本編投稿から時間が経ち、書き方が多少変わっておりますが、お楽しみいただければ幸いでございます。
高校は基本的に学園艦の上にあるが、小学校と一部の中学校、そして大学は陸の上にある。
学園艦は当然大海原を航行する故、寄港している時を除けば陸に戻るのも一苦労だし、違う学園艦にいる友人知人と会うのもままならない。
「おはよう、アッサム。久しぶりだね」
「ええ、久しぶりね、水上。でも、少し早いんじゃないかしら?」
「何だか早く目が覚めてね」
なので、大学に進学した水上とアッサムは、無事にデートの約束を取り付けることができた。
しかし、陸の上でもお互いの通う大学は違うし場所も離れているうえ、生活サイクルも違うので会う機会には中々恵まれなかった。それでも、水上はこの日だけは何としてもアッサムと会う約束をつけるのだと、熱心だった。その意図をアッサムも理解していたので、彼女もまたその日に水上と会えるよう予定を調整してきた。
「じゃあ、早速だけど…」
「?」
待ち合わせ場所である、地元の街の大きな公園の前で落ち合い、再会を喜んだところで水上が改まる。アッサムが、水上の言葉を待った。
「誕生日、おめでとう」
優しい言葉で、優しい笑みで水上はそう告げた。
今日は、アッサムの誕生日だ。同じ言葉はこれまでに何度も、家族や友人から言われてきた。聞き慣れたと言っていい言葉だが、同じ言葉でも水上のそれはひと際強く胸に響く。その理由は、アッサムにとって水上は大切な恋人であり、それだけ心の距離が近いからだ。
「…ありがとう」
アッサムは、胸が温まるのを感じながら、短く答えた。その言葉と表情だけで充分だったのだろう水上は、頷いて公園の方を見る。
「行こうか」
「ええ」
2人は並んで公園に足を踏み入れる。
若干雲の広がる天気が気になるが、それでもデートには申し分ない天気だ。
● ○ ○ ○ ○
水上とアッサムは、休日に賑わう公園を穏やかに歩いて楽しんだ。
「大学の戦車道には慣れた?」
「ええ、大分ね。聖グロと戦車が違うから、まだ少し違和感があるけれど」
噴水の脇を歩きながら話をする。内容は、会わないうちに経験したお互いのことだ。
こうして顔を合わせる機会にはあまり恵まれなかったが、それでもメールや電話でやり取りは続けていた。ただ、直に会うことができず物足りなさや寂しさを感じていたのも事実だ。だから、こうして顔を合わせて話ができるせっかくの機会を、水上はとても楽しみにしていた。電話やメールで聞いた話も、直接面と向かって聞くと印象が違って聞こえる。話をするアッサムも楽しそうだし、水上だってもちろん楽しい。
「アッサムの大学は、確かチャーチルもあったはずだけど…すぐには乗れないんだな」
「ええ。最初の1年はマチルダやクルセイダーに配属されて、実力を確かめるのが常になっているの」
「いくら高校で戦果を挙げてても、最初の内は大変なんだな…」
水上は、アッサムがどこの大学に行っているかを知っていたし、そこで行われる戦車道がどのようなものかも把握している。
さらに、アッサムの聖グロリアーナでの腕を、水上は以前その目で見た。しかし、大学は高校から世界が大きく変わるので、例え高校時代に優秀だったとしても戦車道で優遇はされず(入試などは別だが)、最初は誰もが平等に実力を測られるのだそうだ。戦車道の世界がそこまで甘くはないのはどこも同じらしい。
「でも今の隊長や先輩からの評価はそこそこ良い方だから、いずれは…ね」
「それが聞けて何よりだよ」
シンビジウムやノースポールなど、冬の花が咲く花壇を楽しみつつ、アッサムは片目を瞑って見せる。
かつて聖グロリアーナで『ノーブルシスターズ』として名を馳せた彼女の実力は、大学でも衰えていないようで、評価は順調に伸びつつあるらしい。水上もその評価は順当なものだと思った。
