何故か無駄に長くなりました……。
「それじゃあ皆、高校生になってもがんばるんだぞ。もちろん就職する子たちもだ」
担任教師は笑顔でそう言うと、いつもの終礼の挨拶をして教室を出て行った。シュウは自分の席でその教師を見送り、彼が出て行く直前に頭を下げた。
今、シュウがいるのは自分のクラスの教室だ。先ほど卒業式が終わったところで、学校生活最後のホームルームもたった今終わった。この学校に通うほとんどの学生はこのまま高校にエスカレーター式に上がるので、よくある涙の卒業式とはなっていない。シュウを含むごく一部の生徒は高校には行かずに就職するので、数少ない例外には感慨深いものはあるが。
シュウは今までの学校生活の思い出を振り返り、目を閉じて懐かしい記憶に浸る。しばらくそうしていると、誰かがシュウの肩を叩いた。我に返ったシュウが振り返ると、そこにいたのは同じクラスの友人だ。優しく明るい少年で、クラス委員長も務める人気者。ただし少々お節介な面もある。それでもそれを含めて、シュウはこの友人が好きだったりもする。
「シュウ。これからみんなでカラオケに行くけど、来るかい?」
「ごめん、ちょっと用事が……」
「そうなのかい? 君の送別会も兼ねようと思っていたから、是非とも来てほしかったんだけど……」
それを聞いたシュウは申し訳ない気持ちになってしまう。普段、彼が率先してカラオケなど外の遊びを主催することは少ない。もしかすると、シュウのためにと計画してくれていたのかもしれない。そう思うと行くべきかとも思うが、用事があるのも事実だ。今日と明日は文花と兄妹水入らずで過ごすと決めている。
「あかん、あかんで委員長!」
委員長の肩を掴んで誰かが叫ぶ。シュウは彼を認識した瞬間、困ったように微苦笑する。
コウが意地悪そうな笑みを浮かべて、そこにいた。その笑みを見て確信する。余計なことを言うだろうな、と。そしてその予感は的中した。
「シュウはな! これから愛しい彼女とデートなんや!」
委員長が驚きで目を丸くし、その会話を聞いていた周囲の生徒が息を呑む。それらの視線が一斉にシュウを捉え、シュウは困ったように頬をかいた。
「シュウ! どういうことだ!」
「彼女、だと……? 裏切りものめ!」
「西崎……。信じていたのに……」
その騒ぎからクラス中の視線を浴び、シュウの彼女のことが瞬く間にクラス中に広まり、非難の言葉が浴びせられる。もちろん、純粋な悪意の言葉はさすがにないが。
――なんだこれ。
そう思わずにはいられない。誰か収拾を付けてくれないかなとも思うが、こういう時に頼りになる親友は、逆にこの騒ぎのきっかけを作った張本人だ。当てにならない。委員長もどうしたものかと困り果てている。
引きつった笑みを浮かべながら、シュウはすぐに解決策を思いついた。簡単なことだ、仕返しすればいい。
「彼女、かどうかは分からないけど、親しい女の子がいる!」
シュウの清々しいまでの開き直りに、クラス中から戸惑いの声が上がる。羨ましそうな声も多数含まれているが。
「言い訳はしないけどね。でも、コウにだけは言われたくないな」
シュウがゆっくりと笑顔を浮かべた。目の前のコウが首を傾げ、そしてすぐに、やばい、と顔面蒼白になる。クラス中の視線が、今度はコウに突き刺さった。
「ねえ、コウ。……人の妹に手を出しておいて、どの口が言うのかな?」
東江幸司、ただいま西崎文花と交際中。
「ちょ、シュウ! それはさすがに……!」
「まさかコウ、シュウの妹さんに手を出したのかい……?」
委員長の、信じられない、と驚愕の視線を向けられ、たじろぐコウ。そして非難の声はコウへと向けられる。
「お前、よりにもよってクラスメイトの妹とか!」
「それはない! それだけはない!」
「この獣め! テメエは地獄に落ちろ!」
「そこまで言うかっ?」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ続けるクラスメイトたち。無論、本当に怒っているものなど一人もいない。誰もがそれを理解している。シュウはその騒ぎを見ながら目を細め、このクラスで良かった、と心の底から思った。カラオケに行けば本当に楽しいのだろうが、文花との約束は破りたくはない。
