ご注意ください。
8月30日。
聖グロリアーナを去るのは翌日31日の朝であるから、今日が水上が聖グロリアーナで過ごす最後の日となる。
本当なら、水上は最後の日ぐらいは恋仲であるアッサムと一緒に過ごしていたかったが、現実はそうもいかない。水上は、聖グロリアーナ女学院の校長室に呼び出され、現在応接スペースで校長と向かい合って座っていた。
思い返してみれば、校長と言葉を交わしたり、向き合ったりしたのは、水上が聖グロリアーナに初めて来た日以来となる。こうして、校長室にいるのだってそうだ。
そんな事はよそに、水上と校長の話はスタートした。
初めに言葉を発したのは、当然ともいえるが、呼び出した校長の方だ。
「この度は、3カ月もの間、お疲れ様でした」
「いえ、自分も色々と学ぶことができて、とても楽しかったです」
水上の言葉は本心からきたものだ。
本当、ここにきて色々と学ぶことがあった。戦車道の、そして『紅茶の園』の給仕として、美味しい紅茶の淹れ方、物資・スケジュールの管理、戦車道のルール、さらに実際に戦車に乗っている人の気持ちなど、どれも実際に経験しなければ本当の血肉として学ぶことができない事ばかりだ。
水上が、ここで過ごした3カ月の出来事は、一生忘れられないものとなるだろう。
給仕の事も、戦車道の事も、そして、何よりアッサムとのことも。
「表情が、前と比べると変わったように見えます」
「はい?」
校長から言われて、水上は自分の顔に手をやる。校長は僅かに笑いながら続ける。
「最初にここに来たときは、おっかなびっくり、何をやらせるにしても不安そうな表情をしていたわ」
「そう、でしたか・・・」
校長に指摘されるが、自分ではあまり気付かない。人から見ればそんな表情をしていたのか。
「でも、今は違う。自分の行動に自信を持っていて、責任感があり、何にも怯まない、強い意志を持っていると言えるわ」
「・・・・・・ありがとうございます」
素直に褒められて、水上は頭を下げる。
「あなたの評判は、私も聞きました」
評判、と聞いて水上はピクッと肩を揺らす。もしや、自分のあずかり知らぬ場所で、悪い噂でも流れているのだろうか。
だが、それは取り越し苦労だったらしく、校長は優しい笑みを浮かべたまま続ける。
「アフターヌーンティーの時間は、あなたの淹れた紅茶はとても美味しいと、クラス中・・・いいえ、学校中で話題になった」
それについては水上も聞き覚えがある。ルフナが自分の目の前で褒めてくれたのもあるし、ダージリンがその噂を教えてくれた。
さらに水上の紅茶は、教師も称賛してくれた。おそらく、それも学校中で話題となる原因の一端だろう。
「スケジュールの管理も、資材・物資の調達も滞りなく行ってくれました」
「あれは・・・ルクリリさんが丁寧に教えてくれたからであって」
「それでも、あなたは1人でそれをこなして見せた」
水上が謙遜するが、校長はそれを否定し、水上1人の力によるものと、校長は評価する。
「戦車道の授業では審判を務め、時には砲手、また車長としてダージリンの相手もした」
最初に審判をやれと言われた時は、素人の自分なんかができるのか、何て思ったが、やってみると意外と楽しくはあった。戦況を俯瞰的に見ながら試合を見学し、チームがどのような作戦で戦うのかは見ていてドキドキした。後になれば、水上は審判を難なくこなすようになっていた。
だが、砲手、車長として実際に試合をした時は、流石に男の自分が戦車に乗るのはどうなんだと思ったし、今でも少しはそう考えている。
だが、あの時の経験は忘れられない。戦車の中の空気、振動、砲撃の音、砲撃された時の衝撃。それら全ては水上の中に貴重な経験として蓄積されている。
「給仕としての仕事も、2日目からはそつなくこなして見せた」
「・・・皆さんが教えてくれたおかげです。自分は・・・」
「・・・そうやって謙遜する姿勢も、高く評価できるわ」
面と向かって校長から言われて、水上は恥ずかしくなる。
「そして、公式試合、それとこの前の大洗へ“転校”した時の試合でも、記録係として立派に職務を果たしてくれた」
水上の記録した戦闘詳報は、正式なものとして学校に保管されている。
