翌日の昼下がり。
立花響は親友である
人生において、価値観というものが変わってしまうような大きな転機が、一度や二度は存在する。
響にとって、昨晩の『シンフォギア』との出会いが、まさにその一つだった。
昨晩、戦場を離れた響は、特異災害対策機動部二課へと、重要参考人として連行された。理由はもちろん、その身に鎧っていたガングニールについてだ。
なんとリディアンの地下奥深くに存在しているその『秘密基地』において、彼女は司令である弦十郎や技術顧問である了子と出会い、深夜まで自分の身に起こったことについての説明を受けたのだった。
もっとも、その全容・概要を理解できたとは、自分でも思っていない。彼女はまだ十五歳、どこにでもいる女子高生だ。常識と手を取り合って生きてきた人生からしてみれば、シンフォギアの一件はあまりにもファンタジーすぎるものだった。
(あれって、つまり……正義の味方、だよねぇ)
シンフォギアをまとって戦う、風鳴翼の姿を思い出す。ノイズと戦う彼女によって、命を救われたのはこれで二度目だ。
思い出す、二年前に歌女である翼の組んでいたユニット『ツヴァイウィング』のライブに出かけた際に起こった、ノイズの大襲来という悲劇的な惨事──その渦中にいた響が命を長らえたのは、彼女とそのパートナーであったシンフォギア装者、ガングニールを鎧う今は亡き
(奏さんのシンフォギアが、わたしの中にあるなんて……)
事件で負った今も残る傷痕を、制服の上から無意識に撫でさする。
はっきり覚えている。あの事件において自分たちを守り、ノイズと戦っていた奏のシンフォギアの一部が、敵の攻撃によって吹き飛び、胸に突き刺さったことを。
そして瀕死の重傷となった自分に、奏がかけてくれた言葉を。
手術をしても取り除くことができなかった、胸に食い込むこの破片は、己の亡骸すら塵となって失った奏が、たった一つだけこの世に遺した遺産そのものだ。
それがあったから、自分はガングニールを鎧い、助けた幼女共々、ノイズから逃げおおすことができた。
人の命を守るための遺産──受け継いだ自分は、何をすればいいのだろうか。初めて自分に『価値』が与えられたように感じられて、義務感と高揚感がない交ぜになった感情で胸がいっぱいになり、夕べはろくに眠れなかった。
そして、それだけではない。
響にはもう一つ、気になっていることがあった。
(……あの人、わたしの名前を知ってた)
クトネシリカを鎧う、仮面の装者。昨晩、二課に連行されたのち、そのことについても聞かれたが──彼女が何者かは全く心当たりがない。
しかし、彼女は知っていた。立花響のその名前を。そのことは、見過ごせることではない。もしも自分の知り合いであるのなら、その人物は響自身と同じ領域に、足を踏み入れていることになる。
できれば、話を聞きたかった。『守秘義務』とやらのため、未来にも決して話せないこの気持ちを、不安を、悩みを、分かち合いたかった。
「……どうかしたの、響? 怖い顔して」
「え? ううん、なんでもないよっ」
知らぬ間に、向かいに座る未来を睨んでいたらしい。
いくらなんでも、さすがにあの装者が未来であるなどということはあり得ない。自分は彼女の声を聞いているのだ。作っている声ではあったが、未来の声を聞き間違えるなどということはない。何よりも体格がまったく違う。仮面の装者は未来よりも、ずっと背が高かった。
「おーい、何を難しい顔をしてるのさ」
「り、律!?」
声をかけられ、顔を上げる。
そこにいたのは、響と未来の二人にとっての共通の幼馴染み、
「響、学校では『櫻井先輩』でしょ?」
「なんだよ。つれないなぁ未来は、ボクからそーやって距離を取るなんてさぁ。歳なんて大して違わないじゃん」
「でも……新入生に馴れ馴れしくされてたら困るんじゃないの?」
「気にしやしないよ。その程度で何か言うような奴は、友達じゃない」
ごく自然に未来の隣に座ると、カレーを載せたトレイを置いて、二人に軽く微笑んだ。
「どう、二人とも? 学校はもう慣れた?」
「そんなぁ、まだ一日目だよ? 慣れるもなにもないってば」
「そりゃそうか」