しかし、水上の心配は尽きない。
「戦車道も大事だけど、自分のことも大切にしてほしいよ。あんまり無理はしないでな」
「もちろん、それは分かっているわ。戦車道で身体は資本だし、ちゃんと体調管理には気をつけているし」
やはり心配なのは、アッサム自身の体調やメンタルのことだ。体調を崩しては元も子もないし、アスリートが怪我で引退なんて話はよく耳にする。成果を上げることは確かに大切だが、それ以上に自分自身のことも大切にしてほしい。
アッサムは、安心させるように水上に笑いかけたが、それでも少し気掛かりだった。
そんな水上の心配を和らげるように、アッサムは話を変えた。
「水上はどうかしら?大学は」
「ぼちぼちかな。バイトと講義を両立するのは大変だけど、何とかやってるよ」
水上は、実家から通える距離の大学に在籍している。なので、1人暮らしの際にネックになる生活費などは困らないのだが、将来のことを見据えて自分で使う金は自分で稼ぐことにしていた。
「教員免許もとれるように?」
「もちろん。せっかく貰ったチャンスなんだから、自分から手放すような真似はしたくない」
紆余曲折があったが、水上は聖グロリアーナでの自分の役目をきっちりと果たした。それを学園側から評価されたことで、いずれは教職員として働くチャンスも与えられている。その計らいに感謝し、水上はそれを無駄にしないよう、今できることを懸命にこなしているのだ。
「お互いに、やれるだけのことを頑張りましょう」
「ああ」
アッサムの言葉に、水上は強く頷く。
そんな中、船の汽笛の太い音が聞こえた。見れば、公園近くにある大きな船舶ターミナルに客船が停泊している。
「アッサムは、聖グロリアーナの学園艦に行った?」
「ええ、まだ片手で数える程度だれけど。オレンジペコもローズヒップも、元気にやってるみたいよ」
「それなら安心だ。俺はどうにも行きづらくてね…」
如何に聖グロリアーナで頑張っていたとはいえ、どうしても名門お嬢様校の学園艦は敷居が高く感じてしまう。なので水上は、大学生になってからは聖グロリアーナに行っていなかった。オレンジペコやローズヒップとは、かつての誼でたまにメールのやり取りをしているが、電話などはほとんどしていない。
一方のアッサムは正式なOGなので、卒業後も特に問題もなく聖グロリアーナを訪れていた。かつて共に戦ったり、あるいは面倒を見ていた後輩たちの姿を見ると、感慨深くなるのだそうだ。水上も、戦車道のニュースなどで聖グロリアーナの今は見聞きしているので、その気持ちは分かる。
「OG会も少しは大人しくなったみたいだし」
「へぇ?」
アッサムの安堵するような言葉に、水上は興味をそそられる。それは電話やメールで話さなかったことだ。
OG会とは、その名の通り聖グロリアーナのOGで結成された後援組織で、聖グロリアーナ戦車隊の運営をサポートしてくれるものだ。それだけ聞けば無害そうだが、そのOG会は3つの派閥に分かれており、それぞれの派閥の意見同士が干渉し合い、聖グロリアーナが導入する戦車に対してまでとやかく文句をつけてくる。おかげで聖グロリアーナは思う様に戦車が運用できず、目の上のたん瘤な存在だ。
水上は、そんなOG会には会ったことはなく、アッサムの話でしか知らない。だが、それでも十分に面倒くさいことになっているのは分かった。
そのOG会が、大人しくなったという。
「いったい何が…?」
「私も詳しいことは。ただ、オレンジペコが『話をつけた』とだけは言っていたけれど…」
「話ねぇ…」
水上は、オレンジペコのことを思い出す。聖グロリアーナにいた時、彼女は水上に好くしてくれていたが、誰かに何かを強く言ったり、誰かと衝突したりするような雰囲気はなかった。OG会のような相手に対し、強気な姿勢で挑むようなイメージは、彼女には悪いが水上には思い浮かばない。
