七号鎮守府譚   作:kokohm

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陽炎が演習を行いました

 

 ――ここまでは予定通り。事前の想定ピタリに状況が進んでいることに、第二艦隊の一人、陽炎は細く息を吐く。

 

 現在、七号鎮守府における初の演習は、四つの戦場に分かれている。川内と那珂、天龍と龍田による、姉が妹を抑える二つの戦場。響、叢雲という古参駆逐艦二隻に挑む、神通の戦場。そして、第一艦隊の主力たる足柄と、睦月、如月を率いる陽炎の戦場だ。

 

 その、四分割された海の一つで、陽炎は受け持ち相手である足柄を睨む。睦月、如月を加えた三対一という状況でありながら、彼女の顔には緊張の色はない。浮かべているのは、常と同じ勝気な笑み。元の好戦的な性格と、互いの実力――いや、性能の差が、足柄に気負いを感じさせないのだろう。

 

「ッ!」

 

 観察していたこちらに対し、抜き打ちのように放たれた砲弾を、陽炎は咄嗟に回避する。演習弾とはいえ、着弾の衝撃が完全に消えるわけではない。砲弾が海面に叩きつけられ、余波として生まれた大気の揺れが、展開した障壁越しに陽炎の全身を揺さぶる。直撃はしていないのに、という反射的な思考と、直撃を受けたら、という危惧が、彼女の肝を僅かに冷やす。

 

「この!」

 

 そんな怖気と、波の揺れを受け止めながら、陽炎も反撃の一発を放つ。体勢が悪かったか、その一撃は足柄に回避を考慮させることもなく、その近くの海面に着弾した。先の、陽炎が受けた方と比べて、明らかに小さな水柱。足柄の足元を軽く揺らす程度の影響しか与えられないそれに、重巡と駆逐艦の間にある圧倒的な差を感じ、陽炎は思わず歯噛みする。

 

 これでは――砲撃では有効打にならない。既に分かっていたはずのことを、陽炎は改めて理解する。

 

 ならば、やることは一つ。水雷戦隊らしく――至近距離に入り込んで、必殺の雷撃を放つのみ。

 

「――行くわよ!」

『了解!』

 

 陽炎の号令に、睦月型の二人が呼応する。三隻による、足柄を中心とした円運動。直線には動かず、曲線の航跡を作りながら、駆逐艦たちは少しずつ足柄へと迫る。的を絞られないようにしながら懐に入り込み、回避不能な一撃を叩きこむ。それこそが、水雷戦隊が本分とする、格上を屠るための戦法だ。

 

「そうよね! そう来るわよねっ!!」

 

 楽しげな声と共に、足柄が両手を広げ、周囲に砲撃を放つ。誰を、と狙いすませたものではない、大雑把な攻撃。直撃させる気配のないそれは、ここから改めて、三対一の戦いが始まるのだという区切りをつけるための、足柄からのメッセージだ。

 

 そんな仕切り直しの初弾を回避したと同時、睦月と如月が足柄に砲撃を放った。データリンクでの意思疎通なしの、無言での連携。一切の合図もなく発砲が重なったのは、姉妹艦のそれ故か。

 

 とはいえ、足柄の防御を抜けるほどのものでもない。彼女が張った障壁により、あっさりと防がれてしまう。だが、隙は出来た。そう思い、陽炎は魚雷を放つ。

 

 当然、これで決まると思ってのものではない。まったく期待していなかったわけではないが、流石にタイミングが素直すぎる上、距離がまだ遠い。だから、足柄がその雷撃を躱すのを見ても、そう動揺はなかった。これでは、と思っていた冷静な思考が、そのまま続行された形だ。まあ、反射的な舌打ちは漏れたのだが。

 

「お返し!」

 

 そんな言葉と共に、こちらに対して足柄が雷撃を放つ。意趣返し、とばかりの攻撃だが、流石に見え見えだ。陽炎の時のように機を見て放ったわけでもない以上、いくら正確な雷撃でも、距離の差がそのまま回避の容易さに繋がる。

 

 故に、これくらいならと、素直に雷撃を避けようとして、

 

「陽炎ちゃん、ストップ!」

 

