Another Receptor   作:梶木まぐろ

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罰のイバラ

「これは、律君の心臓周辺を撮影したものだ」

 

 律が特異災害対策機動部二課に投降してから数日後。

 身内の不始末により謹慎中の了子に代わって、弦十郎はそう言いながら翼や響に数枚のレントゲン写真を見せていた。

 

「刺……?」

 

 声を上げながら、眉根を寄せる二人。

 それもそのはず、彼女の心臓はガングニールに侵食された響のそれとはまた別の意味で、痛々しいものだった。

 

「この内側から突き出している無数の『刺』は調査の結果、いかなる理由でかはわからないが、体内に混入して半休眠状態にあるネフシュタンの鎧の破片であることが確認された。おそらく、彼女は今回着用していた少女以前に、あのネフシュタンの鎧を着用していたことがあるのだろう。そして……」

 

 弦十郎はそこで、沈痛な表情を作った。

 

「破片はある条件によって成長と退縮を繰り返しており、現時点での最大成長時には彼女の心臓を内側から貫き、その生命維持活動に重篤な危機を与えている、というわけだ」

「あ、あの……内側から心臓を貫くって……?」

 

 おずおずと響が質問する。

 心臓に穴が開く──律の喀血が、そのせいであることは医学にうとい響でもわかる。だが逆に、そんな状態になっても人間は生きていられるのだろうか。そういう、素朴な疑問が湧いた。

 

「この『刺』は腐ってもネフシュタンの鎧の破片だ。本体は極めて不安定な状態の微細片だが、それでも完全聖遺物の一部であることに違いはない。その特性によって、人体くらいは簡単に侵食してしまう」

「叔父様、それではまさか……」

 

 その通りだ、と弦十郎は頷いた。

 

「律君の心臓及び内臓の一部は破片の性質に侵食され、驚異的な再生能力を持っている。そしてさっき、破片がある条件で成長・退縮すると言ったろう。つまるところ、この微細片は自分で開けた穴を自分で修復するのさ、タチが悪いことにな」

「痛みだけが続く、無限獄……!」

「そうだ。律君が所持していたこの薬……これを飲むことで一旦発作は収まり、微細片は収縮するんだが……」

 

 弦十郎の手にあったのは、律が肌身離さず持っている、小さなタブレットケースだった。

 

「傷が塞がったとしても……律君がシンフォギアを鎧うたびに、微細片はフォニックゲインの影響を受けて成長し、何度でも律君の体内を傷つける。皮肉なことだが、このネフシュタン微細片による再生能力が存在しなければ、彼女はとうに死んでいただろう」

「な、何とかならないんですか!?」

 

 響の声は、まるで悲鳴のようだった。

 自分を幾度か助けてくれた仮面の装者の正体が、幼馴染みの一人である律だった。そのことだけでも彼女にとってはショックだったが、律は自分が二年前の事件に関わっていると語っていたのだ。正直、整理しきれない渾然とした何かが、胸の内に燻っているのは感じている。

 それでも──どれほどわだかまりがあったとしても『立花響』という少女は、目の前で苦しむ幼馴染みに冷淡でいられるような性格ではない。

 しかし、弦十郎は響の期待に応えることはできなかった。

 

「残念ながら、外科的な処置は無理だ。謹慎中の了子君にも資料を送ったが、返事は芳しいものではなかった。そもそも本来、完全聖遺物は一度励起すれば、休眠状態に戻ることはないんだがな……薬がどのような原理で微細片を休眠させているのか、そのあたりの原理すら正確にはわからんのだ」

「そんな……」

 

 悲しみに沈む響の肩に、弦十郎は優しく手を置いた。

 

「心配するな、やれる限りのことはする。今回の件だって、律君には事情があったに違いないんだ。詳しく話を聞かねばならんしな、律君には回復してもらわないと困る」

「……律は、まだ目覚めないんですか?」

「二年間、罪の意識からずっと気を張って生きてきたせいだろう。死んだように眠っている。心臓の傷が塞がるまでと投与した痛み止め……麻酔が効いているせいもあるだろうがな。自然回復するまでは、絶対安静だ」

 

 そうとまで言われては、響も抗弁することはできない。

 代わりに、気になっていたことを尋ねる。

 

「あの、律とはいつから……?」

「……もともと了子君の妹だから、それなりに面識はあってな。こっちとしては、むしろあの子が響君と幼馴染みだったという話にこそ驚いたぐらいだ。もっとも、彼女が俺や了子君にも黙って、テロリストに手を貸しているなど想像だにしなかった……しかし、こいつは俺の失態だ。きっと、彼女は何かサインを出していたはず。それに気づけなかった……!」

 

 律は了子の妹ということで、非合法な組織に狙われたことが幾度もある。そのうちのいずれかの接触で、相手側に取り込まれてしまったのだろう──というのが弦十郎の見立てだった。

