平日の朝、シュウはいつもより少し早く目を覚ました。窓からの明かりはなく、部屋は暗いままだ。なぜこんな時間に起きてしまったのだろうと首を傾げ、すぐに気がつく。窓の外から風と雨の音がうるさく聞こえていた。立ち上がって見てみると、強い雨が窓を叩いている。まさに暴風雨だ。
シュウはその様子をしばらく眺め、なるほどと納得してまた布団に潜った。ただの台風だと。
いつもの時間に起きたシュウは、いつも通りに学校の準備をする。相変わらず雨が窓を強く叩いていた。暴風を含むいくつかの警報が出ていそうだが、とりあえず準備だけは済ませておく。準備を終えて、シュテルたちの部屋に向かうために玄関へ。扉に手をかけ、
「…………」
開けるのを躊躇した。廊下は雨も風も入ってくる構造だ。当然ここを開ければ、とてつもない暴風がシュウを待っていることだろう。そう考えるともう部屋で寝てしまおうかと思ったが、そうなるとシュテルたちが迎えに来る。シュテルたちが濡れるぐらいなら自分が濡れよう、と判断して扉を開けて、シュウはすぐに眉をひそめた。
風も雨もない。通路にガラスがあるわけでもないのに、なぜか通路に入ってくるはずの雨は途中で弾かれてしまっている。よく見てみると、その現象が起こっているのは自分とシュテルたちの部屋を繋ぐ廊下だけで、それ以外はやはり容赦なく暴風に襲われている。
「……ああ、結界か」
どのような結界なのかは知らないが、雨よけ程度の簡単なものを張っているのだろう。気合いを入れた自分を馬鹿らしく思いながら、シュウはシュテルたちの部屋へと向かった。
リビングのテーブルにはすでに朝食が並んでいた。全員がそれぞれの席に座り、テレビを、ニュースを見ている。
「おはよう」
シュウが声をかけると、それぞれが挨拶を返してくれる。シュウは嬉しそうに笑いながら、自分の席に座る。シュテルが入れてくれたお茶をありがたく受け取った。
「今日はずっとこんな天気だってさ」
レヴィの残念そうな声。なぜみんなでニュースをと思っていたが、どうやら天気を気にしていたらしい。
「警報は出てる?」
シュウの問いに答えてくれるのはユーリだ。
「はい。大雨、洪水、暴風、波浪の四つの警報が出てましたよ」
「うわ、そんなに……。学校は休みかな」
「そうなんですか?」
「うん。暴風警報が出たら休み。後で一応電話して確認するけど」
へえ、とその場にいるシュウ以外が驚いていた。どうやらこういったことは知らないらしい。学校に行かないのなら無理もないことだとは思うが。
「とりあえずは先に朝食だ。冷めるぞ」
「ああ、そうだね。いただきます」
ディアーチェの言葉に全員が手を合わせ、食べ始めた。
食事後、学校に電話をして確認してみると、やはり今日は休みということになった。安全のために出歩かないように、という注意も受けたが、言われるまでもなくこんな嵐の日に出歩く物好きはいないだろう。
「よし! じゃあ出かけてくる!」
前言撤回。目の前にいた。レヴィが元気よく立ち上がり部屋を出て行こうとしたところで、待て、とディアーチェが声をかける。レヴィが不満げな表情で振り返ってきた。
「どこに行くつもりだ?」
「遊びに?」
「この嵐の中で外に遊びに行く奴があるか! 大人しくしていろ!」
ディアーチェの雷が落ちて、レヴィは渋々といった様子で席に戻る。レヴィにとって外の天気は関係ないらしい。
洗い物を終えて全員がリビングに集合する。ここから先は今日の予定の話し合いだ。さすがに自分は邪魔だろうと席を立とうとしたが、それを見たシュテルがシュウを見て首を振る。
「構いません。聞かれて困るものでもありませんから」
「……いいの?」
「何を今更」
シュテルの言葉にシュウは苦笑。いすに座り直すと、それを見計らっていたのかディアーチェが改めて咳払いをする。全員の視線がディアーチェに集中して、その一つ一つをしっかりと見ていく。やがてディアーチェから出た言葉は、
「今日は予定がない。休みだ。好きに過ごせ」
