七号鎮守府は、無い無い尽くしの鎮守府である。長年閉鎖され、最近になった再稼動となった関係上、物資も人員もたいしたものがない。特に人材に関しては、とある事情から提督を除けばたった六名の艦娘のみ。どういう事柄にせよ、専任者の類を決める余裕などあるわけもない。故に、現時点で行わなければならない重要事項に関しても、そのほとんどが持ち回りという形をとることで強引に執り行っていた。
そのうちの一つが食事であり、また一つは秘書艦業務であった。
「…………んう?」
早朝。控えめに鳴る目覚ましの音に、電は目を覚ました。起床を促す目覚ましを緩慢とした動作で止め、彼女は身体を起こして寝台の上に座り込む。しかしその頭は見るからにゆらゆらと揺れており、その意識はまだぼんやりと霞がかっている。
「んー…………朝、なのです…………」
意味もなく呟き、電はとろんとした目で虚空を見つめる。そのまましばしの間、その状態を維持した電であったが、
「――しまったのです!?」
目の焦点が定まったと同時、電は焦りの声を上げながら布団を出る。そのままやや危なっかしい手つきで身支度を整え、彼女は自室として与えられた部屋を飛び出す。鎮守府内における艦娘専用の寮の廊下を走り、玄関を出て、近くに建てられている大食堂に飛び込む。
「すみません、遅れました!」
がらんとした食堂内に、電の謝罪の声が響く。彼女の申し訳なさげな声に応えたのは、食堂の奥、調理場から顔を出した提督であった。
「おはよう、電。貴官の言葉を否定するようで悪いが、そこにかけられている時計を見るといい。私が貴官に要求した集合時間には、まだ若干の余裕があるようだぞ」
言われ、電は壁にかけられた大時計を見る。確かに提督の言う通り、指示のあった時間にはまだ十分以上余裕がある。そういえば目覚ましの時間は十分な余裕を持って仕掛けていたのだということを、電は遅まきながら思い出す。
「まあとにかく、急ぎ着替えてくるように。木曾が戻って来次第、本格的に始めるぞ」
「はい、分かりました」
頷いて、電は調理場横の従業員室に入る。そこに並べられたロッカーの一つを開け、電はそこにかけられた衣装――エプロンを身につける。
「……調理当番、今日も頑張るのです」
呟いて、電は小さくガッツポーズをとる。鎮守府の再稼動から一週間ほど、彼女にとっては二度目となる調理当番。気合も入ろうというものだろう……まあ、寝坊しかけたのだが。
そして軽く身だしなみを確認し、問題ない事を確認したところで電は従業員室を出る。すると、ちょうど裏口の戸が開いて、外から複数の木箱を抱えた木曾が入って来た。
「っと、雷か、おはよう」
「木曾さん、おはようございますなのです。あの、お手伝いしましょうか?」
「ああ、じゃあ一個頼む」
「はいなのです」
ぎっしりと詰まっているのか、受け取った箱はズシリと重い。しかし、見た目の幼さはあれど、電もまた艦娘である。艤装を直接纏っていなくとも、リンクさえしていればその恩恵――例えば、成人男性を遥かに超える膂力だとか――を受ける事が出来る。体躯に見合わぬそれを軽々と抱え、雷は木曾と連れ立って歩き出す。
「これ、中身は何のなのですか?」
「そっちはサラダ用の葉物だな。今日の朝飯は洋食にするらしい」
「そうなのですか。司令官さんは色々作れて凄いのです」
「そういうの、さっさと俺達も慣れないとなあ。いつまでも提督におんぶに抱っこってわけにもいかねえだろうし」
基本的に、艦娘の多くは建造の段階において、世間の一般常識などを覚えて生まれてくるようになっている。これは艦であったころの乗組員の記憶などが作用していると考えられており、実際に艦娘たちの中にはそれを肯定する者もいる。それ故に、電を初めとして、簡単な料理であればレシピを知っているものも多い。
だが、知っているかといってすぐに実践できるかといえば怪しいところがある。確かに料理というものは、上を求めなければ、大体はレシピを知っていればどうにかなるところがある。しかしそれも、ある程度のノウハウを分かっていればの話だ。まったく料理をした事がない者が突然、レシピ本だけを渡されて料理をしろと言われても期待はしにくい。そしてそれは、艦娘に対しても同様の事が言えた。つまり、知識あれど実際の料理の経験などない艦娘達にとって、補助無しでの料理というのはなかなか難しいものであるということだ。
このため、持ち回りの料理当番を決めているものの、実際には料理経験を持つ――本人曰く、一人暮らしで身についた程度の簡単なものだそうだが――提督がそのほとんどを作るという形になっていた。彼の主導の元で補助を行い、艦娘たちは持ち回りで料理の経験値を溜めている、というのが今の料理当番絡みの実情である。
