本来、船というのは海の上に浮かんでいるべきものである。船は船である限り、海上をゆらりゆらりとしているのが自然だ。
では、その船の一つである軍艦、そしてその軍艦が変じた存在である艦娘はどうか。人の姿となり、陸を歩くことが出来るようになった彼女らであるが、かといって海の上にある事が不自然となったわけではない。どういう理屈か、彼女らは自身の艤装が健在である限り、自身に特異な能力を付与する事が出来る。五感の強化や身体能力の向上、砲撃すら防げる障壁の展開、そして何よりも、不釣合いな浮力と推進能力を得ることが出来る。その特性こそが、まるで人がスケート靴で氷の上を自在に滑るかのように、艦娘達に悠々とした航海を可能としていた。
「はあ……」
七号鎮守府第一艦隊が出港して、数十分後。海の上を緩やかに滑りながら、艦隊旗艦である叢雲は何処となく退屈そうな表情を浮かべていた。
「どうかしたのですか、叢雲ちゃん?」
「いやね。後少しも行けば正面海域も抜ける所まで来たって言うのに、結局敵が出て来ないなと思って」
「出てこないならそれに越したことはないのではないですか? 提督さんも、必ずしも戦わなくていいと言っていましたし」
「そうだけれど、せっかくの初出撃が何も無しというのは張り合いがないわ」
宥める電の意見に納得しつつも、叢雲はつまらないという感情を消し去る事が出来なかった。せっかく意気込んで出てきたというのに、倒すべき敵は何処にも見られない。それでは空回りしているようではないか、という思いが彼女の中にはあったからだ。
「俺も叢雲の意見に同感だ。とはいえ、だからといって命令無視するわけにも行かないしな。俺達の命が大事だって言ってくれた相手を裏切るようなことも出来ねえだろ」
「分かっているわよ。私だって、提督の命令には納得しているんだから」
それでも、つまらないものはつまらないのだ、と叢雲は心の中でぼやく。しかし、それを口に出した所で堂々巡りにしかなるまい。そもそも理屈はちゃんと理解しており、僅かに感情が文句を言っているだけなのだ。だったらわざわざ余計な事を口にする必要も無いなと、叢雲は僅かな不満の感情を押し込む。
そんな時であった。
『――叢雲、聞こえるか?』
叢雲の脳裏に、突如として防人――提督の声が響いた。艦隊を組んでいる時に限るが、艦娘たちは会話不可能な距離での意思伝達や、それぞれの現在の状態などの情報の共有を行なえる能力を所持している。データリンクと簡潔に称されるそれは、外部からの干渉も可能であり、そのための設備が鎮守府には必ず備え付けられている。今の提督の声も、その設備を用いて届けられたものであった。
「っと、こちら叢雲、感度良好よ」
『木曾と電も問題は無いか?』
「大丈夫だ」
「こっちもです」
『よし、相互通信に異常は無いようだな。おおよそ把握しているが、現状の報告を』
「現時点まで敵影は発見されず。そろそろ帰還も考えているわ」
『分かった。ではそのペースのまま――』
「――待ってください」
提督の指示に割り込むように、電が声を上げた。何事かと叢雲が背後を振り返ると、そこでは九時の方向に顔を向け、じっとそちらに目を凝らす電の姿があった。
「…………何か見えます。数は二、大きさは私達と大差ないと思います」
『叢雲』
「待って」
電と同じように、叢雲もまた九時の方向に目を凝らす。電からのデータリンクの手助けもあり、数秒後には確かに、何かの姿を確認する事が出来た。視覚を意識して強化し、さらによくよくと見てみる。黒を基調とした、まるで化け物の頭部だけのような醜悪な姿。船というよりは魚雷に近いフォルムをしたその敵を、叢雲は確かに知っている。
「……確認したわ、深海棲艦ね」
『艦種は?』
「二体とも駆逐イ級と判断。動きを見るに、まだ私達には気付いていないと思うわ」
「ハグレか、突発的に生まれた奴だろうな。アイツら、海だったら何処でも現れるみたいだし」
海であれば何処にでも現れる。それが、深海棲艦と呼ばれる者達の特性だ。彼らが表舞台に出てきた当時、彼らが大海のほぼ全てを掌握してしまったのもこれが要因と言っていいだろう。何せ今回のように、人類側が完全に制海権を取った場所ですら時に出没するくらいなのだ。だからこそ、今回のような哨戒任務も重要なのである。
