案の定号泣しました。
さよ朝二次増えないかなぁ。
マキアは閉じた目の先に光を感じ、まぶたを開いた。
すると、目に煌めく陽の光が飛び込んでくる。眩しいと手を顔の前にかざしたのと同時に、足元が濡れていることに気づいた。
「ひゃ、冷たっ!」
マキアが驚いて足をばたつかせると、パシャパシャと水が音を立てる。足首が浸かるくらいの深さの水場にいるようだ。
視線を変えて手元を見ると、真っ白な布が何枚も入った籠を抱えている。
「あれ…?」
幸いと言っていいのか、マキアは自分が何処にいるのかすぐに分かった。ここは里の水場で、子供たちが大人の織った布を洗うための場所である。
自分はレナトに寄りかかって眠っていたのではなかったのか。いつの間にこんな所まできたのか。
マキアは若干混乱していた。
手に持った布は洗う前のものであり、これから洗濯しなければならない。
しかしそもそも布を洗うという仕事自体が機織りを任せられない子供のイオルフにやらせることで、里の長であるマキアがやることはない。
それでも子供たちに教えるときは洗濯を大人がやることもあったので、それをやっているのかとマキアは思った。
しかしそれはすぐに思い違いだということが分かった。
タッタッタッタッ
リズム良く駆け足の音がマキアの頭上で響いた。高台の道を走る人物は、イオルフ特有の金色の髪をたなびかせて、更にスピードに乗っていく。そしてそのまま高台から飛び降りた。
少ししてバッシャーンと大きな音を立てて水柱が立った。
その音にマキアは呆然とする。
高台から湖に飛び込む。こんなことをするのは1人しかいないということはマキアには分かっていた。
だが、分かっているからこそ、あり得ないはずだった。
なぜならその人物は、既にこの世にはいないからだ。
長老であったラシーヌのように消息不明だった訳ではない。彼女はあの日、確かに自分の寝ている横で、静かに冷たくなっていた。
なのに。
「マキアもおいでよ!飛んでおいで!」
突然のことに、何が何だか分からなかった。
「できないの?弱虫ぃ。」
高台から下を覗き込んだそこには、水中から浮かび上がってこちらに笑いかけてくる、レイリアの姿があった。
「なん、で……」
「えー?聞こえないよー?」
マキアは亡くなったレイリアの葬儀を行った。冷たくなったその体に触れて確かめもした。いつも明るかった彼女には似合わないと、目の奥から溢れ出して来ようとする熱いものを必死に抑え込んで送り出した。
いつも鬱陶しいほどくっついてきた。
でもそのお陰で孤独を感じなくなったと気づいたのはいつだったか。
言葉にこそ出さなかったが、ずっと感謝していた。
「あはは、見て?びしょびしょになっちゃった。マキア、本当にこない?」
マキアの心情も知らず、レイリアは挑発するように声をかけてくる。
そこで、マキアにはようやく理解が及んだように思えた。
ああ、これは夢だ。
幼い頃の、自らの夢。走馬灯なのかもしれない。
けれど、そんなことはどうだって良かった。
重要なのは、レイリアがいること。
「うあああぁぁぁぁぁぁ!!!レイリアぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
洗い終わった布が水浸しになるのも構わず、手に持ったものを全て放り投げてマキアは駆け出す。
そしてそのままレイリアのように、高台から湖に向かって飛び込んだ。
大きな音を立てて再び水柱が立つ。
水中にいたのは一瞬のことで、マキアはすぐに浮上してレイリアに抱きついた。
いなくなってしまったときには堪えられた涙も、今このときに抑えるのはマキアには出来なかった。
「おお…まさか本当に飛び込んで来られるとは。」
「レイリアぁ!」
「うわっと。マキア、どうしたの?って、ほんとにどうしたの⁈泣いてるじゃない!どこか打ったの⁈」
「な〝い〝でな〝い〝も〝ん〝」
「いや、どう見ても号泣してるでしょ…。あー、よしよし、怖かったねー。」
大泣きしながら抱きついて離れないマキアに、そんなに飛び込むのが怖かったのかと勘違いしたレイリアはマキアの頭を優しく撫でる。
