ゆっくりやっていきます
episode1《魔術師》菊地真
2004年 1月28日 17:00
―――そこは、なによりも清潔な場所
―――そこは、なによりも綺麗な空間
―――そこは、人が安らかに眠る寝室
―――――例えるなら、そこは棺桶だった
純白の壁に、慎ましく掛かけられた一枚絵
その穏やかな風景画は、汚れ一つない空間と相まって、“彼女”の持つ雰囲気とよく似通っている。最後に来た二ヶ月前には無かった筈だから、多分看護師さんが気を利かせたのだろう。
それ以外にも、花束とかお見舞い品とか、探せばわかるような違いはあるのだろう。最後に来たときの光景を当てはめれば、ちょっとした間違い探しだ。
変わらないのは、目の前に横たわる少女だけ。
「久しぶりだね、雪歩。
会いに来れなくて、ごめん」
少女の柔肌に触れる。それだけで、近づきつつある『死』を感じ取れるようになってしまった。
受け入れろ―――これが現実だ
それを確認するために、ここに来たんだから
そう、ここは病院。大半の人間が「終わり」を迎える場所。この世とあの世の橋渡し。悲しみも無念も、最期はここに集まってくる。
僕はあまり病気をしないし、これまで誰かを看取ったこともない。それでも“何か”を感じてしまうのは、生まれつき、僕がそういう『生き物』だからだろう。
程よい静寂の中に、必ず混ざる死の匂い。何百何千という命を見送ってきた
これなら確かに、夜に何が出てきてもおかしくないと思える。この期に及んで自分が幽霊や人外を恐れるなんて、笑える話ではあるのだが。
「ちょっと、痩せたね」
元から華奢な娘だったが、まともに栄養も取れないとなれば仕方がない。純白の清肌には殆ど血の気が無く、思わず目を逸らしたくなってしまう。
医師の宣告によれば、彼女の余命は後四ヶ月
親友ならそんなものを信用せず、彼女が回復するのを祈るべきなんだろう。
それでも、僕は冷淡に確信する。
雪歩の命は、そんなに長くは
信じる信じないではない。現実に感情など挟まず、ただの情報として処理しなければ、果たすべき目的を見失ってしまう。
だから僕は受け入れた。受け入れてさえしまえば、やるべき事は決まっているのだから。
そんなこと、始めからわかっていた。
わかっていたからこそ、僕は仲間達の元から立ち去るしかなかった。765プロという家に別れを告げて、捨てた筈の世界に戻ったのだ。
――――――――――――――――――――――
萩原雪歩が交通事故に遭ったのは三ヶ月前、たまの休みに買い物に行った帰りのことだった。
急病で突如意識を失った運転手を乗せたトラックは、アクセルを踏んだまま赤信号を突っ切り、僕の後ろを歩いていた雪歩を跳ね飛ばした。
それで止まるどころか、トラックは横断歩道上で急カーブして歩行者を後ろから轢き続け、右折車に斜めからぶつかっても減速せず、最後は交差点先の歩道に突っ込んで漸く停止した。
トラックの運転手を含め5人が死亡、18人の重軽傷者が出る、空前の大事故だった。
僕が覚えているのは、宙を舞い、歩道上に叩きつけられる彼女だけ。撥ねられる瞬間彼女が何を思ったのか、今となっては知ることができない。
馬鹿な、それどころじゃないだろう
僕はあの時、雪歩に助けられたんだ。彼女が僕を突き飛ばさなければ、負傷者か死者の中に、きっと僕も入っていた。
僕が後ろを歩いてさえいれば、僕が早く気付いていれば、例え身代わりになってでも、僕が雪歩を守らなきゃいけなかったのに
これを言えば、きっと彼女は怒るだろう。僕が代わりになれば、悲しむのが雪歩に代わるだけ。どちらも無事ならどんなによかっただろう。
病院に担ぎ込まれた時点で、既に彼女は植物状態だったらしい。奇跡的に外傷が少なかった代わりに、ダメージが頭のほうに行ってしまったとのことだった。
