七号鎮守府譚   作:kokohm

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響は幾つかの答えを得ました

 朝食を済ませてから数時間後、響の姿は鎮守府の提督執務室にあった。朝食の席でも述べられていた、秘書艦補佐の職務を全うしている最中である。

 

 もっとも、現時点ではそれほど複雑な仕事はやっておらず、提督が処理する、あるいは処理済の書類の分別や並び替えを行っている。今は第一艦隊旗艦として出撃している叢雲が、出撃前に一通りの仕事を終わらせてしまっていたからだ。提督と秘書官で仕事量が異なる――勿論、提督のほうが圧倒的に多い――為に、一時も書類から目を離さない提督と裏腹に、響はやや手持ち無沙汰気味な状態となっている。

 

「……叢雲は優秀だね」

「そうだな。重宝している」

 

 思わず漏らした感想が、どうやら聞こえてしまったらしい。予想外な提督の返事に驚きつつ、表面上は何でもないようして、響は提督の方に視線を向ける。

 

「おかげで、私は叢雲がいない間にやれる事がないんだけどね。というかさ、司令官。いくら優秀って言っても、秘書艦も旗艦もというのは、流石に使いすぎじゃないのかい?」

「効率を考えれば、私も分離させたいところなんだがな。とにもかくにも、人がいないのではどうにもならない」

「人手不足か……ちょっとした疑問なんだけれど、人を雇うというのは駄目なのかな? 民間人は無理としても、軍にもそういう仕事を担当する人はいると思うんだけど」

 

 ふと思いついた提案を、響は提督に投げる。当たり前のことだが、艦娘は戦闘要員なのだから、事務方を兼任するというのは些かおかしな話だ。戦闘の報告書等を作成するというならともかく、鎮守府の運営に関わる書類まで処理するというのは仕事を集中させ過ぎだろう。料理当番だってそうだ。そういった事を別で済ませる人間を雇う、というのが本来あるべき形ではないのか。

 

 そんな当然の疑問に対し、提督は手を止めて、難しそうな表情を浮かべながら口を開く。

 

「もっともな意見なのだが、鎮守府には『提督』以外の人間は雇用しない、というのが大本営の方針でな。例外がないでもないが、少なくともここはその例外ではない」

「何で人を入れたら駄目なんだい?」

「ああ……これはまあ前提としての話だが、貴官は艦娘の特性の一つとして、人間への『懐きやすさ』のことを知っているか?」

「懐きやすさ……?」

「知らんか。艦娘は人間に対し、無条件とまでは行かないにしても、ある程度好意を抱きやすいという性質を持っている。特に、提督なりなんなりと、自分を指揮する立場である相手にはそれが顕著となるらしい。私が言うのもなんだが、貴官も私と会った時、初対面にもかかわらず、どちらかと言えば好意的な印象を抱いたのではないか?」

 

 言われてみれば、と響は過去を振り返って思う。確かに、不思議と無条件で、この人を信用できる――信用しようと思った覚えがある。そういう性質があったからなのかと、我が事ながら響は納得したように数度頷く。

 

「確かに。これって、ある種の刷り込みなのかな?」

「さて、個人の、というよりは人類種全体対にするものらしいからな。この性質のため、艦娘が対深海棲艦用に人類に遣わされた兵器である証左、という論すらある。まあ、あくまで全体的にマイナス印象を持ちにくいというだけで、個々人で見ればそういうわけでもないが」

「気に入りやすいだけで、嫌いな相手は嫌いってことだね。それで、それがどうしたんだい?」

 

 いまいちピンと来ない、と思いながら、響は分かりやすく首を傾げてみせる。そんな彼女の態度は良く伝わったようで、提督は視線を響に固定してからさらに続ける。

 

「かつての話だが、提督以外の人間を雇用しながら運営していた鎮守府があったそうだ。当初は何の問題なかったんだが、少しして問題が発生した」

「問題?」

「艦娘達が、提督と雇用者の一人との間で派閥分裂のようなものを引き起こしたんだ。つまり、提督に着く艦娘と、もう一人に着く艦娘とで、鎮守府が二分されたということだ」

「どうしてそんな事に?」

「人望云々やら、まあ色々とあったらしい。艦娘といえど個人の集まり。人によっては提督を疎む者も居ただろうし、もう一人になびく者も居ただろう。ここで大事なのは、艦娘の個人として忠誠心が、必ずしも提督に向くというわけではなかったということだ。人類への好意と指揮者への忠誠がせめぎあった場合、時に艦娘たちは仰ぐ頭を他に見てしまう。あくまで可能性であるが、実例がある以上は無視出来ないことになる」

