フクイデ先生 作:フクイデスト
私が先生と出会ったのは6年前。その前年に私は両親が交通事故で死んでしまってから、毎晩奇妙な夢を見るようになった。
それは道化師のような赤と黒を基調とした人型が私に毎晩語りかけてくるものだった。曰く、両親が死んだのは私のせい。曰く、お前の趣味のせいで死んだ。
馬鹿馬鹿しいと言えればよかった。だけど、そいつが言うことは嘘でもなかった。私の趣味は絵を描くこと。両親の車に乗せられて、一緒に何処かへ行って風景画を描いていたりした。
その絵を両親は凄く褒めてくれた。だから、私は絵が好きだった。だから、あの日の出来事は私が絵を描けなくなるには十分だった。
その日は私の誕生日だった。私を驚かせるために両親は私を祖父母に預けて、買い物に出掛けた。
前々から私はもっと上手に絵を描くために本格的な画材が欲しいとお願いしていた。だけど、私の生まれた場所はかなりの田舎。買うにはちょっと遠出をしなければいけない。
だから、両親は二人で私の誕生日プレゼントの為に遠くへ画材を買いに行った。そう、そんな時に事故が起きた。
きっとあの道化師は私の作り出した妄想。両親が私のせいで死んだというのも、祖父母が両親の死因を話しているところを聞いたからに違いない。
だけど、道化師は夢だけにとどまらず。起きている時にも表れるようになった。喋りかけてくることは無い。ふと、鏡を見ると背後に立っていたり、絵で気分を紛らわそうとしていると視界の端に見えてしまうのだ。
一時期は精神科医に相談しに行ったり、眠れなくなったら薬も飲んだ。だけど、道化師は私から消え去る事はなかった。
まるで、私から逃げるなというように道化師は私を逃がさない。
到底耐えられなくなった私は忌まわしい記憶から逃げるように家出した。子供の貯金なんてたかが知れているけれど、お年玉やいままで貯めていたお小遣いも全て持ち出して電車に乗った。
数日はよかった。都会で見るものは私の心を好奇心で満たしてくれる。田舎では見ることが出来ない人の波。大きな街頭ビジョンに大型量販店。
全てが新鮮で此処でならももう道化師に追われることはないと思っていた。だけど、私は気付いてしまった。
確かに都会には人が多い。それは寂しさを紛らわす理由になるだろうか?そう考えるとまた私の心に闇が生まれた。
故郷は田舎で人が少なかった。だけど、道で出会う人は私の事を知っていて、声を掛けてくれる。
だけど、この都会ではこんなに沢山の人々がいるのに彼らは自分の事で一生懸命で『私の事など誰も見ていない』。
そう考えた瞬間、人混みの奥にあの『道化師』の姿がはっきりと見えた。その双眼はしっかりと私を見ていた。
私は逃げた。地図もなく土地勘もない街をひたすら走った。とにかく、あの道化師を視界から消し去りたい一心で。
どれくらいの時間走ったのだろう。天気は徐々に悪くなり、雨も降りだしてしまった。
私はびしょ濡れになる事なんてお構いなしに走り続ける。そして、ある公園の屋根の付いたベンチで休憩した。
体は雨で冷え切り、走り続けたことで体力もなくなっている。元々、体が弱い方なのに無茶をした結果だ。
そんな時だった。ある男性が声を掛けてきた。
「お嬢さん、そんな恰好では体に障りますよ」
「…お兄さんは誰ですか?」
「…私の名前は伏井出ケイ。お嬢さんの名前は?」
「わ、私の名前は吉良沢優」
「優…いい名前ですね。何故、そのような格好でこんな場所に?」
「…それは…」
私は迷った。こんな初対面の人物に事情を打ち明けたところで、一体どんな意味があるのかと。今までの大人たちも「可哀想だね」などの慰めの言葉を掛けるだけ。
その言葉は最早私の心を癒すことは出来ないのだから。だけど、この人ならと思い事情を話した。
「その事故以降、道化師の姿が見えるとその道化師とはどのような姿だい?」
先生は他の人たちとは違い、道化師の存在に興味があったようだった。
「(おかしな人…)えっと…………こんな感じです」
私は近くの木の棒で地面に道化師の姿を描いた。
「………なるほど……君にはこれが見えるんだね……ダーク・ファウストが」
「だーくふぁうすと?」
