魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
14時からの実技教習はなんとか間に合うことができた。
ただ運転中、ずっと苦い顔をしていたので、担当の教官からは「何かあったの?」なんて余計な心配をされてしまった。無論、「なんでもない」って誤魔化したが。
14時50分に無事終了。15時には学課講習があるため、その間は待合室で休むことができる。今日は土曜日なので、ロビーの様に広い待合室は老若男女で賑わっていた。どうにか空いている席を見つけて座ると、ようやく一息つけた。安堵の余り、上体の力が抜けてヘナヘナとテーブルに突っ伏す。
「疲れた……」
テーブルの上で饅頭になった鶴乃が重い溜息を吐きながらポツリと呟く。
家から教習所に行き着くまでのたった15分間で物凄く神経を擦り切らしてしまった。今はあれこれ考えたくはない。家に帰ったら店の事はおんじに任せてさっさと寝たい。
由比鶴乃という少女は、人並み外れたタフネスの持ち主だが、如何せん心の方はか弱き乙女のままだった。一度悩みを持つと、誰にも相談できずに一人で抱え込んでしまうのが彼女の悪い癖であった。
自覚はあったが、治す方法が分からない。周りの人に気負わせてしまうのは、
「あれ、つるりんじゃん~」
懊悩している饅頭に声が掛けられた。鶴乃は顔を元に戻すと、首を上げて声の方向を見る。
知り合いの女性が二人立っていた。一人は、金髪のショートヘアで如何にも元気溌剌そうな笑顔の少女で、もう一人は全身の分厚い黒いコートで覆い、これまた分厚いマフラーで口元を隠した物静かそうな小柄の女性だった。
「ユカちゃん! 美代さん!」
それらが親しい人物で有ったことに、心の底から安心した。鶴乃はパアッと顔を輝かせると、椅子から飛び出す勢いで二人に駆け足で寄る。
金髪の少女は最上ユカといい、鶴乃とは同じ学校のクラスメイトだ。ちなみに魔法少女の素質は無く一般人。
もう一人の黒コートの女性は朝霞美代、言わずもがな魔法少女である。
鶴乃が魔法少女に成り立ての頃に、魔女との戦いで負傷したのを治療してくれたのがきっかけで関係を持った。そして、今では万々歳の常連として、度々鶴乃に会いに来てくれている。
「ご機嫌ようなのですな」
「二人もこれから?」
「そーだよー!」
鶴乃の問いかけにユカが元気よく返事をする。対照的に美代は首をふるふると振った。
「いえ、わっちは今日の分が終わったので帰るところだったのですが、ユカくんに捕まってしまいましてな」
言い終わると、ユカが美代の肩を抱いて懐まで引き寄せた。
「美代さんねー面白いんだよ~! スッゴイ魔法少女と一緒に戦ったんだって~!」
「スッゴイ魔法少女?」
鶴乃の目が点になる。問いかけると、美代はコクリと首を縦に振った。
「あっれー?? つるりん知らないのー!?」
ユカは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔で「見てみて~!!」とスマホの画面を鶴乃の顔面に近づけた。
「…………っ!!」
それに映っていた文字列を見た瞬間、鶴乃の顔が強張った。
『最強の挑戦者現る!! 女神を地に叩き伏せた女、その名は、【環 いろは】!!』
『七海やちよ撃沈!! 突然訪れた闖入者は【魔物】!?』
『まさかの敗北!? 【英雄】を超えた環いろはの実力は【神域】か!?』
「これって……!」
文字列の横の写真には、白いフードを被った桃色の髪の魔法少女が映っていた。
鶴乃が愕然とした様子で画面を凝視していると、ユカの底抜けに明るい声が飛んできた。
「この環いろはって子ね~~! スッゴイんだよ~~! だってあの七海やちよをぶっ飛ばしちゃったんだって~!」
「ユカくん。ぶっ飛ばしたんじゃなくって勝負に勝ったのですな」
ユカが目をキラキラ輝かせて捲し立てる隣で、美代が冷静にツッコむ。
「
話が飲み込めない鶴乃が美代を見る。美代は自分の米神のあたりを人差し指で差した。
「力で打ちのめしたのでなく……
「……っ!!」
米神をツンツンと突いてそう言った途端、鶴乃の目が大きく見開かれる。
「美代さんっ!!」
「~~~~ッッ!!??」
瞬時に、美代に飛びついて、大声で呼びかける鶴乃。鼓膜を貫かんばかりの衝撃に美代は仰天の余り仰け反りながらも耳を抑えた。
「どったのつるりん?」
ユカがきょとんと首を傾げて問いかけるが、鶴乃は無視して美代に捲し立てる。
「その子に! 会わせてもらえないかなっ!!?」
「「はい??」」
鶴乃の必死な懇願に、美代とユカは同時に目を丸くした。
☆
何で、衝動的にそう言ったのか、自分自身よく分かっていなかった。
――――多分その子が、気になったからかもしれない。
自分は七海やちよを今まで『力』で倒すことしか考えて無かった。