その後現在に至るまで、雪歩の容体は回復していない。脳という非常にデリケートな部分に下手には手が出せず、現状維持が精一杯というのが医師の判断だった。昏睡からの回復という事例は一昔前に他の病院であったらしいが、その時は覚醒までなんと二年間もかかったという。そしてそれ以降、同様の事例は報告されていない。つまり、自然回復は絶望的ということだった。
ここまでの事実は、医師が話したことを雪歩の家族がプロデューサーに伝え、了解をとったうえで僕達に話したものだ。
この話だけなら、例え時間がかかっても彼女は奇跡的に目を覚ますという微かな希望があった。
しかし、僕だけが偶然聞いてしまった雪歩のお父さんとプロデューサーの会話は、恐らく他の皆には伝わってない。もしかしたら、その日まで伏せられてしまうかもしれない。
彼女が、死ぬ日まで―――――――
「あと…半年――――?」
そう呟いたときのプロデューサーの顔は、今でもはっきりと覚えている。絶望を真正面から受けた彼の表情は、驚愕を含んだ恐怖に染められていた。
きっと僕も、同じ顔をしてたのだろう。
雪歩の余命を宣告された彼女のお父さんがプロデューサーと出会ったのは、偶然だろう。そこが曲がり角に近い廊下だったのも、偶然でしかない。雪歩の状況を涙声ながらでも話したのは、彼女のお父さんがプロデューサーを信頼していた証だ。
では、僕が曲がり角の死角にいたのは、果たして偶然だろうか?
それとも、何かの運命だったのだろうか?
雪歩が植物状態になって一ヶ月、既に大脳の機能はほぼ停止し、測定される脳波も徐々に弱まっているという。その他の診断結果も芳しくはなく、このままでは脳幹の機能も失われ、二度と回復しない「脳死」となる可能性が極めて高い。それが医師の判断だった。
その後のことは聞いてないし、自分の部屋に戻るまでのことすら覚えていない。あの時、僕の世界は現実感というものを失っていた。
いっそあの会話が夢か幻だったらどんなによかっただろう。しかし、全体的に
いつの間に寝ていたのか、気付けば朝だった。
その日は昨日と打ってかわって、思考がやけにクリアだった。不気味なほど冷静な頭は、雪歩の置かれた現状と、いずれ訪れる彼女の死を、当たり前のように受け入れていた。
そして雪歩の命を救うために、僕が何をすべきかを考えた。
もし、今の医学で彼女を助けることができないとすれば、彼女を救うには当然別の何か、即ち常人の理解を超えた力が必要だ。
「そうか、ボクなら雪歩を助けられるんだ」
このままでは雪歩は死んでしまう。もって半年ということは、実際はもっと短い可能性が高い。五ヶ月後か、四ヶ月後か、三ヶ月後か――――
どちらにしろ、今それを考えることに意味は無い。彼女を助けたいのなら、余計なことに囚われているゆとりは無い。僕が悲嘆に暮れるだけ、彼女の時間は失われていくのだ。
今考えるべきはただ一つ
僕に宿った神秘の
「魔術」という力の、使い方――――――
――――――――――――――――――――――
いつ頃魔術を知ったのか、正直覚えていない。子どもの頃の記憶なんて曖昧なものだから。物心ついたときには既に、知識として植え付けられてたような気がする。
父が掌からポンと火を出すのを見て、手品みたいだと思った。お前にもできるよ、と言われたときは幼心に驚いたものだ。
小学校に入る頃からだろうか、生活の中に魔術が密接に関わるようになっていった。
その時初めて、これまで超能力か何かだと思っていたものは『魔術』という歴とした学問だということを教えられた。
学問である以上、僕は魔術について学ばなくてはならない。小学校の勉強と並行して、僕は少しずつ魔術を習得していった。
まず最初に学んだのは『魔術は秘匿するもの』という鉄の掟だった。
秘匿するとはつまり、魔術という力を世に広めないということだ。理由はたった一つ、正体のばれた神秘は使えなくなるからだ。