 突如としてぶつけられた如月の言葉に、陽炎は咄嗟に、半ばつんのめるように止まる。

 

 直後、陽炎の正面に砲弾が飛び込み、新たな水柱を生み出す。何が、と思うまでもない。足柄が陽炎の回避方向を読み、予想位置に砲撃を打ち込んできたのだ。

 

「くっ!?」

 

 このままではまずい。巻き上げられた海水を浴びながら、陽炎は飛びのくように大きく後ろに下がる。その数秒後、眼下を魚雷が抜けた。回避できた危機に肝を冷やしながら、発射点の方を見る。するとそこには、残念とばかりに首を傾げる足柄の姿があった。

 

「これだから重巡は……!」

 

 余裕ある敵の姿に、顔を吐き捨てるようにつぶやく。砲撃も雷撃も、どちらも必殺の一撃となりえるが故の同時攻撃。駆逐艦では真似できない戦法に、思わず口からもれたものだった。

 

 そんな悪態が聞こえたわけでもないだろうが、眉を下げていた足柄が、ふとその表情を常に戻す。勝気、あるいは不敵と評するべき笑顔。顔を顰めるこちらとは対照的な、自分の勝利を信じているのだろうその表情は、艦種による性能的優位と、そこから来る精神的余裕が生んだものか。

 

 それを直視した陽炎に、一つの感情が浮かぶ。それは、自分たちは所詮挑戦者なのだ、というような、反骨心とでも言うようなもの。彼我の能力と全体的な戦略から見れば、陽炎たちが挑む側なのは当然であるのに、何故か、その感情を抑え込むことが出来ない。始まりは小さかったそれは、瞬く間に激情へと変じ、ついには――

 

「――やってやろうじゃないの!」

 

 叫び、前に出る。睦月と如月の驚愕を受けながら、胸の内に浮かんだ感情そのままに、陽炎は一直線に足柄へと迫る。

 

「いい、実にいいわ!」

 

 面食らった、という表情を見せたのも一瞬。獰猛な笑みと、心底楽しげな声を上げながら、足柄がこちらに砲を向ける。だが、それが放たれるよりも早く、陽炎は自前の砲を撃つ。

 

「効かないわよ!」

「それでいいのよ!」

 

 砲撃を障壁で防いだ足柄に、陽炎は声を張り上げて言い返す。その間も、陽炎からの砲撃は止まらない。そのどれもが直撃し、しかしただの一発も有効打となりえない。それでも、陽炎は進撃と砲撃を止めることはない。いつの間にか陽炎の後方に回っていた二隻も便乗し、駆逐艦たちの砲撃が足柄へと集中する。

 

「これなら見えないでしょ……!」

 

 着弾の煙――演習弾ではこれも再現される――に包まれた足柄を見ながら、陽炎はその口角を上げる。いくら駆逐艦の砲撃が弱かろうとも、当たれば衝撃は生まれるし、煙なりなんなりも立つ。巨大で、全方位に『目』があった、かつての軍艦であったころならともかく、人の身を得た今となっては、それは大きな障害となる。それくらい、艦娘というのは小さく、そして軽い。

 

 今や、足柄は完全に陽炎たちの砲撃に飲み込まれていた。煙と炎で視界は塞がれ、衝撃に砲撃姿勢を取り続けることもままならない。それが、今の足柄の状態だ。彼女はもはや、まっすぐ撃つということすら出来ていない。陽炎が直撃を受けていないのがその証拠だ。こちらの射撃から予想しているのか、確かに足柄の砲撃は陽炎のいる辺り(・・・・)を狙えているが、しかし、そのどれもが中心から外れている。故に、最短距離での前進しかしていないにも関わらず、陽炎は未だに健在であった。

 

 ――何故、足柄は動かない?