「委員長。デートとかはコウの冗談だけど、文花と約束してるんだ。就職で遠くに住むことになってなかなか会えなくなるから、今日と明日は文花と過ごすって」
「ああ、なるほど……。それは邪魔できないね」
委員長は朗らかに笑うと、シュウの背を叩いた。
「元気でね、シュウ。文花ちゃんによろしく」
「うん。元気でね、委員長。楽しかったよ」
シュウは笑顔でそう言って手を振ると、教室を後にした。
お世話になった学校を後にして、シュウが向かった先は、以前住んでいたアパートだ。未だに契約されたままの自分の部屋に入る。もうほとんどここには戻ってきていないというのに、掃除はしっかりとされていた。
「お帰り、お兄ちゃん」
その部屋の中央で、文花が笑顔でシュウを出迎えた。
「ただいま、文花」
シュウも笑顔を浮かべ、部屋の中に入る。部屋の中に荷物はほとんどなく、今では中央にテーブルと座布団があるだけだ。他のものは撤去、または処分済みである。
「文花、今日の予定は?」
今日と明日は文花に付き合う。その時に何をするかは文花に任せるつもりだった。文花は指をあごに当て、少し考えるような仕草をした後、答える。
「今日は特にない、かな? のんびりしようよ」
文花の返答に、シュウは苦笑する。それでいいの? と。文花も照れくさそうにしながらも、いいの、と頷いた。
「じゃあ夜までのんびりとお喋りしようか」
「うん!」
文花の嬉しそうな表情に、シュウも頬を綻ばせた。
結局、その日は本当に夜まで他愛ない話をして、一日を終わらせてしまった。
翌日。その日も文花の希望は普段通りの一日だった。
「本当にそんなのでいいの? 買い物でも映画でも、何でも付き合うよ?」
「いいの。今日一日お兄ちゃんを独り占めできるだけで満足だから」
「そう……? なら、いいんだけど」
いまいち文花の考えが分からない。ただ、それでも。文花がそれでいいと言うのなら、自分はそれに付き合うまでだ。今日ぐらいは普通の兄妹らしく過ごそうと心に誓った。
夕食の買い物や散歩には出かけたが、やはり一日文花と話をしていることの方が多かった。今までの思い出話に始まり、今後の予定の話などをする。夜はそれに加えて、今日シュテルたちと会って言われたことも語った。
「へえ、お兄ちゃんが店長さん……」
「うん。いつの間にかそうなってたみたい」
「……お店、潰しちゃだめだよ?」
「僕を何だと思ってるんだ」
シュウが憮然とした態度でそう言うと、文花は忍び笑いを漏らす。まったく、とつぶやきながらも、シュウはすぐに笑顔に戻った。
「レヴィさんが言っていたこと、私も気になるかな」
唐突な話題転換。シュウが怪訝そうに眉をひそめ、何だっけ、と首を傾げる。
「シュテルお姉ちゃんといつ結婚するの?」
「…………」
シュウの動きが止まった。表情すら眉一つ動かさない。まさか、文花からも聞かれるとは思わなかった。
「お兄ちゃん?」
「いや、うん……。結婚、か……」
正直なところ、考えたこともなかった。いつも一緒にいることが普通過ぎて、それ以上を求めようとも思っていなかった。ただ、隣にいてくれるだけでシュウは幸せな気持ちになれる。だが、それはあくまでシュウの感情だ。
シュテルはどう思っているのだろうか。そう考え始めたことを察したのか、文花が肩をすくめて言う。
「シュテルお姉ちゃんがどう思ってるか、でしょ。多分お兄ちゃんと同じじゃないかな」
それを聞いたシュウは、それなら嬉しいなとだらしなく笑う。文花が呆れたようにため息をついて、
「二人がそれでいいなら、私も何も言わないけど」
その口調はどこか不満そうにも聞こえた気がした。
夜。シュウは文花の希望で同じ布団に入っていた。最後に、昔みたいに一緒に寝たい、と。最後に一緒に寝たのは海鳴市に来る前なので、まさか覚えているとは思わなかった。
「文花は明日どうするの?」
小声でそう問うてみる。答えがなければ、つまりもう眠っていれば明日聞けばいいかと思っていたのだが、文花は体を動かすとシュウの目を見て、答えた。
