七号鎮守府譚   作:kokohm

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木曾は初めての対空戦闘を経験しました

「ぬぅ……」

 

 目の前に広げられた書類を前に、木曾は唸り声を上げた。そのまま少しばかり書類を睨みつけた後、木曾は持っている筆記具で記入を始める。しかし、それもすぐに止まってしまい、また彼女は唸り声を上げる。

 

「アンタ、本当に遅筆ねえ。はい、お茶よ」

 

 木曾の隣に湯飲みを置きながら、叢雲が呆れの混じった声で言う。その言葉に腹立たしいと思わないのは、叢雲の口調に嫌味や馬鹿にしたものはないのと、何より木曾自身がそれを認めているからだろう。

 

「ああ、悪いな……どうにも、こういうのは苦手だ。どう書けばいいかはまあ分かるんだが、実際にそう書こうとすると……なあ?」

「いや、知らないけれど。そもそも苦手なら、大人しく休んでいればいいじゃないの。小破して天龍と交代したって状態なんだから、それが普通でしょ」

「いやあ、艤装はともかく、俺自身はすぐ出られる程度の傷だったからなあ。最初から待機ならともかく、元気なのに大人しくしているのは微妙に性に合わん」

 

 右手で頬杖を付き、左手を叢雲に向けながら木曾は言う。実際、木曾自身もこういったことに慣れていないのは自覚しているのだ。ただ、むざむざと損傷を受けてしまったというのが、どうにも罰の悪いものを彼女に感じさせているのも事実である。別に提督は気にしていない――どころか、その程度の被害で良くやったと褒めている――のだが、まあそこは木曾の側の問題であった。

 

「天龍だって、待機なのに仕事を手伝っていたんだろう? だったら交代ついでに引き継ぐのはおかしなことでもないと思うんだが、どうだ?」

「能力が十分ならね」

 

 と、からかうような口調で叢雲が言う。ただ、誤解されたららまずいとでも思ったのか。彼女はすぐに真剣な表情になってこうも続けた。

 

「実際、アンタの事務能力はそれなりにはあるほうよ。確かに筆は遅いけど、その前提となる判断能力なんかは十分に高いし。やる気は十分にあるみたいだから、数をこなせばそのうち形になるんじゃないかしら」

「そうか?」

「アイツ――司令官の受け売りだけどね。まあ、私も似た見解だけど」

「提督が? だったら、俺も期待が持てるし、やる気も出るな」

 

 うむうむ、と木曾は満足そうに頷く。単純だが、やはり提督から期待されていると思われているというのは悪くない。叢雲の意見であっても嬉しいのは嬉しいが、提督のならば尚更嬉しいと思えるのだから、中々どうして不思議なものである。

 

「そういうわけだから、上手く頑張りなさいな」

 

 微笑を残し、叢雲は木曾から離れる。もう二つの湯飲みを載せた盆を手に、提督の元に向かう彼女の後姿を見ながら、木曾は渡された茶を啜る。

 

「……美味い」

 

 何となしに呟いた木曾の視界の中で、渡された湯飲みを手にする提督と、空になった盆を脇に挟みつつ、湯飲みを両手で抱えた叢雲が話を始める。木曾が座っている秘書艦用の机と、提督が座る机の距離はそう遠くない。艤装からの補助を受けられる以上、その気になれば聞き耳を立てることも可能であったが、あえて木曾は眺めるだけに留めた。卑しい、というわけではないが、まあそういう事をわざわざする場でもないだろう、と思ったからである。それに、備え付けのパソコンを指しているところから、話題が出撃中の第一艦隊のことであろうとおおよそ見当が付いたのも、まあ理由といえば理由だろう。

 

「ああいうところは、まさしく秘書艦って感じだな……」

 

 真剣に話し合っているらしい二人――特に叢雲の方を見ながら、しみじみと木曾は呟く。さして力量が見られる場面でもないのだが、その光景の自然さというのが、木曾にそのような言葉を紡がせた。同時に、自身が目標とするものが中々遠いものであるのだということも実感する。

 

