その人の事を見つけた時、水上は心の中で『マジか!!』と叫んだし、すぐにでも声を掛けたい衝動に駆られた。
しかし、そうもいかない。今は校長から紹介されている最中なので、そのような出過ぎた行動を起こして印象を悪くするわけにはいかなかった。
だが、水上の意識はその女性にずっと向けられていた。
視線はその女性には向けず、ただし意識はその女性に向けて。
やがて校長の紹介が終わり、列の中心から1人の女子生徒が歩み出る。水上には、その特徴的な髪の編み方が何と言うのかは知らなかったが、金髪と青い瞳が綺麗な人だ。
「聖グロリアーナの戦車隊隊長・ダージリンです。よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ダージリンと名乗った女性が右手を差し出したので、水上も右手を差し出し、優しく握手をする。
この時、水上は心の中でこう思っていた。
(ダージリン・・・って、紅茶の茶葉の種類だよな。って事は、ニックネームみたいなものか・・・?)
その時、水上の思考を読み取ったのか、ダージリンが意味深な笑みを浮かべる。が、水上にはその意図が分からず、頭に疑問符を浮かべた。
「ペコ、アッサム」
「「はい」」
ダージリンから呼ばれた2人の生徒が、並ぶ生徒たちをかき分けて前に出てくる。
その2人のうち1人は、水上よりも背が随分と低く、オレンジの髪を左右で編み上げて纏めている少女。
「オレンジペコです。1年生で、チャーチルの装填手を務めています。よろしくお願いします」
オレンジペコと名乗った少女がぺこりと可愛らしく頭を下げる。水上もまた頭を下げる。
そしてもう1人は、水上がずっと意識を向けていた人物だ。
「アッサムです。3年生、チャーチルの砲手を務めていますの」
「よろしくお願いします」
水上がオレンジペコの時と同様に頭を下げようとする。が、そこでアッサムが右手を差し出してきた。
水上は、その意味が一瞬分からなかったが、その行為が指す意味を理解すると、同じように右手を差し出して握手を交わす。
それを見て、隣に立つオレンジペコは、驚きの表情を隠せない。ダージリンもまた、アッサムの行動を見て怪訝な顔を浮かべる。
水上とアッサムが手を離したところで挨拶は終わり、いよいよ戦車道の授業に入るようだ。
今日の授業内容は、新入生の鍛錬も兼ねて横帯隊形での行進というシンプルな内容だった。
戦車と履修生たちが訓練場に移り、水上と校長は訓練場の脇で双眼鏡片手に見学をする。
聖グロリアーナの学園艦の規模は非常に大きく、水上の通っている潮騒高校の学園艦の比ではないくらいだ。
さらに戦車道強豪校と言う事もあって、戦車道の練習場の規模は広大である。平原、荒地はもちろん、専用の市街地まで用意されている。今回の訓練は平原で行うのだ。
早速中央に陣取る、キューポラから体を半分乗り出したダージリンの乗るチャーチルがゆっくり前進する。それに合わせて、横に並ぶマチルダⅡやクルセイダーと言った付随する戦車がやや遅れながら前進を始める。
余談だが、水上には戦車の知識はこれっぽっちも無かった。だが、戦車道での給仕係をする以上は、戦車の知識も取り入れておかなければならないと思ったので、この聖グロリアーナに来るまでの間に、保有する戦車の名前だけは覚えておいた。
さて訓練の方だが、何か一台だけ挙動がおかしい戦車がいた。
双眼鏡で覗いてみると、その戦車はクルセイダー。加速と減速を繰り返しており、隊列を乱そうとしている。
(何やってんだ、あの戦車)
そして、そのクルセイダーは遂に隊列から大きく外れるように前進する。
「あっ」
水上が声を上げた瞬間、クルセイダーの車体上部から白旗が上がり、スコンとクルセイダーは停止した。他の戦車たちはその擱座したクルセイダーを置いて前進を続ける。
「まったくあの子は・・・」
声がしたので、双眼鏡から目を離して校長の方を見る。校長は、呆れたと言った具合に額を抑えていた。
「あの、あの戦車は一体・・・」
水上が校長に尋ねると、校長は困った表情のまま水上に説明する。
「あの戦車には、今年入った1年生が乗っているの。でも、何かにつけて暴走して、隊列を乱すのなんてしょっちゅう。なのにダージリン、あの子のどこに目を付けたのか、クルセイダー部隊の隊長を任せたの」
校長までダージリンの事を『ダージリン』と呼んでいる事に、水上はわずかに驚く。
「今回の鍛錬は、綺麗な一列横隊を組むことが目的。それを乱したあの戦車は、撃破判定になったのよ」
そう言う事か、水上が理解する。
確かに、この訓練は校長の言う通り、“綺麗な”一列横隊を組むことが目的なのだ。その目的から外れた戦車が失格扱いになるのも、納得がいく。
