七号鎮守府譚   作:kokohm

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天龍は一つの納得を得ました

「ふぅ……」

 

 ため息をつき、天龍は緩慢な動作で頭上を仰ぎ見る。立ち上がれば手も届く程に低く、強烈な圧迫感を押し付けてくるその天井に、彼女は再度ため息を漏らす。

 

「……思ったよりもきついな、これは」

 

 だが、それも仕方のないことだろう。ぼやきつつも、しかしそういう納得が彼女の中にはあった。先の、提督の命令に対しての、理もなく、ただ感情にのみ依った不服従。それに対しての罰則として今の状態――たかだが三日程度の営倉入りというのは、幸運なのか、あるいは不幸なのか。

 

「まあ……どっちでもいいわな」

 

 自答し、天龍は不真面目を示すかのように頬杖をつく。しかし、その一動作にすら、どうにも気力というものが感じられない。ここに入ってから、まだ一日程度しか経っていないが、彼女の心は大きな負担を受けていた。

 

 無論それは、彼女の肉体面からくるものではない。元々、艦娘というのは物理的な頑丈さとは別に、生存という意味での頑強さも備えている。だからたった一日身動きをとれないだとか、その程度のことであれば、さして精神的な影響を受けるということはないだろう。それでもなお、天龍が精神的に消耗しているのは、ここに入ることになった原因、つまりは提督からの反応に起因していた。

 

『天龍!!!』

 

 あの時、提督は怒声でもって、彼女の名前を強く叩きつけた。まさしく怒りに満ちたと分かる、感情的な呼びかけ。天龍の脳内に焼き付いていたそれは、彼女が物思いに耽る度に、一つの問いを押し付けてくる。

 

「分からねえよ、提督。俺には、アンタが分からねえ」

 

 何故、提督はああも怒ったのだろうか。その疑問が、天龍の脳裏をかける。いや、まったく心当たりがないというわけではない。仮にも兵器である艦娘が、上位者である提督の命令に反しようとしたのだ。そこに提督が怒りを覚える、というのは当然のことだろう。軍隊における、艦娘の立ち位置を考えれば、むしろそれ以外に答えはないはずである

 

 だが、本当にそうであるのだろうか。そんな、自身の出した結論に反する問いが、彼女の心から消えようとしない。果たして、自分たちの提督が、そういう性質を備えた人物であるのだろうか。それ以外に何か、提督が怒声を発し、天龍たちにああいう形で感情をぶつける何かが、どこかにあるのではないか。そんな考えがどうにも、天龍の中から抜けていかない。

 

 しかし、いくら考えてみても、それを証明するものが天龍の中に浮かんでこない。だが皮肉なことに、そのことに関してだけは、天龍にも納得できる答えがあった。

 

「所詮、艦娘の俺には、人間の感情なんて分からないってことか」

 

 かつての軍艦の分霊とでも呼ぶべき存在、それが艦娘だ。見かけや頭の中身がいくら近しかろうとも、所詮は別の存在であり、異なる精神構造をしている。元が人ではない彼女たちの感情など、結局は人の猿真似でしかない。それなりに長く人と触れ合った古参の艦娘ならともかく、まだ受肉したばかりの天龍には、そういう人間の心というのは、深く理解できているものではないらしい。

 

「はっ……まあ、『兵器』としてもミスったのは事実。だとすれば、現状に文句なんてつけようがねえわな。お前も(・・・)そう思うだろう?」

 

 皮肉気な笑みを浮かべながら、天龍は扉の外に声をかける。艤装とリンクしていないとはいえ、さして騒音もないような独房だ。外にいる誰かの気配を感じ取ることは、そう難しいことではなかった。

 

「……いや、急になんだよ。いきなり同意を求められても、反応に困るんだが」

 

 言いつつ、扉に備え付けらえた監視用の窓を開けたのは、困惑した表情の木曾であった。彼女の反応に、それもそうかと苦笑しつつ、天龍は不思議そうな口調で尋ねる。

 

「それで、一体何の用だ? 夕飯はとっくのとうに済ませたはずなんだが」

「ちょいと借りを返しに、な」

 

 ちゃりん、と木曾の手の中で音が鳴る。何だ、と思い、窓越しに目を細めた天龍であったが、すぐさまにその表情が変わる。

 

「おまっ、それ、ここの鍵じゃねえか!? どうした、それ!」

「頑張ってちょろまかした」

「ちょろまかしたって、お前……」

 

