「――と、まあ、そういう流れだったわけよ」
「バカだろ」
昼下がり、執務室に備え付けられたソファにて、呆れに満ちた感想が吐かれた。今朝の出来事を聞いた木曾からの返しに、だよなあ、という表情を語り手である天龍も浮かべ、互いに苦笑する。その二人の様を見て、龍田はつい笑みをこぼす。
「ふふ……でも、天龍ちゃんもそういうことをしそうな気配があったわよ?」
「ええ? そうだったかぁ?」
そうよ、とあの時に感じた姉妹としての見識を伝えると、天龍は覚えのなさそうな顔で首をひねる。
「やらないでくれてよかったわ。アンタまでやらかしていたら、シフトの調整が一層面倒になっていた」
パソコンの画面を見ながら、叢雲が不機嫌そうに言う。まったく迷惑な、と未だに足柄に対して怒っている様子の彼女に、提督が珍しく困ったように眉を寄せる。
「そろそろ機嫌を直したらどうだ? 貴官も、
何やら含みのある言い回しに、龍田は首をかしげる。対して、その意図を読み取ったのか、叢雲は何らテンションを変えることなく――むしろ、より苛烈になった気もする――提督の方に向き直ってから答える。
「そりゃ、分かってはいますけどね。あまり言及したくもないけど、あれで司令官が怪我をしていた場合、それこそ解体処分もありえたのよ? なあなあにもできないでしょうに」
「上官への暴力沙汰ってなればそうだろうなあ」
天井を見上げながら、木曾が叢雲の言葉に同意する。そんな彼女をちらと見てから、提督はまた叢雲の方に視線を戻し、口を開く。
「とはいえ、被害は道場の床が壊れた程度なんだ。そこまで目くじらを立て続ける必要もあるまい」
「床だけならよかったんだけどね。きっかけがきっかけとなれば、そこまでお目こぼしも良くないでしょ」
「よう分からんが、これは提督の方が甘いように聞こえるけどな。普段の提督ならもっとかっちりやるか、もうちょい『派手』にやるだろ。いやまあ、オレの時とは違うだろ、ってのはそうなんだろうが……」
そう、天龍が突っ込む――姉妹艦として、龍田も大雑把だが
「貴官とは前提が違う、というのも当然あるが……」
そこで、提督が言葉を切る。おや、と思って見ると、彼は何事かを考えこむように口元を手で覆っている。
「どうかしたの?」
「言葉を選んでいるんでしょ。あれも予定調和だった、なんて軽々に言える立場でもないし」
「予定調和……って、ああなることは予想出来ていたってこと?」
不機嫌さを隠さない叢雲の言葉を受け、龍田は催促の視線を提督に送る。それに、天龍と木曾も続いたところ、提督は僅かな沈黙の後、諦めたようにため息をつく。
「……実のところ、あの手の艤装関連の問題は、大なり小なり起こるものなんだ。知識の実感云々のそれと同じように、どうして禁止されているかというのを身体で覚えていない都合だな」
「これをやったらやばい、という危機感がないからうっかりやらかすのよ。駄目だと言われていたのに、つい火を触って火傷するようなもんね」
「あー……頭で理解しているだけだから、反射的に止める、ってのもないわけか」
「そういうこと。で、そのことを叱責されて、当人含め周囲もやったら
それをあのバカは……と、今朝に見た怖い笑みの片鱗を見せながら、叢雲が小さく付け加える。下手に藪をつつくべきではないな、と彼女の表情は見なかったことにして、なるほどと龍田は納得の頷きを見せる。
「つまり、あれは艦娘であればどうしても起こりえる事故のようなもの、ってわけね。だからあまり重い処分を下すのもはばかられると」
「実例が身近にいれば、他も馬鹿な真似をしないようになるしなあ。ある種必要な犠牲か」
別名道化、と天龍が何気にひどい表現を付け加える。しかし、その言葉に誰も笑ったり突っ込んだりすることなく、むしろ深い納得の頷きを示す。
「で、とりあえずの自室謹慎か。他になんかやるのか?」
「当面は出撃を制限しようかと思っている。陸で雑務の類をやらせる予定だ」
「甘い。もっと厳しくしてもいいでしょ。備品の破壊だけならともかく、今回はアンタの命の危機よ?」
「試合の中での事故、とすると、な。大体、貴官が既に罰を下した節もあるだろう?」
「む……」
提督の突っ込みを受け、叢雲は眉根を寄せつつも、そこで追及の手を止める。周囲が先に怒ると、当事者がいっそ冷静になる、という奴か。
「まあ、戦うのが好きなアイツからしてみれば、海に出られないってだけでもそれなりに罰になるんじゃねえか? ちまちま書類仕事ってのも苦手そうだし」
「精神的な方は知らないけど、あれで足柄はその辺そつなくこなす方よ」