そして、一昨日の北海道での戦いの記録も、学校に保管されている。いや、あの戦いの記録に限っては、あの時大洗女子学園及びそこに転入した継続高校を除くすべての学校が把握していた。
「サンダースやプラウダ、知波単も、あなたの書いた記録を高く評価していたわね」
「・・・ありがとうございます」
その話は、水上には届いていない。いずれ、ダージリンから伝えられるのかもしれないが。
「水上さん」
「はい」
校長が改めて自分の名前を呼んだのを聞き、水上は姿勢を整える。
「あなたは、給仕として、立派に仕事をしてくれました。それこそ、私たちの期待以上の働きぶりを、あなたは見せてくれました」
「・・・・・・・・・・・・」
真摯な眼差しで告げられて、水上は何も言えない。
自分の行いが、認められた。
人に尽くしたいという思いで、自分がしてきた事は、間違いではなかった。認めてもらえた。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
「・・・それで、最初に提示した採用条件の事を、覚えているかしら?」
「はい?」
ここで校長が話の流れを変えた事に、水上は拍子抜けする。
「私たちが優秀と認めた場合は、特別な措置を施す、って」
「・・・・・・あ」
そうだ、水上はそのことを今の今まで割と本気で忘れていた。
それを最初に潮騒高校の進路指導の先生に聞いた時、水上は特別な措置とは何かと聞いたが、それは3カ月後に伝えられると言われたので、深くは考えていなかった。
そしてあの時水上は、あの聖グロリアーナに優秀と認められるとは、相当なもの、自分なんて無理だろう、とも考えていた。だから、特別な措置については全くと言っていいほど期待していなかったし、考えてもいなかった。
口を開けて呆けている水上をよそに、校長は脇に置いてあった白い封筒を取り出す。封筒には、聖グロリアーナ女学院と書かれていた。
「それで、水上さん」
「・・・はい」
「あなたさえよければなんだけれど・・・・・・」
校長との話が終わると、水上は今なお訓練を続けているダージリンたちと合流し、戦車道の給仕として最後の日を過ごす。
だが、3カ月もの間世話になったスーツは既に返却してしまっていたので、今の水上の服は潮騒高校の制服だ。私服で給仕を務めるという考えは水上の頭には無かった。
潮騒高校の制服を着てみんなの前に姿を現した時、一番驚き、憧れの目で見てきたのは意外にもオレンジペコだった。大洗女子学園の制服を試着した時も顔をキラキラさせていたので、もしかしたら他の学校の制服に憧れがあるのかもしれない。
オレンジペコ以外の履修者からも好奇の眼差しで見られたので、水上は少しこそばゆい。
だが、それでも給仕としての最後の仕事を、手を抜くわけにはいかなかった。
今日の訓練内容は、平原エリアでの5対5のフラッグ戦。ダージリンは、水上にまた車長をやってもらいたいと言われたが、作戦も無しにそれをするのは無茶だったので、丁重に断り、審判役に徹する事にする。
水上が審判をする最後の試合。それだけでどうやら、履修者たちは気合が入ったらしく、今回の試合はかなり白熱したものとなった。
フラッグ車のチャーチルも自発的に動き敵を撃破していく。操縦手のルフナが、張り切っているようだ。
ルフナとの関係も、今では落ち着いている。告白を断った直後のような、僅かにぎこちなさが感じられるような付き合い方はもうしていない。最初の時のような、お互いに助け合う、普通のクラスメイト、友達のような関係を取り戻していた。
ローズヒップのクルセイダーも、いつもより動きが俊敏なような気がする。
ローズヒップと接するようになったのは、全国大会が終わりローズヒップがその名を与えられ『紅茶の園』の出入りを許された時からなので、あまり接する期間はダージリンたちと比べると短い。だが、ローズヒップの持つ人懐こさと素直さによって、水上とはすぐに打ち解けることができた。
以前食堂で同席した際に、自分の夢を聞かれ、水上がそれに『人に尽くしたい』と答えると、ローズヒップは真っ直ぐに『素晴らしい夢ですわね。応援しますわ!』と言ってくれた。それだけだったが、水上はそれでも嬉しかった。