ここが思い出の中でも、夢の中でも、いっそあの世でもマキアは構わなかった。
ろくにお礼も言うことができずに逝ってしまったレイリア。
その彼女がここにいる、それだけが重要だった。
「うわぁぁぁぁ、ありがと、ありがとう……」
「な、何よ急に…ど、どういたしまして?」
「レイリアのばかぁ!急に私の前からいなくなってぇ…寂しかった!またひとりぼっちになったと思った!お礼も言えないまま勝手に逝って…!そんなこと許すと思ってるの⁈なんでみんな、私を置いていくの!!!」
「え、な、何の話?」
「黙って聞いて!!!」
「あ、はい。」
マキアの見たこともない剣幕に、レイリアは気圧されてしまい口をつぐんだ。
それからしばらくマキアが捲し立て、レイリアが話に割り込むことすらできずにおとなしく聞いているという、とても珍しい図が出来上がっていた。
少しして、マキアの頭上から声がかかった。
「おーい、遊んでると終わらないぞー。マキアも、そんなじゃじゃ馬に付き合わなくてもいいんだぞ!」
その声にマキアは再びハッとなる。
それはクリムだった。
クリムも、今はこの世にはいない。
メザーテで起きた戦争。その最後に、レナトのいる場所で亡くなっていたのを確かにマキアは見た。
自分の手で、見開いたままの瞳を閉じてあげた。
マキアはクリムのほうをゆっくりと振り返る。
確かにクリムがいた。
人間達に人生を狂わされた、あの狂気の表情ではない。
いつしかの、優しいままのクリムだった。
「ほら、上がってきなよ。それで、仕事の続きだ。さっさとやらないと終わらなーーーーーーー」
「クリムぅぅぅぅぅぅ!!!!!!」
「な、なんだぁ⁈」
その後クリムも物凄い勢いで追いかけてくるマキアから逃れることはできず、レイリアと同じように延々と泣きつかれることになった。
「泣き虫なんだから、マキアは。」
「ご、ごめん…でも、嬉しくて。」
「何かあったのか?僕たちは幼馴染だろう。何でも言ってみてくれないか?」
「もう大丈夫。ありがと、心配してくれて。」
「そう?でも、今日は飛び込めたわね。まさか弱虫マキアが、挑発したとはいえあそこから飛び込めるとはねぇ〜。」
「そのせいでいつも以上に急がなきゃ仕事が終わらなかったんだぞ、このお転婆め…今日の分もギリギリだったんだし、次は控えてくれよ。」
マキアは夢見心地だった。死んだ友人達と再会して、こうして仲良くお喋りしているのだ。クリムはおかしくなってない頃の性格だし、レイリアも戦争後のマキアに依存した性格ではなくなっていた。
いつものようにくっついて来ないのは、少し寂しく感じたが。
「あ、母さん!ただいまー!」
そのとき、レイリアが母親を見つけたようで、布の入った籠を放り投げて駆け寄っていく。クリムも両親を見つけたようで、ゆっくりと、だが嬉しそうに近寄っていった。
「さよならー、マキア!」
「うん、さよなら。」
レイリア達が自らの家に帰っていく。マキアも別れの挨拶を返した。
(そういえば、あのときの私は家族と一緒にいるレイリア達をみて、私はひとりぼっちだ、なんて思ったんだっけ。)
マキアには両親がいない。長老であるラシーヌが面倒を見てくれていたが、それでも寂しさを完全に埋めることはできなかった。
「長老様、ヒビオルの塔にいるかな…?」
亡くなったみんながいるのだ。ラシーヌがいてもおかしくない。
そう考えたマキアは、ヒビオルの塔に向かっていった。
何かを忘れている、という漠然とした不安を抱えながら。
夕日が差し込むヒビオルの塔。
その中心の大きな機織り機に、ラシーヌは座っていた。
まるで、幼かったあの頃のような風景。
マキアは、今日何度目かも分からない涙を流した。
「マキア…?」
ヒビオルの陰に隠れて泣いていると、ラシーヌが気づいてマキアのほうに来る。
「どうして泣いているんだい?」
いつの日か、聞いたような問いかけ。いつだったかは思い出せない。気の遠くなるような時の流れの中で、少しずつ磨耗してしまった。でも、話したことも、その内容も覚えている。
「どうしてだと、思います?」
「え?」
「ふふ、あははは!長老様もそんな顔するんですね。」