父は「神秘は神秘であることに意味がある。魔術も同じさ」と言っていた。
原理も何も知らないまま、僕はその魔術師の鉄則とやらを徹底的に叩き込まれた。さもなくば、恐い人達がお前を殺しに来るぞ、と。
6歳の幼子にはそれで十分だったろう。理屈も善悪もわからぬ子どもを躾たければ、恐怖を煽るのが一番だからだ。
だがそれさえ守っていれば、父は優しい教育者だった。回路を開くときにちょっと無茶してこっぴどく叱られたが、それ以外鍛練が厳しいなんて思ったことはない。
親が野球経験者だから子どもに野球を教えた。感覚としてはそんなものだ。
普通に学校に行って、普通に勉強して、普通に遊ぶ。他の子どもと何ら変わらない生活の中で、魔術だけは特別だった。
8歳頃は、多分魔術を一番熱心に習っていた期間だろう。好奇心旺盛な年頃に、魔術という強大な神秘はドンピシャにはまり、父の管理の下で暇さえあれば習得に勤しんだ。
正直言って楽しかった。割れた硝子を直す程度のことだって、他の人間には決してできないことだったのだ。幼稚な優越感に浸ってもおかしくなかったし、それが危険だとも思ってなかった。
それが自己顕示欲に繋がらなかったのは、父の管理の賜物と言う他無い。家の外では魔術を使うどころか、魔術の「ま」の字を出すことも禁じられていた。普段は優しい父も、その時ばかりは鬼の形相で僕を睨み付けた。
魔術を学ぶのが楽しいと言うと、父は決まって苦い顔をした。
彼は口癖のように言っていた。「俺にとって、魔術は自分を律する手段でしかないよ」と。
転機が訪れたのは10歳の頃。祖父から、自分が『退魔』の家系だと告げられたのだ。
意外に思うかもしれないが、僕はその時まで、「祖父母」という存在に会ったことが無かった。
10歳の誕生日。父に連れられ、伊豆にある祖父の家を訪れた。そこで語られた我が菊地家のルーツは、魔術を知る僕でさえ驚くべきものだった。
『退魔』というのは、文字通り『魔』を退ける存在、或いは組織だ。といってもまずは『魔』が何なのかを知らなければ、とても話にならない。
『魔』というのは小難しく言うと『自然の法則に在りながら必要とされなかった存在』をいう。有り体に言えば化け物だ。
人間離れした強大な力を持ち、時に人間に災厄をもたらしてきた異形の輩。聞いたことがあるだろう、『妖怪』特に『鬼』と呼ばれる存在を。
『鬼ヶ島』や『一寸法師』に代表される御伽草子、『酒呑童子』のような伝説、果ては諺や慣用句に至るまで『鬼』に纏わる話はごまんとある。
祖父によれば、それは『鬼』が実在していたことの証明らしい。彼等は『鬼種』と呼ばれ、日本の歴史上に於いて確かに存在していたのだ。
彼等は伝説通り角を生やし、逸話通り方々を荒らし回って人々から恐れられた。時の政権はそれらに対し武士のような強者を用いたが、自発的に魔と敵対した者もいた。それが退魔だ。
魔は確かに怪物だが、元は自然の産物であり、その点では人間と変わらない。だからこそ人には彼等が邪に映るのだという。退魔とはその歪みを嫌い、正すために生まれた必然の存在だった。
菊地家もその一つだった。
退魔組織の一員として千年以上の歴史を持ち、数多の魔を葬ってきた血筋。その過程で鬼種による呪いを受け、力を失った一族。
それが僕のご先祖だ。数百年の隆盛と、その後数百年の衰退の事実。その果てに残ったものが、衰退の過程で偶然発現した魔術回路と、表の世界における資産家の地位という現実。
全ては祖父の口から語られた。
現存する魔である『混血』についての知識を父が話し、滞在は二時間ほどで終わったと思う。10歳になったらこの話をするのは、僕が生まれたときから決まっていたらしい。
最後に祖父は僕に言った。
たった一言「母親に良く似ているな」と
祖父の家に行ったのは、その一回だけだ。だが何かが変わったと言えば、間違いなくこの時からなんだろう。
変わったのは僕ではなく、父だった。