ルクリリのマチルダⅡも、頑張ってダージリンのチャーチルと戦っている。
ルクリリは、2日目に掃除を手伝った事から交流が始まり、資材とスケジュールの管理を教わった時から本格的に話すようになった。
ルクリリの持つ庶民的な感性は、お嬢様ばかりの聖グロリアーナではとても新鮮だったし、親近感も持つことができたので、水上はルクリリと話す機会も結構多かったと振り返る。
やがて、試合が終わり、訓練も終了となる。
履修者たちが格納庫の前に整列する。そこで水上は、ダージリンから『何か一言』と言われ、皆の前に立たされる。
水上は突然の事に戸惑ったが、覚悟を決めたように言葉を紡ぎ出す。
この3カ月で、給仕としてここで過ごした日々は、皆と過ごした日々は、決して忘れない。
嬉しい思い出も、辛い思い出もあったけれど、それでも楽しいと思える事の方が多かった。
3カ月、本当にありがとう。
要約するとこんな感じだったが、それだけでもみんなの心には響いたようで、涙を流す者もいた。
3カ月という決して短くない間、共に過ごしてきたのだから、その人と別れる、もう会えなくなるなど悲しくないはずはない。
今この場で涙を流す者をとがめる人は、誰もいなかった。
そして、『紅茶の園』では、ダージリン、オレンジペコ、アッサムが、水上が最後に淹れる紅茶をゆっくりと味わっていた。
「・・・・・・さみしくなりますね」
紅茶を一口飲んで、口を潤してから言葉を発したのはオレンジペコ。先ほどの挨拶でも、オレンジペコは号泣などしなかったが、それでも涙を流していた。
今も、オレンジペコの瞳は潤み、揺れている。
ダージリンは何も言わず、いつものように澄ました表情で紅茶を飲んでいる。そして、『美味しい』と小さく呟く。
「明日は、早いのかしら?」
「ええ。明日の朝8時の連絡船で、本土に戻ります」
ダージリンの問いかけに、水上は嘘偽りなく答える。
「では、明日は皆で見送ろうかしら」
ダージリンが提案すると、オレンジペコとアッサムは頷く。だが、水上はそれを手を振って断る。
「いえ、そんな・・・。とても恐れ多いです」
「でも、見送りも無しで去るなんて、あなたも寂しくはないかしら?」
ダージリンに言われて、水上はぐっと言葉に詰まる。
確かに、3カ月も世話になった学校の生徒が誰一人として見送ってくれないというのは、少々と言うかかなり凹む。
「そう言うわけだから、期待していなさい」
「・・・・・・はい」
ダージリンが締めくくる。だが、隣に座るアッサムが、紅茶を飲んでから、ニヤリと悪巧みをしているかのような笑みをダージリンに向けて。
「とか言いながら、ダージリンも寂しいって言ってましたよね?」
「ん゛っ!」
アッサムの予想外の発言を受けて、ダージリンが咽る。水上は『え?』と声を上げる。
「さっき、チャーチルの中でダージリン、ため息をつきながら『寂しくなるわね・・・』なんて言っていたのよ」
「あ、アッサムあなた・・・・・・」
ダージリンが肩をプルプルと震わせ、カップの中の紅茶を揺らしながらアッサムの方を睨む。しかし、アッサムはドヤ顔を水上に向けていた。
そこで、ダージリンからの反撃が出る。
「アッサムだって、寂しいんじゃないかしら?」
アッサムが、紅茶を飲もうとした腕を止める。そして、持っていたカップをソーサーに戻す。
「・・・・・・・・・・・・寂しくないわけ、無いじゃないですか」
アッサムが、今にも泣きそうな表情で水上の事を見上げる。
その視線を受けて、水上もポットを持ったまま何も言えなくなる。
ダージリンもオレンジペコも、水上とアッサムの関係は知っている。だから、ダージリンは少し意地悪が過ぎたか、と自省して『ごめんなさい』とアッサムに謝る。
アッサムはダージリンの謝罪を受け入れて、再び紅茶を飲む。
それから再び、お茶会は再開された。今日だけは、少しでも多くの思い出を作ろうと、水上も積極的にダージリンたちの会話に参加した。
だが、同時に水上は、ある事を考えていた。
(今夜・・・・・・言うのは、今夜だ)