「オレンジペコも、隊長になってから変わったんだと思うわ。ダージリンが手塩にかけて育てていたのだから、精神面でも強く成長したのかもしれない」
「確かにそうかもな。あるいはローズヒップあたりが、OG会に対して『うっせぇでございますわ!』とか言ってたりして」
「くっふふ…」
水上の真似に、アッサムは吹き出す。彼女は思いのほか、笑いのツボがやや浅めだ。
アッサムの言うように、オレンジペコが聖グロリアーナを率いる戦車隊長となってから強くなった可能性もある。あるいは、彼女とともに聖グロリアーナを率いるローズヒップやルクリリあたりが助言してくれたのだろう。
ローズヒップは、お嬢様校の中でもちぐはぐな言葉遣いが目立つし、アッサムの言では今もそれは直っていないらしい。だが、その歯に衣着せぬ物言いが、聖グロリアーナの因習を打ち破る新たな風となったのかもしれない。
「何であれ、聖グロもこれから少しずつ変わっていけるかもな」
「そうね。これからどうなるのか、私も楽しみにしてる」
因習から解放された聖グロリアーナがこれからどうなるのか、とても見ものだ。
さて、2人は近況を語らいつつも、自分たちがデートをしているという事実から目を逸らしたりはしていない。時折立ち止まって花壇の花の香りを楽しんだり、公園から見える大きな橋を眺めたりと、ありきたりでも2人だけの時間を過ごしていた。
やがて公園の端にたどり着き、港の端に伸びる長い歩道橋を渡って、次の目的地へと向かうことにした。
しかし、その道中でぽつぽつと至る所から音が聞こえてきた。
「あー、雨か…」
水上が空を見上げる。気が付けば、微かだった晴れ間は遠く離れた場所に移動しており、頭上には暗めの雲が広がっていた。
しかし、水上は今朝の天気予報で『にわか雨が降るかもしれない』と聞いていたので、事前に折り畳み傘は鞄に入れてあったので、何の問題もない。なので、すぐに鞄からそれを取り出し、広げようとした。
「……」
ところがその時、ふと気になるアッサムの仕草が目に入った。
彼女もまた、この雨を予測していたのか―――データ主義の彼女が抜かるはずもないが―――白い折り畳み傘を取り出していた。それだけなら特に問題はない。
しかし、アッサムは水上に対してどこか残念そうな目を向けていた。
会えない時間は長かったものの、水上もアッサムと付き合ってそれなりの時間が経っている。何を望んでいるのかは、その表情で分かった。
「…あー、この傘壊れてるの忘れてた」
「あら、残念ね」
「だからアッサム、悪いけど入れてくれないか?」
「ええ、いいわよ」
大根役者もいいところだが、アッサムはそれでも嬉しいようで表情が和らぐ。水上は、申し訳なさそうな演技を貫き通して、アッサムから傘を受け取り広げる。色は白だが、デザインはシンプルに無地だった。アッサムらしいと言えばらしい。
そして、水上が促すとアッサムは同じ傘に入る。相合傘がしたかったのだろう。水上としてもそれは嫌ではなかったし、願ってもいないことだ。
「…何か雨強くなってきたな」
「そうね…」
だが、同じ傘に入ってホッとしたり緊張したりするのも束の間、傘を叩く雨が次第に強くなってきた。周りの景色も雨のせいでかなり霞んできている。おまけに、ただでさえ折り畳み傘は通常より小さい上、それを2人でシェアしているものだから雨に当たりやすい。
水上は先んじて、アッサムが雨に濡れないよう、傘の下のスペースを開けて自分は雨に濡れるようにした。だが、アッサムはそれを許しはせず、2人で均等に傘の下に入れるように身体を密着させる。今はときめきよりも寒さが勝っていた。
「一旦どこかに避難しよう」
水上が提案すると、アッサムも頷き早歩きを始める。海沿いの歩道橋のせいで雨をしのげる場所がほとんど無かったが、幸いにも近くにカフェがあった。