 それはまったくの的外れではあったが──彼が真摯に律のことを思う気持ちに、間違いがあるわけではない。

 

「……どれほど辛い目に遭った辛い決断を強いられたのか、想像することしかできん。だが少なくとも、彼女が抱えるこの心臓の病は、完全聖遺物を用いた人体実験による後遺症だ。何らかの悪意が、彼女の身体に取り返しのつかない疵をつけたことに違いはない。その意味では、彼女は正しく被害者でもある」

 

 君のようにな──とは続けなかったのは、弦十郎の心遣いだった。

 同じ聖遺物による身体の侵食。不完全であるとはいえ、律の症状は響のそれによく似ている。了子は響のことを内々では『融合症例第一号』と呼んでいるが、考えてみれば、その事実を認定することにあまりにもためらいがなく、また手際が良かった気がしてならない。まるでこういう症状の存在を、予見していたかのように。

 

(……了子君は、まさか律君のことを知っていたのか?)

 

 それは仲間を疑う、恥ずべき疑問だ。しかし一度浮かび上がった疑念は、頭の裏側にべったりと張り付いたかのように、絡み付いて振り払うことができない。

 律は響とは一つ違い──了子とよく似た面影を持ち、長身であることから、響に比べればかなり大人っぽい雰囲気を持っている。しかしその一方でまだ高校二年生、わずか十六歳の子供に過ぎないのも、また事実なのだ。

 悪い仲間に混じって、街で悪さをするのとはわけが違う。彼女の背後には、二課を出し抜いてネフシュタンの鎧を奪うという計画を実行・立案し、それを今に至るまで隠蔽し続けるほどの巨大な組織が存在することは間違いない。

 

(後ろ盾はアメリカか? 目的はシンフォギアの兵器転用……?)

 

 律の鎧う、クトネシリカのシンフォギアも謎が多いと弦十郎は考えている。

 調査の結果、あれ自体は櫻井理論の体現──すなわち了子謹製のシンフォギアである天羽々斬やガングニールと、構造上は寸分違わぬものだった。ならば、機密の流出は疑いようがない。むしろ問題なのは、誰がそれを流していたか、だ。

 まさかな──今はまだ、信じたくない気持ちのほうが強い。だが弦十郎の心の中では、一つの確信めいた感情が、大きく育ちつつあった。

 

 

 

 

「う……」

 

 目が醒めると、真っ白い天井が視界に入ってきた。

 薬品臭い──少し目を動かすと、天井から吊られている点滴のパックも見える。ほかにも無数の管が、自分に繋がれていた。

 

「……ここは」

「まだ動かないほうがいい。あなたはまだ、ICUから一般病棟に移されたばかりだから」

 

 声をのした方向へと、視線を向ける。

 

「風鳴……先輩……」

 

 広い病室の窓枠に寄りかかるように、翼が立っていた。

 

「気分はどうだ?」

「……起きていきなり、あんたの顔を見るとは思ってなかった。()()に悪いなぁ」

「そういう軽口が叩けるようなら、大丈夫そうだな」

 

 強がりであることは、見透かされているのだろう。翼はあまり表情を変えることなく、淡々とした口調でそう答えた。

 

「何故、ここに?」

「……たまたまだ。立花や叔父様はちょくちょく様子を見に来ていたが……私はそこまで暇ではない」

「ボクに聞きたいことがあったはずでは?」

 

 どれほど寝ていたか自分ではわからないが──あの夜、クリスと刃を交えたときに、彼女はそう言って共に戦ってくれた。断りはしたが、結果的には連係攻撃でクリスを撃退することになったのだ。

 

「そのつもりだったが……どうやら扱いの難しい問題になりそうだからな。いずれお前の体力が回復してから、叔父様や了子さんらの事情聴取があるだろう。詳しい話はその時までお預けということになってしまった」

「姉さんが? 姉さんがまだここに?」

「まだ?」

「あ、いえ……」

 

 まだ言えない。言えば、どのような混乱が起こるかわからない。もっと準備を整えてからでなくては、真実を明かすことすらできない。

 

「了子さんは、お前の不始末の責任をとって謹慎中だ。しばらく本部には来られないと聞いている」

「そうですか……」

「了子さんの復帰を待って、改めて事情聴取するとのことだ」

「……先輩は、それでいいのかい?」

「正直に言えば、お前をこの場で締め上げてでも、あの事件の裏を知りたい。知って、本当に討つべき者を、今すぐにでも討って奏の仇を取ってやりたい」

「だろうね」

 

 心が沈む。

 彼女に、それほどまでに苛烈な想いを抱かせる原因の一端は自分だ。無論、全ての原因が自分にあるわけではない。というか──直接的にはまったく関わりがないと言ってもいい。事件では果たした役割は、あくまでも『コソ泥』でしかないのだから。