アハハと笑ってそう言いながら、頬を掻く律。短冊のように切り揃えられた少しクセのある髪が、さらりと揺れた。
幼馴染みとはいえ年齢差があるため学年こそ一緒ではないが、律は何かと響や未来のことを気にかけてくれる、いい姉貴分だった。
特に二年前に響が大怪我を負った事件以来、時に過剰とも思えるほどに二人に対して親身になって世話を焼いている。
リディアンの進学についても、もともと音楽関係の学校への進学を望んでいた未来にリディアンを紹介したのは律だったし、彼女に続いて入学を決めた響の入試勉強を見てやったのも、また彼女だった。
「いやぁ、あのときは苦労したよ……猫に芸仕込むほうがまだ楽だったと思うね」
「そんなに!?」
頭が悪いとはっきり言われるとさすがの響も少々凹む。平気へっちゃらというわけにもいかなかった。もっとも律は自分のことを侮蔑しているわけではなく、彼女なりの親愛の情であることは響にもわかっている。自分のことも未来のことも、律はいつも第一に考えてくれている──それが響の認識だった。
「……いつもならもっと喰ってかかるのに、今日は何だか大人しいじゃん、響? 何かいいことでもあったの?」
「へっ!? そんなことないってば!」
「じゃあ、悪いことでも?」
「ないない、ないってば」
「そうか……なら、いいんだけど」
一瞬、律の表情が悲しそうに曇ったように見えた。
が、別のことに気に取られたかのように、彼女の視線が動く。つられて見た先にいたのは、取り巻きに──というと、まるで彼女が望んで侍らせているようだが、そうではない──囲まれている、風鳴翼の姿だった。
「翼さんだ……」
思わず響の口からこぼれたその言葉を、彼女の耳は拾い損ねなかったらしい。
だが、くるりと踵を返した翼の表情はどこか冷たく、厳しいものだった。敵意──というほどではないが、あまり真正面から見つめ返すことがはばかられるような目付き。その先にいるのは響だ。
「……響、風鳴先輩に何かした?」
「な、なんでっ!?」
鋭い、と思った。律の目は、いつも確かだ。
「いや、気のせいならいいんだけどさ……あの有名人が妙におっかない顔して、響を見てるような気がして……」
「ま、まさか。なんであたしなんかを翼さんが気にするなんて、おかしいよ。ねぇ未来?」
「昨日のこと、覚えてたとかじゃないの?」
昨日も響たちは、翼とこの学食で出会っている。その時は顔にご飯粒がついていることを指摘されるという、非常に恥ずかしい出会いだった。
「うう~、あんな変な子だって思われたままじゃイヤだよぉ」
「響って、わりと普段から変な子だよね、未来?」
「ノーコメントで」
自分ではこんなことを言っているが、実は響には少しだけわかっていた。
昨夜、ノイズに襲われた戦場で出会った翼も、今と同じ表情をしていたから。翼が自分を見るときは、いつもあの貌なのだ。
仮面の装者が去ったあと、初めて自分と話した時もそうだった。
避けられている──もっとはっきり言えば、嫌われていることはわかる。だが、どうしてなのかは、まるでわからなった。
「うーん……」
「あらら、思ったより真剣にお悩みのご様子で」
響にしてみれば、翼は憧れの人だ。
そもそも響が胸に傷を負う原因となったのは、かつて翼が相棒である先代ガングニール装者・天羽奏と組んでいたツインボーカルユニット『ツヴァイウィング』のコンサート上での話なのだ。
もともとファンだったのは未来のほうだったが、事件後の入院生活において、響は相棒を失い、けれども歌い続けた彼女の歌にずっと励まされたのだ。
律がいて、未来が希望していた進路だということと同じくらい──あるいはそれ以上に、翼の存在は響にとってリディアン進学への大きな理由だった。
「響、別に何かしたわけじゃないんだろ?」
「うん……」
「だったら何であれ、事はあちらさんの気持ちの問題だよ。あまり思い悩んでも仕方がない」
律は見かねたような表情を作りながら、優しく言った。
「そ、そうかな?」
「悩みは、時に忘れることも重要だ。時間が解決してくれることもあるしさ」
それは響にもわかる。いや、むしろ誰よりも実感を伴って、その言葉を理解できる。彼女自身、辛さ苦しさを時間とともに解決してきた人間なのだ。