 これはあくまで木曾自身の見立てではあるが、彼女の事務能力は七号鎮守府において最も低い。叢雲は例外としても、電はやや処理が遅い分非常に丁寧であり、逆に響は集中力があるのか極めて仕事が速い。そんな駆逐艦三人と比較するとやや落ちるが、木曾と同じ軽巡の二人も、中々どうして悪くない。天龍は口でこそ向いていない、性に合わないと言うものの、実際には駆逐組にそん色ない仕事ぶりを見せている。北上もまた天龍とは違った方向で気の無い素振りを見せるのだが、任された仕事に関してはきっちり仕上げるし、変にやりすぎないという意味では分を弁えていると言えなくもない。そして最も重要なのは、彼女らは誰一人として、目に見えるほどに遅筆では無いという点だ。事が書類仕事である以上、これはいっそ致命的なまでの差と言えるだろう。コンプレックスとまでは流石に言わないが、木曾の顔を難しくするには十分な要素であった。

 

「やっぱり練習するしかないよなあ」

 

 やる事がやることである以上、結局は書き慣れるしかない。自らの結論にため息をつきつつ、いい加減仕事に戻ろうとした木曾であったのだが、

 

「――ッ、何だ!?」

 

 緊急を告げるブザーが、耳に飛び込んできた。何事か、と音源を探れば、どうやら提督のパソコンがそうであるらしい。通常の連絡を告げるものとは違うその動作に、木曾は思わず立ち上がる。

 

「艦隊に何かあったのか!?」

「北上、何だ!!」

『提督、マジで緊急! 上空十時の方向から、敵艦載機群を確認した!』

「艦載機だと!?」

 

 パソコン越しに放たれた北上の焦りの声に、提督の顔色が変わる。初めて見る提督の焦り姿だが、それに驚く余裕は木曾にない。提督と同じ、あるいはそれ以上に焦りながら、木曾は叢雲と競う様にしてパソコンを覗き込む。

 

「どういうことだ、北上姉! 艦載機ってことはつまり、近くに敵空母がいるのか!?」

「哨戒航路なんて鎮守府からろくに離れていないってのに、こんな近海に何で空母系の敵が湧くのよ!?」

『そんなのこっちが聞きたいよ! どうして出てくるのさ!?』

 

 海であれば、例え人類が完全に制海権を取った場所でも現れる可能性がある。そんな特性を深海棲艦が持っているのは事実だが、かといってあらゆる艦があらゆる場所に出現するというわけではない。陸からの距離や、制海権の度合いにより、出現する艦種や個体ごとの強さに制限のようなものがあるのだ。

 

 例外はあるものの、基本的には陸に近いほど、あるいは人類側が制海権を有しているほど、出現する艦種は軽いものになる。本土近海なら弱めの水雷戦隊、大海深くなら強力な大型艦の群れ、という感じだ。これは厳密なルールとして確立しているものではなく、あくまで過去の例からの推測――つまりは経験則だったが、おおよそは正しいものだとされている。

 

 にもかかわらず、鎮守府から極めて近い海域に艦載機――つまりは空母が出現したという。この場の全員と、おそらくは第一艦隊の面々が驚愕や焦燥を覚えるのも無理からぬ話であった。

 

『とにかく迎撃行動に移るけれど、提督、いいよね!?』

「当然だ! 敵艦隊の姿は見えるか!」

『現状じゃさっぱり! 目を割きたいけれど余裕は無いよ!』

「分かった、ならば後退しつつ敵艦載機を全力で撃墜しろ! 敵戦力が不明なんだ、勢い込んで突っ込むなよ!」

『了解!』

 

 力強い返答の後、通信が一度切られる。パソコンに表示される情報から、第一艦隊が本格的に艦載機との戦闘に入った事を確認した木曾は、提督の方に手を置きながら口を開く。

 

「提督、四隻しかいない水雷戦隊じゃ空母の相手はキツイ。俺達も出た方がいいんじゃないか? 俺の艤装も、もう修理は終わっているはずだ」

「私も同意するわ。焼け石に水かもしれないけれど、待機組とはこういう時に動くもののはず。幸か不幸か戦場はここから遠くない、全力航行ならすぐにでも着けるわ」

「そうだな……後追いだが、叢雲、木曾を第一艦隊に編入する。データリンクへの接続はこちらでやる、二隻は皆の援護に向かえ!」

『了解!!』

 

 敬礼をし、木曾と叢雲はその場から走り出す。状況が状況である以上、一刻も早く応援に向かわなければならない。ここから先は、一分一秒が重要だ。

 