そして、改めて双眼鏡で擱座したクルセイダーの方を見る。
すると、キューポラから身体を出して腕をブンブン振っている赤毛の少女が見えた。どうも、なぜ自分たちが動けなくなったのか、納得できないらしい。
水上は、心の中で『大丈夫かな、あの子』と割と本気で心配した。
その後、先ほどのクルセイダーのように隊列を乱すような戦車は現れることはなく、訓練は順調に進んでいった。
一列横隊で進んでいたかと思えば、いきなり一列縦隊に変わったりする。これは不意打ちだったのか、先頭を行くチャーチル以外の戦車は戸惑いながらも縦隊を形成した。
さらに斜向隊形、V字隊形などにも変化していき、やがて最初に集まった格納庫の前まで戻ってきた。
陣形が変わる様を見て、水上は拍手がしたくなったが、隣に立つ校長に言わせれば『まだまだ綺麗とは言い難い』とのことだ。
戦車道って厳しい、水上はそう総括した。
戦車から履修者たちが下車し、隊長のダージリンが前に立って今日の訓練の出来栄えを評価して、次の訓練についての説明をする。
その間、列の最後部ではアッサムが、クルセイダーに乗っていた赤毛の少女にガミガミと説教をしていた。赤毛の少女は、『ぶー』といった表情でアッサムの説教を聞いている。水上はそれが、見ていて微笑ましかった。
そしてダージリンが解散を告げると、何人かの履修者たちが足早にその場を離れてある一点へと向かう。
水上は、それが何を意味するのか校長に聞こうとしたが、校長からは『とりあえずダージリンのそばにいなさい』と告げられた。
仕方なく、水上はダージリンとそばにいたオレンジペコの左後ろに控える事にする。そこで、ようやく説教を終えたアッサムが合流する。説教を受けていた赤毛の少女は肩を落としながら校舎の方へと戻っていった。
そしてダージリンが、先ほど何人かの生徒たちが向かった方向と同じ方角へ向けて歩き出し、水上もあとに続く。
そうして数分ほど歩くと、着いたのは森の中にあるイギリス風の建物だった。
ここだけ、聖グロリアーナの校舎とも、学園艦のどことも雰囲気が違う。
こここそが、聖グロリアーナの戦車隊の幹部クラスが集う場所であり、聖グロリアーナの生徒たちが憧れる『紅茶の園』と呼ばれる場所だ。
ダージリンたちが『紅茶の園』の建物に入ったので、水上もそれに続く。
やがてたどり着いたのは、赤い絨毯が敷かれ、年代物の調度品が置かれた広い部屋だ。部屋の中心には、白い布が掛けられたテーブルと、緻密な装飾が施された三脚の椅子が置かれている。テーブルの上には、色とりどりの洋菓子が置かれており、どれも水上の目にはおいしそうに映る。おそらく、先ほど足早にこちらの方へ向かった生徒たちは、このティーセットの準備をしていたのだろう。
中には、キュウリが挟まれたサンドイッチも置かれていたが、あれもお茶菓子のつもりなのだろうか。
そんな風にテーブルを眺めていると、ダージリン、オレンジペコ、アッサムの3人が椅子に向かい、座ろうとする。
ここで水上は、聖グロリアーナに来るまでに習った礼儀作法の指導を思い出し、足早に3人が掛けようとする椅子へと向かう。まずはダージリンの座ろうとしていた椅子を音もたてずにスッと引き、ダージリンを座らせる。
「ありがとう、水上」
「いえ、お気になさらず」
そしてオレンジペコ、アッサムの椅子も同様に引き、2人を座らせる。
3人が席に着き、そこでダージリンが水上を見る。
「ここが、『紅茶の園』。私達、戦車道の上位数人だけが寛ぐことを許されている場所よ」
「存じ上げております」
普段の砕けた口調を封印し、指導で身に着けた敬語をフルに活用して返事を返す。
『紅茶の園』についての説明は、校長からの説明にもあったし、この学園艦に来る前にネットで聖グロリアーナの事を調べた時に頭に叩き込んでおいた。
「貴方も、給仕とはいえここに踏み入れることを許されているのだから、それ相応の態度でいるようにすること。いい?」
「かしこまりました」
小さくお辞儀をする水上。オレンジペコはその様子をハラハラとした表情で見届けているし、アッサムも澄ました顔でその2人のやり取りを見ている。
「で、水上」
「はい、なんでしょう」
ダージリンがおもむろに顔を上げて水上の顔を見る。そして、こういった。
「紅茶を淹れていただける?」
はい来た、水上は心の中でそう呟く。
「かしこまりました。直ちに」
そう言って、一度部屋を出て、すぐそばにある給湯室へと向かう。白を基調とした給湯室にはコンロが二台。どうやら電気ケトルは存在せず、普通に火で沸かすタイプのケトルしかないらしい。だが、水上は指導の際は普通にやかんで淹れていたのでその点においては問題なかった。