 だがしかし、こうも思うことを止められない。

 あの時、姉に逆らっていたら? 姉を制止していたら? 叶わずとも、誰かに話していたら? 今にして思えば、自分は結局己の命惜しさに、数千の命を見殺しにしたも同然なのだ。

 あのような被害は、出なかったかもしれない。そう思えてならない。何かをした罪ではなく、何もしなかった罪──そちらのほうが、律にとって重く、そして苦しいものだった。

 

「……すみません」

「なぜ、謝る?」

「な、なぜって……あの事件に関わっていた者として……」

「それは思い上がりだな」

 

 翼はことさら冷ややかな口調を作って、吐き捨てるように言った。

 怒っているようにさえ思えた。

 

「お前一人程度が、あの事件にどれほど影響を及ぼせたというのか。あの時無力だった私のように、お前もまた無力だったはず」

「……」

 

 当たらずとも遠からず。全てを言い当ててはいなかったが、無力であったのは間違いない。そもそも、響を守っているのはその代償行為の意味もある。

 無力であったがゆえの罪の重さは、必ずいつか自分を地獄に送るだろう。ならばせめてその日までは、運命を歪められた幼馴染みのために、身を捧げようと誓った。

 

「それでも……後悔してるんです、ボクは。あの事件がなければ、響が融合症例に……装者になることなんてなかった。普通の女の子として、平穏に過ごせた。ボクはそんな当たり前の権利をあの子から奪い取ったも同じ……! たとえ響がボクを許してくれたとしても、ボク自身が許せない。この罪は……消えない!」

「それでも、禊ぎたいのでしょう?」

「……!」

 

 頷くしかなかった。

 結局のところ、全ては贖罪にいきつく。顔も知らぬ不特定多数の誰かのためでも、あの時に英雄となって死んだ天羽奏のためでもなく──ただ一人、立花響のために、律は己の無力を、己の罪を償いたかった。

 

「ならば、まずは身体を癒すこと。あなたが二年間抱えてきた闇の深さがどれほどのものか、私にはわからない。しかし、そんな風に唯々諾々と従わねばならなかった相手と事を構えることだけは確実だから……怪我人に道案内を任せるような真似はできない」

「そう……ですね」

 

 思うに、これは翼なりの不器用な励ましなのだろう。

 律にああは言っても、奏の死というものは翼の人格形成にとても大きな影を落としている。死してなお、彼女に依存していると言ってもいい。思い出すたびに己の無力さを知らしめられる、風鳴翼の疵痕だ。乗り越えられたとは、まだ言えない。

 それでも彼女には、自分を気遣う程度の余裕はある。強いな、と思った。

 

「……必ずすべてをお話しします、だから……」

「なら、今はゆっくりと休みなさい。あなたが目を覚ましたことは、立花にも伝えておくけれども……あまり無理をしないように」

「……」

 

 答えず、彼女から顔を背ける。

 足音が聞こえた。翼はそのまま、部屋から出て行ったようだった。

 一人になり、瞑目する律。

 

(……ありがとうございます、風鳴先輩)

 

 翼の心遣いが、病み上がりの身に染みる。

 きっと彼女は、もっと自分に言いたいことがあったのだろう。たった一つしか歳に差はないのだ。憎しみの一つもぶつけなくては、収まらない腹の底はきっとあったはずだ。

 だが、彼女はこちらの事情を鑑みて、それを堪えてくれたのだ。無意味さを無意味のままで吐き出さず、飲み込んでくれた。

 響と違って、翼とは別段深い親交があったわけではない。だからこそ、彼女の優しさと思いやりには、律の心に感じ入るものがった。




─用語解説─

■ネフシュタン微細片
ネフシュタンの鎧奪取後の二年間、フィーネは律を使って様々な人体実験を行った。
その結果、律の体内にはネフシュタンの微細な欠片が混入し、結果として侵食されることとなった。
ネフシュタンの鎧が電撃を浴びせることに一時的な休眠状態になり、侵食を除去できるようになることが発見されたが、一部の微細な破片は体内に残ってしまった。
微細片はシンフォギア装着時のフォニックゲインの高まりによって休眠状態から脱し、周辺組織と融合・成長して彼女の内臓を貫く。
その激痛は、シンフォギア運用のための集中力を著しく削ぎ落とし、クトネシリカを安定運用させない原因となっている。

■律のタブレットケース
中に入っているのは錠剤型の抗聖遺物励起剤。
ネフシュタン微細片に対し、電撃による刺激と同様の効果を与えて休眠状態に戻す効果がある。
融合している律の体内組織が抗生物質のようなものを発生させつつあり、薬剤の効果が薄れつつある。

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