「それで、万一の内部分裂を避けるために、鎮守府に『提督』以外の人間は入れなくなった、と」

「そういうことだな。おかげで事務処理も調理担当もこっちで纏めてやらないといけないわけだ」

 

 面倒な、と響は口の中で言葉を転がす。何ともおかしな話であるが、それが事実というなら受け止めるしかないのだろう。あくまでその一件のみの特例ではないのか、とも思ったが、流石にたった一件の報告のみで軍がそんな非効率な命令を出すとも考え難い。実際は他にもそういうことがあったのだろうなと考え直し、今度こそ響は納得の頷きを返す。

 

「そういう事情なら仕方がないか……ああ、でも確か、艦娘には給糧艦がいたよね? そっちは引っ張って来られないのかな? 少なくとも、調理当番に関しては手伝ってくれると思うんだけど」

「いや……あれはちょっと、うちではまだ難しいだろうな」

「というと?」

「給糧艦は確かにいるが、あれは一定以上の規模の鎮守府にのみ配備されるのが通例だ。彼女らは補助艦であり、大規模の鎮守府においてその補佐をするために配備すべし、となっているからな」

「…………ん?」

 

 数秒後、提督の言葉を飲み込んだ響は、心底不思議そうに首を傾げる。

 

「司令官。一定以上の規模、というのはつまり艦娘が多くいるってことだよね?」

「そうだな」

「人が多いから、手助けをいれようってことだよね?」

「ああ」

「……人が少なくても、手助けはいるよね?」

 

 人が多い――つまり調理量が多くなるから人手が居るというのは、確かに事実だろうしかし、人が少ない――つまり手が足りないから人手が居る、というのもまた事実ではないだろうか。何かが妙だ、と首を捻る響に、提督も眉を顰めながら言う。

 

「まあ、確かにそうなんだが…………残念ながら、そういうことになっているのでな。この辺りの補助制度は、そもそもとしてある程度以上の規模の鎮守府を想定して制定されている。うちのようなまだ小規模の鎮守府だと、そういうところで齟齬は出てきてしまうものだ、と納得するしかない」

「色々と面倒なんだね」

「仕方あるまい。どうしても、何処かで妙な欠点というのは出てくるものだ」

 

 そう言って肩をすくめた後、提督は再び書類仕事に戻る。淀みないその手つきに響が人知れず感嘆していると、書類の山の脇に設置されているパソコンから、突如として音が鳴った。

 

 このパソコンは通常業務以外にも、艦娘の状態把握等も出来る代物で、特に艦隊の出撃時には出撃中の面々の名とその状態――おおまかに数値化した耐久だとか、弾薬や燃料の残量等――が表示されるようになっている。加えて重要なのは、これが提督と艦隊を結ぶデバイスの一つであるということにある。

 

 そんなパソコンの画面、第一艦隊旗艦である叢雲の名の横に、通信を知らせる通知が表示されている。何か連絡すべき事があった、というサインに、見るからに提督の顔が引き締まる。

 

「何かあったのかな」

「大事で無ければいいが……」

 

 言いながら、提督はマイクとスピーカーのスイッチを入れ、口を開く。

 

「――私だ。何かあったか?」

『幸か不幸か、何もなしよ。哨戒任務、往路を終了したわ。ルートを変更して復路としたいのだけれど、いいかしら?』

「問題ない。慢心することなく、注意して帰還すること」

『了解、通信を終了するわ』

 

 その言葉と共に、通信が終わる。何も無かった、と分かったことで、思わず響はホッと胸を撫で下ろした。ドロップで人手が欲しい、艦娘は戦うことが仕事、などと思っているとはいえ、やはり何事も無ければそれに越したことは無い。まかり間違って轟沈が起こるくらいなら、冷や飯喰らいの方がマシだろう。そんな考えの元、響は安堵の息を漏らす。

 

「何もなし、か。まあ轟沈でもされるよりは、人手不足にあえぐ方がマシだな」

「えっ……」

 

 響の口から、驚きの声が漏れる。まるで心を読まれたかのように、提督もまた響と同じ事を口にしたからである。そんな彼女の反応に、提督が不審そうに眉を上げる。

 