 軽く放たれた木曾の言葉に、天龍は思わず絶句する。その辺の鍵ならともかく、この手の施設の鍵は提督の管理下にあるはず。それを無断で拝借してくるなど、実行時のリスクもそうだが、後に発覚した場合には、天龍以上の厳罰に処されても文句は言えないだろう。どうしてそこまでと、天龍としては木曾の正気を疑わざるを得ない。

 

 しかし、そんな彼女の困惑とは裏腹に、木曾は何でもないように独房の戸を開け、寝台に座ったままの天龍に手を伸ばしながら、努めて明るい口調で言う。

 

「なあ、天龍。ちょいと、夜の散歩に付き合う気はねえか?」

「……ちょっとだけな」

 

 僅かに悩みつつも、天龍は木曾の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。確かに混乱や不安はあるが、木曾に対する少しばかりの好奇心と、何より外の空気への飢えとでも言うべきものが、彼女の背を後押しした。

 

「よっし、じゃあさっさと行くぞ。万一にもばれたら面倒だからな」

「そうだな」

 

 木曾の先導の元、天龍は地下にある独房から、月光が照らす地上に出る。独房は工廠の裏――海側とは逆の内地側にあるので、自然と一日ぶりの地上の景色はそっけない鎮守府の塀となる。つまらない光景だな、とふと足を止めて眺めた天龍であったが、彼女がそうしている間にも、木曾は変わらず足を止めず、どこかへと向かって歩き続けている。置いて行かれては面倒だと足を速め、木曾の隣に並んでから、今更ながらの問いを投げる。

 

「それで、何処まで行くんだよ」

「んー……まあ、着いてからのお楽しみって奴だ」

「はあ?」

 

 はぐらかされたことに天龍は眉をひそめたが、木曾はさして気にしたそぶりもなく、その足を止める様子もない。そのあっさりとした態度に、むしろ追及する気も無くなり、天龍もそのまま木曾に着いて歩く。立場を考えればいっそ堂々としすぎな移動であったのだが、今の七号鎮守府には夜間警邏を行うだけのマンパワーがない。センサーなど最低限の警備はしているのだが、それもどちらかと言えば侵入者対策であり、内部での人の動きまではフォローできていない。そのため、比較的堂々と動いても、誰かに見られる心配はないだろう。

 

 さて、何処が目的地なのだろうか。候補をつらつらと考えていた天龍であったのだが、結果としてその予想は全て外れることになった。それほどまでに、ついに木曾が立ち止まった場所は、天龍にとって予想外に過ぎた。

 

「……おい、木曾。お前、何を考えているんだ? ここは本館(・・)だぞ」

 

 酔いが覚めた、とでも言うべきか。先ほどまではいっそ他人事のようにも見える態度であった天龍が、突如としてそれを一変させ、木曾の肩を力強く掴む。その態度から感じられるのは、確かな焦りだ。

 

 これほどまでに天龍が焦るのは、他の鎮守府はともかくとして、七号鎮守府における本館というのが、鎮守府の執務の中心であると同時に、提督が普段の寝泊まりをする場所だからだ。非常時の指揮を迅速に行うため、本館の二階に執務室その他を、一階に提督の私室その他、という造りになっているのだ。

 

 今はもう月も高い時間である。暇つぶしや個人的な見回りなどで外に出ていない限り、提督は間違いなくこの建物内にいる。会う可能性が『ある』徘徊と、会う可能性が『高い』侵入。仮にも営倉入り中の天龍を連れて入るには、いくら何でも冗談が過ぎる話だ。

 

「安心しろ、お前の姿が見られるようなへまはしねえ」

 

 しかし、どうやら木曾は本気であるらしい。肩を掴み、振り向かせたことで露になった木曾の目には、一片たりとも冗談の色は見受けられてない。その予想以上に真剣な様に、天龍もまたそれに近しい表情になる。

 

「ああ、もう、分かったよ。ったく、ここまで来たら賭け続けるしかねえか」

 

 ガリガリと頭をかいて、木曾の肩から手を外す。こうなれば、木曾を信じてみるしかないだろう。これほど真面目な表情をしているのだ。最後まで信じてみるかと、そう天龍は判断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……からのこれかよ」

 