様々なことがあった。父が僕を男子のように育て始めたのはこの頃からだ。
父の勧めで習い初めた空手、突如組み込まれた『強化』の鍛練、そして魔術刻印の移植。
何が一番嫌だったか。苦痛だけなら刻印の移植が一番だったろう。だが最も辛かったのは、父親のその態度だった。
いっそ激変してくれた方が良かったかもしれない。僕に辛く当たり、厳しく指導された方がまだ理解できる。だが日常生活における父は、今までのとおりだった。
殴られたことなんて一度もない。変化を押し付けられているとわかっていても、それを理不尽だとは思えなくて、ただただ辛かった。
魔術刻印の継承は、新しい臓器を移植するに等しいと言われる。刻印を受け入れるために体そのものが作り替えられていく過程で、肉体が内側から焼け爛れるような苦痛が僕を襲い続けた。
痛い痛いと叫ぶ娘に対しても、父は容赦しなかった。酸を体中にぶちまけられるような感覚を、僕は生涯忘れないだろう。
それは段階的に、五年間に渡り続けられた。
今でもたまに、体調が悪くなることがある。刻印の拒否反応を抑えるための薬は、今の僕に欠かせないものだ。
時を同じくして、父は魔術という世界がどのような論理で成り立っているかを語りだした。それは、この世界における『探求者』がどういう存在かという話だった。
魔術師が何代何百年かけて追い求める『根源』という存在。目的の為ならば、その過程で関係ない人が犠牲になろうと構わないという考え方。
一人の魔術師によって何十もの人が犠牲になっても、魔術が隠匿されるならば一切問題にされないというシステム。そして何より、それが何千年にも渡り存在してるという厳然たる事実。
父が侮蔑するように語った知識の羅列。それだけでも、僕を失望させるには十分すぎた。
憧れていた世界だったからこそ、彼等が過去現在何をしてきたかというのを知って、僕がその同類であるという事実に気が狂いそうだった。
そして、当時15歳になっていた僕は刻印移植の苦痛と相まって、魔術を習う気を一気に無くしていった。この世界に身を置く自分を、これ以上許すことができなかった。
そんな僕に対して、父は何も言わなかった。中学卒業と同時に家を出ると決めても、彼は全く反対しなかったのだ。
まるで、その時を待っていたかのように
家を出る前夜、僕は自室で荷造りをしていたのだが、こんこんとドアが叩かれた。
「―――真、ちょっといいか」
「いいけど……どうしたの?」
ドア越しに告げると、父がいつになく神妙な顔で入ってきた。その手には、見慣れた透明の瓶が握られている。
「薬、そろそろ切らすだろ?」
「あ……うん、ありがと。
―――あれ? なんか多くない?」
手渡された瓶には、丸薬が30個程入っていた。
「ああ、多分長い別れになるだろうし、だったら余分に持たせなきゃならんだろ?
本当は作り方も教えとくべきだったんだが……まぁ仕方ないさ」
僕の魔術刻印は、だいたい二ヶ月に一回の割合で疼き出すので、その度一錠ずつ。つまり、この瓶には5年ぶんの薬が入っているわけだ。
「無くなりそうだったら、その前に連絡しろよ? 作るのにも手間がかかるからな」
「無くなるって……その前に一回くらいは帰ってくると思うよ? 流石に
というか、長い別れなんて大げさだよ。電車一二本で帰れるってのにさ」
「そうか? お前次第で一生の別れになるかもしれないぞ? 一人で生きるぶんには何の心配もしてないから、俺はそれでも構わないが」
そんなことを、父は平気な顔で言う。
普通の家庭なら憚れるような発言でも、我が家では意味合いが違う。魔力を制御できて、表社会で生きる心構えが備わったのならもう一人前で、あとの選択権は僕にある。「お前次第」とは、つまりそういうことだ。
それがわかっているから、僕は何も言い返さなかった。だってそんなこと、今考えてもしょうがないだろう?