という簡単なものだった。え、と驚いて唖然としているシュウを置いて、他の面々はそれぞれが行動を始める。シュテルとディアーチェは二人で何かを話し合い、レヴィとユーリはテレビをつけておもしろい番組がないか探し始める。シュウは一人、やるべきこともなくぽつんと座ったままだった。
話し合いが終わったのか、シュテルとディアーチェが本を広げる。そこまで待ってから、もういいかな、とシュウはシュテルに声を掛けた。
「今日は本当に、みんな休みなんだね」
シュテルが顔を上げ、シュウを見る、いつもの無表情でうなずく。
「はい。全員で掃除をしよう、ということにはなっていたのですが、この雨だと空気の入れ換えもできませんし」
そう言いながら窓の外に視線を移すシュテル。シュウも同じように見て、そうだね、とうなずいた。未だに雨が窓を強く叩いている。
「そのため、今日は洗い物など最低限の家事だけになりました。せっかくなので私は本でも読ませていただきます」
「ん。じゃあ僕は……。寝よう」
シュテルが呆れたようにため息をつく。そして席を立ってどこかへと行ってしまった。何か怒らせるようなことを言っちゃったかな、といすに深く座りながら考えるが、いつも通りの会話しかしていないはずだ。
背もたれに体を預け目を閉じると、すぐに眠気が襲ってきた。その睡魔に身を任せようとしたところで、何か柔らかいものが自分の体を覆う。少し目を開けると、毛布がかけられていた。
「……シュテル?」
「風邪をひきますよ」
そう言いながら本を開くシュテル。シュウは少し嬉しそうに微笑むと、ありがと、と短く礼を言っておく。
「おやすみ」
「はい、おやすみなさい。良い夢を」
シュテルの言葉を聞きながら、シュウは眠りに落ちた。
次に目を覚ました時は正午だった。ぐっと伸びをして、周囲を確認する。部屋には誰もいないが、隣のキッチンから話し声が聞こえてくる。そちらへと視線を向けると、シュテルが入ってきた。
「おはようございます、シュウ。もうすぐ昼食です」
「……ごめん。何も手伝ってないね」
「お気になさらずに」
シュテルがテーブルの中央に置いた大きな皿にはドライカレーが山盛りになっていた。自分たちの席にはそれよりも小さめの皿を置いていく。その後すぐにディアーチェたちが戻ってきた。
「む、起きたかシュウ。ちょうど今から昼食だ」
「うん。ごめんね、手伝わなくて」
気にするな、とディアーチェが手を振り、それぞれが席についていく。皆で手を合わせ、食事を始めた。自分の好みの量を大きな皿から移していく。シュウは控えめ、レヴィは大盛りだ。
「シュウ、それだけでいいの?」
せっかくのドライカレーなのに、とレヴィが不思議そうに首を傾げる。本当にカレーが好きだなと思いつつ、シュウは一度だけうなずいた。
「さすがに寝起きだからね……。ちょっとつらい」
「そうでしょうね。おそらく少し残ると思いますので、後ほどまた食べてください」
シュテルがちらりとレヴィを見て、レヴィがうなずく。それをしっかりと見てしまったシュウは、二人に心の中で感謝する。どうやら気を遣わせてしまったらしい。こんなことならもう少し早く起きていれば良かったとも思う。
全員が食べ終わっても、まだお皿一杯分のドライカレーが残った。シュテルはそれを新しい皿に移し替え、ラップをかけて冷蔵庫へと持って行く。とても慣れた手つきだ。
「さて、シュウ。ここで問題が発生しているのだが」
唐突なディアーチェの言葉にシュウが首を傾げる。ディアーチェはシュウをまっすぐに見て、そしてすぐに視線を逸らした。言いにくそうにしていたが、やがて声を漏らす。
「夕食の食材が足りない」
「……ああ……」
窓を見る。相変わらずの嵐。いつになればやむのか、見当もつかない。
「とりあえず適当なくじでも作る。買い出しと、残る側は風呂の用意だ」
「くじはいいよ。僕が行く」
立ち上がりながら言うと、ディアーチェが少し驚いたように目を丸くした。すぐに手を振り、ディアーチェも立ち上がる。
「いやだめだ。風邪をひくかもしれんだろう」
「誰でもいいから、あとで僕の部屋のお風呂も沸かしておいて。何を買ってくればいいかな」
「聞け!」