「提督さん、どうしましょうか?」
『そこはまだ哨戒範囲内であり、戦力的に敵わない相手でも無いと判断できるか……よし、叢雲』
「なに?」
『第一艦隊を率い、発見した敵部隊を叩け。細かい観測が出来ない都合上、戦闘中の全指揮は貴官に一任する。そうすべきだと思えば私の許可なく撤退して構わない』
「了解したわ」
『戦闘の混乱を避けるため、一時通信を切る。戦闘終了後、報告をするように。では、武運を祈る』
その言葉を最後に、提督からの通信が切れる。一度大きく息を吐き出した後、叢雲は左右に並ぶ二人を見る。
「木曾、電、準備はいい?」
「俺は問題ねえ」
「電も大丈夫なのです」
「じゃあ作戦を説明するわ。私を先頭に最大戦速で接近、射程範囲内に入り次第二体の中央に向かって主砲を斉射。相手の散開に合わせてこちらもばらけ、挟むわよ。私が右、電が左で、木曾は中央で行くわ。質問は?」
「ないな」
「ありません」
「よし、では全艦、最大戦速! 続きなさい!!」
号令と共に、叢雲は最大速度で海を駆ける。その後ろに木曾、電と続き、一直線に敵を目指していく。
「――全艦、構え!」
射程範囲内の直前まで来たところで、叢雲が号令を出した。三人は主砲を構え、叢雲が僅かに右、電が左にずれることで全員の射線を確保する。それと同時、イ級達に動きがあった。どうやら叢雲たちの存在に気付いたらしく、その身体を叢雲たちの方に向けようとしている。しかし、それは叢雲達にとっては、僅かに遅い反応に過ぎなかった。
「撃て!」
イ級達が砲を撃つよりも早く、三人が主砲を発射する。轟音と共に放たれたそれは、イ級達が攻撃を止めて回避に移ったのと、そもそも射程範囲ギリギリからの初撃であったために、そのどちらにも当たる事がなかった。だが、叢雲の予想通り、二体の距離を離すことには成功する。
「散開!!」
叢雲の号令の元、三人が三方に分かれる。木曾は直線、叢雲と電は緩やかな曲線を描きながら、二体のイ級に向かって駆ける。
「喰らいなさい!」
接近しつつ、叢雲は標的と定めた方のイ級に向かって主砲を放つ。初撃は回避されたものの、二射目は見事命中を決めた。だが轟沈には至らなかったのか、着弾の煙の向こうから砲が叢雲に向かって放たれる。
「浅いか、だったら!」
放たれた砲弾を回避しながら、叢雲は更にイ級に接近していく。その姿に多少は恐れでも感じたのか、イ級が叢雲に対し砲を連射する。だが、損傷の所為かその精度は決して高くない。小刻みに進路を揺らしていたこともあり、攻撃はただの一発も叢雲に命中することが無い。
「今度はこれを受けなさい!」
その言葉と共に、叢雲は発射官から魚雷をばら撒いた。放射状にばら撒かれたそれをイ級は回避しようとするが、させないと言わんばかりに今度は叢雲が砲を連射する。
「そこっ!」
気合と共に放たれた砲が、見事イ級に命中した。着弾に動きを止めたイ級の元に、ついに魚雷の一発が辿り着き、爆発する。水柱と共に空に打ち上げられたイ級は僅かな時間だけ空を舞った後、すぐさまに水面に落下し、そのまま水没していく。それは紛れもなく、このイ級が轟沈したという証拠であった。
「よし! あっちは――」
撃破による高揚を感じながら叢雲が視線をずらすと、そこにはこちらに向かって来る電と木曾の姿があった。どうやら、叢雲よりも早く敵を撃破していたらしい。やはり、二対一であったのが大きいのだろう。見た限り被弾もなさそうであるので、叢雲はホッと息を吐きながら、自分も二人の方へと進む。
「よう、そっちも片付いたみたいだな」
「ええ、何とかね。どうにか無傷で倒せたわ」
「怪我がなくて何よりなのです」
「まったくね…………ん?」
電の感想に頷いた拍子に、叢雲は足元の異変に気付いた。見れば、足元の海が僅かに光りだしている。段々と眩さを増していくそれに、叢雲は覚えがある。
「――ドロップか」
木曾が呟いたと同時、その光は一際強く輝いた。反射的に叢雲は目を閉じ、光が治まるのを待つ。そして、光が治まったのを感じ取り、叢雲が目を開けると、その傍には一人の少女――艦娘が立っていた。僅かに叢雲のそれと似た艤装を頭部につけ、左目には眼帯をつけた彼女は、軽く周囲を見渡した後に口を開く。