そして、常磐ななかは言った。大切な者を守るためには例え手を汚そうが『力』が必要なのだと。
だが、この環いろはという魔法少女は、仲間との『連携』と、自分の『知恵』を生かして七海やちよに勝った。卑劣な真似を使わず、手を汚す事無く、真正面から挑んで。
それは『力』に依存し、縋り付くしか術が無いと考えていた自分にとっては衝撃に等しい話であった。
だから、会ってみたい。
環いろはという少女なら、力を使わずに
ななかへの返事は彼女に会ってからでも遅くは無いだろう。
「……だからって、わっちに付いてくれば会えるとは限りませぬがな……」
美代は半ばうんざりとした表情で、隣の同行者を睨みつける。
「わからないでしょ!? 魔法少女と魔法少女は惹かれ合うって良く聞くし!! 知り合いなら尚更だよっ!!」
美代のすぐ隣で、『
二人は、あの話し合いの後、教習所の外に出た。
美代が神浜市立図書館に用事があると言うと、なんと鶴乃がそのまま付いてきたのだ! ちなみにユカはまだ、終わってない科目があるため、まだ教習所に残っている。
神浜自動車教習所は参京区の旧商店街の西側の出入り口を抜けてから20分程、国道沿いを真っ直ぐ歩いた所にある。丁度中央区との境目だ。
そこを出て、更に西に向かって国道沿いを真っ直ぐ、20分程歩いていくと、神浜市立図書館へと行き着く。
「……何度か撒こうとしましたが、無理ですな……」
とはいえ、二人は魔法少女だ。
変身して魔力を両足に纏って走れば、目的地までは5分も掛からない。
美代は教習所から出て直ぐに「あっ! ラーメンの丼みたいなUFOが飛んでるのですな!!」等と叫んで、鶴乃の気を明後日の方向に逸らし、自分は変身して逃げようとしたが、そこは学校での体育の成績が毎年「5」の鶴乃である。
あっさり、追いつかれて、掴まった。
だが、懲りずに「あっ!! あんな所にドラ○ンボールがっ!!」等と騒いで、再び撒こうとしたが結果は同じ。
騙す→全速力で逃げる→追いつかれるを何度か繰り返している内に、あっという間に、神浜市立図書館が見える所まで辿り着いていた。
「なんかいった?」
美代がボソッと呟いた事を、鶴乃は聞き逃さなかった。眉間に皺を寄せてじっと睨みつけてくる。
「いえ、ナニモイッテナイし、オモッテモナイのですな……」
半ば怒気の様なものを孕んだ低い声が、美代の心に釘を刺した。青褪めながらもそう返すしか無い。
如何にベテランの美代とはいえ、一度火が付いた鶴乃を止められる術は無かった。
しかし――――はあ、と、鶴乃に気づかれない様に僅かに顔を逸らして溜息を吐く。このままでは、環いろはに会うまでずっと付き纏われそうである。
「そういえば、美代さんはさ……」
「?」
悩んでいると、元凶たる少女が話を振ってきた。美代は何事かと思い、顔を向ける。
「前に住んでたところでも教習所に通ってたんだよね。どうして辞めちゃったの?」
「いえ、大した理由ではありませぬ。ただ、教官の方と合わなかったのですな」
「もしかして……何かされたの? セクハラ?」
鶴乃が眉を八の字にして心配そうな顔を浮かべる。
「いえいえ、そんなことはされておりませぬ。ただ……」
美代は顔を僅かに下に向けて俯かせた。
「少し、嫌なことを言われましてな」
――――
『朝霞さん、魔法少女なんだってねえ。……車なんて、いらないでしょ』
『魔法でなんでも出来るんでしょ? 何で免許欲しいの? 気まぐれ?』
『近所で魔法少女見たけどさあ、凄いよね。バビューンって……新幹線みたいでさあ。美代さんも魔法少女なんだからあれぐらい走れるんでしょ? ……それなのに車が欲しいなんて、おかしいんじゃない?』
――――
「一人や二人だけならまだ許せるのですが……流石に出会う教官全てからそんなことを言われたら頭に来るのですな!」
「分かる~!! 魔法少女だって車は欲しいよねっ!! 家族を旅行とかに連れて行きたいし、仕事の道具とか持っていけるし、何より変身して飛んでいくよりは全然目立たなくて済むしっ!!」
当時の事を思い出した美代は、額にピキッと怒りマークを浮かべながら鶴乃に吠える。
心の底から同意した鶴乃は腕を組んで頭を大きくコクンコクンと頷かせた。
魔法少女とて、魔女との戦いが無ければ、普通の一般人と同じなのだ。
だが、魔法少女の特異性ばかりに目を向けて、上記の様な差別的発言をするものも決して少なくない。
「その点、神浜市は良い所なのですな。魔法少女保護特区というのもあるかもしれませぬが……わっちを受け入れてくれる方々は多いですし、こちらの教官の方はとやかく言いませぬ」
「そうだね! ここの住民で本当に良かったと思うよっ!」
美代はマフラーの中で口の端をフッと吊り上げる。彼女が笑顔を浮かべた事を感じ取ったのか、鶴乃も満面の笑みを見せた。