「木曾! 前に出来た天龍型の艤装に、汎用機銃が付いていたはずだ! ついでに持って行け!」

「おう!」

「頼むぞ!」

 

 提督の言葉に後ろ手を上げつつ、木曾はドアを蹴破らんばかりの勢いで執務室を出る。途中で叢雲と分かれつつ、その勢いのまま工廠へと駆け抜けたところで、木曾は開口一番に尋ねる。

 

「俺の艤装は!?」

 

 木曾の言葉に、妖精たちは奥の作業台を示した。そこには修理が完了したらしい木曾の艤装と、更には一度見た覚えのある、7.7mm機銃が置かれている。

 

「提督の指示か、ありがたい!」

 

 妖精たちに敬礼しつつ、木曾は置かれたそれらに触れる。次の瞬間、艤装と機銃がその場から消失したかと思うと、今度は木曾の背後に現れた。艦娘の、艤装を自由に出し入れできるという特性を生かした、いわば早着替えであった。

 

「機銃も付いたな、よし!」

 

 頷き、応援する妖精たちの声に腕を上げて応えながら、木曾はまた駆け出す。そのまま埠頭まで走ると、そこには先行していた叢雲が、自身の艤装のあちらこちらを確認していた。おそらくは木曾を待っている間、手持ち無沙汰を解消するためにやっていたのだろう。

 

「待たせた!」

「行くわよ!」

 

 言葉もそこそこに、木曾と叢雲は海に飛び降りる。無事に着()した二人は、主機の出力を一気に上げ、最大戦速で海を駆け出す。暖機もなしに初手から全力運転というのは、運用面から見ればあまり褒められたことではないことだが、そんな事を気にしていられるほどの余裕も無い。今は一刻も早く、北上達と合流しなければならない。

 

『叢雲、木曾、聞こえるか?』

「提督!」

 

 湾内を出ようかという頃合に、提督からの通信が入った。提督との直接的な通信が出来ているということは、少なくとも木曾と叢雲は何処かの艦隊の所属として処理されている証拠だ。問題は、それが第一艦隊であるかということだが、それもすぐに判明する。提督の通信と同時、第一艦隊の皆の現在情報が確認できるようになったからだ。

 

『第一艦隊への編入作業は完了したはずだが、データリンクはどうか?』

「それは大丈夫だが……あっちの状況は大丈夫じゃないっぽいな……!」

 

 提督に答えつつ、木曾は眉根を寄せる。データリンクにより知りえた北上達の状況、それが思ったよりも不味い。

 

「現時点での敵艦載機数、目算にて三十超。どうにか十弱は落としたものの、既に天龍、北上姉が小破……あまりよろしくないな、これは」

「とはいえ、空母の姿は未だ見受けられていない。補給がない艦載機なんて、一発落としたらそこまでのはず」

「だが撃墜に時間かけて後退が遅れたら、その空母も来るかも知れねえ。それに艦載機の爆弾、魚雷は一発当たりでも致命傷になる可能性は十分だ。特にそれが水雷戦隊なら尚更な」

 

 どちらにしろ急がないといけないのだ、と木曾は心の内で呟く。七号鎮守府の面々は、未だに一度として対空戦闘を行ったことがない。全く経験のない上に、北上たちはたった四隻でそれを行なっているのだ。あまり考えたくないことだが、このままでは轟沈すら視野に入ってくるだろう。

 

 だからこそ、一刻も早く合流し、艦載機の撃墜に全力を尽くす。そうしなければ、手負いのまま敵空母を含めた艦隊と当たる可能性も出てくるし、最悪鎮守府まで敵を誘引してしまうことにもなりかねない。それだけはどうしても避けなければならないだろう。

 

「とにかく、さっさと合流だ。提督、そっちから北上姉達に状況の説明を頼めるか? いきなり俺らが話しかけるより、元々話していた提督が話しかけたほうが、向こうも変な動揺はしないと思うんだが」

『そうだな、そうしよう。再三になるが、木曾、叢雲、頼むぞ』

「おう」

「ええ」

 

 提督からの通信が切れる。それを境にというわけではないが、木曾は主機の出力をギリギリまで上げ、更に航行速度を増す。後々を考えるとやや怖いが、今は多少の無茶は許容するべき時だと判断したからだ。そんな木曾の意図を、叢雲もまた察してくれたのだろう。さして何を言うでもなく、ただ同じように増速し、木曾に追随する。

 

