不死の感情・改   作:いのかしら

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二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。

イギリスのことわざ


第2話 ③ 船の底のsecret

試合後は破砕された大洗の街に留まる訳にはいかず、停泊している学園艦に戻ることになる。こういった公的な場で試合をする際、破壊された施設には戦車道連盟から補償金が出る。

大洗なら地価は隣と比べたらまだ安い方なのだろう。というより元からそんなに金がかかるところで連盟は試合を許可しない。大洗市街戦でさえあまり望ましいものではなかったはずだ。

事実硬式では市街戦は滅多にない。

だが向こうが許可した範囲内でスポーツをした、これに対し批判される筋合いは無いのでまぁほっとこう。

 

試合の後生徒会室で行われた反省会で会長さんから私を副隊長とする案が出て、車長全員の懇願、さらにそこに会長さん直々に隊長と副隊長が同一車輌に乗ることは如何なものか、との提言もあった末私もそれを呑んだ。

というより、初めからそうして欲しかったが適当な成り手がいなかったようだ。だから私を引き入れた訳だが。

今日の試合や副隊長の件など考えなくてはならないことは山ほどあるが、試合後の今日くらいは生きている安寧を享受したい。早速地上のコンビニで新発売されていたもみじアンパンなるものを楽しんだが、それだけでは不十分だ。

その為反省会の後一緒にいたナカジマさんに戦車の修理の手伝いをしようか、と申し出たが、慣れた仲間の方が仕事が早いから、と断られた。その通りだろう。正直私もドイツ戦車以外の修理とかは分からない部分もあるし。

さてこの反省会であるが、基本車長のみが集まって、車長ごとに各車の意見を纏めて行われる。理由はいくつかあるが、この生徒会室に戦車道履修者全員が入れないことがその一つだ。つまりあんこうチームはここにはいない。

反省会で出された内容は後で各々にメールで伝えるとして、もうすでに家に帰っており、何より試合で疲れているであろう彼女らをもう一度呼び出すのは忍びない。

はてどうしようかな、部屋に戻るかな、と艦橋の下で帰り道につこうとした時、誰かに呼び止められた。

 

「西住さん」

 

サメさんチームのお銀さんである。頭の上の白い帽子が目立つ。その上の羽も何処かで見た覚えがあるが、まあいい。

 

「今日この後時間あるかい?」

 

「ええ、自動車部の方々を手伝おうかと思っていたのですが、断られてしまったので」

 

「ちょっとお誘いしたいところがあるんだが、いいかい?」

 

「どちらへ?」

 

「私たちのアジトへさ」

 

正直スケ番の匂いのする彼女らに対する苦手意識はあるし、彼女らも河嶋さんへの思いが強いせいか、練習中も私の指示より河嶋さんの指示を聞こうとする。正直戦車道のメンバーの中で一番仲が良くない相手だ。風紀委員の園さんから深く付き合わなくていい、と忠告は受けているが、何度も戦い続ける仲間として関係を深めるのは損ではないだろう。

 

「どんなところですか?」

 

「まぁバーだね。飯も出るし、今日は試合で早々に負けちまったお詫びとして幾らか出すよ。全額は出せないけどね」

 

お銀さんは申し訳なさそうに頭を掻く。軟式なら撃破されたことをそんな重く捉える必要もあるまいに。ま、硬式ならそもそも捉えられないんだが。

 

「いえいえ、その必要はありませんよ。喜んでお尋ねします。私もお腹が空いていますし」

 

「じゃあ早速、付いて来てくれるかい?」

 

丁度いい暇つぶしができた。私はお銀さんに連れられて、この巨大な学園艦の中へと潜り込んでいった。

 

 

甲板の入り口からは急な階段を経て内部に入り、蛍光灯が炯々と灯る下深く深く沈む。お銀さんは時々すれ違う船舶科の人に声を掛けながら、私に対しては無言のまま先を急ぐ。

崖のような場所に取り付けられたはしごを下って少し行くと、そこは甲板とは別世界が広がっていた。

裸の白熱電球に照らされてぼんやりと広がるのは、食い物のゴミの散らかった通路。鉄条網で区切られた向こう側からは奇妙な笑い声がする。食い物のゴミの中には肉に関連するゴミもあるらしい。鼻をくすぐる腐敗臭。澱んだ空気の重々しさも混じる。

ああ、辞めてくれ。君だけは思い出したくもない。その生気のない顔よ、私の頭にまた来るな。

 

「大丈夫か?済まないね、私たちが居る場所はこんな所なんだ。まぁ、臭いは居たら慣れちまうもんだがね」

 

