何事もなく平穏に。
そんなことは不可能だと分かっている。
ただ、それでも、願うだけなら……。
『意志』
暗い夢の中に少女はいた。
暗黒に閉ざされ、右も左も上も下も、一切の判別がつかない。
分かるのは、自分がそこにいるという感覚だけ。
ただ、不思議な声だけは聞こえ続けていた。
少女に命令する声。
受け入れたくはない、声。
――壊せ。
たった三つの音から成るその言葉。
だがその音からは、声の暗い意志が伝わってくる。
――壊せ。
他に言うことはないのか、と思うが、少女にはそれだけで十分だった。
故に少女は、ゆっくりと手を上げる。
いつの間にか持っていた杖で。
魔法の光を放つ。
その光の先にいるのは……。
「……!」
黒衣の少女は、目を開けるなり跳び起きた。
荒い息をつき、状況確認のために周囲に視線を飛ばす。
見慣れたシュウの部屋と、少し離れた位置で眠るシュウの姿。
そして自分が先ほどまで被っていた布団を見て、安堵のため息をついた。
――ただの夢……。
シュウを起こさないように立ち上がり、流し台へと向かう。
そっと蛇口をひねり、冷たい水をコップに注いだ。
ゆっくりと時間をかけて飲み干し、大きくため息をつく。
「……星光?」
呼ばれて、少女は振り返った。
シュウが半身を起こし、まぶたをこすりながら少女を見ている。
どこか心配そうな目だった。
「どうかしたの?」
「いえ……。何でもありません」
そう答えたが、シュウはまだ何かを言いたげに少女を見ていた。
だが、言葉が見つからなかったのだろう、やがて首を振った。
「何かあったら、言ってね?」
「はい」
しっかりとうなずいてみせると、シュウは苦笑を浮かべた。
再び布団の中へともぐり込んでいく。
少女はその様子を静かに眺めていたが、ふと自分の布団の側へと視線を向けた。
少女の黒い杖が、そこにある。
それを見て、先ほどの夢を思い出してしまった。
――あれは……間違いなく……。
目を閉じ、夢の光景を思い出す。
放った光の先にいたのは、シュウ。
その表情は恐怖に怯えることもなく、ただ悲しげに少女を見つめていた。
もしも本当に同じことが起これば、この少年は同じ反応をするのだろうか。
――……何を考えているのでしょうね。
自分の考えに自嘲し、もう一度眠るために布団に入ろうとする。
そこで服がじっとりと湿っていることに気づいて苦笑し、
いつの間にか杖を握っていた自分に対して絶句した。
「……っ」
少女は杖を流し台の方へと放り投げると、布団を頭まで被った。
そのまま強く目をつむり、
結局朝日が昇るまで、眠ることはできなかった。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
心配そうなシュウの声に、少女は顔を上げた。
朝日に照らされた部屋にちゃぶ台が一つ。
それを挟むように二人は座っていた。
ちゃぶ台には湯気の立つご飯とみそ汁。
先ほどまで、少女がじっと視線を落としていたものだ。
「はい。大丈夫です」
うなずき、みそ汁のお椀を手に取る。
だが、どうしても食べる気にはなれず、そこで動作が止まってしまう。
そのまま小さくため息をつくと、シュウの困惑した表情が視界に入った。
「何かあったら、言ってね……?」
「はい。分かっています」
言えるわけがない。
シュウを殺してしまう夢を見たなどと。
言えば、どんな顔をされるのか……。想像もしたくない。
「三日前からその調子だよ? 何かあるんじゃない?」
「……っ」
少女は何も言えず、うつむいて黙り込んだ。
シュウの世話になり始めてから、もう一週間が過ぎている。
この夢は、三日前から見始めたものだ。
最初は声が聞こえるだけで、シュウが夢に出てきたのは昨夜が初めてだったが。
「大丈夫です。……大丈夫、です」
うつむいたまま、自分に言い聞かせるように言う。
シュウはその様子を、何かを探るようにじっと見ていたが、やがて小さくため息をついた。
「分かった」
空になった食器を持ってシュウが立ち上がる。
流し台へと歩いていくシュウの背中は、どこか寂しげだった。
それを見ているだけで、少女は胸が締め付けられるようだった。
日課となっているシュウとの散歩の間も、少女はうつむいて黙り込んでいた。
少女は黒い衣服に、これも真っ黒なキャップを被っている。
先日、通りすがりの人になのはと間違えられたためだ。
あの時は適当にごまかして逃げるようにしてその場を離れたが、
あの人はなのは本人と会った時に何を言うだろうか。
黒いキャップは同じ事が起こらないようにするために、シュウが買ってきたものだった。
以来、外を出歩く時は必ずこのキャップを被っている。
「ところでさ、そろそろ何をしたいか決まった?」
シュウに声をかけられ、少女ははっと我に返った。
気づけば公園の池まで来ていた。
池の側のいすにシュウは腰かけ、その隣を軽く叩く。
座って、ということらしい。
わずかに躊躇したが、シュウの隣に腰を下ろした。
「で、どうなの?」
「……まだ、決まっていません」
というより、ほとんど考えていなかった。
最初はそれなりに考えていたが、いつの間にか考えることを忘れていた。
思っていた以上に、シュウと共に過ごす時間が心地よかったから。
「そろそろ決めた方がいいでしょうね」
「のんびりでいいよ。急いては事をし損じる……だっけ?」