それからしばらく、父との間に沈黙が流れた。時間にして5分くらい、僕は黙々と作業している。その間、父は黙って荷造りを手伝ってくれていたのだが、唐突に―――
「これから、どうするんだ?」
なんて聞いてきた
「どうするって……」
その言葉には、きっと様々な意味が込められていたんだろう。それでも父が一番聞きたがっているのは、僕が“何をしたいのか”って事だ。
―――正直、わからない。
元々僕の中では、この家を出たいというのが第一の目的だったので、そこから先のことはあまり考えていなかった。
「……まぁそうだよな。これまでしたい事もさせてやらなかったのに、今さらだよな」
僕の様子を見て、父はばつが悪そうに、頭をカリカリとかいた。
「いや、そういうことじゃなくて……」
違うよ父さん、そうじゃないんだ。
別に父さんに抑圧されたせいとか、それで反発したとかじゃない。本当に、ただ単純に魔術から離れたかっただけだ。
行き先を東京にしたのも、単に「表の世界」を最も体現している場所だと思ったから。父から離れたいんじゃなくて、この家から離れたいだけ。実質的には同じことでも、この二つはまったく違うものだ―――少なくとも僕の中では
だから、今後のことはノープランだ。父の質問に答えられなかったのは、それが唐突過ぎて面食らったからに過ぎない。
もちろん、高校生として普通に暮らすこともできるだろう。今時地方出の一人暮らしなんて珍しくもないし、大都会に馴染むだけでも、そこそこいい経験になるに違いない。
ただ、その普通に暮らすというやつが、どうにも自分には合わないらしい。
魔術に長く触れすぎたのか、それとも元々の在り方がそうなのか。刺激のない日常には、きっと僕は耐えられないと思うのだ。
――――だから伝えた
イメージは曖昧なまま、具体性はないけれど、それ故に自由で純粋な、夢物語じみた想いの丈を
いつか見つけられると、心から信じて―――
「よくわかんないけど、やりたいことはあるよ。
楽しくて、輝いてて、刺激に溢れてて―――普通じゃできないような、すごく“特別”なこと」
自分でもわかるような笑顔で、はっきりと言った。“僕には、やりたいことがあるんだ”と。
それを聞いた父の様子は、よく覚えている。
思い悩む僕を他所に、あの時の父はどこか嬉しげで、娘の将来が楽しみだと言わんばかりに、うんうんと頷いていた。
「あぁ―――お前ならできるさ。
なんせ、俺と母さんの娘だからな」
それがまるで、どこにでもいる普通の父親みたいだったから、今でも時々思い出すのだろう。
――――――――――――――――――――――
―――そして、僕はアイドルになった
アイドルというのは、ある意味魔術師と真逆の存在と言える。
隠れることが義務づけられた者達と、
人前で自分を晒け出さなければ、到底生きていくことができない者達
特別そういう存在に憧れたわけではないが、公園で踊る人たちや、一度興味本位でステージを見に行ったときに、ただ純粋に“楽しそうだな”って思ったのだ。
きっかけなんて、そんなものだろう
そうして高一の終わりごろ、僕はおっかなびっくり、765プロの門を叩くに至った。いわゆる大手(961とか)を受けなかったのは、そっちの方がやりがいがあるだろうっていう、熱に浮かされた冒険心からだったと思う。
例えそうだとしても、この選択に後悔なんてあるわけがない。
皆と出会えたこと、友人になれたこと、ライバルでいられたこと―――何より仲間でいられたことが、僕の人生で初めての幸福だったのだから。
あれから三年―――自分が魔術師の娘ということを忘れかけていた頃、その時はやってきた。
全てを押しのけてまで叶えたい願い―――
それは大切な人を失いかけて、初めて僕に突き付けられたのだ。
―――そうだ、他の何を差し置いても成し遂げるべき願い。「雪歩を助ける」という目的のためなら、僕はなんだってできるんだ。
死を
その為に何が必要かなんてわからないし、何ができるかもわからない
医学で無理なことでも、魔術ならあるいはなんて思っただけだ。僕が彼女を助けられる根拠なんてないし、僕だけでは絶対にできない。