2人がそこへ駆け込むと、同じように雨を逃れてきたらしき人たちがちらほらと見える。店内は主に観光客向けだからか、明るめの装飾が施されていた。ここはフードコートのように先に席に着いてから、カウンターで注文をする仕組みらしい。
「せっかくだし、何か飲んでいこうか」
「ええ」
雨風をしのぐためだけに使うのも申し訳ないので、2人でホットチャイを頼むことにした。代金は、どっちが払うかでひと悶着起きたりなどはせず、早い段階で割り勘に落ち着く。
窓際は寒くて冷えるので、店の内側の席に着いてチャイを静かに飲む。温かく甘い香りと味が、雨で冷えた身体を温めてくれた。
「どうやら通り雨みたいだし、止むのにそこまで時間はかからなさそうね」
「それなら安心だ」
アッサムがスマートフォンで、天気予報を調べてくれる。水上は、もしものために持ってきていたタオルを鞄から取り出して、少しでも服や髪の雨を拭くように言いアッサムに渡す。
「何か、あの時のことを思い出すわね」
「…ああ、あの日か」
外の雨を眺めながらアッサムが告げる。水上にも、何時のことを言っているのかはすぐ分かった。
まだ聖グロリアーナの生徒だった時。全国大会の準決勝で負けた後、学園艦の公園でアッサムは水上に己の弱さを吐露した。あの時は、通り雨なんてものではないほどの雨だったが、あの日はお互いの想いを告げ合った日でもある。自分たちからすれば人生の分岐点のような日だ。
アッサムは、水上に向き合い、チャイを飲む。
「今も、戦車道を歩む自分を見つめ直すことがあるわ。疑問を持つことがあれば、自分の未熟さを痛感することもある」
揺れるチャイの水面を見つめるアッサム。
理知的なイメージが強いが、その内面は人並みであることを水上は知っている。その弱さをかつて自分に見せたからこそ、水上にはそれを否定したり、根拠もなく励ますことはできない。
「それでも今、こうして戦車道を続けられているのは、やっぱりあなたの言葉や存在があってのことよ」
手で包み込むように、カップを持つアッサム。その中身を見つめる表情は、どこか穏やかだ。
「電話やメールでは何度も言っているけれど、改めて言わせてほしい」
「……」
「本当に、ありがとう」
にこっと笑うアッサム。
これまでに交わした電話やメールで、アッサムは欠かさず『ありがとう』と言ってくれていた。それは話を聞いたことに対するお礼の言葉だと、水上は思っていたのだが、それよりももっと深い意味をアッサムは込めてくれていたのだ。
ただ話を聞くだけでなく、恋人として自分の精神的な支えでいてくれること。それは、水上からしてみればお礼を言われるようなことではなかったが、否定するのも憚られる。
「…遠い場所にいると、話を聞くぐらいしかできることがないから。でも、それがアッサムの支えになっているのなら嬉しいよ」
しかし、遠い場所にいる水上にできることは限られる。話を聞くこともそのできることの一つだから、それでアッサムの気持ちが支えられるのであればそれでいい。これから先もまた、自分はその心の支えとなり続ける。
水上もチャイを飲み、アッサムに頷いて見せた。
○ ● ○ ○ ○
通り雨は1時間ほどで止み、再び晴れ間を見せた。
水上とアッサムは、『変な天気』と思いながらもカフェを出て、次の目的地であるショッピングモールへと向かう。
途中、運河に架かる橋を歩きながら、周りを往く観光客やカップルに混じって、近くに聳え立つ近代的な高層ビルを写真に撮る。地元である2人からすれば、これらのビルにさほど新鮮さは抱かないが、2人でいると言うシチュエーションが特別さを持たせるので、記念に撮りたくなったのだ。
そして、目的のモールへ到着する。休日なのと、先ほどまでの雨もあり、人の数はそれなりに多かった。かと言って、はぐれてしまいそうになるほどでもなく、程よく繁盛している。