「ああ、君の脳内にいる道化師の名前だ」
地面に描いた道化師の絵を見て、先生はこれの事を知っているかのように名前を付けた。
「くしゅん!」
「…このままでは風邪を引いてしまうな。優、君はこの周辺に知人の家でもあるのかね?」
「ないです、何も考えずに家を飛び出したので…」
「仕方ない、私の家に来なさい。君がどうしたいかは、その後決めるといい」
「いいんですか?お邪魔じゃないですか?」
「元々一人暮らしには大きな家だ。元幽霊屋敷なので少々古いが問題はない」
「…お願いします」
「では、行こうか」
「わ、わっ!」
先生は服が濡れることを嫌がらず、びしょ濡れの私をおんぶして傘の中へ入れてくれた。
私が濡れないように傘を後ろの方へ向けているので先生はちょっと雨に濡れてしまっている。
「ケイさん…雨が当たってます…」
「ん?君に当たらないよう配慮したつもりだったが、まだ当たるかい?」
「いえ、私じゃなくて貴方に当たっています…」
「ああ、それなら大丈夫だ。このスーツは防水性だから滲みることはない」
「(そういう問題じゃないと思うなぁ…でも、いつぶりだろう?大人の人におんぶされるのって。なんでこんなに…安心…するんだろう…)」
私は先生の背中の上で安心しきった事と疲れたからか眠ってしまった。
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「……ん」
目を覚ますと私は大きなベットの上に寝かされていた。耳には振り子時計が規則正しく時間を刻んでいることがわかる音が聞こえた。
服もびちょびちょではなく、可愛らしい西洋のお人形が着るような服が…
「えっ…服が……変わってる?」
つまり、私は誰かに着替えさせて貰った訳で、十中八九それは先生だった。私は自分が先生に着替えさせられる光景を想像して顔から火が出そうになった。
「え、えー……」
8歳の子供とは言え、私も女の子として当然の羞恥心を持っている。いくら相手が大人で私が子供であっても、裸を見られたというのは恥ずかしいものだ。
私がウンウン唸っているとそこへ先生がお粥を持って現れた。
「おや、起きたようですね。お粥を作ったのですが食べますか?」
「………ケイさん…私の裸を見ましたよね…」
私は頬を膨らませて先生を睨みつける。先生は私が風邪をひかないように着替えさせてくれたのだし、怒るのはお門違いだと理解しながらも乙女心がそれを許さない。
「あー…すみませんね。あのままでは風邪をひいてしまいそうでしたから。身体も拭かせていただきました」
「――――ッ!!」
「おっと」
先生の体を拭いた発言で私の羞恥心は限界を突破してしまい。近くにあった枕を先生へ向けて投げる、先生はそれを難なくお粥を持ってない方の片手でキャッチする。
「それだけ、元気が出たのなら幸いですね。後でまた君の話を聞きたい。落ち着いたら下に降りてくるといい、何なら今日はこのまま寝てしまってもいい」
「……いいえ、大丈夫です。これを食べ終わったら、下に行きます」
「そうか、では下で待っているよ」
先生が出て行ったことでまた私は部屋に一人となった。外ではまだ雨が降っているのか、雨音が聞こえる。
でも何故だろうか、故郷にいた時もこの街に来たときも寂しさを増長する雨は嫌いだったのに。今は雨の音が心地よかった。
お粥を食べ終えて、下のリビングに行くとそこには何やら執筆している先生の姿があった。
「あの……何をしているんですか?」
「っ!…すまない、集中していて気付かなかった。これかい?小説を書いているんだ」
「ケイさんは小説家なんですか?」
「いいや、これは趣味さ。仕事はしていない」
「ニート?フリーター」
「…一体どこでそんな言葉を…いや、資産家なんだ。お金だけはある、ただ欲しいものは一生手に入らない」
その呟きは何処か怒りと悲しみを含んでいるように私は感じた。この人も私と同じで何かを心に抱えている、そう思った。
「この創作活動はその空虚さを埋めるためにしていることだ。そこで提案なんだ優。君は絵を描くのが上手い、『もう一度絵を描かないか?』」
その言葉に動悸が激しくなる、脳裏に両親が死んだあの日の事が思い出されたのだ。それと同時に先生の背後にあの『道化師』、ダーク・ファウストが見える。