人員が少ない、というのもこの点においては良い方に働いていた。艦娘が少なく、出撃等の規模が小さいために、捌かなければならない書類がさほど多くならず、結果として提督に調理場に足を運ばせる余裕を持たせていたからだ。まあ無論、そもそも人員が居れば提督が自らこういう事をする必要が無かったのだといえば、それはそうだと肯定しか出来ぬことなのだが。
「その辺、北上姉が案外と要領良いんだよな。秘書艦補佐もそうだけど、気だるそうであんまりやる気は見えないのに、仕事はちゃんと終わらせているっていう」
「私達も見習わないといけないですね」
「まったくだ」
一応の結論が出たところで、二人はちょうど調理場内に足を踏み入れた。適当な場所に荷物を降ろそうとした二人であったが、その前に水場で準備中であった提督が二人に気付いて声をかける。
「二人とも、それはここに置いてくれ」
「はいなのです」
指示通りに従い、二人は荷物を置く。蓋を開け、中の野菜を見定めている提督の姿を見ていると、まるで自分達の上官であるようには見られない。腰に巻いたエプロンも相まって、本当に食堂で働くコックのようである。
「――って、それじゃ駄目ですよね」
ブンブンと、電は思わず抱いた感想を霧散させる。突如としてそんなことをすれば当然、彼女の内面など知らぬ木曾と提督から、奇異の視線を向けられてしまうことになる。
「雷、どうかしたのか?」
「ええと……何でもないのです」
えへへ、と誤魔化すように電が笑う。それに木曾たちは怪訝そうな表情を浮かべたものの、すぐにまあいいかと思ったのか、話題をこれからのことに切り替えた。
「それで提督、今日は何をすればいいんだ?」
「そうだな。木曾は野菜類を手ごろな大きさ……まあ、その辺は指示するからとりあえず切ってくれ」
「あいよ」
「電はまずレタスの葉を千切って洗うのを。その間に準備をしておくから、その後の火加減などを頼む」
「分かりました」
木曾と比べれば随分と簡単な指示であったが、電は特に不満もなく頷いた。艦娘の中でも背の低い者が多い駆逐艦だが、電の所属する暁型は特に体格が小さい。包丁の扱いを含め、キッチンで作業をするには背が足りないことが多いということを、電も理解していた。
「何度言ったか分かないが、朝食は身体を動かす為の重要な要素だ。自分や皆の為にも、頑張って作るとしよう」
「ああ」
「はいなのです」
こうして、提督の指揮の下、朝食作りが始まった。三人がかりで七人分。よほど手の込んだ物を作るわけでもないため、一時間ほどもあれば大体は作り終えることとなる。
そして後は仕上げのみ、という段階に入った時、続々と他の艦娘たちも集まってきた。まず叢雲、ついで響、やや遅れて天龍と北上。この辺りはそれぞれの性格が出ていると言うべきか、はたまたただの偶然と言うべきか。とにかく、全員が揃った頃には、提督たちのほうも準備が終わり、後は食べ始めるだけという状況になっていた。
「ええと……いただきます、なのです」
その日の調理当番の誰かしらが、代表して食事の号令をかける。何故か自然発生していたその決まりの元、電が号令をかけると、皆も彼女に倣った後に食べ始める。広い食堂で無駄にばらけるよりはと七人で固まって食事を取っているが、そうなると自然、食事の中の話題は鎮守府の仕事関係に偏っていた。
「……それでさ、提督。結局、新しい艦娘に関してはどうなっているの?」
「ああ、それは俺も聞きたいな。不運の影響も、そろそろ払拭されてきていると思いたいんだが」
艦娘の建造において、既に鎮守府に所属している艦娘が新たに建造されることはない。これは、一つの鎮守府に対し同タイプの艦娘が複数所属出来ない、という仕様に関係しているとされている。
しかし、確率上においては、既にある艦娘と同じ艦娘が建造対象となる事がないわけではない。そういった場合、どう処理されるか。答えは、その艦娘の装備のみが建造される、だ。通常の開発とは異なり、主砲や魚雷発射官のみ、などではなく、一度の建造で主機を含めた装備一式が建造されることとなる。なお、この現象はドロップに関しても同様の事が言えた。その場に立ち会った艦娘から何かの干渉を受けているのか、鎮守府の施設と直接の関係がないドロップにおいても、何故かダブりは装備として出現する――なお、その場合は海に装備のみが浮かんでいるという、笑えばいいのか恐怖を感じればいいのか怪しい状況となる――事が多い。多い、としているのは、やはり建造とは勝手が違うということか、偶にダブり艦が出現する事があるからである。そういった艦娘はその鎮守府には所属出来ないので、大抵は大本営を経由した後、他の鎮守府に送られることとなっている。