「どうした?」

「あ、ああ。ううん、何でもない」

 

 提督からの問いかけに、響は首を横に振って返答する。しかし、自覚はないのだろうが、その口角は僅かに上がっている。自分と提督が同じ事を思っていた、ということが妙に嬉しく、それが素直な感情として彼女の口元に表れたからだ。内容が内容であったから、特にそう思ったのかもしれない。分かっていたことではあるが、提督が艦娘を大事にしてくれる人だと再確認出来たことによる歓喜ということなのだろうか。あるいはこれも、先に提督が語っていた、艦娘の人懐っこさとやらによるものかもしれない。

 

「まあ……何もないなら、いいが」

 

 数秒ほど訝しげな風であったものの、特に追求することもなく、提督は再び書類に目を落とす。心なしか、響の目にはその手つきは何処か優しげにも見えた。やはり、提督もまた安堵を覚えているということなのだろうか。そして、そう思えたことにも嬉しいと思ってしまうのは、あるいは先の艦娘の性質によるものなのだろうか。

 

「――どっちでも、いいさ。大事なのは、そこじゃない」

 

 小さく、口の中で転がすように呟いて、響も数少ない自分の仕事を再開させる。そのまま、しばし無言の――しかし、何故か心地は良かった――業務を続けていた二人であったが、突如として提督が腰を上げた。何か、と一瞬思った響であったが、窓の外の景色を見てすぐに納得する。

 

「艦隊の皆が帰ってきたみたいだね」

「であれば、出迎えなくてはな」

「随伴するよ」

 

 言って、響は提督に付いて執務室を出る。誰も居ない階段や廊下を通り、外に出て港へと向かう。そのまま何事も無く埠頭へと辿り着いたところで、提督は足を止め、海を――つまりは帰還中の第一艦隊に、その視線を固定する。その傍らに立ち、視線を同じくした所で、響は口を開いた。

 

「ねえ、司令官。一つ聞いてもいいかい?」

「何だ?」

「司令官はどうして、毎度毎度私達を出迎えるんだい? 無駄に動くし、その間は仕事も滞るのに」

 

 初の出撃と、今。そして、その間にあった全ての艦隊出撃において、提督はその帰還をこうして出迎えていた。立場的に言えば、彼がそうする理由は全くないはず。むしろ帰還した者の中の誰かを呼び出し、そこで報告を聞くというのが自然だろう。にもかかわらず、この提督は必ずここに足を運び、自ら艦隊の帰還を確認しに来ている。それはどうしてなのだろうと、響はずっと疑問を抱いていたのである。

 

「何故、か。強いて言うなら……私の都合、だな」

「都合?」

 

 思わず首を傾げながら、響は驚きの声を漏らす。幾つか想定していた疑問への返答に比べて、それは明らかに予想の範囲外であったからだ。彼女としては、『苦労をかけているから、これくらい』だとか、『呼びつけるのは性に合わない』だとか、まあそういうようなことを想像していた。今までの生活から垣間見えた提督の真面目さや勤勉さ、あるいは優しさや懐の深さから、てっきりそういう答えが返ってくるものだろうと思っていたのである。

 

 そんな彼女の驚きを、果たしてどれほど理解しているのだろうか。提督はその視線を動かすことも無く、しかしその口元を皮肉げに歪めながら言う。

 

「ああ、都合だ。私はただ、早く確認したいだけだ。誰一人として失われていないことを。私は、(・・ )誰一人として失わせていないということを」

 

 そう言う提督の口ぶりには、何処か自嘲らしきものが混じっているように思える。その口元と合わせると、どうにも提督は、自分のこの行動を自己満足か何かとして捉えているように響には思われた。

 

「……だから、私の都合、か」

 

 艦娘のためではなく、提督の都合。詳しくは分からないが、提督の言葉には含むものがありありと感じられる。どうやらこの提督には、まだ響の知らぬ一面が数多くあるらしい。職務に忠実なれど、艦娘たちには可能な限り優しい。それだけではないのだと、響は提督への印象を僅かに変える。

 

「まだまだ、司令官(あなた)には謎があるんだね……」

 

 その全てを知る時は、いつか訪れるのだろうか。そんなことを考えつつも、帰ってくる艦娘たちを出迎えるため、その手を小さく振るう響であった。

 

 

 

 








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