「明日はディアーチェさんたちを手伝って、部屋の片付け。その後時間が余れば、なのはさんに指導をしてもらおうかなって」
「部屋の片付け、か……。ごめん、終わってなくて」
「気にしなくていいよ。あ、でもその代わり、デバイスのメンテナンスまたしてね」
「もちろん、いつでも」
そこまで会話を交わして、言葉が途切れる。今日一日のほとんどを会話に当てていたので布団の中でまで話すことなどあるわけもなく。それでも少し名残惜しく感じながらも、シュウは目を閉じた。
そしてしばらくして、片手が握られる。シュウが目を開けると、こちらをじっと見てくる文花と目が合った。
「えっと……。文花?」
戸惑いながら名前を呼ぶ。文花は何も言わずシュウを見つめ続けていたが、やがて笑顔になって、何でも無いよと布団に潜り込んだ。
翌日。シュウは自室で一人きりでぼんやりとしていた。文花は、邪魔したくないからと朝早くに出て行ってしまった。がんばってね、という去り際の言葉がまだ耳に残っている。最後の最後まで、自分は妹に心配をかけているらしい。
「どうにも、うまくいかないものだなあ……」
ため息交じりにそうつぶやくと、
「何かありましたか?」
そんな声が真後ろから掛けられ、シュウは跳び上がるほど驚いた。慌てて振り返ると、シュテルが無表情にこちらを見つめていた。その手にはコンビニの袋がある。
「えっと……。最後まで妹に迷惑かけっぱなしで情けないな、て思ってたというか……」
誤魔化せばいいのに思わず本当のことが口から出てしまう。それを聞いたシュテルは、どこか不思議そうに首を傾げて、何を今更、と短く返事をしてくれる。
「うん。まあ……。今更、だよね」
それもそうだ、とシュウは苦笑。シュテルとのことを始め、再会してから今まで文花には心配ばかりかけている。シュテルの言う通り、今更気にすることではないだろう。
「でも最後ぐらい、もう少し頼られたかったけどね」
シュウが寂しげにそうつぶやくと、シュテルは呆れたようなため息をついた。
「十分頼られているように見えていましたが……」
気づかないのも今更ですね、とシュテルがコンビニの袋を差し出してきた。
シュテルがコンビニで買ってきたおにぎりを食べて簡単な朝食を済ませ、二人はシュテルの転移魔法である場所へと転移する。転移した場所は、薄暗い部屋だ。小さな部屋で、家具もなければ窓すらもない。万が一にも誰かに見られないようにしているような部屋で、事実そのための部屋でもある。
「何年ぶりの実家かな」
シュウが複雑そうな表情でそうつぶやいた。
ここはシュウの実家、西崎家。この部屋は両親がミッドチルダ等に向かう際に転移魔法を使う部屋だ。それ以外の用途はないため、必要最低限のスペースしかなく、地球の人に見られるわけにもいかないために窓すらもない、というわけだ。
シュウが部屋に唯一ある木製の簡素な扉を開けると、真っ直ぐな廊下に出た。シュテルが部屋から出たところでシュウは扉を閉める。ちなみに扉には、物置、と書かれていた。
「おかえり、シュウ。いらっしゃい、シュテルさん」
声がして、シュウは正面へと向き直る。そこに立っていたのは、シュウの母親であるさくらだ。エプロン姿のさくらは、柔らかな笑顔を浮かべている。
「お父さんならリビングにいるわ。案内は、必要?」
「いらない。それぐらいは覚えてるよ」
あらそう、とさくらは少しだけ残念そうな表情を浮かべ、それじゃあまた後で、と行ってしまった。あの方向はキッチンだ。何かを作っているのだろうか。
「シュウ。大丈夫ですか?」
隣からの声。シュウは何が、と聞こうとして、すぐにそれに気がついた。手が抑えようもなく震えていることに。実感はないが、心の奥底でまだこの家に対する恐怖心が残っているのかもしれない。情けない、とため息をつくと、震えている手を温かいものが包み込んだ。シュテルの、手だ。
シュウは一瞬だけ驚き、すぐにその温もりに身を委ねる。しばらくそうしてから、よし、とシュウは頷いた。
「もう大丈夫。行こう」
「はい。行きましょう」