 かくして、本館に入ってから数分後。天龍はすっかり気の抜けた口調で、壁にもたれかかりながら呟いていた。口調に比例するように、その表情もすっかり真剣みがない。そんな天龍に対し、木曾が不思議そうに首を傾げる。

 

「どうした?」

「どうした、じゃねえよ。どうなんのかと真面目に考えていたってのに、それがこれ(・・)じゃ力も抜けるわ」

「ふん、分かっていないな、天龍。これこそが今、最も有効的な手なんだぜ?」

「何処がだよ……」

「古今東西、腹を割って話すにはここ(・・)って相場が決まっているじゃないか」

「そりゃ、同性ならそうだが」

 

 馬鹿だろう、と木曾を見上げながら、天龍は呆れの感情を抱く。しかし、そんな彼女の反応など気にも留めるそぶりもなく、木曾は自信満々に口角を上げる。

 

「まあ、そういうわけだ。俺が話している間、ばれねえように隠れておけよ」

「へいへい」

 

 気だるげに手を振る天龍の傍を通り、『一糸纏わぬ姿』の木曾は硝子戸を開ける。提督専用として認知されている浴場の、その更衣室から奥に対し、木曾はあっけらかんとした口調で声をかける。

 

「よう、提督! 裸の付き合いをしに来たぜ!」

 

 風呂場ということもあり、その声は浴場内で反響しているのが聞こえる。そして、二拍ほどを遅れて、常よりもさらに低い声が返ってきた。

 

「……何のつもりだ、木曾」

「何って、今言っただろう?」

「普通、それは同性間で行うものだ。異性で、なおかつ上司と部下の関係でやるものじゃない」

「人間と艦娘は、厳密でなくとも別種族だろ? だから、そういうのはあんまり気にしなくていいんじゃあないかと思うんだ。上司と部下の方はまあ……気にしないってことで」

 

 ここまで言ったところで、木曾は後ろ手に戸を閉める音が響いた。その動作に呆れたか、あるいは諦めたのだろう。壁越しであるが――今の状況で誇るべきかは怪しいが――艤装由来の強化された聴力でもって、提督がため息をついたのが天龍には聞こえた。その調子から、嬉々として、というのでは勿論ないが、どうやら木曾の無茶苦茶な申し入れを受諾したように感じられた。

 

『しっかし、広いなあ。寮の大浴場とは流石に比べられてないが、それでも提督一人が使うには、って感じだ』

『鎮守府に外部の人間が来た場合、宿泊等を含め、基本的にはこの本館が用いられることになるからな。その辺りの配慮の結果だ』

『なるほどな』

 

 ガラス越し、壁越しということもあり、二人の声はぼやけ、遠くに聞こえてくる。それでも十分に内容がわかる程度には聞こえるのは、やはり艤装からの強化のおかげだ。しかし、その有用性を実感するのが盗聴とは。今の状況も踏まえて、どうにも締まらない話だと、天龍は壁に背を預けながら情けなく思う。

 

 そんな天龍の哀愁など知る由もなく、浴場からは木曾の馴れ馴れしい言葉と、提督の諦めの混じった返答が聞こえてくる。それは内装がどうの、かけ湯がどうの、というまあ浴場には合った会話である。恥じらいも何もあったものじゃないな、と思うくらいに色気の会話だ。木曾も木曾だが、提督も提督でちょっと変だ。そんなことをつらつらと思う天龍を他所に、湯につかったような音が更に聞こえた。木曾が浴槽に身を預けたのだろう、ということは容易に推測できた。

 

『ふう……良い湯だな。これを独り占め出来るってのは、提督がうらやましい限りだ。今はともかく、将来的には寮の大浴場も狭くなるだろうし』

『限界数まで達すれば、増築等も考えることになるだろうよ。まあ、当分は先の話だろうが』

『そんな簡単にできるのか?』

『かつてはともかく、今やこの国は妖精由来の超技術を保持するようになったからな。単純な建築くらいならそう手間はかからんそうだ。何と言っても軍施設だ、それなりに優先はされる』

『ははあ……ところで、提督』

『なんだ』

『ちょいと質問なんだが、今日は妙にフランクじゃないか? いつもと比べて、なんか言葉尻が軽いというか、硬い感じがないように聞こえるんだが』

 

 ああ、と天龍は納得の声を僅かに漏らした。先ほどから僅かに違和感があると思っていたのだが、今しがた木曾が語ったそれが、その正体であると気づいたからだ。シチュエーションのわりに落ち着きすぎているからだとかと思っていたのだが、言われてみれば確かに、こちらの方が違和感の正体だと納得できる。