 

 感情のままに迫りつつ、しかし幾らか冷静さを取りもどした陽炎の理性が、足柄の対応に疑問を抱く。

 

 動けば見失う、というのは分かる。下手に移動してしまえば、再度視界に収めるまでに距離を詰められる、と危惧するのはそうだろう。だが、動かなければそもそも見えないはずだ。大まかでも射線は合っているからよし、という判断だろうか。いや、それでもやはりおかしい。

 

 何故、彼女は動かない。砲撃も、雷撃も、移動すらせず、何故に攻撃を受け続けているのか。そんなことが出来るほど、今の状態は甘くないはずなのに、一体何故。

 

 おかしい、と思いつつ陽炎は進む。ここまで来てしまうともう止まれない。解消できない違和感を抱きつつ、そのまま突き抜けるしかないのだ。たとえ、その先に罠が待ち受けていようとも。

 

 そして、

 

「――そこね!」

 

 陽炎が雷撃に最適なポイントにたどり着く、まさにその直前。一切の前触れなく、煙の中から足柄が飛び出した。前ではなく横、突っ込んでいる陽炎から見て、斜め前方の位置。その場所で足柄が、こちらに向かって主砲を構える。

 

「っ!?」

 

 思わず、息をのむ。読まれていたのだ。水雷戦隊の戦法を、陽炎が至近まで来ることを。だから、どうしようとも視野を塞がれると判断し、後の先を取ることに決めた。そして、目を捨てた状態で、耳で音を聞き、皮膚で揺れを感じ、陽炎が近づいてくるのを待ち、ついに機を生かした。まさしく彼女は賭けに勝ったのだ。

 

 なんという度胸だろう。ほんの少しでもタイミングを計り間違えれば、そのまま沈められるというのに。性能面で格上の相手が普通は取らない、捨て身の戦法。まったくもって感服するほかにない。

 

 だが――陽炎にも意地がある。

 

「だったら!」

 

 こと度胸勝負となれば、水雷戦隊に負けは許されない。身を低くし、なおも突撃をする。足柄の射線を読み、その下をくぐるように接近し、至近距離で雷撃を放つ。数秒前よりもさらに危険で、だからこそ、この場での唯一の勝ち筋を取りに行く。

 

『っ!!』

 

 言葉なく、二隻の艦娘がぶつかる。砲撃音と雷撃音が生まれ、直後に大きな爆発音を導いた。これまでと比べても、ひときわ大きな水柱が上がり、二人を完全に飲み込む。

 

 一瞬の静寂。そして、海水が水面を叩く音と共に、水柱が収まった時、

 

「……くっ」

「はあ、はあ、はあ……」

 

 立っていたのは、二隻。中破の判定を受けた足柄と、大きく肩を上下させながらも、いまだ無傷の陽炎。極限の状態で水雷戦隊の――陽炎型ネームシップの意地を見せた、そんな結果であった。

 

「これで――」

 

 本当に勝ち。そんな言葉を紡ぎながら、陽炎は最後の魚雷を放とうとする。演習仕様の疑似損傷による影響か、足柄の動きは鈍い。間違いなくこれでトドメ、と勝利を確信し――

 

『――陽炎さん、回避してください!!』

「えっ――ぐわっ!?」

 

 突然の指示と、背後からの衝撃。神通より通信越しに声をかけられた直後、勝利を得かけていた陽炎の全身が、大きく揺さぶられる。何事、と混乱する陽炎に、艤装からの報告が走る。

 

「轟沈判定……!? どういうことっ!?」

 

 沈められた、という事実に、陽炎は困惑しつつデータリンクに収集されているログを探る。そして、数秒の検索の末、

 

「――叢雲からの魚雷!? 神通さんを狙ったものに当たった!?」

 

 不慮の事故、としか言いようがない事象に、陽炎は大きく目を見開く。まさか、他の戦場からの流れ弾が、このタイミングでこちらに直撃するなどとは。ありえない、と否定しても、しかし、今の自身の状況が、その不運が起こったと告げている。

 

『陽炎、轟沈判定。即時撤収してください』

「…………了解」

 

 追い打ちのように、審判役の長良から撤退の指示が出る。どうにも納得がいかないが、なってしまった以上はしょうがないのだろう。こちらと同じ心境か、憮然とした表情を見せる足柄に対し、同じような顔を返した後、艤装を演習仕様から通常のそれに切り替えて移動を開始する。

 

「はあ……」

 

 ある程度距離を取り、背後から戦闘音が再び発せられ始めた頃合いで、陽炎は大きくためいきをついた。せめて、足柄に負けていたのなら、もう少し納得も出来たのだが。なんとも言えぬ結末に、どうにも肩が落ちる。