その後、水上の参加する最後のお茶会は何事も無く終わり、水上はダージリンたちを見送ると、お茶会の開かれていた部屋に戻りテーブルを片付け、厨房でルフナたちと一緒に食器を洗う。食器洗いが済めば、今度は部屋の掃除。前までは、ここで水上は自分以外の生徒を帰していたのだが、今日だけは、全員で部屋の掃除をする事になった。
やがて、掃除が普段の半分ほどの時間で終わり、最後に水上がお礼を言う。すると、ルフナやルクリリなど、手伝ってくれた生徒は拍手を送ってくれた。
『学園艦側部公園に、来てほしい
アッサムに、話したいことがあるんだ』
水上から来たそのメールを見た直後、私は『すぐに行きます』とだけ書いて返信し、着替えて、最低限の荷物を持って部屋を出る。
着ている服は、白のワンピース。水上に告白をして、告白されて、お互いに相手の気持ちを知った後の最初のデートで着た服だ。
全力疾走したい衝動に駆られたが、流石にこの格好で走るのは少し難しい。だから、早歩きで公園へと向かった。
時刻は夜の8時半過ぎ。水上が聖グロリアーナを去るまで12時間を切っていた。
空を見上げると、満天の星空が広がっている。忘れがちだがここは海の上で、遮蔽物は何もなく、空気も澄んでいる。だから、これほどまでにきれいな星空を見ることができるのだ。
だが、そんな事は置いておいて。私は公園に早歩きで向かう。
ジョギングをした時ほどではないが、割と早い時間で公園に到着する。そして、水上の姿を求めて公園の中を見回す。
やがて、1人の男性が海に面したベンチに座っているのを見つけた。
その男性の着ている服は、薄い水色のYシャツに黒のチノパン。間違いない。私とのデートで水上が着ていた服だった。
私は、そこへ近寄り、少し離れた場所に建っている街灯に照らされたその顔が、忘れるはずの無い、間違いなく、水上であることを確認すると声を掛ける。
「水上」
声を掛けられて、水上はこちらの方を向き、穏やかな笑みを浮かべて手を挙げて挨拶し、隣に座るように促して来る。
私は、水上の隣に座る。
水上の手元には、聖グロリアーナの校名が記されている白い封筒が置かれていた。
「・・・ごめんね、こんな時間に呼び出して」
「気にしないで大丈夫よ」
そこで沈黙。
水上は、近くを見回しながら、何かを言いたそうにしている。
私は、それを急かすことなく、水上の言葉を待つ。
数分経って、水上は私の方を向く。
「・・・話したいことがあるって言ったでしょ?」
「ええ」
「・・・・・・その話したい事っていうのは、2つあって・・・」
そこで水上は、『1つは・・・』と言いながら、脇に置いてあった白い封筒を手に取り、中にある書類を取り出して、私に差し出す。
「読んでみて」
水上に言われて、私は数枚の書類を受け取り、それに目を通す。
だが、一番上の書類に書かれているタイトルを見て私は、目を見開いた。
そこに書かれていたのは。
「『スクールカウンセラーの案内』・・・・・・」
「今日、校長から渡された」
なぜ、水上がこんな書類を受け取ったのか。
私は、他の書類も見る。
新任の先生に渡される『聖グロリアーナ女学院就業規則』、教師用の『学校の案内』、そして、『給与・待遇手当一覧』。
その全ての書類は、タイトルだけでも間違いなく、普通の生徒に、ましてや高校生に渡すようなものではないというのが分かる。
「・・・実は、給仕の仕事を引き受ける際に、聖グロリアーナから『本校が優秀と認めた場合は特別な措置を施す』、って言われてたんだ」
水上が話し出す。私は、ゆっくりと水上の方を見る。
「それで、俺のこの3カ月での働きぶりが評価されて、特別な措置を施すに値する、って校長に言われたんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
私は、水上の言葉を待つ。水上は、頭を掻いて気恥ずかしそうに言う。
「それで、『あなたさえよければ、聖グロリアーナで働かないか』って」
私の目が、さらに見開かれる。絶句する。
「スクールカウンセラーとして、そして戦車道の顧問として、採用したいって言われたんだ。俺の紅茶淹れの技術と、戦車道での資材・スケジュール管理能力、書いた戦闘詳報、戦車道の経験が、高く評価されてね」
水上が付け加えるように言う。