 

 そんな二人の疑問に対し、提督は何でもないように軽く答える。

 

『ああ、そんなことか。そんなもん、単に今がオフだからだ。公務中ならともかく、こんなプライベートの場でまで『私』だの『貴官』だの言う気にはなれん。『俺』に『お前』で十分だ』

『はあん、なるほどなあ』

 

 またも、木曾の言葉と天龍の思考が合致した。確かに、言われてみれば道理のことだ。良くも悪くも社会と関連がない艦娘と違い、提督は人間として生活をしてきているのだ。今の地位も踏まえれば、そういう『演じ分け』というのも身につけていることはおかしいことではない。

 

『だから、気に入らんというならさっさと出ていけ。というかさっさと出ろ』

『はっ、むしろそっちの方がいい。肩肘張って語るよりゃ、気を抜いて喋る方が性に合うってもんだ』

 

 数秒、沈黙が流れた。雰囲気から察するに、意図的に後半の言葉を無視したのだろう木曾に対し、提督が無言で圧をかけていたのだろう。だが、柳に風と言わんばかりに、木曾はそれを受け流したらしい。ややして、深いため息の後、提督が呆れたように言葉を投げた。

 

『……それで? 結局のところ、なんでここに突っ込んできた? 裸の付き合い、などとほざいていたが』

『んー……まあ、ちょいと話をしたいと思ってな』

『天龍関連か』

『勘がいいな、流石提督』

『他に話題もあるまい。大方、どうしてああも怒ったのか、とかそういうことだろう』

『そういうことになるな。ああもアンタが感情的になった、そのバックホーン。それを教えちゃくれないか?』

 

 ついに来たか、と天龍は知らず、その身を固くする。この話題になることは、少し前から予想は出来ていた。そうでなければ、わざわざ、木曾が自分を連れ出し、提督と話をしようなどとするはずがないからだ。

 

 あの時、怒られたこと自体はまあ、さして気にしてもいない。冷静に考えればあれは、提督の方に理がある、あるいは天龍が無茶を言ったと分かるからだ。だから、天龍が気になっているのは、ただの一点。その答えを知りたいと、天龍は息をひそめ、提督の次の言葉を待つ。

 

『……まあ、今からざっと、十年ほど前、『俺』がまだガキだった頃の話になるか』

 

 宣言の通り、提督の口からその一人称が発せられた。分かっていたにもかかわらず、何故かその瞬間、天龍の肩が僅かに跳ねる。そのことに気づき、天龍は動いた肩を見ながら眉根を寄せる。短い付き合いにもかかわらず、普段とのギャップに過剰な反応をしてしまったのだろうか。そんな解析をした天龍であったが、どうにもしっくり来るものもない。では、と考えようとしたところで、提督の言葉が更に紡がれたため、自然と天龍はそちらに意識を向けなおした。

 

『当時、世界は出現したばかりの深海棲艦に対し、どのような対策をするべきか模索している最中だった。海沿いであれば、何時何処にでも現れてもおかしくない、異形の怪物。そんな基本とすら言えないことすら、まだ分かっていなかった頃だ』

 

 水滴が落ちる音すらしない、無音。その中で提督は静かに語り始めた。

 

『防人家は代々、海軍で身を立ててきた家だ。だからってわけでもないんだろうが、俺の家は海に近い場所にあってな。その海でよく、俺は幼馴染と共に遊んでいた。まあ流石に、十年前になると、俺の方は幼馴染に付き合う形でしか行っていなかったんだが……とにかく、当時は深海棲艦の出現に伴って、念のために疎開でもするべきかという話が出てきていた。ちょうどその頃だったよ。その海に、深海棲艦どもが現れたのは』

 

 一つ、大きな呼吸が挟まれた。過去を振り返ったことによる、何かしらの負担なのだろうか。提督が生んだその『間』に、天龍はふとそんな感想を抱く。

 

『あの日、滅多にならないサイレンが鳴り響き、初めての言葉をスピーカーは吐き出していた。深海棲艦という名称すらも、まだ一般には広まり切っていなかった頃だ。おそらくは軍から渡された原稿のままを読んでいるのだろうその放送に、周囲の大人たちは危機よりも困惑の方を感じていたようだったよ。どうするべきか、そんな雰囲気が辺りに満ちていく中、俺は海へと走った。勿論、興味本位だからじゃない。俺は親父から多少、深海棲艦についても話を聞いていたし、もし来たらさっさと逃げろとも言われていたからな』