だが関係ない―――どんな困難でも、その過程でどんなに自分が傷付こうとも、この願いのためになら、僕の全てを捧げることができる。
父にはわかっていたんだ。
僕が他人と深く関わるのなら、いつかはこういう時が来るってことが。大切な誰かのために、僕があの世界に戻ってくることが。
だからあの時、父はあんなことを言ったんだ
――――――――――――――――――――――
「仮にさ―――ボクがここに戻るとしたら、どんなときだと思う?」
「……帰りたくなったときじゃないのか?」
割りと真剣に発した一言に対して、父の返答は適当気味だった。
彼のこういう所が嫌いだ。真意がわかってる癖にとぼけようとするの、本当によくないと思う。
「そうじゃなくて……あぁもう!! 父さんだってわかってるだろ? ボクの言いたいことぐらい 」
「いやまぁわかるけどさ、そんなのお前次第としか言いようがないだろ」
やれやれと言うように手を広げて、父は呆れ声で返してくる。それでも僕が憮然な顔でいると、父はさらに続けた。
「だってそうだろ? 昨日も言ったが、真はもう一人前なんだ。ここを出るのは自由だし、気が変わって帰ってくるのも自由だ。けどそんなのはお前の気持ち次第なんだから、俺にはわからんよ」
「――――――――」
―――まぁ、答えなんてそんなものだろう。
質問自体は真剣だったが、はっとするような返答を期待していたわけじゃない。僕が
―――だから、これで終わりのつもりだった
父が、意味深な言葉を吐くまでは。
「ただ―――お前が自分じゃない、誰かのために魔術を使おうってなら、話は別かもな」
それは、唐突に放たれた。
「――――――――え?」
この人は、一体何を言ってるんだろう。
僕が、誰かのために魔術を使うだって? そんなの、今まで考えたこともなかった。
「そんなの……そんなの出来るわけないだろ。だって魔術は――――」
「あぁ―――魔術は
そうだ、その通りだ。それがこの世界の掟なんだと、少なくとも僕はそう教えられてきた。
神秘は秘匿されなければならない。魔術の力は決して外に広まってはいけないし、僕が行使者であることを知られてもいけない。まして他人に使うなど以ての外。そんなことをして、“始末”されるのは僕だけではない。
だから魔術は自分の為にしか使えないのだ。それ以外のことはできないし、許されない。
例え魔道を外れようとも、この世界の存在を知っている限り、掟に生涯縛られ続ける。それは、魔術を習う前から教え込まれてきた事実だ。
「―――だってのに、父さんはボクがそんなことすると本気で思ってるの?」
「今のお前なら……まぁ無理だろうな。
真はまだ、人間関係ってやつがわかってない。俺がそう教えたのもあるが、お前はそこら辺がドライすぎる。ある意味冷淡と言ってもいい」
「―――――――」
父の言うことは、多分正しい
人生の大半を魔術に費やしてきた僕は、表の世界に対して、常に一歩退いたような姿勢だった。自分を取り巻く摂理が一つではないことを知っていたから、無理に適応する必要もなかったのだ。
当然、学校のようなコミュニティに居場所を求めることもなかったので、人間関係は浅く広く。子どもらしく友達と遊ぶ事はあっても、親友みたいな存在にはとんと縁がなかった。
「別にそれは間違いじゃない。魔術師が表裏どちらにも適応するためには、そういう姿勢が多少なりとも必要だからな」
「だが、それは魔術師用に“造り上げた”性格とも言えるわけだ。つまるところ表の世界に入れ込まない為の精神機構だったわけだが、これからはそうもいかないだろ? となれば―――――」
「―――あっちに居場所を求めた結果、
父の言葉を引き継いで、僕は呟いた。
つまり父は、僕が表の世界で暮らすうちに、より人間らしい性格が出てくると言うのだ。より親密な人間関係を求めて、コミュニティに自分の居場所を作ろうとする。それが壊されそうになったら、掟を破ってでも守ろうとすると。
―――言ってることはわかるが、どうにも納得できない。というか、実感が湧かない。
これまで、ほぼ全ての人間関係が表面的だったのだ。そんな僕があちら側で過ごしたくらいで、そうそう変われるものだろうか?