確かに、顧問として、紅茶の淹れ方を生徒に教えたり、資材・スケジュールの管理を担当するというのも、この3カ月の働きぶりを評価されたゆえだろう。その上、水上は砲手、車長を経験している。もはや、戦車道と無縁とは言えない。
貴重な経験者に戦車道の顧問を任せたいという学校の気持ちも、分かるような気がする。
しかし、スクールカウンセラーとはどうしたことだ。
聖グロリアーナにもスクールカウンセラーはいる。女性が1人だけだが。
そのことを聞くと、水上は『言っていいのかな』と迷う様子を見せたが、やがて告げる。
「実は、そのカウンセラーの先生が、近々辞めるらしくてね。後任がいなくて困っていたらしいんだ」
どうやら水上は、もし仕事を受けるのであればその後釜として入る事になるらしい。だが、女子校に男性のカウンセラーがいるというのも奇妙な話だ。
「でも、こういうのは男女は別に関係なくて、能力があればいいらしい。そう校長は言ってた」
ここで一つ気がかりなことがある。
「水上は、それを、引き受けるの・・・?」
この話は全て、水上が仕事を引き受けることが前提だ。水上が『NO』と言えば、それまで。
水上は、海の方を見て、話しだす。
「校長は、俺の夢を潮騒高校経由で知っていた。俺の夢が『人に尽くす仕事をしたい』っていうのをね」
水上は続ける。
「スクールカウンセラーは、言ってしまえば、いじめだとか不登校だとか、悩みを抱えた生徒に寄り添って、話を聞いて、その人が更生できるように支えて、一緒に歩んでいく仕事だ」
私も、それは聞いた事がある。
現に、戦車道で挫折を経験した生徒がスクールカウンセラーのお世話になったという話を、何度か耳にしてはいる。
「それもまた、人に尽くす、っていう仕事の1つなんじゃないかって、俺は思ってる。聖グロリアーナは、その夢を叶えるチャンスを、俺にくれたんだ」
人に寄り添い、不安や悩みを共有し、共に解決しようと歩む。
立派に、人に尽くす仕事だ。
水上の将来目指す、『人に尽くす仕事』に十分当てはまる。
「・・・だから、引き受けるよ」
水上は私の方を見て、微笑みながら答えた。
「もちろん、すぐになれるってわけじゃない。大学に行って、色々資格や免許を取らなくちゃならないから。でも、もしその気が、聖グロリアーナで働く気があるなら、快く迎え入れるって、校長は言ってくれた」
これまでの話を聞いて私は、すごい、という陳腐な感想しか浮かばない。
無名の学校からやってきた、酷い言い方だがただのしがない高校生が、わずか3カ月で才能を開花させ、学校に認めてもらい、将来を約束されるなんて。
ものすごい夢物語だ。
今も嘘なんじゃないかと思っている私に、具体的にできる事は、限られている。
私は無意識に水上の手を取って、真っ直ぐに水上を見つめてこう言うしかなかった。
「・・・約束する。私も、水上のその夢が叶うように、全力で応援するわ」
「・・・・・・うん、ありがとう」
そこで手を離して、水上は書類を封筒に戻し、私たちはまた海の方を見つめる。
「・・・でも、どうしてこんな重要な事を教えてくれたの?」
私が素朴な疑問を投げかけると、水上は『へっ!?』と驚いたように声を上げる。そして、頬を掻き、顔をわずかに赤らめる。
その普段とは違う様子を見て、私は首をかしげるしかない。
「えっと・・・それは・・・・・・アッサムに話したいもう1つの事と関係していて・・・・・・」
そうだ、水上は、私に話したいことが“2つ”あると言ってきた。
1つは、将来聖グロリアーナで働く事が約束されたという事。
もう1つは、何だろう。
私は、期待をその目に宿らせて水上の言葉を待つ。
水上は、『うーん』とか『えーっと』とかもごもごと口の中で呟きながら、私に何かを言うのを迷っている。多分、緊張しているのだろう。
私は、そんな水上を見て、何とか緊張をほぐしてあげたい、と思い、そっと水上の手を優しく握る。
水上は、それで踏ん切りがついたのか、改めて私の事を見つめる。
「・・・前に、言ったと思う。俺がここを去る日に、伝えたいことがあるって」
「ええ」
忘れた事などない。その言葉をずっと楽しみにしていたのだから。
「でも、訂正させてくれ」
「え?」
「今、それを言うよ」
いつもよりも3割増、いや、それ以上に真剣な水上の表情を見て、私も緊張する。一体、何を言われるのだろう。
