「お兄ちゃん?」
文花の声でシュウは我に返った。
自宅のリビング。休日の朝から、シュウはいすに座ってずっとぼうっと惚けていた。特に何かをするわけでもなく、考えるわけでもなく、茫然自失としていた。時計を見ると、すでに昼前だ。文花に声をかけられるまで、時間の感覚すらなくなっていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
文花の声に、シュウは大丈夫だよと答える。無用な心配をかけてしまったことに少し反省した。
「文花はどうしたの?」
「妹がお兄ちゃんの家に遊びに来るのがそんなにおかしい?」
口をとがらせてそんなことを言う。思わずシュウは苦笑した。確かに何も変なことはない。
「シュテルお姉ちゃんは?」
「今日はまだ来てないよ」
「え?」
文花が驚きに目を丸くする。シュウ自身、シュテルがまだ来ていないことに今更ながら驚いていた。いつも朝食は一緒に食べているので、シュウが来なければ様子を見に来てくれるのに。そのことに少なからず衝撃を受け、落ち込んでしまう。だが、
「あれ? 来てたみたいだよ?」
いつの間にかキッチンに行っていた文花がお皿を持って戻ってくる。そのお皿にはおにぎりが三個載っていた。メモ用紙のような紙片も一緒にあったそうで、そこには、声をかけても気づかないようなのでおにぎりを置いていきます、とあった。
文花の目が細くなり、冷たい眼差しがシュウへと向けられる。シュウは目を逸らして頬をかいた。まさか来てくれていたとは思わなかった。気づかなかったことに自分でも驚いた。
「何かあったよね。話して」
先ほどの疑問系ではなく、今回は何かがあったことを確信しての言葉だった。疑問も何もない、発言を促すための言葉。シュウは文花を巻き込みたくはないという思いから発言を躊躇していたが、文花の強い眼差しを受け、小さくため息をついた。
友人の告白。その友人とシュテルの不思議な関係。自分自身もクラスメイトに告白され、一度だけ一緒に出かけたこと。そして翠屋での出来事。それらを全て話し終えると、すでに昼の時間はすっかりと過ぎてしまっていた。
「お兄ちゃん」
「な、何かな?」
「バカでしょ」
「う……」
「考えなし」
「うう……」
「死ねばいいと思うよ!」
「ひどくないかな!」
罵倒がどんどんとエスカレートしていく。思わずシュウが抗議すると、しかし文花は鼻を鳴らして、シュウを睨み付けてきた。
「まだ言い足りないくらいだよ」
今日の文花はかなり辛辣だ。ただ正論だとも思うのでそれらの言葉を甘んじて受けることしかできない。何とも情けない、とも思う。
「シュテルお姉ちゃんがその人とお出かけした時に、どうしてちゃんと話をしなかったの?」
「それは……気が動転していて……」
「シュテルお姉ちゃんって人がいるのに、どうして他の人とデートしたの?」
「いや、だって告白されたから……。勇気を出してくれたんだから、無下に断るのはさすがに失礼だと思って、一度だけならと……」
一度だけ一緒に過ごして判断してほしい、と言われたのだ。その一度ぐらいならと思ったのだが、文花に言われずとも愚策だったと後悔している。
「シュテルお姉ちゃんに失礼だと思うな!」
「ごもっともです……」
あまりに正論すぎて反論する余地がない。
「それで、お兄ちゃんはどうするの?」
腕を組んで睨み付けてくる文花に、シュウは言葉を詰まらせる。何かをしようとは思っていなかった。時間が解決してくれる問題ではないと分かってはいても、どうすればいいのか分からない。それを察したのか、文花は苛々とした様子で舌打ちをした。正直、怖い。以前よりも遙かに怖い。
「確かにシュテルお姉ちゃんにも悪いところはあったと思うよ。シュテルお姉ちゃんもちゃんと説明するべきだと思うし。でも、お兄ちゃんも悪いよね?」
「うん……」
「じゃあちゃんとシュテルお姉ちゃんと話し合わないと! ほら、行きなさい!」
文花の怒声。シュウは勢いよく立ち上がったものの、まだ行動を渋っていた。顔を合わせづらい。
「い、今から……?」
「…………」
「行ってきます!」
きびすを返して全力逃走。怖くて文花を振り返ることはできない。
だから文花が、世話の焼けるお兄ちゃんだな、と笑っていたことには気づかなかった。
数分後。
「お仕事なのか誰もいませんでした……」
「…………」
文花は重く長いため息をゆっくりと吐き出した。
Side:Dearche
「見つけたぞ」
マンションの近くの公園で、ディアーチェは探していた少年を発見した。少年もディアーチェを認めると、どこか楽しげな笑顔を浮かべる。
「いやあ、奇遇やな。ディアーチェさん。こんなところで、どうしたん?」
「どうしたもこうしたもあるか。洗いざらい話してもらうぞ」
ディアーチェの鋭い視線を受け、少年、コウは肩をすくめてみせた。
シュテルたちが仕事へと行く前に、ディアーチェはシュテルへとある依頼をした。コウへとこの公園へ来てほしい、という内容のものだ。その後すぐにシュテルたちは仕事へと向かったので、ディアーチェはずっとこの公園の側で待っていた。
二人はとりあえず近くのベンチに向かい、腰掛ける。コウは相変わらずへらへらと笑ったままだ。
「それで、何の話かな?」
笑顔で問いかけてくるコウ。ディアーチェは単刀直入にその問いを口にした。