他人に入れ込む人間の心理って奴を、欠片ほども理解できないというのに。
「―――釈然としない、って顔だな」
そんな僕を横目に、父は微かに笑っていた。
「今は無理でも、いずれわかるさ。お前は母さんに似て優しいからな。きっと、誰よりも人を大切にできるようになる」
「大切な人ができて、その人をどうしても守りたい、何に替えても助けなきゃいけないって感情が湧いてきたとしたら……その為に魔術を行使することを、きっとお前は躊躇わない。
帰ってくるとしたらその時だ。何故なら、多分そいつはお前の手に余ることだからだ」
「そんな日が来ないに越したことはないが……もし、お前が“今だ”と思う時が来たら―――――」
「その時は迷わず、こっちに帰ってこい」
父がそう締めくくるまで、僕は無言で聞き入っていた。
実感のない話で、言ってることの半分も理解できなかったと思う。それでも自分が優しい人間だと言われたのは、決して悪い気分ではなかった。
―――そして、人との深い関係に興味を抱いたのは、これが初めての経験だった。
――――――――――――――――――――――
―――以上が、父との別れ際での話だ。
あの時父が予言したことと、僕の家を出てからの三年間。答え合わせをするまでもない
初めて、失いたくないものを手に入れた。彼女達と出会って、初めて幸福というものを知った。
父の言ったとおりだ。
生まれて初めての、何より大切なものを守るために、僕は再び魔術を使おうとしている。
生涯背負うと決めた掟を、そんなもの知ったことかと掃き捨てるなんて、ここに来る前は思いもしなかったというのに。どうやら人は、三年もあれば変われるものらしい。
今の僕を見たら、父はどんな顔をするだろう? まぁ素っ気ない顔で表情なんて読めないだろうけど、心の中で歓迎くらいはしてくれるかな。
だって「帰ってこい」と言ってたし。
どっちにしろ、これは僕の手に余ることだ。
僕の力じゃ雪歩を助けられないのなら、やることは一つしかない。
――――帰ろう、懐かしきあの
僕と魔術とを繋げる、たった一つの場所に
――――――――――――――――――――――
「じゃあ雪歩、行ってくるね」
指先で、彼女の茶色がかった髪を撫でる。その指は髪を伝いやがて頬に動くが、雪歩の表情は変わらない。まさに眠り姫だ――――
挨拶は終わった。これが最後の寄り道、雪歩の顔を見るためだけにここに来るという、僕の最後の我が儘だ。
実際は、もう一つ理由があるのだが――――
「〈ランサー〉、入ってきて」
念話というのはやはり慣れないものだ。必要も無いのに、未だに声に出して呼んでしまう。
すると、今まで僕と雪歩の二人きりだった部屋に、一人の男が現れた。
185センチという長駆に、細身ながらも頑丈な肉体。全身に貼り付くような青銀のボディスーツが筋肉質な体を浮かび上がらせ、腹筋や厚い胸板が顕になる。
そして、無駄な肉の削ぎ落とされた端正な顔立ち。紅い瞳と、真上か後方に逆立つ蒼髪を以て、それは外国の美男子と言うより、誇り高き狼を思わせる。
長く伸びた部分の髪は後ろで一本に纏められ、銀色の装飾で留められている。彼の象徴とも言える朱い呪槍を肩に立てかけ、男は腕組みをして立っていた。
「―――もう、いいのか?」
「うん、挨拶は終わったよ。ランサーもこっち来てよ、彼女を見てほしいんだ」
彼は槍を霊体化させ、真っ直ぐに歩いてきた。
「この嬢ちゃんが?」
「そう、彼女を助けるためにボクは戦う。君にも顔ぐらいは知ってて欲しくてさ」
彼はは暫くの間、何かを見極めるように彼女を視続け―――やがて、その紅い瞳を僕に向けた。
「いいぜ―――お前の願い、確かに聞いた。
―――改めて誓おう。その願いが聖杯に届くまで、我が槍はマスターと共にあり、我が命運はマスターに託す。
受けとれ真、オレの命はお前のもんだ」
蒼き戦士はそう言って、英雄に相応しい確固たる
「うん―――ありがとう」
――――用は済んだ。
ここにいつまでもいたら、誰かが来るかもしれない。そうなってはこれまでの努力が水の泡だ。
来たときと逆、入ってきた窓から屋外に出る。要するに不法侵入をかましたわけだが、この際しょうがないだろう。
ランサーが僕を抱え、外に飛び出す。その瞬間後ろを振り返った僕は、部屋に入ってくる新しい影を見た。
顔は全然見えなかった。けど、腕に抱えたぬいぐるみには、確かに見覚えがあった。
「―――――じゃあね、伊織」
第一話 「《魔術師》菊地真」
世界観はアニマス時空(表)と型月時空(裏)のごちゃまぜ
アイマス側はアニメ21話までの過程を辿っています
時期は2003年12月~2004年2月、位置関係は765プロが東京都、冬木は西日本のどっか
真の実家が静岡県なのは公式でしょうが、熱海市にあるという独自設定が入ってます
理由は東海道線一本で行けるからです