お銀さんの声でやっと私は幾らか正気を取り戻した。危うく食欲を完全に喪失するところだった。その言葉で引き出される顔はなんとか伏せた。

 

「お、姉さん。そちらはお客さんっすか?」

 

「そう。陸のお偉いさんだ」

 

「『どん底』に、っすか?」

 

「ああ。そっちは問題ないか?」

 

「平気っす。それじゃ」

 

お銀さん鉄条網の向こうの白い服の女と話した後、我々はそこの鉄条網を避けて少しいった先にあるエレベーターの前に辿り着いた。業務用であるらしく、近づく中で重いモーター音が轟く。中は車一台丸々入れそうな程広い。

 

「こいつは学園艦の底部で作業する人たちの為の物資搬入に使われるやつなんだ」

 

きょろきょろと中を見渡していると、彼女がそのように教えてくれた。

 

「そんなエレベーターを勝手に使っちゃって大丈夫なのですか?」

 

「私たちが行く店の材料もコイツで運ばれるから大丈夫さ。私は許可証もらってるし。風紀委員には死んでも渡さないけどね。ま、死ぬことはないんだけどさ」

 

そんなことを話している間にエレベーターの扉が開き、何故かあるベニヤ製の隠しドアを押し開けて煉瓦の通路をジグザグに進む。慣れているのだろう。分岐点が多いのにそれを迷うことなく選択していた。

それにしてもベニヤ板の装飾、結構リアルだったな。

 

 

ある角を曲がると、暗闇の奥にネオンの光が輝いていた。音楽も漏れ出ている。こんな文字通りの『どん底』には似つかわしくないほど清らかな、だが力強さも秘めた歌だ。

 

「そこさ」

 

「ほう……」

 

私は興奮していた。子供が悪戯に赴く前の如く。彼女が扉を開くと、漏れ出た音は本流となって耳に注ぎ込まれる。

 

「お、親分。遅いじゃないっすか」

 

「悪い悪い、反省会の後お客さんを誘ってたら遅くなっちまってね」

「ど、どうも……」

 

「反省会の内容は後で教えるよ」

 

だが雰囲気には威圧的なものも混じっている。

 

「ようこそ、どん底へ……注文は?」

 

私はこういう所に来たことはないが、どういう事をすればいいかは知っている。こういうのは柄になくはっちゃけるのが吉だ。財布の中身は確認済み。

 

「……とりあえずビール。出来ればドイツのをお願いします」

 

「……ドイツビール?あなたお子ち……え?」

 

「え?」

 

何か変な事を言っただろうか。部屋にいたサメさんチームの全員が私を見つめている。歌も途切れた。

 

「い、如何なさいました?私何か変なことを?」

 

なに、バーなのにそういう所じゃないのか?

 

「……隊長、イケる口か?」

 

「いや、本物は無いですけど、前の学校にいた時に少しは」

 

「あ、そう……ほれカトラス、注文だぞ」

 

「……」

 

カトラスさんはすぐに冷蔵庫を漁り、一本の茶色い瓶を取り出した。歌も再び部屋中を飛び回り始め、私はお銀さんの隣のカウンターに腰を下ろした。

 

「……お銀は?」

 

「いつものラム酒」

 

「……まいど。隊長、こいつで良い?」

 

「あ、それをお願いします」

 

ビットブルガー、懐かしい名だ。水滴をまとった瓶とジョッキがカウンターに置かれる。

 

「……つまみは?」

 

「私はポテトを」

 

「あたしはパイプでいいや」

 

「……ムラカミたち、お代わりは?」

 

「とりあえずいいや」

 

「ラム酒もう一杯。もうちょい強いのない?」

 

「ノンアルに強いもひったくれもないだろうが」

 

「濃いやつよ濃いやつ」

 

「……高くなるよ?」

 

「ツケるから良いよ」

 

「ラム、お前今までどれだけツケてんだよ」

 

そう言いながらムラカミさんはニヤついている。ここではそういうのも日常茶飯事なんだろう。

 

「……ポテト。ラム酒も」

 

「ありがとうございます」

 

カリッと程よく揚がって黄金色に輝くポテトが、白い皿の上に乗せられた。

 

「おぅ。じゃあみんなこっち来い」

 

後ろのソファに座っていたラムさんやムラカミさん、そして歌を中断したフリントさんもカウンターの方へ来る。すぐに3杯の水がムラカミさんとカトラスさん、フリントさんの手に収まった。