「アッサムの夢は、2つあるんだよね?」
「・・・ええ」
私の夢は2つある。それは、水上にも話した事だ。
戦車道のプロ選手になるという夢と・・・・・・・・・・・・お嫁さん。
今思い出しても恥ずかしい、顔が熱くなる。
「俺は、戦車道のプロになるっていう夢を、全力で応援する。できることは少ないかもしれないけど、ね」
「ありがとう」
水上が私の夢を叶えるために応援してくれるのは、素直に嬉しい。だから私も、その気持ちに素直な気持ちの言葉を返す。
「・・・・・・でも、もう1つの夢は、・・・・・・・・・・・・俺が叶えてあげたい」
「・・・・・・・・・・・・え」
水上の、言葉の意味が、一瞬だが、分からなかった。
だが、その意味を、なんとなくだが理解して、私は、呼吸が止まりそうになる。動悸が早まる。
「アッサム」
「・・・・・・うん」
私の名を、改めて呼ぶ水上。私はそれに頷いて答える。
「・・・将来聖グロリアーナで働くって事を言ったのは・・・・・・アッサムには、全部知ってもらいたかったから」
私は、水上の言葉を待つ。
「初めて、あのバス停で会って、一緒に話をした時の事を、忘れたことは無い」
今なお緊張しているのだろう、握っている水上の手は震えている。
「そして、聖グロリアーナで一緒に過ごした時間の事を、この先忘れはしない」
水上の瞳が揺れている。
「告白して、告白されて、俺たちが恋人同士になれたのも、絶対に、永遠に、忘れない」
私の視界が、ぼやけてくる。瞳に涙がにじんているのが、分かる。
「・・・・・・初めて会った時から、ここで3カ月を過ごしている間に、俺は・・・・・・」
水上が手を離して、私の肩に手を乗せてくる。
「・・・・・・もっと、アッサムと一緒にいたい。ずっと、離れたくない。これからも、2人で、一緒に過ごしていたい、って思うようになった」
私の瞳から、涙が流れ出る。水上もまた、瞳から頬に涙が伝っていた。
「だから・・・・・・」
水上が瞳を閉じる。
「気が早いと思うけど・・・・・・」
瞳を閉じたまま、その声に恐れを孕ませて告げる。
「こんな、俺でよければ・・・・・・・・・・・・」
そして、瞳を開き、涙で潤んだ瞳で、真っ直ぐに私の事を見つめて、こう言った。
「結婚、してください」
その言葉を聞いた瞬間、私の瞳から大粒の涙が流れ出たのが、触れなくても分かる。
私が泣いているのは、嬉しいからだ。
その言葉を、心のどこかで期待していた。
私も、そうなりたいという願望があった。
それを思っていたのは、水上も同じという事が、すごく嬉しくて。
涙が止まらない。
そんな中でも、私は返事をしなければ、という事を思い出して、泣きじゃくりながら、頷いた。
「・・・・・・うん!」
その言葉を聞いた瞬間、水上は私の事を強く抱きしめてくれた。
思えば、こうして正面から抱き合ったのは、あんまりないような気がする。
キスも心地良いものだったが、好きな人に抱きしめられるというのも、心が満たされたような感じになって、温かくなる。
しばしの間、私と水上は、満天の星空の下、お互いに抱きしめ合いながら、涙を流し続けた。
8月31日、朝7時50分。
水上は、本土と聖グロリアーナを結ぶ連絡船の搭乗口に立っていた。足元には、大きな鞄。
そして、連絡船に背を向けて立つ水上の前には、ダージリン、オレンジペコ、アッサム、ルクリリ、ローズヒップ、ルフナが、聖グロリアーナの制服を着て立っていた。
「わざわざ見送りに来てくれて、ありがとう」
もう、水上は給仕ではない。
だから、聖グロリアーナで給仕としている際の敬語は、もう話さない。今だけは、対等な立場で、聖グロリアーナの6人と向かい合っていた。
「当然ですよ」
ルフナが笑いながら、しかしその瞳にわずかに涙を浮かべながら告げる。
「短い間だったけど、楽しかったです。ありがとう」
ルクリリがにこっと柔和な笑みを浮かべながら礼をする。
「また会えたら嬉しいですわ」
ローズヒップが満面の笑みを浮かべる。
「・・・・・・お元気で」
オレンジペコが、泣きたいのを必死にこらえて無理やり笑いながら一言だけ、声を震わせながら告げる。おそらく、多くを語ると泣いてしまうからだろう。そう考えると、可愛らしい。