それで、このダブり装備であるがこれらは大抵、予備兵装として保管される、他の装備の改修の素材とする、あるいは解体して僅かな資材とする、などと処理されることになる。これを考えると、建造において所謂『ダブり』が発生することは決して悪いことではないだろう。しかし、今の七号鎮守府においては別の評価、木曾の言った『不運』という言葉に収束することになるだろう。
即ち、
「まさかこの人数で、私達と天龍さんがダブるなんてね」
暁型装備一式、そして天龍型装備一式。それが、北上と響の後に建造された物品であった。確かに、レシピは最低値のものから変えてはいない。だからと言ってもまさか、二度建造させた結果、そのどちらもがダブるとは、誰が思うだろうか。しかも、片方は響ないし電、もう片方は天龍と、あまりにピンポイント過ぎるダブりである。それを聞いたとき、電ですら乾いた笑みを浮かべざるを得なかった。
「しかもそれで開発資材が枯渇したんだから、笑えないってものよ。何で高速系のそれより先に開発資材がなくなるんだが」
「そこは仕方あるまい。再稼動したばかりの、しかも取り急ぎ危険も少ない地域の鎮守府だ。ひとまずということで初期艦を除いた一艦隊分、つまり六隻分しか用意していないというのは、それほど理不尽なことでもないだろう」
確かに、それはそうなのだが、その後の不運は理不尽と言えるのではないだろうか。それは提督も同じように思っているのだろう。弁論を述べてすぐ後、彼は苦々しそうに口元を歪める。
「とはいえ、まさかこういう形で枯渇するとは、流石に予想外ではあるか。実際、急ぎ元帥閣下にもご報告した時も、まず怪訝な声で聞き返されたからな」
さもありなん、と提督の言葉に電は頷いた。当事者である自分達ですら、何かの冗談だと思いたいことなのだ。他人からしてみれば真面目に取り合わなくてはならない話なのかと、まずこちらの正気を疑いそうなことである。
「しかも、それに加えて戦闘もろくに起きていないしな。平和なのはそれでいいっちゃいいんだが、ドロップもないんじゃ人も増えやしねえ」
ため息交じりに天龍が言った通り、初日の戦闘以降、七号鎮守府にはほとんど戦闘の機会が存在してなかった。二日目に、叢雲を旗艦として響、北上、天龍が出撃した時に二度目の戦闘が起こったものの、その時はドロップが発生せず、以降は一度も戦闘が発生していない。哨戒をサボっていると言うわけではなく、最低限より二歩ほどは上というレベルで任務を果たしているのであるが、深海棲艦の姿は影も形も見受けられていない。それが決して悪いことではないのは確かだが、一人でも戦力を増やしたという今時分においては、ドロップの機会すらないこの結果は、確かにため息の一つも吐きたくなろうと言うものだ。
「……それで、司令官? 結局の所はどうなんだい?」
「結論から言えば、現時点では不明だ。元帥閣下には事情を説明したものの、客観的に見てここの優先順位はそう高くない。開発資材だってそれなりに貴重品である以上、もう少々は待って欲しいとの仰せだ」
はあ、と誰かしらから落胆の声が漏れた。しかしそれをもっとも感じているのは、おそらく提督なのだろう。少なくとも、電の目にはそう見えた。
「……何にせよ、無いものねだりをしても始まらない。とりあえずは現状維持、それだけだ」
提督の言葉に、それしかないかと艦娘たちは頷く。そんな諦めの混じった結論が一応は出たとこで、叢雲が口を開いた。
「そうそう、今日の秘書艦補佐なんだけれど、響で良かったのよね? 昨日は再度の確認をしていなかった気がするんだけど」
秘書艦補佐というのは、提督が定めた制度だ。文字通り、秘書艦を補佐する艦娘のこととなる。単純に秘書艦や提督の仕事の負担を減らす、秘書艦が出撃中の間に代わって提督の補佐をする、といったような仕事がメインだ。加えて、秘書艦を変更する際にスムーズな移行が出来るように経験を積む、ある種の下積みやインターンのような地位でもあった。
艦娘としての能力か、あるいは当人の事務能力か。この役目はおおよそ電か響が担当する事が多く、事実昨日は電の番であった。となれば、今日は響の番なのだろう。そう思い電が提督を見れば、予想通り彼は小さく頷いた。
「そうだったか。すまない、それは私の落ち度だ。貴官の言うとおり、今日の補佐役は響を任じている。響、貴官も承知しているな?」
「分かっているよ、司令官。叢雲、今日はよろしく頼む」
「ええ」
「加えて確認しておこう。今日も哨戒任務は二度、ヒトマルマルマルとヒトゴーマルマルに出発とする。編成は叢雲を旗艦とし、電、北上、天龍。木曾は待機だ」
いいな、と提督が皆の顔を見渡す。それぞれが頷き、了承を示したのを確認すると、提督もまた大きく頷く。
「では、本日はその通りに」
その言葉を最後に、この話題もまた終わる。後はまた、仕事関係やそれ以外の話などを交わしながら、艦娘たちと提督は食事を進める。これが最近定まってきた、日常の始まりの風景であった。