そこで水上は、アッサムに問いかけた。
「さて、アッサムは何か欲しいものがある?」
「…それは、誕生日プレゼントかしら?」
「ああ、その通り」
若干の期待が滲むアッサムの問いに、水上は唇の端を上げて頷く。
水上がアッサムを好いているのは揺るがないが、『自分とのデートがプレゼント』と思えるほどに思い上がってはいないし、気障でもない。
水上の狙いを聞いて、アッサムはモールの店舗一覧パネルに目をやる。
「…それじゃあ、付いてきてくれるかしら?」
1分も経たずにアッサムは水上に視線を戻し、先導する。どこかは言わなかったが、水上は常識と所持金の範囲内であれば希望には応えようと思っていたので、一先ずアッサムに任せることにした。
アッサムに連れて来られたのは、女性向けのファッション用品を販売する店だ。柔らかい色合いの店内には、女性向けの帽子や手袋などの小物から、イヤリングやネックレスなどの装飾品が並べられており、いるのは大体女性かその付き添いの男だ。正直、足を踏み入れるのに勇気が要るが、水上だってアッサムの彼氏なのだから、何を恥じることがあるのかと己を奮い立たせて店の中へ入る。
「丁度、手袋が欲しかったの。今まで使っていたのは大分傷んできてしまってね」
「なるほど」
アッサムが注目したのは、手袋のコーナーだ。手袋一つとっても、柄は無地から民族系のものまで、色は暖色系も寒色系も一通り揃う充実ぶりで、この中からお気に入りの一双を選ぶのにはかなりの時間がかかりそうだ。
ところがアッサムは、暖色系の手袋の前でほんの少し悩んだのち、薄橙色の手袋を2双手にした。トランプのダイヤの柄が入っている。
「これを、お願いできるかしら?」
「わかった」
差し出されたそれを受け取り、水上はレジへ向かう。この色でいいのか、なぜ2つ買うのか、という疑問はあったものの、アッサムがこれを誕生日プレゼントに欲しいと言うのだ。水上が多くを聞くのも無粋に思えたので、詳しくは聞かなかった。
店員が妙に温かいものを見る目で水上を見ていたのが気になったが、ほどなくして水上は会計を終え、アッサムと店を出る。
「それじゃ、これ。おめでとう」
「ありがとう、水上」
場所を移し、休憩用のスペースに置いてあるソファに腰かけて、改めてアッサムに手袋を渡す。ラッピングなどはしていない、袋も店のそれだったが、アッサムは気を悪くした様子はない。取り出したそれを見て、アッサムは嬉しそうに微笑む。
「はい、水上」
だが、買った手袋のうち、1双を水上に渡してきた。
水上は面食らったが、これでアッサムが2双手袋を欲しがった理由が分かった。アッサムは、自分とお揃いのものを水上に着けてほしいのだ。
「…ありがとう、受け取るよ」
水上は、それを受け取った。
改めて薄橙色の手袋を見る。サイズは問題なさそうだし、色も温かみがあって、柄まで含めて水上の好みだ。
「…もしかして、俺とお揃いにするのを前提に?」
「ええ、勿論」
アッサムは、水上の問いに顔色一つ変えずに答える。アッサムは最初から、手袋でなくとも、誕生日プレゼントは水上とお揃いのものにすると心に決めていたのだろう。
水上が今まで使っていた手袋は、棚に仕舞うことになりそうだ。
○ ○ ● ○ ○
雨宿りをした際にホットチャイを飲んだので、2人の昼食の時間は何となくで後にずれ込んだ。しかし、そのおかげで昼時の混雑を避けることができ、長時間待つこともなく昼食にありつくことができた。
「アッサムの大学って、学食はどんな感じなんだ?」
「そこまで特別じゃないわ。でも、どうして?」
和食のレストランで、唐揚げ定食を食べつつ水上はアッサムに訊ねる。アッサムは、焼き鮭の骨を箸で丁寧に取り除きながら答えた。その答えを聞き、水上は一度箸を止める。