その間に私はジョッキを斜めにして黄色い飲み物を注ぎ込む。こういうのはね、緩やかに注ぎ込んで、いかに泡だてないかが重要なんだ。ただ静かに、静かに。その分泡の弾力に力を与える。

そしてお銀さんは胸元から袋に入ったパイプを取り出し、口に咥えた。火はいつもつけてないよな。

 

「それじゃ、今日の試合は負けたけど最後の健闘、そして今後の一層の奮闘を誓って、乾杯!」

 

「かんぱーい!」

 

グラス同士の衝突の後、私は杯を傾けた。苦味と共に喉が鳴る。お銀さんたちもそれぞれのグラスを口元に寄せる。

はぁ〜、やっぱり久々のビールは良いわ。これはノンアルだけど。私は将来酒呑みになるだろう。酒のせいで脳味噌を空にでき、そして死ぬなら悪くない。

 

「おおっ、いい飲みっぷり」

 

「ははっ、隊長ヒゲ生やしてら」

 

「あ、ほんとだ」

 

上唇を指で拭うと白い泡が付いてくる。

 

 

 

「隊長、あんさんやっぱり凄いよ。グロリアーナってのは戦車道の強豪なんだろ?そこを相手にピンでのやり合いに持ち込むなんてさ」

 

お銀さんが肩の間を軽く叩きながら笑顔で語り掛けてくる。

 

「ウチらなんてほんとに何も出来なかったってのにー」

 

「いえ、そんなことないですよ」

 

「なぁに、アタイらのことはアタイらがよく分かってる。あんな初っ端で吹っ飛ばされちまったんじゃ、斬り込んで手柄なんてあげられやしないよ」

 

フリントさんがコップの中の氷を揺らしながら隣に腰かけた。

 

「次は絶対に敵を撃破してくるよ!」

 

「ああ、サメさんの、そして船舶科の名に懸けて、今回みたいなあほヅラは2度と見せねぇ!」

 

「おおー、流石親分。そんじゃ、もっと鍛えないとねぇ」

 

「と、そうだ。隊長、あなたに一つ謝っておかないといけない事がある」

 

お銀さんがグラスを降ろしてこちらに正面を向ける。

 

「何でしょう?」

 

「すまなかった」

 

そのままこちらに思いっきり頭を下げた。何だ?そんな謝られるほど悪いことをされた記憶はないが。私が半ば呆然としているのを向こうも察知したらしい。

 

「桃さんの作戦に対して隊長、あんたは的確にその問題点を指摘した。そしてそれが間違っていなかったことは、皮肉にも試合で証明されてしまった。

そして私は桃さんに同調した。桃さんには此処を守ってもらった義理がある。そしてなにより、正直言って私らは急にやってきて、桃さんに代わって練習の指揮を執り始めたあんたが、私は気に入らなかった」

 

様子から察してはいたが、自分自身で認識もしていたのか。

 

「だがあんたの練習で皆確実に上達していた。自分たちも含めてね。あんたに変わったことへの反発は戦車道の面子には最早なかった。つまりさ、あん時に反駁したのは単なる義理を笠にした悪足掻きだったってわけさ。

そしてそのせいであのザマさ。言い訳も何もあったもんじゃない」

 

なーるほど、そういうことね。完全に理解しました。そういうことなら彼女の荷を降ろしてやるのが良いだろう。

 

「いや、謝ってもらうことではないですよ。だってあの時の河嶋さんのご指摘は間違ってないんですから」

 

「……へっ?」

 

今度は向こうが呆けた顔をしている。

 

「そもそも私は会長さんからの指示がなければ、口を挟む気はなかったんです。あの時まだ私は河嶋さんの案の代替となる作戦を決めていなかったんですから。人のミスを指摘するだけなら誰だって出来ます。真にあのような場で発言するべきことは、それを如何に正した案を出せるかです。

だからそもそも河嶋さんが正しいんです。それに同調したお銀さんが謝る必要が、理由を問わずどこにあるでしょうか」

 

出来るだけにこやかな顔をする。

 

「隊長……あんた、天使か?」

 

「いえ、既に悪魔に片足を突っ込んでますよ」

 

「ははっ……なら海賊らしく悪魔に地獄までついてこうかね。悪かったな、こんなとこで湿っぽい話しちまって」

 

「いえ、これから楽しみましょう。何か食事系はありますか?」

 

残り瓶半分ほどのビールをジョッキに移し、最後のポテトを摘んでから呷る。

 

「……肉焼いて塩コショウ振っただけの奴とかどう?」

 

「何肉ですか?」

 