ディアーチェが苛立ちながら叫び、シュウはディアーチェに向き直る。シュウに見つめられ、ディアーチェが気まずそうに視線を逸らした。
「まだ何もやってないから、僕が買い物に行く。いいよね?」
いつもと変わらない口調と表情。それなのに、有無を言わさぬ雰囲気がある。ディアーチェはやれやれと首を振ると、財布をシュウに放り投げた。慌てながら受け取るシュウに、ディアーチェが告げる。
「必要なものは財布の中にあるメモに書いてある。すまぬが任せた」
「うん。了解」
シュウはうなずいて玄関へ。靴を履いている間にシュテルが見送りに来てくれる。何となく嬉しくなって振り返ると、シュテルの手には二着の雨合羽があった。
「……えっと……?」
シュウが戸惑っていると、シュテルが雨合羽を差し出してくる。シュウがそれを受け取ると、シュテルもその場で雨合羽を着用した。そして一言。
「私も行きます」
「え、いやでも……」
「シュウ一人では心配ですから」
そこまで信用がないのか、と内心で苦笑いする。断る理由もないのでシュテルの言葉に甘えることにした。シュウも雨合羽を着て、一緒に外に出る。
すでに結界は解除していたのか、扉から出ただけで暴風に晒された。雨が容赦なく体を打ち付けてくる。部屋に雨が入らないように、シュウはシュテルが出たことを確認するとすぐに扉を閉めた。
「さあ! がんばって行こう!」
風と雨の音で周囲の音が聞こえづらい。シュテルに聞こえるようにと大声でそう言うと、シュテルは黙ってうなずいた。
風の中、シュウとシュテルはスーパーまでの道のりをゆっくりと歩いて行く。豪雨のため視界も悪く、時折側を通る車に肝を冷やしてしまう。シュテルは大丈夫かと振り返ると、涼しい顔をしていた。それでも一応、声をかけてみる。
「シュテル! 大丈夫?」
「はい、特に問題なく」
平然としたいつもの声。大声ではないのに風雨の音に負けずにしっかりと聞こえるのは何かしらの魔法を使っているのか。ならいいや、と笑顔で言って、シュウはまたゆっくりと歩き始める。
このままのペースでは帰りはとても遅くなりそうだとは思うが、急ぐこともできない。しっかりと一歩ずつ歩いて、スーパーへと向かった。
時間をかけて買い物を済ませ、自宅への帰り道。当然ながら帰りも嵐の中だ。買い物袋を何重にもして破れないようにして、しっかりと持って帰路を歩く。まだまだ家は遠い。歩くことそのものが嫌になってくるが、家に帰らなければ休むこともできない。しっかりと歩みを進めていく。
「……あ」
シュテルの漏らした声にシュウはその歩みを止めた。振り返ると、シュテルの視線は側の公園へと向けられている。そちらを見ると、子猫が数匹、木の下で小さくなっていた。
「……連れて帰る?」
「いえ。親猫がいずれ迎えに来るでしょう」
そう言いつつも、シュテルは子猫たちへと近づく。シュウもその少し後ろについて行く。シュテルは雨合羽を脱ぐと、側に落ちている木の枝なども使って簡単ながら雨よけを作った。
「ここで大人しくしていてくださいね」
子猫の頭を撫で、シュテルが優しく言い聞かせる。子猫たちがかわいらしい鳴き声を上げた。ただ、少し大きさが足りずに数匹まだ雨にかかっていたが。
「……シュテル。これ」
シュウも雨合羽を脱いでシュテルに差し出す。シュテルは逡巡したが、しかしすぐに、ありがとうございますと受け取った。脱いだ瞬間にずぶ濡れになっている。今更遠慮しても意味がないと分かったのだろう。
もう一組の雨よけを作り、子猫全てがしっかりと中に入れたことを確認して、二人は今度こそ家路についた。
「戻ったか……。なぜそれほど濡れておる! さっさと風呂に入ってこい!」
帰宅したシュウとシュテルを見たディアーチェの第一声がそれだった。言われるままにシュテルは風呂場へと向かい、シュウは自分の部屋の方へと向かう。当然ながら一緒に入るなどといった発想はない。
「ディアーチェ、ここに置いておくね」
玄関に今なお水が垂れている買い物袋を置くと、ディアーチェはすぐにそれを回収した。
「うむ。助かった。そちらの部屋もユーリが沸かしておいてくれている。さっさと入ってこい」