「――見えた!」

 

 出力を上げてから三十分ほどの後、木曾の目に北上達の姿と、そしてその周囲を飛ぶ異形の艦載機の数々が映り始めた。何も使わない裸眼だとまだぼやける距離だが、艤装からのアシストがあれば十分に見える距離。それはつまり、艦娘達にとってそれは、射程範囲内に入ったということを意味している。

 

「叢雲!」

「私はもう少し! 先に撃ちなさい!」

「応よ!」

 

 主砲を構え、北上たちの頭上辺りを目標として、木曾は発砲を開始する。狙いは敵艦載機だが、当てるつもりで撃っているかというと、正確にはそうとも言えない。どちらかと言えば、北上たちの頭上を取らせないための牽制や壁の形成。当たるに越した事はないが、主としては艦載機を爆撃ないし雷撃コースから外させる為の、防御を主とした砲撃である。

 

「木曾!?」

「援護に来たぞ、北上姉!」

 

 砲撃に振り向いた北上に、木曾は不敵な笑みを浮かべて返す。しかしそれもすぐに引っ込め、木曾は真剣な表情で空への砲撃を続行する。無論、前進も止めていなかったので、少しすれば射程距離に入った叢雲もまた、彼女の隣で発砲を開始する。

 

「落とすわよ!」

「――皆、全速で後退! 一秒でも早く合流するよ!」

 

 二人の増援の到着に、旗艦である北上が第一艦隊の面々に対し命令を発する。これを受けた艦隊が後退速度を上げたことで、木曾達の登場から時を置かずして、二人と四人による第一艦隊がようやく形成される。

 

「私と天龍を中心に輪形陣! 足を止めてでもここで落とすよ! 腹にまだ抱えている奴だけを狙って全力攻撃、開始!」

 

 北上の指揮の下、第一艦隊の面々はすぐさま、小破している彼女と天龍を内部においた輪形陣を取る。対空戦闘に最も適しているとされるその陣形でもって、雲海の下を悠々と飛ぶ深海棲艦の艦載機達に対し、第一艦隊はその火砲を叩き込み始める。

 

「墜ちなさい!」

「墜ちろ!」

 

 特にその中でも、木曾と叢雲の砲撃は苛烈であった。初の対空戦闘であったが、援軍として気力や弾薬が充足しているというのもあり、二人は絶え間なく砲撃を放っていく。

 

「対空なら弾幕が……!」

 

 更に木曾は装備された機銃を用い、主砲の連射と合わせることで、可能な限りの弾幕も展開させる。持って来た7.7mm機銃は同種装備の中でも性能は低い方だが、それでも絶え間なくばら撒くようにして放てば、それ相応に敵艦載機の動きに制限をかけられているようであった。

 

「電、打ち漏らしを頼むよ」

「はい!」

 

 そして、木曾達に劣らず、響と電もまたその活躍を見せている。響は弾幕としてではなく狙撃、つまり一機一機を確実に落とすようにして撃ち、電はそのサポートとして響自身を狙ってくる機体に砲撃し、雷撃や爆撃のコースに乗せないようにしている。複数の敵機の行動を妨げることは出来ないが、確実に数を減らす二人のコンビネーションは、自分達の錬度を考えれば、見事と言うより他にないように木曾には思われた。

 

「くそっ……!」

「ちょっと、前に出ようなんて思わないでよ? 小破とはいえやられているんだからさ」

「分かっているよ!」

 

 対して、というのは酷だろうが、先の四人と比べると北上と天龍の動きはやや鈍く見える。輪形陣の内側であることと、そもそも小破しているということが、二人に突っ込んだ動きをさせることを躊躇わせているようであった。ただこれは、安全策という面から見れば、決して間違った選択ではないだろう。下手に損傷を受けて火砲を失うようなことにでもなれば、個人の安全は元より艦隊自体の無事に関わってくる。それでも、元来の性質からか、天龍には前に出ようとする素振りもあったが、その辺りを北上が冷静に止めていた為に、無謀な突撃は防がれているようであった。

 

 とはいえ、あくまでそれは他の四人と比べて動いていないというで、北上たちも対空砲火を緩めるような真似はしていない。特に天龍は木曾と同じ機銃を装備しているということもあり、それで可能な限りの弾幕を張っている。ただ主砲での砲撃自体は響寄り――つまり一機を狙う狙撃タイプの運用をしており、そのちぐはぐさがどうも、彼女の砲撃に『苛烈』の装飾をつけるのを躊躇わせている。