未来も律も、それを知っている。だから自分が悩んでいる時はまず、考える時間をくれるのだ。
しかし──この問題は、本当に時間が解決してくれるのだろうか? 律の言葉を疑うわけではなかったが、その確信を持つには響はあまりにも、
「翼ちゃんの機嫌が悪いわけ?」
結局わからなかったので、目の間にいた大人へ素直に聞いてみることにした。
わからなかったら、聞くほうがいい。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥──こう響に教えたのも、また律だった。もっとも彼女の言葉は半ば以上、『自分に聞け』という意味だったのだが。
「はい、そうなんです……」
「ふむ」
聞いた相手は、了子だった。
体内に融合したガングニールについて調査するため、彼女に呼ばれた響は今晩も私立リディアン音楽院の地下にある、特異災害対策機動部二課の本部に赴いていた。
二課は自衛隊に関連した秘密組織というわりには、軍隊らしい堅苦しいところはなく、むしろアットホームですらあった。
技術主任を務める了子もその例に漏れず、多少変わり者ではあったが、気さくで話しやすい人柄の女性であった。年齢について触れさえしなければ。
とはいえ、それは響にしてみればマイナスポイントではない。むしろ大人の女性には、やっぱり憧れてしまう。子供っぽいところのある響にとっては、少しばかりコンプレックスであるとさえ言えた。
「ごめんねぇ、響ちゃん。そればっかりは……」
「はぇ?」
「だいたい理由はわかるし、話してあげることもできるけど、それで事態は解決しないと思うのよ」
「そうなん……ですか?」
「そうなのよねぇ。あれよあれ、翼ちゃんにとっては、時間が解決してくれる類の問題なんだけど……まだあれから二年だからね、少し早いと思うの。忘れてしまうには、ね」
調査機械を弄る手を休め、煮出しの珈琲をすすりながら了子は言った。
その横顔に響はふと、誰かの面影を見ていた。
(櫻井……櫻井……まさかね)
気になってしまうと、やはり聞きたくなる。
とりあえず翼の件は頭の奥へとしまい込み、今生まれたばかりの疑問を尋ねてみた。
「そうだ、全然話は変わるんですけど……」
「何かしら?」
「もしかして、なんですけど……妹さんっていますか?」
「……いるけど。もっとも、並んでると娘さんですか、とか言われちゃうくらい歳離れてるんだけどね」
深まる確信。
「じゃあっ、名前はもしかして『律』ですか!? 櫻井律! リディアンの二年生!!」
「……驚いたわ。もしかしてあの子、響ちゃんの知り合いなの!?」
「やっぱりっ! 幼馴染みなんです!」
色つき眼鏡の奥で、了子の瞳が真ん丸に見開かれる。
「ああ、ああ! そう言えば言ってたわ、あの子! 姉さんの帰りがいつも遅くて一人になりがちだった、ボクのことを心配してくれた幼馴染みがいて……ご家族には、ずいぶんとよくしてもらったんだとか、何とかって! なんだぁ、響ちゃんだったの、それ!」
「そーなんですよぉ! ああ、やっぱり了子さんが律のお姉さんだったのかぁ……」
納得してしまえば、顔も髪質もよく似ている。ちょうど十歳──いや、十五才ほど了子を若返らせると、律の顔になるだろうか。
顔立ちもだが、どこか悪戯めいた雰囲気を持っているところも、二人には共通する要素だった。
しかし、二人が姉妹だとするなら、一つ解せないことがある。それだけは、響も確認しておきたかった。
「あの、了子さん……ここの本部のことって、律は……?」
「……知ってるか、というのなら半々ってところね」
それは響が望んでいた答えではなかった。
若干気落ちした気持ちを慮るように、了子が優しく言葉を続けた。
「律は私がリディアンの地下で働いていることは知っているし、弦十郎クンとか緒川クンとか、顔見知りの課員も少なからずいるわ。私の妹っていうだけで、結構危険があるものだしね」
「そうなんですか?」
「世の中、悪い奴がいるのよね。この世にシンフォギアを作れるのは私だけだからって、あの子を人質にして力ずくでも言うこと聞かせよう~、なんて考える人間は減らないのよ。今はともかく、昔は色々大変だったわ」