「うん。そうするよ」
手を振り、自室へと戻る。着替えを用意してまっすぐに風呂場へ。浴槽にはお湯が満たされ、手をつけてみると少し熱めの温度になっていた。手早く服を脱ぎ、軽く体を洗ってから湯船に浸かる。雨で冷え切っていたので熱めのお湯が気持ちいい。
ゆっくりと長く息を吐いて口元まで湯船に浸かる。無事に家に帰り着いて安心してしまったのか、眠気が襲ってきた。いっそのこと寝てしまおうかと考えてしまう。
「でもみんなが心配しそうだしねえ……。早めに上がらないとねえ……」
ぼんやりと天井を眺めながらそんなことをつぶやき、うつらうつらと船をこぐ。
そして、いつの間にか意識は夢の中へと潜ってしまった。
Side:Stern
風呂から上がり、リビングを見回す。シュウの姿がないことに首を傾げ王に聞いてみるが、風呂に入りに行ったきりだとのことだった。
「遅いですね……。少し見てきます」
「うむ。シュウの部屋までなら結界を張っておる。濡れる心配はないぞ」
「ありがとうございます」
一礼してシュウの部屋へと向かう。鍵は開いていたので一声かけてから中に入り、自分たちの部屋と同じ構造なのでまっすぐに風呂場へと向かう。電気がつけられ、シュウの着替えもそこにあった。
「シュウ。いますか?」
呼びかけてみるが返事はない。そっと扉を開けて中をのぞき、シュテルは大きなため息をついた。
湯船に浸かったまま、シュウはとても気持ちよさそうに眠っていた。これがリビングでなら放っておくのだが、風呂だとさすがにそういうわけにもいかない。シュテルは中に入り、シュウの肩を揺する。
「シュウ。起きてください。シュウ」
しばらく揺するとシュウが目を開け、シュテルの姿を確認する。そして、
「……っ!」
声にならない悲鳴を上げた。
「情けない……情けなさすぎていっそ死にたい……」
リビングでシュウはずっとそんなことをつぶやいていた。風呂場でのやり取りを聞いてからは、レヴィとユーリ、ディアーチェまでが笑いを堪えている。
「まあ、なんだ。見られて減るものではないだろう」
「それはそうなんだけど、叫びそうになった方も含めてもう……」
これはだめだな、とディアーチェが苦笑して夕食の準備を始める。
シュテルは意気消沈したままのシュウの隣で、どうしたものかと考え続けていた。だがいい考えも思い浮かばないので、仕方なくシュウの手を握る。シュウが顔を上げて、うつろな瞳で自分を見てくる。目に涙が溜まっているのを見て、もう少し他の起こし方を考えれば良かったかと後悔した。
「シュウ。すみませんでした」
「いや、寝ちゃった僕が悪いから。気にしないでね」
「そう、ですか。……では、ありがとうございます」
シュウが、何が? と首を傾げる。
「子猫のことです。シュウまで濡れる必要はなかったのですから。ありがとうございます」
それを聞いたシュウは、しばらくシュテルと視線を交わした後、少し顔を赤くしてシュテルから視線を逸らす。照れくさそうに頬をかきながら、気にしないで、と笑った。
その笑顔を見て、シュテルは一先ず安心する。とりあえずは大丈夫だろう、と。そう思ってシュテルもうっすらと笑顔を浮かべた。
雨はまだまだ降り続け、風も強いままだ。だがたまにはこんな日もいいだろう、と考え、そんな思いがあることにシュテル自身が少し驚いていた。
(風呂にて)
シュテル「シュウ、いますか? 失礼しますね」
シュウ「は? え、ちょ、まって! なんで!」
こんな展開にしようかと思いましたが、さすがに自重しました。
裏設定としてレヴィがユーリを連れて外で遊んで、先に風呂に入っている、というのがあったりします。
やっぱり日常回は書いていて楽しいです。びば日常!
今回はちょっと最後をぶった切った感じがありますね。
……実は実際にその通りで、終わらせ方が思い浮かびませんでした。
ちょっとだけ長めなのもそのためです。
だらだらとした日常回ですが、書いていて一番楽しかったりもします。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。