「普通に優秀な部類だからな、足柄は。だから、酒保の設置周りを任せようかと思っているのだが」
「足柄が売店の店員か……ってか、酒保なんてここにあったのか」
初耳だ、とばかりに木曾が言えば、説明していなかったな、と提督が返す。
「食堂の外に小屋がくっついているだろう? あれがそうだ。もっとも、今は中身もあまり入っていないが」
「最近まで閉まっていたって話だものねえ、ここ……あら?」
そこでふと、龍田は数日前の夜のことを思い出す。
「そういえば、隼鷹がお酒を飲んでいたことがあったけれど、あれは残っていた在庫か何かなの?」
「あん? アイツ、酒盛りなんざしていたのか?」
「ええ、夕食後に食堂で飲んでいたわよ。試し飲み程度だったのか、すぐに切り上げたようだったけど」
「ああ、あれは隼鷹に頼まれて私が用意した新品だ。今回は私が仲介したが、酒保が稼働し始めればそちらで、という風になるだろう。まあもっとも、特殊なものに関しては今後も私が代わりに用意することになるだろうが」
「そんなことまでやるもんなのか、提督ってのは」
「資金管理の都合上、その方が早いからな。私が自分でやった方が、貴官らの給料からの代引きもスムーズであるし」
「給料……?」
はて、と龍田を含めた軽巡組が、揃って首をかしげる。知らぬ言葉、というわけではない。ただ、あまりに馴染みがない言葉だったので、何故この流れででるのか、と思ってしまったからだ。
しかし、提督と、それに叢雲にとっては、龍田達の反応こそ困惑の対象であったのだろう。二人、特に提督はこちらの姿に眉を上げた後、呆れたように息をはいた。
「……ああ、そこも実感がないのか。いや、確かに元軍艦からしてみれば、人間の金などそうそう意識もしないだろうが」
「食事とかは最初からスムーズだったんだけどねえ……とりあえずアンタら、それぞれの端末を出しなさい」
言われ、懐から電子端末を取り出す。見た目は、やや大きな携帯電話――正確にはスマートフォンというのだったか――に似ているそれは、少し前に艦娘の装備の一つとして支給されたものだ。艦娘それぞれの専用のものとして調整されており、各自の受けている任務の状況や艤装の状態の確認、提督の持つそれとの通話などの機能がある、言ってしまえば鎮守府内限定の携帯電話である。なんでも軍独自の規格であるらしく、下手に内部の情報が外に漏れないようにしているらしい。実際、インターネットなども使えるそうだがが、これは閲覧専用で、こちらから情報を発信することはできないようになっているとのことだ。まあ、龍田はまだそこまでこの端末を触っているわけではないので、これらの話は受け取った際の説明のほとんどそのままである。
「じゃあメインから個人情報の画面に飛んで、そこの下から二つ目の項目を選びなさい」
「……どうやるの?」
「もう、じゃあ見せなさい」
素直に渡し、操作を任せる。数秒の後、返された端末の画面には、自身の名前とともに数字がいくつか並んでいた。
「それがアンタの給料、のデフォ。正確にはちょっと違うんだけど、そこに何やかんや足したり引いたりして、各月毎にある程度の額が払われる形になっているわ。実際、天龍と木曾の方は、先月払われた分が表示されているはずよ」
「……ああ、これか。へえ、俺らって給料もらっていたんだ」
知らなかった、と感心したように天龍がつぶやくと、提督と叢雲の二人が同時に天を仰ぐ。
「なんか、ものすごく気が抜ける言葉よね、これ」
「正直、上司としてあまり聞きたくなかった感があるな。まあ、衣食住において一切使う機会がないから、そうなるのも分かるは分かるが」
「食堂のそれも、普段の服も、寮の家賃も、全部タダだものね。この辺、やっぱり私たちってずれているわ。いくら見た目が人間でも、後から知識だけ入れただけじゃ駄目か」
「駄目、と言い切るものでもないだろう。少なくとも、普段の生活において支障が出ているわけではないのだから」
「いや、酒保稼働し始めたらお金使うことになるでしょ。ばっちり影響出るじゃないの」
「ああ……そうだったな」
呆れ調の叢雲の言葉に、疲れを覚えた、とばかりに提督が脱力する。今だろうか、と突然の話についていけなかった龍田が、ややためらいながら口を開く。
「あの、ちょっといいかしら? さっき、正確にはお給料じゃない、みたいなことを言っていたけれど、結局どっちなの?」
「ああ、それ? えっと……」
そこで、叢雲が提督の方を見る。その視線に、提督は姿勢を正し、さして間を置くことなく口を開く。
「前提として、艦娘は人間とは違う」
「そりゃな」
「故に、