質問を返されたラシーヌはきょとんとした顔をする。
見たことがないラシーヌの表情に、マキアは思わず笑いを溢してしまった。
「なんだ、からかったのか?」
「そうじゃないです。ただ、嬉しくて。」
「嬉しい?」
「はい。長老様に教えられたことは、長い時間が経っても、私の中にちゃんと刻まれてるんだなって。それが、嬉しくて…」
そこまで言って、また涙が溢れてきた。目に溜まって堪えられなくなった雫が、目尻から流れていく。
「相変わらず泣き虫だな、お前は。」
「そんなことないですよ…」
「現に、泣いているじゃないか。」
ラシーヌは苦笑して、マキアの目に浮かんだ涙の雫を指で拭う。
されるがままになっていたマキアだったが、ラシーヌが放った次の一言で、動きを止めることとなる。
「それに、こんな短い時間で教えたことを忘れてもらっても困るよ。長い時間なんて、お前はまだ15だろう。少なくとも、あと300年は生きてくれ。」
「えっ…?」
マキアは、ラシーヌが何を言っているのか分からなかった。
15。
それは、マキアがまだ15歳だということだろうか。
それが本当だとしたら、マキアが今まで生きた400年は一体ーーーーーーーー
「さて、もう家に帰ろう。じきに暗くなる。」
ラシーヌがマキアの手を引いて家への帰路を歩き始めても、マキアの頭の中は混乱したままだった。
そこから先はよく覚えていない。
いつのまにか夕飯が終わっていて、寝る時間になっていた。ラシーヌと何を会話したかも、なんと受け答えしたのかも覚えていない。
「さあ、おやすみ、マキア。様子が変だったのも、疲れているのだろう。今日の分のヒビオルを忘れずに織ってから、ゆっくり休みなさい。」
「はい、おやすみなさい…」
自室に戻ったマキアは、ようやく意識をはっきりさせた。
15。15歳。なら、あの400年は何だったのか。
これが夢なのか、それともこの思い出が幻想なのか。マキアは分からなくなりそうだった。
だが。
(でも、エリアルと過ごしたあの日々が、嘘だったなんて、そんなのあるはずがない。)
それはほとんど願望に近かった。
本当であってほしい、今見ているこの光景こそが夢なのだと。
少し冷静になると同時に、もう一つ、分からないことがあった。
それは、今見ている景色、もしくはエリアルとの日々のどちらかが現実ではなかったとして。
どちらも、現実味がありすぎる、ということだ。
「この景色も、昼にレイリアに抱きついたときの感触も。エリアルが私の指を握ってくれたときの感覚も、レナトに乗ってイオルフの里に帰るときに見た空の色も。全部、嘘だなんて思えない。」
これも全部嘘なのか。それともーーーーーーーー
そこまで考えたところで、窓から見える景色に、1人の人物が映った。
(クリム…どこにいくの?)
クリムが橋を渡っていくところだった。マキアにはどうしてもそれが気になり、追いかけてみることにした。
(ああ、そういえば、あの頃の私はクリムが好きだったんだっけ。)
そう、この先で見る光景で失恋することになった。
(この先の花畑では、クリムとレイリアがいて、クリムがレイリアの髪に花を差して。)
目の前でその光景が広がっている。レイリアはクリムに貰った花を手で優しく触り、そして嬉しそうにくるくると回っている。
(もしかして、未来予知なのかな、私が見た400年は…。それなら、あり得ないほどの現実感にも納得がいく。)
これからそうなるという未来予知だったのか。そう思い始めたマキアだった。
(それでこの後どうなるんだっけ?私が涙をこぼして、花が満開になって、それでーーーーーーーー!!!)
そして、遠くに見える大きな影に、一気に現実に引き戻された。
「あれはーーーー!」
「え、マキア?!なんでここに…」
「レイリア、クリム、里の人に逃げるように言って!!!メザーテが攻めてきた、あれはレナトよ!」
「!!!じゃあマキアは、」
「私は長老様に伝えてくる!急いで!!!」
「あ、ああ!」
3人は同時に走り出す。
マキアは思い出した。あの日々の内容そのままなら、今日は、メザーテが里を襲撃する日だ。
(私のバカ、バカ、バカ!!なんで思い出せなかったの!)
