリール。その表情はアズリールにして初めて見るものだった。
「あの男は、しっかりと殺したので?」
「確認まではとってないにゃ。うちにはそこまでする理由がなかったからにゃ〜」
不満なのか不安なのか、ジブリールの表情は変わらない。そもそもアズリールには、その顔が負の感情故なのかさえ知り得てはいないが。
「そうですか」
興味を失ったように、ジブリールは視線を戻した。
「ジブちゃんは結局、どうしてうちを会わせたんだにゃ?」
背を向けた妹に、アズリールは問う。
彼女には、ずっと疑問だった。あの時、東部連合とのゲーム開始前にジブリールが、マスターだった二人ではなく、比企谷八幡を連れてきた理由。ジブリールに何かしらの意図があったのは察していたが、それを見い出せる程、あの男は――。
「私は答えを見つけました」
沈黙という形で続きを待つアズリール。表情が見えない妹に、彼女はいくつもの推測を巡らせる。
「私にとって、あの男が答え――のつもりです」
長い年月をかけても見つからなかった
その正体が、あの男?
ジブリールがマスターとした者でもなく、形ある物でもなく。
――自分勝手に周りを振り回した、自殺志願者の。
比企谷八幡だと。
理解の追い付かぬアズリールに、ジブリールは告げた。
「どれだけ未知を既知に変えようと、その儀式めいた行動に意味はありません」
彼女は言う。
これまでの時間は、全てが無駄だったと。
「どれだけ既知を得ようとも、それらを未知に変える存在がいるのですから」
彼女は言う。
知識とは所詮、否定されていない仮定の産物だと。
「なれば、未知なるものが既知になることは、ありえない」
彼女は言う。
今見て、聞いて、嗅いで、味わって感じたそれは、それでも知り得ない何かなのだと。
「私にとって、あの男が――ひたすらに、未知なのです」
彼女は言う。
あの男が、あの男に対する感情が、分からないと。
「……」
言葉が出ない。
アズリールはため息すらつけず、空を仰いだ。
主を失い、信じるものを見失った破壊の天使。
そんな彼女らが――否、彼女が見つけた『答え』は、破壊とは真逆のもの。
壊し、奪うのではなく、見つけ、生み出した感情。
アズリールには理解できない。
彼女は最初から、『答え』を見つけることが出来るのはジブリールだけだと思っていた。
最終にして例外の彼女なら、と。
それがどうだ。
可愛い妹が見つけて来たのは、彼女以外の誰も理解しえぬ形のない『何か』。いや、そも彼女自身も理解できていない。
曖昧で、不明瞭で。重さも価値も分からぬ幻のような彼女の『答え』の正体を、アズリールは読み解くことすら放棄した。
「ジブちゃんが何を言いたいのか、分からないにゃ」
聞いて振り向くジブリール。その目には落胆も失望も、期待を裏切られた悲しみすら写っていない。
「――先輩。知っていますか?」
深く吸った息を、静かな声に換えた。
ジブリールは『答え』を見つけた。
だが、その読み方も、見方も、扱い方も分からない。まさしく未知なるもの、感情。
だから彼女は、その未知なる感情に、
「初恋とは、叶わぬもの――なのだそうです」
――愛だと。
アズリールは空を泳ぐ。
少し、一人になりたかった。今はアヴァント・ヘイムにすら接続していない。
「全っ然、分かんないにゃ〜」
初恋とはなんだ。
恋とはなんだ。
そも愛とは。
かつての主、天翼種のマスターへと向けていた忠誠を愛と考えれば、少しはジブリールの感情を理解できるだろうか。
熟考――。
仮定してみよう。
自分がもし、主に捨てられたら。
――結論。辛い。
「はぁ……」
こんな簡単にジブリールの感情を理解できるとは思えない。
アズリールは思う。ジブリールは、もっと苦しく、もっと辛いのでは、と。
ならば頷ける。あの表情の意味が、あの言葉の理由が、少しだけ分かる。
「全く、ジブちゃんはどっか不器用だにゃ〜」
あれで隠したつもりなのか。
(ま、そこが可愛いんだけどにゃ)
アズリールには、たとえ心を明かされても分からないことがあった。
ジブリールの感情を理解することは出来ないが、だとしても。
――何故あの男だったのか。
マスターに選んだ者ではなく、なんの力も持たない人の子なのか。
知っているのは、ジブリールだけだろう。
仮定だけの数式で答えは出ない。さっさと無駄な思考は捨てて、分かることだけを確認し、決める。
自分がすべきことは、それなら簡単だった。
今はもう会うことすらない男に、届くはずもない声を発する。
「次会ったら、ただじゃおかないにゃ」
――ジブちゃんを泣かせる奴は、許さないにゃ。
―other side out―
何も聞こえない。何も聞かせてくれない。
それが壊れかけのラジオの所為なのか、それとも意地悪な神様の所為なのから知らんが。
てか、俺生きてんのかな?