「水上」
ダージリンが歩み出て、手に提げていた小さなバスケットを水上に渡す。
「これは?」
「開けてみて」
促されて水上が蓋を開くと、そこにあるのは、メッセージカードと、2つの白いティーカップ。そして、同じく白いポット。
よくよく見てみれば、これは寄贈用のティーセットではないか。
「いや、これは流石に・・・・・・」
「覚えてるかしら?車長として、私と戦った時の事を」
忘れるはずがない。あの、人生で初めて戦車に乗って指揮を執り、あのダージリンと戦った時の事など。
「寄贈用のティーセットの持つ意味は、あなたも知っているわよね?」
そうだ。ティーセットを贈るのは、自分が好敵手と認めた相手。また戦いたいと思う相手に対して贈るもの。
つまり、ダージリンは、また水上と戦いたいと言っているのだ。
それを受けて、水上は苦笑してそれを受け取らざるを得ない。
あのダージリンから、男の自分が好敵手と認められるなんて、偉業と言っても過言ではない。
「・・・大切にするよ、ありがとう」
だが、ここで水上は疑問に思った事がある。
「でも、どうしてカップは2つ?」
水上の実家で使うにしても、水上は一人っ子で3人家族。カップが1つ足りない計算になるが。
「家族で、使うためよ」
そう言いながら、ダージリンは隣に立つアッサムの事を見る。
「!」
そして水上は、昨日の夜のプロポーズの事を思い出し、顔を赤くする。アッサムもそれは同じのようで、唇をへの字にして顔を真っ赤にし、うつむいてしまった。
まったく、ダージリンに隠し事は通用しないらしい。
最後にアッサムが、歩み出てくる。その顔には、寂しさや不安が入り混じっているように暗かった。
いくら将来結ばれることを誓い合ったとしても、一度別れてしまうことに変わりは無い。やはり、長い間会えなくなってしまうのが辛く、寂しいのだろう。
「・・・・・・電話も、メールもするよ。会うことができれば、会いに来る」
水上が、そんな不安を払拭してあげようと言葉をかけるが、アッサムの表情はまだ晴れない。
どうしたものかと思いながら、水上は後ろに控えるダージリンたちをちらっと見る。
ダージリンたちは、全員が全員全ての事情を知っているかのように笑みを浮かべている。ルクリリに至っては、小さく親指を立てていた。
水上は意を決して、身体をわずかにかがめ、まだうつむいたままのアッサムの唇に、自分の唇を重ねる。
アッサムは瞳を閉じて、水上の唇を受け入れる。
アッサムの後ろの方から『おっ』と声が上がった。声からして、ルクリリだろう。
「お熱いですのね」
ローズヒップの空気を読まない容赦ない一言。弾かれたように水上とアッサムは顔を離す。
「・・・・・・また、会いに来るよ」
「・・・・・・ええ」
アッサムが、静かに涙を流す。
そこで、後ろの連絡船が汽笛を鳴らした。出発時刻が近いのだろう。
「もう行かなくちゃ。今日まで、本当にありがとう」
水上が、鞄を持ち上げ、踵を返して連絡船に乗り込む。
その直前で。
「水上」
アッサムから声を掛けられる。振り返ると、アッサムは涙を流しながらも、笑みを浮かべてこう言った。
「・・・・・・あなたと出会えて、本当によかった」
そして。
「・・・あなたの事、大好きだから」
朝日に照らされたアッサムの表情は、水上の記憶にしっかりと刻みこまれた。
「・・・・・・俺も、大好きだ」
泣きたくなりそうになるのを必死にこらえて、笑みを浮かべてそう言って水上は、連絡船に乗り込む。
やがて、連絡船と学園艦を繋ぐタラップが畳まれ、連絡船は静かに学園艦を離れる。
まだなお、学園艦の搭乗口に立っているダージリンたちは、水上に向けて、水上の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
水上もまた、ダージリンたちの姿が見えなくなるまで、デッキの上から手を振り続けた。
もう1話だけ、本当に、もう1話で終わります。
最後まで、お付き合いいただければ幸いです。
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。