やれやれ、と了子は肩をすくめた。
ずいぶんとオーバーアクションではあるが、言っていることには誇張はないことが、真剣味のある目付きからもわかる。
「ぜ、全然気がつかなかった……」
「それは響ちゃん家とか、ほかのご近所さんとか、そういう大人の目があったということが功を奏したんじゃないかしら? それにシンフォギアが真価を発揮し始めたのは、結構最近のことだしね」
「……ツヴァイウィング」
「そうね。あの子たちこそ……奏ちゃんと翼ちゃんこそ、最初の装者たち……って、話しが最初に戻っちゃったわね」
「あ……あははっ、そうですね」
ツヴァイウィングの名は、きっと響の一生にこのまま刻まれ続けるだろう。人生の転機というものが幾つかあるとするなら、あのライブに行ったことも──いや、ツヴァイウィングの歌に出会ったこと自体、響にとっては大きな転機だった。
それが良きにつけ悪きにつけ、ということにはあまり関係がない。神の手による大きな運命のうねりは、人間の持つ価値観など容易に飲み込み、試練と恵みを等しく与えるのだから。
「まぁともかく、とりあえず律にもここが何で、何をやっているかは秘密にしておいてくれるかしら? 秘密を持ってもらうのは……こっちとしても、心苦しいのだけど」
「わかりました……」
結局、了子から得られたものは、期待していたような答えではなかった。
いくぶん意気消沈したことを隠せない響。未来はともかく、了子の妹である律ならば、という期待があっただけに、かえって残念な気持ちは強かった。
「……きっとあの子なら、響ちゃんからここの真実を聞いても、受け止められるとは思う。ただそうすると……絶対にどっぷりハマりこんじゃうから」
「ハマりこむ?」
「状況を無理やりにでも、なんとかしようとするってこと。あの子は身内だと思った人間にはすごく甘いのよ。自分以上に優先する傾向があってね……なんとなく、わかるでしょ?」
「は、はい」
響にも自分よりも他人を優先しがちという、同じような面はある。響の場合は相手を特に限定していなかったが、結局本質は同じだ。彼女自身は気付いていなかったが、ある種の代償行為にすぎない。
ならば律にとって身内を守るという行為には、どのような意味があるのだろうか。
彼女が響自身のことを大切に思ってくれているのはわかる。自分は律の認識における『身内』であると考えるのは、自惚れとは言えないだろう。
「ここはやっぱり非日常なのよ、響ちゃん。シンフォギアも、ノイズとの戦いも、それを囲む世界の国の思惑も。そういう『争い』が渦巻く場所にあの子を巻き込みたくないのは、親心……いえ、姉心かしらね」
もちろん、と続ける。
「響ちゃんをそんなところに巻き込んだのは、悪いとは思ってるわ。だから微力ではあるけど、精一杯サポートしちゃうから、許してね」
「微力だなんて、そんな……」
融合症例第一号。
そう呼ばれている響の身体のことは、了子でなくてはどうにもならないのだ。信じて預けるほかはない。
「それに今の響ちゃんは、存在自体が最高機密みたいなものだから、秘密が漏れる可能性は少ないほうがいいのよ。アメリカにでも知られたら、大変よ?」
「……なんでみんなで仲良くできないんでしょうね?」
「きっと……互いを理解できないのよ。心と心で、言葉を交わしていないから」
その言葉は科学者である了子から出たとは思えないほど、ロマンチシズムに溢れた言葉だった。
─用語解説─
■カレー
律の常食。
リディアン音楽院の学食カレーは安くて美味。
■櫻井律(さくらい・りつ)
私立リディアン音楽院の二年生。
響、未来の幼馴染みにして先輩、翼の後輩にあたる。
特異災害対策機動部二課の技術顧問、櫻井了子の実の妹。
そのため、外見は髪の長さ(律は長めのボブ)と加齢による変化以外は瓜二つ。
『櫻井理論』の提唱者として世界的な名声を持つ了子にとって唯一の身内であるため、二課と直接の関わりがない一般人の立場でありながら、日本政府より保護という名の監視を受けている。
……が、バイトしたり友達と遊んだり、案外フリーダムに行動している模様。