「天龍型一番艦、天龍だ。どうやらドロップしたみてえだな」
本来、妖精達が寄り代を作り、そこに艦の『魂』とでも言うべきものを『降ろす』ことで艦娘は建造される。しかし時に、戦場の気配と、その結果による残骸――その戦闘で沈んだ敵、あるいは味方の『遺体』のこと――を元に、自らを『降ろす』ことで艦娘が肉体を得る事がある。
妖精たちの祈祷ではなく、戦闘の結果その物を神に奉納し、それに感銘を受けた存在が自ら寄り代を組み上げ、現世に受肉する。この、戦場での建造とでも言うべきものが、俗にドロップと呼称される、特異な現象であった。ドロップはどのような戦闘でも起こりえるが、基本的には勝ち戦でのみ起こるとされ、その戦闘での苛烈さや相手の質などにより、ドロップする艦娘も左右されるとされている。
「ようこそ、
「同じく木曾だ」
「電なのです」
「おう、よろしくな。生まれた以上さっさと戦闘でもしてオレの力を示したい所だが、まあそうもいかねえか」
艦娘間での情報共有を可能とする機能は、同じ鎮守府の艦娘内でしか使用する事が出来ない。建造された艦娘はその時点で鎮守府に登録されるが、ドロップ艦の場合は鎮守府の工廠で作業を行うまで登録されないため、データリンクも行う事が出来ない。データリンク無しでの戦闘は連携の精細を欠き、非常に危険であるため、基本的に行われない。天龍の言葉も、これに起因するものであった。
なお、このデータリンクは基本的に、一度に六隻までしか共有できない。そのため、一艦隊に所属できる艦娘の数も六隻までと決まっている。それ以上で運用出来るのは、特定条件化のみで出来る二艦隊の統合、連合艦隊の場合のみである。
「一人加わった所で、そろそろ通信しないとね。提督、聞こえる?」
『ああ、聞こえる。状況は?』
「三人とも被弾なし、完全勝利よ。それとドロップもあったわ。天龍型一番艦、天龍よ」
『了解した。三人とも、良くやった。今回の出撃はこれで終了とする。天龍を連れて帰還せよ』
「了解よ」
『復路でも油断の無いようにな』
通信が終了する。ふうと一つ息を吐いた後、叢雲は他の三人を見やる。
「それじゃ、帰りましょうか」
「了解」
「はいなのです」
「おう。どんなところかワクワクするな」
「まだ何も無いところだけどね」
「そうなのか?」
「施設は有るけれど、人がいないから……」
そんな雑談を交わしつつ、四人は帰路に着いた。会話をしつつも十分に警戒を行っていた帰りであったが、結局その後は深海棲艦も出ることなく、四人は無事に鎮守府まで辿りついた。
やはり皆、それなりに緊張していたのだろう。湾内に入ったと同時、誰しもがホッと安堵の息を吐いた。あるいはそれは、戦闘状態からそうでない状態への切り替えだったのかもしれない。それを示すかのように、彼女達は今回のことについて感想を語りだした。
「敵も上手く撃破出来たし、初任務も中々だったな」
「電としては、敵が出ないほうが良かったのです」
「まあ、その場合オレはドロップしなかったんだけどな」
「その場合、敵を発見した電が功労者になるのかしら?」
「電が見つけなくても誰かが見つけたと思いますし、皆の功績ってことでいいんじゃないです?」
「そんなところだろうな……うん?」
ふと、木曾が首を傾げた。どうしたのかと彼女の視線の先を辿れば、埠頭の先で仁王立ちをする提督の姿が見受けられた。よくよくと見れば、どうも叢雲たちの方を見つめているようである。
「提督さん? お出迎えなのでしょうか?」
「あれがここの提督か。へえ、結構いい面構えじゃねえか」
「にしても律儀だな、アイツも。待たせるのも悪いし急ぐか」
「そうしましょうか」
速度を上げ、叢雲たちは提督に向かって駆ける。話が可能なくらいまで近づいた所で敬礼をすると、提督も答礼を返す。
「任務、ご苦労だった。貴官らが無事帰還したことを嬉しく思う」
「この程度、軽いものよ」
「頼もしいものだ」
叢雲の返答に満足げに頷いた後、提督は天龍に視線を向ける。
「それで、貴官が天龍だな?」