『だったら、なんで自分から向かったんだ?』

『幼馴染さ。アイツは海が好きで、その日も海に行くと言っていた。だからもし、深海棲艦どもが海にいるのなら、アイツがその被害に遭うんじゃないか。だったら、助けなければいけない。咄嗟に俺は、そんなことを考え、実行に移した。ガキの無茶無謀だが、当時の俺は自分を客観視できるほど大人じゃあなかったのさ』

 

 大きく、水音が響いた。湯船から手を上げたことによるものによるものではないか。音の感じから、天龍はそのように推測した。そして――こちらは完全に勘だが――提督が髪をかき上げたか、顔を撫でるようにしたのではないか、とも思った。何かを考えこんだり、思い出したり、悩んだり――とにかく自分の内にあるものをどうにか外に出そうとしている時にする動作を、今やったのではないか。そんな想像が、天龍の中にあった。

 

『それで、行ってみりゃあそこには異形どもがいて、もう少しで上陸しようかってところまで近づいていた。砂浜には怯えている幼馴染がいて、どう見てもすぐに動ける様子じゃなかった』

『助けに行ったのか?』

『ああ。そうしなければ、と思ったからな。幼馴染のところまで行って、肩を貸して、どうにかこっち側に向かって歩き出したところで……俺たちは吹き飛ばされた。奴らの砲撃によるものだった、と気づいたのは後のことだったか』

『深海棲艦の砲撃を受けたのか? そりゃ、よく無事だったな』

『駆逐艦だったのと、直撃じゃなくて爆発の端っこに引っかかった形だったからだろう。それでも、まあそこそこ身体は吹っ飛んだし、何より俺は足をやられた。不思議と、痛みはそれほど感じなかったか。幼馴染は大丈夫そうだったが、完全に気絶していた。まさしく、詰みの状態だった』

 

 だが、今こうして、提督は生きている。だったら、一体どうやってその詰みをひっくり返したのだろう。そんな天龍の疑問に、提督は間髪入れずにその答えを口にした。

 

『そこに、『彼女』が現れた。海上を横合いから現れ、迫る駆逐艦どもを瞬く間に撃破し、海に沈めていった』

『艦娘……だが、提督の言う時分だと』

『ああ、その時期はまだ、艦娘の建造技術は存在していなかった。妖精は既に現れていたが、彼らとコミュニケーションを取れる存在――提督がまだいなかったからな。だからそこに現れたのは、妖精によって建造された艦娘じゃなく、その妖精たちを人類の前に連れてきた、最初の艦娘達の一人だったのさ』

『最初の……!? ということは、『始まりの第一艦隊』の一人か!?』

 

 木曾が驚きの声を上げ、天龍も思わず目を見開く。この大戦における初期において、何処からともなく現れ、人類に深海棲艦の存在を伝えた六人の艦娘。彼女らの与えた影響と、後に続く多大な貢献から、『始まりの第一艦隊』と呼ばれるようになった、言わば全ての艦娘達の最先達。徹底した機密保持から、どの艦娘の同位体がそれであったのかも秘匿されている、ある意味では伝説上の存在とも言える者たち。

 

 その一人と、提督が過去に会っていた。まさかの告白に、天龍はより一層耳をそばだて、一言一句聞き逃さないようにする。

 

『その『彼女』は、俺に声をかけてきた。大丈夫か、歩けるかと、そういうことだった。駄目だ、とそれを否定しようとして、俺は気が付いた。『彼女』の後方から、更なる深海棲艦たちの増援が来ていることに。一見した限りでも、二桁はいたのが分かったし、今にして思えば重巡や戦艦らしき姿もあった』

 

 またも、一拍ほどの間が生まれ、そしてまた提督が話を続ける。

 

『俺は『彼女』に、背後の奴らについて叫んだ。俺の声を受けて、『彼女』は一度振り返った。長い沈黙の後、『彼女』はこちらに向き直った。ああ、駄目なんだなと、その表情から俺は察したよ』

 

 提督から、嘲笑じみた呼吸音が漏れた。過去の自分の行いに対するものだろうと、天龍はそんな風に感じ取る。

 