「牛。でも経産牛のやっすいやつしかないけど、それでもいい?一応手は加えるけど」

 

「じゃあそれで。ミディアムレアくらいでお願いします。付け添えにパンも。それが出たら今度は……うーん、ワインは無いかぁ……」

 

「……カクテルでも作ろうか?」

 

「そうですねぇ……取り敢えずもう一本別のビールを。食後にカクテルをお願いします。お銀さんは如何なさいます?」

 

カウンターの正面に直った彼女は、左手一本で拒否を表明した。

 

 

肉は繊維を包丁で何度も切ってからサッと焼いたようだ。赤身主体だから脂肪もそんなに気にしなくていいし、思ったよりはるかに柔らかい。味付けも単純だが、その分肉の旨味が味の主体となる。

付け添えにニンニクチップが付いている。あまり乙女には似合わぬ代物だが、肉との食い合わせの中で手が伸びるのは避けられない。

次のビールは日本の一般的なもの、のノンアルコールだ。こっちもまたこれでいい。だが香りの良さならやっぱりドイツビールだ、と常々思う。

 

「……前は燻製とかもう少しマシなもの出せたんだけど、燻製作れなくなっちゃってね……」

 

「いえ、これも十分美味しいですよ。そういえばお銀さんたちってこちらに住んでいらっしゃるんですか?」

 

「そうだね。戦車道をするまでは地上に出ることさえ滅多になかったよ」

 

「ここで普段は何を?」

 

「普段はね、艦内の整備とか施設の維持とかさ。危険な所にも入っていくこともあるね。この学園艦ってさ、海中に入っている部分が海上にある部分よりもはるかに大きいのさ。だから定期的に見回っても整備しきれない。

だから私たちがいる、と考えてくれればいいかな。空き家は簡単に荒れるけど、人さえいれば結構何とかなるからね。あとは大荷物の輸送や検査。地上組じゃ250メートル下のことは手が回らないから、危険物が来たらこっちの仕事だね。そんな仕事は来たことないんだけどさ」

 

「住むのが一番の仕事、なんですか?」

 

聞いたこともない職務だが、理由は納得出来る。

 

「言っちゃえばそうだね。ここら辺がちゃんとしてないと、船としても運航できないから。縁の下の力持ち、だったらいいんだけどね。ま、縁の下なんて入ったこと無いんだけどね」

 

「私の前の家は有りましたね、縁側」

 

「へえ、和風の家なのかい?」

 

「純和風でしたね。やってることに似合わず。それにしてもフリントさんの歌は初めて聴きましたけど、お上手ですね」

 

「そうだろうそうだろう。普通のバーだとジャズとかがかかってそうだが、ここで音楽を流さないのはこの声が皆の最大の精神安定剤だからさ」

 

「なるほど。そういえばここは学園艦のかなり深くと聞きましたが、エンジン音が余りしませんね」

 

「エンジンなら船の後ろ側だから逆側だぞ。あっち行くと煩いから落ち着いてなんかいられないよ。ま、最近の私たちなら何とかなるかもしれないけどね」

 

「たしかに。私は頭を外に出すようにしてますがまだマシですが、車輌によっては本当に耳に来ますからね。戦車道やってて聴力検査に引っかかる人、時々いますよ」

 

そんな会話をしながらも時は過ぎ、次のビールを空にした時、肉も食べ切った。そしてその肉汁をパンに絡め取る。見事に美味いんだなこれが。

 

 

腹は見事八分目。あとはカクテルだけかね。

シェイカーを上下に激しく振っていたカトラスさんがその動きを止め、コップに中身を注いだ。

 

「……これは?」

 

ここが薄暗いせいか中身が一瞬よく分からなかったが、よく見ると黒い飲み物であった。

 

「……私オリジナルのカクテル。ジン、アンゴスチュラ・ビターズ、オパールネラ・サンブーカ、ウンダーベルグの4種を使ってる。ジンをちょっと多めにしてるから呑みやすいと思う」

 

生憎カクテルには詳しくないのでそれぞれがどのようなものなのかは知らない。聞いてみると、2番目と4番目は薬酒に近いものだそうだ。

グラスの柄を持ち上げると、周囲はともかく中の液体の成す円錐の中心までは光が届きそうにない。本質が見抜けないカクテルだ。

 

「ニンニクの匂いならコイツを飲めば気にしなくていいわ。名前は特に付けてないけど、強いて付けるなら『secret forest』かな」

 

「ウホッ、なんかカッコいい」

 

「秘密の森、ですか……で、この色。

なるほど。ご存知でしたか」

 