「おう、オレが天龍だ。世界水準の力、期待していてくれよ」
「期待させてもらおう。では全員、工廠に移動してくれ」
「全員で?」
はて、と叢雲は首を傾げた。第一艦隊内に、被弾をしたものはいない。天龍と、まあその案内に一人くらいは納得できるが、どうして全員で工廠に行くのだろうか。そんな彼女の疑問を察したらしく、提督は説明を始めた。
「当鎮守府において、戦闘後の艤装のメンテナンスを義務付けることにする。緊急時はともかく、平常時は必ず実行すること」
「メンテナンス? 補給は分かるけれど、被弾もない艤装をメンテするの?」
「万全を期しておきたいのと、加えてだが出撃後の艤装の状態のデータが欲しいからだ。耐用限界の測定ではないが、まあそれに近い目的があると思って欲しい。それに、これは上からの要請でもある」
「なるほど。そういうことなら断る理由もないか」
「――そもそも、命令なら断っちゃ駄目だと思うけれどねー」
木曾の声に反論するように、能天気そうな声が提督の背後から響いた。それと共に提督の背後から現れた二人の少女の姿に、木曾と電が声を上げる。
「あれ、北上姉?」
「響ちゃんなのです!」
「やっほー、球磨型軽巡洋艦、その三番艦の北上様だよ。木曾、元気?」
「暁型駆逐艦、二番艦の響だ。会えて嬉しいよ、電」
「ああ、元気は元気だが……」
「何で二人がここに居るのです?」
「……ああ、あの時命令していた建造か」
ポンと、困惑する二人の隣で、叢雲が手を叩いた。どうして更に艦娘が増えているのかという疑問が、出撃前に提督が妖精達に建造の命令を出していたことを思い出したことで氷解したからだ。おそらく叢雲達が出撃中に、高速建造剤を使用して建造を終了させていたのだろう。分かってしまえば何ら不思議の無いことである。あって精々、都合よく今居る艦娘たちの姉妹艦が建造された事くらいか。まあそれも、結局は天命であったということなのだろう。
「顔合わせは問題ないようだな。では、第一艦隊と天龍は工廠に向かうように。響と北上は着いていくなり何なり好きにしていい」
「いいのかい、提督? まだお手伝いが終わっていないけど」
「おおよそは終わっているから問題ない。以後、ヒトキュウマルマルまでは自由行動を許可する」
「分かった。じゃあ私は提督についていくね」
「……好きにしろ。では解散」
そう言って、去っていく提督と、それに着いていく響の後姿をなんとなしに見送った後、叢雲が他の面々に向き直る。
「じゃあ、私達も行きましょうか」
「はいなのです」
そうして、叢雲の先導の元、五人は工廠へと向かう。その道中、電が北上に対し声をかける。
「ところで北上さん」
「んー? なにさ、電?」
「響ちゃんの言っていたお手伝いって何のことなのです?」
「ああ、あれ。ただの書類仕事のことだよ。そっちが出撃中暇だったから、提督の仕事を二人で手伝っていたってわけ」
「秘書艦って奴か?」
「んー、どっちかと言うと補佐艦って感じ? 一応、秘書艦には叢雲をつけるつもりみたいだし」
「私? いやまあ、別に不思議も無いけど」
大体の場合において、着任して間もない提督の秘書艦は、初期艦の艦娘がそのまま勤める事が多い。そのため、提督もその方針であると聞いても、特段不思議なことは無い。
「そういうことなら、私もメンテ後は提督の所に行こうかしら」
叢雲が小さくそう呟くと、それを聞いたらしい木曾が口を開く。
「だったら俺も行こうかな。自由時間って言っても、どうせ暇が余るだろうし」
「いっそ皆さんで行きましょうか? 提督さんのお手伝いに関しても人が多い方がいいかもしれませんし」
「初仕事が書類仕事の手伝いってのはちょいと気が乗らねえが、偶にはそれも悪くはねえか」
「私は手伝ったばっかりなんだけどねえ。まあ、いいけどさ」
いつの間にか、皆で向かうことになっている。自分の仕事なのだがと叢雲は思ったものの、既に響が先行しているのだということに気付き、何となく苦笑してしまう。
「まったく、私の仕事が無くなるじゃないの」
だが、不思議と悪い気もしない。提督も含め、どうやらこの鎮守府とは水が合いそうだ。そんな事を感じながら、叢雲は皆と共に工廠に向かって歩いていくのであった。