『こっちの状態を察したんだろう、『彼女』は俺に逃げろとは言わなかった。だから俺から、幼馴染を連れて逃げてくれないかと頼んだ。一人くらいなら抱えて逃げられるだろうと、自分はいいからと必死で頼み込んだ。そうしたら、『彼女』は小さく首を振った。自分の役目は、多くの人を救うことだ。避難もできていない町の人々を救わなければならない。何より、一人を犠牲にして一人を救うことはできないと、そういうことを『彼女』は俺に告げた』

 

 気づけば、提督の声からは力が失われていた。かすれるように、絞り出すように、提督は力なく言葉を紡ぐ。

 

『……そして、『彼女』は笑いながら言ったよ。生きろ、と。私の分まで生き延びろ、と。私が助けたのだと、胸を張って言えるくらい立派に生きろ、とそう言った。笑いながら、彼女は俺に背を向けた。必死に叫んだが、『彼女』はもう振り返ってくれなかった。背を向けたまま、『彼女』は勇敢に戦った。敵を撃って、撃って、撃っていった。攻撃を受け、大小様々な傷を負って、血反吐を吐きながら『彼女』は敵を沈めていった。そうして、戦って、戦って、戦って、最後の一隻となった相手と刺し違えるようにして――ついには、沈んだ』

 

 そして、沈黙が訪れた。数秒以上が経っても、提督は口を開こうとしない。だからか、途中から黙っていた木曾が、ようやくと言葉を発する。

 

『それで……どう、なったんだ?』

『…………気づいた時には、俺は軍の病院のベッドの上だった。そこには家族や幼馴染がいて、そして改めて、『彼女』が沈んだことを知らされた。町を守るために、俺たちを守るために、その場にいた深海棲艦の全てを屠り、立派に沈んだと。最後まで彼女は、己が職分を全うしたと、軍人としての父がそう語っていた』

 

 また、自嘲じみた吐息が提督の口から洩れる。

 

『あれから、何度も考えた。あの時、俺たちがいなかったら、『彼女』は沈まなかったんじゃないかと。町を守る必要があるとはいえ、その時点で見える範囲に人はいなかったわけだから、守るために足を止めず、倒すために動き続けていれば『彼女』は自身を犠牲にする必要はなかったんじゃないかと』

 

 今も考えていると、小さな声で付け加え、今度は妙に、不自然なほどに明るい口調で、提督はさらに続ける。

 

『ふざけた話だが、俺は『彼女』の姿を覚えていない。『彼女』の言葉も、戦いも、最期も、全て見たはずなのに、何故か『彼女』が誰だったのかが分からない。現存する全ての艦娘の資料を見ても、これと同位体であったと言うことが出来ない。医者曰く、『彼女』が沈んだ姿を見たことによる精神的な負担から、自分を守るためにそうなったのだろうと言われた。まったく、何と情けないことかと俺は自分を見下したよ。命を懸けて守ってもらっておきながら、その恩人の姿を覚えていないなど、何とふざけた男かと』

 

 だが、と提督は言う。

 

『同時に、こうも思った。俺は臆病者であるのだと。一つの命すらも背負えず、そのことを受け止められないのだと。そう自覚した瞬間、俺はとても怖くなった。また、誰かの命を俺が失わせるようなことがあった場合、俺は一体どういう反応を見せるのだろう。また、その人のことを忘れるのか。そんな不義理を、二度も行うのではないか。それは果たして、『彼女』が胸を張って誇れるような生き様であるのか。俺は自分を侮蔑しながら、そうならぬ方法を考えた』

 

 一息を挟み、言葉が続く。

 

『俺は決めた。今度は俺が、誰かを救おうと。生きていれば『彼女』が救えただろう数まで、誰かの命を守ろうと。これ以上誰の命も背負わずに、誰かの命を守ろうと、そんな都合の良い決心をした。その決心と、家の事情も合わせ、俺は軍人になった。ただの一兵卒として、誰の命も預かる立場にない状態で、誰かの命を救う努力をしようと思った。後に地位が上がったとしても、その頃にはまた違った決意が生まれているだろうと思っていた』

 

 そこまで聞いて、天龍は眉をひそめた。今の提督の言葉と、現状での立場の差異。それを比べると、明らかにひっかかるものがある。提督も当然、その不可思議は理解しているようで、さして間を空けずその答えを口に出す。

 