 

「天龍、無理に狙わないでばら撒いていけ! 対空装備を持っているのは俺たちだけなんだぞ!」

「ああ!? だから、分かっているっての!」

 

 木曾の助言に対する天龍からの返答からは、明らかな苛立ちが混じっていた。無理も無い、と木曾は気を悪くするでもなく、天龍の態度を受け止める。木曾と天龍も、攻撃型の性質ということで似通っている。そのため、自分もまた同じ立場だったら苛立つだろう事が想像できたからだ。

 

 しかし、だからといって、天龍の行動を全肯定できるかというと、そうでもない。木曾からしてみると、見るからに効率の悪い対応をしているのを見てしまうと、どうしてもそこを指摘し、最善をつくさなければという思いがあった。

 

 あるいは戦場に出る前に、書類仕事のこととはいえ、努力を重ねようと思ったことが原因なのかもしれない。天龍が自身の役割を十全に果たしていない――果たせていないように見える、というのが、どうにも木曾の心に引っかかりを感じさせた。

 

「だったらまずは――」

 

 故に、木曾は天龍に対し、自分なりの助言を投げかけようとした。それで少しでも、この場の効率を上げようと判断したからだ。

 

「――避けて、木曾!!」

 

 だが、それを妨げたのは、焦燥感に満ちた北上の声であった。何か、と思ったのも一瞬。その言葉の意味はすぐに分かった。いつの間にか、対空砲火を抜けた艦載機の一機が、木曾への爆撃コースに乗っている。天龍との問答に気をとられ、データリンクの確認と自身の索敵を怠っていたのだ。

 

「しまっ――」

 

 回避する暇がない。そう判断した木曾は、思わず顔の前で両の手を交差させる。だが、そんな彼女の前に、割り込む影が一つあった。

 

「させるかよっ!!」

 

 叫びと共に、天龍の身体に爆弾が激突した。衝撃と爆音が撒き散らされ、爆炎と水柱が彼女の周囲を包み込む。

 

「天龍!?」

 

 当たり所によっては一撃で沈むのが、航空爆撃という種の攻撃だ。その上、既に天龍は小破していた。万全の状態で受けるのと比べれば、その可能性は更に高まる。まさか、と最悪の想像をめぐらす木曾であったが、水柱と爆炎が収まった時に在ったのは、沈みゆくものではなく、しっかりと二本の足で立つ天龍の姿であった。

 

「天龍、大丈夫か!」

「心配すんな! この程度、どうってことねえ!」

 

 木曾の呼びかけに対し、天龍は気丈に言い放つことで返す。そのことに一瞬安堵した木曾であったが、すぐにその表情が曇る。データリンクによって共有されている情報から、天龍が中破、しかも限りなく大破に近い中破であるということを知ったからである。ここまでとなると、火力のみならず足回りにも不調が出ているはず。長期戦は天龍の身を汽船にさらすということは、容易に知れることであった。

 

「マズイ、北上姉!」

「分かっている! 全艦、残った艦載機を全力で落として! これ以上誰も直撃を食らっちゃ駄目だからね!」

 

 二十機近くもあった艦載機も、既に半数以上は落としている。残った機にしても爆弾や魚雷を放ったものばかりで、未だに腹に危険物を抱えているものは更にその半数ほど。それらを落としてしまえばと、北上の命令の下、木曾達は火砲を空に集中させる。完全に狙って撃つとはいかず、空荷の機も落とすこととなったが、十分ほどの対空戦闘を経て、どうにか攻撃手段を持つ艦載機はもはや、という状況にまで至ることに成功する。

 

 すると、突如として敵艦載機の動きが変わった。先ほどまでは攻撃の機を狙おうと、艦娘たちの周囲を旋回していたのであるが、それが踵を返したように通常哨戒範囲外、つまり元来た方向へと帰っていく。攻撃手段が無くなった以上、もはや長居は無用ということなのだろう。あるいは空母に戻って補給を済ませ、再度の航空攻撃を図るつもりなのかもしれない。どうするのか、と木曾が北上に対し無言の視線を送ったのだが、それに対し北上が反応するよりも早く、提督からの通信が入った。

 

