最後の方です。
いつから、なんて自覚ができたのはつい最近だった。
いつの間にかあったそれは、消えることなく胸のどこかに居座り続けている。
名も知らない、分類さえ不明な感情は、俺に問い続ける。
――『それが、俺の求めたものなのか』、と。
持ち合わせる答えもなく、俺はただ変わらぬ日々を過ごす。奉仕部という、あの部屋で。
そんなある日、城廻先輩と一色いろはが平塚先生に連れられて部室を訪れた。依頼があるらしく、その内容は一色いろはが生徒会長に勝手に立候補させられていた事件が起こっていたこと。
当然本人は会長になりたい訳がなく、奉仕部一同は解決案を出し合う。
が、俺の出したそれを、雪ノ下雪乃は否定した。
互いの意見は噛み合わず、奉仕部はそれぞれの方法で解決に当たることとなった。
俺のやり方は、確かに正しくない。けれど今できる中で最も効率的で成功率が高い。だから、俺はこの方法を貫く。
その作戦通りなら、俺が選挙当日までやる事はない。部活に出る必要もなかったため、有り余る時間を活字を追うことで潰していた。
久々に読み直そうかと既読本を本棚から引っ張り出し、ベッドに背中を預けたタイミングでスマホが鳴る。森林かな?何も注文した覚えはないが。
届いたメールには、『君に見てほしいものがある』という一文とURLだけ。宛名もないメールを、俺は興味本位で開いた。
中身はゲームのプレイ動画だった。種目はチェスで、チャレンジャーである『 』というプレイヤーが白いポーンを動かす。
そこからは圧巻だった。
チェスに関しては俺もそれなりの腕があると自負しているが、今戦っている二人には遠く及ばないだろう。それほどまでに、繰り広げられる一進一退の攻防は凄まじかった。
やがて、チャレンジャーの勝利で終わったゲームを見終わると、俺はスマホを置いて起き上がっていた体をベッドに沈める。
結局メールの送り主は何がしたかったのかと。そんなことを思った矢先に、またメールが届いた。
『君は面白いのに、その才能を誰も認めてくれないようだ』
才能、か。
もしそんなものがあるなら、俺はこんな風になっていないだろう。
誰もというなら、俺自身すら、比企谷八幡の才能を認めはしない。
『さぞ、その世界が生き難いだろう』
生き難いかと聞かれれば、否定はできない。
無意識に手を添えた胸の中で、また非物理的な重みが蠢く。それは苦しく、耐えて生きるには重すぎる。
『君は、生まれ変わりたいと思うかい』
だが、決して、俺はそれを捨てようとは思わない。
根拠も理由もないが、多分それは捨ててはいけない。捨てたら、きっと俺は自分を許せないだろう。
諦めて、逃げてしまった自分自身を。
逃げることは悪いことじゃない。それは理解しているし、辛い思いがあるなら俺は逃げるという選択肢を用意するはずだ。
けれど、この感情はそれすら否定する。
逃げることも、目を背けることすら許さない。だだ繰り返し、問う。それだけのはずなのに、やはり、俺は答えられない。
そんな俺には、生まれ変わるという行為そのものが逃げのように思えてしまう。
『さぁな』
それだけを返して、目を閉じた。
謎のメールが来てから数日後。
なんの気まぐれか、俺は部室を訪れていた。
そこでは一人、雪ノ下雪乃が何かを紙に書き記している。
「何か用かしら?」
短い挨拶の後、雪ノ下は手を止めて問う。俺がここ最近自由参加の部活に来ていなかったのだから、何かあったのだと思うのだろう。
「別に。ただ時間を潰しに来ただけだ」
「……そう」
言って、彼女はまた視線を紙に戻す。あくまで推測だが、一色の代わりに生徒会長になる人物の公約文でも書いているのだろう。由比ヶ浜がいないのは……まぁいいか。
わざわざ聞くことでもないだろうと、俺はカバンから文庫本を取り出して栞の挟んだページから文字を追う。
カリカリとペン先を擦る音が、時計の針と共に静かに響く。
思えば、彼女と二人だけでこの部屋にいるのは大分久しぶりかもしれない。たまに由比ヶ浜が友達とどこかへ行くことはあったが、それでも彼女という存在がこの部屋と結びついていた。
別に由比ヶ浜が奉仕部を去ったわけではないが、今ここにある静けさは、俺と雪ノ下との間にあったそれとは違う。