『ただ、な。一体全体、どういうわけか。今の俺は艦娘たちを指揮する提督となってしまった。まさしく前線で命を張っている者たちの、その命を預かる立場になってしまった。その覚悟もなかったのに、突然にそうなってしまった。ただでさえ『一つの命の可能性』で手いっぱいだって言うのに、下手を打てばまたそれが増えていくことになる。はっきりと言って、そんなのは嫌だ。また俺のせいで誰かが死ぬのなんて御免だし、その命を背負うなんてそれ以上に無理な話だ』

『……だから戦果よりも、生き残ることを優先させるようにした、ってわけか』

『そういうことだ。これ以上背負いたくないから、お前たちに誰も死なせないことにした。独りよがりな、俺の身勝手だ』

 

 ようやく、分かった。あれほどまでに提督が、天龍に対して怒ったわけ。命令を違反したからでも、天龍の身を案じたからでもない。提督は、背負いたくなかったのだ。天龍という、一つの命を。そうだったのだと、不思議と、天龍は深く納得した。意外なほどに、奇妙なほどに、まるで真理か何かのように受け入れることが出来た。その理由は、天龍にも分からない。ただ、納得できたのだ。

 

『纏めれば『嫌だから嫌』で済む割には無駄に長くなったが……聞きたがっていた問いの答えには、これで十分か?』

『ああ……まあ、そうだな。確かに、十分っちゃ十分だと、思う』

 

 言って、木曾が沈黙する。提督から語られた、彼の過去の断片。それを受け入れ、飲み込むために、発信を抑えているのだろう。すぐさまにどうこうと言えるほど、木曾も、そして天龍も、語られたそれを受け止められるほどの『時間』をまだ生きていない。語った言葉を納得は出来ても、そこから正しく、そしてあちらに納得してもらえる感想を述べるのは、決して簡単なことではない。これはあくまで天龍の考えであったが、沈黙を保っていることを踏まえると、おそらく木曾もまたこれに近しいことを考えているのだろう。

 

 ただ、現時点において言えば、天龍と木曾には決定的に違う部分がある。天龍は自身の考えに依らず沈黙を選ばなければならないが、木曾の方は提督に対し何かしらの言葉を投げることが出来るということだ。であれば、木曾がこのまま何も言わずに終わらせるということはないだろう。彼女の行動力の強さは、天龍が今ここにいることが証明している。

 

『……すまなかった、提督』

 

 やはり、というべきか。数分の沈黙の後、木曾が言葉を発し始めた。

 

『正直、もうちょい軽いもんだろうと俺は思っていた。提督になる上で決意したとか、死なせたくないからとか、それこそ俺たちが女だからだとか、そういう理由かもと勝手に解釈して、突撃してみちまった』

『別に、構わん。さして隠しているわけでもなし、知っている者は知っている話だ。細かいところまですべてを話した、というわけでもないしな』

『それでも、こっちが押し掛けたことだ。だから、それに関しては謝罪する』

 

 その上で、と木曾は言葉を選ぶようにしながら、ゆっくりと続ける。

 

『俺は、提督の考えを支持することにした。正直、全部を理解したってわけじゃないが、それでも提督の決意は伝わった、と思う。だから、それに俺も応える。それが俺の、『七号鎮守府の木曾』の決意だ。提督が生きることを望むなら、俺もまたそれを望もう。生きて救えと言うならば、全力でこれを実現させよう。それが、俺が決めた意思だ』

『……そうか』

 

 段々と力が入っていき、最後には誇らしげな声で木曾が宣言し、それを提督が短く、しかしはっきりと受け入れた。場所にはそぐわぬほど真摯で、どうにもシュールに思えるシチュエーションであったが、不思議と天龍の心には嫉妬に近しい感情がある。

 

 確かに、傍から見れば滑稽ですらあるだろう。だがそれでも、格好いいと思えた。ただ聞き耳を立てているだけの自分が、どうしても哀れに思えた。隣で聞いた木曾は堂々と言えるのに対し、盗み聞きをした自分は、おそらくずっと何を言うこともできないだろう。だからこその嫉妬に、天龍は自らに対し鼻を鳴らす。そして、そんな自分の方こそが滑稽だと、自嘲しながら口を開く。

 

「ったく、なっさけねえ。あんだけ重い話を聞いておいて、これとはね」

 

 まったく情けないと、そんな言葉を口の中で転ばせる。そんな天龍の独白を余所に、がらりと雰囲気を変えた口調で、提督が言葉を発する。

 