「いや、聖グロの学食はイギリス風に偏ってたからさ」
「むしろ、あれは聖グロが特殊と言うべきかしらね…」
「俺も最初あそこに行ったときは、すごく驚いたよ。特に、アッサムがウナギのゼリー寄せを食べてたのはな」
水上が言うと、アッサムはくすくすと笑う。
聖グロリアーナやBC自由学園艦など、海外をモチーフとした私立高校は、学食のメニューがその元となる国に寄ると言うのはよくある話だった。水上のいた高校や大学の学食はそうでもないので、余計にかつて抱いた驚きが際立つ。
「実際、美味しかったのか?あれ」
「慣れれば癖になる味よ。水上も一度試してみればよかったのに」
「いや、あれは…正直挑戦するにはかなりの勇気と度胸がいると思うぞ…」
半透明のゼリーの中にウナギのぶつ切りが乱雑に詰まっているのを思い浮かべると、今でも鳥肌が立つ。あれほどインパクトのある見た目の料理に手を出すには、それなりの覚悟が必要だと水上は思っていた。逃げるように唐揚げを一つ食べると、気持ちが楽になる。和食もいいものだ。
「逆にアッサムは、何であれを食べようとしたんだ?」
「最初は純粋な興味からよ。話には聞いていたけれど、実際にどうなのかしらって」
そう言って、アッサムは味噌汁を一口飲む。
「…アッサムは、意外と肝が据わってるんだな」
「戦車乗りは肝が据わっていなければ務まらないわ。特に砲手は」
言われて水上は、大洗女子学園との練習試合のことを思い出した。試合中、M3リーの搭乗員たちが、聖グロリアーナの攻撃に慌てふためき、戦車を置いて戦場から逃げ出してしまったのだ。
あれを見た時は、戦車に乗らず、未熟だった水上でも『駄目だろう』とは思った。しかし彼女たちは、その時の失敗を取り返すかのように、全国大会の決勝では強豪・黒森峰女学園を相手に善戦し、重戦車2輌を撃破する大戦果を挙げた。それも恐らく、そこまでの試合で胆力を鍛えられたのだろう。
「まぁ、私も昔からそんなに心が強かったわけではないのだけれど…」
「?」
アッサムの言葉に、水上は視線を上げる。その『昔』の話は、まだ聞いたことがない。
それについて聞こうと思ったのだが、これ以上話していると食事が冷めてしまうので、一先ず食事を再開することにした。
○ ○ ○ ● ○
食事を終えてから、アッサムは先ほどの話の続きをした。
その話をする前に、水上に1つ質問をする。
「水上から見て、私はどう見える?」
「どう…って言われてもな…いつも冷静で、頭が良くてかっこいいって言うか…」
悩みながらも、水上は答えてくれた。その評価は、『ノーブルシスターズ』として名を馳せていたアッサムにとって聞き慣れたものだし、それ自体は嬉しい。
「確かに私は、頭の良さだけは自信があったわ。でも、今よりずっと前は冷静と言うよりも『臆病者』って言葉の方が似合ってた」
「どうして?」
歩きながら、アッサムは話し始める。
自分の家は(自分で言うのも何だが)それなりに裕福で、生活に不自由はしなかったし、家族も自分のことを大切にしてくれていた。
けれど、アッサム本人は心が決して強くはなく、中々自分に自信が持てなかった。人から言われたことがどうにかこなせても、自分で何かを始める勇気は少ない。自分が恐れていたり、不安を抱くものに対しては自然と距離を置いて、自分から接するのを避けていたのだ。
「じゃあ、変われたきっかけは…?」
「それは戦車道と、ダージリンね」
クリスマスを目前に控え、色とりどりの商品を飾るショーウィンドウを横目に、アッサムは続ける。
聖グロリアーナに入学して少し経ち、アッサムはダージリンから戦車道に誘われた。彼女は、アッサムの少ない取柄だった頭脳に注目し、スカウトしたのだ。アッサムは当初心配だったものの、自らの知識、そこから編み出す戦術が当時の隊長・アールグレイにも認められ、徐々に頭角を現していった。