「おや?」
と、そこで美代は前方に何かを発見したらしい。目を丸くして、見つめる。
「どうしたの?」
「鶴乃くん。大当たりですな」
鶴乃が首を傾げながらも、美代が注目する前方を見遣る。
瞬間、衝撃が走った。
図書館の方から、桃色の髪の少女が一人、こちらに向かってきていた。
☆
時間は少しばかり遡る……
「じゃあ環さん、また」
「ありがとう、二葉さん」
図書館の前で、いろははさなと慎に見送られていた。
さなと両手で握手を交わしながら、笑顔を見せ合いつつ別れを告げる。
「先生も、いろいろとありがとうございました」
さなから両手を放すと、慎に向って頭を下げるいろは。
「いやいや……ところで環さん、心理学者のジークムント・フロイトは知っているかい?」
「フロイト……ごめんなさい、分からないです」
魔法少女であることを除けば、一人の中学生に過ぎないいろはにとっては、聞き慣れない名前だ。
首を横に振ると、慎は少し神妙な面持ちで呟いた。
「彼の言葉で、『夢は現実の表出であり、想像の産物ではない』というのがあるんだ」
「…………」
慎の言葉に、先ほど彼に自身の『夢』について細かく指摘された思いが蘇ってきた。
いろはは、沈痛そうに顔を俯かせる。
「先生……」
また、いろはを追い詰めてしまうのではないか。
その心配をしたさなが慎を不安そうに見やるが――――彼はフッと笑ってこう言った。
「環さん。夢に勝てよ」
「…………!」
その一言が、いろはの顔を勢いよく上げさせた。
「所詮夢は過去だ。辛い思いが混じっているのなら、できるだけ振り向かない方が良い。今、ここにいる君が全てだ。自信を持って、前を向いて歩いていって欲しい」
いろはの目が震えた。
彼女は慎に深々と会釈すると、二人に背中を向けて歩き出した。
「環さん、頑張って!」
最後に、さなの声が背中を押してくれた。
美代とは結局会えなかったし、何も解明できていない。でも、その声のお陰で足がとても軽くなった気がした。
(お父さん)
いなくなった父の顔を、不意に思い出した。
(私は自分の運命と向き合っていく。前に進んでいくから)
決意を新たにして、一歩一歩、確実に進んでいく。
この先に何が待っているのか、分からない。だけど……
(安心して。私は、一人ぼっちじゃないから)
味方になってくれる人がいた。気持ちを分かってくれる人がいた。
だから、大丈夫――――
「おお、いろはくんではないですな!」
唐突に聞いたことのある声が耳に入り込んだ。
ハッと顔を上げると、服装は私服の黒いコート姿だが、見たことのある顔の人物が映り込んでいた。
「美代さん!!」
二人揃ってお互いの存在を視認した瞬間、走り寄った。
目先まで近づくと、いろはは先ず我先にとペコリと頭を下げる。
「この前は、本当にありがとうございました! あの……お顔の方は?」
確か、七海やちよに靴で顔面をグニッと踏まれたのである。心配で仕方が無かった。
「この通り、何の問題も有りませぬ」
剥きたて卵の様にツルンと光っている肌を自慢気に見せびらかす美代。
それを見て、ほっと安心するいろは。
「美代さん、あのう……実はお尋ねしたいことがありまして……」
「ふむ、それなら条件がありますな……」
美代は顔を横に向ける。
いろはも『条件』という単語に怪訝な表情を浮かべながらも、攣られる様に美代が向いた方向を見遣ると――――ギョッと身をたじろがせた。
いつの間にか、背丈の高い少女が美代の隣に佇んでいた。眉間に皺を寄せて、真剣に満ちた表情でこちらをじっと見ている。怖い。
「この子の話を聞いてもらいたいのですな」
「……この方は」「わたし、由比鶴乃っていいますっ!!」
美代に問いかけるよりも、早く少女から大声が飛んできた。その音量の凄まじさに、いろははヒャッと耳を塞ぐ。
「!!……鶴乃って、まさか!」
「ええ、以前、七海くんと戦ってくれたのが、彼女なのですな」
「あ……そうだったんですねっ! 由比さん、この前はありがとうございます!」
「いや、気にしなくていいよ……ってそれよりもっ!!」
鶴乃はいろはの肩をガッと掴んだ。
「いっ!」
「環さん……いや、環
痛みに顔を歪ませて呻くと、鶴乃は奇妙な敬称を付けていろはを呼びつけた。
「えっ? えっ?」
いろは、困惑。
今、彼女はなんて言った? 師匠?? 自分はそんな大それた人間じゃ――――そう迷っている内に、鶴乃は大きく息を吸い込んで……
「わたしを、
耳を貫かんばかりの声量で、そう言い放った!
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
いろは、暫しの沈黙。
「えええええええええええええええええええええええええええええええええ!!??」
そして、先程の鶴乃に負けんばかりの絶叫を響かせるのであった。