「貴様、目的は何だ?」
「何が?」
「とぼけるな。シュテルに一目惚れをしたとか言うておるが、本当にそうか? 外見に関しては近しい者がシュウのクラスにいるのだぞ?」
「なのはさんのことやな。そりゃまあ、雰囲気が……」
「シュテルと遊園地に行った後、一切連絡を入れていないのはなぜだ?」
「あー……」
コウがどこか間の抜けたような声を出す。少し考えて、だがすぐに諦めたのか首を振った。そして次に見せた表情は、どこか照れくさそうな笑みだった。
「あの二人の様子をちょっと見て気づいたんやけど」
突然の話題転換。しかしディアーチェは何も言わず、無言で頷く。
「あれ、いつからや?」
何がだ、とは聞かない。何を聞かれているのかは察しがつく。故にディアーチェは端的に答える。それなりに長い、と。
「そうやろな、そんな気がしてたわ」
何度も頷くコウ。そのまま続ける。
「シュウはそっち方面の勇気はからっきしやからな。何か危機感を与えたら変わるかもしれんやろ? そう思って、シュテルさんをデートに誘ったわけや。お前が安心している関係は、結構脆いものやと伝えるために」
今のところは計画通り、というわけだろう。過剰に与えすぎだろうとは思うが、そこまで言うつもりもない。そうか、と頷いていると、コウがさらに続ける。
「でも意外やったのが、シュテルさんも自分の気持ちをいまいち理解してなかったことやな」
「ああ……。そう、だな」
思わずディアーチェが苦笑する。赤の他人にまで悟られるとは、と。
「だからそっちにも手を打たせてもろたわ」
「なに?」
「以前からシュウに想いを寄せてる子がおってな。その子をけしかけた。もちろん、ちゃんと事情は説明したで。本人も、告白せずに終わるぐらいならと受けてくれたからな」
「あれは貴様が仕組んだことか」
シュテルから翠屋での手伝いのことは聞いている。あの時はシュウに対して少し腹を立てたものだが、まさかこれもコウの差し金だったとは思わなかった。確かにタイミングが良すぎるとは思っていたが。
「あともう一押しってところやな。邪魔せんといてな?」
悪戯っぽくコウが笑う。今度はディアーチェが肩をすくめ、頷いた。
「いいだろう。いや、我に協力できることがあれば言え。あの二人を見守るのもいささか疲れてきたからな」
ずっとどうにかできないものかと思っていたことだ。この少年がどうにかする策を持っているなら、それに乗るのも悪くはない。ただ、あまりいい気分だとは言えないが、仕方ないだろう。
「しかし、やはりいささかやり過ぎな気はするぞ?」
「まあ、そうやろうな」
コウが苦笑する。そして、
「一目惚れはほんまやし」
そんな言葉を続けた。驚きで絶句しているディアーチェに、コウが続ける。
「だから、全部が演技じゃないで。ただ、自分の恋路より友達の恋路を優先しただけや。今回の策であかんかったら、その時はほんまにシュテルさんにアプローチするで」
楽しげに笑いながらコウが立ち上がる。携帯電話を差し出してきたので、一先ず連絡先を交換。コウは満足そうに頷くと、それじゃ、と手を振って去って行った。
「……食えぬやつだ」
その後ろ姿へと、ディアーチェは苦笑を送っていた。
Side:Stern
その日の仕事はとても遅くまで時間がかかってしまった。自宅に帰り着いた時間は夜の九時だ。レヴィとユーリはすぐに風呂へと入り、夕食を済ませてベッドに向かっていた。
シュテルも風呂を済ませリビングに向かうと、まだ王が読書をしていることに驚いた。何をしているのだろうと首を傾げていると、
「六時頃にシュウが来たぞ」
王の言葉にシュテルがびくりと身を震わせる。王へといつもの無表情を向けると、王は薄く微笑んだ。
「そんな怯えた目を向けるな。一緒に夕食を食べただけだ」
そうですか、とシュテルは胸をなで下ろした。そこで疑問に思ってしまう。自分は何を不安に思っているのだろうかと。シュテルが自分の感情に戸惑っていると、王はやれやれと首を振っていた。変わらんな、と。
「それで、シュテルよ。どうするつもりだ?」
「どう、とは?」
「シュウとこのままでいいのか?」
シュテルが言葉を詰まらせ、視線を逸らしてしまう。シュテルにしては珍しい反応に王は興味深そうにしていた。こんな反応もするのか、といったように。
「最初に説明をしておけば。シュウが説明をすれば。我から見て、今の貴様らは見ていて滑稽だぞ?」
「……でしょうね」
シュテルがそれだけを短くつぶやく。ディアーチェは小さくため息をついた。
「あまり口出しをするつもりはないが、早めにどうにかしなければ手遅れになるぞ」
「……はい……」
シュテルは頷くと、一礼して自室へと向かう。その背後ではディアーチェが、困ったものだと微苦笑を浮かべていた。
友人くんの目的のお披露目回です。
友人くんがシュテルに一目惚れしていなければ、きっと適当に刺激を与えるだけになったのでしょう。一目惚れしちゃったので、あんな黒い感じになっちゃいました。
……そんな感じなのですが、やりすぎた感は否めません。すみません。
そんな流れで、このプチストーリーは次話で終わりです。
いつものごとく日常回を挟みますが……。
もうしばし、この友人くんにお付き合いくださればと思います。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。