『――さて、そろそろ、出ろ。いい加減、のぼせそうになってきた』

『あん? 別にいいじゃねえか。重い話も終わったってことで、背中の一つでも流してやるつもりだったんだが』

『いらん、もう済ませた。さっさと出んと、俺が先に出るぞ。その場合、困るのはお前の……いや、お前たち(・・・・)の方だと思うが』

「なっ!?」

 

 明らかにこちらに向けてのものだろう提督の言葉に、思わず天龍は腰を浮かせかける。何故ばれたのか。いや、状況の唐突さを鑑みればばれてもおかしくないが、しかし……

 

 そんな思考を巡りと同時に、無意識に視線を動かした天龍であったが、その目が脱衣所と廊下を繋ぐ扉を捉えたところで、ピタリとその動きが止まる。

 

「……あっ」

 

 四つほど、目が合った。扉の隙間、そこから縦に重なるように、見覚えのある顔が並んでいる。見つかった、と言うような声を漏らした北上に、ゆっくりと顔を横に反らす叢雲。あわあわとしている電に、無表情にこちらを見つめてくる響。

 

 居たのか、と呑気な感想を抱くと同時、なるほど、と納得の感情も沸く。鍵を失敬し、ここまで人に会わず、提督は風呂にいるという色々と都合のいい展開だと思っていたが、提督以外の全員が協力していたのならばそうもなるだろう。むしろ今まで、自分も覗かれていたにも関わらず、まったく気づかなかったというのもあれかもしれない。

 

「えっと……じゃあ、そういうことで」

 

 代表というわけでもないだろうが、すまなそうに言いながら片手で礼をし、北上が静かに扉を閉める。その後、こそこそとその場を離れる気配がしたことから、四人が逃走を選んだというのがすぐに分かった。

 

『……ま、まあ、あれだ。何のことか分からんが、提督がそう言うなら俺も上がるかな、うん』

 

 そんな四人の気配を察したのか、やや白々しい口調と共に木曾が立ち上がる音が聞こえる。そのまま、ひたひたとこちらに向かって歩いてきて、がらりと扉を開け、脱衣所に入ってきた。後ろ手に扉を閉め、僅かに空いた廊下の扉と、壁に背を預けて座っている天龍に視線をやった後、ふうと安堵の息を吐いた。

 

「いやあ、焦った焦った。提督も結構侮れねえな、良い勘しているじゃねえか。お前とあいつら、一体どっちに気づいたんだか」

「ただの鎌かけだったりかもだけどな。というか、あいつらも居るなら最初に言っておけよ」

「万一の事を考えると、あんまり情報共有していない方がいいと思ったんだよ。提督が気付かなきゃ黙っているつもりだったんだが、どうにも締まらねえな、こりゃ」

 

 ぼやくように言いながら、木曾は服を身に着けていく。さっさと離れた方がいいというのが無言の了解であったので、天龍も合わせて立ち上がり、軽く背筋を伸ばす。

 

「とにかく、見逃してもらっている間にさっさとずらかるぞ。お前もこれ以上俺を突き合わせることはねえよな?」

「ないない、これで全部だ。予想以上に重い結果になったが、まあ概ね予定通りだな」

「予定通りねえ……」

「ああ、予定通りだ。これでお前も、今後は『死ぬまで』なんて言えねえだろ?」

「言えるか。あんなのを聞いてまだそんなことを言えるなら、そいつは人の形をしている資格がねえよ。艦娘でもそれは変わらねえ」

「なら、まあ無茶した甲斐もあったか。これで借りは返したからな」

「あん?」

「なんでもねえよ」

 

 何のことだ、と怪訝な表情を浮かべた天龍に、木曾は軽く笑い、背を向けて部屋を出ていく。思わず見送り、一秒ほど固まった天龍であったが、

 

「……ったく、こんなのばっかりか」

 

 最後までこの調子かと頭をかき、天龍も木曾の後に続き、外を出る。

 

「だからこそ、明日からは考えねえとな」

 

 提督が望む、提督に応えられる振る舞い。提督が納得できる、背負わないでくれる戦い。それを考え、そして実行すること。それこそが、七号鎮守府の天龍がすべきことなのだ。木曾に追いつくように夜の廊下を歩きつつ、天龍はそう心に決めるのであった。

 

 








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