もっと冷たく、引き伸ばされた時間から凍り付いているようだった。
別に過去に思いを馳せるつもりはない。けれどあの時の、今ではないこの部屋は、俺の中で確かに心地よかった。
きっかけは、やはり修学旅行の時だろう。俺はあの時も、多分間違えた。
そして変わってしまった関係は、崩れてしまった時間は戻らない。今こうして俺と彼女らが開けた間は、距離は、もう元に戻ることはないのだろう。……それに。それくらいで壊れてしまうなら、所詮はその程度のものだったのだろう。
ならばここは、この関係は違う。俺と彼女らの関係は、本物足り得ない。
下校を告げるチャイムと共に、俺と雪ノ下は立ち上がる。カバンを開けるのも面倒になり、俺は文庫本をポケットに突っ込んでカバンを肩に掛けた。いつも彼女が鍵を返しているので、俺は無言で軽く頭を下げると部室を出る。目は合わなかった。
帰路は夕日に染まりながらも、どこか肌寒さを感じさせ始めている。
あるいは、その寒さもこの感情の所為なのだろうか。
俺は多分前も、そして確実にあの時も間違えた。それが今ある現状ならば、それから逃げることは許されない。
けれど、もし打開策があるなら。打開され、大団円となる未来があるなら。選べなかった、けれど選ぶことのできる選択肢があるなら。
あるいは、そこに本物があるとしたら。
スマホを取り出し、メール欄から返信を選択する。
『俺はやり直してみたいかもな』
読み直して、少し思い立った。
『送る』のボタンを押す前に一度止まり、前の画面に戻って送り先と内容を変える。
to:小町
件名:すまん
本文:
帰り、少し遅くなる。
P.S すまん。
これで伝わるだろうか?いや、伝わるか否かに関係なく、これは自己満足だ。だから、それ以上考えるのはやめた。
最愛の妹に謝罪のメールを送ってから、再度謎のメールの主に送る文を作る。
『俺はやり直したい』
送信したと同時。俺の見ている世界は現実味を失い、色も、音も、肌に触れる空気の感覚すら消滅する。
困惑の中で、右手に持ったスマホから声が聞こえた。
『なら、ボクが生まれ変わらせよう』
眩い光に包まれながら、俺の意識は――残ったまま。
何が起きたのか分からない。夢だと言って貰った方がまだしっくり来る程の現象に脳が追いついて来なかった。
光はやみ、鼓膜が何かしらの音を捉える。
一瞬にも一生にも感じられる時間を体感した俺は眩んだ目をどうにか周囲に慣らして、開けた。
目の前には、見知らぬ異世界が広がっていた。
「なんだ、これ?」
ウサギを追いかけて木の根の隙間に落ちなのならいざ知らず、俺はメールを返しただけでイン・ワンダーランドしてしまった。何この不思議な国、てか世界。
「ここは盤上の世界――ディスボード。ボクの世界であり、全てがゲームで決まる世界さ」
背中越しに聞こえた少年の声は、あの時聞いたスマホの音を一致する。
振り向いた先に、彼はいた。
見た目も声と同様に少年で、帽子を被り浮かべる無邪気そうな笑顔には、しかしどこか裏の感情を隠しているようにも見える。
「何者だよ」
「ボクはテト。この世界の神さま」
痛い子か。
そんな感想が浮かんだと同時、テトは浮かんだ。厨二?いや、宙に。
「は?」
「言ったろ?神さまだって」
信じられないが、本当に神さまらしい。多分。
何が起きているのか未だにはっきりしない俺をよそに、彼は何かをペラペラと話していく。途中に盟約云々とか言ってたが、俺が聞きたいのはそんなものではない。
「なんで俺はここにいるんだよ」
「君が望んだからだろう?」
違う。それは俺の理由であって、テトの理由ではない。
だが、こいつがそれを素直に言うはずもないと感じて、俺は黙った。
「それじゃあボクはそろそろ行くよ。また会えるといいね!」
陽気な挨拶を残して、彼は目の前から消えた。魔法かな?
もう一度、広がる大地へ目を向ける。視界の限り、典型的なファンタジー世界だ。
訳が分からなすぎて笑えてくる。
何故やり直しが異世界転生なのか。てか、せっかく神さまがしてくれてんだから神様転生させてくれよ。転移だからダメなの?それとも俺がダメなの?