「な、なんでそんなこと…いうんですか?…私は嫌だから、逃げてきたのに…」
私は泣きそうになりながら先生に訊いた。それに対する先生の解答は単純なものであり、私にとっては意外なものだった。
「君自身が本心では絵を描きたいと思っているからだ」
「私が…絵を?」
「ああ、ダーク・ファウストは君のトラウマの具現だ。君自身が作り出した妄想には違いないだろう。それは君が絵を描くと不幸が訪れるという思いから飛び出した悪魔だ。それを払拭するには絵を描くしかないだろう?」
そう言って取り出したのは、スケッチブックと鉛筆という基本的なもの。だが、私にとっては懐かしく思える物であり、忌々しいものでもあった。
「ケイさんは…」
「ん?」
「ケイさんは私が絵を描いても居なくならない?」
きっと私の顔は涙でぐしゃぐしゃだったのだろう。先生は私の顔をハンカチで拭うと優しく微笑んだ。
「ああ、私は君の前からいなくならない。君の描いた絵が見てみたいんだ。風景画でも何でもいい。君が笑顔で絵を描く姿を見たい」
「……はい…」
私はスケッチブックと鉛筆を取り、絵を描き始める。もう決意した私は止まらなかった。書くスピードは今までで一番早いかもしれない。
何故なら、モデルはもうこの数ヶ月『ずっと見てきた』のだから。2時間ほど経っただろうか、外は相変わらずの雨で太陽など見えない。だが、振り子時計は午後五時であると知らせてくれた。
「出来ました」
「…それは……」
私の描いた絵を見て先生は目を見開いた。余りにも描いたものが予想外だったからだろう。だけど、先生の言葉を聞いた瞬間から私はこれを描くと決めたのだから。
「ダーク・ファウスト。悪夢の道化師です」
「………おめでとう、それを直視できるようになったという事は君はもう悪夢には捕らわれない」
その言葉の通り、描いている内に先生の背後にいたダーク・ファウストの姿は見えなくなっていた。
「ありがとうございます…ケイさん。それでですね…」
「何だい?」
「私をもう少しここに置いてくれませんか?」
「…わかった、好きにしなさい。ただ、君の祖父母は心配しているだろう。連絡は入れなさい」
「分かりました」
家の電話を借りて、祖父母の家に電話を掛けた。すると数秒もしない内に電話は繋がり、祖母の声が聞こえた。
その後祖父には怒られ、祖母には泣かれたが私がもう一度絵が描けるようになったことを報告すると二人共その意味が理解できたようで電話の向こうで嬉し泣きしていた。
私は祖母にある事を打ち明ける。
「あのね、おばあちゃん。私…ケイさんの元で絵を描きたい」
「本当にその人は大丈夫なんだね?何かされた訳でもないんだね?」
「もうっ!ケイさんはそんなことする人じゃないもん!」
祖母の言葉に体を拭かれた事を思い出したけど、あれは私を想っての行動なのでノーカンです。
「分かった、優ちゃんがしたいと思ったことだもの。私は応援するわ」
「応援?絵を描くこと?」
「えっ?優ちゃんはケイさんって人と一緒に居たいのよね?」
「うん」
「それは好きになったからじゃないのかい?」
「す、すすす好き!」
「優、どうかしたのかい?」
私が大声を出したので、先生が訝し気にこちらを見る。
「な、何でもないです!何を言うのおばあちゃん…」
「ふふふ、まあいいわ。貴女が此処まで我が儘を言う事なんてなかったもの。おじいちゃんの方は私が説得するわ」
「ありがとう。でも、学校はどうしよう…」
「大丈夫よ、手続きなんかも今度帰ってきたらしてあげる。取り合えず、そのケイさんにお話ししてきなさい。どうせ、まだ話してないんでしょ?」
「うん、わかった。ありがとう、おばあちゃん」
「いえいえ、貴女が元気になっただけでも私には嬉しいのよ。じゃあね」
「じゃあね」
受話器を置いて、先生の前のソファーに座る。大きく息を吸い、深呼吸。この後の言葉が今の私を形作っている。
「先生、話があります」
ここから、伏井出ケイ専属イラストレーターである吉良沢優の人生が始まった。
何でこんな事に…私の中のアンノウンハンドが囁いたのだから仕方ないね