シュウは頷くと、リビングを目指して歩き始めた。
中央にテーブルとソファ、隅にテレビと小さな本棚。それがこの家のリビングだ。シュウの父親、ケインはソファに座り、つまらなさそうな表情でバラエティ番組を見ていた。シュウが部屋に入るとすぐに気づき、ぎこちないながらも笑顔になる。
「よく来たね、シュウ。シュテルさんも、いらっしゃい」
まあ座りなさい、という父の言葉に従い、シュウはケインの対面に座った。シュテルはその隣だ。ケインは満足そうに頷くと、リモコンでテレビを消した。
さて、とケインがシュウに向き直り、シュウは思わず居住まいを正した。心に染みついた恐怖心はなかなか取れないものだ。それを理解しているケインは、どこか悲しげに微笑んだ。
「……ごめん」
シュウが謝り、ケインは首を振る。
「私たちの傲慢さが招いた自業自得、だ。シュウが気にすることじゃないよ」
それを聞いたシュウは、それでもと頭を下げた。
両親に対する遺恨が消えたわけではない。だがそれでも、両親から受けた恩もやはり大きい。特にミッドチルダへの引っ越しや店の準備など、シュウたちができないことのかなり多くを両親が負担してくれていた。二人とも少しでも罪滅ぼしになるならと笑っていたが、やはりその点に関しては感謝している。
「まあそれはともかく……。明日発つんだね?」
あからさまな話題転換に思わず苦笑してしまう。ただシュウとしてもあの話を続けることは避けたかったため、それに乗ることにした。
「うん。今はディアーチェたちが最後の片付けをしてくれているところ」
「そうか。じゃあ早めに帰らないといけないね」
晩ご飯を食べたら帰るよ、とシュウが肯定すると、ケインはあからさまに残念そうな表情を浮かべた。
「無理を言っちゃだめよ、ケイン」
さくらがリビングに入ってきて、手に持った盆のコップをテーブルに置いていく。シュウとシュテルにはオレンジジュース、両親二人はブラックコーヒーだ。シュウとシュテルは礼を言って、コップに口を付けた。
「ここに来てくれただけでも喜ばないと」
「ああ、それは分かってるんだけどね……」
項垂れるケインをさくらが慰める。それを見ていると、少しだけ罪悪感を覚えてしまう。そのシュウの気持ちを察したのだろう、さくらが気にしないように、と微苦笑して手を振っていた。
「部屋の場所は覚えてる?」
さくらの問いかけに、シュウは、多分と頷いた。今日ここに来た目的は両親に挨拶をすることの他にもう一つある。かつての自分の部屋の整理だ。この家を出た頃は魔法のことなど何一つ知らなかったので大したものは持っていなかったのだが、念のために確認しておきたい。
未だに目頭を押さえている父に苦笑しつつ、シュウは席を立った。シュテルと共に二階に向かう。この家の二階は三部屋しかなく、一つが物置、一つが妹、文花の部屋、そしてもう一つがシュウの部屋だ。子供二人が家を出て、もうほとんど使われていなかったはずだ。
――コウと音奈も、一階で生活してるらしいからなあ……。
西崎家の養子となっているコウと音奈は、両親に遠慮してか自分の部屋を持とうとしていない。二人の寝室はあるらしいが、それも同じ部屋にベッドを二つ並べているだけの、本当に寝るためだけの部屋だそうだ。
シュウが自分の部屋を片付けようと思ったのは、この部屋が開けば二人が一部屋ずつ使えるようになるかもしれない、と思ってのことでもある。
シュウは部屋の扉を開け、思わず苦笑してしまった。シュウの背後からのぞき見たシュテルも、反応に困ったかのように言葉を失っている。
部屋には、子供用の勉強机と小さな本棚、そしてベッドしかなかった。あって当たり前のはずのおもちゃなどは一個たりと見つからない。どうやらシュウは、幼少の時からさほど変わっていないらしい。
「誰かが片付けた、などは?」
シュテルが聞いて、シュウが首を振った。
「僕が出て行った後は、何かを捨てたりとかはしてないらしいよ。それに………。そう言えば、おもちゃとかで遊んだ覚えはあまりない気がする」