「え? うん、それはそうでしょうね」
一瞬首を傾げ、しかしすぐに同意する。別の生命体である以上、そのまま当てはめられはしない、というのは正しい理屈だ。それはそうだろう、と思えることである以上、さして衝撃を受ける類のものでもない。
「ああ、そっか。給料はあくまで人間相手に支払われるものだから、兵器扱いの俺らに支払われるのは変だな。比喩として道具をねぎらうのはともかく、実際に金をやるのはおかしい」
「うむ、だから実際のところ、貴官らに支払われているそれは、軍の装備に対する
「維持費」
思わずオウム返しに呟けば、そうだと提督は頷く。
「さっきの今で実感はないだろうが、装備の能力を維持する金を、艦娘の士気を維持するための金として支払っている、とでも思えばいい。命を張った額として、多いか少ないかは分からんが」
「まあ、あんまり物欲の強い艦娘って多くないから、維持も何もないところはあるんだけどね」
「だからこその『艦娘の会』の活動なんだろうな。実際、雑誌やらを配って趣味を見つけさせるというのは、艦娘のための人権を定める一歩としては評価できる。軍公認の団体というのも納得だ」
「なんだそれ?」
「簡単に言えば『艦娘に人権を』という目的で活動している団体だ。穏便で真っ当な手段をとっているのもあって、軍でも数少ない提携団体の一つだな。まあもっとも、艦娘の人権を定めるというのはまだまだ先の話だろうが」
「そうなのか?」
うむ、と提督がまた頷く。
「人権もそうだが、艦娘の存在をどういう形で法律等に盛り込むのか、というのがネックらしい。分かりやすい面で言えば、年齢の問題だな」
「外見年齢は大人、だけど生まれたのはつい昨日です、みたいなことのオンパレードだからね。実働時間だけで言うなら、私たちは全員零歳、最初期からいる艦娘で見るにしても、せいぜい十歳程度。酒を飲むなんて御法度よね」
「そういう風に見た場合、労働基準法や義務教育の問題も引っかかるな。軍の仕事なんぞまともに出来なくなる」
「なんか面倒くさそうだなあ」
「面倒だから、遅々として進んでいないんだ。体型から艦娘ごとに年齢決めて、なんてやったところで、また一年もしたら新しい艦娘が増えているなんてこともありえる。話を進めるには、艦娘という存在はまだまだ引き出しが多すぎるんだろうさ」
「そういった諸々を回避するために、現状では艦娘は軍の一装備扱いなわけ。分かった?」
なるほど、と全員でそろって頷く。その上で、しかし、と天龍が首をひねる。
「そうなると、艦娘に人権を、なんて活動する意味あるのか? 別に、俺なんかは兵器扱いでもまったく問題ないんだが」
「そりゃそうなんだけど。実際、艦娘側でその辺を気にしているのって少ないみたいだし」
「まあ、見た目も基本思考も同じで、相互理解が十分以上に出来る知的生命体だから、というような難しい理屈もあるが、ないと貴官らが不利を被る部分もあるからな」
「具体的には?」
「いわゆるパワハラやセクハラの類だな。そういうことをされたとして、人間扱いじゃないと公的に罪を問うことが難しくなる。道具相手に無体を働いたとして、じゃあ何の罪になるのかということだからな。実際、ブラック鎮守府なんて言葉が生まれるくらいには、そういうことが横行した過去もあったそうだ。道具なら手荒く扱ってもいい、都合よく扱ってもいい、という感じでな。法的にはともかく、倫理的にはアウトもアウトな話だ、まったく」
「ははあ、そういうのもあるのか」
「とはいえ、軍の装備である以上、器物破損やらなんやらを適用できないわけじゃないがな。それに、法的なそれはともかく、軍内部での実質的な扱いとしては、艦娘は普通の人間と同等扱いだ。艦娘相手に良からぬことをすれば、誰であれ真っ当な形でさばかれることになる。少なくとも、今の元帥たち――大本営上層部はそういう方針だ」
だから話を進める意味はあるんだ、と締めた提督に、龍田も改めて深く納得する。形は違うが、これも実感の有無云々の話なのだろう。しかも、これは実感を得てからは遅い部類のものだ。だからこそ、歩みを止めない。それが艦娘のためであり、そして人間のためでもある。そういうものなのだ、と龍田はこれまでの話を解釈し、飲み込んだ。
「なんというか……結構いろいろ面倒なんだなあ。艦娘も、人間も」
しみじみと、天龍が呟く。そういうものだ、と提督が返したところで、アラームが室内に響く。小休止の終わりを告げるそれに、さて、と叢雲が手を叩く。
「それじゃ、各々職務を始めるように」
「あいよー」
等と、それぞれの返答を投げながら、龍田達は職務を再開するのだった。