「そうさ。ここにいる奴は知ってる。というか、あんた雑誌に載るくらいの有名人だったんだな。地上の本屋に聞いたら直ぐに探してくれたよ」

 

「はは……そんな御大層な身分では無いのですが……」

 

「何を言うんだい!あんた戦車道の名家の娘さんなんだろ?そりゃ桃さんもあんな風に言うはずだわ」

 

ラムさんが瓶を片手にもう片手で肩を叩いてくる。グラス持ってなくて良かった。

 

「ですがその名家を破門になった身ですよ?」

 

「なーに、そんなの大したことじゃない。しかも戦車道最強の黒森峰の副隊長だったんだろ?凄いじゃないか。そりゃグロリアーナが戦車道の強豪でも、あんたが張り合えるはずだわ」

 

「……でも何故『secret』なのかも、恐らくご存知」

 

カトラスさんは使用した容器を私の食事した皿とともに流しへ置く。

 

「噂話の段階だけどね」

 

「……」

 

「安心しな。そこら辺について掘り下げる気は無いよ」

 

「その方がよろしいかと」

 

私はそれに口を付けた。

「……苦いですね。」

 

「でも、薬っぽさは薄いと思う。ウンダーベルグのストレートとかマジで胃薬だから」

 

「確かに」

 

「ま、破門されてこっち来ているってんなら、あんまり甘い記憶じゃないんだろ?」

 

「ええ、苦い」

 

「……実際は薬として効いてるんだけどね」

 

「薬になるとは思えないんですがねぇ」

 

私はもう一口含んだ。ゆっくり、ゆっくりと、噛みしめるように時はすぎる。

フリントさんが曲を変えた。重く、それがゆっくりのしかかる恋愛歌。ただそのままであれば良かったのに、変わることなんて求めてなかったのに、そんな歌詞だと思われる。

昔のさらに昔を美化していないか、自分にそう問いかけさせた時、私はNOとは断言できなかった。しかし空白の感情に何かが注ぎ込まれるのを感じた気がした。それが曲によるものか、カクテルによるものかは分からない。

飲み終わり、曲も止まる。仕上げに水を一杯頂いた。

 

 

「また来てくれよ」

 

海風にさらされた帽子を抑えつつ、お銀さんははにかんだ。

 

「ええ、是非またお邪魔します」

 

「カトラスもまたオリジナルカクテル作って待ってるってさ」

 

「今度は甘めの方が良いですね」

 

「ほう、甘いもん好きかい?」

 

「ええ、どちらかといえば」

 

「じゃ、そのように伝えとくわ。次の練習、楽しみにしてるよ」

 

彼女は手を振り、再び巨大な船の底へと帰っていく。

どしりと来ている身体を流れる熱い血流は、私を散歩へ導いた。このままじゃ眠れるものも眠れない。

今日の店、また来よう。財布が軽くなったとはいえ、それ以上の効用がここにはある。

カバンにイヤホンは入れていたが、それをさす気はなかった。風の音と生活する音、それらをリズムに取り、黒と白以外の色をスパイスに歩を進める。

赤信号で立ち止まっても、正面を通る車はない。すれ違う歩行者も見当たらない。だが部屋の明かりと街灯がコンクリートの地面をしっかり照らし出し、安全性に不安はない。

途中、最近ジョギングをしていて分かった階段から下に降りる。しかし船の底に戻る気はない。

 

この散歩の目的地に来た。甲板の一段下、ベンチなどが設置された遊歩道である。

海の向こうに見えるは夜景。左半分においてはマリンタワーだけが一段高くこちらを照らしている。だが左と右どちらが明るいかとなると、断然右であった。

遊歩道の端の手すりに腕を乗せ、さらに強い海風に当たる。意識がさらにはっきりしてくる。これじゃ眠れそうにない。

カクテルもビールも美味かったけれども忘れさせることはできなかった。今日は考えたくないと思っていたことが頭をよぎり始める。

時計を見たら、散歩のうちに日付は超えていた。人と話していると、時が過ぎるのは本当に早い。




今作に登場しましたカクテルのレシピは、忍者小僧様にご協力を頂きました。その忍者小僧様が執筆されたガルパンSSの一部を紹介して返礼と致します。

「辻さんの人には言えない事情」
https://syosetu.org/novel/101614/

何故辻は大洗女子学園の廃校に突き進んだのか。そこには彼の長く、複雑な人生と人との交流があった……

「まほ姉ちゃんに甘えたい!」
https://syosetu.org/novel/139772/

タイトルのまんま。僕も甘えたいです。
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