脳から命令を出し、四肢を、胴体を動かす。
ふむ、どうやら体はあるらしい。
ならば概ね目標達成だろうかと、俺は閉ざしていた目を開く。
「やぁ――また会ったね」
目的の人物が、
「よう、――テト」
ニヒルな笑みを浮かべて返し、俺は体を起こして周りを見渡した。
一面が白い床。錯覚のように近い空。眩い光の乱反射が、俺ともう一人を照らしている。
「中々殺風景なとこにいるんだな。神様ってのは」
「綺麗だって感想もないのは、少し凹むな〜。ま、同感なんだけどね」
どれだけ景色が良かろうと、どれだけ静かで過ごしやすかろうと。
遊戯の神様は退屈なようだ。
ともあれ、目標は達成。あ、まだだわ。
「それじゃ、さっそく始めるか」
これだけで伝わるだろうと思ったが、テトはおいおいと止めに入る。
「始めるも何も、あんな方法で来られたらラスボスやってられないよ。ちゃんと地上に帰って貰うよ?」
「そうか。俺は、また同じ方法で来るけどな」
テトは神様だ。だから一種族に肩入れはしない。それはきっと彼なりに決めたルールであって、ルールが絶対の
それは神様であっても同じ。
この世界は神の権限すらゲームで決まる。なればこの世界で最も優先されるのはルール、盟約だ。
そのルールを重んじる彼なら、きっとゲームを大いに楽しもうとする。
「これはお前が望んだ
だが残念なことに、彼は退屈なのだ。
『 』が来るまで待ってられない。もちろん見るのも盛り上がるが、やりたいのはゲームだろう。
「確かに君とゲームしたいとは望んだよ?でも、君は挑戦権を持ってないじゃないか」
「挑戦権、か」
種のコマ、全十六種コンプリート。それが神への挑戦条件だった。
確かに俺は、持っていない。十六どころか一つたりとも。
それでも問題はない。
「あいにく、俺には最初から挑戦権があるんだよ」
何せこのルールは、ゲーマーに向けて作られた決まり。
最強ゲーマーとして呼ばれた彼らには、まだない。
「――けど、ゲストプレイの俺には関係ない」
唖然としたテトの顔は、すぐに笑顔。というか大笑いしていた。
腹を抑えながら、声は一切抑えずに笑い続けしばし。どうにか落ち着きを取り戻してこちらを向いた。
「何を根拠に言ってるのかな?」
どうやらまだ恍けるらしい。
いや、むしろこれもゲームだろう。指図め、私は読者に挑戦する、といったところか。
推理ゲームは嫌いじゃない。なにせフェアなものなら、それは解けると証明されているからな。
正しい答えがあるなら、間違うこともさほど怖くない。本当に怖いのは、間違いが分からないことだから。
なんて、間違ってばかりの俺が言う。
答えが出ているなら、後は辻褄合わせだけだな。この場合は根拠の提示。
『 』風に言うなら、超ヌルゲー。
だが、まぁそうだな。
どうせやるなら楽しむか。それが彼らの信条だったし、ここは先人に学ぼう。
「んじゃ、答え合わせと行くか」
思い出す顔は、いつも通り不敵に笑っている。
そういや、礼は言ってなかったな。まぁ、そんなことしたら熱があるのかとか、……今すぐ、休むとか言われそうだけど。
吸い込む空気から酸素を吸収し、脳へ、体へ送る。
これが、最後だからな。その前にさっさとボス前の
――さぁ、
「ゲームを始めよう」
大人になれない私の強がりを一つ聞いてください。
――私は読者に挑戦するっ!
またしばらく開きそうなので、先に言い訳しておきました。
申し訳ないです。
感想、誤字報告よろしくお願いします。
番外編 エルキア王国奉仕部ラジオは必要ですか?
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