魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
それは昨日のことであった。
時刻はPM12:20頃――――
ランチタイムだと言うのに、今日に限ってはどういう訳か、人気が疎らな万々歳の店内に、その電話の音はけたたましく響いた。
「お~い鶴乃ぉ、電話出てくれぇ~」
「ホイホーイ」
厨房で頬杖を付いて退屈そうにしていた隼太郎が、来客を今か今かと心待ちにして、ソワソワと忙しなく動き回っている鶴乃に言い放つ。
この時間、接客兼電話番は彼女の役割だ。活気良く返事すると、ピョンと電話に飛びついてガチャリと手に取る。
「もしもし、万々歳で……あ、美代さん!?」
『もしもし、鶴乃くんですかな』
「どうしたのっ? 出前ならすぐ行くから注文してっ」
『いえ……実は……』
鶴乃が急かすと、彼女はどこかもったいぶったようにモニョモニョ言い出した。
途端、鶴乃の明るい表情に薄っすらと怪訝の感情が表現された。目を僅かばかり、細める。
「…………」
カウンターで座って新聞を読みながらも、横目で様子を眺めていた木次郎は、その変化を見逃さなかった。
「うん、うん……………………わかった」
美代の言葉に二、三回頷いた後に、呟かれた一言――――『分かった』と言った瞬間、鶴乃の顔から感情が消えていた。
何か言われたのは、間違いない。木次郎がじっと見つめていると、
「すぐ行く」
どこか決意を固めた様な、低い声でそう呟いた。
先程の快活さは微塵も見られない。無の表情と相俟って、まるで別人の様な雰囲気を纏っていた。
心無しか目に宿る赤色が一瞬だけ、燃え上がった様な瞬きを見せたので、木次郎は、ハアと溜息を付いた。
新聞紙を顔から外して、立ち上がる。
「ごめん、お父さん、急用できちゃった!!」
「お、おい……急用って」
これからランチタイムだぞ、と隼太郎は言うが、鶴乃は止まらない。さっさとエプロンを外すと、
「ちょっと店お願いね!」
真剣な表情のまま、立ち上がった木次郎にそう言い放って差し出した。有無を言わさずエプロンを受け取らされた木次郎。
鶴乃は駆け足で、玄関を飛び出す
「おい待て」
――――よりも早く、木次郎は声を叩き付けた。
ずっしりと重みの感じる低い声は店内によく響き渡った。鶴乃は足を、ピタリと止める。
「どこに行く気だ」
ジロリと、華奢な背中を刺す様に睨みつけて、問いかける。
「……………………………………」
鶴乃は、質問には答えず暫し玄関の外を眺めていた。
視界には、旧商店街の廃れた街並みが嫌に目についた。
「……………………………………“魔女”だよ」
鶴乃は、背中を向けたまま、質問に答える。
その答えに隼太郎は、ヒッと顔を青ざめて怯えたが、木次郎は嘘だと即座に見抜いた。
何故なら『すぐ行く』と答えた時に一瞬垣間見えた目の瞬き――――あれには間違いなく『怒り』が孕んでいた。
「つ、鶴乃ぉ! お前が行くもんじゃないっ!! 今すぐ市役所の治安維持部に連絡して」
「………………………………すぐそこまで来てるって、美代さんが言ってたの」
また長い間を置いて答えたな、と木次郎は思う。
鶴乃は本来嘘は苦手な性分だ。
今の言葉にしても、さっきの言葉にしても、考えながら喋っている事は明白だった。
木次郎は呆れながらも、鶴乃に向かって歩み寄る。
「だから、行かなきゃ」
そう呟いて、再び飛び出そうとする鶴乃の肩を木次郎が掴んだ。
「嘘じゃねえだろうな」
「っ!!」
隼太郎に聞こえないよう小声で呟くと、鶴乃がバッと勢いよく振り向いた。真剣に固めた表情。だがそれよりも、炎を纏ったかの様に爛々と瞬いている両目。
強い眼差しを受けて、木次郎は自分の考えが正解だと悟った。
「嘘か……」
ボソッと言う木次郎の顔は心底呆れ返っているようだった。それを見て鶴乃はキッと顔を歪ませる。
「止めないでよ、おんじ」
鶴乃もまた、隼太郎には聞こえないように、ボソリと吐き捨てた。
その言葉で、美代が電話で彼女に何を言ったのか、全て理解した。
「七海やちよが、近くに来てるんだな……」
鶴乃は一瞬、彼の洞察力にウッと息を飲んでたじろぐものの、すぐに表情を固めてコクリと頷いた。
「おんじは、忘れたの……あいつらが、何をしたのか」
「忘れる訳がねえ」
「だったら、これはチャンスなんだよ?」
「何がだ」