今更帰る道も方法もないし、どうしようもないか。
そんな諦め思考は思いの外早く完成し、辺りを見る。俺と一緒にこっちへ来たのだろう。通学カバンを拾い上げて、俺は大きく息を吸い込んだ。
とにかく、差し当っては食料か。
生きるために必要なものを羅列させながら、俺は街を目指して歩き出した。
「で、テトって奴にこの世界に転移させられたんだ」
俺がこの世界に来た経緯は、まぁそういうことだ。
このゲームでは質問に偽って答えることを禁じられている。かと言って回想をわざわざ全て説明する訳もなく、俺は掻い摘んでジブリールに話した。
「唯一神に呼ばれた……。戯言とも思えましたが、あなたがこのゲームで嘘をつく理由はありませんね」
「まぁな。あいにくと実話だ」
ジブリール曰く、どうやら異世界からの転移は不可能に近いらしい。
この世界には召喚魔法なるものもあるらしいのだが、それと俺の案件は明らかに一線を違えているとか。
まぁそこまで詳しい話を聞く理由も興味も……なくはないが、追求はルール違反なのでしなかった。
1ゲーム目は俺の勝ちで終了する。
勝ったのだから当然かなりの回数質問することは出来たが、トータルで見ればジブリールの方が質問数は多かった。俺としてはこの世界のルールや俺の現状などを把握できたため、そこまでの不満はない。
そして2ゲーム目。
戦法は互いに変えず、コマを取ることだけに留意している。
1ゲーム目と比べると、二人が質問する内容は重要性が低くなっている。俺はともかく、好奇心の亡者であるところのジブリールが控えめに聞いてくるのは少し怪しい。
「……それでアヴァント・ヘイム?にいるのが嫌でここに来たと」
「左様にございます。ここならば本を勝手に取られ事もありませんので」
まぁしかし、疑おうとも誘おうとも指したる変化は起きず、特筆すべきことは起きない。
2ゲーム目は結局引き分け、ステイルメイトになった。本当は続けても良かったが、チェスのルール上終わりは終わりなので仕方ない。
それはともかく。
「……なぁ」
「何か?」
「俺としてはもう大分聞きたいことは聞き尽くした感じなんだが」
「しかしやると言ったからには最後まで付き合って頂きます。本当に何も思いつかないのであれば、昨日の天気でもご質問下さい」
「いやそこまでどうでもいい質問は流石にしねぇよ。それに1回限りだろそれ」
「コマ全てを取られようともその回数分は記憶しております」
「バケモンか」
バケモンでした。
ジブリールが準備を整え、彼女の確認に俺も首肯して3ゲーム目が開始する。
今までと変わらず……と思っていたのだが、盤上の状況は一変した。
ジブリールが、勝つための一手を打ち出したからだ。
「……急にどうしたんだ?」
「いえ、大したことではありません。ただ、たかが
どうやらこいつ、それなりにプライドがあるらしい。それも上位種故か。どうでもいいな。
別に勝ちを譲るくらいはどうってこともない。俺に聞かれて困ることはそうないからな。
わざと負けるように、しかしそれを悟られない程度の一手で返す。最善手ではない以上、それは付け入る隙そのものだ。
それを彼女が見逃すはずはなく、俺のコマを奪ったジブリールは――突如として両手を広げた。
その両手の合間の空間には未知の光が重なり、空中に液晶を浮かべる。
「あなたは、彼らをご存知で?」
液晶はその役目を真っ当するように、あるものを映し出す。
それは2人の人類だった。
一人は黒髪の男。目の下に人相を悪化させる隈を浮かべ、I♥人類のTシャツを来たその左腕に王冠をはめ込んでいる。
もう一人は白髪の少女。身長は小さく小学生くらいだろうか。美少女といって差し支えない容姿の彼女は長い髪を王冠で纏め、隣の男を手を繋ぎながらそこに立っている。
ジブリールが恐らく魔法で映し出した光景で察したことが二つ、いや三つある。
一つは、彼らが
二つ目は彼らはある国の王様だということ。
そして三つ目は、あの街の不可思議な点について。
敢えて言おう。謎は全て解けた。
この図書館に入った時点で、俺はジブリールがあの街の住民を攫った犯人かと疑っていた。まぁそれはゲームで聞いた十の盟約ですぐに否定したが。
俺が訪れた時、街の入口から見た限りでは住民は見受けられなかった。それは転移や魔法などでいなかったのではなく、ある理由で全住民が移動していたから。
その理由が、今見える王様の演説。要は俺の先輩と言える彼らの所為だったということだ。
ジブリールの問いは俺が彼らを知っているか否かだったな。
答えは当然、NOだ。
「知らん」
テトが俺に彼らの存在を教えなかったのは謎だ。それについては、あいつなりの思惑があったのだと考えておいた方がいいかもしれん。
俺と彼らは一切関係のない赤の他人。だが、少なくともジブリールは俺が彼らに関係すると思っていたのだろう。
俺はすぐに作戦を変更し、ジブリールのポーンを取った。
「この図書館に俺を入れた理由は?」
今とは意味合いが少し違う問いに、彼女は少しだけ頬を緩める。
「ようやくお気付きになったようで」
盟約によって不法侵入はできない。それは私有地の侵犯に当たるからだ。
なら、彼女は俺の侵入を容認したということになる。それは何故か。
「あなたが彼らの関係者だと考えていたからにございます」
だろうな。そうでなければ俺がここに入ることはなかっただろう。
さて、どうするか。
俺を呼んだテトとその思惑。俺より先に呼ばれていた二人の恐らく日本人。そして俺の事情。
考えるべきこととすべきことが多く、どれから手をつければいいかも分からない。まず知識云々ではない部分の情報が少なすぎる。
自分が何をすべきかを考察し、思いの外すぐに答えは出た。
俺は自分のキングを人差し指で弾き、盤上に転がるそれを見ることなく告げる。
「リザインだ」
降参し、いち早く俺はこのゲームを終わらせた。
ここからは完全に不定期更新です。
極力早く出せるよう頑張ります。
追記。
1018/12/23
一部修正しました。
番外編 エルキア王国奉仕部ラジオは必要ですか?
-
もっと見たい
-
別にいらない