『第一艦隊、聞こえるか?』

「提督! 大丈夫、聞こえるよ。どうにか艦載機を追い返せたみたいなんだけど、この後はどうすればいいかな?」

『逃げてくれたならそれでいい。対空警戒を厳としつつ撤退しろ』

 

 良い指示だ。少なくとも木曾にはそう思われたので、彼女は安堵しつつ頷く。しかし、そんな提督の指示に対し食って掛かったものもいた。

 

「どういうことだよ、提督! アイツらを追えば敵艦隊を発見できるんだぞ!?」

『不服か、天龍』

「ああ、不服だ! どうしてみすみす敵を逃がさなけりゃならないんだ!」

 

 憮然とした表情で、天龍が通信先の提督に告げる。戦闘の経緯を踏まえれば彼女の不満も分からないでもないのだが、流石に無謀だろうと木曾には思われた。それはどうやら提督も同じだったようで、彼は常と変わらぬ冷静な調子のまま、しかしやや諭すような口調で言う。

 

『敵戦力が不明な現状、追跡は許可出来ない。制空権も取れない水雷戦隊を出すには、不安要素が多すぎる』

「俺達はその航空機を落としたんだ! 今ならあっちの補給が間に合うよりは早く攻撃できるかもしれないし、何よりこっちには『夜戦弾』だってある! 懐に入りさえすれば空母だってやれる!」

『落ち着け、天龍。不明とはいえ、敵艦隊が空母のみとは考えづらい。駆逐だけならともかく、戦艦でも混じっていようものならば、貴官らだけではどうしようもない。たとえ『夜戦弾』があろうとも、だ』

 

 道理だな、と木曾にはそう思えたのだが、どうにも天龍には未だに納得が出来ないらしい。好戦的、というよりは自重が足りないなと、木曾は天龍の肩に手を置き、説得に加担することにする。

 

「冷静になれよ、天龍。こっちだってそれなりに油も弾も消耗しているんだ。今から追撃しても上々となるかどうか分からねえ。第一、お前は中破しているんだ。庇ってもらった俺が言うのもなんだが、当たり所が悪ければ今度こそ沈んじまうぞ」

「ふざけんな! 俺は艦娘だ、戦うためにこの姿を得ているんだ!  だから死ぬまで戦わせろ!!」

「おい――」

 

 流石に、これは言いすぎだ。若干の怒りを覚えつつ、天龍をたしなめようとした木曾であったのだが、

 

『――天龍!!!』

 

 通信越しから、提督の怒声が響き渡った。今までに聞いた事のない音量と迫力で放たれた提督の声に、思わず先ほどまでの怒りも忘れ、木曾は思わず直立する。これは彼女だけではなく、天龍も含めた他の艦娘たちも、呆気に取られた、あるいは気圧されたような表情を浮かべている。

 

『死ぬまで戦わせろだと!? 貴様、(・・ )私の指示を忘れたか! 我が鎮守府は生還こそを是とすると、そう言っただろうが!!』

「だ、だが」

『それを実行しようとしない貴様を、これ以上戦闘に出す気はない!! 貴様が死ぬのは勝手かもしれんが、他の者達を貴様の自己満足に付き合わせてたまるか!!』

「――っ!」

 

 提督の言葉に、天龍は言葉を詰まらせる。提督の言葉がよほど響いたのか、彼女は意気消沈とした表情を浮かべ、その顔を力なく伏せる。

 

『北上!』

「えっ、あっ、はい!」

『その馬鹿を曳航してでも鎮守府まで引きずって来い! いいな、急いで帰還しろ!』

「りょ、了解!!」

『余計な事を考えず、絶対生きて帰って来い! 以上だ!』

 

 その言葉を最後に、提督からの通信が切れる。その後、たっぷり十秒は挟んでから、ようやくといった素振りで叢雲が口を開く。

 

「帰還、しましょうか。命令だもの、ね」

「ああ、うん。そう、だね、命令だし……天龍も、いいよね?」

「…………ああ」

 

 消え入りそうなほどに小さな声で、天龍は了承の返事を口にする。その姿を見て、一度、大きく頭をかいた後、木曾はため息と共に呟く。

 

「こりゃ、後を引きそうだ」

 

 だから、と木曾は言葉に出さずに続ける。先ほど天龍から受けた借りもある。どうにかやってみようと、木曾は問題解決の手段を考え始めるのであった。

 

 







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