シュウが笑顔で言って、少女が申し訳なさそうに顔を伏せる。
あまり迷惑をかけたくないと思っているので、長居するつもりはなかった。
だが、いつの間にかもう一週間だ。そろそろ考えなければならない。
「……ちょっと曇ってきてるね」
シュウの言葉で天を仰ぐと、どんよりとした雲が空を支配しようとしていた。
いつ雨が降り出してもおかしくはない。
「帰ろうか」
シュウがそう提案するが、どうしても帰る気が起きなかった。
返事もせずにうつむくと、かすかに苦笑する気配が伝わってきた。
隣にまたシュウが座り、それからは二人とも無言。
少女は目を閉じ、思索の闇へと潜った。
微笑むシュウの胸からは血が流れ、
杖を持つ自分は青ざめた顔で硬直し、
ただ無情に時だけが流れていく。
そんな、夢。
「……!」
少女は勢いよく目を開いた。
いつの間に眠ったのだろう、闇色の雲は空を完全に覆い尽くしている。
ただ、相変わらず隣にはシュウがいて、そして新たな客もいた。
「にぃ」
「…………」
膝の上に、子猫が座っていた。
甘えた鳴き声で少女にすり寄ってくる。
シュウを見れば、笑いをかみ殺しているように肩を震わせていた。
「……私は、どれぐらいの間眠っていましたか?」
「二十分ほどかな。さっきは小鳥が頭に乗ってたよ」
全く気づかなかった。
そのことに少なくない衝撃を覚え、少し反省する。
――気を緩めすぎですね。
自分一人だけならまだしも、今はシュウがいる。
管理局の人間に見られれば、シュウの立ち位置も危うくなるだろう。
「にぃ」
膝の上の子猫が再び甘え声を出した。
少女は視線を下げると、相変わらずの無表情ながらも、そっと子猫の喉元に手を触れる。
優しく撫でてやると、気持ちよさそうにゴロゴロと鳴いた。
「動物に好かれてるね」
「……私のことなんて、知りもしないでしょうから」
「そんなことないと思うけどな」
「貴方が私の何を知っているんですか」
思わず硬い声を出してしまった。
シュウは少し驚いているようで、少女の方をまじまじと見つめている。
少女は何も言わず、立ち上がって池の方へと歩いた。
その時に猫が転げ落ちたが、気にも留めない。
ただ、子猫が寂しそうに一鳴きした時は、少し胸が痛んだ。
「……どうしたの?」
池の側で悄然とうつむく少女に、シュウがそっと近寄ってくる。
シュウを一瞥し、
「夢を、見るんです」
そう切り出した。
そして、今までの夢のことを全て話した。
夢の声、少女の魔法、その先にいる少年……。
話している間に雨が降り始め、二人を容赦なく叩きつける。
だが、それでも少女は話し続けた。
「私は、結局は、闇の書の残滓なんですよ……」
消え入りそうな声でそう締めくくり、目を閉じた。
これで、全てを話した。
どんな罵倒の言葉でも甘んじて受けよう。
そう思っていた。
だが、シュウから出てきた言葉は、予想とは違っていた。
「……くだらない」
「え……?」
「所詮は夢じゃないか。くだらないよ」
少年は吐き捨てるように言った。そして続ける。
「君は確かに闇の書の残滓なのかもしれない。
でも、だからなに? 君は君じゃないか。
僕が見てきた君は、ちょっと無愛想だけど、とても優しい子だよ。
側で見てきた僕が、保証する」
シュウの言葉が、胸に温かく広がった。
少女はそっと胸に手を置き、その温もりに身を浸す。
しかし、すぐに首を振ってそれを拒絶した。
「それでも私は、本質的には闇です」
「違うね」
シュウが即答。
シュウの視線は、少女の足下に向いていた。
少女もその視線を追って、
「にぃ」
いつの間にか足下に来ていた子猫が、甘えた鳴き声で少女の足にすり寄ってきた。
その子猫をそっと抱きかかえると、再び小さく一鳴きした。
「知ってる? 動物はね、人の本質を見るんだよ」
シュウに視線を戻すと、優しげな微笑を浮かべていた。
「動物達は、君の本質を見て、君に懐いているんだ」
「…………」
少女はしばらく子猫を見つめ、子猫も少女を見つめてくる。
少女は嘆息すると、子猫を地面に下ろした。
子猫が名残惜しそうに少女を見つめてくるが、少女はすでに子猫を意識から閉め出していた。
それを感じ取ったのだろう、子猫もわがままを言わずに、木々の間へと姿を消した。
「シュウ……」
子猫を見ていたシュウが少女を見る。
少女は相変わらずの無表情で、しかし悲しげな声で、
「私は、正夢にならないかと不安なんです。
ですから、シュウ。私はもう一人で……」
直後。
少女は言葉を発せなくなっていた。
自分の唇が、少年の唇にふさがれていたから。
再び声を出せるようになっても、茫然自失の体となっていた。
「僕はね」
顔を赤くしたシュウが言う。
「君のことが好きだ。だから側にいてほしい」
それだけ言うと、池の方へと視線をやってしまった。
その様子を見て、少女はやっと思考を再開する。
しばらくシュウを見つめ、そして……。
わずかに優しく微笑み、
薄く頬を朱に染めて、
少女は一滴の涙を流した。
「物好きな方ですね」
「……ほっといて」
照れ隠しのように、少年は空を見て言った。
いつの間にか雨はやみ、雲の切れ間から太陽がのぞいていた。
まだこの時はマテリアルズがどういうものかの設定が何もない時でした。
なのでただ破壊の意思がある、という風に捉えておりました。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。