何か良からぬ考えをしているようだ。木次郎は既に見抜いていたが――あえて彼女の口から引き出してみる。
鶴乃は、両手をグッと握り締めて、拳を作り上げていた。
「あいつは農林公園にいるんだって。誰も見てない所で、潰せるよ……!」
両顎を強く噛み締めて、猛獣が唸る様な声色で、鶴乃は呟く。
「馬鹿言うんじゃねえ」
木次郎はすぐに鶴乃に、ピシャリと激を飛ばした。
「てめぇが今やろうとしてんのは、店の顔に泥を塗る行為だ」
「っ!!」
クッと忌々しく歯噛みする鶴乃。
それは彼女とて分かっていた。魔法少女同士の争いは市条例で禁止されているのだ。
ましてや相手は“最強”を謳われる治安維持部長。対峙したら、彼女とて只では済まないし、店にとっても大打撃になるのは確実だ。
暗にそう込めて、鶴乃を思い留まらせようとする木次郎だが、
「周囲には“治安維持部長が魔女に襲われました!!”って騒いどけばいいよ」
鶴乃は素っ気なくそんなことを言いのけた。
「あいつ、プライド高いって有名だからさ、『フリーの魔法少女に倒された』だなんて絶対自分の口から認めないだろうし……上手くいくよ、きっと」
「それでも、やりあってる最中を誰かに見られたらどう説明する気だ? 親父と兄貴が守り抜いてきた店を、テメェで潰す事になるぞ?」
自分が店を潰す――――その言葉が嫌に耳に張り付いてきた。
鶴乃は怒りを顕にした表情で、ギロリと目を剥いた。
「そんなこと絶対に無いってっ!!」
カッと頭に血が昇った! 気が付いたら、木次郎を両手で突き飛ばしていた。
彼はよろめいたが転ぶには至らなかった。だが、苦々しい顔で胸を擦っていた。
「……っ!」
やってしまった――――一瞬で罪悪感が急激に頭に噴き上がってきて、鶴乃の顔が青褪める。
だが、もう啖呵を切ってしまったのだ。もう引き下がる訳にはいかない。謝るつもりも無かった。
顔を彼から背けて再び外に広がる旧商店街に目を向ける。
「わたしが、証明してやるんだ……っ! 正しいのは、行政なんかじゃない……っ! この地で生きてるみんななんだって……っ!」
決意を顕わにして、鶴乃はそう独りごちると、飛び出していってしまった。
あっという間に背中が小さくなってしまって、木次郎はふう~、と深い息を吐いた。
「あの、馬鹿が……」
「お、叔父さん、鶴乃になんていったんだい?」
痛む胸を摩りながら、舌打ちをしつつ店内に引っ込む木次郎。
カウンター席に座ると、隼太郎の困惑に満ちた声が飛んできた。
「別に。『魔女と戦うんなら頑張れ』って言っただけだ」
やれやれ、と言いたげに、どっかりと座り込む木次郎。
「で、でもなんか怒ってたみたいだったけど……」
「気にするな。おめぇは店の事だけ考えてりゃいい」
そう言われても、隼太郎は納得がいかない様子だ。
だが、これ以上話は無い、とばかりに、カウンターに置きっぱなしだった新聞を広げて再び読み始めたので、隼太郎は問い詰めないことにした。
木次郎にしてみれば、
それは鶴乃が一番望まない事だ。
「…………」
木次郎の顔は新聞で隠れている。実際は真横を向いていた。
(鶴……)
鶴乃が出ていった玄関をいつまでも見つめている瞳には、僅かに心配の色が混ざり込んでいた。
――――以上が、神浜農林公園で、七海やちよと激突した経緯である。
☆
そして、現在。
一方の、神浜市立図書館の屋上では――――
「先生!」
「……っ!」
思考に耽っていると、黄色い声が耳に飛んできた。
我に帰って、声の方向を見ると、さなといろはが帰ってきていた。
「ああ、おかえり。二人とも」
「執筆はどうですか?」
いろはが尋ねると、慎は首を横に振った。春径と話し込んだせいで全く進んでいない。
「春さんと話し込んでたら、完全に滞っちゃってね」
「春さん……春、春……あれ、どこかで聞いたような……??」
聞き覚えのある名前にいろはが頭を捻らせていると、さなが前に出た。
「どんなことを話してたんですか?」
「まあ、なんというか……」
慎はふぅ~っと溜息を吐く。
「神浜では色んな事が起きてるって話だ」
「「えっ??」」
慎のあまりにもざっくりすぎる表現に、いろはとさなは二人揃ってポカンと目を丸くする。
「だから二人とも、強く生きろよ」
僕はちょっと食事に行ってくる――――そう言い残して、彼は席から立ち上がると、足早にどこかへと去ってしまった。
少女二人は呆然としたまま、背中を見送っていた。