しかし、流石は紅茶にうるさい聖グロリアーナ。紅茶を淹れるのに必要な道具は一通りそろっていた。ジャンピング用のポット、サーブ用のポット、砂時計、計量器などが揃えられており、それら全てに豪勢な装飾が施されていた。
壊したら一体いくらするんだろう、何てことを考えながら紅茶の準備を進めていく。
元居た高校で習った事を思い出しながら、あの舌の肥えた先生を唸らせた紅茶を再現するように、紅茶を淹れる。
やがて、水上はこれまでで一番真剣に紅茶を淹れ終えると、トレーに載せて3人の待つ部屋へと戻る。
「お待たせいたしました。ダージリンティーでございます」
すでに用意されていたティーカップに静かに紅茶を注ぐ。3人全員のカップに紅茶を注ぎ終えると、3人は示し合わせたかのように一斉に紅茶を飲んだ。
この時点で、水上の心臓はバクバクと音を鳴らしていた。
果たして、一介の高校生が淹れた紅茶は、この本場仕込みの生徒たちの口に合うのだろうか。
果たして、(多分だが)過去最高の出来を誇る自分の紅茶は、この3人の口に合うのだろうか。
そんなことを頭の中で考えて、背中にじんわりと汗が浮かんできたところで、3人がカップから口を離す。
そして。
「ペコ」
「はい、なんでしょうか」
ダージリンがオレンジペコの名を呼ぶ。そのダージリンの表情には、失笑とも取れる笑みが浮かんでいた。
「紅茶を淹れてくれる?」
「はい、ただいま」
その言葉を聞いて、水上は膝から崩れ落ちそうになる。
水上も、ダージリンの言葉を聞いてそれが何を意味するか分からないほど愚かではない。
つまるところ、自分の淹れた紅茶はダージリンの口には合わなかったというわけだ。
ため息をつきたくなる。自分の淹れた紅茶が否定されて、決して小さくはないショックを受ける。
表情に現れていたのか、水上を見て、オレンジペコが気の毒そうに眉を八の字にする。
だが水上も、このままショックに打ちひしがれているほど人間ができていないわけではない。
今できる事は、おそらくダージリンが気に入っているのであろう、オレンジペコの紅茶の淹れ方を見学して、少しでもダージリンの口に合うような紅茶を淹れられるように努力する事だ。
そう考えて、水上は踵を返してオレンジペコについていこうとする。
自分の淹れたこの紅茶は捨ててしまおう、そう考えていた時だ。
「水上」
名前を呼ばれて水上が立ち止まる。部屋を出ようとしていたオレンジペコも、立ち止まって声の主を見る。
その声の主は、静かに紅茶を飲んでいたアッサムだった。
「・・・なんでしょう、アッサム様」
アッサムのそばへと向かい、頭を下げて用件を伺う。
アッサムは、水上の顔を見上げて、空になったティーカップを見せて、こう言ったのだ。
「おかわりをいただける?」
最初、水上はアッサムが何を言っているのか分からなかった。
だが、次第にその言葉が頭の中に浸透していき、やがて脳がその意味を理解し終える頃に、もう一度アッサムがこう言った。
「おかわりをいただけるかしら?」
「・・・はい」
目頭が熱くなり、涙が出そうになるのを必死にこらえて、水上は捨てようと思っていた紅茶を、静かに丁寧にアッサムの持つカップへと注ぐ。
「ありがとう、水上」
アッサムが礼を言うと、静かに水上の淹れた紅茶を飲む。
「ペコ、急いで」
「あ、はい」
ダージリンが少し強めに言うと、フリーズしていたオレンジペコは弾かれるように部屋の外の給湯室へと向かう。
水上もそれを見て、感傷に浸るのを切り上げて足早にオレンジペコの後を追う。
給湯室で、オレンジペコがお茶を淹れているのを見ながら、水上は流しに自分の淹れた紅茶を捨てる。
その表情は、嬉しさと悔しさが入り混じったように、涙をにじませていた。
それを見たオレンジペコは、優しい表情で水上の事を見上げる。
「良かったですね」
水上は、その言葉を聞いて涙を流しそうになった。
オレンジペコと水上が紅茶を淹れている間、ダージリンはアッサムに、1つ質問をした。
「この紅茶が気に入ったのかしら?」
意地悪気に聞いたダージリンの質問に、アッサムはティーカップから唇を離し、いつものように凛々しい表情で答える。
「水上の淹れた紅茶は、確かにとても美味しいって言うほどのものではありません。でも、親しみやすくて、私好みの味をしていると思っただけですよ」
そう言ってアッサムは再び紅茶に口を付ける。
ダージリンはそれを見て、水上の淹れた、飲みかけの紅茶に口を付けた。
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