そう答えながら、シュウは勉強机に近づいた。引き出しを開け、中に入っているノートを見る。学校の授業で使っていたノートで、ひらがなでさんすう、と書かれていた。懐かしくなって思わず目頭が熱くなる。シュウはノートを引き出しにしまい、別の引き出しを見る。
にっき、があった。
「……ああ……。そう言えば、あったなあ……」
遠いものを見るかのように目を細め、緩慢とした動作でにっきを開く。そして、すぐに閉じた。幼少の日記なので詳しく覚えていないのだが、あまり気分の良い内容ではなかったはずだ。特に、後半は。
あとでシュテルと一緒に見ようかな、と思いながら他の引き出しも漁る。勉強関連のノートやちょっとした小さなおもちゃ、ルービックキューブといったもの、以外は何もなかった。
もういいか、と扉へと振り返ると、扉の前で立ったままのシュテルがこちらを静かに見つめていた。シュウが首を傾げ、言う。
「どうしたの?」
「いえ。人の部屋なので私ができることがないだけです」
今更気にしなくていいのに、と苦笑しながらシュウは部屋を出た。
両親との夕食は、さくらの手料理だった。肉じゃがと味噌汁という和風なもので、これらの調理の間、さくらとシュテルは共に台所に立っていた。仕方なく、待っている間は父親と二人きりになる。
「コウと音奈は?」
「文花のところで一泊するらしいよ」
それを聞いたシュウが思わず頬を引きつらせた。コウはいい。コウは口ではいろいろ言うが、間違いを犯すような男ではない。だが、音奈はどうだろうか。
付き合っている二人の間に放り込まれた音奈の心中やいかに。
「……がんばれ、音奈……」
きっと音奈は気を遣ったのだろう。それ故に、心の底から申し訳なく思うが。
しばらくして、食卓に白ご飯、肉じゃが、味噌汁が並ぶ。さらにはなぜかクリームシチュー。和洋が統一されていない。
「うん。美味しい」
シュウが素直に感想を述べると、さくらは嬉しそうに微笑んだ。
「また食べたくなったらシュテルさんに言うのよ」
どうして、と隣のシュテルを見ると、シュテルはこちらを一瞥して答えてくれる。
「作り方を教わりました。西崎家に代々伝わる味付け、だとか」
「そ、そうなんだ……」
それでシュテルを台所に連れて行ったのか、と妙に納得してしまった。
夕食後、両親に別れを告げて、シュウとシュテルはマンションに戻ってきた。ケインが妙に名残惜しそうにしていたのが印象的だ。また顔を出す、と言うとそれだけで喜んでいた。
近くのコンビニで二人分の弁当を買い、マンションのシュウの部屋へ。シュウの私物はすでになく、元々あった備品などが残されているのみだ。ディアーチェの気遣いだろう、寝袋が二つだけ残されていた。
ディアーチェたちは一足先に店の方に移っている。シュウたちも明日の早朝にここを発ち、さらに翌日にシュウの両親とリンディが解約の手続きをすることになっている。
「ここで寝るのも最後だね」
「ええ……。そうですね」
コンビニで温めてもらった弁当を床に置き、二人は言葉少なく食べていく。二人が食べる音だけが聞こえる、静かな時間。やがて二人とも食べ終わったところで、シュテルがコンビニの袋からペットボトルのお茶を取り出した。紙コップに注いで、シュウへと渡してくる。
「ありがとう」
「いえ」
二人そろってお茶を飲み、一息つく。もう何もすることがない。
「ああ、そう言えば……。持ち帰ってきたのは、ノート一冊ですか」
シュテルが思い出したように聞いて、シュウは頷いた。にっきを取り出して、ぱらぱらとページを捲る。
「海鳴に来る前に書いてた日記だね。例の事故までは書いてたんだ。その後は、いつの間にか書かなくなってた」
読む? とシュウが差し出すと、シュテルは小さく首を振った。そんな無礼なことはしません、と。気にしなくていいのに、とシュウは肩をすくめながら、ノートを開いて読んでいく。読んでいくと当時のことが思い出され、少し懐かしい。
前半は日々のことを拙い文字で綴るだけの微笑ましいものだ。だが、後半になると。
――今日も化け物と言われた。
――れんくんとけんかした。
――みよちゃんに気持ち悪いと言われた。