マキアは走りながら自分を責める。最初からそのことを思い出していれば、いくらでも止めるチャンスはあった筈だ。
出会った人にはすぐに逃げ出すように言って回った。
そして、ラシーヌを見つけるために様々な場所を探す。あの日々のことを思い出し、あの日見なかった場所を重点的に探したが、ラシーヌはどこにも見つからなかった。
一縷の望みをかけてヒビオルの塔に来たが、やはりというか、ラシーヌはいなかった。
「やっぱりいないか…じゃあ、別の場所を」
そのときだった。
ヒビオルの塔が、ヒビオルを守ろうとするイオルフ達の手によって閉じられていく。
「待って、ここにいてはーーーーー!!」
マキアが急いで塔から出ようとするも、無情にも閂がかけられ、塔は完全に封鎖されてしまった。
「開けて!出して!どうして?この先で何が起こるか知っているというのに、私はまた何もできないの…?」
マキアの悲痛な叫びが、塔の中に虚しく響いた。
奇しくも、あの日と同じように、マキアはまた塔に閉じ込められた。
もうここにいて出来ることはない。あとは、ここに赤目病にかかったレナトが突っ込んで来て、塔を破壊するまでは出ることすらできない。
そしてそこで、マキアはこの日にはまだ続きがあるということを思い出した。
「…エリアル」
塔に突っ込んで来たレナトに巻き込まれ、強制的にとはいえ、メザーテ軍にとらわれることを回避できたこと。
帰る場所も友人も家族同然の人も全て失い、ひとりぼっちになったこと。
そして、全てに絶望して自殺しようとしたところで、赤子の声がマキアを引き止めたこと。
「…あのままだと、エリアルは死ぬ。」
それだけは、耐えられない。
「エリアルが元気に生きて、そして穏やかに死ねるなら私は側にいなくてもいい。でも、エリアルがひとりぼっちで寂しくヒビオルを途切れさせる。そんなこと、そんなこと、耐えられない。」
たとえあの日々が虚像だったとしても。エリアルを愛したことは、変わらない事実だった。
「エリアルは、私が守る。」
夢だとか、走馬灯だとか、死後の世界だとか、全てどうでもよかった。
全てを投げ捨てても、エリアルだけは守る。
それが、母親であるマキアの役目だ。
そして、予定通り、赤目病にかかったレナトが塔を壊して侵入してくる。
マキアは冷静にレナトを見極め、その体に巻きついたヒビオルを捕まえて抱きしめた。
やがてレナトが塔を飛び出して空に出る。
後ろには、あの日と同じ、燃え上がる里が見えた。それを見て、胸の内が締め付けられる。でも、止まるわけにはいかない。
このヒビオルを離して里に行けばエリアルは確実に死ぬ。
マキアは心を鬼にして里から目を背けた。
しばらくして、レナトが力を失い落下し始める。そして、木々を折りながら緩やかに減速し、だいぶ速度が遅くなったところで、レナトの全身が高温になり、アルコール濃度の高い体液が燃え始めた。
マキアの捕まっていたヒビオルにも燃え移り、そして千切れた。
記憶にあるのと同じように、長いヒビオルが木に引っかかって、その上にマキアは絡まった。
そうなるや否や、マキアは迅速に木の上から降り、森を抜けて崖に出た。
そして耳をすませる。
………
オギャア、オギャア…
確かに聞こえた赤子の声を頼りに、その方向に向かって突き進む。
進んだ先には、あの日と同じ、テント群があった。
その中の一つのテントに向かってマキアは突っ込んでいく。
「ーーーながら酒を呑むってのも、なかなか乙なもの、って、うおわぁ!!」
ガバッとテントを開けて入ってきたマキアに、酒を飲んでいたバロウは驚く。
バロウとはここが初対面だが、マキアにはそんな会話をする余裕はなかった。
「お前さん、長老のとこのマキアか?まったく、布を買い付けに来たら騒動に巻き込まれちまったよ。」
「いた!!」
「かーちゃんってのは強いよなぁ。こんなになってまで、子供を守ろうって…」
「ちょっと黙ってて!!」
「あ、はい」
マキアはもう息のない女性が抱えているそれを見て、ホッと安堵の息を漏らす。
そして、赤子を守ってくれたことを女性に感謝して、その固まった指を一つ一つ折って赤子を抱き上げた。
「おいおい、連れて行く気か?オモチャじゃ」
「オモチャじゃありません。」
マキアは、意識せず、あの日と同じ言葉を使った。
「この子は、私のヒビオルです…」
そして大事そうにその子を抱きしめ、
「また会えたね。おかえり、エリアル…」
まだ決まっていなかったはずの名を呼んだ。