そして最終的に、聖グロリアーナの参謀としての地位を確立したのだ。
「あの時ダージリンが私を誘ってくれたから、私は自分の頭の良さを発揮できる場に辿り着くことができた。そうして、戦車道で自分の力を使う中で、自分にも自信がついていったのが分かったわ」
アッサムは水上と共に、商業施設と直結しているビルの展望台へ向かうことにした。その道中でも、アッサムは話を続ける。
自分の立てた作戦が実際に戦車道で使われ、そして戦果を挙げていくことは、間違いなくアッサムの自信に繋がったのだ。
「でも、最初から全部上手くいったってことは…」
「勿論、なかったわ。ダージリンでさえ、最初は四苦八苦していたみたいだし」
エレベーターに乗り、展望台へと向かう。
アッサムだって、最初から完璧な作戦を立てられたわけではない。失敗は何度もしてきたが、その度に反省点を洗い出し、作戦を洗練されたものとしていく。3年次にアッサムの立場があれだけのものとなったのは、そこまでの積み重ねの結果だ。
そして、かのダージリンも最初からすべて順調だったわけではない。水上がいたのは3年生の時の少しの間だけだから、彼女がどれだけ苦労してきたのかは知らないのだ。尤も水上も、聖グロリアーナに来る前に大分苦労していたようだから、それが分からないはずもないだろう。
「でも私は、失敗をしても挫折はしなかったし、戦車道を辞めようなんて思わなかった。だって、ダージリンやアールグレイ先輩は私のことを頼ってくれていたし、それを裏切るのは嫌だったから」
エレベーターが止まり、扉が開く。丁度、天気も回復してきていたので、展望台から見える景色はとても美しかった。ビルに陽の光が当たり、海面はキラキラと輝いている。ただ、遠くの方は雲や雨の影響で少々見にくかったが。
「やっぱりみんな、昔は失敗とか経験しているんだな」
「最初から何でもこなせる人なんて、ほんの一握りだと思うわよ」
景色を眺めながら水上が言うと、アッサムも頷く。
「砲手を選んだのは、自分に一番合ってると思ったから?」
「そうね…。砲手は常に計算をしたうえで戦うものだし、集中しないと務まらないから。その点を踏まえて自分に合ってると思ったのよ」
自分が車長として乗員に指示を出す姿は、戦車道を始めた当初から想像できなかった。操縦手や装填手もそうだったし、通信手と砲手で悩んだ末、アッサムは砲手の道を選んだ。
自分の腕は、サンダース大付属高校にいたナオミや、元プラウダ高校のノンナ、さらに昨年の無限軌道杯で注目を集めた継続高校のヨウコと比べればまだまだだと思っている。彼女たちは今も戦車道選手として活躍しており、アッサムもそれは同じだ。彼女たちは、大きな目標でもある。
「知らなかったよ、アッサムにもそんな時期があったとは」
「まぁ、進んで言うような話でもなかったし」
「じゃあ、今日はまたどうして」
「それは当然、あなたに私のことを知ってほしいから」
アッサムも、こうして自分の過去をぺらぺらと喋ったことはほとんどない。それでも水上に話したのは、当然ながらこの先自分と一緒にいる上で留意してほしいことだったのだ。
自分は、元から頭脳明晰と言うわけではない。本当は、小心者だったのだと。
「…ただ、前からそんな気はしてたよ。全国大会の後から、アッサムはもしかしたら本当はそうなんじゃないかって」
あの雨の日の夜のこと、アッサムが感情を吐き出した日のこと。確かにあの時は、アッサムは建前も何もかなぐり捨てて、小心者である自分の不甲斐なさに打ちひしがれて素直に泣いた。それで水上には、自分の心は人並みの強さしかないと察することができたらしいが、アッサムはそれ以上に臆病者だ。
「だからこそ、さっきも言ったように、あまり自分で抱え込まないでほしいよ」
そう言って、水上はアッサムの頭に手を優しく置いた。その目は、慈しんでいるようにも案じているようにも見える。