暗い内容が増えていく。シュウの周囲で異変が起き始めた頃、だろう。心の奥底に閉まった記憶があふれ出してくる。よせばいいのに、読むことをやめられない。
一人、また一人とシュウの周囲から人が離れていく。その恐怖は、幼い心には耐えられないものだった。当時は味方してくれていた家族がいなければ、自分はとっくに壊れていたかもしれない。
その家族も、演技とはいえ自分から離れたわけだが。思えばあの時、自分は一度壊れているのかもしれない。でなければ、幼い子供が一人暮らしなど耐えられるはずがないだろう。その時のことを思い出し、気持ちが暗くなっていく。体の全身が冷たくなっていく。
不意に、手に温かいものが触れた。見ると、シュテルが真剣な眼差しでシュウを見つめていた。
「シュウ。大丈夫ですか?」
シュテルが聞いて、シュウは目を細め、しっかりと頷いた。
「そうですか」
いつの間に離していたのだろう、床に落ちたにっきをシュテルが拾い上げ、開いていたページに視線が落とされる。するとシュテルは眉を寄せ、すぐににっきを閉じた。
「シュウ」
シュウが虚ろな目をシュテルに向ける。
「この先何があろうとも、私たちは貴方から離れません。だから、泣かないでください」
シュテルの言葉に、シュウがわずかに驚いて目元を拭う。本当に涙が流れていたことに再度驚き、恥ずかしくて顔を真っ赤にしてしまう。
「この先何があろうとも、私たちは貴方の味方です。私は、ずっと貴方の側にいますよ」
シュテルの言葉の温もりに、シュウは目を閉じて身を委ねる。自分は一人じゃないと実感できる。そう思うと、自然と頬が緩んでしまった。
「そろそろ休みましょうか。明日からは店の準備がありますし」
「うん。そうだね」
何かを誤魔化すように、シュテルが顔を逸らして寝袋を広げ始めた。その顔は、ほんの少しだけだが赤くなっていたような気がする。自分の妄想からくる錯覚かもしれないが。
「ねえ、シュテル」
「はい」
「一緒に寝ても、いい?」
シュテルの動きがぴたりと止まる。ゆっくりとシュウへと向き直り、シュウの顔をまじまじと見つめてくる。シュウがシュテルの言葉を静かに待つと、やがてシュテルが小さくため息をついた。分かりました、と。
二人で同じ寝袋に潜り、身を寄せ合って目を閉じる。シュテルの温もりが感じられ、顔が熱くなってしまう。
目を開け、シュテルを見る。すでに目を閉じ、整った寝息を立てているようだ。
「もう寝てる、よね?」
返事はない。シュウも目を閉じ、微睡みに身を委ねる。
「シュテル……」
シュウが小さな声を出す。聞こえていなくてもいい、言っておきたい。
「僕の隣に、ちゃんといてね……」
そしてシュウは、眠りへと落ちた。
シュウが眠りに落ちてしばくして、シュテルが目を開ける。シュウの寝顔を至近距離で見て、妙な気恥ずかしさを覚えてしまう。自分らしくないと思いつつも、悪い気はしない。
「貴方がそれを望むのなら」
シュテルが答える。歌うように。
「私はずっと貴方の隣に。貴方と一緒に歩みます」
そしてシュテルは、淡く微笑み、自身も心地よい微睡みに身を任せた。
翌日早朝。
シュウとシュテルは少ない私物を持って部屋を後にする。部屋を出て、ドアを閉めようとして、
「…………」
二人は思い出の詰まった部屋をしばらく眺め、どちらともなくつぶやいた。
「お世話になりました。今まで、ありがとう」
そしてドアが閉じられる。
誰もいなくなった部屋で、朝焼けの光だけが部屋を包む。朝の光は二人がいた部屋を、優しく温めていた。
出立編ラスト、主人公編でした。
最後はちょっぴり甘くできたでしょうか。無理矢理な気もしますが……。
それにしても、時間がかかりました。
普通に今までのプチストーリーと同じ分量、下手をすればそれ以上あるという……。
そのくせ今まで以上にぐだぐだ……! 申し訳ないです……。
こっそりアナザーを投棄しています。
ただ本当にお遊びで書いたものなので、基本的に読まないことを推奨します^^;
あと9月中に一週間連続投稿とかできたら……いいなあ……。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。