 

『――陽炎、聞こえるか?』

「司令?」

 

 落ち込む陽炎に、提督からの通信が入った。小言でも、と一瞬思い、そういう性格でもないか、とすぐに考え直す。

 

『初の演習、どうだったか』

「ん……まあ、見ての通りってとこ。もう少し上手くやりたかったんだけど」

『運が悪かったと言ってはやりたいのだが……他の戦況も見ていれば防げたことだ、と言わざるを得ないか』

「そこは立場もあるし、そうだよね。これが実戦だったら、そんなの意味ないわけだし」

 

 慰めてはくれぬ提督に、むしろその方がいいと陽炎は小さく笑う。ここで下手に運のせいにされる方が、より傷をえぐられたことだろう。納得の有無とは関係ない、ある種の矜持だった。

 

「……ねえ、司令からは、私の行動はどう見えた?」

『戦場を分断するまでは文句がない、少なくとも貴官にはな。砲撃戦から雷撃戦までの移行も、まあ大きな問題はない。良くないのは、一人で突っ込んだ辺りか』

「うん、ちょっと頭に血が上っちゃった」

『そうだな、感情的にあれをやったのはマイナスだった。あれを理性的にやり、なおかつ自分から僚艦に支援を頼めれば良かっただろう』

「独断専行、だったもんね」

『分かっているならいい。次は上手くやれ』

「……上手く?」

 

 予想の範囲外の言葉に、陽炎は思わず足を止め、反射的に聞き返す。もうやるなという指示を出されるか、と考えていたのだが、これは予想外だ。

 

『そう、上手く、だ。確かに、目の前の相手にのみ集中したのはあまり良くなかった。そういうのは、敵が一隻だけの時か、あるいはいっそ、自分が一人でいる時にだけやるものだ。たとえ距離があろうとも、自分と相手以外に誰かがいる場合は、僅かでもそちらに集中を割り振っておかないと、死角から容易に撃たれるだけだ……だが』

 

 だが、ともう一度、より強く提督は言う。

 

『敵を倒す、という目的の範疇なら、あの場での吶喊も、まったくない選択ではない。周囲への警戒を遼艦に割り振り、自分はただひたすらに中枢を狙うというのは、嵌まれば確かに強い手だ』

 

 だから、と提督が告げる。

 

『その辺りを、上手くやってみろ。状況を、仲間と敵をよく見て、それを十全に生かした対応を見つけ、共有しろ。そうすれば、お前は――私たちは、必ず勝てる』

 

 そのはずだ、とほんの少しだけ柔らかく、あるいは茶化してくれているのだろうか、と思えるような口調で付け加えた提督に、陽炎は大きく目を見開く。そう、特別なことを言われたわけでもないのに、不思議と、その言葉は陽炎の心を打った。

 

『それが、自身や仲間を犠牲にするものでない限り、私は貴官が見つけたものを尊重する。それが、どの場でも確実に生き延びられるようにするものか、あるいは死中に活を見出す類のものか。どういうものであれ、貴官の得手をどう伸ばすかは貴官に任せる。だから――極めてみせろ(・・・・・・)陽炎』

「……りょーかい」

『うむ、では後でな』

 

 ――ああ、なんと単純なのだろうか。

 

 通信を切り、陽炎は小さく視線を下げる。かけられた言葉の数々は、そう深いものではない。ただ、望んでいなかった言葉を避けられ、思ってもみなかった選択を告げられ、そして最後に、期待の意思とともに発破をかけられた。ただ、それだけ。それだけだというのに――

 

「本当…………本当に、単純だ」

 

なんとも、清々しい気分が、自分の中を満たしていた。先の戦闘の悔しさが、まるで方向性の違う()へと変じている。ただ、提督からいくらか言葉をかけられただけなのに、今の陽炎は、数分前の彼女とまったく違っている。その変化の度合いは、いささか単純すぎないかと、これを知った誰かにからかわれそうなほどだ。

 

「――だけど、これが案外、悪くないのよね」

 

 そう、小さく呟きながら、陽炎は強く笑う。そして、先にある埠頭に視線を向け、そこで待っているだろう『人』の姿を思い浮かべながら、陽炎はまた歩みを始めるのであった。

 








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