アッサムははにかみ、しばらくの間水上が髪を撫でてくれるのを受け入れた。
○ ○ ○ ○ ●
どれだけ楽しい日であっても、時間は無慈悲に過ぎてしまう。
展望台を降り、それから少しの間買い物を楽しんだ後には、陽も傾き始めていた。
「随分、難しい参考書を買ったわね」
モールを出たところで、アッサムが話しかける。水上の手にあるマイバッグには、ここを出る前に寄った本屋で買った参考書が入っているのだが、それらはアッサムからしても難解なものらしい。
「まぁ…今のままじゃいけないと思ってさ」
運河に架かる橋を戻りながら、水上は話す。来た時と違い、ビルには夕日が映え、本来銀色の近代的なビルは今やノスタルジックな雰囲気がする。そんなビルを撮影するカメラマンや、一枚の絵に遺そうとする人も多い。
「確かにアッサムが、昔は臆病だったって言ってたけど、今のアッサムがすごく頭が良くて、戦車道の選手としても成長盛りなのは変わらないだろ?」
「まぁ、そうと言えばそう…なのかしらね」
成長盛りという表現が、果たして正しいのかどうかは分からない。しかし、水上は続ける。
「で、俺は当然そんなアッサムをこれから先支えていきたいと思ってる。人生をかけてでも」
「…ええ」
「だけど、今のペースで成長するだけで、果たしてそれが実現できるのかって思った」
お互いに将来を約束し合い、水上も自分の夢を新たに見つけ、それに向かって努力は怠っていない。しかし、夢を叶えるために必要な当り前のことをこなすだけで、自分がアッサムの隣に立ち、さらに支えるのに相応しいかどうかと考えると否だ。
知識はつけておくに越したことはないし、人間として成長するために、今のままではなくそれ以上の強さを身につけるべきだ。
「それに、アッサムの親御さんが今の俺を認めてくれるかどうかも分からないし」
忘れてはならないが、アッサムの実家は相当な資産家だと水上は推察している。そんな家の娘と付き合うとなれば、当然自分の教養や振る舞いも見られるだろうから、油断ができなかった。家柄はどうにもならないにせよ、自分だけなら変えることはできる。
「まぁ、当然挨拶に来ることになるのでしょうけれど、いつにする?」
「あまり後回しにはできないな。でも、もう少し待ってほしい。今はまだ、俺がアッサムに相応しいって、自信をもって言うことはできないからさ」
お互いに将来、結婚するという約束はしたし、それを反故にするつもりはない。
その過程で、互いの両親と話すことは避けては通れない道だ。しかし、今の中途半端なままもの自分が行っても信用を得るのは難しいだろう。だから、水上は自分に自信を持てるまで挨拶にはいかないと決めていた。
「アッサムには不安を掛けて悪いと思う。でも、この先アッサムのことは幸せにしたい。だから、今は頑張るしかないんだ」
水上が言うと、アッサムは言葉で答える代わりに、水上の手を握ってくれた。
「私は、あなたのことを待ち続けるわ」
「…ありがとう」
「でも、あまり待たせすぎるのはやめてね」
「ああ」
もちろん、いつまでも待たせて寂しい思いをさせたりなどはしない。アッサムの手を、水上は強く握り返した。
成果が形として現れるまでにはそれなりの時間がかかる。だが、それまで水上は、決してアッサムに対する自分の気持ちを褪せさせはしないし、これから先の長い時間を幸せに過ごせるように、努力を怠らない。
その時、遠くの方で鐘が鳴り響いた。アッサムとその音がした方に目を向けると、教会が見えた。ブライダル会場に建てられているそれは、教会というほど形式ばったたものではない、雰囲気作りを第一としていたものだ。
その音を聞き、ブライダル会場を見てから、水上とアッサムは顔を見合わせる。
そしてどちらからともなく、2人は笑った。